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『淡島百景』から『カードキャプターさくら』へ──浅香守生の演出を語る
2026-09-30 44:16

『淡島百景』から『カードキャプターさくら』へ──浅香守生の演出を語る

今回は、志村貴子原作のアニメ『淡島百景』を取り上げます。

世代を超えて少女たちの記憶が交錯する群像劇としての魅力や、多視点構成ならではの「物語を簡単に善悪へ回収しない面白さ」を紹介。さらに、第1話冒頭の桜が舞うシーンをきっかけに、浅香守生監督の演出について掘り下げます。

『カードキャプターさくら』『俺物語!!』『ちはやふる』にも通じる、「登場人物の上に何かが降ってくる」演出やフラッシュバックの使い方とは? 私たちの世代に大きな影響を与えながら、なぜ浅香監督の作家性はあまり語られてこなかったのか。作品批評の役割や、好きすぎるものを言葉にする難しさについても話しました。

【主なトピック】 オープニング 『淡島百景』の概要 群像劇と多視点構成の違い 第1話の冒頭で「ハッとした」理由 浅香守生監督に共通する演出 『カードキャプターさくら』との対照性 なぜアニメ監督の作家性は語られにくいのか 一人の作家の作品を追い続けること 誰も気づいていない価値を語るということ 今回の感想と、二人の文化圏の違い 面白いポッドキャストとの出会い方 エンディング

※作品の内容に一部触れています。

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サマリー

アニメ『淡島百景』を入口に、群像劇と多視点構成の違い、世代をまたいで人物の印象や事情が変化する面白さを語る。淡島歌劇学校の華やかな舞台よりも、才能への憧れや嫉妬、後悔など内面の葛藤に焦点がある点にも触れる。第1話の桜の花びらをきっかけに、浅香守生監督の演出として、登場人物の上に桜や雪、木漏れ日が降りてくる描写やフラッシュバックを、『俺物語!!』『ちはやふる』『カードキャプターさくら』と関連づけて考察する。『カードキャプターさくら』が浅香監督の演出や制作姿勢によって形作られたという見方と、『淡島百景』とのテーマの対照性、監督の作家性が語られにくい理由を議論する。後半では、好きな作家の作品を追い続ける方法、誰も気づいていない価値を批評として言葉にする難しさ、二人の文化圏の違い、面白いポッドキャストとの出会い方について話す。

『淡島百景』の群像劇と多視点構成
はい、こんにちはバグキャストです。この番組は音楽家の鈴木とプログラマーの伊藤が社会や文化について気になったことを調べたり、面白がったりしながら話すポッドキャストです。今回は第31回です。伊藤さん。何ですか、大河くん。
あのですね、『淡島百景』というアニメがありまして、今年の4月から放映されててもう終わってるアニメなんですけど、これを見てですね。ちょっと色々興味深い点があった。
ので、今回はね、このアニメについて話してみたいと思うんですね。何よりもね、このね、淡島百景っていうアニメのファーストシーンを見て、ハッとしたんですよ。
ハッとした。どうしてハッとしたのか説明してもらえると。はい。今日はね、このアニメについて話してみたいんですけど。
えっとね、まずね、『淡島百景』がどういうアニメ作品なのかってことなんで、
概要からちょっとね説明してみたいんですけどこれはですねあの女性だけの歌劇学校・淡島歌劇学校が舞台になっていて舞台に立つことを夢見る少女たちの人生を描いた青春群像劇ですね。
うんで、この淡島歌劇学校って、おそらく宝塚がモデルになってるとされてます。なるほど。そうで2026年4月から6月にかけて放送された全12話のテレビアニメで監督は浅香守生さんという方がやられています。この人知ってます。浅香守生さん。
分からん、ピンとは来ないな。何の人だ?そうなんです。そんなあなたのために、この浅香守生を知らない人のために今日はね実はやろうと思ったんですよっていうところが一つあります。ちょっと続けていくと原作はですね志村貴子による同名漫画ですね。
あのもうすでに全5巻で完結しているあの作品になってますでねこの淡島百景っていう作品の大きな特徴は、まあ、あの一人の主人公や一つの学年だけを追うのではなくて、淡島歌劇学校に在籍した複数の世代を行き来しながら物語が進んでいくまあ、
群像劇なのでね。えっと物語の入り口となるのは、ミュージカルスターに憧れて入学した新入生の田畑若菜。だが、若菜だけの成長物語ではないんです。その若菜が先輩の竹原絹枝から過去の友人について聞くと物語は絹枝たちの青春へ遡っていく。
で、若菜が教師の伊吹桂子と関わることで、桂子が学生だった時代やまあその特待生でその入ってきた岡部絵美と桂子との関係あるいはその親や祖母の世代まで描かれていくっていうまあ本当にいわゆる群像劇ですね。
そういう作品になってます。でなんか過去に時間がこう戻っていくっていう動きだけじゃなくて、若菜の卒業から数年後みたいなことも描かれていて、その世代も描かれていて、小鳥遊紗羅とか藤沢江里っていうキャラクターが出てきて、
新しい世代がこう入学してくると彼女たちはかつて若菜の先輩だった絹枝がスターとなっている姿に憧れて淡島を目指しているっていうようなねことになってるんですよ。設定になってる。
