こんにちは。BIBLIO JAM始まりました。 本日のプレゼンターの首相、淳也です。
こんにちは。本日ナビゲーターを務めます、ナイト・ジョンです。 この番組は話題の瞬間の実況をじっくり深掘りしていくポップキャスト番組。
今日も日本橋浜町の浜パウス、 近くの報酬にお届けしております。
ナイトさん、今から名前挙げる人たちの本。 ナイトさんもね、すごい本読みだけど、ちょっとこう知ってるかどうか。
いやね、僕、基礎的だから自信ないです。
いきますよ。 えっとね、堀静香さん。
はい。 フラワー茂さん。
岡野大治さん。
はい。 野淵彩子さん。
はい。 佐藤須さん。
はい。一人も知りません。
みなさん、初めて聞く名前ですね。
あ、そうですか。まあね、今本って言いましたけど、 ジャンルはばらけてて、エッセイだったり、歌集だったりね、
歌集? 教説だったりっていう、なんですよ。
共通点が一つあって、みなさん、 文学不利まで出会った書き手なんですよね。
あ、文学不利まですか。 なんかね、毎回すっごい盛り上がってるみたいですね。
そうですね。
会場も今だってあれ、ブックサイトでしょ。
そうそうそう、大盛況ですよね。
今日はこの文学不利まの熱狂の秘密を解き明かした、 面白いノクションをご紹介します。
はい、楽しみですね。
今回取り上げるのは、文学不利ま物語。 なぜ人は創作に魅せられるのかという本です。
著者は、共同通信文化部の記者、 鈴木沙原さんという方で、
これが初めての著作なんですけど、
この著者自身が第一回の文学不利まに参加した 当事者でもあるんですよね。
すごいですね。
結構すごい熱を持って、文学不利まの関係者に インタビューしまくってるんですよね。
そうなんですか。
文学不利まってそもそもいつから始まってるんですか。
第一回は2002年。
2002年。
会場は青山ブックセンターの本店の イベントスペースだったんですけど。
結構こじんまりと始まったんですね。
もしかしたら、文学不利まって何っていう人も いるかもしれないんで、ちょっと説明しておくと、
いわゆる本を自主制作した人たちが集まる 即時展売会ということでいいですよね。
そうですね。
自主制作した本のイベントでは、漫画の同人誌なんかで コミックマーケットみたいなことが有名ですけど、
それの文学版みたいな。
そうですね。
第一回文学不利までは、約80の個人団体がお店を出して、 お客さんも1000人くらい集まったそうなんですけど、
その後次第に会場が大きくなっていって、 2024年からは東京の会場がビッグサイトになりました。
昔と違って1000円の入場料が今取られちゃうんですけど、 それでもたくさんの来場者が来てて、
それに今東京だけじゃなくて全国各地で 文学不利ま開催されてます。
もうこれ一大ムーブメントって言ってもいいかと思いますね。
だからこのイベントを最初に仕掛けた人は すごい先見の目があったってことですよね。
そうですね。そこでちょっとしたエピソードがあって、
文学不利ま誕生のきっかけになったっていうのは ある文学論争だったんです。
そうなんですか。誰と誰の論争ですか。
作家の松野より子さんと批評家の大塚英二さん。
大塚さん。
文芸史の群像画舞台になったんですけどね。
ごく簡単に言うと、文学という芸術が持つ価値っていうのは 市場価値みたいなね。
金銭面だけには還元できないっていうか 測れないっていう松野さんに対して、
大塚さんは、でももう現実的に文学売れてないし、 文芸史は出版社の不良再建とかしてるじゃないかと。
そういう主張をしたんですよね。
ここでユニークだったのは、大塚さんがそれプラスして、
コミケみたいに文学の展示即売会をやったらどうかと。
何なら初回自分がやるけどみたいなこと言ったんですよね。
それえらいですね。
単に批評してるだけじゃなくて、
要はアイディアも提示して、かつ自分がやるぞって言ってたっていうね。
それでやってみたらやっぱり大きな反響があって、
そしてその文学フリーマーに出てみて人生変わったっていう人たちが後を引き継いでいくんですよね。
当時大塚さんが群蔵で発表した不良再建としての文学っていう論考があるんですけど、
これ今でも文学フリーマーのホームページに、ちょっとマニフェストじゃないけど掲載されてるんで、
興味のある人はぜひ読んでみてください。
なるほど。
すっかり大規模イベントに育った文学フリーマーなんですけども、
出展する人って今も小説系が多いんですか?
