1. まなびのはなし
  2. #045 - 【まなびのなかま】Kei..

大人のまなびに向き合っている「まなびのなかま」と対話するエピソードシリーズの第3回目。今回は東京に住んでいるプロコーチのKeiko Ogawaさんとアンラーニングというテーマについて話してみました。

  • tomokoの元同僚であり友人の恵子さん
  • 恵子さんの自己紹介
  • 「40代からの大人の自己実現、自己一致、自分らしく生きる」をサポート
  • アンラーニングとは前提を捨てて、新しく学び直す、上書きする・・・こと?
  • この言葉に対して苦手意識をもつemi
  • 上書きなの?過去の否定なの?
  • カウンターラーニングという概念
  • 誰かに幸せになってもらうことが自分の幸せ、じゃなく、自分が幸せになることが他人の幸せになるという学びを得た時のこと
  • 金融業界から人財育成業界にシフトした時に感じたこと
  • アンラーニングが起きた時の様々な感情
  • 他者の変容への伴走スタイルは「信じて見守る」
    アンラーニング・解脱は結果として起きるもの、求めるものではない
  • 外圧に押されて「忘れなきゃ、捨てなきゃ..」のプロセスは苦しいことも多い
    自分に合ったやり方を見つけるためにも、とりあえず行動してみることには価値がある
  • 変わりたいと思ったり、モヤモヤしてるときは、すでに学びのプロセスの始まりにいる

関連情報

関連エピソード

「#まなびのはなし」について 大人の学びをサポートしている二人が、それぞれ見つけた・考えた、ことを、話したいから話しています。話している二人は「英語教育」「コミュニケーション学」「言語コーチング」に専門性をもつemi (⁠⁠⁠ウェブサイト⁠⁠⁠)と「インストラクショナルデザイン」「リーダーシップ」「キャリア・ライフコーチング」に専門性をもつtomoko (⁠⁠⁠ウェブサイト⁠⁠⁠)。毎週1回配信しています。自己紹介エピソードはこちら:⁠⁠⁠#001 - 自己紹介⁠⁠。文字起こしは⁠⁠LISTENサイト上⁠⁠で見ることができます。

サマリー

「まなびのはなし」では、大人のまなびをサポートする2人が、今回はアンダーニングについて話し合っています。また、ゲストのKeiko Ogawaさんも仲間として参加しており、皆さんは自己紹介をしながらアンダーニングとは何かについて考えています。アンダーニングのプロセスや英語勉強におけるアンダーニングについても話し合っています。変革が起きるタイミングや、自分に合ったやり方を見つけることの重要性について共有し、アンダーニングのプロセスを経て変化を遂げることの意義を感じます。学びのプロセスが始まり、さまざまな試行錯誤の結果、英語を必要以上に好きにならなくてもよいという気づきが生まれ、アンダーニングについて考えるエピソードとなっています。

大人のまなびのデザイン
このポッドキャスト、まなびのはなしでは、大人のまなびをサポートしている2人が、それぞれ見つけた、考えたことを話したいから話しています。
今日もよろしくお願いします。
お願いします。
いつもは2人だけなんですけれど、時々、まなびの仲間と題して、私たちが一緒に話したい方をお招きしています。
今回はシリーズ第3弾、今日の仲間は、おがわけいこさんです。
お願いします。
よろしくお願いします。
けこさんは、私が大人のまなびのデザインをする仕事をしている時に、同僚という形で、実は2人とも大人のまなびのデザインもするし、コーチングするし、みたいな感じで、
その会社でも珍しい組み合わせの経験やスキルを持った似た者同士だったというのがあって、そこでのお仕事が終わった後も、仲良くさせていただいているという関係性になります。
けこさんに簡単に自己紹介をお願いできればと思います。
はい、お呼びいただいてありがとうございます。
時々聞かせていただいていたので、呼んでいただいたことがまずすごい嬉しく思っています。