つまり前の世代では悩んで迷っていた少女が次の世代にとってはある種のモデルになってるみたいなはいはいだからそういう結構長めの時間軸っていうのが物語の中で取られているんですよね。
で、さらにね、こう成長した最初の主人公の若菜が卒業生として学校を訪れてきて、自分が見聞きした記憶をまあ後世に伝えていくみたいなことで、過去と現在と未来がこう繋がってくるみたいな構成を取ってるんですよ。で、これね、結構うまいなと思いましたね。
その場所のいろいろな時代が入ってるってことなんですかそうそうそうそういう風にして言えますね。
まあ、だから淡島百景ではある時代の在校生が別の時代では卒業生とかあるいはスターとかあるいは教師になってたりとかする。
であるいは誰かの記憶の中の人物として再登場したりとか。だから同じ人物でも見る人や時代が変われば印象も変わるみたいな。
だからある話では脇役だった人物が別の話では語り手になってるみたいな風にして、それまで見えなかった事情とか感情が明らかになってくるみたいなところもまあ作り上手いなっていう風にして思いながら見てましたね。
うんで、これはまあ、原作もそういう作品になっているという感じですね。だからあのね、この作品の主人公は特定の少女とかキャラクターじゃなくてむしろ、淡島歌劇学校という場所なんじゃないのかっていうのは普通に言えると思いますね。
あの文化庁メディア芸術祭の選評では、えっと一編ごとに語り手が交代し、複数の物語が交錯するだけではなくて、えっと時代そのものを飛び越える構成がまあここでは評価されていると。
でね、歌劇学校の中の華やかな様子だけじゃなくて、ちゃんと、才能への憧れや嫉妬とか、あるいは努力しても舞台に立てないとか人間関係に問題があってなんか特定の人物に執着しちゃうとかあと夢を諦めた人のその後の人生とか。
あと過去に傷つけた相手に謝れないまま後悔を持ってるあるキャラクターとかまあそういうものがね結構ね描かれていて、まあ、つまりこう人間関係のダークサイドを結構描いてくるっていう感じになってますね。うん。
はい、でね、あの、さっき言った通り、この作品をそういう感じで群像劇っていう形をとってるんだけど、群像劇の中でもね、さらにね多視点の構成をすごくとってる。多視点構成っていうのは、一つの物語や出来事を複数の人物の視点から描くっていうやり方です。
これはね、必ずしも群像劇と一致はしないんですよ。あの視点人物とか語り手を交代させることで、同じ人物や時期に対して異なる認識、感情、価値判断を提示してくるということですね。
重要なのは単に登場人物が多いことではなくて、それぞれの視点が新しい情報を加えてきたりとか、以前の描写の意味を変えてきたりする。単独の視点では見えなかった物語の全体像を浮かび上がらせるみたいなところにすごく特徴がある作品になってます。
サスペンスとかでよく見かける手法だよね。そうだね。その人目線ではこう見えてたんだみたいなあそうだね。
それはサスペンスではなんかある種伏線がひっくり返ったりするみたいなイメージはあるけどうんそうだねなんかさ例えばさサスペンスで多視点的なあの演出が使われる時ってある一つのカタルシスに向かっていく時じゃんで、その多視点が現れることで、
今までの意味が1個の意味に統合されていくじゃないですかなんだけど、もうちょっと群像劇の中における多視点ってある人物がすごく悪いやつに見えてたんだけど、
その人の視点から見ると実はこういった背景があってみたいな風にしてむしろなんかこう出来事を曖昧化していくからカタルシスにあんまり向かっていく構成にはなってないんですよね。
で、僕はね、この群像劇かつ多視点構成っていうのすごい好きでそういう作品はめっちゃ評価しちゃう。それだけでみたいないうところがありますけどね。群像劇と多視点構成の違いって群像劇は誰に物語上の重みを与えるかなんですよ。
その場でこの人が主人公なんだよっていうのを見せていくのが群像劇に対して、多視点構成は誰の目を通して描くかっていうところを重要視するってことですね。
だからこれ例えば群像劇なんだけど、多視点的な構成を持っていない作品ってあってさじゃあ例えばある祭りの1日を描くとである人は運営である人はなんかそこを訪れた客ってなると同じ出来事なんだけど、同じものを見てないじゃん。
同じものを見てないってこと?そうだね。別の場所にいたりすると実は多視点的じゃないんだって、それって群像劇になるわけ。
みたいな。僕似てるなと思ったのはよしながふみの『大奥』がすごく似てると思いましたね。あの世代ごとに中心人物が交代していくという。
こうして制度の歴史が浮かび上がってくるみたいなただ『大奥』はねより政治とか社会制度ってもうすごく丹念に描いてくる作品なんで、
その点はちょっと違うんですけど個人の記憶を描いていくタイプのその淡島百景とはそこはちょっと違うかなとあと似てるのはね『桐島、部活やめるってよ』。これはすごく似てる。
学校という小社会を複数の生徒の視点から描いていくとみたいなことですね。
でただ『桐島、部活やめるってよ』っていうのは、かなり数日間の出来事が中心になっているので、世代を超えていくっていうような時間軸は取ってないとちょっと違ってくるんですけど、ここら辺がすごく似てるあの作品だなっていう風にして思いましたね。
