体のラインを拾わない服
真夜中の読書会、おしゃべりな図書室へようこそ。
第193夜を迎えました、今夜のお便りをご紹介します。
ペンネーム4meさんから頂きました。
不意に上から目線の発言になってしまったり、不適切な言葉選びが口から滑ってしまった時、相手を傷つけてしまっていないかと不安になります。
そんな時に読んで、今後の注意喚起にできたり、誰に対しても本物の敬意を持って接する心の在り方のヒントになりそうな本があれば教えてくださいと頂きました。
ありがとうございます。
なるほど、深いですね。本物の敬意を持って接する心の在り方って素敵な言葉ですね。
さて、今夜の勝手に貸し出しカードは、石渡隼士さんの言葉にできない思いは本当にあるのか2にしました。
2なのかな?丸2と書いて、はい、2です。
言葉にできない思いは本当にあるのか2ですね。
言葉にできない思いは本当にあるのかの一冊目もですね、以前この真夜読でご紹介したことがあるかなと思います。
石渡隼士さんは作詞家で音楽プロデューサーの方でして、カンジャム、旧カンジャムか、今はエイトジャムですね。
なんかでヒットソングの解説もされていたりして素敵な人だなぁと思っていたんですよね。
その石渡隼士さんのコラム集の第2弾が最近発売になっていました。
作詞家の方だけあって言葉に対する感動、アンテナの精密さが尋常じゃないんですよ。
そこに感動するんだ、そこに反応するんだということに感動します。
今日はもういきなり紙フレーズをご紹介したいんです。いいでしょうか?
ダメと言われても喋っちゃいますけれども。
生まれたての新しい言葉、既存の言葉の新しい使われ方、その人ならではの深い響きが宿った一言、そういうみずみずしい言葉に出会うと私は素直に嬉しくなるのです。
この言葉は帯になっているんですけれども、
作詞家だからっていう職業病みたいなこともあるとはもちろん思うんですけれども、
そういう感動の感性、アンテナというのはお人柄のようにも思いますね。
石渡隼士さんのみずみずしい言葉に出会うと私は素直に嬉しくなるとありますからね。
フォーミーさんのリクエストになぜこの本を選んだのかということと、この言葉はリンクしてるんですけど、
その人ならではの深い響きが宿った一言ってすごくいい言葉だなと思って、
フォーミーさんのおっしゃった本物の経緯をもって接する心の在り方と綴るところがあるんじゃないかなと思いました。
この本はでもいわゆる名言を綴ったピックアップした本ではないんですよね。
最近のヒット曲の中で石渡隼士さんが唸った歌詞のワンフレーズとか、
テレビで芸人さんが言った放ったふとした言葉とか、そういうもので石渡隼士さんがピピッときたアンテナに引っかかったものをピックアップしたり解説したりしている本です。
中でも私が気に入ったねって思ったのは、今日の前読のタイトルにも使わせてもらったんですが、
体のラインを拾わない服っていう言葉を石渡隼士さんが面白いと思ったって話なんです。
体のラインを拾わない服って言い方しますよね。
私はこの人事文に来るまで、つい最近まで女性誌の編集をやっていたので、
特にミモレというミドルエイジの女性向けのウェブメディアにいた時は、
体のラインを拾わないかどうかって服選びにとって大事だったんですね。
だからすごい使ってましたね。体のラインを拾わない服って。
そんなにニューな言葉ではないんですけども、女性子業界、バッション業界では。
ただ石渡隼士さんは最近知って、なんで面白いって思ったかというと、
体のラインが出る出ないじゃなくて、拾うっていう言葉を使っているところだと。
まるで体のラインというのは私の意思とは関係なく服が勝手に拾うものであって、
私は悪くないんですと言わんばかりで複雑な心理がかゆまみえる言葉だと指摘していました。
なるほど本当だ確かにと思ったんですよね。
体のラインが悪いんじゃなくて拾う服が悪いとは思ってはいなかったですけど、
そう言われればそうですね。複雑な心理があるかもしれないですね。
この体のラインを拾わない服っていう時の体のラインは、私が思うにですけど、
実際の肉体のフォルムというよりは下着によってできる凸凹を指して使うことが多いように思います。
ブラジャーとかパンツとかの抑えられた部分ができることによって、
段差ができてしまうのをニットとか薄手のカットソーとか、
タイトめのパンツを履いてるとくっきり見えちゃうっていうことを指して言う気がしますね。
だからより自分の体のせいじゃない服と下着が悪いのであると、
凸凹させる下着と拾う服が悪いのだって思いたい気持ちが滲み出ちゃうのかもしれないと思いました。
