ミャンマーでの出家修行と瞑想の始まり
自分に優しくするラジオ、ソフィです。
この番組は、様々な分野で今を生きる方たちにインタビューをし、たくさんの選択肢があることを知り、正解のない人生をどのように楽しむか、インスピレーションを得るきっかけになればいいなと思い始めました。
ひとりひとりが輝ける世界へ。
今回は、ミャンマーの森林僧院で3年間出家修行をなさり、元僧侶でもあります、瞑想指導者の津中和哲郎さんにお越しいただきました。
哲郎さん、よろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
なんか、やっとお話できましたね。
はい。
いつもXなどでは、あとノートでの活動を拝見しているんですけれども。
おそらく、このラジオを聞きの方には馴染みのない肩書きと言いましょうか、元僧侶ということでいらっしゃいますよね。
はい。
ドラクエでしか見たことがなかったので。
どんな暮らしぶりだったのかお聞きしてもいいですか。
ミャンマーの僧院は、結構ある意味誰でも出家ができるんですね。
そういう意味ですごい開かれていて、なので特別な何か条件を満たしたら出家するとか、出家したらこうしなきゃいけないっていうのがあんまりなくて、結構自由に入って好きなだけ修行をして。
ミャンマーの人は一回出家をしたら、基本的には一生出家をするっていうものなんですけど、そうではなくて一時的な出家も認められているような、そんな環境がミャンマーの僧院の状況なんですね。
そこで3年間修行されたということですが、修行イコール厳しいものっていうふうに考えてしまっていて、何かおつらくはなかったのかなって思うんですが、いかがでしたか。
その辛さっていうのが、例えば規律がすごくあって、厳しいことをしなきゃいけないっていう辛さよりも、全部自分の責任で、迷走以外にすることがないっていう、それが辛いと感じるかどうかっていうところだと思います。
ひたすら迷走するんですか。
そうですね。基本的には特に義務はないので、ずっと迷走しててもいいし、それができないときにはその辺を掃除したり、サムをしたりっていうのはあるんですけど、基本的には常に迷走している、そのための環境ですね。
だからそういうことを行いすぎてると、そういうことはいいから修行してくださいって言われるような。
え?修行って何ですか?
修行っていうか、瞑想ですね。
イメージでは、早朝起きて、お掃除をしてっていうイメージがあるんですけど、
確かに朝は4時から起きて、1時間瞑想して、その後にチャンティングっていう栄章をみんなでお経を唱えて、その後に掃除もありますね。
なので一応、ごく少数のそういうものはあるんですけど、ただ、別に参加しなくても何も言われないし。
嘘でしょ。
もう本当に自己責任ですね。
戻ってこれるっていうのがびっくりしました。
3年間っていうのは、哲郎さんにとって長かったですか?
その長いっていう感覚がよくわからないですね。短かったとも言えないんですけど。
なんか途中で日本に帰りたいとか。
私結構何度かそういう僧院の生活をしていて、初めて行ったのは瞑想を始めて3年くらい経ってからですかね。
1ヶ月半行ったんです。
そしたら本当にしんどくて、逃げ出すように帰りましたね。
最初は逃げ出すように。何が辛かったんですか?
やっぱり瞑想しかできない環境って、ある意味自分の内面をずっと見てるので、いろいろ翻弄されちゃうわけですよね。自分の心の動きとか、いろいろ感情的なものとか記憶とか。
それに対して息抜きができないし、人の息抜きの中で多分結構大きいのって食事だと思うんですけど、食事も選択肢がないんですね。
基本的には与えられたものをすべて何でも受け取って。
一応朝とお昼に食事は2回あるんですけど、それもまた発散のしようがないようなストレスでしたね。
自分と対峙し続けるっていうことですね。
そうですね。逃げ場がないっていう。
最初、瞑想というか出家というか遭遇に行くきっかけは何だったんですか?
一番最初はやっぱり修行できる環境を求めてましたね。
国内でも?
国内でも一応そういう瞑想センターありますけど、そんなに長くは滞在できないんですね。
何ヶ月もこもって修行しようとすると、やっぱりそういう場所っていうのは稀ですね。すごくない。少ないです。
どうやって見つけたんですか?
繋がりの中で自然と見つけましたね。
私が瞑想を深めていこうとした時に、どうしてもやっぱり手がかり、理論とかそういうものが必要になっていった時に、
やっぱり仏教の教えっていうか仏教の理論っていうのが一番瞑想の理論として体系化されているし伝統があるので、
それを学んでいくうちに、本場というかやっぱりミャンマーっていうのはそういう瞑想が盛んな場所だったので、
そこでどんどん学んでいったっていう感じですね。
瞑想に傾倒したのはなぜですか?
