シュウがヴィパッサナー瞑想合宿に参加した時に受けた衝撃
そのどのポイントに衝撃を受けたかの説明が続いている
とにかく感覚と反応の話が…
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たぶん、そんな気がする:https://creators.spotify.com/pod/profile/minamitokigi
収録日:11月4日
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サマリー
このエピソードでは、感覚と反応について深い洞察が示され、渇望や執着がどのように苦しみを生むかが語られています。また、心の浄化や瞑想の重要性についても触れられ、日常生活への有益な影響を期待する姿勢が表現されています。ビパッサナ瞑想の実践を通じて得られる感覚や体験の重要性についても論じられ、仏教哲学の深さや瞑想の指導体制についても言及され、自己の内面との向き合い方が探求されています。ポッドキャストでは、ビパッサナ瞑想の体験と感覚に対する新しい理解が語られており、感覚と反応の関係が衝撃的であり、参加者の経験が共有されています。
感覚と反応の関係
前回からの続き。
自殺するっていうのが迷走なんですけど、
いい感覚を得たり、悪い感覚を得たりするじゃないですか。
はい。
で、いい感覚を得ると、その時によく現れる反応として、
もっとそのいい感覚を得たい、得続けたいみたいな、
渇望の反応が出やすいって言ってるんですよ。
で、それも人によって代償あるし、
現れ方も様々なんですけど、
渇望が強い人は、もっともっとって渇望が折り重なっていって、
執着になっていったりすると。
で、そうすると、せっかくいい感覚を得られてるのに、
得続けられないことによって、渇望と執着が出てきちゃって、
それが苦しみのもとになっちゃうと。
ってぶったわいてるんですよね。
で、逆に悪い感覚のほうは、最初から悪いのに、それに加えて、
その悪い感覚、嫌だっていう嫌悪感が出ちゃうと。
はい。
それが嫌悪の反応っていう反応なんですよね。心の反応。
で、それもひどくなると憎悪ぐらいになっていって、
まあ、それも苦しみになる。苦しみのもとになる。
どっちにしても、感覚だけだったら良かったり悪かったりって、
ただのフラットな上下の波みたいなものなのに、
反応のほうがすごい悪さをしがちって。
なるほど、なるほど。
心の浄化のプロセス
ぶったはそこを分けて、その反応さえなんとかできればって思ったみたいなんですよ。
なるほど、なるほど。
で、実際その反応があることによって、痛いものはより痛く感じられてしまうし、
良い感覚も消えたあとは、良い感覚を得た以上に、
渇望執着のせいで、嫌な感覚、嫌な思いをしてしまうみたいな、
つの循環が起こるって言ってるんですよね。
へえ、なんかそれが認識っていうものじゃないのかなって思ったりしたんですけどね。
別のカテゴリーになってるんですね。
なんかね、意識認識のとこ僕うまく説明できないけど、
それをどう認識するかみたいなのとはまた違う意味合いがあった気がするんで、
そこはちょっとごめんなさい。忘れましたとしか言えないんですけど。
なんかすごい興味を持ったので、私もその4つの支援について後でググってみます。
うんうん、ぜひぜひ。
僕もね、ググったりもしようと思いながらまだ、
あとはそのご縁家さんの本も出てるんで、買おうかなと思いながら、
まだ買えないとどっちにしろ受け取れないからあれなんですけど、
そうですね。
うん、みたいなのがあってで、はいはい。
ご縁家ってどんな字書くのかなと思って、ご縁家さんのご縁家って。
カタ、カタカナでしか。
あ、カタカナ。
今のとこ。
あ、でもご縁家氏の微発作な瞑想っていう本。
あ、それそれ。
がヒットしたので、これですね。
これですこれです。
うーん、なるほど。
でね、その反応、感覚と反応、両方を微発作な瞑想で、