改めてプロコーチをしております。
おがわけいこと申します。
私の人生は、今私51歳なんですけれども、なんかずっと大きく波打っているような感じがしていて、
特にですね、40代になってからすごく大きく動き出しているというか、まるでこれまでの伏線を回収しているが如く、そういうこともあって、
主に40代からの大人の方の自己実現だとか、自己一致とかですね、自分らしく生きる、こんなキーワードでコーチングをご提供しています。
私の人生の象徴的なキーワードみたいなのを何だろうなって考えたときに、大きすぎる振り幅みたいなのが出てきてですね、
かっこよく言うと、破壊と創造みたいな感じだし、感情面ではすごい怖がりな部分とずぶどさみたいなのがあったり、
メンタルモデルは私、価値なしモデルなんですけど、でも隙間からマグマが吹き出しているみたいな感じがあったり、
なんかそういう結構大きな振り幅の中で、あっちこっち生きながら生きているなぁなんていうふうに、
自己紹介するにあたってキーワードを探してみたら、そんなのが出てきたのでシェアさせていただきました。
今日はよろしくお願いします。
アンダーニングの定義と捉え方
そんなけいこさんを含めた3人で話したいから話す、今日のテーマはアンダーニングです。
最近、大人の学びとか大人の生き方の文脈で聞くことも出てきていて、
私の理解している定義だと、学んできた知識とか価値観とかこれがべきみたいなものも含まれると思うんですけど、
そういう前提を捨てて、新しく学び直すとか上書きするみたいなことなのかなと、
ざっくり捉えているんですけれども、話し始める前に。
よくね、えみさんと私定義が違ったりすることがあるから、お二人はアンダーニングってどういうことって思っているみたいなのあれば。
私は田中さんがおっしゃったようなイメージでいます。特にないです。
今日、なけえこさんに初めてお会いするのに、いきなりめんどくさいところをお見せするようで恥ずかしいんですけれど、
私はこの言葉は苦手なんですね。
英語的に言うと、ご存知の通り、アンがついているということで、アンドゥ、doの反対の行為をする。
ロック、鍵をかけるに対して鍵を外す、そういう時に使われるアンなので、
これがラーンとつながるっていうのは、個人的にはちょっと不思議な感じがしている語です。
なので、私自身は使わない言葉ですが、先ほどね、とんこさんがおっしゃった概念的には、
知っているもの、知っているつもりでいるもの、というのを少し距離を置いたり、
違う見方をする、そういうお話をすることはあります。
おっしゃられていることもわかる気がします。便利だから私も使うけれども、
今紹介する時にも少し自分が戸惑いつつ言ってたのは、
これって結局上書きなのか、それとも間違ってた、過去を否定して新しいものを学ぶのかとか、
ちょっといろいろなことを全部アンラーニングと言ってるなとも思いつつ、
まあけど巷でよく言われている単語なので、
具体でね、お二人に聞いてみたいなと思ったのは、
ご自身がアンラーニングしたものってこれだなとか、
その時、ああいうことがあったからアンラーニングが起きたかな、みたいな、
どういうことが出てくるかどうですかね。
個人のアンラーニングの体験
今のえみさんの聞いて、確かになーって、今すごいそれが反する。
アンラーニングってなんかね、概念はそうだなって思ってたけど、
よく考えたらアンラーニングってなんだみたいな。
もやってきたんですけれども。
すいません。
だからこのラジオすごい好きなんですけれども、
それはまあさておき、自分にとってのアンラーニングの体験をちょっと思い出すとですね、
私の場合は生き方をすごくギアチェンジしたというか、
変わらなきゃいけなかった、変えたみたいなところがやっぱり一つ大きくあって、
私全職の教育事業の会社で働きながら、
14年前ぐらいですかね、カウンセリングを学び始めて、
その後8年ぐらい前からコーチングを学び始めて、
