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2022-07-25 40:40

第189回 体罰はなぜなくならないのか?

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体罰問題について、海外における体罰の認識や言葉による攻撃、二人の経験談を中心に、意見を交わし合いました。


▶ 関連エピソード

第177回 時事呆談 2022年4月号 〜 ウィル・スミスのビンタ問題・吉野家シャブ漬け発言・ガーシーchなど

https://anchor.fm/owarikake-no-radio/episodes/177--20224--ch-e1hv156


▶ 関連リンク

フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】

https://www.youtube.com/channel/UCbf6IAYfPy8CwHVgcHbxmNw


▶ 目次

最近はあえてスポーツを観る

「フルタの方程式」

レジリエンスとスポーツ観戦

今回は体罰の話

二人の経験談

体罰とカリスマ化

海外で体罰が少ない理由

体罰に対する認識

入魂はだめ?格闘技と体罰

言葉の暴力

二人の部活の経験談

いろいろな「攻撃」

暴力の種類

フィジカルな暴力が問題な理由

なぜいけないのか?に答えられるか

改めてウィル・スミスの件

終わりに



▶ お便りはこちら

https://forms.gle/oEfBpskGT2qf4iMW9


#体罰

00:05
どうも、WATAです。
タザワです。
ちょっと最近もう、やたらと暗いニュース多いですね。
SNSもそうだし、ニュースもそうだし、ネット全体的にも、なんかすごい混沌とした。
タザワ この1週間、2週間は僕でも、ネットの特にSNSそんな見ないですけど、ただちょっとメンタルやられましたね。
タザワ やられますよね。
こんな国になったんだと思って。
タザワ そうそう、そうなんですよ。
タザワ 本当僕、今日別のテーマ用意してたんですけど、ちょっとなんかやっぱりその上引きずっちゃうなと思って、あえてもうやめて。
タザワ 今週ね、意識的に僕やってたんですけど、スポーツを見るようにしてて、スポーツ新聞とスポーツ、スポーツニュースみたいな。
タザワ 僕が見るのは大体サッカーか野球かぐらいなんですけど、まあでも今世界陸上がやってるんでね、今盛り上がってますけど。
僕もニュースじゃないですけど、最近なんかフルタの法廷式。
タザワ フルタの法廷式?何それ?
いや、元エアクルトのフルタのYouTubeチャンネル。
タザワ 知らないです。
過去の有名なプロレス選手たちを呼んできて、あんなことやこんなこと。
タザワ そんなチャンネルなんだ。
勉強にも、野球やってる人からしたらね、あの時の伝説のピッチャーとか呼んできて、実際に解体したりとかして。
タザワ なるほど。
星野信之いるじゃないですか。
タザワ はい、星野。
呼んできて、球が遅いのをずっと言っちゃったりとか。
タザワ ああ、いいですね。なんかね、そういう昔の野球界のノリみたいな感じでいいんで。
タザワ そうそうそう。
タザワ 針本は来るんですか?
タザワ 針本さんがちょっと。
カツは永遠に来ないんですか?
やっぱり針本的な、なんか僕はでも、ちょっと今足りないんじゃないかなと思って、テレビ界に。
タザワ ああ。
分かりやすい、ああいう。
タザワ まあそうですね。
タザワ まあ今日の話はね、ちょっと割と針本論にも近い話になってくわけなんですけど。
タザワ でも最近だから、スポーツを見ることで若干心が落ち着くというか。
タザワ まあスポーツって、よくも悪くも、なんかファンの選手がいたりとかファンのチームがあったりしたら、それだけで一喜一憂できるじゃないですか。
タザワ それがすごい健康的だっていうことに最近気づいたんですよ。
タザワ ニュースとかでさ、もう結構暗いニュースばっかりだけど、慢性的な心のダウナー少女みたいなのを、たぶんもうすごいほとんどの、今日本国民の人は抱えているような気がするんですけど。
タザワ スポーツはね、もうほんとその対極にあって、もう瞬間瞬間で喜んで悲しんでができるんで。
タザワ これがね、すごい良いレジリエンスっていうんですよ。なんか回復力を。
03:05
レジリエンス。
タザワ レジリエンス。
タザワ ちょっとなんか噛んじゃった。レジリエンス。
レジリエンス。
タザワ レジリエンス。
タザワ 何か言うねん。
レジリエンスって何ですか。
タザワ いやなんかその、あれっしょ、なんか回復力をつけるみたいなのがあるじゃないですか、ちょっと。
タザワ ちょっと前に言葉として流行ったやつがあるんだけど、そのしなやかさ、心のしなやかさが生むみたいな感じで、
タザワ そういうなんか起伏をこう自分でコントロールできる習慣みたいなのをつけとくと、メンタルが強くなるみたいな。
タザワ 季節があるんですけど、結構僕の中でやっぱりスポーツっていうのがかなりキーワードになるなっていう。
