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はい、えー、今回は第何回なんでしたっけ? バグキャスト第10回です。
10回やってきましたけども、いやいや、伊藤さん。 何でしょう、大賀くん。
今回はですね、はい、えー、ワールドカップについて。 うん。
ワールドカップがこう迫ってるっていうのは知ってますか? まあ気配ぐらい。
主に大賀くんから聞いてます。 あ、マジで?そうだよね。 ワールドカップがあるんだって言って、何にも知らなかったもんね。
そうだね、そうなんだ。 え、あの、え、どうなの?世の中的には盛り上がってるの?
そういうニュースとか。 えっとほんと先日、ワールドカップに向けて日本がなんか試合?
はいはいはいはい。 してたのを夜中チラッと見たかな。 え、それ地上波放送的な? 地上波だったと思いますね。
なるほど。 えっと相手の国忘れちゃったけど。 アイスランドね。 あ、アイスランドアイスランド。やってたね確かにね。
なるほどなるほど。 まあなんか最近ちょっとこのバグキャストであのサッカーの話題が増えているっていうのが実はあって
えっと僕の好きなねサッカークラブチームの話をしたりもしましたけどどうですか伊藤くんとしては?
君は元サッカー幽霊部員だったわけですけど。 そうですね。 サッカーについての考えとか。
いややっぱ幽霊部員になるに至る経緯があって。 僕幼稚園の頃からずっとサッカーやってたので。 8年間やってたんですよね。
幼稚園年中3から小6まで。 割とがっつりだからもう毎週必ずサッカーをやってで合宿も必ず夏はいって
結構やってたんですけど。 まあその推しの話の時も話したけど僕はサッカーっていう競技自体はすごい好きだったんだけど
プロがどうとか選手の話とかの盛り上がりに一切ついていけなかった。 なるほど。だからなんかサッカー界みたいの別に全然興味なくて。
だから中学行っても高校行ってもサッカーを続けていくんだみたいな気概は一切なくて。 なるほどね。本当に試合を楽しむだけだったんですね。
なるほど。 で中学に行ってまあ幽霊ずっとサッカーやってたからサッカー部入るでしょうと思ったんだけど
そのやっぱグラウンドを 乱集しなきゃいけないっていうその行為が
あまりにも辛すぎた。 なるほどね。なんか無駄だなっていう
すごく無駄な時間を過ごしているんだけど。 そんなこと言わないでよ。いやわかるけどねわかるけどね 体力作りってことじゃないですか
でもそれがなんというかやっぱ多分小学校の時行ってたのはクラブチームだったから 監督とかコーチがモチベーションをね
うまくコントロールしてくれたと思うんだけど 中学行くと走るもんだろうみたいな感じで
であの校舎の周りね学校の校庭の周りぐるっと回るんだけど校舎裏では先輩がサボってて。 なるほどね。で後輩サボんないよとか言ってて
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なんかすごい無駄な時間を過ごしているっていうのを それ聞くとね。自分で自覚する時間になって
僕しっかり覚えてますけどあの学校の校庭に簡易トイレを置いてあって 簡易トイレ普通に使える状態だったんですよ
でこうぐるぐる回ってる時にお腹痛いふりして簡易トイレに入り ちょうどみんなが走り終わるぐらいに出てきて
はぁはぁはぁって息を切らせながら参加するっていうのを結構2週間くらいやって じゃあやめよう。確かにそれやめた方がいい
っていうことでやめちゃったわけだけども なるほどね。でもサッカー自体はやっぱこの間そのアイスランド試合を見ても
やっぱサッカーって面白いなって思ったし 自分がグラウンドに立ってた頃のこの何を思ってプレイしてたか
思い出すと今でもこう面白さが 感じれるなっていうことはあります。なるほどなるほど
なるほど そうね俺はちなみに野球部員だったんだけどね。野球部だったけどサッカーは見るの
すごい好きだったね まあじゃあ
サッカー界がちょっとたまたま続いてますけど今回のテーマ 行きたいと思います
ワールドカップが近いのでってことで考えたんですけど えっとね題してスポーツはなぜ遊びのままでいられないのか
ワールドカップスポーツオッシュ海洋はの遊び論から考える っていうようなちょっとテーマでいきたいとおもいます
えーとですね ちょっと議論に入っていきたいんですけどまずはですね概要から2026年のフィファワールド
カップまあ直近に控えてますけど アメリカカナダメキシコの3カ国共催で開催される
フィファっていうのは国際サッカー連盟のこと でワールドカップを主催している組織ですね
で今回の大会はこれまでの32カ国制から48カ国制に拡大されて試合数も104試合に あります
かなりまあ大きくなるんですよねっていう このなんか3カ国共催とかっていうのは割と普通なんですけど
えっと僕の記憶にはないね例えばさ日僕へと2002年の日韓日韓だったりして 共催はあったはずだけど3カ国っていうのはあんまないな僕の記憶には
やっぱ規模がかなり大きくなってるってここでもわかるんだ そうねっていうことなんだろうね
まあ北米でやるっていうようなことになってますよね でまぁもちろん出場国が増えること自体は悪いことではないかなとこれまで
ワールドカップに出る機会が限られていた地域や国に門とか開かれるという意味では サッカーがより世界に広がっていくっていうことでもあると
06:07
ワールドカップが世界の大会である以上3カ国が増えることにはまあかなり肯定的な 意味もある
ただ一方で試合数が増えるということは法営権 スポンサー契約広告観光開催都市のインフラグッズ販売配信プラットフォームそういうものが全部大きく
なっていくと まあここらへんがあのあるから3カ国増やしているというところがすごく大きいと
思いますね 事業規模を広げたみたいな
そうまあ他方で選手は試合数をこなさなきゃいけなくなってくるから 身体的な不安ってやっぱり大きくなってっちゃうよねとか
これちょっと素人質問であれなんですけど本当の素人質問 あのこれこのワールドカップに出たいとすべての国の人たちが一応思っていて
でなんかその予選みたいのを立ち上がることで枠に入れる そうです地域別で予選がある
でアジアで何枠とかヨーロッパで何枠みたいな風に枠が決まっててってことですね なるほど例えばねイタリアってかつて強豪国だったんですけど
ワールドカップ優勝したこともある 2006年に今回出れてないんですよ
ああそれは入れなかったんだ そう地域別の予選で落ちちゃって
じゃあその枠が32か48に増えたから 今まで入れなかった人たちが入れると
そうそうでもイタリア落ちちゃったんだよね そこら辺が それでも落ちちゃったってことなんだよね
そうねまあそうなんだよね これって
えっとなんか大体世界で200ぐらいの国と地域あるイメージじゃないですか そうだね
その人たちのうちのおよそ48が入るってことはそうだね まあ4分の1ぐらいが上がれるぐらいの
確かにそうだねそこが ネベル化になってきたってことなのかな
うんそうだねそういうことだと思う ただまぁ一応あの一応フィファの連名に登録してないといけないはずだよね
だからそれがどんなあのハードルなのかっていうのはちょっとよくわかんないけどね 例えば時刻で試合する時にスタジアムがあるかとか
そういうインフラ関係とかっていうのは多分チェックがあるんだと思うけどね まあそんな感じに概要になってますと
で今出てきている問題点いろいろあってですね まあ要するに単なる作家大会じゃなくて
まあメディア国家都市資本が結びついた巨大な社会的イベントになっていると スポーツ募集っていう問題社会問題が今あるんですよ
知ってます? いや初耳かもしれないね スポーツ募集スポーツあらいみたいなね
なんとか募集って言葉は確かにいろいろあるような気がするかな そうそうだねまさにその文明だけど
スポーツ募集というのは国や企業がスポーツイベントの祝祭感や人気を利用して人権侵害や政治的な問題
09:01
汚職差別労働問題などへの批判を和らげて自分たちのイメージをよく見せようとすることですね
この問題をよく指摘している団体の一つに ヒューマンライツボッチという国際的な人権利用があります