こういう対人支援の学びって、まず自分のことを理解するっていうところから入るんですよね。
その自己理解を深めているときに、今まで誰かに幸せになってもらうことが自分の幸せだと思って、
ずっと教育の会社でも働いてきたし、やってきたんですけど、
いやそうじゃない、逆だ。自分の幸せが誰かを幸せにするんだっていうふうに、
真逆だったんだねって気づいたところが1個ターニングポイントとしてあったかなっていうふうに思ってます。
アンラーニングもいろいろありそうだなっていう、その1つが今、きょうこさんおっしゃったような、
真逆っていうのはアンラーニングの事例として言われることがあるなと思って、
それ以外のアンラーニングはあるんですけど、
カウンターラーニングですね。
カウンターラーニング。
消すっていうイメージがどうしても強いじゃないですか、アンって言うとね、
忘れたり減らしたり、でもそれは実は不可能なことなので、
既にある学びに対して逆の学びを加えるっていう意味で、
カウンターラーニングっていう言い方をしている人もいますね。
なるほど。
初めて聞きましたけど、しっくりくるというか、
私も今まで体験してきたことが、それをなくすように学ぶっていうのはわかるんだけれども、
実際なくなることはないのでね、きれいさっぱり全部消してみたいなことではないので、
カウンターラーニングっていう方が、私のこの事例がまさにそうだと思うんですけど、
結構しっくりきてますね。
確かに。
えみさん、なんか近いものであります?
あんまりないです。
多分こういうアンラーニング系のことって、けいこさんがおっしゃった通り、
大きくギアを変えるみたいな感覚が伴うんじゃないかという気がするんですけど、
私あんまりそういうふうにグッと変えた感覚がなくて、
ぬるっとしてるので、あまり思い当たらないですね。
ともこさんいかがですか?
そうですね。ギュッと転がってよく動いてるので。
カウンターラーニングで一つあるのは、もともと新卒金融で、
当時はパフォーマンスが悪い人をどんどん切って、
グループの平均値のレベルを高く維持し続けようみたいな世界にいたんですね。
なので常に上に残らなければみたいな感じで、
切ってた人たちのこととかあまり考えないというか、
まあ合わなかったねっていう、純度の高い世界というか、
それが良い悪いとかじゃなくて、それが普通の世界にいて、
5年目になって人材育成の世界に、そんなことで行ってみたら、
全然逆っていうんですかね。純度を高めるとかではなくて、
一人一人が実はみんな多様であり、
その人たちが一緒の袋に入っていることが、
袋全体の豊かさにつながるっていう組織の部長研修とかやってる時に、
部長の何パーセントが一番キラキラにするかっていう話ではなくて、
そのキラキラの定義もちょっといろいろで、
20人とか30人の部長さんがいたら、
一人一人がそれぞれの個性と強みと価値があって、
っていう世界観に転がりこった結果、
働く人間についての価値観が変わったっていうんですかね。
それはカウンターラーニングだったんだろうなと思います。
けっこさんほど分かりやすい裏表っていうカウンターじゃないかもしれないけど、
結構表と裏が転がった感じがしたんですよね、当時。
と思うけれども、けっこさんどうですかね。
それって起きた瞬間別にそんなに分からなくないですか。
いつ何かああいう風になったなって、こうやって綺麗にまとめることができているんですか。
はっきり分かったのは、やっぱりコーチングの学びの方ですかね。
やっぱり誰かに寄り添ったり、誰かのサポートするためには、
自分がそもそも何者なんだっていうのにすごく向き合う必要が、
今だからあるっていうのは分かるんですけど、
当時そういうのはね、やっぱりそこからやるんだみたいな感じで、
もう一回こうある意味対人心を学び直した時に、
自分が本当に大切にしているものが何かとか、
何のためにこんなにドライブがかかるのかとか、
いろんな角度で自分を見つめ直すわけですけど、