っていう。僕ね、群像劇はすごい好きであの映画だとロバート・アルトマンって監督の『ショート・カッツ』とかまあ僕すごい好きであいいな久しぶりに出てきたなっていう風にして思いました。
で、群像劇のさあんまり好まれないところってあのやっぱりカタルシスを描くのに向かないんですよね。
だから一人の主人公にぐっと焦点を当てていろんなドラマを起こすっていう方が感情移入しやすかったりとかさ例えば、その淡島百景だとアニメ1話の中のAパートとBパートでもう主人公が変わってたりするのよ。おーなるほどね。
そうそうそうそうで、いろんなキャラクターが出てくるから、まあ、別に共感できないキャラクターも当然出てくるしみたいなあとはある一つの出来事における悪いやつといいやつっていうものがはっきりさせないってことにある種なんかこう良さがあるんだよね。
群像劇とか多視点構成のそうするとなんかカタルシスから遠のいていくじゃんみたいなすっきりしないみたいなそうむしろスッキリさせないことにすごく特異性があるっていうのがこの構成の良さですね。
あのただね歌劇学校のね歌劇や演劇の部分っていうのはね、おそらく意図的にオミットされてる。あんまり歌とか劇の描写っていうのが少ないんですよね。
内部にいる人間の、なんていうか、心の葛藤っていうのにすごく焦点を当てててあんまりね、物語の中における演劇とかっていうのはねあんまやらなかったですね。だからそこら辺を期待してみると期待外れかもしれない。
で僕はあんまり演劇とか歌劇ってものにそもそも興味を持ってないからむしろそれで全然あの面白いなと思えちゃうんだけどっていう風なところはありましたね。
第1話の桜と浅香守生の演出
でね、まあ大枠あの淡島百景というアニメについての概要をここまで説明したんですけど実は本題があるんですよ。本当に話したいのはここからなんですよ。あのね、第1話の冒頭シーンで、僕これを見て「あっ」って思ったんですよ。
これはもしやみたいなどうやって始まるかっていうとあのね、最初の主人公若菜がそのこの学校にやってきて、寮に入寮するシーンから始まるわけで、そこでねこうそのキャラクターの上に桜の花びらがひらひらって落ちてくるっていう何気ない描写から始まるわけ。
これを見てね、震えたんですよ。僕はそれはその時はその震えの理由がわかんなかったってことなのいや。じゃなくて、あ、これはあの監督の作品だって一瞬にわかったってことなんですよ。
なるほどそれってあるじゃん例えば『レザボア・ドッグス』の冒頭のあのだらだら男たちがカフェで雑談してるシーンを見た瞬間、
あこれはタランティーノの映画だなみたいな確かに特徴を感じる時あるよねそうそうそうあとなんか荒野で遠くの方から男が馬に乗ってやってくるあこれはジョンフォードの映画だっていうそのあるじゃないですかその映像技法の文法みたいなものこれはね、
今言ったシーン桜の花びらがヒラヒラヒラってキャラクターの上に落ちてくるっていうのは、もうあまりにも浅香守生の手法なんですよ。
そうなんだ。そうなんです。いやなんかね、僕は見始めたきっかけは、単にツイッターで誰かがなんか面白いよってつぶやいてたのを見てじゃとりあえず見てみるかと思って冒頭を見たそしたらあ、これはあまりにも浅香監督の手法だと思ったんですよね。
っていうんで、僕は浅香守生監督にものすごい影響を受けてる人なんですよ。なるほどというか浅香守生が俺を作ったと言っても過言ではない。すごい、浅香守生に構成されてるんだ。そうだね。
で、浅香守生が好きすぎて言語化できないっていう風な感じで入ってるぐらい好きなんですよ。そういうものってあるじゃないですか言葉にしちゃうとねそういうことない?好きすぎてなんかね話せないんだよね。
なんか合理的には話せるんだよ。今言った特徴みたいなことこれ浅香守生演出だよねみたいなでもなんかね。じゃあ別にこれこれを喋ってても浅香守生について喋れてないって思っちゃうわけよ。
それはおそらく浅香守生が俺を作ってるから自分のことがわかんないみたいな領域に入ってきちゃってる捉えきれてないんだそうなんですよでね、今言ったシーンそのあのね似たようなのがあって、
浅香監督作で思い出すのはね『俺物語!!』っていうのがあってですね。聞いたことある。
『俺物語!!』ってあの浅香監督が監督してて猛男と凛子っていうこう高校生の男女のまあこうラブコメディなんですけど、この『俺物語!!』における猛男と凛子のキスシーンっていうのがあって。
これがね、雪が降ってるんですよ。つまりなんかね、細かい何かがね、登場人物の上に落ちてくるっていう描写をね。すごいするの浅香監督って彼のなんていうか手癖なのかわかんないけど、毎回出てくるんですよ。
で、ほかにも『ちはやふる』もう浅香監督やってて2期の最終話でね千早と太一ってまあ、あの主キャラクターの上に木漏れ日が落ちてるのね。で歩いてて、その木漏れ日の影がこう移ろっていくっていう描写があるんだけど、これもねなんかね同じなんだよね。
桜の花びらが落ちてくるとか雪がふって落ちてくるとか木漏れ日がさしてて、その影と日向のバランスがこう映り変わってくっていうのがね。あまりにも浅香的な演出なんだよね。
