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  2. #2-14 家族メンバーは独立国?..
2024-09-23 1:18:26

#2-14 家族メンバーは独立国?夫婦の溝を埋める「家族サミット」とは?【ゲスト:NPO法人Arrow Arrow代表理事 海野千尋さん】

NPO法人Arrow Arrow代表理事 海野千尋さんにお越しいただき、千尋さんが夫さんとされている「家族サミット」についてうかがいます。夫婦間のコミュニケーションに悩んでいる!という方にはおすすめです。


◾️ゲスト:海野千尋さん


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サマリー

このエピソードでは、NPO法人Arrowの代表である海野千尋氏が、家族サミットの取り組みについて話しています。夫婦間のコミュニケーションを円滑にするために、定期的な対話や意見交換を通じて互いの理解を深めることの重要性が強調されています。また、家族メンバーのコミュニケーションを促進するための「家族サミット」のプロセスや、参加者が日常的なトピックから重要な決定に至るまで幅広いテーマを議論する様子が描かれています。絵を用いた議事録は、感情や意見を記録するツールとして活用されています。 さらに、海野千尋氏は夫婦間のコミュニケーションを深めるための「家族サミット」という概念に焦点を当て、新しい試みや未来への希望をお互いに共有することで夫婦の絆を強める方法を探求しています。彼女は夫との異なる価値観や思考を理解することで、より良い関係を築くための方法論を提案しています。 現代の家族の形やファミリーアイデンティティーについても語られ、家族の定義が時代と共に変化し、多様な家族形態が存在することが指摘されています。思いやりを持った関係が家族を形成する重要な要素であることも強調されています。また、家族メンバーを独立した存在として捉えることが、夫婦や家族間のコミュニケーションにおいて重要であるとされ、家族サミットを通じて変化を理解し、相手に対する好奇心を持つことの大切さについても語られています。

家族サミットの意義
こんにちは、夫婦関係学ラジオパーソナリティのアツです。このポッドキャストでは、多彩のゲストを招きし、家事・育児・キャリア・セックス・エース・不倫・離婚など、
様々な葛藤をサバイブするためのナレッジをお伝えしていきます。今回は、NPO法人Arrow Arrow代表 海野千尋さんにお越しいただき、千尋さんが夫さんとされている
家族サミットについて伺います。夫婦間のコミュニケーションに悩んでいるという方には参考になる内容になっています。
今日は、運野千尋さんにお越しいただいています。運野千尋さん、通称千尋さんと呼ばれているんですけど、
今日は千尋さんと呼ばせていただくんですが、千尋さんがやられている家族サミットというのは何なのかということについてお話を伺っていこうと思います。
千尋さんよろしくお願いします。よろしくお願いします。ちょっと簡単に僕から千尋さんのご紹介させていただきますね。
三育休止ときに関わるサポート事業や、ライフイベントを迎える女性及び男性のキャリア形成をサポートするための研修事業、講演などを行うNPO法人Arrow Arrowの代表理事を務める傍ら、
N女、任意団体オルトメンバー、キャリアのこれから研究所メンバー、自住大学ネオファミリースタイル学キュレーター、そしてポッドキャスト、家族をアンランするパーソナリティとしての活動中の千尋さんとなります。
はい、よろしくお願いします。よろしくお願いします。何をされているのかをちょっと直接千尋さんから教えていただいてもいいですか?
そうですよね。ありがとうございます。今、肩書きをバーッと言ってくださっていて、いくつもあってご説明をしやすくいただくことがありがたいなと思っていました。
改めまして、運野千尋と申しまして、一つの役割としてNPO法人Arrow Arrowという団体の代表を務めています。
団体自体は、ライフイベント、まさに妊娠、出産、子育て、介護などのそういった人のケアに関わるライフイベントと働くを共存や並走させるためにどうしたらいいのかということをおよそ12年、3年以上前から活動している団体でして、
最近ですと、ピックスとして男性育休だったり女性活躍みたいなワードが上がってきているんですけれども、そもそも誰もが自分がしたい、望む働くこととライフイベントを両方持ちたいと思った時にできる形態をどのように作っていくのかということを個人や組織双方に後押しする、伴走支援するということを事業としてずっと行ってきているようなNPO団体です。
これが一つの役割で、その他にNジョーという場所がありまして、NPOやNGOで働くことをエンパワーメントしているような場所があり、そこでもプロジェクトマネジメントを含めたことをやらせていただいていたり、
NジョーというのはNPOで働くことだったんですか?