ひたすら観察していくっていう話なんですけど、
あー、はい。
その感覚をひたすら観察していくと、
その反応も、あ、それもね、観察もただ観察っていうか、
心を平静に保って、
客観的に常に体中のすべての感覚に気づくぐらいな勢いの観察なんですね。
だからすごい修行しないとなかなかそこまでいけないと思うんですけど、
そういう風にして続けていくと、
新しい反応、反応って心の癖みたいに積み重なっていくらしいんですよ。
へー。
ちっちゃい頃からそういう渇望から執着に移るみたいな、
心の癖を作り続けていると、よりそれが強固なものになっていったりする。
へー。
っていうのは、要は古い心の癖として残るらしいんですけど、
そういう厄介なものから先に取り除きたい気がするけど、
これは新しいものからしか取り除けないらしいんですよ。
あー。
瞑想の効果と意義
なんか僕が思い出したのは、
ダイエットとかで、新しい脂肪の方から燃焼するから、
あー。
体にもこびりついてしまった奥深くの脂肪は、最後の最後に燃焼されちゃうから、
なるほど、そうなんですね。
だから最近太ったら痩せやすいけど、ずっと前から太ってたら痩せにくいよっていうのはそういうことなんですね。
だと思います。
心の癖もそうなんだ。
それと似た感じだな、似た感じだななんて思って、
でもそれが要は、本当に心の奥深くの、
どういう言い方してたかな、
心の浄化みたいなのが目的だって言ってて、
本当にそれを取り切ったのが、
ブッダが得たみたいな悟りの境地だみたいに言っている話ではあるんですけど、
下脱できた状態ってことですかね。
まあ表現はね、そうなのかもしれないけど、
途中で、今回仮にそれを悟りっていう言い方しますけどって言ったんですけど、
そこはあんまりたどり着けそうにないなと思ったし、
そこまでたどり着くのをあまり目標にしなくてもいいかななんていうことを思って、
本当は僕が瞑想に興味を持ってたのって、
割とちっちゃい頃からブッダがそれで悟りを得たとかそういうのに、
本当は興味あったんですよね。
なんたら、自分には無理かもしれないけど悟れたらいいだろうなみたいに思ったこともあったし、
うっすらそういう感覚があったからずっと瞑想に興味あったのかなっていうのは思ってたんですけど、
今回、あまりにもはっきりくっきりした気持ちのいい言語化を聞いて、
それに沿った動きをしてみたいっていう思いになったことで、
その行動を続けること自体が目的になったんですよ、僕。
最終的なゴールがどうとかじゃなくて、
その向きにベクトルを向けること自体というか、
ベクトルを向けて日々ちょっとずつでもいいから歩むことっていうか、
悟り開くっていうと本当に一般人というか、凡人ができるの?みたいに気持ちがありません?
思いますね。あまりにも果てしない遠い先にあるっていうイメージがありますよね。
でも今回そのね、初日のビデオで、
なんかもう言ってることをめちゃくちゃシンプルって思っちゃって、
しかもそれには特効薬とか特別な魔法も何もなくて、
ただ地道にコツコツやるだけみたいなこと言ってんすよ、ブッダが。
それって何でも一緒だなと思ったんですよ。
何事も、なんか勉強でも音楽でもスポーツでも料理でもいいけど、
日々コツコツやれば上達していくじゃないですか。
そうですね。
それと全く一緒だと思って。
で、それが上手になる人って、目標があって達成するような人もいるかもしれないけど、
なんかそれが毎日楽しいからやって上手になったみたいな方が、
確かに、そうですね。
いっぱいいるだろうし、それの方が僕は魅力感じるななんて思って、
そうですね。
僕にとって瞑想は、
音楽とかね、ギターとか何でも、
プロになることはないけど、下手でも弾くのが楽しいって思い続けて弾き続けるみたいなそんなことですよね。
そういう風に瞑想をやりたいって今回思っちゃったっていう話なんです。
しゅうさんの今後の生き方の目標がそっちに向いたって、そんな感じの強いインパクトですか?