心のラインを拾わない会話
そういう意味でとても女性主的な言葉だなぁといい言葉ですね。言われてみれば発明ですよね。
太って見えない服って言われるよりいいですもんね。ずっといいですもん。
さてそれから派生してこれを読みながら考えたんですよ。
体のラインを拾わないなら心のラインも拾ってほしくないこともあるよねと。
心のラインっていうのは下着の締め付けによって強調されてしまう凸凹と一緒で、
不可抗力によって浮き彫りになった感情の凸凹みたいなイメージです。
石渡さんの言い方を借りれば、自分の意思とは関係なく勝手に拾われたものであって、
私は悪くないという言い方ができるんじゃないかと。
大人はね大人社会はその感情の凸凹をあまり出さずにやっていこうとするシーンが多いですけれどもね。
フォーミーさんは怒らせちゃったかなとか上から目線ぽくなったかなイラッとさせたかもって気にされていて素晴らしいすごいことですよ。
そんな風に細かくアンテナを張ろうとしているだけでものすごい心がけ。
でもあえて気づかないフリをするっていうのもありなんじゃないかと思ったんです。
私はその心のラインを拾わない会話っていうのを意図的にやることがあって、
例えばですね、飲み会とか面談とかで悪意を感じた時ですかね。
自分に対してっていうよりかは誰かの悪口を言いたそうだなみたいな時です。
あの人のことをよく思ってないことを何か言いたいんだろうなとか、
この話の流れでちょっとこちらに窯をかけてきてるなとかって気づく時はあるじゃないですか。
そういう時にあえて拾わない、気づかなかったフリをすることがあります。
それはもしかすると今、人事部長の立場においても誰かの悪口特に社員とかスタッフのネガティブなことを言わない、
乗っからない、引き出しすぎないというのをすごく意識しているからかもしれないです。
ネガティブインフルエンサーになるべく近づかない距離を取るようにしているのもあるし、
ネガティブバイブスを拾わない、影響を受けすぎないようにしているのもあって、
わざと無視するというか、言葉に出してこなかったところに関しては拾わないというふうにすることもあるかなと思います。
フォーミーさんのご質問に対する期待されていた答えからは少しずれてきてしまっているかもしれないんですけど、
嫌なことを言わないように傷つけないように気をつけるのはとても難しいので、
どんなに気をつけても自分のネガティブバイブスを引き出されがちな人と距離を取り、
相手のそういう感情のデコボコは気づいても拾わないというやり方もあるのかなという話でした。
機会による行動
それよりは石渡さんのように、これはいい話だなとか、その人ならではの深い響きが宿った一言だなと思ったものを見逃さないようにして増やしていく。
そこに意識を向けていくっていうのはすごく素敵なことだなと思いました。
さて最後に石渡さんがピックアップされていた言葉で、もう一つなるほどいいなと思ったワードを挙げて終わりますね。
石渡さんがお医者さんの内科に行った時に、問診表にアルコール摂取について聞く項目があって、
飲まない、毎日飲む、機械飲酒っていう選択肢だったと。
私も見たことないんですけど、機械飲酒って初めて聞きました。
言い入れてみようというか、いい言葉だなって素敵な言葉だなって思ったと石渡さんは書いていらっしゃって、
機械飲酒、機械があれば飲む。
そうですね、今だとまさに忘年会とか、何か会に誘われた時とか、みんなが乾杯をするようなところで機械があれば飲む。
自分から冷蔵庫からビールを出して飲むやつは機械飲酒じゃないか。自分から飲んでますね。
機械何々って、さっきの体のラインを広がない服の発想と似ていて、
自分の意思とは関係なく、そこに機械があるから機械がある限り断らないけどね、みたいなちょっと責任転嫁感があっていいですよね。
やる機械があって初めてやるということでいうと機械カラオケとか機械フェスとか、
多くのものが機械なんとかなんじゃないかと石渡さんは指摘していました。
読書もね、もしかしたら機械読書でいいんじゃないかと。
ふと機械をいただいたら断らないよくらいのね、機械読書もあるかもしれません。
フォーミーさん、リクエストありがとうございました。
さて、そろそろお時間になってしまいました。
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お届けしたのは講談社のバタヤンこと河童理恵でした。
また水曜日の夜にお会いしましょう。
おやすみなさい。
おやすみ。