で、一瞬で感じるぐらいうわってなったんだもんだから浅香監督の世界っていうのはなんか物語の重要な局面で必ずキャラクターに何かが降ってくるんですよ。それが浅香的世界なの。これはね、言及してる人はね、おそらく世界で俺だけだと思うよ、本当に。
これ聞いたことない。浅香守生論っていうのがまずあんまり見たことないしもし言ってる人がいたら教えてほしいんだけどまあとにかくそんな感じであとね浅香監督といえばねフラッシュバックの手法を必ず入れてくる。
映像技法としてのフラッシュバックっていうのは語りの中で出来事を時系列順に述べずに、途中で過去の出来事のシーンを挿入する手法、および挿入されたシーンのことですね。
で淡島百景では11話でねあるキャラクターが自身の過去を後悔しながらフラッシュバックを起こすんだけど、これがね。カードキャプターさくらのさくらカード編の最終話なんですよ。やってることが完全に同じっていう。
で、これはね、あのこのフラッシュバックっていうのは毎回やってて、ちはやふるでもやってるんですよ。
こういう今言った浅香的演出っていうのが全部出てるのがカードキャプターさくらのさくらカード編のオープニングなんでそれを見てくれればわかるはず。
そうすると確かにっていうところが結構出てくるわけなんか細かいものがわーって降ってくるとかあとカメラがティルトアップ、ティルトダウンするとかで、僕はね、この浅香監督に本当に非常に大きな影響を受けてて、まあ、
とにかくやっぱりカードキャプターさくらなんですよね。で、もうとにかく大きな影響を受けてますね。
『カードキャプターさくら』との対照性
今でもカードキャプターさくらは定期的に見返すくらい好きですね。っていう。で、そしてカードキャプターさくらはね人を好きになることっていうのがどんなに素晴らしいことなのかっていうのをまあ描いていく作品なんですよ。一言で要約するならね。
作品のテーマそういう話になってるなんだけどね。淡島百景の方は序盤でねあの人を好きになるっていうことがある悲劇をもたらすんですね。
物語の後半にも関わってくるネタバレになっちゃうから、あえてぼやかして言うんだけど人を好きになるっていうことがすごく悲劇をもたらすっていうことになってるわけで、この対照性がすごい面白いですね。
つまり、浅香的な演出っていうものは共通してるんですよ。なのにもかかわらず、描かれる世界は『カードキャプターさくら』を裏返した世界っていうのが淡島百景なの。
ん人を好きになるってことが全然違う結果をもたらすんですよ。っていうのがね、僕はすごく興味深かった。あのポッドキャストとかを見ていくとね。
コンテンツ批評みたいなことをやってる人たちって結構いてまあポッドキャストっていう必要ないね。様々なあの媒体でカードキャプターさくら論っていうのは溢れてるんですよ。有名な作品だしね。そう。で、それはねなんか推し文化とかと結びついてる。
で、いいですか僕は今大事なこと言いますけど、僕たちがカードキャプターさくらを見た世代ですよね。そうだね。僕ら小学校の時にちょうどやってましたね。で、そしてときめきをもたらしてくれたわけですよね。『カードキャプターさくら』は。
うん、そのときめきとかあの世界観の美しさっていうのは浅香守生が作ってるんですよ。あれはCLAMPの原作にはない要素っていうのをすごい持ち込んでるんですよ。浅香監督がなるほど。これについて言及している語りっていうのがないんですね。
この世にまあ僕は見つけられてないなぜ言わないのかって感じなぜ言わないのか僕たちがあんなにいいと思った世界を作ってるのは浅香監督なんですよ。
なるほど。僕CLAMPの原作もすごい好きなんですよ。いいと思う。でもね、カードキャプターさくらの本当の良さはね。浅香監督がどう考えても作ってるんだよね。うんで、そして人々はそれについて語らない。
そして浅香監督の世界とは何だろうかって僕は考えたんですよ。で、それは一つにはキャラクターに何かが降りてくるっていう描写さっき言った雪が降ってくるふわっと降ってくるとかなんか重要な局面で桜の花びらがふわっと落ちてくるみたいな。
これがね、浅香監督的な世界なんですよ。
フラッシュバックつまりこういう映像技法について丹念に見ていくってことなんですよ。それこそが浅香的世界について語るってことなんですね。
うんだから僕はねいつかねいつかおそらくカードキャプターさくらについてちゃんと語ることになると思うんですけどまあその前段として浅香守生っていうまあすごい重要なクリエイターがいるんだとで、彼は今も映像を作ってる。
そして彼の世界を未だに構築し続けてるんだってことを言っておこうと思うっていうことなんですね。ベテランってことだよね。そうだね。かなりベテランだね。カードキャプターさくら、あと『NANA』とかですね。『NANA』とか。まあ、そうだね。
『俺物語!!』『ちはやふる』あたりがすごい有名ですね。
じゃあ結構本当に有名作品うんそうだね。もちろん関わってるってことだねもちろんもちろんということなんですよ。そうなんだ。
浅香守生が語られにくい理由
これってそのさその原作があるアニメシリーズの監督ってフィーチャーされにくいみたいのってなんかある気がしてるんだけどいだからさ伊藤が言ってるのはさおそらく作家性があんまり出ないんじゃないかってことなんだと思うんだよね。
原作があるとなるほどそうなんかそういうねただの印象だけどね。そういうのがあるんだよね。だから、まあ、そうか。なんで語られてないのかってところに反応したってことね。