そうなんです。ヤバガールみたいな感じの言葉にすごく近しいんですけど。
リテーションみたいな感じ?
そうですね。まさにNPO、NGO、非営利の組織で働く方々という総称をまとめているような言葉がありまして、そういった方々をつなげたり、一緒に事業したりということもやっております。
あと、他にキャリアのこれから研究業という、株式会社日本マンパワーという新規企業の中で、新しい、本当にこれからのキャリアってどういう変容になっていくのかということを探求していくような場所があるんですが、そこでのメンバーの一人でもありますし、
最後にご紹介いただきました、社会人同士が学び合える自由大学という場所があるんですけれども、そこでネオファミリースタイル学という名前の家族の講義という場所を今作っていまして、これのキュレーターとして今役割を持って活動もしております。
いくつかちょっとその役割を持って活動しております。
ありがとうございます。結構家族を中心とした動きが多いなという。そうですね。ちょっと詳しくお伺いしていきたいんですけど、一番ちょっと最初にお聞きしたいのが、家族サミットというのをTさんは年に一回やられていて、それが夫婦がうまくコミュニケーションをとる秘訣であったり、家族としての団結するような、何だろう、儀式的なものなのかなって
外から見て思ってたんですけど、この家族サミットっていうのがどういうものなのかっていうのをちょっと教えていただいてもいいですか。はい、もちろんです。家族サミットという名称にしているんですけれども、今、あつさんにご紹介いただいたように、今は年に一回をベースにしてまして、本当にサミットなので大義大のようでして、
首脳同士が集まるみたいな。そうなんです。私と夫、違う国の首脳同士が国の代表をもって集まって合意形成していくっていう場所なんですけど、そこでは事前にアジェンダを設定しておいて、このテーマについて話し合いますという話し合うテーマを設けていて、それに関してお互いの意見を
ディスカッションまでいかないですね。対話に近い形なんですけど、話をしていくという場所と、それは最後に議事録を取って、こういったことをお互い話し合って、意見をお互いに述べましたというところまでまとめるんですけれども、そのパターンが一つありますのと、それとプラスして定期的に固定化しているクエスチョンというものがありまして、我が家では今セブンクエスチョンって呼んでるんですけど、
毎年毎年同じように問いかける質問を設定していまして、それも時間を取ってお互いの定点の状況を対話していくというような時間。それによってどういった変化がありました?
そうですね。まず、アジェンダ設定していることに関しては、お互い気になっているトピックスをあらかじめ出している時点で、今どういうことが気になっているんだなーみたいなのが見えてくるので、話し合わなきゃいけないテーマがお互い事前に分かっていて、それの自分の意見表明をちゃんと考えなきゃいけないよなーっていうのは。
はい、でも何も言わないということは、意見はないということでよろしいでしょうか?っていうことになってしまうので、首脳であれば自分の国の展開をちゃんと述べてくれっていうことにはなるんですけど、そんなふうに少なくとも話し合いたいテーマがあり、それに対してお互いの意見の同意というか、重なりもあれば違いもあるっていうところがまず見えるのが、私はすごくいいなと思ってまして、
すべてのテーマに同じ意見であるなんてことは100%ありえないと思っていたので、例えばそれこそ目を買うかどうかみたいなテーマが仮にあったとして、それに対してもお互いや絶対買いたいよねっていう意見なのか、でもこの後どうなるかわからないからそもそも購入する必要ある?だったり、そういったものもどういう背景があるからそういう答えになってくるのかがお互い全然違うはずなので、
そういった背景も含めて話し合えるような場所としてここはセットしていたりします。なので、そういった互いの違い、互いの背景みたいなところを知れる場所としてすごく、変化というよりはその違いを知れる場所としてすごく一つ嬉しいなと思っているところではあるのがあります。
意見の違いと合意形成
2つ目としては、先ほど定点で同じ質問を聞くというところに関しては、毎年同じ質問を聞いているので、今年全然違うねみたいな感覚もあれば、去年も同じことを言ってましたねっていうところも見えたりするので、同じ質問であっても外的環境や自分の内的要因も含めて状況によってその中身が変わったり、もしくは本当に変化があって、
