自分が寂しいとか、なんか悲しいんだとかっていうのって気がつきにくいんだけど、自分の体の変化をわかるわけですよ。キューってなっているとき、なんかすげー固くなってるってわかるじゃないですか、自分の体の変化ってキューってなってるって。それが寂しさなんですよ、孤独感。そういったものを感じているってことなんですね。
あと喜び。嬉しい、やったーっていう喜びの感情ね。僕あんまりこれがうまくできないんで、何考えてもわからないって子供の頃から言われてたんですけど、自分のお腹の中心から温かなものがふわーって広がっていくような感じ。
ふわーって広がっていって、自分の周りが自分から自分を中心として世界に向けて温かな空気が広がっていくような感覚。これって喜びの感覚だと思うんですよ。
こういった体のフィーリングを感じられるようになると、今すごく俺喜んでるなとか、私すごい喜んでるんだなとか、私すごい寂しさを感じてるんだな、俺今すごく孤独感を覚えてるのかもしれないとかっていうのがわかりやすくなってくるんですよね。
怒ってるときもそうですよね。怒ってるときってやっぱり攻撃的になるじゃないですか。相手からの攻撃に対してやられないように構えるわけだから、攻撃的なスタイルを取るわけですよね。
体がキュッとなりますよね。体がキュッと閉まって、いつでも右ブローを噛ませるぜみたいな感じになるわけですけど、そういうキュッとなってるとき、すごいアドレナリンが出て、うおっしゃーみたいな気持ちになってるときっていうのは、怒りに本能されてるな、怒りに巻き込まれてるなっていうふうに気がつきやすくなるわけですよ。
自分の体の変化にまず気がつくと、これ怒ってるなとか寂しいなとか喜んでるなっていうのがわかりやすくなってくる。怒っているときは怒りでパーって脳が占拠されちゃうんだけど、なんで怒ってるんだろうっていうのを振り返ってみると、
心の体のお腹の中心部から中心部にキューって何か凍りついていくような寂しさを感じているとか、誰かいない場所にされたことがすごく辛くて、お腹の芯がキューっていってついていくような感覚を覚えているとかっていうのがわかるようになると思うんですね。
これが自己理解。ここまで詳しく本には書いてないんですけど、僕が思う自己理解はこれなんですよ。
あと、臨床陳列さんの上十三さんが何度も出ていただいてますけど、上十三さんがおっしゃってるんですよね。自分の体の変化に敏感になるっていうことを確か言ってて、寂しさを感じるときにキューって縮まるように感じますよねってことを上十三さんがおっしゃってて、これだなって思ったんですよね。
自分の心の変化にはなかなか気がつけないけど、自分の体の変化には気がつきやすいじゃないですか。それが自分の心とつながってるってことなんですよね。これが自己理解。まずは自分で自分のことを理解する。自分の感情を理解することが大事になると。それによって自分を大切にしやすくなる。
ごめんなさい。自己理解って二つあって二つに分かれてて、もう一個の自己理解は肯定的側面と否定的側面をバランスよく理解するっていうのを本書で書かれてるんですね。どういうことかっていうと、自分のことを理解しようと思ったときに、自分の中にある良い面と悪い面、簡単に言うとそういった二つがあるじゃないですか。
で、これをどっちかだけピックアップするんじゃなくて、両方とも同じように見る、捉えるってことなんですね。
で、例えば自分の良いところを見ようとしないで自分のことを過小評価しすぎてしまうと、否定的側面、自分のダメなところとか、私こういうところ嫌なのよねとか、俺自分のこういうところ嫌いなんだよねっていうところばっかり身が行っちゃうんですよ、自分の良いところを見ようとしないと。
で、そうなると、非主張的自己表現でこっち行っちゃうんですね。いや、俺なんてちょっと大丈夫ですみたいな感じになったりとか、いや、私の言うことなんか大したことじゃないからってふうにね、下をうつむいちゃうみたいな感じになって。
でも分かってほしいわけですよ、自分の気持ちはね。分かってほしいから、なんで分かってくれないのっていうふうに刺してくんとか刺してちゃいになってしまったりとか、攻撃的になってしまったりとかね。なんで分かんないの?こんなふうに言ってるじゃん。
私の態度見て分かんないの?俺の態度見て分かんないの?って俺言ってるじゃんっていうふうに。逆に攻撃的になったりする。これバランスが悪いからですね。自分の否定的側面ばっかり磨いて。