その時私はありがとうって言われたいとかですね、
誰かの役に立って、そういう自分でいたいみたいな、
そういう感じでずっと自分のことを語ってたんですよ。
でもご自分はそれで幸せなんですか?みたいに言われて、
いや誰かが幸せだって言ってくれたら、私は幸せですみたいなやり取りをする中で、
じゃあその幸せだって言ってくれる人がいなくなったら、
あなたは不幸になるんですか?みたいに言うとね、
ん?確かにそうだなみたいに思ってですね、
私一人だと幸せにじゃあなれないってことなの?みたいな、
そういうぐるぐるが起きて、
でその時に、あそうか今までは私は幸せの基準を自分の外側の何かとか誰かに決めてもらっていて、
自分で決めてなかったんだみたいなことに気づいてですね、
でそこら辺がひとつひっくり返ったというか、
ありがとうって言われたいんじゃなくて、
私が誰かにありがとうっていう人生を送りたいと願ってたんだなみたいにひっくり返ったりとか、
そういう本当に紙をペタペタひっくり返すような体験が結構あったんですよ。
なのであー違ってた今までのやり方はみたいに思って、
その時点でもう私40代前半だったんで、
40年もこれで生きてきちゃったけど、どうしようかなって思ったんですが、
そこから変わることもできたし、新たにいろんなことを学び直しているので、
何歳からでもやり直せるし、いけるもんなんだな、これが学びなんだろうなっていう風に受け取ってですね、
今に至ってるんですけれども、そんなポイントがやっぱりありましたね。
すごいですね、対面にとことん向き合う、コーチの問いかけとかのきっかけがあったとはいえ、
え、なんかエミリーさんどう思います?すごい大人じゃないですか。
私はさっきも言った通りあまりそういう経験がないので、
やはりそういうことが起きた人っていうのは何年経ってもすごくビビッドに覚えていらっしゃるものなんだなっていう風に思いましたね。
劇的ですよね。
その時のお気持ちとかはどうですか?やはり大きな変化が起きるっていうのは怖い面とか不安もあるんじゃないかと思いますけど、いかがですか?
その時はですね、まずショックですよね。
自分が正しいと思って寄りどころにしてたものがずれてたんだっていうのがわかるわけじゃないですか。
だからすごいショックと、あとはね、悔しかったですね。
あ、知らないままこんなに長く生きてきちゃったみたいなこととか、
あとは恥ずかしさ、そんなずれてることに私今気づいたけど、もしかしたら周りの人はずっとわかってたんじゃないかみたいな、
そういう恥ずかしさみたいなことであったり、後悔とか、自己否定みたいなのが最初に大波でザバーッときて、うわーうわーうわーみたいな感じね。
アンラーニングのプロセス
でも波がスーッと引いていった後に、まあでもここまできちゃったししょうがないかなみたいに、
それこそ引き波がいろんなものを片付けてくれるかのように、まあ言ってももう後戻りできないし、これを何かに生かすしかないと思って、
まあね、それこそこういう体験がきっとコーチをする上でプラスになるだろうみたいに欲張りな自分が出てきて、
そこからはじゃあ一からそもそも何なんだっていうのをもう一回考え直せばいいんだなみたいに切り替わった感じなので、
最初はね、自己否定ですよね、もうね。
やっぱすごいですよね、修行僧のような体験を中でされていて、軽々しくアンラーニングとか言えない、何て言うんですかね、もうちょっと違ったか、もうちょっと漢字二文字みたいな感じの。
そんな感じじゃなくて、たぶん私最初に触れ幅が大きいみたいに言いましたけれども、たぶん私がそういう生き方が好きなんですよ。
エピソードだけ聞くと大変なことがあったんですねって言われるんですけど、私自身が極限までやりきっていくみたいなやり方が好きなので、
結果的にこういうことが起きるとすごい大きな出来事になるんですけれども、好きで生きてますね、この生き方を。
そんなに悲壮感はないというか、あそこまでやったから悔いはないみたいな感じで次のフェーズに行くみたいな、そういう感覚ですね。