元々そういうお勉強なさってたとか。
最初のきっかけは、私環境問題にすごく関心があって、その一つのアクションとしてベジタリアンになってみたんですね。
それがすごく自分によく合っていて、そのままどんどんベジタリアンからビーガンってなっていった時に、
なんかいろんな情報が入ってくるようになって、その中の一つが瞑想だったんですね。
当時はビーガンにすごいこだわりを持って、
ビーガン以外は良くないみたいな、そういうある種の極端さを持ってビーガンをしてたんですけど、
そこでやっぱりビーガンの思想を体現しようと思って自給自足とかをしようとするんですね。
すごい!
そのタイミングで初めて瞑想リトリートに参加して、
瞑想リトリートに参加した時に、ある種の自分の根底が覆えるような体験をしたんです。
なんですか?
それによって、そういう今までのこだわりとか、
ある種の自分に対する疑いみたいな、そういうものが全部吹き飛んでしまって、
そこでもそういうビーガンとかすべて辞めて、また東京に戻って普通の生活を始めたんですけど、
そのインパクトが大きかったし、
瞑想を見つけた時に、これだなっていう、私の中での確信があって、
それから瞑想をとにかくずっと行ってましたね。
ミャンマーの旅と瞑想への傾倒
ビーガンだったとか、知らなかったことが聞けてちょっと嬉しいなと思ったんですよ。
そうか。先ほどのミャンバーのお話なんですけど、
閲郎さんの目には、ミャンバーはどのような国に移りましたか?
すごい素朴な国。
当時も、なんか最後のフロンティアみたいに言われていて、
結構ずっと旅行者が入れなかった国なんですね。
なので結構やっぱり素朴なところがすごい残っていて、
ある種の素朴さって私、結構憧れがあるんです。
素朴なものって。
純粋というか素直とか、そういうものに関わっているような。
仏教の国なんで、そういう信仰も熱いし。
私、一番最初の僧院で修行して1ヶ月半いて、もう耐えきれなくなった時に、
僧院長に、私もう耐えきれませんと。
もう帰りますっていう話をした時に、
もう帰るんですかって言われて、
1週間以内には帰ろうと思ってますって話をしたら、
ちょうどその僧院長がミャンマーを旅行するタイミングだったんですって。
それは信者の人が、僧院長がまだミャンマーに、
ミャンマー他の国に行ったことがない、他のところに行ったところがないと。
もう子供の頃から出家してずっと修行してたので。
なのでその方が、いわゆるオフセとして、
僧院長をミャンマーの国中いろんな聖地に連れて行きたいっていうプロジェクトがあったらしいんです。
すごい面白い。
で、なぜかそれ一緒に行きますかって言われて、
もう帰るだけだったんで、じゃあ行きますと。
いうので僧院長と、あとはもう一人出家者が一人いて、で私と3人。
あとは、それをオフセする家族の大体6、7名ぐらいでミャンマージを旅したんです。
車に乗っていろんな僧院に回って。
それがすごい印象的でしたね。
非常の体験ですね。
なんかまさに縁が立つっていうのをお話が上がってて感じたんですけど、
その後でもやっぱり帰ったんですね。
そうですね。もう耐えきれなかったですね。
面白い。徹郎さん本当にかっこいい方なんですけど、何でも耐えれそうな感じがするので、ちょっと意外でした。
今はね、それはかつての徹郎さんということで、
今は瞑想指導者でもあり、瞑想コミュニティの運営とね、
リトリート、瞑想リトリートを主催なさっています徹郎さんですが、
瞑想が続かない理由と二つの方向性
後半は瞑想について伺っていきたいと思います。
はい。
瞑想を続けたいのに続かないという、そういう方からお手紙をいただいております。
ちょっと長いんですけども、ちょっと読みますね。
瞑想を続けたいのに続かない理由が自分でわからず悩んでいます。
ソフィーさんこんにちは。いつもポッドキャストを拝聴しており、
静かな語り口と構造的な整理に何度も救われています。ありがとうございます。
今日はどうしてもお聞きしたいことがあり、メールしました。
私はここ1,2年ほど瞑想を習慣にしたいと思い続けているのですが、正直うまくいっていません。
アプリも複数試し、朝の時間を確保してみたり、夜寝る前に短いセッションを挟んでみたり、