そのあたり変遷があって、
文学フリーマーがスタートした当初は高団社のメフィスト賞の作家たちね、
佐藤智也さんとか西尾維新さんとか前条太郎さんとか、
こういう人たちがイベント引っ張ったんですよね。
小説が中心だったんですけど、その後批評家の東裕樹さんが中心になって、
批評が盛り上がった時期もあったし。
ありましたね、ゼロ年代のね。
そうですね。
ちなみに現在はノンフィクション系が多いそうです。
ノンフィクションつってもルポール・タウンジとかじゃなくて、日記が結構中心なんですけどね。
気が入ってますもんね、最近。
きっかけはコロナ禍だったみたいですね。
外出が制限されて、みんな改めて身の回りを見つめ直したっていう人が多かったみたいですね。
日記のジェンルもね、面白い書き手いろいろいそうです。
そうですね、まさにカニの親子っていう人がいます。
カニの親子。
ちなみにカニの親子さんは文筆家っていう肩書きのほかにダイアリストっていうのをね。
ダイアリスト、メンタリストみたいな。
日記家みたいな。
日記家みたいなことなんですよね。
初めて聞きますけどね。
カニの親子さんみたいな人も出版社が放っておくわけもなくて、
この自主制作版に開発した日記をつけて何になるっていう本が、
かしわ書房から今出てますね。
これもぜひ読んでみてください。
現代の文学プリマの参加者の動機ってどういうものなんですかね。
そうですね。
この文学プリマ物語の中で、
ある参加者がこんなこと言ってるんですよね。
私でいたいんだと。
私でいたいと。
それが創作の原動力になってるっていうようなこと。
だから、自分が自分であるために創作をするんだということですよね。
文章を書くって、自分の中にある言葉を探す作業でもあるから、
それは自分自身を見つめることでもあるんだろうなと思うんですけど。
あともう一個、文学プリマって、文学って付いてますけど、
これってね、あなたの考える文学って意味が込められてるんですって。
え、そうなんですか。
だから文学プリマでは、参加者それぞれが自分の考える文学これだって表現してるんですよ。
だからめちゃめちゃカオスだし、だからこそ面白いんですけどね。
そういう中から、これまでにない新しい文学の形みたいなのが生まれてくる可能性っていうのもありますね。
そうですね。そう考えるとワクワクしますよね。
でもね、文学って表現するだけじゃなくて、
やっぱり一方に受け手がいないと成立しないじゃないですか。
ところが今、こっち読まれなくなってますよね。
それずっと言われてることですよね。
今1ヶ月に一冊も本を読まない人が6割以上と。
そうそうそう。文化庁の調査でね。
時間がかかる読書はやっぱりタイパーが悪い。
タイパー。
ね、いうこともなんかしきりに言われますよね。
ビジネス書とか自己揮発本の中には売れるものもありますけど、
文学はやっぱり特にきついというふうに思いますよね。
ですよね。
じゃあですね、ここからは文学がいかに役に立つかということ。
役に立つんですかね。
私論争したいと思います。
文学不評論みたいな議論って海外にもあって、
それに真っ向から反論した本がですね、
フランスで出版された文学が割に合うっていう本なんですよ。
特別的なタイトルですね。
これ作品社からね、翻訳本出てるんですけど、
著者のアントワーヌ・コンパニョンっていう人。
ソルボンヌとかコレージドフランスで長年文学を教えてきた石学ですけどね、
この本が面白いなんですよ。
あえてね、文学不評論を唱える連中の土俵に上がってみて。
だからその文学が何の役に立つかわからないよっていう声に、
あえて乗っかったってことですね。
そうなんです。
文学フリマのきっかけとなった大塚英二さんの論文が、
不良再建としての文学、今や文学には市場価値がないって見なされてるんじゃないかっていう問題を提起したけど、
まさに市場価値とか生産性の観点から文学の紅葉を論じてるんですよ。
文学には市場価値があるんだ。
この本でコンパニョンはね、文学を読むことで人は利益を得ることができると。
ただし、ただしです。ここポイントなんですけど。
その利子は遅れてやってくるって言ってる。
それ分かりますね。
でもね、遅れてやってくるけど、その代わりその利子デカいって言ってるんですよね。
これなんか投資になぞられるとなんか似てませんか?