これは政府や企業武装勢力などによる人権侵害を調査して報告書や声明を出している団体なんですけど
そのヒューマンライツボッチは巨大なスポーツイベントが政府や国家の評判を洗浄するために使われている危険を指摘している
ネガティブな文脈の言葉なんだ
そうそうそうだね
ワールドカップみたいな大会はテレビ中継やSNSを通じて世界中に祝祭的なイメージを届ける
スタジアムは盛り上がっていて人々は笑っていて世界が一つになっているように見せますよね
でもその祝祭的なイメージが強いからこそ開催国や関係組織にとっては自分たちの政治的な問題や人権問題から出前を逸らすための
非常に強力な呼行装置にもなってしまうだろうと
そういう問題ですね
さらにワールドカップを主催しているFIFA自身も精錬潔白な組織としてだけ語るのは難しい
FIFAの汚職問題というのが近年結構続いてましてですね
有名なところでは2015年にアメリカ司法省がFIFA関係者やスポーツマーケティング企業の幹部を
組織犯罪、伝診詐欺、資金洗浄などを含む汚職事件で起訴しています
すごい犯罪だね
そうすごいよね
これは国際サッカーの統括組織が法営権やマーケティング権をめぐる巨大なお金の流れと
深く結びついていることを明らかにした事件でした
ここで大事なのはこういう問題を単に一部の悪い人が腐敗していたという話で片付けないことなんだろうと思います
例えばワールドカップほど巨大なイベントになると
競技そのものの価値、国家の威信、企業の広告価値、メディア視聴率、観光収入、都市開発
そういうものがグワーッといろいろ絡み合ってくるじゃないですか
そうするとスポーツの熱狂が経済価値に変わって
経済価値が政治的な力や組織の権力の厳選になっていってしまうと
だからFIFAの汚職問題もスポーツの外側にたまたま発生した異常というよりも
巨大化したスポーツイベントが構造的に抱えやすい問題として考えた方がいいんじゃないだろうかっていうのが
ここで今日考えてみたいことなんですけども
こういうふうにしていっていくとさ
僕が今こうやって言ってることって
よくあるニュースをただまとめただけで
ここからちょっと僕が考えたいことなんですけど
こういう話をしていると私たちついこう考えたくなるはず
つまりスポーツって本来はもっと純粋な遊びだったはずだよね
それが政治や資本によって汚染されてしまってる
っていう問題設定を立てやすいじゃない
俺はねこれを訴えがいたいんですよ今日
12:00
なるほど
もともと遊び純粋な遊びが
なんかだんだんスポーツ化していって
なんかこう大人の
闇の世界に突入していくみたいな
そうじゃないんじゃないのっていうのを言いたいんですよ
っていうのはどういうことかというと
まあサッカーなんてボール一つであれば始められるよね
子供たちが空き地でボールを蹴る
走る転ぶ笑う
そういう素朴な遊びとして想像しやすいじゃないですか
一方でワールドカップにはスポンサーがつき
包囲券が売られ
警備体制が敷かれ政治的な駆け引きがあったりして
巨大な金が動いていくと
そうすると本来の遊びと汚染されたビジネスっていう形で
この問題を捉えちゃうと思うんですよ
そうだね本来の遊びっていうイメージが
そう子供たちが空き地でわーっと遊んでるのと
スポーツでキラキラしてて汚いもんないじゃない
背広きたおじさんとかがなんか
ぐわっと出てくるみたいな問題と
対立されて考えちゃうんだけど
そうじゃないんじゃないのっていうふうにして思ってる
まずそもそもスポーツは遊びそのものなのか
ってことなんですよ
スポーツと遊び
スポーツと遊びってどう関係してるのかっていうのを
ちょっとまずそこから考えないといけないかな
っていうふうにして思ったんですね
もちろんスポーツは遊びと深く関係してるよね
けれどスポーツは単なる自由な遊びではないよね
より正確になるスポーツとは
体を使った遊びがルール競争技術訓練記録観客
制度を伴って組織化されているものじゃないですか
つまり子供の頃遊んでボール持って遊び出すのって
もっとルールもないし
タマケリとサッカーはやっぱ違うよね
っていう感覚かな
そうね
だからスポーツは
遊びから完全に切り離されたものでもないけど
ただの本当の自由な遊びでもないよね
遊びが社会的に整えられて
比較可能になったり観戦可能になったり
ある種の制度化されていってるものじゃないですか
だから遊びとスポーツってイコールじゃないよねと
この点を考えるのにこの人
この人の話をちょっとしたかったんですけど
ロジェ・カイオワっていうフランスの思想家がいまして
この人の議論がかなりいい補助戦になるんじゃないのだろうか
っていうところなんですね
カイオワっていうのは
1913年生まれ1978年亡くなったフランスの思想家
社会学者文芸批評家ですね
神話・聖なるもの・文学・社会構造・遊びなどを論じた人
代表的な著作にそのものまさに
遊びと人間っていうのがあるんですよ
これ僕すごく好きな本で
遊びについて考えるときに
よく言及される本なんですけども
この本でカイオワはどんな議論をしてるかっていうと
遊びを単なる暇つぶしや子供っぽい活動としてではなくて
15:03
人間社会の制度や欲望を映し出す
重要な文化形式としてカイオワは捉えてる
カイオワによれば遊びは自由な活動です
日常生活から切り離された時間と空間の中で行われる
結果があらかじめ決まっているわけではなくて
普通の意味では生産的ではないよね
そして一定のルールや虚構によって支えられているもの
つまり遊びは現実から切り離されているように見える
けれど同時に人間社会の秩序や欲望を
強く反映するものなんだと
っていうのがカイオワの議論のフレームなんだけど
カイオワの議論の中で重要なのが
パイディアとルズスっていう区別
分析を遊びに施していて
パイディアっていうのは即興的
自由でまだ形の決まっていない遊びの衝動みたいなもの
子供が単に走り回ったりとか
ふざけたりとか
勢いでボールを蹴ったりするみたいなものが
まだ走るってあったね
ルズスっていうのはルールや訓練や制約や技術によって
整えられていっている遊び
こっちがスポーツに近いものだよね
スポーツはまさにこのルズス化された遊びなんだ
というふうにして
ルズス化された遊び
うんいうことができる
今のパイディアとルズスって
どういう語源があったかっていうのを
ちょっと思い出せないんだけど
そういうふうにして分析してるんですよね
ただ身体を動かしているだけではなくて
競技場のサイズがあって
試合時間があって
反則があって
得点の方法があって
審判っていう人がいて
記録をつけたり
ランキングを作ったりして
競技団体の存在する
かなりスポーツだね
そうそうそうそう
だからスポーツは本来は純粋な遊びだったものが
後から制度に汚染されたというより
そもそも遊びが制度化されていく過程の中にある
というふうにして捉えられるんじゃないのか
スポーツの成立そのものに
遊びの自由さとルールによる制約
制度による管理が
同居しているはずだよね
っていうことですね
なるほど
ここを遊びとスポーツって
どう関係しているのかっていう論点なんですけども
もうちょっと会話は遊びの分類を丁寧にしてて
ここすごい面白いから
ちゃんと紹介したいんですけど
概要はですね
遊びは4つの型に分類してるんですよ
なるほどこの遊びっていうのは
パイディアとルドゥス
合わせたもの
合わせたグラデーションの中にある
全部のことを遊ぶというのが出て
それをさらに4つに分類してる
1つ目はアゴン
競争ですね
遊びには競争があるはずだと
誰が速いか
誰が強いか
誰が上手いかを競うってことですね
サッカーとかボクシング陸上競技
18:00
チェスなんかも
チェスとか将棋とか
戦って勝ち負けが決まるみたいなことね
そうだね
アゴンの要素をすごく強く持ってる
カードゲームとかも
競争の原理が働いてたりする
誰かと遊ぼうと思ったら
これが生まれるかなって気がするね
だからゲームそうだね
ゲームは必ず競争があるよねと
2つ目が偶然
遊びには偶然の要素が必要だ
サイコロ、くじ、ルーレットのように
人間の意志や技術を超えた運に結果を委ねる
これ博打とか
みたいなものはあるし
アレヤ的な要素が強い遊び
ジャンケンとかもこれに入るのかと
そうだね
ジャンケンはまさに
偶然アレヤ的なものだよね
3つ目が耳くり
耳くり?