いろいろな工夫はしてきました。
しかしどれも3日坊主で、続く時期と全くできなくなる時期を行き来し、
結局は自分は集中力がないのではと落ち込んでしまいます。
私もなんか瞑想の音源をそういえば流したことがあったので、そちらの回に寄せられたものですね。
さらに厄介なのは、瞑想そのものに対する漠然とした不安があることです。
例えば、じっと座っていると逆に思考が騒がしくなっていく。
その状態を失敗だと感じてしまう。
完璧に静まらない限り意味がないのではという焦りが出る。
結果として、やらない方が気楽に感じてしまう時期が続くという悪循環が起きます。
ソフィーさんの放送では内的プロセスの扱い方、自分を観察する姿勢、過剰な自己責任家の問題など、
私が長年悩んできた領域が毎回明確に言語化されていて、今回のテーマもぜひ伺いたいと思いました。
もし可能であれば、瞑想が続かない人に共通する構造的な躓き、
集中できないイコール向いていないという解釈をどう扱うべきか。
すごいたくさんあります。
そもそも、瞑想の成功条件とは何なのかなど、
この辺りを番組で取り上げていただけると大変嬉しいです。
少分失礼しました。これからもポッドキャストを楽しみにしています。
30代会社員、ミッドナイトサイレンサーというラジオネームの方からいただきました。
ありがとうございます。
ちょうど鉄浪さんに伺いたかった。私も瞑想のプロではないので、
ぜひプロフェッシャルな方にお聞きしたいんですけど、
よくあるあるなんじゃないかなと思うんですが、ちょっとジャッジしてしまうところはありますよね。
集中できないイコール向いていないとかっていうのはジャッジメントの一つかなと思うんですが、
鉄浪さんいかがでしょうか。成功条件とか。
伝統的に瞑想するまでの準備っていうのが結構あるんですね。
そこを本当に集中をしてしっかりと取り組みたいっていうことであれば、
その準備をしっかりと時間をかけて取り組んでいくっていうのが、
集中をするっていうことを目指すのではあればそうですね。
ただ瞑想において集中っていうのは必ずしも必要なくて、
思考が出ていることとかザワザワすることとかを感じている、気づいていれば、
それは一つの瞑想にもなるので、
まず構造的に瞑想っていうのは2つの方向性を持っているっていうのを前提にしておくといいですね。
2つの方向性。
整理すると集中をして心を静めていく。
なので思考が出ない、思考がこう静まっていったり、心が落ち着いていったり、
そういうふうに向かっていくのが集中をしていくっていうことですね。
はい、それは何か思考が浮かんできたら脇に置くみたいなことでいいんですか?
というよりももっと積極的に対象を使って心をそこに縛り付けるっていうことをします。
なんかすごい何かに熱中している時って周りの音気にならなかったりするじゃないですか。
我を忘れるとか言いますよね。
そういうふうに何に向かって注意を注ぐのかっていうのをしっかりと決めて、
そうですね、呼吸とか音とかも使えるし、目で見ることもできるし、
それを明確にしないとぼんやりしていると意識の向けどころっていうのははっきりしないので、
他のところに反りやすくなるんですね。
だからこれはもう集中技法で一つの学びとして、
瞑想のやり方をしっかりと学んできちんとプロセスを踏むっていう必要があります。
で、練習をして実践時間を積み上げて集中を作っていく。
これ集中の方向ですね。
でも別にこれだけじゃなくてもう一方の方向があって、
それはマインドフルネスって言われるものと同じなんですけど、
気づいていればいいと。
集中していなくても心がザワザワしていても思考が出ていても、
気づいていればそれが成功だっていう考え方もあるんですね。
手放さなくていいんですね。
そうですね。気づいていれば十分です。
それを分析して、こういうことが起こってるのかな、
この思考はこうだなとか、体のここがこうなってるなって分析していくように入り込むこともしないし、
それを消そうとしたり、そこから逃れようとしたりすることもなく、
起こってることをそのまま気づいているっていうのが気づきの方向です。
へー、それって需要って言ってもいいんですか?