逆に肯定的側面ばっかり見ていると、自分にとっての自分の悪いとこダメなところっていうのを都合のいいように解釈して、俺こういうとこあるけど逆にそれっていいとこだよねっていうふうに変に解釈して、パートナーの話を全然聞かなくなる。攻撃的になるっていうケースがあるんですね。
自分のいいとこばっかり見てダメなとこ都合のいいように解釈してると、パートナーに対して否定的な発言が目立つようになるんですよ。自分は優れてる。俺上。お前下みたいな。私上。お前下みたいなふうに上下関係を作って、自分は優れてる。お前は劣っているっていうふうに上から見てくるっていうのは結構多いんですよね。
男女ともにあるなと思ってて。僕が聞いた話では、男性が上に立ってしまって妻のことを下に見ていたっていうケースが多いですけど、逆も結構聞きました、話は。こういったふうになりやすいんですよ。だからバランスよく見る必要がある。自分の肯定的側面と否定的側面をバランスよく理解する。どっちも受け入れていく。これが自己理解の2つ目。
3つのうちの2つ目の自己需要に関してなんですけど、僕はこれがすごい大事だなと思っていて、現実の自分と理想の自分の間に距離があってもありのままの自分を受け入れるというのが自己需要なんですね。自分を卑屈に見るんじゃない。私なんてダメなのよとか。俺なんかダメなんだよね。全然理想の姿になってないもん。
俺のゴールはあそこなんだよね。私のゴールはあそこなんだ。私こういうふうになりたいんだよね。俺こういうふうになりたいんだよね。でも全然なってない。ああ、私はなんてダメなんだ。ああ、なんて俺はダメな奴なんだ。っていうふうになるんじゃなくて、今のまんまのその自分を受け入れるっていうことですね。
これは自分を優しく見つめることであったり、自分の不完全さを許すことであったりするわけですね。こうやって自分をありのまま受け入れることができると、相手に対しても相手のこともありのまま受け入れることができるようになるんですよ。
自分に対して優しい言葉をかける。自分で自分のことを癒していく。自分で自分を励ましていくということ。自分が自分の味方になる。こういう言葉ってよく聞くじゃないですか。自分が自分の味方になる。でも具体的なアプローチがさっぽり分からなかったんですけど。
これセルフコンパッションだなと思ったんですよね。そのアプローチって。自分に対して優しい言葉をかけていく。自分のことを受け入れていくっていうのが。これが大事なんですよ。
でね、相手の、自分の夫に対してとか自分の妻に対して、なんかいろいろこう思うこといっぱいあると思うんですよ。なんでお前いつもこうなんだとか。なんであんたいつもこうなの。なんでこんな抜けてるのとか。なんでいつも忘れ物するのとか。なんでいったことやってくれないのとか。なんでここ変わんないのっていっぱいあると思うんですよ。僕らもいっぱいあります。いっぱいあると思うんです。
だけど、所詮人間は不完全な生き物なんですよね。僕最近それをすごい痛感してて。人間って結局不完全な生き物なんですよ。完全な生き物なんか、完全な生物じゃないんですよ。完全って何かっていうと、メディアとか他社のイメージですよね。あの人すごいできてるのになんでこの人できないんだろうとか。
メディアで見てるあの人はすごくすごいなと。でも私はそんなできてないなとかっていうふうに、メディアが作り出した幻想とか、インフルエンサーとか、身近にいるすごいって言ってもいいんですけど、そういった人のイメージに振り回されて、完全性を目指してしまう。そんなもの存在しないんだけど、完全性を目指してしまう。だけどそれに惑わされちゃいけないと思うんですよ。
人間はみんな不完全な生き物なんです。どんな人にもダメなところがあってみんなデコボコなんですよ。そのデコボコが組み合わさっているのが夫婦だと思うんですね。
この人間の不完全性によって、さまざまな葛藤が生まれますよね。さっき言ったみたいに、なんでこれやってくれないの。こうしてほしいんだけど、寂しいとか怒りの感情とか、悲しいとか喜びとか、いろんな葛藤がそこに生まれてくる。
とても煩わしいと思うんですよ。夫婦と向き合うというのは、自分の妻と向き合うこと、自分の夫と向き合うことというのは、自分の中からさまざまな感情が喚起されるわけですよね。それを直視することってすごくつらいと思うんですよ。