タザワ で、今もうサッカーで言うと海外のサッカーがもうほんと遺跡市場が盛り上がってて、
タザワ 毎週のようにあの選手があのチームに行ったとか、そういうニュースがね、もう楽しくて楽しくてもうワクワクも止まらないし、
タザワ やっぱこう喜びというか、応援してた選手がね、世界のビッグクラブに行くみたいな、すごいね、前向きな気持ちになれるんですよね。
タザワ だからこういうのを取り入れていくべきだなってことで、僕はちょいちょいこのスポーツの話もしていこうかなと思ってるんですけど。
タザワ っていうね、僕のライフハック的な話なんですけど、
タザワ ちょっと2人ともね、言ってもアウトドアな感じがしない、インドア派として見られがちなんですけど、割と2人ともスポーツ好きじゃないですか。
タザワ そうですよ。
タザワ めっちゃ好きでしょってやってたし、2人とも。っていう中で、ちょっと今日はね、前々から話したかった大罰の話を、明るい話から急に思い出電話に持っていくっていう感じになっちゃいますけど。
タザワ そういう話をしたくないからっていう切り口で話が始まるのかなと思ったんですけど、やっぱそういう話です。
タザワ 結局ダウナーの方に行くっていう感じではあるんですけど、とはいえ前向きな、これは大罰って言うとちょっと平たくなりすぎるんですけど、教育論なんですよね。
タザワ どういうふうに指導すると良い選手が生まれるかとか、そういう話に繋がっていくわけなんですが、結構2人とも世代が近い感じで、結構スポーツやってたから、多分多かれ少なかれ大罰の経験があるはずなんですよね。
タザワ まあその僕らの世代はまだその昔の価値観が残ってる時代でしたよね。
僕は言っちゃうとガッツリ残ってる。
タザワ そうですよね。本当なんか科学的とかってそういうのって、まあ言っても僕らの世代じゃないですもんね。もっと後ですね。
全然後ですね。だから何なら残念な話、やっぱ今でもね、日本ってなんだかんだ表面的にはだいぶ昔よりも経営図が入ってるんじゃないかっていう話はありつつ、
まだまだね、残ってるっていう話もあるらしいんで、とはいえ僕らはもう大罰ドンピシャ世代っていう感じで。
タザワ そうですね。
タザワさんはちなみに野球をやられてましたけど、野球はね、特に大罰厳しかったイメージがあるね。
06:02
タザワ あるね。もう先輩からの暴力もそうだし、やっぱ先生からの。言葉の暴力もあれば、ルールみたいな暴力もあれば、本当に手を出すみたいな暴力もあって、しばきみたいな文化ありませんでしたよね。
ただまあ僕高校はやってないから、だからか僕はそんなにそういうシーンは見てきてないんですね。
タザワ 経験はないですか?
タザワ 部活ではないと思うな。むしろ普通の体育の授業とかの方があったぐらいですかね。
普通の体育の授業だったよね。普通にそうなんだよね。
タザワ なんか忘れ物したりしたら叩かれてた気がしますね。
叩かれてましたよね。で、結構だから集体を晒されるみたいな大罰もあって。
タザワ はいはいはい。
タザワ それこそさ、髪を坊主にしてこいとかさ、あれも明らかな大罰だったし。本当にあったんですよ。
タザワ 野球部とかはマジで結構、ゴブ狩りとか短さあるじゃん。お前も五輪狩りとか極端に短くしてこいみたいなやつあってさ。
そうですよね。
タザワ あれすごかったよ。
タザワ みんな坊主にしてましたね。なんかまあ同調圧力もあってか、あとあの頃って坊主にすることが逆に気合い入ってる証みたいな感じでちょっとファッション的なとこもあったと思うし。
そうですね。まあそれをこうなんていうんですかね、そのコミュニティにいてそのルールに従うとか、ある種そういうスタイルみたいな出来上がってるところはありましたね。
タザワ 硬くなりに僕はしなかったですけどね。
それすごいね。
タザワ 僕はそうやって生きてきたんで。
タザワ それさあでも暴力の対象になりませんでしたか。
だからよく思われてなかったと思うんですけどね。
タザワ いや厳しいところだとさ、強制的になるじゃない。
そうですね。
タザワ そういうのが間逃れた。
だから多分時代的には強制してもいい時代なんでしょうけど、うちはなかったですよね、そういうのね。
タザワ なんかそれはあれだね、あのすごい健全な学校というか、まあそれが本当は本来は普通じゃなきゃいけないんだけど、
タザワ やっぱ当時の僕の感覚で言うと、全員処刑みたいなのをやらされてて、短さも測られてた。
まあそれで言えば学校としてそうでしたよ、うちは。
タザワ あ、高速ね。
高校の時はね。もう頭髪チェックの学校として時間が設けられてて、全員体育館に行って一人ずつチェックしてその場でハサミ入れられるみたいな。
タザワ はい、そうそうそうそう。
全員同じ髪型してるっていう学校でしたけどね。
タザワ いやだから、多分今はダメなんですよね、そういうのね、おそらく。
だって今なんてちょっとのことでも炎上してるでしょ。
タザワ 炎上するでしょうね。だからまあちょっとね、僕らの時代以前が極端だったみたいな話もあるのかもしれないけど、でも結構見てた光景的には暴力の嵐だったなっていうのは。