一番近くで全然変わってないように見える人なんですけど、やっぱりこの人、去年と全然違うんだよなあっていうことを知れる、まさに互いの変化を知れるような場所にもあったりします。
なるほど。お互いの変化を知ることができる場所になっているってことですね。
そうですね。
ちょっとまず気になったことをお聞きしたいなと思って、意見の違いって出てくると思うんですけど、それってどうされてるんですか。
どうしても一つの答えにまとめなきゃいけない事象があると思うんですけれども、それとそうじゃないものとはまず分けてます。
例えば先ほどの家を買うかどうかみたいなところって、いずれにしても答えを丸か×かの答えを決めなければいけないパターンの時には、どんなふうに互いが納得できるというよりも、
どんな気持ちや思いや状況があるかみたいなところをまず話し合って、少しずつ合意形成のステップ進んでいくっていうのが一つのパターンなんですけど、
反対に一つに答えを決めなくてもいいアジェンダとかも確かあったはずでして、それは…
例えばどういった…
そうですね、今ちょっとアジェンダを。
子供の教育に関してみたいな、ちょっとふわっとした抽象的な問いかけのようなものをセットしている時は、
どちらかというと、例えばどういう学びを受けてほしいだろうかだったり、
彼女がどういう生活や学びの環境があるとよりのびやかになるだろうかみたいな、
お互いがどう思っているかを伝え合うことで、合意までいかなくても、その状況がわかっていると選ぶ選択肢がお互い変わるね、みたいなところが取れればいいアジェンダもあったりするので。
子供に対する教育の価値観の違いがあったとして、自由主義でやろうよっていうパターンと、厳しみにちょっとやったほうがいいんじゃないかっていうパターンで分かれたりとかっていうのがあったときって、
それは合意形成に持っていくんですか?
そうですね、少なくともそんな風に意見の違いが見えると、次の行動が変容するんですよね。
例えば、じゃあ全然タイプの違う学校を一緒に見に行ってみようかみたいな提案が出てきたりするんです。
そうなって、お互い同じ景色を見れる場所があって、もう一回次のアジェンダに到達できるような形もあるので、
その場ですぐすぐ答え出すパターンのものもあれば、次の行動につなげるためにお互いの意見の相位を確認するみたいなこともあります。
相手と自分が違う価値観だっていうことに気が付いたら、その背景に何があるんだろうみたいなことを知って、歩み寄りのためにそういった、
いくつかの学校を見に行こうとかっていう、具体的な歩み寄りアクションを取っていくってことですか?
まさに。
どうするかをまた話し合う。
そうなんです。やっぱり、私の意見に同意してよとか、それこそ俺の意見に傾けてよみたいな形になると、多分双方納得できないと言いますが、
気持ちがあってお互い違う意見になっているので、だとしたら本当にその意見を共有し合えるために、
まず同じ次の行動を探してみて、その選択肢を見た上で次のステップ進むみたいなところはすごく意識していたりします。
なので、答え出ないって思うものを無理矢理そのままで答え出さないようには、はい、少し気を付けていたかもしれません。
その話し合いの中で、何だろう、合意形成まで持っていくんじゃなくて、持っていける時もあると思うんですけど、持っていけない時はどちらかがリズムで詰めるんじゃなくて、
体験を通じた理解
相手に体験させるみたいなことなんですか。
そうですね、そういうことも。
もしくは自分が相手の価値観を体験するみたいな。
はい、お互いにそういうことを同じ体験しようみたいなパターンも確かあったと思いますし、そうじゃなくて、
互いに体験しよう、別々のことを体験しようっていうパターンもあります。
体験なり行動してからもう1回話し合おうっていうパターンもありましたね。
そっか、やってみないと分かんないっていう、相手の気持ちは同じことをやってみないと分かんないっていうのは確かありますもんね。
はい、ただ、例えばそうですね、
これは私はすごく夫がどういうパターンというか、話し合いの方法をすると納得しやすいというか、
納得を生む環境になりやすいかみたいなところはちょっと注視して見ていまして。
例えば夫さんはどういったやり方だと納得しやすい?