エミさんは今日初めて会ってると思うんですけど、仕事も一緒にしてて、けいこさんを知っている人間からすると、確かにすごいロックンロールな方なんですよ。
かつ、波乗りサーファーみたいな感じだし、すごく穏やかな雰囲気のコーチングもするんですけど、本人の生き方は波に乗ってる。
もうこの数分でもロックな感じは伝わってきますよ。
もしけいこさんがショックを受けられたり、自己否定とかいろんないわゆるネガティブな感情がワーッと出ている時に、私が伴奏する立場だったとしたら、
見てていかにも辛いと思うんですけど、この人はこれを楽しめるだろうか、乗り越えられるだろうかっていうところを見守るだけの体力みたいなものを備えていないといけないなっていう気がしましたね。
そうですね。だからやっぱ、中がすごくリソースフルなんだろうなという気もしてて、周りの人は見守る。けいこさんが自分でいつか答えを確実に、すごくドラスティックな答えでも見出して自分でつかみ取っていくっていうのがすごく伝わってきますよね。
それができるなっていうのを感じるし、してきたんだろうなっていうのも伝わってくるなと思ってて。
アンラーニングのプロセスって苦しかったり恥ずかしかったりっていうのは私も共感するんですけど、けいこさんと私の違いは、私あんまりそんなに中から答えが出ないというか、そんなにそこまで自分に向き合う訓練とか体験もそこまで重ねてなくて、
すごく環境依存なものが多くて、乗り越えるときにですね、他人の存在であったりとか、マジョリティの空気感であったりとか、そういうのにどんどん浴びて気づいたら色が変わってるみたいな。
そういう自分の中で一生懸命生み出すことはそんなにできない方だなと思ってて、けいこさんの話を聞いて、すごい内からあふれるものいっぱいあるし、それに向き合う反力みたいのもあるタイプの、いろんな人がいろんなアンラーニングの向き合い方があるんだと思うんですけど、だなとは思いました。
でもそれは私も環境とか周りの人に刺激を受けてみたいなことをずっとしてきたからこそ、私の場合はですけどね、もっと奥に本当の答えがあるってもう知ってしまったので、ある意味今だから言えるんですけれども、そこには答えがないなってわかるからわざと奥に深くまで行ってるみたいな部分はあるかもしれないですね。
その方が手っ取り早いからごちゃごちゃ言ってるけど、この表層じゃなくてこっちだよねって自分で直感的にわかってるから、今そういうふうにしてるというかできるようになったというか、かもしれないです。そうじゃない時代がすごく長くあったからこそかもしれないですよね。
なるほど。そんなけいこさんがいろんな方の大人の学びにいろいろ関わったりとかしてると思うんですけど、他の方がアンラーニングの道のりにいらっしゃる時、けいこさんはどういうことを心がけてるんですか?
そうだな、コーチなのでね、いろんなちょっとつっつくようなアプローチをしたりとかはするんですけど、基本はやっぱりその人が変わりたい時に変わるだろうなっていうふうに思っているので、その時を待つって感じですね。
何にもなければ人と関わったり学ぼうともしないし、でも何か学ぼうとしたり違うことしようとしてる人は自分で変わる意思があるんだと思うので、それがどのタイミングで進んでいくかは人それぞれなので、基本は見守る感じですね。
何もしないっていうと無責任に聞こえますけれども、結局自分でやりますよねって思っているというか、そんな感じで関わってるかもしれないですね。
なるほど、コーチらしいですね。
英語勉強のアンラーニング
えみさんは英語コーチとして過去のエピソードとかでも、本人の英語はこう学ばなきゃいけないとか、こういうふうにまで学んできたとか、アンラーニングしなきゃいけないものかどうかわからないですけど、変化が起きる事故生さんとかいるじゃないですか、そういうのってどういうふうにそれを起こすのは、えみさんはどんな感じのスタンスなんですか?