言うっちゃもなかったですよね。
タザワ なかったんですよね。で、これまた今日のね、ちょっと一つのトピックとして話したいんですけど、なぜ暴力がまかり通っていたのかみたいな話で言うと、これは僕がよく見ていたケースで感じるのが、その暴力を行っていた教師が比較的学校でカリスマ化されたんですよ。
09:18
タザワ 要はあの先生がバレエ部の指導をすると県大会で優勝できるとか、あるいは剣道部のあの厳しい先生に習いに行くとすごい成績が上がるとか、そういうなんか深刻化されてる風潮すらあって、それはなくならんだろうみたいな。
タザワ ただあの僕が見てたケースで、それらの先生は表面的には親の前で暴力振るわないんですよ。ないしはその同学年の同じ担任とかが見てる場ではやらなくて、結構裏の、それこそ体育館裏じゃないけど連れ込んで、もうなかなかのハードな仕事を入れてたりとか。
タザワ あとやっぱ人格否定みたいなのがすごくて、だからそれは親がこう見ていない部分もあった中で、そういうカリスマ化してしまったみたいな側面もあるのかなっていう。モンスターティーチャーみたいなのがいた時代っていうことなんでしょうね、たぶんね。
タザワ まあでも先生によってそういう極端な人もいる一方で、教育の一つとしてタイバスってのは全然普通だったと思うんですよ、あの頃って別に。
タザワ そうだね。まあ問題視されてなかったっていう。だからそれはさ、でもさ、僕ら生徒側からしてたら、あ、でも難しいね。それはだから良しとしてる人もいたのかもしれないけど、これ明らかにやりすぎだなっていうのを、僕何回か見たことあるんですよ。
タザワ だからそれをもう報告することも怖いからできないしとか、それが正しさの基準がさ、そういう中でもわかんないから、それが果たしてどこまで悪いことなのかみたいな判断もつかなかったりとか、ちょっと異様な怖さみたいなのはね、感じてましたけど。だからなんかそれが今ね、もう今この時代もう絶対ダメっていうふうに。
タザワ それは未だに、まあこの話前もしましたよね、でもね。
タザワ 対抜の話って。
タザワ ちょっとしたかもしんない。
タザワ うん。そのあんまりピンといいかわかってないですよね。その要は失礼としての、まあ対抜って言うとあれですけど、親がこうね、子供を叩いたりとかってある程度。その辺ってどうなんですかね。
タザワ だからちょっと今回僕は海外のスポーツとかもよく見るんで、海外ってどうなのかなっていうのをちょっと色々調べたみたいなんですけど、やっぱ僕すごいサッカー好きなんですけど、サッカーに関してはもう暴力は一切ありえないらしいですね。
タザワ やっぱ教育っていう過程で言うと、それ何でかっていうと犯罪になっちゃうかららしいんですよ。もうコーチングっていう手段として暴力をそういうパブリックなチームのメンバーがいる前でやったときにもう通報されちゃうんですね。
12:05
タザワ だから当然やるやつもいないし、絶対的にその規範としてやっちゃいけないっていうところも認識されてるし、なおかつやっぱりスポーツってやっぱ結果が大事だと思うんですけど、
タザワ そういう暴力を加えずにチームのパフォーマンスを上げるっていう、やっぱすごい戦術的な理解度っていうのがすごい欧米のサッカーとか、南米のサッカーとか強いんですよ。
タザワ だから暴力とか恐怖で何か押し付けたところで選手のパフォーマンスが上がらないっていうのを知ってるんで、やらないんですよね基本的に。
タザワ 当然チームメンバーの中でもそういう暴力的な行為はなるべくお互い先輩か後輩かぶっ飛ばすとかそういうのもあんまりないですし、ただスポーツだから熱くなっちゃってちょっと揉めるとかあるかもしれないですけど、
タザワ 基本的にそういうフェアな精神っていうのがないとダメだっていうところは、やっぱり日本よりも結構意識づけられてるのかなっていうところで、やっぱり海外のサッカーとかで見習うべきだなと思うのは、やっぱりデータとか分析でどういうふうにトレーニングした方がいいかとか、
タザワ まあちょっとスポ根論を否定しちゃう感じにはなっちゃうんだけど、なんかこうロジカルじゃないですか、そのロジカルのトレーニングの上で選手が適切なパフォーマンスを出せる肉体になっていくみたいな、やっぱあれは医学とかさテクニカルな話だから学ぶべきかなっていうのは思ってて、
タザワ ちょっとスポ根論は難しいんだけど、今は多分日本は根強いと思うんだよね、その辺のかねちゃんみたいなところは。そういうのが日本人の精神性にマッチしてる部分をいく分化はあるわけだから、完全否定はできないんだけども、ロジカルな海外的な視点っていうのは一つ重要なのかなとは思うんですけど、タザワさんスポ根すごい好きだと思う。
タザワ 思い出しました、ウィルスミスの話の時にしたんですわ、この話。
結構最近だなこれ。
タザワ 要はなんで暴力がダメなのかって話、あの時にしました。
したね、暴力の話。
タザワ そう。で、あ、そうなんです、これね、この回ね、あの怒りの話の続きなんですよ。だから怒りの掛け口として教育者がやっぱり暴力って形で指導してしまうみたいな話なんですけども、