そうですね、例えば私が本当にエモーショナルに、なんでこうしてくれないの、私はこう思ってるのに、
っていうことを伝えても全く多分響かない。
エモーショナルな架け橋
響かないって言うとちょっと語弊あるんですけど、
夫婦仲が冷え切ってるように見えるんですが。
納得できないってことですよね。
はい、そのエモーショナルな感じは私の感情なので、
それと同じ感情に彼は今なってない時点で、そこに橋を架けられないっていう状況にはなっている。
なるほど、なるほど。
私の中ですごく意識しているのは、私がこう言ってるというよりも、
例えば第三者のこういう方からこういう意見が出てきてるよ、だったり、
例えばわかりやすくそういうストーリーが漫画になってたりすると、
そっと机の上に漫画を置いておいたり。
作詞ですね。
私が言わなくてもわかることを言ってくれてる漫画があるな、みたいなことがあったりすると、
それを置いておいたり。
あとは、これこそエビデンスと言いますか、
NHKのこういう調査でこういうのが出てましたっていうことを資料にまとめてそっとお渡ししたり。
そうですね、そういった意味では伝え方はすごく気をつけてるというよりかは、
そうした方が私が言いたいことが結果的に早く伝わるなと思う位置づけを使っています。
家族サミットのフレームワーク
客観的な目線をあえて入れてるんですね。
そうですね。
合意形成を持っていくときには。
そうですね、そうかもしれません。
なるほど。
じゃあちょっと始めに戻ってお話をお伺いしていきたいんですけど、
ちょっともう1回家族サミットは2つに分かれてるってお話だったと思うんですけど、
最初がそれぞれが話したいトピックをあらかじめ設定しておいて、
それについてお互い考えておいて伝え合うのが前半編であってます?
はい、あってます、前半編であってます。
それは例えばどういったことがトピックに上がるんですか?
先ほどその家を購入するかどうかみたいな話もアジェンダありましたし、
子どもの教育に関してもまさにアジェンダがあったりしましたし、
もっとライトなアジェンダで思い出すのは、
家の中で音楽に触れるにはどうしたらいいかみたいな。
なんでそれ出てきたんですか?
もっと触れたいみたいな予定がどちらかにあった?
私結構CDを保有していたんですけれども、
そのCDをそもそももう持ってないんだよなとなったときに、
音楽の聞き方がやっぱり変わってきていて、
自分個人だけで所有している音楽になってしまうので、
子どもを含めた家族間で聞いている音楽を共有できたら嬉しいけれど、
どういう音楽の共有の仕方があるだろう?みたいなことを話すこともしました。
なるほど。結構じゃあ、家を買うとかっていう大きいテーマもあれば、
家の中で音楽どうする?ソフトウェア契約する?どうする?みたいな。
まさにそうですね。
っていうライトないろんなプランもある。
気になったことを話そうみたいな感じなんですね。
なのでトピックスの大小というか深さや浅さはあまり関係なく、
ちょっと話してみたいなと思うテーマをタタタタと羅列して話しています。
それって何か事前に何かドキュメントか何かにしたリンクとか送ってるんですか?
Googleドキュメントみたいな。
そうですね。アジェンダに関しては、
これまではEvernoteというアプリケーションを使って共有していたりしたんですけれども、
ちょっとここ数年は最後の議事録をグラフィックレコーディングで書き留めることが多いので、
イラストで書いてる?
そうですね。まさに。
なのでこういうことを考えようっていうテーマだけをLINEで伝えておいて、
後ほど議事録に落としていくっていう感じ。
じゃあLINEでテーマ設定をやって、それについて事前に考えておいて、
で、Kazuki Summitの場で合意形成とかお互いに考えてることとかをイラストにして、
手書きで書いてるんですか?
