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  2. #275 「ウチの妻」という言葉..
2021-11-16 13:42

#275 「ウチの妻」という言葉から読み解く夫婦関係悪化の原因とは?

あなたは自分の妻を「うちの妻」と呼んでいますか?
「うち」という言葉に含まれる無意識の影響力とはなにか?
なぜ「うちの妻」という言葉が夫婦の不仲を呼び寄せるのか?
詳しくお話しします。
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アツの夫婦関係学ラジオです。このラジオでは、妻との関係ネーム男性向けに夫婦関係改善のヒントへの発信をしています。
あなたは自分の妻のことを、うちの妻と呼ぶでしょうか?それとも、僕の妻と呼ぶでしょうか?
今日はこの違いについて話をしていきたいなと思うんですけど、よく使いますよね。
うちの妻とか、うちの奥さんとか、うちの嫁さんとか、言ったりすると思うんですよ。
僕も、うちの奥さんとか、うちの妻とか、言う時もあるんですけど、
あと、うちの会社とか、言う人もいますよね。会社のこととかを。
これ、なんでうちって言うんだろうかって、ちょっと思ったんですよ。
うちのって言った時に感じる感覚と、僕のって言った時に感じる感覚って、ちょっと違うと思うんですよね。
例えば、会社って言うと、うちの会社さーって言うじゃないですか。
で、僕の会社がさーって、あんまり使わないと思うんですけど、この違いって、
この、うちの会社って言う時って、所有格のmyじゃないんですよ。
英語で自分のってmyって言うじゃないですか。my companyとかね、my bookとか言いますけど、
うちの会社がさーって言う時って、経営者でもない限り、自分が働いている会社のことって意味ですよね。
自分が所属している会社ってことなんですけど、なので、うちの会社って言う時って、
僕が所有している会社って意味じゃないんですよね。
これって、このうちのっていう言葉っていうのは、所有格じゃないってことなんですよ。
辞書で引いてみると、ある一定の区画範囲の中ですとか、自分が所属しているものですとか、
ものの包み込まれた中側っていうのが、うちって言葉の定義になるんですね。
そう考えるとすごくわかりやすくて、うちの会社って言う時っていうのは、
自分が所有している会社っていうことで言ってるんじゃなくて、
自分が所属している会社の一員として、その会社の中に自分が含まれているイメージとして、
うちの会社って言うんですよね。
自分が経営者で、自分が経営している会社ってことじゃなくて、
自分が所属していて、その内側に存在するということで、うちのって呼ぶっていう。
これって何か意識するまで、僕もあんまりわかってなかったんですけど、
そういうことかっていうのを最近思って、で、ちょっと話に戻るんですけど、
じゃあこれを、うちの妻とか僕の妻っていうところに応用して考えてみると、
僕の妻って言うと、僕が結婚している配偶者のことですってことになるとは思うんですよね。
だけど、うちの妻とか、うちの奥さんとか、うちの嫁っていう時って、
その時のうちっていうのはマインじゃない、そういうかけの英語のマインじゃない感じがしません?
