こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナルアイディアのアツです。このポッドキャストでは、多彩なゲストを招きし、家事・育児・キャリア・セックス・フリン・離婚など様々な葛藤をサバイブするためのナレッジをお伝えしていきます。
今回は、合同会社コンパッションリーダーズ代表三神良子さんをお迎えし、三神さんが一般人向けに提供されているコンパッショントレーニングについて伺います。
はい、今日は合同会社コンパッションリーダーズ代表パーソナルコーチ三神良子さんにお越しいただいています。三神さんよろしくお願いします。
よろしくお願いいたします。
今回三神さんにお越しいただいた理由が、東京生徒大学の石村先生のご紹介で、以前コンパッションの会で詳しくコンパッションについてお話しいただいて、
僕も石村先生に教わったんですけど、石村先生が提供しているワークの時間が夜になっちゃうと、
そうなると、何ですかね、主婦の方ですとか、あとは働いている方とかでもちょっと夜難しいという方が多いので、
昼間にやられている方がいらっしゃったらご紹介いただけませんかっていう話をちょっとさせていただいたら、いますよと。
私より全然うまいですよと石村先生がおっしゃっていて、もう私なんか全然うまいんですっておっしゃってたので、ぜひちょっとお話をお伺いしたいなと思って来ていただきました。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
なんかあつさんの石村先生のモノマネがすごくうまくて、笑っちゃうなって今思いながら。
僕ね大好きなんですよ。石村先生大好きで、つい真似したくなっちゃうんですよね。
白心の演技だなって思いながら。
じゃあ三上さんから自己紹介をお願いしてもらっていいですか。
ありがとうございます。合同会社コンパッションリーダーズという会社を先月作りまして、私も石村先生のところでコンパッションを学んで、本当にこれはいいなっていう心の底から思って、
ぜひこれを一般の方向けに広めたいなっていう気持ちで、12回の連続講座を作って、実はもうベータ版として5回ほど提供しているんですけれども、この度会社を作って公に向けてやっていこうっていう、そんなところにいます。
なるほど。
次はですね、コーチングのコーチであるとか、研修の講師をしていて、これからでもメインのお仕事をコンパッションにしていきたいなと思っているところです。
そのコーチングが今までずっとやられていて、これからそのコンパッションを使ったコンパッションマインドトレーニングを中心にこう扱っていこうって感じなんですか。
もうですね、今はまたパラレルでやっていこうという気持ちなんですけれども、徐々に軸足をコンパッションマインドトレーニングに移していきたいなと思っています。
わかりました。ちょっと詳しく、たぶんこれを聞いている方の中で、ぜひ受けたいなとコンパッションを学びたいなという方は結構多いと思うんですよ。
だけど心理科さん向けのものがあったりとか、あるんだけどちょっと一般向けなかなかないなとか、時間帯ちょっと厳しいなという方もいるんで、たぶん興味持っている方はたくさんいると思うんで詳しく聞いていきたいんですけど、
コンパッションマインドトレーニングの内容ってどういった感じなんですか。
コンパッションマインドトレーニングなんですが、コンパッションというものはそもそも何なのかということで、
石村先生のお話に定義されたかもしれないんですけれども、まず定義としては、人生には困難苦しみがあるということを大前提としていて、
実はこれって仏教から取り入れられている考え方だと思うんですけれども、しっかりそれについて気づく、まず感受性を育てていきましょう。
苦しみがあることに気がつくってことですか。
そうですね。
例えばこんなことが普段起きてるんじゃないかなって思うんです。
家族であったり、同僚であったり、何か周りの大切な人が悩んでいるなと思ってても、ちょっと自分に余裕がなかったり忙しかったりすると、声かけるのをやめておこうかなとか。
ありますね。
そこには忙しさもあるかもしれないし、遠慮。
自分なんかが声かけても何の力にもなれないっていう遠慮もあったりするかなと思いますよね。
もしくは自分自身に対しても、何か悩んでいることがあっても、これぐらいのことで悩むなんて自分が弱いからよくないんじゃないかとか、
周りの人の方が悩んでいるのに、こんなことで悩む自分が良くないんじゃないかっていう風に、なかったものにするっていう時もあるんじゃないかなと思うんですよ。
