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今晩は、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィです。
この時間は、自分に向き合うための静かな場所、私たちが誰かになるためではなく、既にここにある私を感じるための空間です。
さて、今日のテーマは、健康とは、ここにある私を感じるための空間です。
さて、今日のテーマは、健康とは心の平和である。私たちは健康になるためにたくさんのことをするように教えられてきました。
食事、運動、早寝、努力。でも、本当に健康はルーイングするの結果なのでしょうか?
そういうこともあるとは思うんですよ、一部。でも、もしかすると健康とは、ビーイング、あるの静けさに宿るのかもしれません。
ウェルビーイングなんていう言葉、よく聞きますよね。
ちょっと私の話をさせてください。私は長年、小児眼の子供たちのために作られたボランティアセンターの日本支部のファシリテーターをしています。
もともと小児眼の子供たちのために作られたんですけど、今は誰でも参加することができます。
さて、その小児眼の子供たち、彼らの時間は常に限られていると言われています。
でも、ふと思ったんですよね。限られているのは時間ではなく、私たちの味方、ビューポイントの方だと。
重量でたとえ動けない日があっても、点滴のチューブがつながれていても、ふとした瞬間に笑う、目を輝かせ歌を口ずさみ、まるで今を丸ごと抱きしめているように生きています。
その笑顔を見たとき、私は確信しました。たとえ病気の中でも、人は幸せを感じることができると。
健康って何でしょう?体が痛くないことでしょうか?検査の数値が正常なことでしょうか?それとも社会的に元気に見えることでしょうか?
私たちはいつの間にか、健康イコール欠けてないことだと信じるようになりました。
でも今、問いかけてみましょう。私たちは痛みがないときだけ生きているのでしょうか?
体が完全でなければ人生は不完全なのでしょうか?心がざわついているとき私たちは不健康なのでしょうか?
その定義の中に私たちの生きるという現実は収まりません。なぜなら私たちは完璧ではない存在だからです。
痛みや不安を抱えながらも誰かに笑いかけ、誰かの声に救われる。健康とは完全であることではなく、不完全のままでも調和していられること。心が平和であるということです。
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子どもたちは私たちに幸せの原型を見せてくれます。彼らが笑うのは痛みが消えた瞬間ではありません。誰かが一緒にいようと言ってくれた瞬間です。
その笑顔は結果ではなく関係から生まれているようです。健康も同じではないでしょうか?健康は誰かとの関係の中で育ちます。
あなたがここにいてくれて嬉しい。今のあなたで大丈夫だよ。十分だよ。焦らなくていいよ。ここにいることがもうすでに素晴らしいことだよ。
この言葉たちが心に安全という空間を作る。その時私たちの体はほっとして呼吸を取り戻します。健康とは心が安らげる関係の形なんじゃないかなって思います。
私たちはよく自分の体と戦っています。もっと動けるように、もっと痩せなきゃこの痛みをなくしたい。けれど子供たちは戦いません。彼らは体と共に生きています。
痛みがある日もそれを否定せず、今日はこの体と一緒にいるという態度で過ごしています。きっとそれは意識していないことでしょう。
今問いかけます。私たちは自分の体を敵にしていないでしょうか。これは自分にはずっしりくる質問ですね。
治さなきゃ、変えなきゃと言い続けていないでしょうか。もし体を仲間として扱ったら何が変わるでしょうか。
健康とは体と和解している状態、どんな状態の体も今生きていると信頼できること。そこに心の平和が戻ってくるのではないでしょうか。
ここでもう一度思い出したいことがあります。私たちは病気でも幸せを感じることができる。
なぜなら幸せは痛みがないことではなく、痛みの中にも意味を見出せる力だからです。苦しい時間の中にも愛がある。恐れの中にも寄り添いがある。限られた時間の中にも笑いがある。
私たちは健康になってから幸せになるのではなく、たった今幸せを感じられるから心が健康になる。
私たちは長い間、もっとできるように、もっとモテるように、もっと成し遂げられるようにという生き方をしてきました。でも健康も幸せもそこにはありません。
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健康とはB、ただあること。何かを成し遂げなくても、何かを証明しなくても、今ここにいる私たちを祝福すること。それが私たちの生き方の中心にある温かい心なのではないでしょうか。またね。