模倣やなりきり
つまりごっこ遊びみたいな
それも遊びか
そうそう確かに
自分じゃない別の存在になって
見せるっていうのも
遊びの要素にしてる
ごっこ遊び
あー仮想
はいはいはいなるほど
でちょっと議論先取りしちゃうけど
例えば
俺は日本代表チームだ
日本代表だっていうのも
実はなりきりじゃん
あーなるほどね
君は別に日本代表できないはずじゃん
日本人代表として喋ることはできないはずだけど
代表を背負って
国際試合に出る
そうあれもある種のごっこ遊びなわけだよね
なるほど
で4つ目
これがイリンクスって言うんだけど
目眩や糖水ですね
回転、落下、スピードみたいなもの
分かりやすいのが
ジェットコースターとか
メリーゴーランドとかに乗るみたいなものも
ある種の遊びだよねみたいな
体の感覚を刺激するような
そうそうそうそう
普段の身体感覚や知覚が揺さぶられるものだと
こんな感じで会話は
遊びを4つの方に分類してるんですよね
この分類を使うと
ワールドカップの性格が
かなり立体的に見えてくるっていう気がします
サッカーは基本的にアゴンじゃないですか
つまり競争
はい戦ってるね
そうそうそう
2つのチームが同じルールの下で得点を競って
勝敗を決めるから
でもアゴンだけでは説明できないよね
つまり怪我したりとか
判定があったりとか
対戦相手の組み合わせ
9時で決めたりとかさ
あるいは天候によって何かが
あるような試合が採用されたりとか
今日はフィールドが濡れてますね
そうそうそうそう
つまりここ偶然の要素もかなり入ってきている
強いチームがだからこそ必ず勝つわけじゃなくて
予測不能な出来事が
試合の意味を大きく変えちゃったりすると
でまた観客は代表チームに自分たちを重ねたりする
日本が勝った私たちが負けたみたいな風にして感じる
実際にピッチ上でプロをしているわけではないのに
代表チームを通じて
自分もその競争に参加しているかのように感じちゃうと
これはミミクリ
つまり模倣や同一化の動きだよねと
あー観戦している我々が
21:00
そうだね
そういう遊びをしているわけだ
うんつまりそう
これは僕たちの側から見ていったけど
負けちゃった負けちゃいましたねって言って
悔しい思い
俺たちも悔しい思いするはずじゃない
確かに
別に
頑張っているのは現場の皆さんはずだけど
あーそういうことか
観客がいて観戦する応援するみたいなことも含めて
そこまでが遊びに含まれているんだね
確かにそれはそうだね
そう言われたら確かに
さらにスタジアムの完成とか
パブリックビューイングでみんなに見たりとか
深夜観戦これ僕がよくやってるやつだけど
こういうものにはある種の糖水があるよね
あるね
みんなで一体感があって
わーって声を上げたりするっていうことが
まさにイリンクスなわけですよね
っていうことがここで言われていることですね
どうここら辺ってさ
なんか納得できます?
ここまでってなんか
いやなんかその遊びの要素を4つに分けられて
確かになって思うことがあるね
納得できるし
僕が結構好きな言葉で
二人ゼロ和有限確定完全情報ゲーム
って言葉があって
全然意味が分からない
意味分かんないよね
でもこれなんか多分ゲーム論とか
論理系の界隈の言葉なんだけど
要は二人二人でゼロ和っていうのは
一人の有利が相手の不利になる
引き分けが起きない
なるほど
有限確定っていうのが最後まで終われる
つまりこの無限に続くような
このゲームじゃなくて
いつか終わりがある
完全情報ゲームっていうのが
偶然の要素がない
相手の手札が見えないとか
駆け引きとかがない
いわゆる将棋とかチェスとか
ああいうボードゲームの
偶然要素を一切廃したゲームがあって
それは理屈上
究極の知性があれば必ず勝てる
なるほど
つまりスーパーコンピューターとか
なるほどね
やったりするんだけど
そういう言葉があって
ゲームっていうのを
そういう切り取り方できるんだ
っていうのは結構好きで
使ってたんだけど
なるほど
つまりそれはこのフレアとか
え?フレア?
つまり偶然性?