自分を責めすぎてしまってとかってことですか。自分の無力感とか、自分なんかできないんじゃないかとか、っていう風に思ってしまう。
とか、悩み自体を軽く考えてしまうっていう感じですかね。
私は傷ついてないんだっていう、大したことじゃないんだ。
そうですね。
でもそうではなくて、悩みっていうのは人それぞれであって、自分自身は苦しんでいるんだっていうことをしっかり認めて受け止めていくっていうこと。
そして受け止めたのであれば、しっかりそれを取り除くっていうことをアクションしていきましょうっていうこと。
染みを取り除くアクションを常に取っていく。
そうですね。
でもこの定義がわかったとして、じゃあどうやって取り除いていくのってすごく難しいじゃないですか。
そこで来てくるのが、コンパッションの学びですね。
どうやったら取り除けるのかっていうことの知恵が実はコンパッションには詰まっていまして、
それこそ仏教であったり、いろんな心理療法であったりからの役立つ知恵っていうのがあるので、これを学んでいく。
そして学んでいったとしても、それって自分自身が変化することだから、とっても怖いんじゃないかなと思うんですね、人って変化すること自体が。
自分の変化がってことですね。
変化するために必要なのは、強さと勇気、そして決意って言われていて。
もう一回言ってもらっていいですか。
いいですね。すみません、ちょっと言っちゃいました。
強さと勇気。
強さと勇気。
そして決意です。
決意。なるほど。
自分は変わるんだっていうことを決意することってすごく大事なことかなと思うんですけれども、
それを後押しするのが、強さであったり勇気であったりっていうことですね。
なるほど、なるほど。
思ってるだけ、決意した、よしって言うだけだと何も変わらないけど、変化は起こらないけど、その決意を実現するための強さと、その自分の行動を後押しする勇気が必要になるってことですね。
そうなんです。
なるほど、なるほど。
なのでまずは苦しんでいること、悩んでいることに気づく。
そして取り除いていくために知恵をつけるし、あとこの決意、強さ、勇気を培っていくっていうことを講座の中ではやっていきます。
なるほど、なるほど。
ちょっと説明長くなっちゃった。
まず世の中、人生というのは苦しみがあるんだということに気がつく。
そしてそれを取り除いていこうと。
取り除くためにはどういったことが、どういったアクションを取ればいいのか、どういった考え方をすればいいのかっていう知恵をつけていく。
そして取り除くという決意、自分は変化するなという決意を持つ。
その決意を実現させるために強さと勇気を育んでいくと。
この強さ、勇気、決意を培っていくことで自分自身に変化を起こしていく。
そして変化に伴う恐怖を和らげていこうという感じですかね。
そうですね。
なるほど。
三上さんはどういった方宛てに提供されている感じですか。
サラリーマンとかビジネスパーソンとか。
そうですね。今はいろんな方がいらっしゃるんですけれども、
基本的にはお勤めをされていらっしゃる方ですかね。
なんか雇用形態にかかわらず、
頑張ってるんだけれども自分のことを認められないなっていう方が多いなというふうに感じています。
自分頑張っているんだけど、
自分で自分のことを自分で自分のその頑張りを認めてあげれない人ってことですか。
そうですね。
なんで認めてあげれないんですか。そういった人たちは。
自信がないから。自分なんかが。
そうですね。
もっともっと頑張らないととかって思い込んでる。
今ってすごくいろんな情報が入ってくる時代ですよね。
テレビ以外にもYouTubeだったり。
これこそね、これも発信の一つになるんですけど。
そうですね。ポッテキャスト、ブログとかいろいろ確かに情報が世の中に溢れてますよね。
なので自分よりすごい人っていうのがすごく目に入ってきやすい時代なのかなっていうふうにも思いますし、
あとは働いていると、あるいは学校もそうかもしれないんですけれども、
他の人との比較っていうのが基本あって、
自分の良くないところというか不足しているところに気づかせるシステムになっているんじゃないかなと。
確かに。
学校、教育システムはそういうの多いですよね。原点方式みたいな。確かに。
気づいたのであれば、基本そこをほっとくんじゃなくて、克服していこうっていうふうに持っていかれるので、
どうしても自分の至らないところと他者の良くできるところを付き合わせて考えるっていうことになりやすいのかなって思うんです。
辛いですね、それは。
そうですね。
あの人はこれができて、私はこれができる、ではなくって。
そっか。