需要って言ってもいいですね。
へー、集中と気づき、あるいは需要、その2つの方向があるんですね。
そしてその前に、しっかりと準備段階があるって言ったんですけど、
私、ヨガを習っていた時に、ヨガの後瞑想っていうコースだったんですが、
その準備の一つがヨガなんですかね。
そうですね。体を整えるっていうことも大切ですし、もっと広く言えば、
習慣を整えるっていうことですね。
へー。
習慣ってすごく実際には意味が広くて、
体の習慣、まあそれって普通に日常生活の生活習慣だと思うんですけど、
あとは言葉の習慣っていうのもありますね。
口癖とか、なんかついこういう言葉使っちゃうとか、
なんかこの言葉あんまり好きじゃないけど、なんか使っちゃうみたいな言葉の習慣。
あとは心の習慣もありますね。
ついこういう反応しちゃう、なんかつい怒ってしまうとか、
ついそれに対して執着して、なんか後で後悔しちゃうとか、
そういう心の習慣っていうのもあるので、
その言葉の、体の習慣と言葉の習慣と心の習慣をまずは整えていく。
一郎さんすごい。本当にすごい。
すごい貴重なお話が聞けました。
なるほど。じゃあ本当に、なんか一長一短では、
なんて言うんでしょうね、すぐにできるようなものじゃなくて、
本当になんか修行というか、心を整えていく練習と言いますか、
そういう感じなんですね。
そうですね。まあ例えば、その気づきの瞑想をするっていうこと自体が、
習慣を整えるっていうことの一部だったりするので、
ある意味その習慣を整えるっていうのは、
一般的な意味で、広い意味での瞑想も含まれているといえば含まれています。
なんか循環しているんですね。
そうですね。そうとも言えますね。
すごい。これって、はい、どうぞ。
その前にもう一つあって、
その前にあるのが、仏教の言葉を使うと、
伏せをするっていうことなんですね。
お伏せをする。
お伏せするってどういうことかっていうと、
自分の持っているものを他の人と分かち合うっていうことですね。
なので、まさに自分に優しくして、他の人にも優しくする。
そしてそのために習慣を整える。
そしてようやく、瞑想を通して自分の心とか、
そういうものをよく見ていくっていうことが、
行われていくっていうのが伝統的なプロセスですね。
なるほど。それが準備ですね。
すると、なんていうか、エゴというか、
邪気、邪念が与えることによって払拭されて、
集中に入りやすくなりますね。
そうですね。
余計なことを考えなくなるような気がしますね。
最初におっしゃってた、ミャンマーで感じた素朴さ、純朴さ、
瞑想の準備と「Being」としての在り方
なんかピュアネスみたいなものを、
ちょっと通じるものがあるなぁと聞きして感じました。
そうですね。ミャンマーの人たちはもう瞑想する準備が整ってるんでしょうね。
なるほどね。
やっぱりみんな助け合って生きているし、
それこそ日本人からするとすごく貧しいような生活というか、
もう本当に放ったて小屋みたいなところで生活している人たちがたくさんいるんですけど、
やっぱりそういう人たちは助け合って、
子どもたちの世話とかも含めて多分行われていると思うんですよね。
そういう生活のリズムがあった上で、
ある種の信仰みたいなものに基づいて、
いろんなこう生活が成り立っていて、
というのが前提になっているというのがあると思いますね。
なんかすごい目から鱗です。あり方なんですね。
なんかDoだと思ってたんですよ。瞑想するという行為ではなくて、
なんかBeingというか。
習慣として瞑想を取り組むときにはDoingでいいですね。
そうなんですね。
つまり習慣というのは行為の連続なので、
いろんな行為、だからDoとして行う行為をまずはきちんと整えるので、
まずはしっかり行うということを整えてから、
Beingに入っていくということというふうにも言えますね。
いやーわかりやすい。
すごいちょっと感動して涙が出てきちゃう。
ありがとうございます。
お便りにお答えすると、
まず、なぜ瞑想したいのかという思いが一番最初にあると思うんですね。
そこをまずはとにかく大切にするっていうのがすごく大切で、
何か理由があるわけじゃないですか。瞑想をしたいと思っている。
それはもしかしたら自分のためかもしれないし、
自分自身の何か思考を沈めたいっていうことかもしれないし、
人付き合いをしていてどうしても感情的な部分でうまく処理ができない
っていうところで何か瞑想を取り入れて感情を整えるっていうのは
自分のためでもあるし、他の人のためでもあると思うんですけど。
なんで瞑想に興味を持って、瞑想を取り組もうとしているのか
っていう思いを繰り返し確かめていって、
もしかしたら瞑想じゃなくたっていいかもしれないと私は思っていて。
なるほど。
運動すれば解消されてしまうかもしれないし、
誰か誰かと話をすれば解消するかもしれないので、
そこにどんな思いがあって、なぜ瞑想に向かおうとしているのか
っていうことがはっきりすればするほど、やっぱり意識っていうのは
そこに向かっていくので、繰り返し繰り返し朝、
そこに意識を向けるっていうことを思い出せる時間として
過ごすことができるっていう考え方もありますね。
そうですね。それもなんか瞑想に向かって整える準備でありますね。
瞑想でしか得られないものってありますか?