はい。私がただただ好きなので。
そうなんですね。
そうなんです。
初めはずっとただただと議事録に近い形で書いていたりすることもあったんですけれど、
もうちょっとその時の景色だったり、感情みたいなものが後から振り返ってみえた方が楽しいなと思ったんで。
そっか。感情が喚起されるんですね、イラスト。
そうなんです。なので、例えばこれ話してる時の顔、
私めちゃめちゃ笑ってたなみたいな顔を書いていたり、
このトピックスやっぱり最重要だったみたいなところが星マークがすごいたくさんあったりとか。
なるほど。そっか。それいいですね。重要度もそこで分かるし、
自分たちの気持ちがどこに込められてるかっていうのも分かりますよね。
そうですね。まさに、例えばお互いが言った話の中で、
やっぱりこの言葉はキーワードだったよねみたいなことが、
それを読み起こすと、
例えばグラフィックレコーディングの中で大きく言葉として書いてあって、
四角に囲ってあるみたいな様子を見ると、
これやっぱりあの時も言ってたじゃんみたいな風に。
大事なやつだっていう。
そうですね。そうですね。ここキーワードだった。
セブンズクエスチョンの意義
家族サミットは年に一回でしたっけ?
はい。年に一回やってます。
緊急ミーティングみたいなこともあったりするんですけれど。
そっか。そうですね。年末まで待てないっていうトピックもきっとありますもんね。
はい。場合によってはすぐすぐやるみたいなパターンもあったりします。
なるほど。で、もう一つがセブンズクエスチョンですよね。
はい。そうです。
これどういったクエスチョンか教えていただいてもいいですか?
はい。わかりました。
ちょっと全部言うと恥ずかしいなっていうことがあったりするので。
話せたことだけで。大丈夫です。
そうですね。いくつかぜひお伝えできればなと思っているんですけれど。
大丈夫です。大丈夫です。
一つは、今興味あるもの、人、ことは何ですか?という質問を毎回聞いています。
今興味あるもの、こと、人は何ですか?これが一つ目ですね。
はい。
あと共有できるものは何かあります?話していたい自分の質問で。
ありがとうございます。
他には、そうですね。
昨日はどこで何してましたか?みたいな質問もあります。
昨日はどこで何してました?なるほど。
他にはあります?
はい。あと、新しく始めたことは何ですか?という質問もあります。
新しく始めたことは何ですか?
はい。
あと、そうですね。
あと、ちょっといくつか他にもあるんですけれど、お伝えできるものの一つとして、
ちょっとこう、未来に向かう質問も設けてまして、
もっと何々だったらいいのになという、何々というところに当てはまることを教えてくださいという。
面白いですね。ドラえもんみたいですね。
あんなこといいなって。
まさにそうです。
こういう未来への希望もあれば、実は今年新しく追加した質問もありまして。
それはお話いただいても大丈夫なんですか?
はい。それが、なのでセブンズクエスチョンではなく、8になっちゃうんですけど。
10年後の自分はどうなっていますか?という質問が付け足されて。
10年後の自分はどうなっていますか?
はい。
なるほど。みんな面白いな、これ。ちょっと聞いていきたいんですけど。
今、興味あるものこと人は何ですか?というのは、これをあえて聞く理由は何なんですか?
それがですね、面白いことに毎年やっぱり違うんですよね。
お互いに違うってことですか?