自分のマイナスと人のプラスって比べちゃうからすっごい差ありますね。
そうですね。
そっか。それで無能感とか魅力感とかに苛まれやすくなっちゃってる。
じゃないかなというふうに思います。
なるほど。そういった方たちがこのコンパスションマイナトレーニングに通うことでどういった変化が起こってますか。
まず自分とのつながりを取り戻していくっていうのが一番最初に起きることですかね。
自分とのつながり。
はい。
それは例えばどういったことですか。
自分、さっき感受性を育てるっていうのがありましたけれども、
自分で実は本当にこんなことで悩んでたんだっていうことを、少し深いレベルで気づいていくっていうことが起きて、
しかもそれをダメなものだとして受け取るんじゃなくて、
そう感じてたなんて、いじらしいとかかわいそうとか、
意味で慈しむようにとか、
意味で共感してあげられる形になると、すごく自分とつながったっていう感覚になるんじゃないかなと思うんですね。
自分自身への共感って不思議な言葉ですね。
これね、できてないことあるんじゃないかなと思うんですよね。
私のこういうところが良くないとか、こんな風に感じるのがダメなんだとか、
そんな風に共感どころか対立をしながら生きてるっていうのが、
私たち人間には普段結構あるんじゃないかなと思います。
ありますよね。
僕、石間先生のレッスンを受ける中で一番最初にすごい抵抗を感じたというか、よくわからなかったのが、
自分のことを他者のように見る感覚じゃないですか。
自分自身の共感って、自分は自分だから自分に対して共感するって言葉的におかしいなと思って、
誰かに共感する、他者に共感するんだったらわかるんですけど、
自分自身に対して思いやりを持つとか、共感するとか、
慰めてあげるとかっていう感覚が最初すごいよくわからなかったんですよ。
そこってどうやってできるように気づいていけるようになるんでしょうね。
そうですね。
人って一つの意識しかないと普段思って暮らしてると思うんですけども。
自分しかいないと思ってますね。一体化してます。
ですけれどもよく見てみると、実はいろんな自分がいるんだなっていうふうに思っていて、
例えばですけれども、夏休み海外に遊びに行きたいなっていう自分もいたら、
今海外って円安だから行ったら本当に苦労するんじゃないかみたいな。
2つの相反する自分がいて、それぞれ自分が持っている感情だったりニーズだったり、
希望って全然違うものなんですよね。
なので、コンパクションって結構いろんな自分がいるんだよねっていうことに
内側認識を向けることで気づいていくんですけれども。
なるほど。ちょっと待ってくださいね。
どうぞどうぞ。
ちょっと洗濯物を入れちゃっていいですか。すいません。ちょっとだけ待ってください。
すいません。お待たせしました。
いえいえ。
ちょっと雨が急に降りそうになってきて取り組みました。
大丈夫ですか。間に合いました?
はい。大丈夫でした。ありがとうございます。
よかった。いえいえ。
あとは私、今やっている講座を8人までの少人数のワークショップ形式にしてるんですけれども、お互い同士で気づきを与え合うっていうのがすごく大事だなって思っていて、
他の人が一人でもそういった体験をされると、周囲の方に一緒に参加している方の刺激になって、そう言われてみると、自分もそういう気持ちで過ごしてみようかなとか、意味の連鎖が起きてるなというふうに思います。
そっか、それなんとなくわかります。僕も石間先生のワークショップの中で、あの時あれも多分10人ぐらいだったと思うんですけど、毎回2,3人ぐらいのグループに分かれて感想を言い合ったりするんですけど、
その時に他の人が話してる内容を聞いて、あ、そういえば自分も似たような感覚あったなっていうのが出てきやすかったりしたんですよね。
コンパッションって話ずれちゃうんですけど、本を読んでるだけだとなかなか習得難しいなって思ってて、なんでグループワークが公開的なんだろうなって思ってたんですよ。
その理由の一つが、他の人の経験談も聞けるからっていうのがあるんですかね。
あ、あると思います。自分の視野って意外と狭いんだと思うんですよね、一人で。
他の人の視点を借りて、初めて幅が広がっていくっていうことも起きますし、
ワークショップの中で意見の交換をする時に、コンパッションを学んでいる人同士であれば、その意見交換自体がコンパッションの質感を帯びていることも結構あるんじゃないのかなと思っていて、
なるほど。
思いやりの気持ちを込めて例を出している、相手のためにもなるようにとか。
そうですね。確かに僕もそうだった。
あ、そんな感じしますか?