やっぱり瞑想が何で難しいかっていうと、
私たちのほとんどの行動、選択っていうのは
何か良い結果を得るために行うと思うんですね。
当然何か欲しいものがあるから努力をするし、
自分がいくつかある選択の中で自分にとっていいもの、
あえて言えば得になるようなものを選択するっていうのは当然だと思うんですけど、
その意識とは違うモードで取り組むのが瞑想。
なのでやっぱりそれを取り入れるっていうことに
ある種の難しさがあるんですね。
それはエゴを捨てるっていうことであってますか?
エゴを捨てるっていう言い方でもいいと思いますね。
難いな、ちょっと流行ってると言えば流行ってるんですけど、
やっぱり難しそうですね。
例えば焦ってるときに、
例えば怒ってるときに、
怒らないでくださいって言われてもやめられないじゃないですか。
でも怒るの良くないなと思ってたとしてもやめられないじゃないですか。
そのやめられなさっていうのが瞑想の難しさと一緒ですね。
前に進んで焦ってるような状態のときに、
ちょっと立ち止まって深呼吸してみようよって言われても、
なんかもう深呼吸しながら焦りがむずむずするじゃないですか。
そういう感じの瞑想の難しさですね。
でもそこが面白みでもありますね。
なるほど。
いやー、かくゆ私もこれでできているのかなってお便りにもありましたけども、
そもそも瞑想の成功条件とは何なのかっていうのを考えてしまうんですけど、
それすら考えないことが瞑想で集中してる無我の境地みたいな、
そういうことなんですかね。
あんまりそこを考えない方がいいのかな。
先ほどおっしゃってた、なぜ瞑想したいのかという、
そこに向かう理由を確かめるっておっしゃってて、
そこが大事なんですかね、やっぱり。
伝統的にはこういう言い方があるんですけど、
瞑想ができているかどうかは、あなたが判断することじゃない。
それは指導者の仕事ですって。
指導者がいない場合はどうするんですか?
その場合はもう判断はしない方がいいですね。
判断しない。
できないですね。
なるほど。
やっぱり自己評価っていうのは何事もそうですけど、あんまり当てにならない部分ってあると思うんです。
確かに。
だから数値を見たり、他の人にフィードバックもらったりっていうことをやっぱり日常でもしてると思うんですね。
瞑想でもやっぱりそうですね。
自己評価じゃないんですね。
もし本当にできているか知りたければ、人に聞けばいい。
いわゆる指導者に聞けば、その疑問は解決する。
聞かないのであれば、それについては考慮しない方が安全ですね。
一つ一つの言葉が必然として使われているんだろうなっていう気がしてるんですけど、
師匠が現れるタイミングと瞑想への誘い
熱郎さんにとって座右の銘ってありますか?
座右の銘っていうのは特にないんですけど、最近すごく気になっている言葉っていうのがあって、
それは弟子の準備が整った時に死が現れるっていう言葉ですね。
それはどこから?
これはそういう瞑想とかの世界では有名な言葉なんです。
なんか師匠を見つけていくら彷徨っていても、見つからない時があると。
それは自分がそれに準備が整えば、死は自ずと現れるっていう。
うわー、すごいなんか。
タイムリーです、自分にとって。
メンターとかモデルを探そうとしてたんですけど、自分が整ったら自ずと現れる。
もうメモしまくって聞いてます。
よくありますよね。
この人に出会って人生変わったっていう話ってあると思うんです。
振り返ってみるとね。
それってその人によって自分の人生が変えさせられたのではなくて、
自分の人生が変わるタイミングだからこそその人に出会えたっていうものだと思うんですね。
全体性を見てますね。
広い視野だなと思いました。
自分の在り方とルーイングの繰り返しをしていこうと、姿勢が正されました。
ずっと聞いてたい。いろんなこと聞きたいんですけど、
哲郎さんの指導を受けるにはどうしたらいいんですか?
