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2025-11-03 11:19

第1章 自分を知る旅③|理想と現実のあわい Ep.82

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「こうであったらいいのに、なんで自分はこうなんだろう」。理想と現実のギャップに立ち止まり、心の中でそんなつぶやきが離れない瞬間はありませんか?

このエピソードでは、自分を生きる上での分岐点ともなる「理想と現実のギャップ」をどう扱うかを探ります。パーソナリティのソフィー自身が数ヶ月で経験した急激な体型の変化と、それに伴う喪失感と向き合う中で見つけた自己需要のプロセスについて、赤裸々に語ります。



理想像の喪失と現実:突然の体型の変化に直面し、鏡に映る自分を他人事のように感じていたソフィー。なぜこんなに変わってしまったのだろうという悲しみ。


スーパーモデルからの教え:泣きながらジョギングを終えた朝に遭遇したスーパーモデルからの予想外のアドバイス。「その体型がパーフェクトだから自信があるのではない。日々の積み重ねをしているから本当の輝きや自信が出てくる」という自己肯定感のヒント。


体からのサイン:太ったことは怠けではなく、心身が限界を迎えていた時に安全を最優先にするための「守りの選択」だった可能性。


理性的自己需要:「自由とは、好き勝手にすることではなく、自分で自分に法を与えること」。体を罰しない、変化を悪としない自分を責めないためのルール(理性的自己需要)について。


破壊と創造のエネルギー:ありがとうと悲しいが同時に存在する切なさこそが、理想と現実の「あわい」。この変化は終わりではなく、古い価値を壊し新しい秩序を作るための再構築(生成)のサインです。


「逃げ」ではない休息:人から距離を取ることは、自己を再構築するための静かな隔離であり、防衛だった。心に骨折した時、無理に走らないのと同じように、自分を取り戻すための準備として停滞設計の時間を大切にすること。


戦いから協調へ:理性と体が敵ではなく、お互いを共犯者として見始めた瞬間。理想と現実に悩むあなたへ、「悲しみは再構築のエネルギー」というメッセージを贈ります。


次回は自己需要の後に生まれる行動に焦点を当て、ソフィーがどうやって少しずつ動き出せたのかを具体的にお話しします。

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【パーソナリティ】

ソフィ(MC・ラジオDJ・ナレーター)