そうそうそうなんかそのそれこそカードキャプターさくらっていうのはすごく有名だしもちろんね今でも新しくコンテンツが生まれていってるわけじゃないその中でその、それを手がけてた監督がまあ、
大河の話によるともっと語られてもいいんじゃないかって俺は思ったけどそれがなんか足りない気がする。
もっとみんな言ってもいいんじゃないみたいな。だからさ宮崎駿とかを受容して語ってる世代っているわけじゃん。で、カードキャプターさくらを受容して語ってる世代ってずれてるじゃん。
で、それ僕たちのある種なんだか作品との関わり方が現れてるんじゃないかなつまり僕たちの世代がこの人が重要なんだって言って持ち上げるみたいな語りの力っていうのはほぼないよね。実はっていうのがあると思う。
僕たちが重要だと思うクリエイターって誰かあんまりそういうことってできてないんだと思うよ。僕たちの世代にとって大事なクリエイターって誰かって思った時にね。やっぱり宮崎駿じゃないんですよ。で押井守でもないもっと言うと新海誠でもないんだよ。
おそらく。うん。じゃあ誰か?明らかに俺は浅香だと思う。
それは大好きだっていうのもあるし、その影響範囲とかを考えた時に、僕たちは浅香守生について考えなきゃいけないんじゃないのかそれを怠ってるんじゃないのかなるほど。
そう、もしその回があれば俺も意識したことなかったけど、監督の名前は意識したことなかったけど、影響を受けてるんだろうね。同じ世代なんだから。だからそうだから俺が言いたかったのはそこなのよ。カードキャプターさくらみんな知ってるのよ。
うんまあそうだね。でも明らかにあの世界を作ってんのは浅香なのよなるほど俺からするとね原作と比較して見た時にねにもかかわらず、浅香についてはみんな名前も知らないんだよ。
この非対称性について思うところがあるから、俺は今日ここで話してるってことなんですよ。なるほどっていうことなんですよね。そこまで思いを馳せたんだね。
この『淡島百景』を見てこれを機にね、僕ね浅香監督のねあの過去のインタビューとかを読み漁ったんだけど、一つね、俺があーこれすごいいいこと言ってるなっていうのをね見つけたのがあってあのカードキャプターさくらってさ1個のこう作風としてまあ、
主人公のさくらのさ魔法少女に変身した時のコスチュームが毎回変わっていくっていうのがあるじゃないですかあれ、魔法少女の変身シーンってバンクで使い回しなんだよね。実はあそうだよね。同じシーンだもんね。
そうそうそうそうそうでもさ、カードキャプターさくらって毎話そのコスチュームが変わるから、その分描き直さなきゃいけなくなるんだってで、それがなんでそんな手間にかかることやってんのって言われたと。
でも浅香はその時にいや見てる子供たちにちょっとでもいいものを見せたいと思ったんだっていう風にして答えてるインタビューがねこの世のどこかにあるんですよ。あー見たはずなんだそうどっかにあるはずなんですよ。俺はね、それを見た時に本当に尊敬したね。
つまり彼はそういう風な思いでやって、確かに俺にはそれが届いてた。うんうんそういうことだね。だから僕が何か物を作ったりする時のある種の基準を作ってんだよね。浅香が。
うん、これを見てる人たちにちょっとでもいいものを見せようよって僕が思うなんかこの価値観ってどこから来てるかっていうと、やっぱりカードキャプターさくらのあの浅香の制作の姿勢なんだよね。なんか。
うんで、それにすごく感動してるっていうところが俺は大きいんだと思う。なるほど、じゃ本当に形作られてるんだ。形作られてると思う。はいはいなるほど。そうね。それはみんなそうだと思うよ。
だってカードキャプターさくら何がいいかって言ったらあの衣装が毎回変わるっていうのは重要なところなんだよ。それを大切にしてたんだよ。彼はっていうことよ。だから僕たちは浅香世代。僕たちを作ってるのは明らかに浅香守生なんです。
しかしなぜ浅香守生について僕たちは語れないのかまあ僕はもうあまりにも好きすぎるんで。
話せないっていうのが結構あるよね。なるほどね。それは何なんだろうね。あるじゃん好きすぎて話せないことってうんそうだね。
やっぱその自分を自分でこう捉え切るのが難しいみたいなことなのかなそうだねだから鏡がないと自分のこと見れないって問題なんじゃない自己分析ってやっぱりこう曇るわけじゃん。
好きな作家を追い続ける見方
特定の監督とか特定のクリエイターの作品群みたいなものにフォーカスするって感覚があんまり自分はないからでもそれをさもそれって本当にその人が好きじゃないとできないじゃん。うんで大河めっちゃ好きでいや、そんなことないんじゃん。
俺別にそんな好きじゃない。僕が見る時の一つの自分のやり方としてあの気になった作家のものは全部とりあえず見るっていうのをやってる。やってるんだ。そうそう小説でもなんでもそれをやるといろんなことがわかるよ。
それやっぱ対比されてわかるってこともうん対比とか繰り返しとかもあるよね。この人なりの手癖とか作家とかだとやっぱり何十冊も本出してる人だと大体どんなこと言うかが分かってくるとかっていうのがあったりするそれ結構重要だと思う。
その理解するのに重要ってことそうそうそうそうそうやっぱ理解したいなってそれやっぱそれも目的だってことなの?