そんな感じしましたね、確かに。
自分が伝える時も相手に情報をボーンと出すんじゃなくて、相手に伝わるように言葉を選びながら、思いやりを持ちながら話すし、
向こうからも話をしてくれる、体験をシェアしてくれる時も、ただ自分があった話をこうなんだよね、ボーンと出すんじゃなくて、その時感じたことを気持ちを込めて話してくれて、相手が体感できるような話を聞くことで体感できるように話してくれる人は結構多かったなって。
あれは確かに思いやりだったんだなって気がしますね。
もちろん日常でも他の人の気持ちを考えながら話すことって全然あると思うんですけれども、ちょっとどこに軸足を置いてるかっていうのが全然違うなと思っていて、日常会議で発言するときって、自分はどう思われるんだろう、こんなことしたら良くない発言だって思われるんじゃないかっていうように、
ちょっと恐怖の感情に軸足を置いて、他者の気持ちを考えたりとかしてるのが、コンパッションを学ぶとそうじゃなくて、自分の温かい気持ちに軸足を置いた上で、相手がどう受け止めるのかっていうのを考えて話せるので、
同じ相手の気持ちを考えて話すのでも、だいぶ伝える感情とか、相手に対してのイメージとか、こういうふうに受け取ってくれるんじゃないかなっていうイメージを持つっていうのがだいぶ違うんじゃないかなと。
分かります、確かに。
その石間先生の授業の中では、脅威システムと数字のシステム、ドライブシステムってあったじゃないですか。
あれ最初すごく難しかったですけど、脅威システムって何か怖いとか、何かやんなきゃとかっていう、そういった焦りとか怒りとかによって突き動かされるアクションってやっぱり、他者に対しても同じような感覚を与えてしまうし、
誰かに対して思い入れを向けたり、自分に対しても何かアクションを取るときって、その気持ちが穏やかになれる数字システム、そこに軸足を置くことで、相手にも自分の気持ちがちゃんと伝わりやすくなるし、自分の気持ちにも深くアクセスができるし、自分に対しても慈しみを持てるようになるなって思ったんです。
三上さんの話はすごく分かりやすいですね。そういった専門用語を使わずに、何だろう、温かな部分に軸足を置いてとかっていう話し方がすごい分かりやすいですね。
よかったです。
心理師さんとか心理学会の用語を全然使わないじゃないですか。あえてやってるんですか。
そうですね。自分自身も心理師さんと違っていて、普段からコーチングも専門用語を使うと良さが全く伝わらないっていうことになるので、専門用語を使わないようにしてるので、それがこちらでも同じ考えでやってるっていう感じですね。
これは受講者が理解がちょっと難しくなっちゃうから、受講者にとっての言葉を選んでるってことですか。
そうです。受講者の方にとっての言葉だし、これから私たちコンパッションを社会に広めていきたいっていう時に、社会、対象が社会って考えると難しい言葉を使ってる場合じゃないっていうのはありますよね。
あえてやられてるんだなと思って、分かりやすくなるようにちゃんと、多分このワークショップの中でも難しい言葉、難しい概念を分かりやすく噛み砕いて、その人にとって分かりやすい、心理師とかそういう専門分野の人じゃない人たちでも分かりやすいように噛み砕いてるんだろうなと思ったんですよね。
そうですね。一般の方が来ても、しっかり受け取ってもらって学びが持って帰れるようにっていうのは意識しています。
なるほど。さっきの話のまとめになっちゃうんですけど、三上さんのコンパッション前のトレーニングを受けられた方の変化としては、自分自身とつながれるようになることと、他者からの思いやりに気をつけるようになる。
他に何かもしあったりしたら教えていただいてもいいですか?
そうですね。具体的なところで言うと、例えば進路を決められたっていう方とか、すごい具体的だなって思うんですよね。
学生さんだったんですか?
転職の方が多いんですかね。
転職、なるほど。自分の本当の気持ちに気をつけて踏み出す勇気がもらえたみたいな話ですか?
おっしゃる通りです。そうだと思います。
そっか、そういう変化もあるんですね。
そうですね。やっぱり転職って道のことだから失敗するかもしれないって怖いですよね、みんな。
そうですよね。
かといって、本当に進みたい道じゃないと転職する意味がないというか、不満足な結果になると思いますし。
怖いですね、それは。僕5回ぐらい会社変えてるんで、転職の怖さってすごくわかりますね。
行った先が合わなくて辛かったこともあったし、行った先が買収されて全然違う会社になっちゃったこともあるし、行った会社でクビになったこともあるし。
でもこれそれってあれですか、三上さんがコーチングもやられてるからそういったその転職的な部分に関してもアドバイスされたりとかもしてるんですか?