タザワ なぜ日本ではこういう、なかなか治らないといった言い方があるんだけど、結構いろんな高校とかの大罰問題を調べてても、全然減ってないんですよね、ほんと割と。毎年もう何らかあるみたいな。だからね、根付いてしまってる何なのかとか、あとは文化の継承とかっていう意味でも、やっぱりその学校独特の文化をずっと継承していくみたいなね。
タザワ 大罰してる先生とかが、さすがに若い先生じゃないですもんね。若い先生もあるんですけど。
15:04
まあ、そうでしょうね。
タザワ であればなんかまあまあ、なんか若い先生も変わらず今もしてるとかだったら、ちょっといろいろ問題になる気もするけど、まあそうでなければ、まあその世代が変わっていくと自然とこう変わっていくような気はしますけどね。
タザワ だからまあ、そうなんですよね。指導者っていうとどうしてもさ、やっぱり結構年功序列でヒエラルキーで、しかも例えば野球とかだったら割と60代とか70代とか、結構しっかりその時代を生きてきた人が指導者だったりするから。
タザワ まあ、なんか自分にとっての正しい指導法っていうのがあるだろうし、やっぱりそういう、何だろう、指導法で自分も成長してきたっていう実感がある人は、まあ当然。
そうなんですよ。だからなんかその大罰問題がなぜなくならないかっていうところはおっしゃってられる通り、結構やっぱり指導者が過去の成功体験としてそういうものが染み付いてるからっていうのがあるらしいよね。
タザワ まあその時代によって良しとするものが変わってきてるから、やっぱり大罰するとは、なんかそれがまあ愛として、まあ良かれと思ってやってるってのもあるから、まあ時代によって。
タザワ あと難しいのが、さらに大罰を与えている人もそうだし、受けてる側も実はそうらしくて、過去にね、経験として大罰あるかっていう人は、スポーツやってる人の中で半分ぐらいあるんですって、その中で大罰が良かったか悪かったかっていう認識もその中で半々で分かるらしくて、
タザワ その厳しい指導を受けた結果、自分が成長できたっていうふうに認識してる人もいて、要はその与えられた人は結構その容認してるとか受容しちゃってるところがね、あるらしい。
タザワ だから、それこそウィリアム・スミスの会に、なんで暴力が、まあ今だから暴力はやめましょうっていう時代なんだから、なんで暴力がダメなのかってことをちゃんとそこを話さないと、人によって価値観が変わっちゃうから、なんかいつまでも話が噛み合わないかなと思っててね。
タザワ まあその本質のところがね、たぶんずれてるってことだよね、たぶんね。 だって違和感ない人はないと思うんですよ、未だにたぶん。
タザワ だからまあその残念、まあ残念なのかどうなのかちょっとその本質の部分があるんで、そのヨシヤシの話っていうのはやっぱりその当事者の中でも認識が結構いろいろあるだろうし、難しいんだけど、
タザワ 現状やっぱり日本の国内においてこの大罰問題っていうのは、割と表面化した問題で、それをやっぱりコンプラで結構縛るみたいな感じで、やっぱり本質的な問題が解決してないっていうところが根深いらしい。
タザワ もちろんね、暴力は容認できない部分もあるんで、肯定はしないんですけども、おっしゃられる通りなんでダメなのかとか、あとはそのプロセスにおいて、暴力って言われてるものの定義ももちろんあるじゃないですか、言葉の暴力とか、さっき言ったその手を振るとか、どれぐらいの敷地があるのかっていうところもクリアじゃないし、あながちそういう指導を求めてる人も実はいたりして、その辺が結構ね。
18:01
タザワ ニューコンはあれば、ビンタあれはダメなの。
あれダメだよ。
タザワ たぶんその要は自分に対してでも、気合い入れるときに自分にこう痛みをみたいな、そういう気合いの入れ方もきっとあるじゃないですか。
そうだね。なんかこれ、だから難しいのはやっぱさ、格闘技とかってさ、割とその、そもそもがさ暴力の。
タザワ まあまあそうなんですよね。
あれじゃん、ジャンルとかね。
タザワ そうそうそう。だから僕ね、この大罰とかって話って、もっとちゃんと考えて議論しないと、ただダメって言ってるだけだと、何にもみんな理解しないままダメって言ってるだけになっちゃう。
あ、そうそうそうそう。
タザワ まあそれはそれで別にいいんだけど、まあ。
でもだから、その今なんでなくならないのかって、裏でこうさ、隠しな感じになっちゃってる。
タザワ まあそうですよね。
隠れてやっちゃうみたいなことになっちゃってるからさ、そこが。
タザワ でもまあなんでなくさなきゃいけないのか、もうちゃんと話さないからわかんないだけ。
そうなんですよ、そうそうそうそう。だから一応ルールで、ルールっていうか、そのね、やっちゃダメだよって風になったから、従ってる側みたいな。
タザワ そうそうそうそうそう。
だからそこはそうなんですよね。そういうさ、だからその格闘技かそうじゃないかでも、全然そこの文化って違うし。
タザワ だって言ったってね、本当にさ、ボクシングはないかもしれないけど、アマーレス部とかあってさ、それなりのやっぱ体育会系の指導は、やっぱ何らかの形であるとは思うんですよ。