アレアか
アレアとかが含まれない
あごん部分というか
そうだね
っていうのを抽出した
言い方なんだなって
そう思うと面白かったね
その分析正しいと思うけど
会話はもうちょっと広く遊び
っていうのを取ってるってことだよね
ごっこ遊びみたいなものも
含めて入れてるからね
なるほどね
まあ議論を進めていきますと
ここで言ったことは要するに
つまりワールドカップは競争偶然
模倣
闘争が重なり合う
24:01
巨大な遊びの複合体だと
いうふうにして言えると思います
そう考えると
なぜ遊びが遊び以外のものを
巻き込んでいくのかも
見えてくるじゃないか
っていうのが僕が
今日言いたいところなんですけど
遊びは無意味で無益なものとして
片付けられがちだけど
でも実際には人間の感情を
非常に強く動かすじゃないですか
競争は勝者と敗者を無視
そこには名誉とか屈辱とか
序列とか記録を促していく作用がある
偶然は奇跡悲劇運命
バンクリアーみたいな
ある種の物語を生み出すじゃないですか
模倣は選手とかチームへの自己投入を通じて
共同体への所属感を生むじゃないですか
闘争は集団的な熱狂を生むよね
つまり遊びは単なる気晴らしを超えてる
名誉物語共同体
闘争を生み出すある種の形式なんだと
そして名誉や物語や共同体や
闘争が生まれる場所には
自然に視線が集まるよねと
視線が集まる場所には
メディアが集まるよねと
メディアが集まる場所には
広告スポンサー 法営権 政治的演出
資本が集まってくるよねと
つまり遊びが外部に汚染されてる
っていうんじゃなくて
遊びそのものが外部を呼び込む力を
かなり持ってるんです
だっていう風にして
言いたいんです
ここなんかちょっと
曖昧な言い方になってるんだけども
ちょっと誤解を恐れずに言うと
そもそも遊びって結構ヤバいもんだよね
みたいなことを僕言いたいんですよ
純粋な遊びがあって
それを悪いお友達が利用して
悪いものになっていく
変なものが邪悪なものになっていくんじゃなくて
そもそも遊びっていうものって
結構ヤバいものだよねみたいな
風にして
今日ちょっと考えたいんですよ
この構図は例として
格闘技について考えてみると
明確になるんじゃないかと思うんですよ
私たちの社会では
他者を殴ることや蹴ることは
通常は暴力として禁じられてますよねって
こんなことを確認するまでもないんですけど
犯罪になるじゃないですか
でもボクシングや総合格闘技では
同じ行為が競技として許容される
俺これ昔からおかしいな
なんでなんだろうなと思ってるんだけど
で大前提として僕
格闘技とかサッカーとか大好きなんですよ
人が人とぶつかり合って
なんかこう動物みたいに
なんかこう戦ってるのがすごい好きなんですよ
でも同時になんでこの人たち
こんな犯罪がここでは許容されてるんだろうって
前から思ってたんだけど
でそれってつまり暴力っていうのが
消えたわけではないよね
つまり殴ってるじゃん蹴ってるじゃん相手は
27:01
暴力性がね
そうでも試合時間とか階級とか
犯則規定とか試合審判
選手のお互いの合意
あるいは医療体制を整えるみたいな仕組みによって
なんか暴力が死闘ではなくて
競技として何かこう再定義されてるんですね
ただしこの再定義は
暴力を完全に無害化してるわけじゃないじゃない
だって競技中に選手が亡くなる例って
ボクシングでは最近でもあったし
頭部への反復的な打撃は障害と結びつく
みたいなことがずっと言われてるんですよ
つまり格闘技は暴力を排除してるんじゃなくて
暴力をルール化して
観客が見ることのできる形に
まあ変換しただけなんだよね
そこに遊びが暴力を消し去るんではなくて
暴力を形式化して
見せ物に変換してしまう
ああいうさっていうのがある
と思うんです
子供の時にさ
仲良くしなさいって言ってさ
将棋とかやってさ
相手を叩きのめして泣かせたりとか
よくしてたじゃないですか
全然仲良くないじゃん
まあ確かに
何なんだろうこれみたいなさ
ああ確かに仲良くするんだったら
まあね肩組んで
踊ったり歌ったりすればいいじゃないですか
あれって何なんだろうって
すごいずっと思ってるんですけど僕
まあつまりですね
まあそういうことについて
ちょっと考えてみたいんだけど
これね格闘技の例を今出したんだけど
もうちょっと踏み込んで違う例を出すと
遊びが持つ危うさは
格闘技のような明示的な暴力を伴う
スポーツだけに限られないんじゃないか
例えば子供のいじめ
いじめってしばしば
非常に遊びに近い景色を撮るじゃない
からかったりする
あだ名をつけたりする
罰ゲームとか悪ふざけして
仲間内のノリをつける
でこういう行為
そういう行為は外から見ると
遊びに見えるよね
でもその行為が相手の苦痛を無視し
逃げる自由を奪って
周囲の笑いや観客性によって強化されるとき
それはもう遊びじゃなくなって
支配や排除の形式になっていくよね
ここで大事なのは
いじめって所詮遊びだから
軽いそんなに深刻なことじゃないよね
ってことが僕は言いたいんじゃなくて
むしろ遊びの形式を取るからこそ
暴力性が見えにくくなっちゃうものだと思うんですよ
だからふざけていただけっていう言い訳ってさ
遊びの外見を利用して
ある種加害者の言い訳として
よく出てくるものじゃない
だから遊びをそもそも無垢なものとして
理想化するっていうのは
違うんじゃねえのって思ってるんです僕
だから遊びは関係性を作るし
自由や創造性を生む一方で
30:02
ある場合には暴力とか排除を覆い隠すような
生み出すしそれを覆い隠すような形式にもなり得るよねと
いじめの例とかっていうのは遊びを考える上で
僕すごく重要な何かなんだっていう気が
ずっとしてるんですよね
だから遊びがね
安全な遊びとして成立するためには
無理やりやらされるとかじゃない同意がちゃんとあるとか
対等な関係性であるとか
あるいはそこからすぐいつでもやめられるっていう自由
っていうものがなきゃやっぱりやばいものに
すぐなっちゃうよねみたいな
遊びは精度化されていく力がもともとあって
ってことですか
そうだね
そうだねそういうものなんだと思う
今いじめの話でイメージしたのは
つまりじゃれあったり
お前これミスったから罰ゲームだっていう
楽しい遊びはあり得て
それがどんどん
じゃあもっときつい罰ゲームにしていこうとか
もっと危険な競技にしていこうみたいな
競技性とかルールが定まっていくんだけど
それが外部のレギュレーションとかが入り込まずに
身内だけで定まっていくと
恐ろしい定まり方
恐ろしい競技化が起きて大変になっちゃう
それはもうちょっとそんな構造的に
簡単に説明できることじゃないんじゃないかって気もするかな
なんかその個別の
遊びに参加している人のパーソナリティとかにも
非常に強く依存するんじゃないかっていう気がする
だから伊藤が今聞いてるのって
遊びがなんでそんな危険なものになっちゃうのかって話だよね
っていうかそのルール化する時に
例えばボクシングは
やりたくないですって人を
無理やりリングに上げることはしない
だけどじゃあ例えばそのルールが定まる前の
なんか検討試みたいな
みんなが賭けしますみたいな時は
無理やり上がらされちゃってる人もいたでしょう
そういう辞められるとか
安全性を確保するみたいな
このラインを越えれば安全な競技
スポーツですって言われるけど
それを越えなければ危険な競技
危険なスポーツって言っていいか分かんないけど
危険なルールの塊になるよね
つまりルール化されていくっていう
この遊びの衝動がルール化されていくってことは
基本的に盛り上がっていけば起こるけど
それがどういうふうにルール化されていくかによって
それがスポーツと呼ばれるのか
なんか危険な行為とされるのかに
分かれていくっていうイメージなのかな
なるほどね
それなんか結構綺麗に整理してるけど
33:00
そこらへんと本当はもっと
あやふやになっちゃってると思うな
つまりルール化してってるんだけど