それが全くないんですよ。
えーそうなんですか。意外組み合わせてるのかと思ってました。
意外とコーチングって質問を基本的に使ったコミュニケーションで、質問することによって相手に主体的に考えてもらう。
試めていきますから、ワークショップの中で確かに使ったりはしますけれども、何か絶対にこの答えを見出してほしいっていうような関わり方をしたりとか、アドバイスをしたりとかはしないので、
コンパッションする上でその人が課題を多分自然に決められて、自然にその課題に対する答えを作っていくっていうことが起きるんだろうなと思います。
なるほど。なると遠足だけじゃなくて、人生の決断をするときに自分にとって最適な道を選びやすくなったり、踏み出す勇気がもらえたりとかしそうですね。
そうですね。
結構多そうですね。
何パーセントだと思いますか?じゃあ。
4つのうちの2つ目、みんなはどう思ってる?日本人に多そうだけどな。
5割、6割ぐらいいるんじゃないですかね。
ありがとうございます。実はここ70%って言われてて。
ほとんどだ。
社会の中心を成している方々が多いですよね。
なるほど。
デメリットとしては、やっぱり自分自身が曖昧というか、意見が曖昧というか、自分がどうしたいのかとか、どう感じてるのかっていうのがわからなかったりとか、ちょっと周りと違っていると自分のことを責めてしまったり。
不安になったりとかしますよね。
そうなんですよ。でも一方でやっぱり協調性があって、しっかり周囲を見て行動していくことができるので、社会の安定につながっているとも言えると思うんですよね。
なるほどね。社会を支えている人たちってことですね。
おっしゃる通りですね。
なるほど。それが2つ目ですね。
3つ目どうなるかというと、私はこうですっていうのがありながらも、他者の気持ちも両方わかった上で、最適解が出せるという段階になってきます。
リーダー的な感じですかね。
そうですね。組織の中だったりコミュニティの中ではリーダー的な役割を担っている方が多いんじゃないかなと思います。
しかもなんかこう、最初の段階の私が私がって言った人の私の意見っていうのが、なんかちょっとこう、自分中心で欲求ベースっていうんですかね。
自分に都合のいいようにっていう感じの私がだったのに対して、3つ目の段階になると、私がっていうのに高度な価値観が入ってきて、社会のためにいいことは何だろうとか。
なるほど。
広い視野での私はこうしたいっていう意見が出てくるっていう感じですね。
なるほど。社会的視野がそこに入るようになるんですね。
そうですね。
みんなのために近いですね。それが自分の価値観と一致しているってことなんですかね。
そうです。一致して生きているという感じです。
なるほど。
ただ、もちろんどんな面にもデメリットがありまして。
あるんですか、この人。
あるんですよ。素晴らしい段階だと思うじゃないですか。
申し分ないなと思ったんですけど。
そうですよね。
あるんだ。
はい、あります。
この段階に至るまでではむちゃくちゃ苦労してきたんですよね、この人も。
最初からこうだったわけじゃなくって、思考錯誤して、私ってどういう人間なのかなっていうことをトライしながら作ってきたっていうのがあるので、めっちゃくちゃ頑固。
そうなんだ。譲らないのか。
譲らない。私はこうです。だって様々な実験をしてきて、私こうだって証明してきましたから。
なるほどね。たどり着いたんだと。
たどり着きましたね。
私はたどり着いたんだと、この最適解に。
そうなんですよ。
なるほどね。頑固なんだ。思っちゃいますって。
なので、素晴らしいバンドプレイヤーを集めた時に、結局すごいバンドになりそうだなと思っても、方向性の違いで解散したりしますよね。
あんなことが起きたりする。
そうなんだ。譲らないんですね。
譲らないんですよ。
俺はドックをやりたいって言っただろう、みたいな。エアリン・ブルースだ、みたいな。
なるほど。それが3つ目ですね。
そうですね、はい。
4つ目は何ですか。
実はこの3つ目の段階で20%って言われてるので。
これが20%。あれじゃほとんどですね、これで。
そうなんですよ。ほとんどこれで100%っていう。
でも本当にこれ数パーセントっていうので、最後の段階というのが来て、この段階に来ると、いろんな矛盾した価値観を抱えていられるだけの器がある、すごく懐の広い人。
1個前の3つ目の段階っていうのは、1個しか価値観がないんですね。
私はこうだっていうのがありすぎてぶつかるんですけれども。
そこも乗り越えてて、複数の様々な価値観を抱えれるから、本当に会った時とかに柔らかさもあったら厳しさもあったり、
不思議な感覚に多分なる。
すごいな。そんな人になりたいですね。
どんな感覚なのかね、もう想像もできないですけれども。
すごいですね。これが本当に数パーセントいるんですね。
数パーセント、もう本当に人類のために生きてるっていう感覚なんじゃないかと思うんですよね。
もうそれはブッダみたいな、キリストみたいな、そんな感じなのかな。
そうですね。
そこまでいかないのかな。
もう少し現実世界にいる感じで。
もう少し現実世界にいますかね。
無実に少し現実世界にいる感じで。
よく例に出すのが、例えばイン島独立の父ガンジーとか、南アフリカで黒人と白人の融和政策とかマンデラ大統領とか、