タザワ 女子レスリングで結構話題になった時あったじゃないですか、オリンピックのコーチの人が大変なパワーハラスメントやっててみたいな。
タザワ だからね、そういうさ、ジャンル、カテゴリーとしての暴力性もあるからさ、本当にかなり細分化しなきゃ解決できない話だし、暴力自体の否定っていうのが結構安直になりすぎてるがゆえに、いまいちね、日本の中ではそういうのが浸透しないみたいな。
タザワ スポーツの練習中とかに、例えば僕もね、ボクシングチームとか行ってますけど、なんかトレーナーの立場の人がサンドバックなりミットなりを持ってて、めちゃめちゃもう疲れさせるまでまだいける、まだいける、もうちょいいける、もうちょいいけるって言われて。
タザワ これは?
タザワ 退却。
タザワ いやだから、その。
受け取り方だよね、やっぱね。
タザワ そうそうそう。だけどこれって練習としては健全じゃないですか。
タザワ 健全健全。だから、言葉の知った激励がどこまでダメかみたいなのってすっごい難しいですよね。で、もちろんフィジカルな暴力は、やっぱりまあ何らかんだダメだと思ってるんですけど、言葉の暴力って結構難しくて、どの範囲までやるかっていうところで。
タザワ だからさっきから伝えてるとサッカーが好きなんですけど、サッカーって負けてる時とかのハーフタイムの監督の怒り具合によってその後の試合結果が変わる。
タザワ これ本当、もう何度もそういうの見たことあって。で、有名なイギリスのクラブで、マンチェスター・ユナイテッドっていうクラブがあったんですけど、そのもう10年前に引退してますけど、名物監督がいて、ファーガソン監督。
21:12
タザワ で、ファーガソン監督はもう別名瞬間誘惑式って言われてて、めちゃめちゃキレるんですよ。めちゃめちゃキレるんですよ。もうキレ方が尋常じゃなくて。
タザワ これ有名な話ですけど、ロッカールームハーフタイム戻って、すごい2点ぐらいで取られて負けてる試合で、あまりに怒りすぎてロッカールームに転がってたスパイクを蹴飛ばしたら、たまたまベッカムの頭に当たっちゃって。
タザワ ベッカムも所属したんですけど、ベッカムがそれ以来ファーガソンと断絶、絶好したっていう有名な話があるんですけど、それはたまたまの事故で、暴力事故につながっちゃったっていうやつですけど、それぐらいバチクソ怒るんですけど、ファーガソンがバチクソキレた試合は絶対勝つんですよ。
タザワ それが、いかにチームに影響を与えたかというと、10年前にファーガソン監督が、15年とか20年ぐらいだったかな。ずっとUnitedっていうチームを監督してて、すごい優勝して、毎年のようにリーグ優勝してるんですけど、辞めた途端に優勝できなくなっちゃったんですよ。
タザワ だからもう、超世界でもトップクラブだったのが、そのもう激おこうな監督が辞めただけで、1回も優勝できなくなっちゃった。もうその後の。もう弱小クラブになっちゃってて。っていうぐらい、この監督のこの激っていうのがいかに重要かっていうのをすごい表してるね、エピソードなんですけど。でももうファーガソンがやってたのは完全な暴力だよ。
タザワ だけど、言葉の暴力って言ってしまうと、話が完全にブレちゃう気がしてて、実際に手を挙げることとは完全に区別するために、言葉の暴力って使っちゃうと、何が良いよくてダメなのかわからなくなっちゃうから。
タザワ これは、今の学校の教育の過程で言う指導に関しては、言葉の暴力もダメなので。だからもう。
タザワ だから、手を挙げるんだったら言葉で言えってことじゃないですか。だからむしろ、手を挙げるんだったら言葉の暴力に逃げなきゃいけないっていうふうに言ったほうがいい気がするんですよね。
タザワ 確かに。で、そのだいたい手段として言葉を使うとか、あとはギリギリのラインで振り立たせるか、それとも落ち込ませるかみたいなラインがあるんだと思うんですけど。だからそうなんですよね。
タザワ で、劇っていうのは要は言葉の暴力ですからね。 言葉の暴力ですよ。僕も映像でも見たことあるんですけど、なかなかきついこと言うんですよ。お前らここで負けたら、お前らはもうこのフィールドに二度と立てないと思えみたいなすごいプレッシャーを。
タザワ でもそのプレッシャーっていうのが結局難しいんだよね。そこで選手の気持ちが切り替わってガラッと変わるわけよ。すごいいいプレイをすると。勝っちゃうと逆転勝利、4点ぐらい取ってみたいな。
24:07
タザワ それはある種スポーツっていう投資を燃やしてやる行為の一つの機能みたいなところがあるからさ。だからそれをね、今多分暴力論で言うと割と言葉は暴力なんじゃないかとか、あとはもう少し精錬さ、精品さみたいなのがスポーツには求められるんじゃないかっていう論あるじゃないですか。
タザワ それが結構攻め合ってる部分もあるのかな。それは日本のスポーツ教育とかにもいい部分もあるのかもしれないけど、影を落としちゃってる部分もある気がするんですよ。そこの線引きの難しさと、結局裏で隠しな言葉の暴力が使われていたりとか。だから難しい話ではあるんだけど。
タザワ ちなみにその野球部時代に、結構その味方であったりとか先輩からは結構厳しいことを言われたりとかありました?