自分自身を直視することもなるし、自分たちの、いつも家の中にいる人との関係性を、そこから目を逸らさずに向き合うことって、とても大きなチャレンジだと思うんですね。大きな葛藤がそこに生まれると思うんですよ。
でも、2人の人間の不完全性によって生まれた葛藤、この葛藤を乗り越えることによって、2人の距離って心理的に近づいていくわけですよ。そういったさまざまな葛藤を乗り越えることによって、あなたとあなたのパートナーとの間に絆が生まれるんですよ。その絆は、もちろん2人が完全な生物であったら絶対に生まれなかったものなんですよ。
2人を結びつける絆っていうのは、葛藤を乗り越えるからこそ手に入るものなんだと思うんですね。ということは、人間が持っている不完全性、その不完全性こそが夫婦の絆を強くする、夫婦を近づけていく大きな力になるんじゃないかなって僕は思ってるんですね。
はい、まるでエンディングみたいな感じになっちゃいましたけど、自己重要に関しては僕はそういうふうに思ってます。最後の自尊心について話をしますね。
自分を大切に思う気持ち、自分を大切にできるからこそパートナーに気持ちを理解してもらおうと、そこで初めて思えるようになると。
自尊心がないと卑屈になって非調的になりやすくなるっていうことが書かれてます。自分が自尊心があるからパートナーの自尊心も大切にできるっていうことが書かれていて、ここで僕ちょっとよくわからなかったんですよね。
自分を大切に思う気持ちっていうこと。これってまず自分を理解するじゃないですか。まず自分を理解して、で、自分を受け入れる。ありのままの自分を受け入れる。
で、受け入れる最中に自分を大切に思う気持ちが芽生えてくるんだと思うんですよね。自分を大切にできないと自分のことってよくわからない。
たぶん自己需要の過程の中で、プロセスの中で自尊心が芽生えていくっていうんじゃないかなって僕は思ってます。
自分を理解して、で、自分を受け入れる。ありのままの自分を受け入れる。
ありのままの自分って受け入れられないじゃないですか。
たぶん自己需要の過程の中で、プロセスの中で自尊心が芽生えていくっていうんじゃないかなって僕は思ってます。
というか、妻との関係を悩む男性からの話、僕すごいたくさん今まで聞いてきたんですけど、多くの人はこのプロセスをたどってるんですよね。
自分を受け入れていくっていうプロセスが、もちろんその前に自己理解があるんですけど、
自分の感情とかに気が付くようになるという自己理解があって、ありのままの自分を受け入れていく。
その中で自分を大切に思うようになっていく。
自分の不完全さを許して自分を優しく見つめていく。
それによって妻の不完全さを受け入れないで、妻のことをありのまま受け入れることができる。
自分のことを受け止めてもらえているという感覚が妻に芽生えることによって、妻もっと距離を縮めてくれるようになっていくというのが起こっていくんですよね。
多分そのプロセスの中に入ってくるんだろうなって思ってます。
あと最後に、この本書の中でエクササイズが書いてあって、
こういうエクササイズなかなかやらない人多いと思うんですけど、僕もなかなかやらないんですけど、
自分のプラス面を見つけるというエクササイズがあるんですよ。
簡単に読み上げると、
あなたにとって使える能力は何ですかっていうのをまず書き出す。
以前のあなたと比べて成長したと思うところはどんなところですか。
あなたがこれまでの人生で自分なりに頑張ってきたこと、困難だったことはどのようなことですか。
妻として夫としてあなたが大切にしていることは心がけていることは心がけていることはどのようなことですか。
あなたがパートナーに褒めてほしいと思うことを認めてほしいと思うことは何ですかって書いていて、
これを書き出していくというエクササイズなんですね。
本当に悩んでいる方はぜひやったほうがいいと思うんですけど、
これを読んだときに思ったのがセレブ・コンパーションと似ているなと思ったんですよ。
これって自己信頼を高めるためのエクササイズなんですけど、
自分で自分のことを受け入れていくっていうのって、
自分のことを好きになっていくプロセスでもあるんですよね。
自分で自分のことをケアしていく。
自分が自分に思いやりを与えていくっていうプロセスなんですよ。
これなかなか普段の生活でやらないじゃないですか。
思いやりって他者に対して与えるものでしょうとか、