ああいった対立を乗り越える力を持ってる方々。
それこそ私がこうだではなくて、複数の異なる正義を理解できるからこそ対立がなくなるというか、乗り越えることができるっていう。
そういった、人が成長するとは、要はエゴをだんだん手放していくプロセスでもあるっていうふうにも。
人が成長するプロセスとは、エゴを手放していくプロセス。
最初は私が私がから始まって、次はこうみんながなって、その次は私たちがなって、最後はもう本当に人類全体がになっていくって。
なるほど。これなんかコンパッションの理念とは近いんですかね。
そこがコンパッションとつながるのが、一番最後の人類全体を考えている人たちのキーワードが慈悲だっていう。
まさにコンパッションですね。
そうなんですよね。
話だ。
えっとですね、この間収録してたところで、実は雷が落ちて、我が家に落ちたわけじゃないんですけど停電になってしまって、
ちょっと途中からになっちゃうんですけど、ちょっとつながり悪くなっちゃうんですけど、続きからちょっとお話をしていきたいと思います。
この間は4種類の人間がいるっていうお話で、私が私がっていうタイプの人が10%ぐらい。
みんなどう思っているっていうふうに調整するような人たちが70%で、
社会的視野を持っていて最適解を見つけようとする方が20%ぐらい。
そして、ガンジーとかマンデラみたいに矛盾した価値観を自分の中に持っていて、懐が広くて対立を乗り越える力がある人っていうのが数%いるって話だったと思うんですね。
それが、この1から4というのが、だんだんとエゴを手放していくと。
人の成長というのはエゴを手放していく過程なんだっていうお話を前田美香さんからしていただいて、これがコンパッションと似てますねって話になってたと思うんですよね。
そうですね。
ってことはこのコンパッションを学ぶっていうのは、人としての成長みたいなところがあるんですかね。
そうですね。
コンパッションって慈悲って日本語だと訳されますけど、さっきお伝えしていた懐の広い、本当にツアーの大きい人の成長の最終段階の方のキーワードは人と慈悲なんですよね。
まさにコンパッションそのものですよね。
そうなんです。
あるっていうことが特徴としてあって、確かに何かこう、人との対立を乗り越えていくときに大切なのって、相手に対する慈悲もそうだし、自分にも慈悲深くないといけないんじゃないかなっていうのを、なんとなく私はコンパッションを学んで思っていて。
自分に対する優しさ、よく言うセルフコンパッションってことですか。
セルフコンパッションですね。
例えば、誰かと対立して、対立したり、あるいは自分に対するネガティブなフィードバックをもらうときってあると思うんですけれども、
それって普通、あまり相手の話聞けない状態にあるんじゃないかなって思うんですよね。
悪いフィードバックが来たときってことですね。
聞きたくないってなりますね。
言わないでって。
そうです。
奥さんから、なんでお皿洗ってくれないのって。
もう、わーってなっちゃいますね、きっとね。
俺だっていろいろやることあるんだよとか、昨日は俺が洗ったのにとかなるじゃないですか。
そうですね。なりがちですね。
なりますよね。
なんかここにやっぱり慈悲があると、相手の話を聞くための言葉を自分に送れるなと思っていて、
例えばなんですけど、相手が本当に伝えたいことって、私を非難したいわけじゃなくって、
2人の関係性を良くするために、この言葉を伝えようとしてくれてるんだとか、
あるいはお皿を洗えなかったことは、本当に今思い返しても仕方がないことじゃない?
自分に言ってあげたりとか、
自分が最も欲しい言葉を自分にかけてあげられるようになるので、
落ち着いて、その場にいられて、相手の話を聞けるっていう風に、
自分は割と進化というか、変わってきたなっていう風に思うので。
それは三上さん自身がってことですか。
そうですね。
どういった変化がありました?三上さん自身は。
例えば、仕事の面でも、
私の振る舞いのこういうところが良くないっていうフィードバックをもらうときって、
当然あるわけですよね、仕事だし。
今までは、そこに自分が悪気がないことをやってたことだったら、
そんなこと言われたって、私も良かると思ってやったのかなっていう気持ちが先に来て、
なんか聞けないし、心が動転するので、
良い解決策が出なくて、
どうしていいから、分かんないから、この仕事やめようかなとかね、例えば。
そこまで困ってしまったりとか。
そうですね。相手の期待に応えられないから向いてないんじゃないかとか、例えば。
でも、自分に慈悲があると、
じゃあ悪気がなくやったんだよねっていうことを、まず自分にしっかり言ってあげることができるので、
すごい気持ちが落ち着くんですよね。
そうすると、ちゃんと相手を見て、相手は私を非難したいわけじゃなくて、
この仕事を良くしたいと思ってるんだなっていうことが分かる。
コンパッションがあると、自分を鎧で守ったりする必要もないので、
もう一回思い返してみて、その振る舞いをした時の自分を考えてみて、
実は別に相手が指摘したようなことをやりたかったわけじゃなくて、
こういうことをやりたくて、それがそう見えたのかもしれない、みたいなのを正直に相手に言える?