タザワ 僕、なんかなかったんですよね、あんま。たまたまなのか。
タザワ いい学校ですね。
タザワ そうそうそう、いい学校だったかもしんないですね。
タザワ どっちかで言うと、まあ、飲室寄りだった気がした。
タザワ 飲室系ね。
タザワ どっちかで言うとね。
タザワ いじめる系ね。
タザワ 空気感。
タザワ 空気感ね。はいはいはい。難しいね。だから、それはそれで、だからその、抑圧という暴力だもんね。
タザワ そうそうそう。
タザワ 人によってはそれがすごい、その後のスポーツ、スポーツマン人生をね、変えちゃうかもしれないし。
タザワ で、僕はちなみにサッカー部で、もう先輩は優しかったんですけど、先生と味方、同じ同年代のチームメンバーはもうひどかったです、本当に。
タザワ うんうん。
タザワ だから罵るみたいな。だからミスするとドヤされるみたいなのが多くて。で、結構、あの、萎縮しちゃう。
タザワ はいはい。
タザワ 僕もそのタイプでしたけど、なんかその萎縮した段階で、結構もうスポーツできる精神状態でなくなっている子とかもいるから、負けちゃうのよ。
タザワ 逆にやっぱその、だから、なんていうんだろうね。まあ子供だからさ、まあその純粋に受け取っちゃうっていうのもあるし。
タザワ だから、その劇を飛ばすと、その萎縮される、萎縮しちゃうような、そういう強烈なプレッシャーを与えられること。難しいですね。
タザワ そうか。ワタさんにとっては、大罰も暴言も傷つけるっていう意味で一緒に語るべきってことですもんね。要するに、物理的な危害を与えることと明確に区別するというよりは、傷つけるってことで事態をどう考えるかみたいな。
タザワ そうですね。なんか、ただ、あれですよ。もちろん劇、さっきのその、なんていうの。幕立てて選手のパフォーマンス上げるみたいな。それはすごいわかるから、なんかそれ自体はあったほうがいいと思ってるんだけど、なんかそのさ、千匹がなんか、結構僕の中であるんですよ。
27:05
タザワ あの、なんていうの。盛り立てるためにやってるか、チームメンバーのことを思ってやってるか、ほんと攻撃するためにやってるかみたいなパターンがあって。だから攻撃のパターンはやっぱりさ、やっぱりスポーツやってると試合中ヒートアップしちゃうんで、結構出るわけですよ。
タザワ だからまあ、そうね。攻撃するほうはないほうが、まあスポーツ教育っていう意味ではいいかなと思ってる。だからまあ子供がさ、やっぱりそういうメンタリティーを刺激されて、こううまくパフォーマンスが出なくなっちゃう。イップスみたいになっちゃうとか、そういうこともやっぱあるんで。
タザワ なるほど。じゃあ大罰っていうよりはまあ、精神的にも追い込むことも含めての大罰っていう。
タザワ そうね。でも難しいでしょ、この辺の話ってさ。だから人によっては、もっと頑張れよみたいな感じで、こう撃を与えてるつもりでやってることが、やっぱり受け取る側としては結構マイナスのプレーに影響が出ちゃうような精神状況ですよね。
タザワ 精神状況ですよね、とかあるから。まあこれは僕の体験談で、スポーツ選手ってそれを乗り越えていくからさ。もうちょっとやそっとのメンタルじゃない。なんか言われて落ち込むようなメンタルじゃないと思うから。で、なんなら、例えばさ、プロの選手とかでさ、観客から暴言言われてんじゃん。あれは暴力じゃないのかっていう。
タザワ はいはいはい。 まあ、ヤジとかさ。でも海外で言うと、観客の暴力ってすごいんですよ。やっぱり人種差別系のさ、もう日本人選手とかに対して直接的な差別的なことを言ったりとかさ、それこそなんか物を投げちゃうとかさ、もう。
タザワ そうだね。 まあ物投げるのは暴力ですね。 タザワ 暴力、そうそうそう。でも海外ではその人種差別の問題本当は厳しいから、それは完全な暴力って認定されてて。だからやっぱりその。
タザワ 対罰が、要は対罰ってのは要するにこう殴ったりすることでしょ。で、今は殴ったり蹴ったりするっていう対罰はまあダメっていうことですか。それがなんでこう、だから物理的な危害とやっぱりその精神的な言葉のやつはなんか切り分けてちゃんと考えないといけないかなと思ってて。
だからやっぱり殴ったり蹴ったりするんだったら言葉で強い言葉を言うべきって風にするべきかなと思うんですよね。 タザワ なあ、なるほどなるほど。
まあそのその上でさらに傷つけるようなことはよしよしでまた考えるべきかなと思って。 タザワ そう、そうだね。確かにね。そのフィジカル的なところは絶対ダメっていうね。
タザワ それがなんででもその教育としてフィジカル的なところの危害を加えることがダメという時代になってきたんですかね。
タザワ だからそれが、昨今で言うと自殺問題とかあって、やっぱりそのなれの果てとしては死んじゃうんですよ。その罰を受けてた子とか。
30:01
タザワ まあいじめの問題に近くて、やっぱり結構そこでスポーツ選手としての人格否定を。それはそこが難しいんだから、精神的な暴力を受けてるからやっぱりこうマインドとしてそういうものを死にたくなっちゃうみたいなとこもフィジカルだけじゃないかもしれなくて。