いじめになってるってこともあり得るわけじゃない
あと例えば
ボクシングで基本的に
無理やり出させられることはないっていうことを言ってて
確かにその通りなんだけど
でも現実にはプロモーターと選手との関係性の中でさ
断れなかったりってことが発生しちゃうわけじゃない
だからルール化してったら
すごく汚染されていくとかっていう話でも
あるいはその逆
むぎ出しのものだとやばいみたいな話でもなくて
ここらへんってもうちょっとなんか
ちょっとそんな簡単には言い切れないな
ちょっと俺の手には負えないかな
分析しきれないと思う
つまりなんでそんな
やっぱり今伊藤が言ってることって
どうして遊びが危険になっちゃうのか
危険な遊びって何なのかって話だと思うんだよね
それはルール化していっても
やはり残る危険っていうのはある
あるいはルール化するからこその
温存されちゃう暴力性
隠されて暴力性が見えなくなってしまうっていうのが
例えばボクシングの例だったりするわけじゃない
つまり同意してないわけないんだけど
試合して事故で死んじゃったと
これ許していいのかって話
そこには必ずあるはずだよね
でもルールだから
ルールというかちゃんとルールが敷いた上で
死んじゃったんです
だからいいよねって本当になるのって
問題があるじゃない
なるほど
じゃあこれは
闇カジノみたいなところで
人が殴り合うルール化と
リングの上でちゃんと工業としてやってる
スポーツとしてのボクシングのルール化
っていうのが
どっちがいいとか悪いとかっていう話ではなくて
ルール化されることによって
いろいろ変わったように見えるけど
本質的な暴力とか
そういう熱狂する人々みたいなものは
変わってないんじゃないって話をしたいってこと
そうそうそうそう
本質的には変わらないんじゃないの
っていう問題的なんですよね
それは遊びっていうものが持ってる
非常にマガマガしい側面なんだ
それがどこまで行っても残っちゃってるんだってことを
ここで言ってみてるわけですね
だからもちろんね
全ての遊びが完全な平等を前提にしてるわけではないから
鬼ごっこにも追うものと追われるものがいるし
スポーツにも勝者と敗者が出てくるよね
でも参加者がその構造をある程度理解していて
一定のルールの中で参加してて
嫌であればそこから降りることができると
その限りで遊びは先立してるんだと思うんだよね
反対に一方だけが苦痛を負いやめる自由を奪われ
周囲の笑いによってその苦痛が娯楽化される時に
遊びは暴力みたいなものに変わっちゃうよねと
36:01
ここで問題なのは遊びそのものが悪だっていうことではなくて
遊びが持っている巻き込みの力は
人間関係を豊かにもするし
支配や排除を見えにくくもする
その良義性みたいなものを見落とすと
私たちは遊びを過度に美化するか
あるいは過度に危険視するかのどっちかに傾いてしまう
っていうことだなと思うんですよ
つまり僕は基本的に遊びがすごい好き
スポーツもものすごい好き
自分がやるのも見るのも
だけどそこにはめっちゃ危ない面があるとも思うんですよ
でそのことを言っていくと
遊びの良さみたいなものも見えなくなっちゃうじゃない
他方でスポーツは汚染されていて
構造化されたシステム化された
政治化されていった経済の論で組み込まれていった
スポーツは汚染されていて
子供たちがやってるものは
純粋なものっていう見方で見ると
やはり何かが見えなくなっちゃうって気がするんですよ
本来そもそも遊びって結構やばいものでもあるよね
みたいなっていう点が見えなくなっちゃう
だから両方を考えたいんですよね
っていう遊びの良さと悪さ
これを両方ちゃんと受け止める見方って
どういうものなのかみたいな
両方の要素があるってことだよね
まあだからこの点から見ると
ワールドカップの巨大ビジネス化や
スポーツウォッシュを純粋な遊びが
外部から汚染されたっていうのは不十分なんじゃないのと
むしろ遊びはそもそも人間の感情欲望共同体暴力
名誉を巻き込む形式であり
スポーツはそれをルール化し制度化し
感染可能にしたものなんじゃないの
ワールドカップはその構造が
現代のメディア環境と資本主義によって
最大化された姿だよねと
競争は名誉を生んで偶然は物語を生んで
魔法は共同体を生んで
糖水は熱狂を生む
これまぁある種いずれもバーチャルなものなんだけど
遊びによって一瞬あるように見えてるだけだから
曲法なわけだ
そうそうだってさ
ワールドカップで10ゴールも決めました
すごい名誉じゃん
でもだから何って言い出したらキリがないわけじゃん
そうだね
生産性はって言った時の
なんか虚しさみたいな
大定はもう本当国民栄養省とか挙げてるわけだけどさ
800本ホームラン売ったんだと
800何だっけ何本か売ってるじゃないですか
でもだから何かになってるわけじゃん
一応4000本あんだ
言ってしまえばってことだよね
それ遊んでるだけだよねみたいな
超冷めた人がそれを言っても
そうだけどってなっちゃうってことだよね
俺はそんなことないよ
野球のサッカーも好きだから
その凄さって本当にすごいと思うんだけど
ある種そこでの名誉ってバーチャルなものだよね
39:03
とも思うわけ
そう言えるね
まあその熱狂がね
だから政治とか経済に
なんか組み込まれてっちゃうんですよね
ここで問題なのは
スポーツが遊びでなくなったってことを
言いたいんではないじゃないかな
むしろ遊びが持つ力があまりにも強くて
その力が容易に暴力資本政治によって
利用されてしまうことなんじゃないか
っていうことなんですよ
そうねだから僕政治みたいな
政治とか戦争とか
資本主義みたいなものってあるじゃん
つまりこれってさ
一義的には全部否定できないじゃん
政治ってヤバいものでもあるけど
必要じゃないですか
みたいな資本主義も
かなりそういうところがあるじゃない
その系列の中に遊びってある気がするの
政治資本主義遊びみたいな
ものすごく強力な力を持っていて
誰かがコントロールして
良くしていこうよとか
そういうことでもなく
巻き込まれていく
そう巻き込まれてっちゃう
ヤバいもののところもあるけど
でも必要なものでもあるっていうような
何かなんじゃないのか
だから遊びについてもっとみんな
ちょっと一回考えようみたいな提案
なるほど
っていうのが今回の提案
あまりにも無邪気に遊びは純粋
スポーツは汚染されて
悪みたいなふうなことじゃないんじゃないの
みたいないうことですね
でねこっからね
もうちょっとね
他の議論を引用していきたくて
さっきね会話を引用したんですけどね
もう一人グレグリ・ベイトソンっていう
人類学者社会科学者がいて
その人の遊び論っていうのも
ここで結構参考になるので
ちょっと紹介したいんですけど
ベイトソン1904年生まれ
1980年亡くなった人類学者
社会科学者ですけども
コミュニケーション論、精神医学、サイバネティックス
生態学的思考を横断した人ですね
彼がセオリー・オブ・プレイ&ファンタジー
っていう論文
これねあの
僕今回検索して知った
このテーマで色々検索してて見た論文で
外国だったものを翻訳して読んでるので
多分俺の読みがちゃんとしてるかどうかっていうのは
怪しいところがあるんだけど
これねすごく面白いなと思ったので
ちょっと紹介したいんですよ
ベイトソンのこの論文を
まあ行為そのもの
遊びが成立するためには
行為そのものだけじゃなくて
これは遊びであるっていう
メタメッセージが必要だっていうことは
まあここで言われてる趣旨ですね
セオリー・オブ・プレイ&ファンタジー
遊びとファンタジーの理論みたいな感じなんですけどね
さっき出てた遊びっていうのは
現実から切り離されているものだ
っていう話と近いなんかものを持ってる
42:01
そうだねそうだね
例えば動物同士が噛み合っているとする
見た目だけならまあ攻撃に見えるよね
でもそれが本気の攻撃ではなく
遊びとして成立するには
この噛みつきは本当の攻撃ではない