そうですね。まずは僕個人に関して、それがしっくりきたっていう話。
で、でもその心の浄化みたいなのができるとというか、
そこに向かうことは、何でしょうね、苦しみの原因が全部自分の中にあるっていう話でもあるんですよ。
で、それをやれば、僕自身の心が浄化されるのもそうだし、外部にとってもいいと思ってるんですよね。
外部への接し方が、外には何の責任もないっていう考え方になっていくんで、
誰にも攻撃しなくなる。もともと攻撃してたつもりはないんですけど。
そうですね。行動としての攻撃はなくても、気持ちの向き方としての多色みたいなものもなくなるってことですよね。
そうなってくると、瞑想をやる人が増えたらそれはそれで素敵なんですけど、
本当に、ミッパーさんの瞑想では、このやり方でやれば誰でも悟りの道に、悟れるかわかんないけど悟りの道に進んでいく、そんな修行法だって言ってるんで、
やればいいなとは思ってるけど、とはいえ、そんな全員が10日間も期間作ってやれるものでもないと思ってるから、全員やれるとは思ってないけど、
まあでも、その瞑想経験者が世の中にある程度ちょっと増えてきたりしたら、勝手に全体的に調和が生まれそうみたいなことまで思っちゃってて、
生まれやすくなりそうみたいな。
そういう心の浄化の、なんか大げさな表現なんですけどね、心の浄化の道を毎日歩んでる人が、周りに何人もいたりしたらその影響、
自分は瞑想やってなくても、その影響で知られて、心が浄化される的な、穏やかな人が増えそうみたいな。
そうですよね。
発言する内容とかも、絶対にどうかニュアンスが変わってきたりしますよね、たぶん。
そういう人が10人のうち1人いたら、他の9人には何かしらの影響は必ずあるという想像はできますよね。
みたいなのまで、初日に、今言語化しながらくっきりしてきたところもあるけど、なんかふわっとそんなことまで思って、
要は僕がアウトプットが先って言いながら、なんとかポッドキャストで世の中に影響、ちょっとでも波動というか、影響か、みたいなのを伝えるというと大げさなんですけど、
それを残すことぐらいしか自分できないなって思ってたものにはまるし、より強力になるというか、より確信をもってそれがやれるなみたいに思って、
すげー僕の生き方に相性よかったーって初日に思っちゃったんですよ。
よかったですね、しゅうさん。
ありがとうございます。
すごいな。
そんな感じの話を興奮しながら喋ったけど、あんまりわかんなかったって言われてたけど、
なんか今、みのみさんの反応聞く限りでは、その後も何回か人に話したこともあるけど、ちょっと伝わり、他の人よりみのみさんには伝わったかなって勝手に思ってるんですけど、
本当ですか?
伝わってない?
伝わってます。伝わってるつもりで自分はいるんですけど、なんだろうな、しゅうさんが今まで何かを掴みたいじゃないな、
どこかこの矢印のほうに自分は動いていきたいんだよっていうものがあったとして、
あったんだけれども、中心を貫くような目に見える強い柱というか、ものが手探りで探してるような、
でもちょっと見当たらないなみたいなところに、どーんとこれが来たっていうような、それはすごくわかりました。
でも私自身が瞑想について全く無知すぎるので、
そうですよね。
ビパッサナ瞑想の実践
だから私、本は買ったことあるので、一回それを読んでみたいなって今思ってるのと、それはこの五円歌詞のではないんですけど、
でもビパッサナ瞑想っていうのがタイトルのどっかに書いてあったので、たぶん同じ方向性の瞑想だったんですよね。
それがね、わからないんですよ。
ビパッサナ瞑想にも色々あるんですか?
いや僕も一緒だと思ってて、
いかんせんね、僕前に、今回の合宿受ける前にビパッサナ瞑想の実践なんとかっていう本を図書館で借りて、
それに沿ってやってたんですよ。
共通する部分ないわけじゃないけど、もう全然違ったっていうのが正直今回感想なんですよ。
あ、そうなんですか。
僕の感想、個人的にはね。
しゅうさんが今回の瞑想で教えていただいたという、その4つに分けて考える考え方とかって、
本当に仏教の根本的な、人の悩みなんてもう2500年以上前に、
仏陀がこうすれば解決するんだよって、ちゃんと言語化してみんなに伝えてるじゃないって、よく深井さんが言ってますよね。
あ、言ってんすか。
2500年前だったかどうかちょっと忘れちゃいましたけど。
いやいや2500年前はあってるんですけど、深井さんそんな風に言ってましたっけ。
深井さんってめっちゃ仏教を勉強されてるじゃないですか。
うんうん。
なんとか先生。
先生ですよね。
りゅうげんさんではなく。
そうそう、りゅうげん先生だ、りゅうげんさんですよね。
りゅうげんさん、はい。
それ以外にも多分いろいろ勉強されてると思うんですけども、
なんかね、それを今思い出しながらしゅうさんの話をずっと聞いてたんで、
なんかしゅうさんが、前にマンダラ作りたいって言ってて、
たいきさんやきにさんや私がいろんなとんでもない案をいっぱい出してましたけど、