誰からもらえるものでしょうって多くの人思ってると思うんですよ。
僕もそう思ってたんですよ。
セレブ・コンパーションのワークショップ受けるまでは。
違うんですよ。これだって脳の同じところが反応するんですよ。
誰から思いやりを受け取る、誰から思いやりを与える、
自分が自分に思いやりを与えるっていう脳の同じ部位が反応してるんですよ。
どれか一つを鍛えれば他の部分も鍛えられていくんですね。
一番簡単にできるのが、自分が自分に思いやりを与えるっていう行為なんですよ。
誰から思いやりをもらえることを待っていたら難しいし、
自分の中にある優しさとか自愛の感情とかが少ないと、
他者に対して思いやりって与えづらいじゃないですか。
すごい疲れてるとか、精神的に肉体的にヘトヘトになっている時に
誰かに優しくするって難しいと思うんですよ。
だけど自分が自分に思いやりを与えるっていうのは、
今ここですぐにできちゃうんですよ。
さっき僕がやったみたいにね、あなたはすごい頑張ってるよ。
大変なこといっぱい起こってる。だけどいつもあなたは頑張ってる。
私はあなたが頑張っていることをずっと見てきた。
だから大丈夫だよ。無理しないで。これからも続けていけばきっと大丈夫だからね。
っていう風に、自分で自分に思いやりを与える。
これは簡単にできるんですよね。
このワークの方がやった方がいいんじゃないかと思ってて、
もちろんこのエクササイズも重要だと思うんですけど、
エクササイズをやる中で、
こういった本書、こういったリレーションシップの本の中って
エクササイズいっぱい書いてあるんだけど、
ちょっとやりづらいなとか、やってて何かちょっと
言葉が出てこないなっていう時には、
自分から自分に対する思いやりが欠けているのかもしれない。
自分が自分に対して思いやりを与えることによって、
お基礎心が分泌されて優しい気持ちがどんどん膨れ上がっていくんですよね。
それによって他者に対しても優しい気持ちになりやすくなるから、
僕はまずはセルフコンパッションが必要になってくるんじゃないかなって思ってます。
セルフコンパッションの中身を簡単に言うと、
マインドフリーネスの複式呼吸。
よく妻から言われて、あ、そうなんだってびっくりする言葉があって、
ありがとうと言ってほしかったって言われるんですね。
どういうシチュエーションかっていうと、
例えば子どもたちの誰かが
風邪をひいて保育園を休むことになったっていうときに
妻が仕事を休んで子どもの面倒を見てくれたとき、
家に帰ってきて、
僕が今日大丈夫だったって言うじゃないですか。
ごめんねって話をしたりとかするんですけど、
すごい僕は仕事が忙しくて帰ってきたときに、
妻に対してありがとうとかごめんねとか言われて
僕の頭の中で仕事のことになっていて、
そろそろ今日は妻に見てもらったんだったって思って、
今日はありがとうねとか、
どうだった、大丈夫だったとかって言ったりするんですけど、
今日どうだった、大丈夫だったってことを僕は言うんですよ。
確認のために僕は多分言ってるんだと思うんですけど、
今日一日大丈夫だったかな、妻は大丈夫だったかなって思うんですよ。
そういう状況があるんですよ。
そういう状況があるんですよ。
今日一日大丈夫だったかな、妻は大丈夫だったかな、
疲れ切ってないかなとか心配って言うんですけど、
そういうときによく言われるのが、
ありがとうと言ってほしいって言うんですよ。
そう言われるだけで報われる、頑張れるって言ってたんですね。
僕言ってるつもりだったんですよ。
だけど言ってなかったんですよね。
僕が言っていたのはさっき言ったように、
今日大丈夫だった、どうだったっていう。
その言葉の裏には僕は妻が心配している気持ちがあるんだけど、
もちろんそれも妻にとっては嬉しいんだと思うんだけど、
それよりも、
私が今日一日仕事に行かずに子どもの面倒を見ていたからこそ、
あなたは一日働くことができた。
自分の代わりに子どもの面倒を見てくれてたってことに対して、
感謝の気持ちを持ってほしい、
当たり前と思ってくれないでほしいっていうことなんですよね。
それがありがとうって言葉を求めていることの理由だと思うんですけど、
当たり前だと思わないでほしいってことをよく言われるんですよ。
これすごい大事だなって思う。
僕が仕事に行くこと、
すごく遅くなるときもあったりする。
その間、妻が子どもたちの面倒を見てくれて、
話し合いになったり、