私はまずは無料の音声講座をお配りしていて、
公式LINEから聞くだけで瞑想ができるっていうものを用意してます。
わかりました。概要欄にリンクありますね。貼っておきますね。
それはすごく気軽に聞けると思うので。
あとは瞑想会とかももちろん開いているので、
公式LINE登録していただけるとご案内が届くようになります。
最後に瞑想を、何て言うんでしょうね。
瞑想を志しているって言っていいのかな。
瞑想に向かう人々へメッセージをお願いします。
私が大事にしているのは、形式的に瞑想する必要はないっていうのをすごく大事にしていて、
決められたやり方とか、何か成功、いわゆるこれが正解ですよみたいなものとか、
そういうものよりも、ただ自分らしくいて、自分が今感じていることだったり、
自分に興味を持って自分自身を見てみるみたいな、
そんな時間として瞑想を取り組むだけでも十分、それだけでも十分だと思うので、
ぜひ興味があれば、そういったところで取り組んでもらえればなと思っています。
ありがとうございます。
別郎さんの今後の展望などはありますか?またミャンマンに戻りたいとか。
特に私、瞑想に関しては、
私は最近、瞑想と自己探求っていうのがあるんですね。
自己探求っていうのはつまり自分を知るっていうことなんですけど、
そのあたりをすごく私のテーマとしてずっと取り組んできたことなので、
その辺も含めて、瞑想と対話だったり、自己探求っていうものを、
みんなで取り組めるような場を作るっていうのをすごく、
これからどんどん取り組んでいこうかなと思っています。
いいですね。そういう仕上がり、すごくいいですね。
感情の扱い、恋愛、舞台での自己表現
一人でやるよりも、なんだか広がりが。
そうですね。やっぱりみんなで座るってすごく大事なことだと思いますね。
やっぱり自分の心を自分でコントロールするってすごく難しいわけですね。
そうですね。
それをやっぱり他の人と、心が静まっている人と一緒にいれば自分も落ち着くってあるし、
イライラしている人のそばにいると自分もイライラしているってあると思うんです。
ありますね。
誰と一緒に時間を過ごすか、なるべく瞑想っていう成功とかもないし、
責任とかも、結果とかも、競争とかもないような、そんな場で一緒に瞑想して座れるっていうのは、すごくいい機会だと思います。
そうですね。なんだったらご褒美みたいな時間ですね。
そうですね。
ちょっと聞きたいことが後から後から。
瀬尾さんって自信をなくした時、どんな風にリカバリーしてますか?
やっぱり気分を変えるっていうことぐらいですかね。
そんなに揺れはない方ですか?揺らぎ。
私は結構、自信をなくすっていうのがあんまり、最近のこととしてあんまり覚えてないので、正直なところなんですけど、
自信がない体験って何か、例えば失敗をしたとか、自分よりすごい人に出会ったとか、そういうことだと思うんですけど。
比較しがちですよね。
そこに私は結構、成長の喜びを見出すっていうことを、よく若い頃、意識してましたね。
素敵。伸びしろですね。
すごい勉強になる。本当に姿勢が今、正されてます。
そうですね。瞑想に興味ある方いらっしゃると思うので、概要欄をぜひご覧になってください。
ということで、瀬尾さんの方からお知らせはありますか?近々イベントなど。
瞑想会は定期的に開いてるんですが、私もポッドキャストとか音声配信、最近すごく話すことに力を入れて取り組んでいるので、よかったらそちらも、とは思ってます。
はい、かしこまりました。
今日は徹郎さんにお越しいただきました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
すごい。めちゃくちゃ勉強になって、メモが止まりませんでした。
一言一言に何か願蓄があるんですよね。やっぱり。
すごい。いつからそんなに落ち着いてらっしゃるんですか?
結構若い頃からよく言われてましたね。落ち着いてるとは。
やっぱりそうなんだ。
でもやっぱり内側ではすごく落ち着きがない。
すごくそれってギャップがあって、私もともとある種の多動があるんですね。
まったく。
子供の頃から学校に時間取り行けないとか、忘れ物多いとか、集団行動ができないとか、引っ越しの回数がめちゃくちゃ多かったり。
そうでしたか。
なので結構多動でいろいろ考えるのも好きだし、すごく内側は落ち着きがないんですけど。
でもなぜか人からは落ち着いてるってよく言われてましたね。
それが出てらっしゃらないんですかね?