っていう枠組みが共有されているはずだよね
でもそれなんか犬同士がなんかじゃらっと入ると
よくわからなかったりするんだけど
まあつまり遊びっていうのは
何をしているかだけで決まるものじゃない
その行為がどのようなフレームの中で
意味付けられているかによって成立するだろうと
だからまあこれは遊びだよねっていう
メタメッセージがちゃんと働いてるから
ボクシングとか総合格闘技みたいなものが
ある種スポーツとして共用されてるはず
この視点に立つと格闘技とかいじめとか
ワールドカップの問題はどれも
遊びのフレームを巡る問題系として
理解できるんじゃないか
格闘技では殴る蹴る締めるといった行為が
リングルールお互いの合意
審判がいる医療体制がある
っていうことによって
これは遊びですよねっていう
フレームの中に置かれている
まあでもそのフレームは完全に危険を
消したりはしないんだけど
いじめの場合は参加者が
課題者や周囲がこれは遊びである
ふざけているだけであるっていう
フレームを相手に押し付けることによって
被害者の苦痛とか暴力性が見えにくくなっちゃう
ワールドカップではこれは
スポーツの祭典であるというフレームが
政治的宣伝やスポーツウォッシュを
追い隠すことになってるよね
ってことなんですけど
だから遊びと向き合う時に重要なのは
これは遊びであるというフレームが
誰によって作られているか
誰によって共有されているのか
まあ誰によって
例えば押し付けられているのか
とかっていうのを
ある種見ていく必要があるんじゃないか
でその結果何が見えなくなっているのかを
問うことなんじゃないのかって
気がするんですよ
これは遊びですよねっていう
メッセージがどういうふうにして
出されているかってことだね
例えばね
サッカーのパフォーマンスでずっと続いているのが
選手が入場してくる時に
子供と手繋いで歩いてくるじゃないですか
ありますね
あれは要するに子供の前で
できないようなことはしないっていうような
ある種のスポーツマンシップの体現としてさ
やられてるんだけど
あれってある種のフレームワークなんだよね
やっぱりこれは遊びだよですよっていう
つまりお互い体ぶつけ合って
時には罵り合ったりするんだけど
でも子供の前で本当にできないようなことは
我々するべきじゃないよねみたいな
ことをしていうことによって
高度にこれ遊びだっていうフレームを作ってるわけだ
みたいなっていう
45:00
これって動物同士のじゃれ合いの時は
おそらく動物同士がお互いに
じゃれ合ってるよね今みたいな
たまにやりすぎて本気で
ワンとか吠えちゃったりする時もあるじゃないですか
子供同士のじゃれ合いもそういうとこあるじゃん
お互いがなんとなく今遊んでるよね
俺たちってやり方をしてる
そういうお互いがなんとなく合意していくフレームと
誰かがこれは遊びなんだぞっていう作ったフレーム
っていうのがこれは切り分けて考えるべきなのかな
切り分けて考えるべきなんだけど
例えばいじめの問題とか考える時には
別にいじめてる方も
フレームを明示的に作ってるわけじゃないじゃん
それこそやっぱりなんとなく作っちゃってるものなんだよね
だから視力的にどうこうってよりかは
どういうフレームがどういう形で作られていて
何が見えなくなっているのかっていうのを
見ていくことでしかないんだと思うんだ
っていう
まあちょっと抽象的な議論の勢になっちゃってますけどね
まあこうやって見ていくと
遊びって危険であるだけではないってことも
この見方なら言える気がするんですよ
つまり遊びは既存の政治とか経済のフレーム
っていうのを一時的に停止させて
別の価値触動を立ち上げることもあり得るじゃない
つまり遊び以外のフレームワークっていうのが
この世界に色々満ちてるわけじゃん
あいつは金持ちだとかあいつは権力持ってるとか
でみたいな
そういうものをなんかこうひっくり返せられるじゃん
つまり例えば伊藤がめっちゃ頭が良くて偏差値高い学校に行ってて
俺はそうじゃない高校に行ってるんだけど
遊びでは俺が勝ったりするってことが言えるわけね
つまり現実のフレームみたいなものを
一瞬破るみたいなことに意味があってもするじゃん
この遊びのフレームの中では
こっちの方が強いじゃないみたいなことが起きると
そうすると金持ってる奴だけがすごいわけじゃないよね
いろんなフレームがあるからってことだね
その政治的な権力を持ってる奴だけが偉いわけじゃないよね
あいつは足早いじゃんそれがいいじゃんっていう風にしてさ
思えるってやっぱ大事なことじゃないですか
はいはいはい
っていうだから現実の世界では
まあ様々な尺度が支配的にあるけど
でもワールドカップのピッチでは別の尺度が立ち上がったりする
まあ体のすごい使い方とか優れた判断とか
あるいは何らかの偶然が急に作用されることとかにおいて
チームスポーツとして素晴らしい何か連携を見せるとか
例えばさワールドカップでさ
あれちょっとちゃんと引用できないけど
マラドーナーがさすごく活躍した大会があって
それはイングランドを相手に戦って
イングランドをマラドーナーが倒すことによって
48:01
彼は英雄になるんだけど
それってイングランドとアルゼンチンのフォークランド紛争っていうのがあって
それが下敷きになってるんだよね
つまりアルゼンチン側からしたらイングランドっていうのは
すごく力を持った創始国みたいなものだったわけ
で紛争の当事者の相手国だったりするわけだよね
それをサッカーの場においてはひっくり返してみせるわ
なるほどなるほど
それはいいね
既存の政治的な枠組みみたいなものを
違うフレームを見せちゃう
でもだから何なんだよ
サッカーで勝ったから何なのって話なんだけど
政治が変わるとかはないけど
でもそこにはやっぱり何か意味があるし
フレームをなんかこう違うものを見せるっていうのには
大事なことなんじゃないのっていうことを言いたいわけだけど
なるほど
いいところを言ってるわけだね
そう今のいいところって
そういう遊びの中にはそういうこう
他の社会秩序を一瞬壊しちゃうような
何か力があるんじゃないか
ここはやっぱり遊びっていうものが持ってる
非常に擁護しないといけないところ
大切に僕たち大切にしないといけないところなんだと思うんですよ
そういうものだからワールドカップは
政治や資本に回収される巨大イベントであると同時に
そういったフレームを一時的にずらしちゃう力っていうのがあるはずだ
僕たちが見たいのは
単に強いチームが順当に勝つことじゃないはず
そうだね
で既にある序列とか価値観を一瞬でなんかずらしちゃうような
プレイヤーが生まれるところが見たいわけじゃないですか
だから暴力や資本や政治に利用されるよね
遊びってでも同時に現実とは別の世界を見せ出すこともできるよね
でこの良気性ってものを大切にしたい
なるほど
だからそういうこと僕は期待したいんですよ
常に遊びには
うーん
みたいな
例えばこれ完全に例えばだけど
ある種人種差別みたいなものがさ
根強い国とか社会から出てきた代表チームが
そのチームの中ではそういうものがなくて連携してるみたいな
これってすごい価値じゃんやっぱり
なんかスポーツの価値って感じがするよね
そうそうそう
でそれってある種既存の強いフレームワークを壊しちゃうんだよね
うーん
そうだよね
そこはチームワークがあった方が
そうそうそうそう
その競技場は勝てるわけだから
勝てる
だからそうした方がいいじゃないが起きてるってこと
彼らの中のパーソナリティって関係ないってところもやっぱ大事じゃん
とにかく俺らはサッカーに勝ちたいんだよってことでだけ
一致して既存のフレームが壊れちゃうみたいな
でこれ僕すごく好きなんですよ
そうだね
なんか価値が転倒してるっていうところに
51:01
これねすごいね
僕がなんかスポーツ見てて本当に感動したり
このチームを応援しててよかったなって
たまになったりするところなんだけど
なるほど