同じ人の作品をいっぱい吸収することで、その人が見えてくるみたいなことでも俺それ最初に多分意識したのは映画とか見始めた時であなんかこの監督すごいなって思ったりするのがあったりするじゃん。それでその人の全部見るっていうのをやり始めたよね。
それ最初に思ったのはさっきちょっと言ったジョンフォードって監督がいてさアメリカの西部劇とか撮ってた人ですよね。ジョンフォードの作品を見てまあ、えらく感動して、僕はとにかくジョンフォードの作品は全部見るんだ。
と思って全部入手できる範囲では見るとかねやってたね。そうするといろんなことが確かに分かるこの時期でこう変わってったんだなみたいなとかいそうだよね。その人に起きた出来事によって作品にも影響が出るわけだもんね。そうそうそうみたいなね。
なるほどね。じゃあそもそもそういうその作品との関わり方をしてるんだね。そうだね。
確かにねーんいやなんかこういうさまあその大河が言うにはこの我々の世代におけるカードキャプターさくらという作品の重要性と重要だと思うけどねそれを作った監督の影響みたいなものがあるじゃないっていう。
価値を語る批評と言葉の難しさ
でその時代を代表するとかさ時代に名前がつくようなさクリエイターとか活躍する人っているわけじゃん。
そういうものの話をした時にさなんかそのそれを好きな人たちがいっぱいいるいい作品を作ったからとかいい成績を残したからいっぱいいるその人たちがことさらそれについて語ると声が大きくなるみたいなイメージもあってまあ確かに有名人だよなみたいな宮崎駿って有名人だよなでえっとみんなが宮崎駿について語り、
みんなが宮崎駿のことを知っていき、そしてその時代の中で名前が残っていくみたいなそういう声が大きくなる原理みたいなもののイメージと今大河が言ってる俺たちが受けたあの作品には、このこの監督の力がこもってて、
それを君たちのその心の中にあるそこに感じられないかっていう話っていうのがその時代を代表する誰かを語る時の語り口としてちょっと新鮮だなと思ったの俺の中にあんまなかったんすげえ有名人でみんなが喋ってる人について語ろうよじゃなくて、ねえみんな、
この人の名前知らない?だから、カードキャプターさくらについて語る時にさこれはある種のなんかキャラ萌えみたいなものを作った作品なんだって言われた時に、それを崩さないといけないんですよ。
そういうようなある種の語りからカードキャプターさくらをいかに救ってこれるかなんですよ。
この作品の本当の価値を。で、それはある種キャラクターの上に何かが降ってくるっていうモチーフそしてフラッシュバックを通じて物語が書き換えられるってことなんですよね。あれ。
うん本当に重要なのは、浅香がやってるマジですげえところで、それはね、キャラ萌え的なものとも確かに繋がってるんですよ。なるほどね。じゃあやっぱそれを見せてる浅香さんのその力がそこに出てる。でね、いくつかの点をむしろ原作から排除してるんだけど。
それがね、見事としか言いようがない。確かにこのポイント、要素は排除した方がいいってところを排除してる。ふーん。で、本当の価値を引き出してるんだよね。
グワーっとおもろいなとは思うね。いやなんか俺が思ったのは、何かを語るときに、一方的な視点じゃなくて、他の視点もあるよねっていうスタンスなので、たぶん常に。
そう、どのテーマでもやってるんだけど何か特にこういう例えば宮崎駿とかカードキャプターさくらみたいな大きなテーマみたいなの扱った時にみんなが思ってる、
みんなが止まっちゃってるその感覚の外側の話みたいな視点となんか違う気がしてて一方的な視点じゃない視点を持つよっていうその角度をつけるって話とみんなが思ってる視点のもっと広い視点を持とうよって話っていうのがなんかそれよりなんか違う語りになるのかなと思ってるこれ難しいよね。
つまりカードキャプターさくらについて、みんなが気づいてないものについてこれが大事なんだって俺が叫ぶってことだと思うんだよね。つまりなんか何にもないところにさ墓、墓っていうか石碑を立てるみたいなことじゃん。そうだね。
ここにすごいものがあるからってでっかい石碑があって、いやこの石碑をちょっとずらしてこういう石碑にした方がいいじゃんっていうのと何にもない更地に何かを建てるってやっぱこう違う違うね。確かにっていうのはあるね。
でもやっぱりさ後者の方がクリエイティブなはずだよね、とは思う。いや、その方が叫んでるなって感じがするんだよね。それこそ作品を作るってことでしかないんだと思うけどうん、なるほど。実はね。
いやそうだからそのいつかやりたい絶対このさ熱量で語れるものがあっていつかやりたいよね。まあ、それはもちろんだけど、それを今ちょっと具体的に目にした時にうわどうやってやるんだろうっていうのを思ったっていうなるほどね。それは確かにそうだね。
っていういやーまあそうなんだよね。確かに俺なんかねカードキャプターさくらについて語れないって確かに思ってんだよね。それはそういうことなのかもしんないね。うーんなるほど。
なんかみんなね、逆張りなのよ。カードキャプターさくらについて語る時。っていうこれってこういうものなんですよみたいなつまり上の世代の人は逆張りで語るわけよ。つまりそれまでのオタク文化とのみたいな。