長期投資ってことですよね。
だからインデックスファンドとか株式の不動産でも何でもいいんですけど、
長く保有することで利益を得るっていう。
そうですね。
だから自己啓発本なんかやっぱりみんな速攻性求めて手に取ると思うんですよね。
だからすぐにリターンが欲しいっていうね。
これってデトロイトみたいなもんで。
ただしね、利子はその利子すぐ得られるんだけど、速攻性は短いっていうか弱いっていうかね。
だからすぐ役立つ知識ってすぐ陳腐化するじゃないですか。
そうですね。
じゃあ文学から得られる利子って何かってことなんですけど、
このコンパニオンは古いフランスでレトリュールっていう言い方してるんですが、
この本の中では、翻訳では文学的応用力みたいな訳語が当てられてるんですけど、
とにかくこれを身につけてれば、政治でもビンレスでもあらゆる場面で役に立つってコンパニオン言ってるんですけど、
僕は洞察力みたいなニュアンスかなっていうふうに受け取りましたけどね。
人間力みたいなものとも近いんですかね。
そうですね。
ただね、コンパニオンが言う文学的応用力、洞察力、人間力、大切さですけど、
全人類共通みたいな話だと思うんですけど、
僕はですね、文学を最も得意科目としているのは、
実は日本なんじゃないかなと思うんですよね。
え、どういうことでしょう。
思想家の加藤周一に、日本文化史序説という本があります。
これ名著ですけどね。
ちくま学芸文庫に入ってますけど、
この本の中で加藤周一が言ってるんですけど、
西洋でいう哲学、これの役割を日本では文学が担ってきたっていうふうに言ってるんですよ。
大昔から。
そうそう、もうね、それこそ万葉集の昔からずっと。
そこまでさががぶるんですね。
はい。
哲学って言うと、たとえば生きるとは何かとか、正しいとはどういうことかとか、
その物事を抽象的に考えるっていうのが自然なのかなと思うんですけど、
日本は歴史的にそうじゃなかったってこと?
そうそう、哲学みたいな抽象的思考を通すんじゃなくて、
文学作品で描かれるような個別具体的な人々の人生みたいなのを通じて、
生きるとはとかね、正しさとはとか、そういうのを考えてきたって言うんですよね。
ちなみに加藤周一はね、文学のほかに日本では造形芸術が発展したって述べてるんですよ。
この時それと対比されてるのは音楽なんですけどね。
あ、なるほど。だから西洋音楽の音符とか五線譜、これやっぱり抽象的な記憶。
まさにそうですよね。
日本人は歴史的に具体的なものを通して考えるほうが得意っていうことで、
個別具体的なものを通して考えるからこそ、やっぱり式の移り変わりを繊細に捉えたりとか、
気配を察知したりとかね、そういう敏感な感性が生まれたんだと思うんですよね。
確かに。
もちろんね、それが悪く出ちゃうと空気読む同性発作みたいなことになっちゃうんですけど、
でもきめ細かさ、丁寧さ、繊細さみたいなジャンルを日本が得意とするのは文学のおかげだと思うんですよね。
ところがですよ、今世界は結構抽象化の文化が幅を大きかせるほうへ舵を切ってるんですよね。
ここでいう抽象化っていうのはデータとか、最適解とかいう言葉でね。
もう内藤さん何のことか聞いておくと。
AIのことですよね。
そうですね。
今はね、AIなくして仕事も回らないみたいな。
そうそう、僕もね、仕事ではもうAIも必須ですけど、
でもね、やっぱ世界が抽象化の方向に大きく傾きついてるからこそ、
もう片方のね、具体性のほうで日本が強みを持ってるとは結構とんでもないアドバンテージなんじゃないのって思うんですよね。
確かにね、今その振り子が思いっきり片方に触れてるから、
まあね、何らかの形で寄り戻しみたいなのはあるかもしれない。
そうですね。