まあどうですかね
結構長々話してきて
しかも抽象的な議論をしてたと思うんだよね
まあこれそうね
だからまあなんかこう導入
ここからちょっと雑談に入っていきたいわけですけど
いやでも今聞いてて
結局自分の中の感覚が
ここに戻ってきちゃうんだと思ったんだけど
つまりそのやっぱスポーツの大会中
イベント中とか試合中は
政治思想とか人種とか
そういうのを持ち込まないよねっていう
のがよくあるスポーツが平和の祭典と呼ばれる
ゆえんじゃないですか
でそれがそのスポーツとか枠組みの
遊びの枠組みのいいところでもあり
でもそういう物語性とかその熱狂みたいな
いいよねみたいな熱狂が
結局こういろんな権力とかを巻き込んでしまう
その力を持っちゃってて
そういうことも起こり得ると
でそれを聞くと
やっぱこのスポーツのいいところだけを抽出して
いい状態のスポーツっていうのを
なんか目指したくなるっていうか
結局その政治とかが介入しない
差別意識とか介入しない
綺麗なスポーツみたいなものを
イメージしちゃってて
それって切り分けられてないじゃないですか
良気性とかじゃなくて
純粋な遊びっていいものだ
純粋なもんだって思ってる
美しいスポーツっていうのがありそうで
それを求めてしまう感情が今自分の中にあって
ここに戻ってきちゃったなって今思ったんだよね
なるほど
でも現実問題さ
スポーツって純粋なものとか
綺麗なものじゃないっていうのは
分かってはいると
つまりフィファの汚職の問題とかさ
じゃなくて多分東京オリンピックにおける
あの汚職問題ってその後どうなったかって
僕ちゃんと追ってないから分かんないけど
なんかあったりしたわけじゃない
とかとか
そういうような例は
マイキュリーとの間がないから
そういうのを悪い奴らを排除して
素敵なスポーツ団体を作るんだみたいなことは
違うだろって話をしてるんですね
そうそうそうそもそも遊びってやばいものなんだ
だから誰かを排除して悪かった奴を
どけたとしても
常にマガマガしいものを生み出してしまう
なるほど
そのマガマガしさっていうのは
ある種既存のフレームワークみたいなものを
壊しちゃうってことだよね
それは良くも悪くも作用するはずだよね
っていうのがここで僕が言いたいことなんですよ
なるほど
というですね
そうなんだね
感じだったんですよ
これ聞いてる人どう思うんだろうっていうのちょっと
えっどういうことですか
どんな感じ
54:00
だから最初遊びっていうものの分類とか
それが衝動から生まれて
ルール化されていくみたいなこととか
そういう話を聞いて
あとメタ認知
メタメッセージが大事だよねって聞いて
なるほどなるほどって納得してきたのに
最終的に美しいスポーツみたいなものを
イメージしちゃっているっていうのが
みんなはどう思うってやっぱ思う
でもさ伊藤はそもそも
あんまスポーツ見ない人じゃん
だからそういうふうにちょっとある種
理想化しているとこがあるんじゃないの
俺とかってめっちゃスポーツが好きだからこそ
そういうさサッカーにおけるお食とかって
結構日常的に知ってるんですよ
普段のニュースで
あるあるなんだね
あるいはなんか
えっと運動部における大罰の問題とかさ
先輩のいじめとかでさ
例えば高校野球におけるいじめの問題とかって
よくあったりするじゃないですか
最近話題になったりしてるけど
だからそもそもスポーツって
結構やばいとこあるなーって
ずっと思ってるんでね
好きだからこそ
っていうふうなところがあるかな
そうだね確かに
でそういうのは僕ね
めっちゃ嫌いなんですよ
なんかさ上下関係とかで大罰が震われるとかって
みたいな
そういうスポーツとかに関わる中にある
そうその悪い部分みたいのが
もう本当に嫌だなって思う
なるほど
みたいなさ
でねそうだいろいろ聞きたいこともあったりして
例えばもう完全に雑談になっていくんだけど
例えばゲームって遊びじゃないですか
テレビゲームみたいな
そうそうそう
でもさそこにさランキングシステムとかさ
バーチャファイター5
バーチャファイターストリートファイター5とかの
ランキングシステムとか
あるいは課金システムとか
あと配信とかが入ってくると
急に社会制度っぽくなったりするじゃん
そうだね
だからなんか
スポーツでもゲームでも楽しかったものが
急にしんどくなる瞬間ってあったりするじゃないですか
そういう経験であったりするかなとか
あるいは遊びだからこそ現実の価値観が
リセットされてよかったなみたいな瞬間とか
あるいは遊びと仕事の境界線とか
ああ
そういう風な感じのテーマに
拡散していけるかなっていう風に
雑談パートとしては
そうそうそう
遊びが急になんかしんどく
つまんなくなった瞬間みたいな
ああ
だからゲームで世界でよく言われるのが
課金システムがなんか導入されてて
好きだったゲームに
それでなんか急に冷めたみたいな
つまりなんか金払えば
勝てるんだろうみたいな
金持ってる奴が勝つって
現実世界が入ってきたって
そうそう現実世界
つまりそれってさフレームワークがさ
つまりゲームで強いっていう
謎のフレームワークによって
金持ちとか
勉強できるできないとかっていうのが
関係なくなるのがよかったのに
57:01
現実世界が入ってきて
やだなみたいな
確かにゲーム
特にオンラインゲームとか
スマホゲームをディスるときに
あれって課金ゲーだから
っていう言い方
確かにあるね
でこの話を結構順番通りに言うとすると
まずなえた瞬間
うわこれ遊びだったのになんだよ
と思った瞬間としては
個人的にはね
みんなで楽しく遊んでるのに
先輩来るとか
つまり先輩来たら
気付かなきゃいけないとか
大人が来るとか
俺らは楽しくやってるのに
大人から見ると
やりすぎだなと思ったりするんだろうね
お前らそういうやり方やめろよ
って言ってくる
そういう外側からの
価値観を入れられた時に
うわ楽しかったのにな
って思うことがある
わかるねそれね
あるね確かに
なんかそういう
それは主に人間関係とか
立場みたいなもの
に感じることが多いかな
逆に課金とかに関してなんだけど
でもさ今の話で言うと
それこそ遊びの中に
別の社会のフレームが入ってきた
入ってきたっていう
それでなえたっていうかね
逆に課金とかで言うと
これは世代とかもあるかもしれないけど
やっぱゲームって
無料でみんな遊べたりする
でも無料で遊べるゲームって
どうなってるのって話じゃないですか
一生懸命作ってくれる
クリエイターさんたちがいて
サーバーとかもあるのに
無料なわけない
これは誰かが支えてるんだよね
それは課金勢の皆さんが
支えてくれてるから
例えばスマホゲームとかするときに
すごいわけ
月100万とか入れ込んで
サーバー最強みたいな人とかいるんだけど
その人たちに対しては
ありがとうっていう気持ちになることが多い
なるほどね
そういうゲームの中で
無課金勢って言葉があって
無課金だけどどこまで頑張れるか
無課金だけどやるじゃん
みたいなそこのストーリー性というか
新しいフレームの中で楽しむ
っていうことをしてるから
意外と課金とかお金っていう方には
げんなりすることは少ないかも
っていう感覚
いわゆる無課金勢っていうのは
縛りプレイってことだよね
そう縛りプレイしてるなみたいな
ゲーマーとしての喜びは
そこでなんとか確保しよう
なるほどね
ことはするかな
だから基本的には例えば買い切りのゲーム
だったらドラクエとかFFみたいな
だからその課金ってあるけどないわけじゃん
はいはいはい
買い切り
俺それさ基本無料のゲームっていうのは
もうなんか全然できなくて
っていうか信用ができなくて
やれないんだよねなんか
でそれはもう完全に課金が嫌だな
1:00:00
みたいな風にして思っちゃう
だからそういう買い切りのゲームなんだけど
ある種このゲームが好きだから
もうちょっとお金払いたいなみたいな
ドネーションみたいなシステムとして
衣装がちょっと手に入るとか