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自分が所属している家、この家という組織の中の一人としての妻というふうな認識、
そういったイメージで呼んでるんじゃないのかなって思うんですよ。
うちの妻がさあとか、うちの子がさあとかって言うじゃないですか。
うちの子がって言う時って、私が所有している児童がっていう意味でつかないですよね。
私が所有している息子がっていうふうには訳さないといけない。
うちの子がっていうふうには訳さないと思うんですよ。
うちの子がって言う時って、うちの家の子がって、
うちが自分が所属している家族の一人の息子がって意味で使うじゃないですか。
こんな堅苦しく考えるちょっと変な人あんまりいないと思うんですけど、
僕はちょっとこれを考えたんですよ。
うちのっていう、うちっていうのは物の住み込まれた内側、中側っていうことであって、
○○家っていうその家族の中に含まれている妻という存在なんですよね。
これを考えるとですね、妻と夫が一つの枠の中に入っているっていうイメージなんですよね。
円形のこの枠があって、その中に夫と妻が入っている、包み込まれていると。
これ僕ノートでも書いたので図解しているのでそっちをぜひ見ていただきたい、読んでいただきたいんですけど、
ちょっとわかりやすく図にしてますんで、何言っているかよくわかんないなって方はぜひノートの方を見てみてください。
円の中に夫と妻が入っている状態ってこれがうちの妻とかうちの夫とかいう時の心理イメージだと思うんですよね。
これを言うと極端だと思われるかもしれないんですけど、
こういう感覚、うちのっていう感覚っていうのは相手と自分を同一視する傾向があるなって思うんですよ。
自分の延長線上に相手がいる、自分の延長線上に妻がいる、自分の自我の延長線上に妻がいるといったイメージを抱きやすくなるんじゃないのかなって思うんですよね。
これ会社でもあると思うんですよ。自分の会社、うちの会社がさあみたいな感じで話をしている時って、
自分が働いている会社のメンバーがみんな自分と同じような感じだと思っている人って結構いると思うんですよね。
みんな同じような上下の差もありますけど、横で見た場合って年収だいたいみんな相当つくじゃないですか、これぐらいかなみたいな。
で、大きな差ってないわけですよ、横の差で見ると。上と下で見たら、上下で見たら差はありますけど、横で見た場合、自分の同僚と自分との年収がそんなに大きく変わるってことはそこまでない。
だからその同じような人間じゃないのか、性格も似ているような人が集まるんですよね、会社っていうのは不思議なことに。
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だから自分とその周りの人を同一視するような傾向があるなって僕は思うんですよ。
僕5,6社ぐらい会社で働いてたんですけど、やっぱり会社それぞれみんな特色が違ってて、働いてる人みんな違うんですよね。
その会社それぞれで似てるような人が集まってるんですよ、やっぱり。
この会社でこういう人が多いなとか、あの会社でああいう人が多いなみたいな、なんか集まっちゃうんでしょうね。
集まってくるのか似てくるのか、もともと多分そういう人が集まってきて、なおさら一緒に仕事をする中で同調していくんじゃないのかなっていうふうな気がしています。
で、そうなってくると、自分と相手を同一視すると、そうなると、相手のこの自我というものを認識しづらくなるんですよね、はっきり言うと。
で、夫と妻はお互いに同じような枠の中にいるというふうに思っているんだけど、だけど実は当たり前ですけど別人じゃないですか。
違う人間ですよね。違う人間なので全く違う自我を持ってるんですよ。
妻は妻の自我がある。で、夫は夫の自我がある。
それぞれが自分たちのまた違った枠の中に入ってるんですよ、それぞれが。
それぞれが自分だけのこの枠の中に入っている。その枠が僕は自我だと思うんですけど。
で、これがですね、その相手の自我というものの存在が分かりづらくなってくるんですよ。
このうちっていうものを意識というか無意識に使っていると。
うちという概念を無意識に使っていると、相手に自分、その妻に自我があると。
妻の周りに自我があると。
自分とは違うそういった枠のようなものがある。
それが目に見えなくなってくるんですよね。
そうなってくると、相手の文脈に立ちづらくなってくるんです。
何回か前に話をした、妻の文脈に立って考えるという話をしたんですけど、
それって多分相手の自我を認めることでもあると思うんです。認識する。
認識してそこに寄り添うということだと思うんですけど、
相手に自分とは違う自我があると。
相手は自分とは違うものの中に包まれているということ。
そういったイメージを認識することができると、
相手の立場に立ったりとか、相手の文脈で物事を見れるようになるんじゃないのかなって僕は思うんですよ。