私も結果的に起きるものというふうに捉えていると思います。英語に限らないですけど、学校のお勉強っていうのはもう辛いものだ、ノーペイン、ノーゲインっていうふうに思っている方結構いらっしゃるんで、別に楽しいことでも好きなことでもいいですよっていうことがわかってくると、そのいわゆるアンラーニングなのか、下脱なのか、なんかそういうことが起きてきますよね。
で、私としては例えば何ヶ月か前始まった時ってこんなふうにおっしゃってましたけど、覚えてます?みたいなことをちょっとお話しするだけで、ご自身で来た道を振り返るみたいなことが起きますよね。
そうするとやっぱりどういうことが起きるんですか?その中高生が来た道を振り返って、明らかに自分で気づくことがあるわけじゃないですか。そうしたら何が起きるんですか?
昔の自分ってすごい厳しかったんだなとか、私って私にいじめられていたんだなとか、なんかそういういつの間にか前の自分と違っていたなっていうふうに思って、じゃあここからはその新しい自分で行こうみたいなふうになっていくのかなと思いますね。
けいこさんがおっしゃるのに近いですけど、ただそれを見てるだけっていう感じがしますね。
たまにこうリスキングしなきゃ、あとアンラーニングしなきゃみたいな、そういうセットで使われる時もあるじゃないですか。ああいうのって起きるんですかね?本当に。
これは捨てなければいけませんよって他人に言われたりとか、あなたがこうやってたこの常識はもう通用しませんよ。だから新しく今までの常識を捨ててこうしましょうとか、そうやって外から言われることで本当にアンラーニングというのが起きるのだろうか、というかアンラーニングなのか。
アップデートどうなんですかね?この3人で話してた深いレベルでの違う考え方をする自分になったなっていう気づきを得る系のアンラーニングと違うタイプのアンラーニングって言われてるなってやっぱ最初で話してたことに今ちょっと意識が向いていて、
それもそれで今の時代大切なことでもあるんだろうなと思っていて、どうなんですかね?チャットGPTとかが出てくる前にやってたやり方の一部はもしかしたら変えなければいけないかもしれないっていう文明が少しアンラーニングと言われることもあると思うんですけど、同じなのか?それともなんか違うのか?
なんかちょっとその流行りっぽいところはありますよね。変わらなきゃいけない古いものを捨てなければいけないみたいなちょっと脅迫メーター、押してくる力っていうのがあるので、それに対してあまり深く考えずにそれをしようとするともちろんうまくいかないので、より焦ってしまったりっていうのは目撃することがありますね。
例えばそのアンラーニングっていうのを忘れることだとか、今までの習慣を消すことだっていうふうに理解していると、もちろんそれは起きないので、まだ起きない、まだ起きない、まだどうしても私単語調で覚えちゃう。そんな英語学習は自分で捨てなきゃいけないのにどうしてもそれになっちゃうみたいな。
そういう話ですよね。捨てなきゃいけないのにっていうフレーズが最近あるなって思ってて。
自分に合ったやり方の模索
それは苦しいことですよね。
そうなんですよね。うちから起きる自然発生型のアンラーニングも苦しいんだけれども、やらでもならぬで向き合っているアンラーニングの作業が起きないことも別の意味で苦しい。違う苦しみだなって思ってて。そういう意味で今まさにおっしゃったことなんですよ。
けいこさん、何かそれ聞いて思うことありますか。
私今すごい英語勉強中なんですけど、めっちゃわかるなと思って。私が中学高校の時は昔の英語の授業を先生が教科書を読ませるみたいな、そういうので挫折してトラウマになって、いまだに英語にいまいち向き合えてないので、すごくわかるなと思ってるんですけど、
そういういわゆる外圧みたいなのに押されて、とりあえず違うやり方だけ、ハウだけやってみるみたいなのもいろいろ試したんですよね、私も英語勉強の。だけどすまらんとか集中できない、できないみたいな感じでやめちゃったものもあれば地味に続いているものとかもあって、まだ英語大好きじゃないんですけど、やっぱり行動してやってみてその体験が自分にフィットするかみたいな気づきは得られると思うんですよ。