どうなんですかね。多分若い頃はわりと意識してそうしてたんだと思います。
自分はあんまり内側をそんなに出さないようにしてたのかもしれないんですけど、
でもやっぱり瞑想を始めるようになってからはいろんなものが許せるようになったので。
もう一つやっぱり大きかったのは、初めて瞑想をした時にすごくガラッと変わった時に、自分の中で揺るぎのないものっていうのを見つけたんですね。
それは揺るがなくなったんではなくて、揺るがないものと揺らいでるものがあるっていうことがわかったんです。
なのでいくら揺れてても自分には揺らがないものがあるっていう、ある種の思いが自分を支えてくれるっていうのは、瞑想の一つの大きな転換点だと思いますね。
戻ってくる場所があるから揺れても大丈夫っていうしなやかさを手に入れたっていう感じですかね。
うん、そうとも言えますね。
それが転換点だったんですね。
最初から徹郎さんの瞑想は、いろんなプロセスを経てそうなったっていうことで、ちょっと自分も伸びしろしかないぞって考えようと思いました。
そうか、じゃあ徹郎さん怒ったりしないんですね。
怒るっていうのは記憶にはもうないですね。
瞑想していると、ある種感情を意識的に扱うっていうことはするんですね。
だから怒った方がいいことってあるじゃないですか。
その人にとって、例えばあまりにも相手を侵害するようなことを無自覚に行ってしまう人とかに対しては、はっきりと怒った方が、怒りを表明した方がいい場面って多分あると思うんです。
そういう時にはちゃんと怒るってことはしますよ。
なるほど。
じゃあ選び取ってるんですね。
そうですね。あくまで感情はやっぱり気づきを伴えば、コントロールというか選択可能ですね。
そうですよね。人に怒りボタンを押されたわけじゃないんですもんね。自分自身のものだから。
でもやっぱ感情ってコミュニケーションを取る上ではすごく大事なものだと思うので、何のために感情を使うかっていうことを、
なかなか難しい話ですけど、自覚するっていうことがあるのかもしれないですね。
じゃあはしゃいだりもするんですね。
はしゃいだりあんまりしないですけどしますね。
優しい言葉をかける時も一緒ですね、やっぱり。
なんでもかんでも優しい言葉って、いいとは限らないじゃないですか。
そうですね。
何も言わない方がいい時もあるっていう。
うんうんうんうん。
そうですね。
いやー奥深い。奥深いですね。ちょっと全然違う本当に。
あのもう終わりますけど、
だから恋愛とかについて聞きたくなりました。
あーはい。
だって一番コントロールできないところじゃないですか。難しくないですか。
そうですね。
恋愛は面白いですよね。
でも私結構恋愛の話しますよ、瞑想の話する時に。
ですか。
恋愛の話ってすごくわかりやすい面があって、
自分では制御できないものだったり、ある種の偶然性だったり、
なんかそこに結構意味を見出したりとかっていうこともするじゃないですか。
はい。
だからそれはすごい面白い例として、よく扱ったりします。
なるほど。私だから嫌いなんですよ。
あの、あんまり得意じゃない。
あんまり人を好きになったりしないんですよ。
うんうんうん。
本当に制御不能になるのが怖いし、自分のもしかしたら知らない部分が出てきたら怖いなっていうのがあるんで、
うんうんうん。
なんか距離を取りがちですね。
うんうんうん。
ちょっとポッドキャストも聞いてみたいと思います。
長い時間ありがとうございました。
ちなみにこれ今録音してたんですか?
今録音してました。アフタートーク的にもしかしたら。
はいはい。
どうですか?使っても大丈夫ですか?
もちろん。自由に使ってください。
ありがとうございます。本当にやっとお話できて嬉しいです。
瞑想と「恋に落ちる」体験、そして自己受容
こちらこそ私も嬉しいです。
なんかさっきの話すごい面白いなと思ってて。
え、何ですか?
恋愛の話。
はい。
よく瞑想の世界で、ある種のこう信仰的な、信仰っていう言葉ってすごいなんか、
すごいいろんなイメージついちゃうので、使うの難しいですけど、
ある種こう恋に落ちる体験なんですね、瞑想って。
で、すごくこう自分の内側にある、
まるで、ある種の世界とつながっているような内面的なものがあるんですけど、
なんかホルモンが出てそう。
ホルモンも出るんでしょうね、いろんなホルモン。
はい。
そこに落っこちる体験なんです、瞑想って。
へー。
だから自分の力でどうにかしようとすると深まらない。
なるほど。
それをこう、自分の力でどうにかするのをやめて、自分を投げ出す必要があるんですけど、
投げ出す。
でも、ただ自分を捨てるってできないじゃないですか。
はい。
だから、恋に落ちるわけです。自分の内面の深いところにある、
言葉にはなんかうまく表現できない、そういう根源的なものというか。
言葉になる前の気持ちみたいな。
そうですね。
そういうところに恋に落ちるように飛び込んでいくっていうのが、瞑想がある一線を越えるみたいな深まりだったりするんですね。
へー。飛び込んでいく。
あの、ちょっともう少し話していいですか。
もちろんです。
私ももともと瞑想始めるまで恋をするっていうか、人を好きになるっていう感覚ってよく分からなかったんです。
でもやっぱり愛ってものにすごい興味があって、愛についての哲学書とか文学書を読むみたいな感じだったんですね。
ついてはすごい分かる。
結構理屈っぽいタイプだったっていうのもあるんですけど、
その瞑想の最初の合宿に参加して、自分の世界観がガラッと変わって、
そういうのを今までの自分のこだわりとかそういうものを手放すことができて、
じゃあ日常の社会に戻りましたと。
そうするとやっぱり出会いがあるわけですね。
おー、かっこいいし。
ありがとうございます。
そこである女性に知り合った時に、その女性が光って見えたんです。
へー。
なんで光ってんだろう?
