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2025-11-06 10:50

第2章 身体を愛する①|歴史から読み解く「感じる身体」Ep.85

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今回から第2章「身体」についてのお話です。テーマは歴史から読み解く「感じる身体」。私たちが体をどう見るかという視点は、時代ごとに大きく変化してきました。体は「管理される体」「測られる体」「評価される体」を経て、今、ようやく「感じる体」に立ち戻る時代が来ています。歴史からたどる体の概念の変遷 人類は長い間、体を外側から定義してきました。



1. 古代から中世:魂の入れ物、制御すべきもの 体は魂の入れ物として扱われました。古代ギリシャでは理性によって制御すべきもの、中世のキリスト教では欲望が罪や転落と結びつけられ、体は耐えるものとして道徳の中心に置かれました。体は超越への障害物でもあったのです。



2. 近代:測定・管理・修理できる機械 17世紀のデカルトは心と体は別物とし、この考え方が医学と科学を飛躍させました。体は「測定できる、管理できる、修理できる」対象となり、「よく動く体=優秀な体」という思想は今も私たちの意識に残っています。



3. 20世紀:健康の数値化と圧力 医学や心理学の発展で寿命は伸びましたが、人間は「健康」という新しい理想に縛られ始めます。体重、体脂肪率、睡眠スコアなど、数値化は便利さとともに、基準に届かない自分を責める装置にもなりました。あなたが疲れるのは、この「体の歴史的圧力」を一人で背負っているからです。



🔷安心への回帰:現象学と科学が示す道 疲労や自己否定から脱するための鍵は、体の中にあります。哲学者のフッサールは、世界を「どう見るか」ではなく、「どう感じているか」に注目する現象学を提唱しました。評価を止め、ただ観察することで、体は裁かれる対象ではなく「今を感じる場所」に戻ってきます。メルロ=ポンティは、私たちは体を持っているのではなく「体そのものである」と言い、体は世界との繋がりそのものだとしました。触れることと触れられることは同じ現象の両面であり、触れられるということは安全であるという感覚につながります。



🔷最新の科学も、この直感を裏付けています。

🔹間受容(Interoception):呼吸や胃腸の動きなど、体内の内部感覚を感じ取る力です。これが整うと不安が減り、集中力が上がります。つまり、安心とは体の状態なのです。

🔹神経の安全装置:体が安全だと感じると、副交感神経が働き、声、表情、消化、呼吸が整います。頭で「大丈夫」と唱えていても、体が危険信号を出していれば行動は止まるため、間受容は体の再設定に不可欠です。



👩私は複雑性PTSDと共に過ごしてきた経験から体を理解することに本当の優しさがあると確信しています。安心は意思ではなく生理であり、体を知ることが最も現実的な優しさなのです。



🔶前回のエピソードの振り返り

前回は「なぜ変化は受容からしか始まらないのか」という回でした。結論は、変化は意思ではなく安心の結果であるという点でした。体が「今ここを安全だ」と感じられた時、心は自然に動き出します。

🔶次回予告 次回のテーマは「健康とは何か?心の平和はどこから得られるのか」です。フォローボタンを押してお待ちください!
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【パーソナリティ】

ソフィ(MC・ラジオDJ・ナレーター)