とりあえずやってみれば。なので何か変えていかなきゃいけないんだとすれば、自分に合ったやり方を模索するためにもひとまず心の中でまだそんな大きな変革起きてないけれども、ひとまずちゃんとGPT使ってみるとかですね、なんかそういうことはできると思うんです。だからそのためのきっかけじゃないかなみたいに私は捉えてますけどね。
行動する中でそっちの方向に行きたいんだけど、どうやって行きたいかわからなくって、ちょっと動いてる上で一歩が踏み出せるってすごくあるなって思って。全然シーンは違うんですけど、私は昭和の時代の母を見て育っているので、家の中で女性としてやるべきではないんですけど、やるエリアの担当みたいなの結構私はデフォルトで持っていて、食器を洗う役とかご飯を作る役とか、
今の時代のパートナーシップの中だと、できる人がやればいいよねとかいろいろあるんですけど、自分の中では結構それが柔軟になっているなと思いつつ、夜寝る前に流しの中には食器が全部きれいになっていたいみたいなのがあったりするんですよ。
多分アンラーニングしなきゃって自分が少し昔思ってたのは、そういう昭和のきちっとできた嫁みたいな像はアンラーニングしたい、するべきみたいな頭があって、けどやっぱ自分の自然な願いはきれいな台所が欲しい、夜寝る前に。
だけどいきなりそれをやるのもまたなんか、その間がこれぐらいだけやると自分は許せるし、自分をしかもアンラーニングうまくいってるみたいなレンジがあるなっていうのを、過去8年ぐらいですかね。
模索しながら自分は自分はこれっていうのを見つけて、今全然楽なんですけど、最初の頃やっぱり食洗機がある家に住んだ時も、手でキュッキュッキュッって洗えるのが自分は一番良いと思ってて、なんかあるのに使ってなかったんですよ。
それを見て彼とかもうなんで使わないのって、もう普通に老時間、時間も楽になるし、なんかいろいろ楽になるはずなのに、なんか私の中では少ししっかりね、それでちゃんと付近で乾燥させてとか、なんかそういうのがあった時を思い出して、
けいこさんのね、いろんな行動をして、ここまでがちょっと違うかもしれないけど、ここだと私っぽいっていうプチアンラーニングプロセスもあるなって思いました。
そのプロセスそのものがめっちゃ学びのプロセスですよね。
試してこれどうかな、こっちはどうかなって体験によって自分の進む道を少しずつ決めていってるっていう感じがしますよね。
心に結構効かないとわかんないですね。
試してこれはいけそう、けいこさんの英語のやつもそうですけど、これは楽しくないなとか、そうすると却下されてみたいな。
これが気づいたら続いてるってことは結構しっくりきてるのかな、そういう小さな積み重ねで起きることもねありそうですよね。
学びのプロセスの始まり
私はその手前からもうなんか変わりたいと思った時とか、このままでいいのかなってなんかもやもやした時からもうすでにそのプロセスって始まっているような気がしています。
何も疑問に感じないステージってあると思うんですよね。
これしかないと思っていたり、これ以外の選択肢を求めていないフェーズってあると思うので、
そこをすでに抜けているということはもう学びのプロセスが始まっていて、その後にいろいろとりあえず試してみるっていうところに移り、
その中で例えばさっきのけいこさんのお話が英語学習になっていたので、
いろいろやっている中でご自身がこのやり方好きだな、これは嫌いだな、だから私英語苦手だったんだな、嫌いだったんだなっていう風には気づきが起きてきて、
そこから先に、そもそも英語って別に好きにならなくてもいいんじゃない?ただ使えればいいんじゃない?っていう何かが起きたり、
それを後から振り返ると、ああ、そこがアンラーニングだったんだな、くらいで、あんまりアンラーニングを求めていかない方がいいんじゃないかなという気がしますね。
確かに、そうですね。アンラーニング本当に結果起きていることっていうくらいで目的には確かにならない方が自然な感じはしますね。
わかんないですけどね、これが後々アンラーニングをああいう風に理解していたけど、実は違ったねっていう未来があるかもしれないですけどね。
そうですね。けこさんとどういう風なテーマを話しましょうかねって言って、なんか2人の間でアンラーニングってほぼ同時に浮かんできたから始めたっていうのもあるんですけど、
いろんな話が出てきたんですけど、今はどういうことをけこさん思ってますか?