なんかね、マンダラを作るまでもなく、そこにもう集約されるのかなって、ちょっと思ったりもして聞いてました。
あー、そうですね。
なんか、うん。
それをね、その、そうなってくるとでもね、なんかそれが正解のはずみたいにして、
勉強するみたいなスタンスになる気がしていて、
そこね、ちょっと僕の、なんだろう、天の弱なところかもしれないんですけど、
今回は、僕が今まで人生で感じてきたことに、
ちょっとそこが当てはまったから、
実践のほうをちょっと、
ぶったさんがそうやって悟り開いたんであれば、乗っかってみようみたいな感覚なんですよね。
だから、マンダラ作りたいみたいなのは、大枠あんまり変わらないかもしれない。
えー、あー、なるほど。
まあまあ、機会があったらそういうのに触れることもするかもしれないけど、
今んとこそっちでは考えてないかな。
実践としてのビッパサナは日々やるんですけど、
みたいな感じかな。
今んとこ。
わかりました。なんとなくわかりました。
しゅうさんは、自分の感覚的なものとか、体験とか、すごく大事にされてて、
それが本当に核になってて、
で、そこから自分の思想とか、
思想って言うと変だな。なんだろう。
いろんなことを言語化しようとされてて、
その核があったからこそ、今回のビッパサナ瞑想のそのものが、
足りないピースがここだっていう気がして、パシッとはまったみたいな。
中心にあるのがやっぱり体験なんだなっていうふうに、
今聞いてて思いましたね。
だから、仏教哲学っていうものがあってね、それ勉強するとねっていう話は、
また別の話になっちゃうんですよね、きっとね。
教科書としていいかもしれないけれども、
今自分が中心に大事にしているものは体験だし、感覚だし、みたいなところがあるんだな、ある人なんだなと思いながら聞いてました。
体験とその意義
そうです、その通りだし。
たぶんね、それはゼロ日目だったかわかんないんですけど、
ブッダさんがおっしゃってるのも、
自分の体験が全てだ、みたいなことを言ってるって聞いたんですよ、今回。
なるほど。
宿で、講和のどっかで聞いたと思うんですけど、
全てだというか、
どれだけ悟った人が、
言葉で説明したとしても、
それはその人の体験から生まれた言葉であって、
それを聞いた人には何の意味もないまでいくとちょっと大げさなんですけど、
でも、そうですね。
全てにおいてそうですもんね。
現代のいろいろなことも、
成功者の体験していろいろな本なんて読んでも、
結局は自分で同じことをしてみないとわからないし、みたいなところでもそうですし。
そっか、そうなんですね。
だから、その本人が悟れるというあれですけど、
自分で体験できるメソッドとして、
微発想の迷走の手法を作ったっていう話だったんですよね。
へー。
だから、やってみようと思ったっていう話なんですよね。
自分が体験することになるから。
うん。
ね、ほんとに。はいはい。
あ、いや、音声とかビデオを見せてもらって、
そこには具体的な、
ご演歌さんの言葉がいろいろ聞けると思うんですけども、
その迷走の場で、
誰か指導者的な教師みたいな方が、
います、います。
あ、そうなんですね。
その方はほんとに具体的に教えてくださるんですよね。
えっとね。
ハウチューのように、手をこうしてねとか、足をこうしてねとか、
呼吸はこうでねとか、詳しいことも教えてくださるんですよね。
いや、それは、聞かれない限り何も言わないです、その人は。
へー、そうなんですか。
うん。基本的にはもう、ご演歌さんのテープを流すスタートボタンを押す人って感じです。
へー。
あ、そうなんですか。
基本的には。
それはちょっと、あんまり言い過ぎかもしれないけど、
僕が勝手に心の中で、あれ、あの人ボタンを押してやんって思ってたっていう話なんですけど。
でもまあ、前に、何でしょう、僕らが迷走ホールで前向いて座ってて、
その人と、まあ男性一人、女性一人、
一応、指導者の立場の人は、僕らのほうを向いて、一段高いところに座って、一緒に迷走するんですけど、
で、お昼と夜に質問タイムが設けられてて、質問ある人は、その指導者の人のところに聞きに行くんですよ。
じゃあ、例えば、誰がどんな質問をしているかっていうのを、みんなで聞けるっていうことではないんですね。
いやいや、聞こうと思えば聞けます。
ああ、そうなんですか。
うん。でももう寝たい人は帰って寝ていいよ、みたいな。
ああ、なるほど、なるほど。
そっか、ごめんなさい。夜はそうやって聞くこともできるけど、昼はダメだ。
昼はなんか、一人ずつホールに招き入れられて、次の人は外で待ってるから、
昼は、なんであれ、昼と夜で違うんだろうな、今初めて思ったけど。
まあ、そんな形式でしたね。
その指導者の立場の人も、ボランティアの人が、毎回入れ替わり立ち替わりやってるらしいですけど、そんな形で。
じゃあ、瞑想に行けなかった人でも、このご縁歌詞の、美パッサな瞑想入門、豊かな人生の技法っていう、この本を読めば、
はい。
ビデオでしゃべっていることは、一応読めるのかな?