いじめに近いことを子どもが経験したりとか、
宿題のチェックをしたりとか、
3人いるんで話を順番に聞いたりとか、
みんな同時に言われるんですよ。
妻が一人一人話を聞いてあげたりとか、
具合が悪かったら面倒を見たりとか、
病院に連れて行ったりとか、
諸々のことをやってもらっている。
この若屋の場合は、
僕がメインの稼ぎ手なんですね。
だからといって、
子どもたちの面倒を見たりとか、
妻が面倒を見たりとか、
だからこそ、
僕の仕事を休ませないように妻はするんですよ。
妻自身も言ってて、
メインの稼ぎ手だからこそ、
休まずに仕事に行ってほしいっていう気持ちが
そこにあって生かしてくれてるんですよね。
これを生かしてくれているっていうのもあるんですよ。
妻が家のことをやってくれている、
子どもたちの面倒を見てくれている、
家庭を支えてくれているからこそ、
僕が働ける、稼ぐことができる。
僕が好きなこともできる。
そういった土台があるんだよ。
私という土台があるんだよ。
妻という多大なるサポートがあるからこそ、
あなたはそういうことができるんだよっていう。
それを忘れるなと。
当たり前と思うなよっていうことを、
本当に言われるんですけど、
まさにそうだなと思うんですよね。
いろんな家庭があるからみんなそれぞれ別々だと思うんですよ。
あくまでも僕らの場合はって話なので。
これが昔の言葉で言うなら内所の子とかと言うのかもしれないけど、
内所の子って感覚とはちょっと違ってて、
今僕らが暮らしているこの家庭の中における関係性を考えると、
するのがベターだなっていう選択っていう 考え方を僕ら二人がしているから
この選択を取ってるんですよね 僕が働く妻がお供の面倒を見てくれるっていう
もちろん僕も仕事休んで面倒みたいとかする時もあるんですけど 比重は妻の方が高いんですよ
僕らはあえてその選択をしたんですね それを何だろう
過不調性っぽいとか 内緒の子っぽいとか
女性差別的な感じで見慣れないのかな 見る人もいるんじゃないかなって思ったりもするんですね
だけどそうじゃないんですよ これはすごく伝えるのが難しくて 何て言ったらいいのか分からないけど
僕ら二人の関係性の中から生まれてきたやり方なんですよ 人それぞれ違うと思うんですよ
みんなそれぞれ その人の性格も違うし 男性の性格 女性の性格 妻の性格 夫の性格も違う
その二人が織りなすリレーションシップも もちろん異なったものになる 僕らとはね 全然変わったものになるはず
これを聞いているあなたたち夫婦における夫婦関係と 僕と妻における夫婦関係は
重なってる部分もあると思うんだけど 昔は違う部分もあると思うんですよ
どういったやり方がベターなのかっていうのは きっと違うはず それを
何だろう 探し続けるのが夫婦関係なのかなって思うんですよ お互いにパチンとしっくりくる
何か こう 何だろう 言葉に立たせてもしっくりくるような関係性というか
世の中の定義はこうよねとか 最近はこうよねとか 今の時代 こういうふうになってきてるから
夫婦はこうあるべきよねとかって言うんじゃなくて 何だろう それにとらわれずに
自分たちにとっての関係性を探し続けていく それは
今は夫婦2人が共に働いて 共に子どもの目の見るのが大事っていう価値観があるよね
それに振り回されすぎてもいけないと思うんですよ そうじゃなくて 自分たちにとっての夫婦関係
これは過去も未来も流行りもしたりも 別にないと思うんですよ 自分たちの関係性の中で生まれてくるものだから
そこをパチンと見つけられたら 2人の関係って強くなっていくんじゃないかなって思ったりもしてます
なんでこんな話になったのか分かんないですけど ありがとうと言ってほしかったって話か そうなんですよ
だからね 僕 女性に伝えたいのは 何て言ってほしいのかっていうのを
夫に伝えたほうがいいと思うんですよ 僕は言ってもらえてよかったんです 嬉しかったんですよと分かんなかったんで
ああ そうだったのかって そういうふうに言ってほしかったんだって そこから思いを巡らすことができるんですよね
なんでそういうふうに言ってほしいのかなっていうのを考えてきやすい
だから どんどん言ったほうがいいと思うんですよね 何て言ってほしいのか それが分かると 行動がしやすくなっていく
最初はね なんでそんなわざと言わなきゃなんもないんだ わざとらしいじゃないかって