はい、そうですね。お互い違いますし、
実は私から見た夫は、あ、今年もやっぱりこれ興味あるんだ、みたいなことを知ったりもします。
去年も気になるって言ってたけど、なんか今年もうちょっと深まってここ気になってるんだな、みたいなことが分かったりもしますし。
なるほど。これ確か、カリシア研究家のミキとマイさんのXのスペースでお話されてましたよね。
確か、夫さんのなんだっけ。
米作りですね。
あれ面白かったです。あれは最初は確か、なんだろう。
家庭菜園とかやってたんですよ、初め。
そうですよね。
はい。で、興味あることが、その、まあ、食に関することっていう、確かスタート。
彼はその食に関すること、ずっと興味あることではあるんですけれども、
今年はちょっとそういった意味では、その家庭菜園というか、何か庭で葉っぱのもの育ててみようかな、みたいなことが上がっていた時があって、
おお、そういうこと興味ある、育てることに興味あるんだ、なんて思って見ていたらですね、
だんだん経過していって、もっとこう深くそういう園に携わりたいんだと思い、いよいよ今年から米作りが始まるっていう。
なるほど。これ家庭菜園から米作りまでは何年間ぐらいステップあった感じですか。
どうだったんでしょう。でも家庭菜園結構長くやってはいたんですよね。毎年やっていて。
5年以上とか。
はい、そうですね。で、米作りに興味あるんだろうなって思っていたのは、3年前ぐらいからちょっとそういうワードは出てたんですけど。
じゃあ3年間かけてついに実現したっていう感じなんですね。
はい、いよいよ本人が自ら手足を動かしたっていう。
なるほど。これ例えばじゃあ、そっか、もしこの質問なかったら、
夫さんは自分の中で5年間とか3年間ずっと米作りへの渇望を抱き続けて、
突然ちょっと俺新潟行ってくるわ、みたいな感じになってたかもしれないですよね。
そうですね、それはそれでキャラクター的にとても面白い人だなと思うんですけれど、
なんかそのステータスというか変化が見えていくと、
さらにその変化が加速しているのを見ると、本当にやりたいんだよねっていうことが伝わるので。
なるほど。
だとしたら何か家族で協力できるところは何だろうとか、
私ができることなんだろうっていう気持ちにならざるを得ないというか。
協力しやすくなるんですね。
そうですね、少なくとも言い続けてるなって思うと、
巻き込まれてもいいなっていう気持ちにはなってくるので。
そんな気持ちが結構大きいですね。
逆にちにさんは何かあったんですか?
興味あるものと共有する中での変化みたいなのって。
私でも今ちょっと遡ってみてるんですけど、年々結構違うこと書いてるんだっていうことがわかります。
2023年とかは、ある漫画原作のあるアニメの話とかも入ってますし、
その中の一人のキャラクターにドハマりしていた機会があったので、そこが書いてあったりもしますし。
音楽のアーティストのグループ名が書いてあったり、
仕事としても気になっているサーキュラー・アイコンのみんなのことをもっと深めたいみたいなことが書いてあったり。
すごくバランス悪いんですけど。
そっか、毎年毎年確かに気になるものっていうのは変わってくるし、
変わることもあれば変わらない。情熱が膨らんでいくっていうこともある。
それが定点観測できるってことなんですね。
そうなんです。なので、やっぱり隣というか近くにいる人の変化が、
この1年にやっぱりあったよなっていうのは知れるみたいな。
次の質問の、昨日はどこで何してましたかっていうのは、
すごい知ってるんじゃないのって思っちゃうかもしれないんですけど、
これなんでこんな直近の話をするんですか。
家族サミットの意義
えっとですね、この現在地聞くことに近い質問なんですけど、
すごい一つは、これを作った当初に、ボケ防止のためにこういう質問を入れとこうっていう話をしていて、
いやいやいや、昨日のことを思い出せなくなったら、そろそろだねっていう話をしていたことがあり、
70歳、80歳ぐらいになって、もしこれを続けていたとしたら、
いよいよこういうの出てこなくなってきたとしたら、
お互い笑い合える質問ではあるねっていう話をしていたことはあるんですけど、
それがメインの目的だったんですか。
はい、という理由も一つあるのと、
もう一つはすごく詳しいディティールを書いておきたい、
共有しておきたいなというふうに思っていて、
それはなぜですか。
365日のたった1日の話ではあるので、
お互いのことを当然わかってはいるけれども、
実はその昨日どこで何してたの中で、
会社の中で残業があって、これこれこういう理由で1時間2時間残業入ってしまったんです、
みたいな、改めてその状況の理由を客観視して聞けるみたいなこともありますし、
私は私でやっていたことを改めてタスクの振り返りみたいなことになっていたりすることもあるんですけど。
これはじゃあ、その年のピックアップされた1日を詳しく描くことで、
去年ってどういう生活だったんだっけとか、2年前ってどういう生活だったんだっけ、5年前ってどういう生活だったんだっけ、
っていうのが鮮明に蘇ってくる記憶装置みたいな感じになってるんですか。
まさにそうですね、本当にそうなんです。
なんか滑り落ちていく小さな1日ではあるんですけれど、
そこのイメージをパッと鮮明に覚えておくことで、やっぱり1日として同じ1日は本当はないんですし、
そのディティールの中にお互いどういうことをしていて、どういう思いがあってみたいなところが、
振り返った後に、そうだった、5年前の子供はまだ小さかったね、みたいなことが言えたりだとか、
いいですね。
そういう様子を細やかに。
それはじゃあ、ノジックというより、ノジカル的なというよりかは、なんかエモーショナルな、
そうですね、そうかもしれません。
そうですね、疑似というかエモーショナルな記録みたいな感じですね。
2人を繋ぎ止める親密性の怒りみたいな、アンカーみたいな。
すごいそれは素敵な表現ですね、なるほど。
新しい試みの共有
そうかもしれません。
面白いな、なるほど。
3つ目の新しく始めたことは何ですか?というのは、
これはもうすでに知っている状態であると思うんですけど、年末とかだと、会って声を聞くのは何であるんですか?