いや、多分、予想ですけど、僕も読んでないから予想ですけど、
はい。
入門って書いてるし、きっと、そんな一冊の本で収まるような内容じゃないと思ってます。
あ、そうなんですか。
その、10日間のメニューがもう、しっかり決まってて、夜にがっつりとした講話はあるんですけど、
1日がこう、ずっとスケジュールがほぼ毎日同じ感じで決まってるんですけど、
1時間半か1時間の瞑想が、ひたすら連続するんですよね。ご飯とかのタイミングを除いて。
で、そのしっかりした瞑想っていうのが、さらに1日に3回1時間っていうのがあるんですけど、
うん。
その時には、そのご縁家さんの誘導というか、この1時間はこんな感じのことをやりなさいっていうふうに、
ご縁家さんの声で流れるんですよ。
あ、流されながら瞑想し続けるっていうことですか。
そうですね。1時間ぐらいあるから、最初の5分ぐらいそうやって、この1時間はこういうふうなことを心がけてやってみなさいみたいなことを言うんですよね。
はい。
で、それに沿って、1日目2日目3日目、その1日目も1回目2回目3回目みたいなのが、それぞれ微妙にだんだん進化していくみたいなことをやった上で、
講話で、はい1日目が終わりましたっていう、その日にやったことを踏まえた講話があるんですよね。
へー。
だから体験と講話が交互にずっと折り重なって、全体がめちゃくちゃよく作られてる、よく考えて作られてるなっていう感じなんですよね。
そうなんだ。
誰でも心の浄化の道に入れる。
誰でも悟れるみたいなのも、伊達じゃない作りになってるんで、あれが、あの体験をせずに本を読んだだけで得られるとはとても思えない。
瞑想の指導体制
そうですね。理屈の上では理解しても、やりながらっていうのは全く違うんでしょうね。
だからその質問に答える立場の人がいるんですよね。
全体というか、大体の人がこういう感じでやっていけばいいよっていうふうに作られてはいるけど、
どこでつまずくかが人によって違うから、その時に、それは違ってこういうことなんですよって教えてくれる人がいるんですよね。
へー。
と捉えてます僕は。
なるほど。もう本当に、あのなんだろう、階段を登っていくようにちょっとずつちょっとずつ高度になり、
10日間を経たら、だいぶここまで上がっているよっていうことですよね。
その心の癖というか、自分の体を感覚として捉えて、
それを心の中でどう処理して、みたいな癖みたいなものを自分で誘導していくっていう、その訓練ってことですよね。
そうですね。
で、それにひとつひとつ細かいテーマのようなものが与えられているっていう感じなんですよね。
そうですね。
大丈夫です。はいはい。今回は。
じゃあ、この1時間はこういうことをちょっと心に留めてやってみましょう、みたいなそんなのがあるってことですよね。
そうですね。
1、2、3回ずつぐらい。
それもなんか全部が、その次の段階のための布石というか、
へー。
ビパッサナ瞑想の概要
次の段階をやりやすくするために前の日があったんですよ、みたいな作り。
あー。
だいたいなってんすよ。
なるほど。
だから、今日はこれやろう、今日はこれやろうって、なんか違うことをバラバラにやるんじゃなくて、
全部がつながってるんですよ。
最終ゴールに向かっていく、全部階段なんですよね。
すごい。1日飛ばしても、きっとだめなんでしょうね。
だめですね。だめだと思います。
へー。
みたいな、めちゃくちゃ面白いやつでした。
やつでしたとか言ってます。
メモも取れないってことは、3日前にそういえば何やったっけって、わかんなくなっちゃいますね。
わかんなくなりますね。
でも、その10日間受けた人は、講話、毎晩、夜に受けた講話だけは聞けるんですよ。
ログインできるようにしてもらって。
サイトがあるんですね。ネット上に。
そうそう。
そういうところが。へー。
うん。
なるほど。
だから、それはすごく、今も全部じゃないけど、やっぱポッドキャット聞き損ねたの聞いてるから、あんまりそればっかり集中できないけど、
今、旅が終わってから、4日前まではもう一回聞き直して、最後までもう一回全部聞いてっていうのを定期的にやろうかなって思ってるんですけど。
へー。
みたいな。
それを聞けば、じゃあ、そういえばこの日にこんなこと、お課題としてやったなってことを思い出してるんですね。
思い出されますね。
へー。
なんかあの、自治官の人間さんの一人で、まああんまり大きさとかにはいないけど、僕、東京でお会いしたディパーソナ迷走経験者の女性の方がいるんですけど。
あ、そうなんですか。
はい。えっちゃんっていう女の子がいるんですけど、その子が。
えっちゃん?