協力:RKB毎日放送株式会社 Podcast Lab. Fukuoka



AUDIO NETWORK LICENCE : 819885
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こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィーです。この時間は、自分と向き合う空間をお届けします。
今日から第2章、身体についてお話ししていきます。初回の今回は、身体とは何かを、歴史から丁寧にたどっていきます。
日々私たちは、身体を使って世界に触れ、世界から触れられています。でも、身体をどう見るかという視点は、時代ごとに大きく変わってきました。
管理される身体、測られる身体、評価される身体、そして今、ようやく感じる身体に立ち戻る時代が来ています。
私がこのテーマを選んだ理由は、身体を整えることよりも身体を理解することに本当の優しさがあると確信しているからです。
さて、いつもの通り前回の振り返りをしてみましょう。コラボレーションの前、なぜ変化は需要からしか始まらないのか、という回です。
結論は明快でした。変化は意思ではなく、安心の結果、頭と心が協調、協力して調和していくことで変化が促されるというお話でした。
つまり、身体が今ここを安全だと感じられた時、心は自然に動き出します。
今日のテーマは、歴史から読み解く感じる身体。
私は生きているほとんどの間を複雑性PTSDと共に過ごしてきました。
その度に、身体にはいろんな機能がついているんだなぁと感心させられました。
それでもやっぱりありがとうという気持ちでいっぱいです。
人類は長い間、身体とは何かを外側から定義してきました。
簡単に3つの時代に分けてみましょう。
ちょっとお勉強っぽいですね。ついてきてますか?
まず初めに、古代から中世、身体は魂の入れ物として扱われていました。
古代ギリシャでは、身体は芸術と競技の象徴でした。
しかし同時に、理性こそが人間を高めるという価値観の下、身体は制御すべきものとも見られていました。
中世のキリスト教思想ではさらに明確になります。
身体は魂を試す舞台。
欲望は罪、快楽は転落と結びつけられ、身体は耐えるものとして道徳の中心に置かれました。
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身体は生きるための基盤ではなく、超越への障害物だったのです。
2つ目、近代です。
17世紀のデカルトは、心と身体は別物と言いました。
考える我と広がる物質、この考え方は医学と科学を飛躍させ、近代的な合理主義を支えます。
身体は測定できる、管理できる、修理できる、
そして工場や軍隊、学校や病院の中で身体は規律の対象となっていました。
よく動く身体、イコール優秀な身体、この思想は私たちの無意識に今も残っていることと思います。
そして最後、3番目。
20世紀になると、医学、栄養学、心理学が急速に発達します。
寿命は伸び、感染症は克服されました。
一方で、人間は健康という新しい理想に縛られ始めます。
体重、体脂肪率、歩数、睡眠スコア、健康の数値化は便利さを生みましたが、同時に基準に届かない自分を責める装置にもなりました。
SNSの登場で、理想の身体はさらに過激化します。
理想の身体はいつも足りないとされ、よくあれという命令の下に消耗されていきます。
あなたが、そして私が疲れるのは怠けではありません。
それは、体の歴史的圧力を一人で背負っているからです。
ここで20世紀の初め、この潮流に意を唱えたのが、哲学者フッサールです。
彼が提唱したのが、幻想学。
難しそうに聞こえますが、要するにこういうことです。
世界をどう見るかではなく、どう感じているかを見つめよう、ということです。
私たちはいつも、正しいか美しいか、他人からどう見えるかという判断の中で体を扱っています。
でも幻想学は、そうした判断を一旦置いておくことを提案しました。
評価を止め、ただ観察する。
私は疲れている、ではなく、私は今、重さを感じている。
私は太った、ではなく、私はこの肌の張りを感じている。
すると、体は裁かれる対象ではなく、今を感じる場所に戻ってきます。
これが、近代の機械としての体から脱する最初の一歩です。
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この流れをさらに深めたのが、幻想学者、メルロ・ポンティー。
彼の考えはこうです。
私たちは体を持っているのではなく、体そのものである。
体は道具ではなく、世界とのつながりそのもの。
手を伸ばして触れるとき、同時に世界もあなたに触れている。
触れることと触れられることは、同じ現象の両面です。
例えば、私がはまっているカルトナージュ。
私が髪を触ると、そのざらつきが私の指に返ってくる。
ここで生まれるのは、単なる物理的接触ではなく、世界と私の相互作用。
つまり体は主観と客観をつなぐ媒介になるのです。
メルロ・ポンティーは言いました。
体は世界への入り口であり、世界が私に現れる場である。
この思想は、感じることそのものを回復します。
科学が示す臓器としての体。
感じる力のメカニズム。
哲学の直感は今、科学によって裏付けられています。
ポイントは三つ。
需要、呼吸、胃腸の動きなど、体の内部感覚を感じ取る力。
これが整うと不安が減り、集中力が上がる。
つまり、安心とは体の状態だということです。
安全だと体が感じると、複交感神経が働き、声、表情、消化、呼吸が整う。
頭で大丈夫と唱えていても、体が危険信号を出していれば行動は止まります。
だから、需要は体の再設定なのです。
脳は常に次に起こることを予測しており、触覚の一定のリズムが安心を作ります。
赤ちゃんの寝かしつけでトントントンと背中をトントンすることありませんか?
あるいは髪を撫でたり、このリズムこそが世界との調和を取り戻す感覚的な儀式なのです。
私はカルトナージュという、髪と布を使ったクラフトワークが大好きです。
髪を切り、糊を塗り、折り曲げて撫でる。
その時思考は止まり、感覚だけが動いています。
髪の繊維が指に返してくる抵抗、布の柔らかさ。
言うなれば、幼子を抱きしめている時、抱きしめられているのは自分なんだと感じた時と同じです。
触れているようで、触れられている。
そして私が気づいたのは、触れられるということは安全であるということ。
この感覚の中で、私はようやく世界と再び繋がっていると感じることができました。
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意外ですが、体を知ることは優しさの確信だと思います。
振り返ると、体の歴史は管理から始まり、受け取る力へとたどり着きました。
現象学は、体を再び私自身の入り口として取り戻す哲学でした。
科学も同じ方向を示しています。
安心は意思ではなく生理。
つまり、体を知ることが最も現実的な優しさなのです。
次回のテーマは、健康とは何か。心の平和はどこから得られるのかです。
ここまでのお相手はソフィーでした。またね。
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