そうですね、確かにお互い共に生活しているので知っているはずなんですけれども、
改めてお互い新しく始めたことを目の前で伝え合うことで、
本当だ、そういうことやってた、それに対して今やっぱり力であったり時間であったり、
気持ちであったりを傾けてやってるんだよな、この人は、ということを再認識するような場所になっていまして、
例えばなんか私、今年あれなんですけど、新しく始めたこと、
ピップ英曆版って書いてあるんですけど、
そうなんですか、今年デビューされた、いよいよデビューされました。
ありがとうございます。
これを書いたことで、夫が肩こりひどいって言ってたね、みたいな話になって、
いや本当それねって思いながら、ただその体のケアを何かしらしなきゃいけないっていう意識が、
ここ数年ずっとあるんですけれど、少なくともやってます、今やり始めようとしてます、みたいなことを伝えていて。
本当面白いですね、なんかすごいトピック出てくるかと思ったけど、ピップ英曆版始めました。
そういう日常のバカなディティールの時もあれば、
仕事としてこういう授業を新しく始めました、みたいなことを言う時もあったりするんですけど、
大小限らずに、自分たちがそれぞれ今回新しく触ってみたこととか、やってみたこととか、チャレンジしたこととか、そこを結構広く。
広いですね。
磁石付きのシップを初めて触りました。
はい。
ってことは体のケアが必要になってきた、そういうタイミングなんだなってことがお互いわかりますもんね。
はい。そういえば、俺も今年生体系始めてたわ、みたいな話になって、
テレワークが多いとやっぱりちょっと固まり固まっちゃうことあるよね、みたいな話をしていて、
そこからアイディア出てたり、始めたりもするんですよね。
じゃあ本当はウォーキングとかする時間が本当はあったらもっといいよね、だったり。
例えば大人だったら、じゃあやっぱり米作りで体動かした方がいいじゃん、みたいな話になったり。
米作りにどうしても引っ張っていく。
はい。なんか新しく始めたことがきっかけになって、お互いのアイディア争発みたいな場所になっていたりもするので、
少なくとも自分の中ではチャレンジしている場所でもあるっていうことを考えると、
いいねいいね、お互いこういうことを今年新しくタッチしてるんだね、みたいなことを褒めて与え合うような場所でもある。
未来への希望
面白い。なるほど。で、次のもっと○○だったらいいのになーっていう、未来への希望のクエスチョン。
これすごいいいなと思ったんですけど、例えばどういったのが出てくるんですか、この○○には。
えっとそうですね、例えばなんですけれど、私はこの数年ここ実はずっと変わらなくて、
ちょっとこのもっと○○だったらに当てはまらなくなってしまっているんですけれど、
ただはい、もっと戦争がなくなる世界だったらいいのにっていうことを、
世の中的に。はい、ロシアウクライナの変化があってから何か毎年それをずっと挙げてはいるんですが、
そんなこともありますが、例えば夫はもっと違う自分の暮らしサイズの話をしていて、
もっとこう本が読めたらいいみたいなことを、本を読む時間が取れたらいいのになったり。
そうですよね。
そういう本当に未来の自分や社会に対する希望みたいなところだと思います。
これはこの質問をすることでどういった変化というかあるんですか、2人がこの質問をして聞き合うことで。
そうですね、これまさに未来の自分に対する期待というか、
本当にもっと○○だったらいいのになというドラえもんのあんなこといいなっていうことだと思うんですけど、
ただそれをお互い伝え合うことで、もしかしたらそのできる叶う可能性が0から0.1とかになる可能性もあって、
