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2025-11-13 08:23

第2章 身体を愛する⑧|症状は人格ではない:反応より広い私たちEp.92

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今回のエピソードは、生きづらさや自己否定に悩む全ての方へ贈る、メンタルヘルスと自己肯定感を深めるための重要なテーマです。テーマは「症状は人格ではない」。

私たちは日常の中で、体や心の反応(例:忘れっぽい、緊張しやすい、感情的)を、その人の性格や人格だと決めつけてしまいがちですが、それは本当に正しいのでしょうか?なぜ「症状」と「人格」を分けるべきなのか私自身が長年向き合ってきた複雑性PTSDや解離性といったトラウマ反応を例に、症状の真の役割を解説します。これらの心身の反応は、怠けや性格的な欠陥などではありません。脳と神経の最新の知見によれば、パニックや強いストレス後の記憶の抜け落ちといった症状は、私たちを危険から守るための自動防御システムが働いている状態です。扁桃体という危険センサーが過去の記憶と似た刺激を受け取ると、脳は「また危ない」と判断し、生存のために感覚や記憶の回路をシャットダウンさせます。つまり、症状は意識的な意図や行動ではなく、神経の防御反応なのです。自己否定からの脱却と「反応より広い私たち」もし症状を性格として扱ってしまうと、「直すべき自分」「壊れた自分」という自己否定のループが始まってしまいます。しかし、症状を「壊れ」ではなく「守り」として理解し直すことで、私たちは自分を責めることをやめられます。人格とは、泣くこと自体といった体の反応を、「私はこの瞬間、何かを大切に思っている」とどう意味づけ、どう扱うかを選ぶ力のことです。哲学者のメルロ=ポンティが言うように「私たちは体を持っているのではなく、体で生きている」 のです。この哲学的な視点を通じ、自分自身の心と体が示す「語らない知性(ソマエステティクス)」 を受け入れ、自分に優しくする方法を学びましょう。具体的な実践として、自分の反応を防御の仕組みとして捉え直し、体へ「ありがとう」と感謝を伝える小さな方法もご紹介しています。



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サマリー

このエピソードでは、症状と人格を分けて考える重要性について議論されています。特に、身体の反応を性格と混同せず、自分自身を優しく見つめ直すアプローチが紹介されています。

症状と人格の理解
こんばんは、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィです。今日はとても大事な話をします。
テーマは、症状は人格ではない。少し難しそうに聞こえるかもしれませんが、これは日常の中でも誰もが関わるテーマです。
例えば、バスレっぽい人にだらしないねと言ったり、緊張しやすい人を気が弱いと決めつけたり、
そうやって、身体や心の反応をその人の性格と混ぜてしまうことが、私たちの社会にはよくあります。
でも本当は、それはその人自身ではありません。 今日は、症状と人格を分けて考えることで、自分や誰かを少しでも優しく見つめ直せるように考えていきたいと思います。
前回は、ソマエステティクス、語らない言葉と感じる知性について話しました。
身体は言葉を持たないけれど、ちゃんと私たちに何かを伝えてくれている。 その語らない知性を受け取ることが、自分を大切に扱う第一歩だというお話をしましたね。
今日は、その延長線上にあります。 身体が示す反応、つまり症状と私たちが持っている人格をどう分けて考えるか、
そのことを一緒に整理していきましょう。 前回もお話ししましたが、私は長年、複雑性PTSDと共に生きています。
その中でも強く出るのが、帰り性健忘という症状です。 強いストレスや緊張の後、その時間の記憶がごっそり抜け落ちていることがあります。
例えば、誰かと大事な話をしていたのに、その内容を全く覚えていない。 さっきまでいた場所を思い出せない。
まるで時間が飛んでいるような感覚です。 というか、忘れていることを忘れているので驚かれます。
正直、怖い人もいるかもしれませんね。 そして、理解されないことが一番辛いです。
また忘れたの?ちゃんとしてよ!とか、 そんな風に言われると、ああ、なんて自分はダメなんだと責めてしまいます。
でも学びの中で気づきました。 これは怠けでも性格でもありません。
体が私を守ってくれている。 感じることが危険だと判断した時、脳が感覚と記憶を一時停止することで、私を生かしてくれていたんです。
症状は人格ではない。 人格はどう向き合うかを選べる力。
自分のことですので気になって調べたんですけども、 トラウマ反応やパニックは脳と神経の自動防御システムが働いている状態だそうです。
変動体という危険センサーが過去の記憶と似た刺激を受けると、脳はまた危ないと判断し、 記憶・感覚・思考の回路をシャットダウンします。
この反応は意志では止められません。 つまり症状は意識ではなく神経の反応。
意図的な行動ではないのです。 でも私たちはついそれを性格と混ぜてしまう。
落ち着きがない。感情的。怠け者。 けれどその反応は命を守るためのシステムなんです。
哲学者メルロポンティは、 私たちは体を持っているのではなく体で生きていると言いました。
この言葉は簡単なようでとても深いです。 体は世界と出会う入り口です。
でも体が感じたことにどう意味を与えるか、それが人格の働きです。 涙が出ること自体は体の反応。
でも悲しいだけでなく、私はこの瞬間何かを大切に思っていると気づいた時、 そこに人格が立ち上ります。
人格とは反応をどう扱うかを選ぶ力。 社会は時に症状を道徳や責任と結びつけて語ります。
もっと頑張りなさい。気持ちの問題だ。 性格のせい。
でもそれは違います。 症状を性格として扱うと、直すべき自分、欠けた自分という自己否定が始まります。
実際には症状は壊れではなく守り、 人格はその守りを理解し整える力であってほしいと思います。
ここでいくつか問いかけてみますね。
1.あなたは自分のどんな反応を性格だと思い込んでいますか?
2.誰かの反応をその人の性格と決めつけていませんか?
3.もし体の声を人格ではなく防御の仕組みとして見られたら何が変わるでしょうか?
人格はどんな言葉で自分を語るかで形作られます。 出来事に対する反応を選べるのが人格。
例えば小さな実践として、今日自分の反応を一つ書いてみるのはいかがでしょうか。
例えば、今日は人混みで息苦しかったとか、 それを人格ではなく体の防御として書き直す、
体が安全を確かめようとしていたと捉えることもできますよね。 そして最後に一言、ありがとう守ってくれて、
っていうのはいかがでしょうか。 体を通じて自分と仲良くなれますね。
今日のテーマは、症状は人格ではないでした。
身体の反応への気づき
症状は性格だと思っていた私は、自分のことを責めて、責めて、責めて、全く自分に優しくありませんでした。
あなたの反応はあなたのすべてではありません。 そして体は壊れてはいません。
ただ守ってくれているのです。 私たちは反応より広い存在です。
その広さにもう一度信頼を置いてみましょう。 それではまたね。
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