タザワ そうですよね。タザワ ただ圧倒的に、本当にいわゆる暴力、大罰っていうものを受けてたものが結構やっぱりそういう最悪の結果につながっちゃうっていうのは、やっぱり過去の事件というかでもね、大いに。
タザワ だからやっぱり暴力っていうのは手で振るね、暴力とかは絶対的にダメだっていうのは間違いないとは思うんだけど、だからそこの精神性との関係性はね、もうちょっと細かく。
だからもっとフィジカルな暴力を特別にちゃんとくくった方がいいのかなと思って。
タザワ そうだね、確かに。
あんまり言葉のきついことを言うっていうのと同じ暴力って呼んじゃうと、問題がどこにあるのかわからなくなっちゃう。
タザワ で、海外のさっきの話に戻るんだけど、海外は刑罰なんですよ。いわゆる手で振る、公的、親家の場じゃなくてもダメなんだけど、人に危害を加えるのは単純に障害なんで、だからどんなに軽かったとしても障害になるんですって。
タザワ それが刑法っていう完全な指揮があるんだけど、日本はそこがすごいグレーゾーンが微妙で、ちょっと頭ぺしーん叩くみたいなのも、海外で言うと障害なんだけど、日本は頭ぺしーんぐらいはいけんじゃねーみたいな、あるじゃない、なんかその、そこなんだよな。
突っ込みですか。
タザワ 突っ込み、そうそう。そうなると漫才もちょっと危うくなるんだけど。ただ教育指導としてそういう手を振るっていうところは、海外は絶対禁じているみたいな。
タザワ そうなってくるとまあ宗教観とかその国の価値観が反映されるから、なんかどこまで正しいとか間違ってるって話って、なんかその、なんかもいやもいやしますけどね。
タザワ 確かにね。だからおっしゃる通りで、海外の場合は、いわゆるこう戒律で縛るみたいな側面が強いんですよ。やっぱり宗教的な倫理観的にダメとか、ちょっと前に話した騎士道とかの話もそうですけど、
タザワ 暴力的な行為は基本的に戒律としてダメだから、神の教えに背くからみたいな感じで禁ずることは多いらしいけど、日本はねその辺がだからあんまりこう文化が違うじゃないですか。そもそもなんかないじゃん、そういう倫理規範が。
タザワ だからあと戦前戦後みたいなのもあるのかもしれないね。戦前の、なかなかだったと思うよ戦前のそのさ、そういう指導方法とかも。なんかそのある程度文化継承してる部分もありつつ、コンプライアンスは欧米型なコンプライアンスが入ってきてるんで、なんかそこのギャップが生じてるっていうのもあるかもしれないけど。
タザワ そうそうそう。だからこれも、だからその対応性とかレジェンダーの話と一緒で、こういうふうにしましょうって決めたからこういうふうにしましょうって言うなら、それでよくて、そうじゃないならなぜダメなのかっていうそのなぜフィジカルな暴力を振るうことがどういうマイナスがあって、だからダメなのかってちゃんと説明しないとなんか。
33:19
タザワ いや、わかる。いや、そうなのよ。
タザワ そうそうそうそう。そうなのよ。
タザワ と思ってね。
タザワ なんかもっとさ、深遠な、なんか深いとこがあるよね。その話にはさ、なんか。
タザワ それがしないと、傷つけることがダメなんだっていう話になっちゃうと、言葉の暴力も一緒になっちゃうじゃないですか。
タザワ そう、確かに。
タザワ でも明確に大罰ってことで、暴力を振るうことがダメだと思うんですよ、今は。
タザワ うんうんうん。
タザワ それがなぜなのかとかって。
タザワ 単純に手を出すは、日常生活で普通にこう、一般的な倫理観としてダメっていうのはあるから、ダメみたいなところは前提。
タザワ そう考えても難しいもんね、確かにね。
タザワ だから僕も個人的にはですよ、もう大罰とかやだなって思いますよね。やだなって思うけど、なんでって言われたらわかんないから、僕はあんまりそういう主張できないんですよ。
タザワ まあ、そうだよね。
タザワ 例えばだから、すげえめっちゃ怪我したみたいになったら、ダメじゃんみたいになるけど、怪我してない場合どうかとかさ、例えば頭ペシンもダメじゃん。
タザワ でもなんでダメかって言われたら難しいよね、ほんとね。怪我してないもんね。
タザワ で、頭ペシンくらいなら傷ついてないかもしれない、下手したら精神的にも。で、なんでダメかみたいな。
タザワ だからもう今の理屈でいうと脊髄反射的にそういう人になんか、とりあえず痛みを与えるのはダメなんだぞっていう。
タザワ 多分そこで止まってるってことだよね。
タザワ そうそうそう。そうなんですよ。だから殴られて骨折したっていう場合と、なんかきついこと言われてメンタルが病んじゃったっていう場合って、種類としては全く違うじゃないですか。
タザワ 違うね。
タザワ だから、言葉の暴力って一緒にしないでほしいんです、僕は。
タザワ 確かに。そこはあるね。
タザワ だから、なんかそうなんですよね。
タザワ もしかしたら今包括的に、教育論としては全部をひとくるみにしてるんじゃない。
タザワ だから要するに傷つけることがダメっていうことなんですよね。
タザワ おそらくそうなんだと思う。
