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私たちが選ぶすべての瞬間、愛や恐怖。このプログラムは、自分にやさしくするラジオと呼ばれます。
快適な心配や借りる智慧はありません。それは明確さ、耐性、そして愛を選択する智慧についてです。
私はソフィーです。毎週、私は心臓のような良いトレーニング筋肉を構築するために、反応、ストーリー、そして練習を共有します。
強くてもフレキシブルな。私と一緒にいてください。自分と優しく聴いてください。
このプログラムは、次のステージの女性にお送りします。
こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィーです。
今回は、前回告知した通り、YOUR VOICE, YOUR JOURNEYということでゲストをお迎えする予定でおりましたが、
機材トラブルが発生し、ちょっと音質が良くないのでリテイクすることにいたしました。
お楽しみに。ちゃんと放送しますのでお待ちください。
そしてぽっかり空いてしまった今日の収録。もう24時を過ぎてしまいそうですが、ギリギリ間に合いそう。
ちょっとつらつらと自分の気持ちを台本無しでお話ししようと思います。どうぞ最後までお付き合いください。
今回は、これまで自分を知る旅ということで、全4回やってきましたが、私自身が経験しているPTSDの
帰り性憲法や帰りですとか、その体の反応を見つめながら、それをどう扱っていけるかっていうことを考える回にしたいなと思います。
そしてそれがね、実は次回の章、第2章、体を知る旅のブリッジになります。
ちょっと私の話をさせてください。私はPTSDに由来する帰り症状が結構強く出てしまうんですね。
ときにシャットダウンのように、もう気が抜けたように眠ってしまうことがあるんですよ。
で、そのトリガーって何なんだろうっていうふうに自分で考えてみたら、結構理不尽な暴力であることに気がつきました。
すごいストレスっていうことですよね。その理不尽な暴力が。これは言葉であっても行動であっても、急激なストレス対応を引き起こすんだなということが分かりました。
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で、その反応の間に注目してみたんですね。
まあ、夜間を触ったときにアチッて反応するじゃないですか。考える間もなく。そんなような感じで私は反応してしまってるんですけども。
でも、その反応の前に訪れる微細な感覚の間に意識を向けることで何かキーがあるのではないかなっていうふうに今日考えてたんですよ。
なんかどうやら自分の反応は感情ではなくて、感情は本当結構メンタル安定してる方だと思うんですよね。怒ったりもしないし、よく洗ったりはしますけど、あと泣いたりはしますけど。
そう、喜怒哀楽は豊かな方かなと思うけど、それが病的なほど生活が困難になるほど情緒が安定してないってことはなくて。
自分のその反応パターンを分析する中でね、その理不尽な怒りに強く反応が出てしまう恐怖を覚えてしまうっていう自分を発見したんですよ。
それは過去の経験、たぶんその理不尽な暴力に対する恐怖と結びついて、好感度に反応してしまうんだろうなというふうに思っているんですよね。
その理不尽な暴力ってどんなものかなって思うと、例えばべき論ですとか、
あまりにも多様する人、べきを人に向かってね、そうする人は評価体質だなっていうことが、そういう傾向があるなっていうことを自分で認識していると、あらかじめリスクを避けることができるんですね。
あるいは責任転換に対して好感度に反応するんですよ。
何かそのべきっていうものを自分に向けられた場合、硬直してフリーズ状態になってしまったりとかね、それが理不尽な場合だったり、
あとは人間関係における理不尽な違和感の気づきがありまして、他人を気遣うように見せて、実は自分の利益を優先している人っていうのがいるなっていうのを、
洞察っていうか直感でわかるっていうか感じるようになったんですよね。数々の経験がそうさせたんだと思うんですけど、言語的な特徴とすれば先ほどのすべきっていう基本的な言葉を対応する方であるとか、
例えば主語をみんなにして、みんなという実態のないものにして、圧力をかけたり排除したりするっていうこととか、
すべての人に当てはまるわけではないんですが、傾向として観察されるなっていう実感があります。
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私、昔から言ってることとやってることが違う人とか、なんとなく優しそうに振る舞ってるけど違和感がある人っていうのに、すごく敏感に反応するんですよね。
何かね、察知するの。なんでこんなに気になるのかなってずっと思ってたんだけど、多分私は秩序とか矛盾とかに対してすごく敏感になるようになったんですよね。
自分を守るためにね、防衛本能として、人が自分に嘘をついている時よりも自分自身に嘘をついている時の違和感みたいなものが、空気の揺らぎみたいに伝わってくるんですね。
最近気づいたのが、偽善的に見えるけど、実は自己優先がベースにある言動って割とパターン化できるんじゃないかなということですよね。
例えば、ちょっと心理学ベースなんですけど、心理学でいうところのナルシズム的防衛とか自己愛的操作っていう概念があるんですね。
これは相手のためと言いながら、実は自分の価値やコントロール欲を満たすために動いているっていうパターンなんですね。
よくあるじゃないですか。あなたのために言ってるのよっていうセリフ。でもその裏には、私は正しいという道徳的優先感だったりね、みんなのためを持って言ってるんだよって言っても、
実は根底にあるのは、自分の欲を満たしたいっていうことだったりとか、あなたに感謝されたいっていう自己価値の補点が隠れたりしている場合があるそうです。
私はそういう言葉の使い方とか主語の持ち方から何となく違和感を察知するみたいで、べっきーとかみんなのためとかみんながそう言ってるとか、みんなってその実態のないものを持ち出してくる。
私たちってこうだよねみたいな表現を使う人にちょっとした警戒心を持つことがありますね。
なんか排除とか対立とか、そういうのを煽るんじゃないかと思って、警戒して怖くなったりするんですね。
だからなんか自分のこの敏感さをただの傷としてじゃなくて、洞察力として磨かれた一部なんだなって最近ようやく思えるようになってきました。
第1章、4回にわたってお届けしてまいりました。自分を知る旅。いかがでしたでしょうか?一緒に旅してくれましたか?
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この自分を知る旅って、こういう違和感の正体に名前をつけていくことでもあるのかもしれません。
言葉にすることで、それがただのトラウマ反応じゃなくて、自分なりの認知とか視点とか、特技かもしれないし、社会の中に立ち上がっていく、役に立つものになるかもしれませんね。
この後は第2章、「体を愛する」につながっていきます。結構全8回でボリュームがあるんですけども、ぜひ楽しみながら聴いていただけたらと思います。
またね。