はい。えっちゃん。
あ、そうなんですね。
えっこさんとか、えつこむさんとか、えっちこさんとか、なんかSNSによって、あれがハンドルネーム違って、どれがどう呼べばいいって本人に聞いたら、えっちゃんでお願いしますって言われたっていう。
あ、そうなんですね。
女の子なんですけど、その子がそのディパーソナ迷走に行ったときのことを漫画にしてるんですよ。絵描ける子で。
あ、そうなんですか。
ノートでその漫画を公開してるんですけど、その漫画もずっとメモも録音もできないから、うろう越えだったけど、その講話が聞けたから、それを聞き直しながら、あ、そうだったなと思って漫画に残したって言ってました。
あ、探してみよう。ノートでディパーソナ迷走で、きっと。
まあまあ、それでもヒットすると思うし、リンク送れますよ、僕のほうからも。
ありがとうございます。じゃあ、見てみます。
はい。
なんかディパーソナ迷走って、中でどんなことをしたのかっていうのを公開してはいけないって聞いたような気がしたんですけど、昔。それはないんですね。
いや、僕もそれどうなんかなと思ったけど、言われなかったから、もう言いまくってます。
多分、ハウトゥーのようなことは言っちゃいけないってことなのかもしれないですね。
どうなんでしょうね。いけないんですかね。
いや、私それ聞いたのいつだろう。ずいぶん昔ですけどね。あ、いけないんだって思った記憶がなんとなくあったので。
まあ、なんでしょうね。一部だけを切り取って、誤解される恐れがあるみたいな話はなんとなくそう思わなくもないから、そうなのかなーみたいには思うけど、
まあ、どっちにしろそんな正確には言えないんで、全部完璧にマスターしてないと、中で何をやってるって表現しづらいと思うから、
ああ、そうかもしれないですね。
まあ、言ったところでみたいな感じだと思うんですけどね。
体験の共有
私はご縁歌詞のテープレコーダーが擦り切れて使えなくなってしまうのではないかってすごい心配です。
あの、アナログじゃないと思いますよ。
ああ、そうか。それならよかった。
わかんないですけど。さすがに。
ビデオもVHSではないですよね。
じゃないと思いますね。
よかった。
VHSじゃなくてベータじゃないかな。
ベータ。
ベータ覚えてないか。
あの辺ちょっとぐちゃぐちゃしてて、記憶が曖昧です。
本当ですか。
そうなんですね。
ベジタルになってると思うんで、大丈夫だと思います。
そしたらね、30年後40年後。
ちょっと話をいてきぶりにしちゃったんですけど、
僕がビパッサナ瞑想の本を読んでて、全然違うって思ったり、
ざっくり瞑想ってこんなものみたいなのが、なんとなく世間でイメージがあると僕は思ってるんですけど、
今回それが真逆だったっていう印象が。
逆。
僕の中ではね。
そうなんですか。まるで違うじゃなくて真逆。
僕の中では、順番が逆じゃんそれって思っちゃったっていうのがあって、
ビパッサナ瞑想に関しては、真逆って思ったんですけど、
最初に0日目のビデオ見て衝撃受けたのは、
根っこの部分の理由というか、こうありたいからそこを解消しようとして、
反応みたいなものをなんとかすれば、
いい感覚、悪い感覚みたいなものだけだったら、
33:41
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