で、その時に浅香のことには一切言及しないし、浅香がどういう表現技法映像技法でそれをやったかっていうのには全く言及してないわけ。そこにフォーカスしてっていうのは確かに違和感があるよね。そうだから俺はそれはおかしいと思うのね。
でじゃあ他方で僕たちの世代の人たちはまあ何かそうじゃないよね。推し文化とかと繋がっちゃってるよね。うんであとなんか。
仕事に疲れて心病んだ時にカードキャプターさくらを久しぶりに見て心が癒されました的な言説あなるほどになっちゃってるんで、俺それは違うんだよって思うわけそれはなんかそういうこう変なオタク文化的なものとか、
ある種のこう資本主義社会の中におけるレクリエーションとしての作品みたいな見方から遠ざけて、この作品が持ってる本当の価値を取り出していかないといけないってことじゃないですかで、それはおそらく浅香守生について語るってことになってくるんだよね。
なるほどで、そういう文脈の中でおそらく浅香っていうのはかなり言及されずに来てるんですよ。
ってことだななるほどね。それはすごく納得感がある話だわ。うんなるほどね。俺も今気づいたけどね。
はい。いつもここでさ腕を組みながらああ楽しみだとか言って大河が頑張るいやでもね、
カードキャプターさくら論はさすがに誰かがやらないとまずいのでそれはやるよなるほど今俺あれ話飛んじゃうけどさあのこのバグキャストにさそのすごく批判的な否定的なお便りがもし来たとしてその人が本当に魂の底から俺たちのことを批判してくれたら、
多分俺たちは何を言ってるかわからないだろう。
あって大河が言って俺はそれを聞いて確かになって思ったわけ本当に、その人の『伝えよう』みたいなんじゃなくて『伝われ』っていうのが来たらわけわかんないんじゃないかっていそれぐらいのパワーがあるんじゃないかって。
そういうのを大河がマイクに向かってやるのかなって思っていやでもそれはさ優れた評論とか批評って、そういうものじゃないわけだよね。
ほんとかなり核は叫びだしみたいなものに近いんだけど、とにかくこれが大事じゃって言ってるんだけど、でもそれがわかるような言葉遣いを作るってことだよね。でも俺はそれはかなり実際のところ難しいけどね。俺がやろうと思ったらね。
それは真の優れた批評家とかがやるんでしょ。でも批評家ではあるわけじゃん。いやでも俺は批評家としては優れてはないでしょ。あそうなんだだってすぐ叫びに行っちゃってるじゃん。
あーまあね叫ばなきゃいけないっていう。でもどうなんだろうね。真に優れた批評家はどのようにして生まれるんだろうね。
そうねでもそれやっぱりこう批評とか評論って一人でやるもんじゃなくてある種みんなで作るものだからやっぱり文芸誌の中で批評家とかって鍛えられてたはずだしかつてはね。そういうのがない中では難しいよね。きっとね。
今、そういうものってみんな読まないじゃん。どうですかね、今日の話を聞いて。そう、感想的にそうだね。今日の話はですねえーと一応最近アニメとか見てるみたいなそう。いや、でもまあここで一つ言っておくと、今日、この第31回はもう疲れた。あ、そう。
あのやっぱそのこの淡島百景っていう作品も見てなかったし、その浅香さんのこともちゃんとわかってなかったからそのカードキャプターさくらの話とかを聞くことになっていったけど、基本的にはやっぱ大河のエネルギーをこう浴びたなみたいななるほどね感じ。
食らって、体が今熱いなるほどね。
熱々でただ食らうだけだったら凍えちゃうんだけどこうしっかりぶつかったから今体が熱いちょっと思ったのはさやっぱさ伊藤と俺の一番の文化圏の違いってさここなんじゃないかって今話してて思ったわつまりなんかさ作品批評みたいなものを俺はなんかすげえ大事にしてるんだよね。
うんでも伊藤ってそこからは結構離れてんだよね。プログラマー的な思考つまりめっちゃつまんない言い方すると文系理系の違いみたいなことになっちゃうんだけどなんかさ、文系ってこういうものじゃん。
つまりなんかある種の国語の教科書的なさ作品をだらだら読んでごちゃごちゃ言うみたいならだら読んでごちゃごちゃある種文系の手法ってわかりやすく言うとそうそうでも理系ってさそういう感性じゃないじゃんあーもっとねそのさっぱりしてるっていうかそうそうそうそう味のない感じのねだからそれがちょっとプログラマー全体をそう言えるかは分からないけどプログラマーとねそう文学オタクみたいなものの違いかなあるのかもしんないって思ったけどっていうところがやっぱりこうあるよないやあると思うでもね、
それはねわかるよでも俺それさじゃあ、かといって文芸好きの人に対して話してたらもう全く世界広がらないんだよね。
うんだから伊藤に話していかないといけないんだけど、実際、伊藤ってこの手の話をしてる時はさやっぱ俺がピンときてない顔してる時あるじゃないですかあそうだねうんそうなんだってな時があってでも大河と話してるとああ、
うんうんみたいになる時あるわけ確かにねその過程を俺は楽しんでるしなるほどねやっぱ俺がただ生きてるだけではその感じられないものを大河を通してさ俺は見てるわけだからなるほどね。