自分がやったアクションについて、ちゃんと説明ができるっていうことですか?
そうですね。
例えばなんですけどね、私が言われたのは、
ある研修で、私の関わり方がお母さんみたいだって言われてました。
そうなんですね。慈悲深いと思うけど、ダメだったんですね。
でも、その講座は1年前のビジネスパーソンが言ってたから、
そうじゃなくて、もっとフラットな関わり方じゃないと、相手もちょっとこう、屈辱というか、
確かにそうかもしれない。
それ言われたけど、私全くお母さんとして関わってるって意識なくて、
今までだったら、ちょっとなんかすみませんって言いながらも、
ちょっと心の中では反発して、
そんなわけないんだけどな、みたいな思ったんだけど、
ちゃんと自分にコンパッションをくれながら、その話を聞くと、
お母さんのつもりは全くなかったけど、自分はどんな気持ちでその時いたのかなっていう風に、
もう1回思い出して、相手に、
うちのお母さんのつもりはなかったんだけど、
私、いいこと言ってんなって自分に酔ってる感じあったかもねって言えたんですよね。
すごいですね。自分でそれ言えるってすごいですね。
そうですよね。自分でもすごいなって思ったんだけど。
いいこと言ってるなって酔ってますよねって人にも言えないし、
自分で気がつけないし、認めることも難しいし、
すごいですね、それが。
そしたら向こうが慌てちゃって、いや三上さんはそんな人じゃないとか言い出して。
そうですよね。言わしちゃったみたいな。確かに確かに。
向こうが言ってそういうかもしれない。
でもなんか、あるとしたらそれかもねって言って、
指摘してくれてありがとうって言って、やっぱりエツに入るんじゃなくて、
本当にフラットな気持ちでいるっていうのが大事だと思うから、今度から。
私、いいこと言ってんなってある意味自分にやつるしが向いて、
受講生に向いてないっていうことだから、
それは気をつけますねって言って解決できたっていうのがあって。
すごい。それは自分に対する思いやりがあったからってことですか。
そうですね。
鎧をつける必要がなかった。
心の中で、本当に何も悪気なくその場にいたのにね、分かってるよっていうのを、
しっかり自分に言ってあげたっていうのは、大きかったですね。
大きいですね。
私ごときでこうなので、たぶんガンジーとかマンデリア大将は、
もっとすごいことをやっていたんじゃないかなって、なんとなく思ったっていう。
かもしれないですね。
ガンジーとか塩の行進とかも、ボコボコに殴られながら行進してましたもんね。
非暴力っていって。できないですよね。
できない。
仲間も、要は殴られてるのを見ないといけないわけじゃないですか。
そうですよね。
その時、自分に対して責任って感じますよね。
感じます。自分のせいでとなりますよね。
そうそう。やっぱり自分に対する慈悲がないと、
もっと大きなものに向かっていく、ビジョンに向かっていくような行動っていうのはできるんじゃないかなって思う。
他の人を巻き込みながらやることなので。
なるほどね。どんな気持ちだったんだろう。
そこまで自分の仲間たちが投獄されたりとか、
投獄されたり、ボコボコにされたりとか、
されながらも進み続けられた背景には自分に対する慈悲があった。
だいぶ自分に対して強いセルフコンパッション向けてないと、途中でもうダメになりそうですよね。
ダメになると思う。これが最終的には数十年後のインド、
理想のインドの状態に、みんなが幸せに暮らすために本当に必要なことなんだっていうことを自分に優しく言えないと、やっぱりこの行動は取れないと思います。
マンデラ大統領も白人と黒人の友和っていうのを唱えたわけですけれども、
今まで共に戦ってきた黒人からすると、それってすごく、もともとあの方は武闘派だったので、
戦う方だったのに刑務所に入っている間に白人の看守と交流をすることで、
自分たちは同じ南アフリカの人間なんだっていう理解を深めていくことができたんですよね。
今まで白人は元の統治国に帰れって思ってたんだけれども、
もう彼らも南アフリカに根付いて数世代経っているので、帰るに帰れないんだっていうことをやっと分かって、
融和していくしかないっていう風に方針転換をしていくっていうのがあって、
その時やっぱり同じ黒人の仲間から、
ちゃんと今までの、何て言うんですかね、
白人にやられたものをちゃんとやり返したいとかね。
なりますよね、きっとね。
そういう行為を抑えて、数十年後のやっぱり南アフリカの未来に向けていくには、
自分や仲間に対する責任を背負わなきゃいけないから、
自分に対する慈悲っていうのは、本当にやってないと、
とてもじゃないけど、自分だって悔しい思いをしてきたりとか、