ゲーム性にはそんな関係ないけど
ちょっとしたサービスが受ける
みたいなのは全然あっていいと思うんだけど
なんかそう課金したらレベルが早く上がりますとか
あと最近なんかさ
ゲーム内で有利になる道具を課金で売ってたりするじゃん
あれどういうことって思うんだけど
つまりそれを探したりするのがやりたいのに
なんで売ってんのみたいな
あーそれ買い切りのゲームでも
そう買い切りのゲームでも
そういうシステムがあったりする
そうそうそう
それやめてよ普通に意味ないもの売ってよって思うわけ
なんか主人公の髪型とかそういうのはいいじゃん
ボイスが増えるとかね
そこで使えるいい武器とかが
お金で売ってるのは何なんだろうこれと思って
意味わかんないなと思っちゃったりした
それはやっぱゲームにおいて課金するってことの
このハードルっていうかオプションの取りやすさが
やっぱ変わってきてるみたいなのもあるのかもね
別の話かもしれないけど
そうね確かにね
確かに多いよね
便利アイテムが
便利入るよね
数百円とかで買えちゃうみたいな
そうそうそう
それ何?みたいな風にして
すげえ思っちゃったんだよな
あとねドラクエモンスターズっていうゲームがあって
これドラクエ版のポケモンみたいなやつなんだけど
それの最新版が今度4が次出るんだけど
一個前の3現行版のやつが
今まで普通にできた
今までの旧世代のドラクエモンスターズで
普通に使えてた機能が
課金しないと使えないようになったっていうのがあって
それはちょっと嫌だね
そうすごい問題になって
なんか燃えてたそれは
つまりなんかね
いろんなモンスターをとにかく育てていくゲームで
いろんなモンスターを強くしていくんだけど
いろんなモンスターが自分の牧場というか
牧場にいるのが大切なわけよ
で一度捕まえた仲間にしたモンスターは
簡単にもう一体作ったりする
呼んできたりすることができるっていうシステムがあったんだけど
それができなくなったの
ああなるほどなるほど
その機能は有料になりますみたいな
なんかその元々あったのを有料化するのは
かなり燃えそうだね
そうそれはすごい批判されてた
でしかもさ
今まで出会ってないモンスターを
仲間にしたりする作業っていうのは楽しいわけよ
でも一度仲間にしたモンスターを
もう一度仲間にするっていうのは
1:03:00
もうあんまり面白くないの
ちょっと作業っぽくなっちゃう
そうそうだからこそそれはもう簡単なシステムを作って
あのステップなんていうかスキップしてたんだけど
その作業を単なる作業になっちゃうから
だけどそれは
課金しないとそれはできませんってなって
確かに嫌だなこれって思って
嫌な気持ちになる
嫌な気持ちになる
でもなんか元々はさ
多分同じモンスターでも
一生懸命捕まえに行かなきゃいけなかったよね
そう
僕ら子供の頃のやつはね
でもそれがあんまり意味なくねというか
面白くなくねってことで
スキップの要素を出したんだよね
でそれ課金にするのいいと思うんだけど
課金にしたなら
違うゲーム性を見せて作ってくれればいいと思うんだよね
つまり
それが使えないけど
使えないけど
あの今まで仲間にしてた既存のモンスターを
仲間にするためのゲーム性を作ってくれれば
でそれが楽しかったらやるじゃん
そうだね
それがなくて
ただ単に不便になってるじゃんみたいな
どうだ楽しくなくしたぞって
そう
で元に戻りたかったら
課金を出せみたいになっちゃってるってことね
まあそんなロアク的なことじゃないと思うんだけど
まあなんかちょっとミスってるよなと思ったんだよねそれ
いやそうだねそういうのは確かに
面白いねその話
そうそうそう
それはちょっと燃えそうだなと思ったわ
だからなんかゲームで燃えてるのってさ
別に俺それやっててね燃えたりはしないけど
なんかめんどくさくなったなもういいややめちゃおうで終わるけど
でも何で人々が燃えてるのかって結構重要面白いよね
つまり自分もなんかのさ運営とかをしたりすることがあるわけじゃん
あのどんな人も
なんかこうそういう時に人を怒らせないためにやった方がいいことってさ
大あるよね
あるよね
だから今まで提供してたものを
急に有料化したりするっていうのはやっぱ人はなんかこう
すごい反発するわけだし
ゲーマーの心みたいなのがさ業界みたいのもある気がするね
その僕らの例えばPCのソフトとか使ってる人たちはよく感じると思うけど
ベンダーロックインっていう言葉あるじゃないですか
一旦無料で出しといてめっちゃ便利でしょ今日から有料ですみたいな
それってどうなのって思うけど
まあでもそういうことってよく起きてるよねいろんなサービスで
それがドラクエモンスターズでも起きたけど
ちょっとなんかドラクエでやんなよみたいな
気持ちにさせるのはやっぱユーザーの心っていうか
だからそもそもさだってドラクエモンスターズは買い切りのゲームだったはずじゃない
そういった意味でベンダーロックインとちょっと違う感じになってるんじゃない
そうね
まあ今はそうだよな後からアップデートとかをするから
基本的にずっと繋がってるんだよね
1:06:01
なるほど
その会社と
なるほどね
そうなんだよね
だから後から課金とかできちゃうわけだもんね
元々だってそんなこと不可能なんだもんね
買い切りだったら
そうそうそうそう
そうなんだよね確かにねそれはそうだね
うーん
まあなんかねどうなんだろう
まあここら辺までで話が尽きてるのはなって感じがしますね
かなり雑談めいてきてるけどね
まあ僕ねやっぱり遊びってやっぱとはいえ深いと思ってるんですよ
遊びについてだからあのバグキャストの第1回2回3回あたりで話してるけど
やっぱゲームはこれから結構重要なテーマになってくる
なるほど
でそれは話していきたいなと
でまあ例えば今回はスポーツだったけど
ゲームについて話す回もちょっとやりたいなみたいな風にして
そうだね遊びそのものもっと深くね
そうそうそうそう
考えたいかもね
どうですか今日の感想
今日の感想は
あのなんかその遊びっていうのをもうちょっとこうちゃんと分析してみた
みたいな本の紹介をしてもらって
確かになってこう自分の中で納得する部分と
そういうのいろいろ聞いた結果
さっき言われて思ったけど
スポーツとかに対して
割と新生死してるタイプかもと思った自分で
なるほどね
綺麗なもんだと思い込みがち
汚いものはあんま見えてない
だからそれはさ中学校ぐらいで伊藤が
すっぱりこうさ辞めたのがよかったんじゃないのサッカーを
ああだから気持ちよく見れてるってことだね
そこでさもっとサッカー部の闇とかに出会ってたらさ
いやそうだねそれこそさ
部活でいじめられたりとかもししたらだよ
はいはい
もうさ今後サッカー見る時にさ
この人たちも誰かをいじめてきたんじゃないかとかさ
はいはい
思っちゃうじゃないですか
そうだねそうだね確かに
そういうものは見てこなかったから
なるほど
なんかこの人たちも気持ちのいい青春をしたよ
大変だったろうけど
今舞台に立ててよかったね
みたいな風に見れてる
なるほどね
っていうところはあるかな
なるほど
このスポーツウォッシュとか
枠組みを押し付けられてるんじゃないのか
みたいなものはちょっと気にしてみたら
より面白いかもなってちょっと思いましたね
そうですね
うん
はい
ではじゃあ伊藤くん今日の締めをお願いします
締め担当させていただいて
今日はスポーツはなぜ遊びのままでいられないのか
そうなんですよね
について
ワールドカップを絡めて
はい
でサッカーってもともと遊びだったよね
はい
っていうところと
遊びがいいとかスポーツがいいとか
そういうことじゃないよね
そうですね
みたいな話を聞いたと
はい
そうですね
確かに確かに
なのでまた遊びの回とかがあれば
この続きをしていこうと思います
はい
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それではまた次回
さようなら