それをこうポッドキャストでもどうなの今日だとどこらへんでちょっとこうあそれはわかるかなみたいな手応えがあった。
その浅香監督のやっていることをそう読み解こうとした時に、その人がどんな人でどんな思想でとかじゃなくて、大河がその手法演出手法みたいなものにしっかりこう目線を合わせて考えようって言った時になんかなるほどなっていうのがあったんだよね。確かにね。
それいいこと言ってるね。
俺そうそうその時になんか話がどんどん広がっていってどうやってこの話は集約されていくのかなと思った時にその言葉がギュッとこうなるほどっていう風に俺のこう視界が開けたっていう確かにそれはそうだねそれなんかずっと話しててやっとなんか見つけたんだろうね。
うんこれさよくバグキャストで起きるんだけどこの道を行って、あ、ダメだって言って戻って、別の道を行ってダメだって3周ぐらいしてあこれかってなる時あるんだよね。結構こうフラフラしてね。
あれもうわかんなくなってきたと言った時におっ、って一瞬見える光がそうだねそうそれはね結構今日はばっさり切られることでしょう。
俺もう切られるなって思いながら喋ってたからそうだけどなんかそういう中のカードキャプターさくら論は切るしかないもんなでもそれをうろうろしてる時に見つけた瞬間がねやっぱおもろいんだよね。
確かにね。かつ疲れる。確かにねだからそのいつもはできないけど、頭チリチリしちゃうしでもそれはやっぱ面白かったななるほどね。なるほどあそうだからまあ今日そんな感じで終わっていくんですけど僕そういえば企画を一つ、伊藤くんに『これどう?
ポッドキャストとの偶然の出会い
』っていうのをそんな長くないんですけど、伊藤くん、あんまりポッドキャスト聞かないって言ってたじゃないですかうむ。伊藤くんがもうちょっとポッドキャストを聞いて面白いっていうのがあったら、
そのポッドキャストについて紹介するコーナーとかやるっていうのあーなるほどねなんでもいいあるポッドキャスト番組を見つけたんだけどこの番組のこの回がすごい面白かったでもいいからそっか別にそんなの有名なポッドキャストでも俺が知らないのいっぱいあるだろうし、
何でもいいからもしあったらでいいからわかったそれはなんかこういいんじゃないかって一瞬思ったんだけどそうだねわかったもしあったら、じゃあ言います。そこで、そんなに面白くないのに無理やり褒めてたらなんか逆に失礼になってくるわけじゃん。
『今日はこの番組を』って言うならとかって言ったらさそうだねそうだから本当にあったらじゃないとなんかその変なそうふわっとそうそうふわっとして検索ワードを残して、その視聴者の人に聞いてもらうためにやってんのかなと思われるにしても、
なんかちょっと良くないわけじゃんそうだねだから本当にあった時に『この回のこれはちょっと面白かった』みたいなのを言うみたいななるほどわかりましたっていうのをちょっと提案ってことで。あったら、じゃあ。いや、そう、
なんかポッドキャストをねちょっとこうポッドキャストにちょっと興味が出てきまして最近なんかこう聞こうかなみたいな時にそのランダムにさ出会う方法がすごいないなっていうのは思うんだよこれプラットフォームの問題なんだろうけど有名なやつのおすすめとかはもちろん出てくるけど、
本当に例えばバグキャストみたいなわけわかんないこと言ってるやつらと出会う方法ってほんと少ないんだなって思うね。それはそうだね。確かにね。そういうランダムなものを聞くのは結構好きなんですよ。
なんか失礼かもしんないけど、昔のニコニコの生放送で本当視聴者が10人ぐらいしかいないような生放送見ててちょっとおもろいみたいなこんなやついんの世の中にみたいなそういう楽しさをちょっと見つけられたらいいっていう。
紹介させていただきますまあちょっとこう提案というのがあるわけですね。じゃあ今日の締めをお願いします。そうですね。今日はまあ入り口はね『淡島百景』っていう作品。
でこの作品自体は普通に面白くて見てねっていうことなんだけどこの作品を作ってる監督がもう大河が大好きな監督でそこからね話が広がってかなり様々な話をしました。そうですね今日は何の話をしたかなっていうと思い出せない。
そうあとね思い出して言うじゃん。大量のカットがあるから。そうなんだよ。『本当か?』っていう。これを聴いている人には違う内容になってる。そうなんですよ。あの時のあの話がみたいなの言ったらあのカットされてる可能性があるので。
ただ、だからこれも今1時間半ぐらい喋ってるんです。
あの大河がねうまくいい感じにカットしてる。大河のカットのねあのその手法の素晴らしさを感じつつすっごい疲れてるんで今なんかいっぱい話したんだな他の企画についてもね話したりしたので、ぜひお楽しみください。
まあ、あの多分普通にその浅香監督好きな人もいるだろうしまあ、今期のアニメこんなのおもろいよねとかって話も本当はゆるくしたりしたらよかったんだろうけどそう。
そういうのでもアニメ好きなんで我々ねあのなんかそういう話あれば概要欄のフォームからお便り等お願いしますとまた番組のフォローもよろしくお願いいたします。それではまた次回。はい、次回。
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