最後、えみさんがおっしゃってたアンラーニングを求めないっていうのは本当にその通りというか、アンラーニングするために何かするというよりは結果的にそうなってたねっていうことなんだろうなって、
自分もね、振り返ってアンラーニングしようと思ってここまで来たわけでは全然ないので、特に大人の方は振り返るとあの時のあれはこうだったみたいに思うことはいっぱいあると思うんですけど、
そういう意味付けの変化みたいなのもある意味アンラーニングでしょうし、たくさん溢れてるんだろうなって思いますよね。
人間のだって細胞だってずっと新人代謝して変わってたりするから、あれと同じで、無理にアンラーニングするぜとかってしなくても、生きてるだけでアンラーニングし続けてやしませんかみたいな気もするので、
あんまり決まらずに日々自分らしく生きてれば自然とそうなるのかなみたいにも今聞きしながら思ってました。
新人代謝でね、落ちていく皮膚のことなんて私たちは全然考えないですけど、生まれてくる皮膚のことだけ見てて新しい皮膚が強くなってるとか思うけど、実はいつも床に散らばってるんでしょうね。
アンラーニングの意味と変化
それにフォーカスしたらアンラーニングが起きたってなるのかもしれないですけど、アンラーニングが起きてるということですねっていう話なのかもしれないですね。
自分の変化っていうのもすごくしっくりくるなと思いましたね。見づけ変わりますもんね。
けんこさんが70歳になって40代の時のことを話すのもしかしたら今と違うかもしれないですよね。
違うでしょうね。リアルタイムで感じてたことと今10年ぐらい経ちましたけど、それでも全然違う質感で、インパクトと出来事は一緒ですけど、やっぱり思うことって今のほうがずっといろいろありますしね、きっと変わってくるでしょうね。
えみさんどうですか。
やっぱりアンラーニングっていうのは起きるとすごい衝撃があるんだなぁとか、後々にも残るインパクト、そのインパクトがまた形を変えてずっと残っていくっていうのはすごい経験なんだろうなぁと思いましたね。
えみさんのね、受講生の中ではよく起きてそうなのに、えみさんご自身があんまり体験してないっていうのが興味深いですよね。
ぬるっとしてるからですか。
ぬるっとって何?
いや、ただ一方でやっぱりそのアンラーニングが起きる前って結構自信があるんだと思うんですよね。
それはあるといいなぁって思う時はあります。ないものねだりでしょうかね。
確かにあるからこそ、さっきけんこさんが言ったような、私も言ったような恥ずかしいみたいなのも起きるわけですよね。
落ちた時のあれが大きくて、はっ!みたいな。
それは確かにないものねだりっておっしゃったんですけど、特性の違いなのかもしれないですね。
結構こうカタカタ動くタイプとぬるっと。
ぬるっと。
もちろん一応動いてるんですけど、動き方がちょっと違うからっていうのもあるのかもしれないですね。
ちょんこさんいかがでしたか。
エピソードのタイトルを普段ってアンラーニングの話をしたらアンラーニングって書くんですけど、
なんかクエッションマークとか入れた方がいいのかなとかそういうことを今考えていて、
この単語に対していろいろ考えさせられるエピソードだったなぁと思ってます。
気軽に使ってるけど、自分はわかって使っていたのだろうかという問いで終わったエピソードです。
はい、今回は小川けんこさんを迎えしてアンラーニングについて話しました。
紹介した情報や関連する過去のエピソードへのリンクは情報欄にまとめていますので、よかったらご覧ください。
番組をフォローしていただけたら嬉しいです。
それではまた次回。
29:52

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