協力:RKB毎日放送株式会社 Podcast Lab. Fukuoka



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こんばんは。そして、お目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィです。
この時間は、自分と向き合う空間をお届けします。
皆さんは、理想と現実の間で立ち止まったことありますか?
こうであったらいいのに、なんで自分はこうなんだろう?
そんなつぶやきが、心のどこかに座って離れない瞬間。
今日は、そのあわいに目を向けてみたいと思います。
私自身、こうであったらいいのにが、なかなか手放せなくって、
今日は補助船に、カント先生を召喚しました。
理想と現実のあわいで、私たちはどう生きていけるのかを探ります。
さて、今回のテーマ、理想と現実のあわいの前にですね、
前回の振り返りをしてみたいと思います。
前回は、自分の価値観を見つける冒険というテーマで、
嫌だなぁという感覚を包囲自身にして、自分の軸を見つけるお話をしました。
自分の嫌だが示す方向に、価値観の原型があるという考え方です。
今日のテーマ、理想と現実のあわいは、その延長線上にあります。
自分の価値観を知ると、次にぶつかるのが、理想と現実のギャップ。
ここをどう扱うかが、自分を生きる上での分岐点になるのではないでしょうか。
実は私、数ヶ月で急に体型が変わってしまいまして、
本当に恥ずかしいんですけど、スリーサイズほど急に太ってしまったんですよね。
持っている服がほとんど合わなくなって、鏡に映る自分を見ても、どこか他人のように感じていました。
本当にもう悲しくて悲しくて、どうしてこんなに変わってしまったんだろうっていう、
もともと別にそんなに良かったわけではないんですけども、
元の私、前の私はもういなくなってしまったっていう喪失感でいっぱいになっていました。
そしてある朝、泣きながら朝のジョギングを終えて帰ろうとしていた時に、
皆さんもよくご存知のスーパーモデルの方とすれ違いまして、
ああって思ったんですけど、そのまま足を止めずに歩んで家路に着こうとしていました。
でもやっぱり、やっぱりキビスを返してその方まで走り寄ったんですよね。
泣きじゃくってる顔で、もうぐちゃぐちゃだったんですけど、
私はとても今の体が嫌だと、受け入れられない、そういったことはありましたかっていうふうに聞いたんですね。
そしたらもう小学生の時からこの身長で、そういう時もありましたと。
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でももし私が、自分がね、ソフィーさんの立場だったらこんなふうにするっていうアドバイスをしてくださって、
でも現実、自分はこうどうしたじゃないですかってすれ違って、
一度は通り過ぎてしまったけども、やっぱりキビスを返してその行動に出たと。
そしてあなたは今朝ね、ジョギングかウォーキングかなさったでしょって。
自分だったらその自分をすごく褒めるわと。
そしてその体型がパーフェクトだから自信があるんじゃなくって、そういった日々の積み重ねをしているから、
本当の輝きや自信が出てくるものじゃないのっていうふうに言われたんですよね。
そしてその方はこう言いました。
まずはその気持ちをしっかりと受け止めることが大切なんじゃないかしらって。
では次回のテーマにもつながっていきます。
自己需要のお話です。
なんか泣きながら体のことを考えていたら目の前に天使が現れたみたいで、
本当に神の計らいとその方に深くお礼を申し上げたんですけれども、
なんかその後少し落ち着いて考えてみたんです。
この体は私を守ってくれているんじゃないかなって。
心が限界を迎えていたとき、体はちゃんとサインを出してくれていたんですね。
エネルギーを溜め込んで動きを止めて、今は安全を最優先にしようっていうふうに。
つまり太ったことは怠けではなくて、生の選択だったのかもしれません。
カントはこう言っています。
自由とは好き勝手にすることではなく、自分で自分に法を与えることだと。
この法を私は自分を責めないためのルールとして書き換える必要があったんですね。
体を罰しない。変化を悪としない。守ってくれた自分自身を見捨てない。
これを理性的な自己需要と呼べるのかもしれません。
でも正直に言うと、もうとっても悲しいです。
守ってくれたこととはわかっていても、前の自分の形が恋しくてというか、
慣れていたものなので急激な変化はとてもストレスになりました。
ありがとうと言いながら涙が出てくる。
切なさもあって悲しくて悲しくて仕方がない。
このありがとうと悲しいが同時に存在する間、ここが理想と現実の淡いです。
理想を手放すことと現実を受け入れることは同じ瞬間にはできない。
理性が理解していても感情が追いつかない。
そこに時間差としての悲しみが生まれる。
この状態をニーチェは別の角度から説明しています。
彼はこんな風に言いました。
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性の力があふれる時、古い価値は壊れる。
つまり、体が変わるというのは、性の力が古い私の理想像を壊して新しい秩序を作ろうとしているサインだと。
だからこの変化は終わりではなく生成。
悲しみは性がまだ私を手放していない証拠だというんです。
まさに破壊と創造、そんな印象を抱きました。
もしかしたら、私は人と会えない、外に出たくないと感じているのも、
この体が悲しいなって思うのも、逃げではなく自己を再構築する西洋気だったんだと受け止めるようにしています。
とはいえ揺らぎがあって、そう思える時と、悲しくて泣きじゃくってしまって、やっぱり会いたくないって思う時と、
本当に揺れて一心一体を繰り返しているみたいな、
三歩進んで二歩下がるような、そしてまた一歩進むような、そんな感じでおります。
やっぱり怖いですよね。他人の目に触れるというのは、いくらあなたのことなんか気にしてないよと言われたとしても、
自分のまだ固まっていない自己像を外の世界に晒すということですので、
人は裸では生きれませんから、理性と体がまだ話し合いの途中なら、一時的に距離を取るのは、ちゃんと理にかなった判断なんじゃないかなというふうに思います。
はじめは自己需要できていないから人と会えないんだというふうに思っていましたが、今は違います。
それは防衛だったんですよね。だから外に出なかったのは逃げじゃなくって、再構築を守るための静かな隔離だった。
私の理性がちゃんとブレーキをかけてくれていたという証拠ですね。
今まさに、理性と体が、あと気持ちが、もう一度チームを組み直している最中なんですよ。
だからよく言うんですけどね、骨折した後無理に走らないのと同じで、心の骨もくっつくまでには静養が必要だということです。
外に出ない時間、泣くだけの日々、それも全部自己需要のプロセス。これは停滞じゃなくて再設計です。
こうしてこの自分に優しくするラジオを組み直している中で、少しずつ変化を受け入れられるようになってきた時、私は前の私にこう言いました。
あなたはあの時私を守ってくれた。ありがとう、もう休んでいいよっていう風に。
その瞬間、ちょっと体の重さというか心の重さが少しふわっと軽くなったような気がしました。
多分、理性と体がようやく同じ方向を向き始めた瞬間だと思います。
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理性はもう体を敵とは見なしていない。体はもう理性を裁くものとは見ていない。お互いを共犯者として見始めているんですよね。
それが次回のテーマ、自己需要の確信です。戦いではなく協調、協力して調和する。
今日のテーマは、自分を知るたび第3弾、理想と現実の淡いでした。
もし今あなたも理想と現実の間で立ち止まっているなら、どうか焦らないでください。
悲しみは再構築のエネルギー、体の変化は守りのサイン、そして立ち止まることは逃げではなく自分を取り戻す準備でした。
理性も感情も体も全部あなたの味方です。
次回は自己需要の後に生まれる行動について、動けなかった私がどうやって少しずつ動き出せたのかお話しします。
またね。
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