なんだろうなってすごい興味を持って見てたらやっぱり恋に落ちて、
でもそれがすぐにうまくいったわけでもなく、
なんかその悶々とする愛着の苦しみがしばらくあったんです。
それが本当にしんどくて、
それが耐えられる、すごくしんどかったんですけど、今にしてはやっぱりそれは良かった、いい体験でしたね。
あー、そうなんだ。
どう?ニヤニヤして。
えー、なんか愛の方がちょっと浅いかもしれないけど、
なんて言うんだろう、エゴがないからつらくない気がするんですよ。
やっぱ自分が、なんか自分と対峙するじゃないですか、恋って。
うん。
そうですね。
やっぱりそこが、いい体験だったな、いい体験をしてるなって思えればいいんだけど、
ちょっと時間、距離がないとできないなって思ってちょっと恐れています。
時間は大事ですよね。
そうですね。
時間をかけるっていうのは。
うんうんうん。
へー。
なんか、よっておきの話が聞けた。
舞台での挑戦と瞑想の深まり
意外でした。なんかすごい真面目、真面目、真面目で、
比率、乖離数みたいな感じかなと思ったら、
そうか、恋愛もそうなんだって。
そうですよね、私たちの営みの一つですもんね。
うん。私、最近舞台に立ってるんですね。
え?
舞台に立って、ダンスをしたり、即興のダンスなんですけど、
そこで、やっぱり自己表現っていうのをそこでいろいろ学んでチャレンジしてるんですね。
そういうのが、もともとあんまり得意ではないっていうのもあって、考えるのは得意だったんですけど、
で、そこですごく大事にされている3つのことがあって、
それはエロ、バカ、悪なんですね。
え、なにそれ。ちょっと、哲郎さんと対局じゃないですか。
そうですか。まあまあそうですね、イメージはそうだと思います。
私のイメージです。
エロ、バカ、悪を大事にしないと、やっぱり舞台で、
舞台で何するかって、いかに丸裸になるかってことなんですね。
わー。
取り繕わないかっていうのが大事になってくる舞台に立つんですけど、私の場合は。
そこでやっぱ大事なのはエロ、バカ、悪。
つまり命っていう、私たちの衝動とか、
そういう命につながっている、すごく理性とかからちょっと離れてるものじゃないですか。
エロとバカと悪って。
だからそこをしっかりと発揮をするっていうのが大事だって言うんですね。
対局ですね。
それは最近すごく私も楽しんでます。
いや、本当に意外。
うん。
いや、想像がつかない。舞台見に行きたい。
はい、7月に東京であるんで。
なんですね。
行きたいです、こっそり。
はい、ぜひぜひ。
教えてください。
しかも、私なんか一回瞑想で、
ヨガの後の瞑想で、目をつぶっても道が歩けるみたいな感覚になってたんですよ。
そういうのってあります?
そうですね、あると思います。
いい気持ちだなっていう時は、目をつぶったまま家まで帰れる感じで、
途中まで目をつぶって歩いてたんですよ。
実際に?
問題なく歩けたんですか?
歩けたんです。
それは面白いですね。
そうなんですよ。私なんか目つぶってるのに見える気がすると思って。
道路とか、道路っていうか、車とか通らないところだったんで、
通して歩いてみたんですけど、ちゃんと問題なく歩けてて、
すごい面白いなっていう経験をしたことがあります。
でもまだ好きなお相手を発行してみるまでにはいたってないです。
好きなお相手を発行する?
発行して見える経験はないですよ。
そういうことですね。
だって見えるんだ。
だって見えましたね。結局は別れてしまったんですけど。
そうなんですね。
別れて総員に行きました。
最初のお話に戻ります。もう一回放送をお聞きください。
それを踏まえて。楽しかった。
また機会があればぜひお話ししたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。