仲間が殺されたりとかしてきたわけだから、
慈悲を向けないと乗り越えられなかったんじゃないかなっていう風に考えてます。
ここまでは全員が全員になれかどうか分からないけど、
それに近しいものは手に入れられるってことなんですよね、
コンパッションを学ぶことで。
はい、そうじゃないかなと思います。
三上さんのこともうちょっとお聞きしたいんですけど、
なんでそもそもコーチングをやられようと思ったんですか。
物理的なきっかけは、会社で管理職をやってるときに、
その会社が外資系の会社で、
わりとコーチングとか馴染みのある文化だったんですよね。
教えてもらって、研修に行かせてもらったっていうのが最初なんですけれども、
やってみると、他人を変えるための、他人をやる気にさせたりとか、
他人の能力を引き出すための技術がコーチングだと思ってたんだけれども、
自分自身が、コーチ側がしっかりどういう、
例えば何をやりたいかとか、
何ができる人なのかっていうことを把握してないと、
相手に対する影響を与えられないんだなっていうことが分かって。
自分が何ができる人かっていうのを把握しておくってことですか。
そうですね、本当ですね。
例えばね、私がめちゃくちゃ圧の強い人で、
例えば。
例えばですよね。
でもそんな自分に自覚的じゃないと、
誰かに接して、お前何やりたいんだって言って、
何か答えられないですよね。
そうですね。
そっか、それ自分が分かっていると、
言葉のかけ方も変えられるよねっていうことですか。
そうです。選択ができますよね。
自分のあり方とか言葉のかけ方とかってね。
確かに確かに。
自分のこと全然知らないなっていうのをその時思ったし、
聞かれても答えられない。
例えば何をしたい人なのって聞かれても、
全然こう答えられなくて、
毎日が楽しくて、仕事が進まなかったらそれでいいですみたいな。
そうなんだけどみたいな。
その時に、
思い当たったのがすごく家が厳しくて、
割と親が抑えつけて失敗しないようにとか、
人様の前で恥をかかないようにとかに関わる家だったので、
厳しかったんですね。
そうなんですよね。
何かそれもあって、自分でやりたいことを抑えつける癖みたいなのが付いてるのかなっていう風に感じて、
まずは自分がコーチングを受ける方から始めようっていうので、
コーチングを受けたり、受け始めると今度楽しくなって、
自分がやっぱりやる方をコーチングやりたいなっていうのでやり始めて、
その人が自分自身をつかんでいくっていうのがね、とっても楽しくて。
その人をつかんでいく?
私ってこんなこと考えてたんだとか、
こんなことやりたい人だったんだっていうのをつかんだ時、
人って輝くんですよね。
その相手の人が自分で気がつけた時にってことですか?
そうです。
それはなかなか自分では気がつけないものだけど、
コーチングを通すと気がつきやすくなるっていうことなんですか?
自問自答の限界ってあるんだなと思っていて、
誰も聞いてくれる人がいない状態で自分に問いかけても、
いつも同じ角度で聞いて、同じ答えしか出てこないって人ってなるかなって思うんですけど。
例えばお友達でもAさんっていう人がいるのとBさんっていう人がいて、
同じ質問をやってもちょっと回答って違ってくるんじゃないかなって思うんですよね。
そうですね。
コーチっていう本当にあったかく相手を評価せずに聞いてくれる人がいて、
受け止めてくれるっていうのを分かった上でやっぱり聞かれて答えると、
すごく自分の中から自由に色々答えが出てくるっていうのがね、
コーチングの良いところかなって思ってるんですけれども。
なるほど。今もコーチングをずっと続けられてるのは、
その原動力ってさっきおっしゃってた目の前の人が自分を掴むことができた時の喜びみたいなものは何ですか?
そういうのが原動力になってるんですか?
そうですね。
それもあるし、実は弟が中学から引きこもりになっちゃって、
その後30歳ぐらいでちょっと不幸な事故で亡くなってしまうっていうので、
きっと彼は社会と自分がつながってるっていう感覚が持てなかったりとか、
人の役に立ってるっていう感覚が持てなかったりとかして、
亡くなっていったんじゃないかなって思うんだけれども、
やっぱりそこをすごく味わうことって、
その人の人生の満足度にとても関わってくるんじゃないかなって思うんですよね。
そこを味わうっていうのは?
自分が社会に役立ってるとか、社会にいていいんだとか、
誰かが自分を必要としてくれる感覚が持てるかどうかによって。
そこを一人一人の人に味わってもらうっていうことは喜びがあるんですけれども、
ひょっとしたらそれが弟にはしてあげられなかったっていうのがね、
自分の中にもちょっとあるのかなっていうのは思ってますかね。