僕が結構意識しているのが、僕と妻がそれぞれ違う枠の中に入っている。
それは自我と呼ばれるものなんですけど、
その上でさらに家族という枠組みの中に入っていると。
家族という一つの枠組みの中に僕らは入っているんだけど、
その中でお互いが別々の自我という枠の中に入っている。
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二重の枠があるってことなんですよね。
これもですね、ノートで図解しているので、
何言っているんだろうって、何言っているのってわからなくなってきそうなんですけど、
ちょっと何言っているかわからないなって方はぜひノートの方をご覧になってください。
ちょっとわかりやすく図にしていますので。
それぞれが別々の人間として自我を持っていると。
それをですね、その自我を意識して見るようにするんですよ。
物理的に目に見えるものじゃないんです。
すごい曖昧な、今僕は伝え方をしています。
わかりづらい伝え方になっていると思うんですけど、
目に見えない、目に見えないんだけど、
会話を重ねていくと、相手と自分の差っていうのが見えてくるじゃないですか。
そういう考え方をするんだとか、そういうふうに思うんだとか、そういうふうに感じるんだとか、
というふうに感じ方とか考え方、思考とかの違いっていうのが、
話すことによって見えてくるんですよね。
対話によって見えてくる。
さらに言うと、話を聞くことによって見えてくるんです。
対話を通して妻の話をたくさん聞くことによって、
話を深掘りしていくことによって、
自分と違うんだなと、こういう感覚で物事を見ているのかと、
こういう感覚で物事を考えているのか捉えているのかということが、
だんだんと見えてくるんですよ。
物理的に存在するものじゃないので違って、すごいわかりづらいんですけど、
だけど対話を通す中で、対話を重ねていく中で、
なんとなく感覚としてイメージできるようになるんですよね。
そこに自我がある、妻の枠組みがあるっていうことに。
僕はこれなんだろうな、さらにそれが家族という枠組みの中に
僕らがそれぞれ入っているんですけど、
その中で妻のことを自分と同一視していると、
同じように見ちゃうわけですよね。
自分と同じように考えるだろうとか、自分と同じように感じるだろうとか、
なんでそう思わないのとか、なんでそう考えないのとか、
だってこれ普通じゃんとか、普通こう考えるでしょとか、
って思っちゃうじゃないですか、どうしても。
僕も思うんですけど、
それって多分相手のことを自分と同一視しちゃってると思うんですよ。
相手が含まれている、相手の外側に存在する自我というものが、
枠組みはみんな見てないんですよ。
それは見ようとしてない。
見ようとするとそれが見えてくるんですよね。
そこが大事なのかなって僕は思うんですよ。
この家というのがですね、
自分の自我というのを、相手の自我というのを認識せずに、
自分たちの周りを包んでいる家というもののイメージ、その概念というのは、
相手の自我というのを見えなくさせる、
浸食していくような効果、作用があるんじゃないのかなって僕は思っているので、
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この家というものの概念というのは、
ちょっと意識しないと見えてこないし、
気をつけないと妻と自分を同一視してしまう。
ちょっと危ないというか、その危険な概念。
夫婦関係においては危険な概念だと思うんですよね。
なのでお互いがお互いの自我を尊重して、
その上で一つの枠組みの中にあるというイメージ、
この感覚をイメージして相手と向き合うことが、
夫婦関係においては大事なんじゃないのかなって思っています。
はい、という話でした。
この話はですね、ノートの方でも記事でまとめてますので、
ちょっと何言ってるかわかんないなとか、
イメージできなくない?それは?っていうね、
ちょっとわかんないよって方は、ぜひノートの方も見てください。
はい、ということで、妻との関係悩み方の参考になれば幸いです。
あとこのつまんだ文脈に立つっていうのはね、
ちょっとわかりにくいかもしれないので、
また別の機会に詳しく話をしていきたいなと思います。
はい、えーと、
ノートのサークル機能を使って、
あつの夫婦関係改善カバーセリフタイマスという名前で、
妻との関係を悩む男性向けにアドバイスをさせていただいてます。
妻との関係を悩んでいて、本気で、
どうにかしたいと思う方はぜひご連絡をください。
僕は一時に搬送していきます。
えー、あと質問箱の方では、
夫婦関係に関するご相談、男女問わず受けてますので、
ぜひこちらもご利用ください。
はい、ということで、今回も最後までありがとうございました。
また明日、お会いしましょう。さようなら。
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