タザワ っていうことで言葉の暴力っていう流れはわかるけどね。だけど体罰問題っていうのはフィジカルなことを言ってるわけですよね、一応はね。
タザワ そうだね。表面化してるとこでいうともう暴力だね、いわゆる。
タザワ ちょっと思いのほか奥ゆかしい話だね。
タザワ いやでもこれいい論だと思う。
タザワ でもやっぱりあれじゃない。その世論的にも一般論としても倫理観としても、この辺のすごい曖昧な何とも言えない捉え方が難しいとこは、やっぱり一切触れてないからこうなってるっていうのはありますよね。
タザワ なんかあんまりこれに関して語ってないんじゃない?いわゆる傷つけるとは何か、手を挙げるとは何かとか。
36:00
タザワ 傷つけることがダメなのはダメでみんなわかってるけど、特にフィジカルの傷つけることだけは特別視してダメってなってるじゃないですか。
タザワ その理由を教えてくださいって僕は最初から言ってた。
タザワ そうだね。
タザワ 僕もなんとなくこう思ってるけど、わかんないから主張はできないですよ。
タザワ 何でって言われたら答えられないですもん。
タザワ そうなんだよね。だから僕も例えばね、もちろんありますよ、その大罰みたいな。頭パチンやられるとか。
タザワ もうだから、それが被害者側として嫌だったからっていう、なんかそういう理由になっちゃうんだよね。もうその行為自体が嫌だったかみたいな。
タザワ たぶん研究結果できっとあると思うんですけど、実際にその大罰とかをで育った人が何らか肯定的にそういう結果があって、そういうデータがあるっていうことだから良くないとかってね、ちゃんとそういう言い方をするといいんじゃないかなと思うんですけどね。
タザワ 確かにね。
タザワ で、実際そのスポーツの成績に関しても大罰加えない方がいい成績を収めるとかっていうこと、きっとそうなんですかね。
タザワ それはそうっぽいね。
タザワ そうっぽいね。
タザワ まあっていう意味でね、やめましょうってのはすごいわかる人いますけどね。
タザワ だからまあそのデータ使ってっていうところ、あとはその議論としてちゃんと言語化してて、何がどれでどれに当てはまるかみたいな、やっぱりそこが分布がすごい曖昧問題というか、そういうのは。
タザワ なのでこういうあれですよ、僕らがやってる議論を、たぶんちゃんと学校でやるべきなんですよね、そういうなんか。
タザワ そうそう。
タザワ なんでダメなのみたいな。
タザワ でもやっぱり学校の生き方ってさ、やっぱり戒律型だからさ、それはダメだ手を挙げたら、なんかそういう感じ。
タザワ あとはその親子、親と子供の中で起きるそういう問題とかも、これまた別の種類なんだけど。
タザワ ちょっとね、なんかそういうの全部一緒に混同して話しちゃうと、すごい混沌としちゃうっていうね話なんだよね、多分。
タザワ だから物理的な危害を加えること以外に暴力って言わないでほしいですよ、ここから。
まあ分かるでも、ちょっと今日聞いて分かりました。教育論としてはそうあるけど、本当にでも。
タザワ そうですよね。
だからそこが曖昧だからもうわけ分かんなくなっちゃうよ。
タザワ そうそう、僕が議論してて迷っちゃうんですよ、どこの論点なのかなっていうのがあるから。
確かに確かに。
タザワ これをウィルフ・スミスのときめっちゃ考えたんですよ。
確かにね、難しい。
タザワ なぜビンタ、そうそうそう、なぜ物理的なビンタっていうものが問題なのかって話しちゃったじゃないですか。
そうだよね、あの件に関して本当にいろんな視点があるもんね。
タザワ そうですよね。
ビンタ一つ取ってもね。
タザワ だからあの司会者の人が言った暴言を、子どもの暴力っていう表現を使っちゃうとビンタっていうところと区別ができなくなっちゃうからと思って。
39:00
確かに確かに確かに。
タザワ っていうのがあの収録の後、もやもや考えてたんですよね。
確かに。
タザワ 傷つけることには変わらないから。
そうだね。
タザワ 司会。
まあでもあれですね、人を傷つけることはやめましょうっていうことですかね。
タザワ そうなんですよ。
いずれにせよ。
タザワ 普通にやめたらいい話なの。
タザワ そうそうそう。
タザワ まあでもこのね、感情とかその行為のグラデーションっていうのが実はあって、それを多分今日今僕らが話したと思うんで、すごいいい話だったと思います。
タザワ こういうのをできれば学校で教えてもらえたら、ちょっと子供もその向き合い方がちょっと変わると思うんですよ、そういうものに対してね。
タザワ なんでダメなのかと、あとは自分がやられた時にどう感じるかみたいなところもちょっとその変数が増えるんで、そういうことが大事なのかなというふうに思いましたけどね。
タザワ まあいい話だったんじゃなかろうか。
この話をもしかしたらこの次に収録する話にもつながるといいなって思いますね。
タザワ ちょっとじゃあうまくバトンタッチできればいいなというところで、そろそろお開きという感じにしたいと思います。それではありがとうございました。
ありがとうございました。
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