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2025-11-07 07:36

第2章 身体を愛する②|DOでもHAVEでもCANでもないBEのわたしたちを祝福しよ!Ep.86

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【今日のテーマ】健康とは心の平和である



長年、私たちは健康になるために、食事、運動、早寝といった「Doing(行動)」を積み重ね、努力をしなければならないと教えられてきました。しかし、本当に健康はDoingの結果なのでしょうか? 今回の放送では、「ウェルビーイング」 の本質に立ち返り、健康とはBEing(ある)の静けさに宿るのかもしれないという視点を探ります。健康とは、検査の数値が正常なことや、体が痛くないことだけを指すのではありません。私たちはいつの間にか、健康イコール欠けてないこと だと信じるようになりましたが、その定義の中に、痛みや不安を抱えながら生きるという私たちの現実(不完全な存在であること)は収まりきりません。このエピソードでは、私が長年関わってきた、病気の子供たちのためのボランティアセンターでの経験から得た確信を共有します:たとえ病気の中でも、人は幸せを感じることができる。彼らの笑顔は、痛みが消えた瞬間ではなく、「誰かが一緒にいようと言ってくれた関係」から生まれています。健康とは、完全であることではなく、不完全なままでも調和していられること。つまり、心が平和であること、そして心が安らげる関係の形 なのかもしれません。私たちはよく、自分の体と戦っています。「もっと動けるように」「この痛みをなくしたい」と、体を敵にしていないでしょうか? 健康とは、体と和解し、どんな状態の体も「今生きている」と信頼できる状態です。幸せは痛みがないことではなく、苦しい時間の中にも意味を見い出せる力 だからです。健康も幸せも、「もっとできるように、もっと持てるように」という生き方の中にはありません。健康とはBE(ただあること)。何かを成し遂げなくても、今ここにいる私たちを祝福することが、私たちの生き方の中心にある温かい心です。「今、この瞬間から幸せを感じられるから心が健康になる」
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【パーソナリティ】

ソフィ(MC・ラジオDJ・ナレーター)

協力:RKB毎日放送株式会社 Podcast Lab. Fukuoka



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不安や恐れから解放されて平和を感じたい。自分を好きになりたい。傷ついたと感じている自分を癒したい。家族、社会、そして最も大切な自分との人間関係を安らぎのあるものにしたい。しなやかな筋肉のようなこころを目指し自分にやさしくする練習をリスナーと共に声で綴ります。 

毎日夜配信自分にやさしくするラジオ



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今晩は、そしてお目覚めの方はおはようございます。自分に優しくするラジオ、ソフィです。
この時間は、自分に向き合うための静かな場所、私たちが誰かになるためではなく、既にここにある私を感じるための空間です。
さて、今日のテーマは、健康とは、ここにある私を感じるための空間です。
さて、今日のテーマは、健康とは心の平和である。私たちは健康になるためにたくさんのことをするように教えられてきました。
食事、運動、早寝、努力。でも、本当に健康はルーイングするの結果なのでしょうか?
そういうこともあるとは思うんですよ、一部。でも、もしかすると健康とは、ビーイング、あるの静けさに宿るのかもしれません。
ウェルビーイングなんていう言葉、よく聞きますよね。
ちょっと私の話をさせてください。私は長年、小児眼の子供たちのために作られたボランティアセンターの日本支部のファシリテーターをしています。
もともと小児眼の子供たちのために作られたんですけど、今は誰でも参加することができます。
さて、その小児眼の子供たち、彼らの時間は常に限られていると言われています。
でも、ふと思ったんですよね。限られているのは時間ではなく、私たちの味方、ビューポイントの方だと。
重量でたとえ動けない日があっても、点滴のチューブがつながれていても、ふとした瞬間に笑う、目を輝かせ歌を口ずさみ、まるで今を丸ごと抱きしめているように生きています。
その笑顔を見たとき、私は確信しました。たとえ病気の中でも、人は幸せを感じることができると。
健康って何でしょう?体が痛くないことでしょうか?検査の数値が正常なことでしょうか?それとも社会的に元気に見えることでしょうか?
私たちはいつの間にか、健康イコール欠けてないことだと信じるようになりました。
でも今、問いかけてみましょう。私たちは痛みがないときだけ生きているのでしょうか?
体が完全でなければ人生は不完全なのでしょうか?心がざわついているとき私たちは不健康なのでしょうか?
その定義の中に私たちの生きるという現実は収まりません。なぜなら私たちは完璧ではない存在だからです。
痛みや不安を抱えながらも誰かに笑いかけ、誰かの声に救われる。健康とは完全であることではなく、不完全のままでも調和していられること。心が平和であるということです。
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子どもたちは私たちに幸せの原型を見せてくれます。彼らが笑うのは痛みが消えた瞬間ではありません。誰かが一緒にいようと言ってくれた瞬間です。
その笑顔は結果ではなく関係から生まれているようです。健康も同じではないでしょうか?健康は誰かとの関係の中で育ちます。
あなたがここにいてくれて嬉しい。今のあなたで大丈夫だよ。十分だよ。焦らなくていいよ。ここにいることがもうすでに素晴らしいことだよ。
この言葉たちが心に安全という空間を作る。その時私たちの体はほっとして呼吸を取り戻します。健康とは心が安らげる関係の形なんじゃないかなって思います。
私たちはよく自分の体と戦っています。もっと動けるように、もっと痩せなきゃこの痛みをなくしたい。けれど子供たちは戦いません。彼らは体と共に生きています。
痛みがある日もそれを否定せず、今日はこの体と一緒にいるという態度で過ごしています。きっとそれは意識していないことでしょう。
今問いかけます。私たちは自分の体を敵にしていないでしょうか。これは自分にはずっしりくる質問ですね。
治さなきゃ、変えなきゃと言い続けていないでしょうか。もし体を仲間として扱ったら何が変わるでしょうか。
健康とは体と和解している状態、どんな状態の体も今生きていると信頼できること。そこに心の平和が戻ってくるのではないでしょうか。
ここでもう一度思い出したいことがあります。私たちは病気でも幸せを感じることができる。
なぜなら幸せは痛みがないことではなく、痛みの中にも意味を見出せる力だからです。苦しい時間の中にも愛がある。恐れの中にも寄り添いがある。限られた時間の中にも笑いがある。
私たちは健康になってから幸せになるのではなく、たった今幸せを感じられるから心が健康になる。
私たちは長い間、もっとできるように、もっとモテるように、もっと成し遂げられるようにという生き方をしてきました。でも健康も幸せもそこにはありません。
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健康とはB、ただあること。何かを成し遂げなくても、何かを証明しなくても、今ここにいる私たちを祝福すること。それが私たちの生き方の中心にある温かい心なのではないでしょうか。またね。
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