例えばもっと先ほどその、もっと本が読めたらいいのにっていう夫がそういう話をもししていたとしたら、
なんかちょっと大きなお世話かもしれないんですけれど、スマホでずっとYouTube見てるときに、
あれ、もっと本読めたらいいって言ってなかった?みたいなことを言えたりもする。
私ももっと○○だったらいいのにちょっとテーマが少し大きくなってしまうんですけれど、
少なくともその情報を収集している私のことを夫が無礼にしないというか。
なるほど、そういうことですね。
なんでそんなことやってるのとかっていう。
そうですね。
なくなるってことですね。分かってるから。
そうですね。
そういった意味では未来のお互いに対する期待だったり、それに対する承認だったり、そういうことがあるような気がします。
なるほど、確かにこれ、相手がどういった、自分にとってのありたい姿が何なのかとか、
自分にとっての終わってほしい世界がどうなのかっていうことが分かっていれば、
その人が普段行っているアクションについても理解できるようになりますもんね。
そうですね。なんかそういう本来の自分が欲しいんだよなとか、
本来こういう環境や社会になってほしいんだよなと思ったときに紐づく行動をしているよな、この人とか、
していないんだとしたらなぜできないんだろうな、私たちとかっていうふうに考えられるときではあるので。
なるほど、その中でじゃあしたいんだけどできない、なぜなんだろうな、
ここがボトルネックになってるのか、じゃあそれ変えようかみたいなアクションが取りやすくなる。
そうかもしれません。はい、そしてその障害がもし何か家族の中にあったり、
家族内の環境変化にあるんだったら、次のアジェンダに挙げたっていいわけなんで、
もっとこうするためにどうしたらいいだろうかみたいなところにアジェンダトピックスに挙げて、
もう一回話し合う、舞台につなげるみたいなこともある。
なるほど、なんかムジカルな話になるかと思ったけど、結構エモーショナルな話につながっていくんだなっていう。
そうですね。密接に絡み合ってますね。
はい、そこを結構行ったり来たりしてるかもしれないです。
最後の10年後の自分はどうなっていますかっていう質問は、これは意図は何なんですか?
はい、これ今年確か新しく追加しているんですけれども、
本当にこの後どうなって生きていくのかとか、どうやって働いていくのかとかが、
もっとわからなくなりそうだなとは思っていまして。
世の中の時代的にってことですか?
そうですね、時代的にも流れ的にも、変化に富んでいく状況になっていくだろうなと思ったときに、
今思い描いている状況と必ずしも一致するとは限らないと思うんですけれども、
少なくとも2024年の今こういうふうな自分が10年後そういうふうにありたいと思っているっていう、
少し矢印が見えていると、本当に0.5歩でもそこに近づけていける可能性はあるよなと思うので、
そういった意味では少し遠目の中長期の矢印を少し出しておくのは面白いんじゃないかなと思って。
これは自分がこれを答えることで、自分の矢印をカチッと、
一旦ちょっとそっち方向へ定めることができる大枠の矢印を設置して、
そうするとアクションが自然とどうすればいいのかっていうのを自動で考え始めたりとか動き始めたりとかするってことだと思うんですけど、
相手の10年後の姿を知るっていうのは、さっきおっしゃってたような、
相手の行動を無理にしないとか理解するとかっていうところにつながるんですか。
そうですね、まさに今おっしゃっていただいて本当にその通りだなというふうに思っていて、
これをお互い言うことで、特に相手が言うことで、10年後そういう指針でいるんだということを知れば知るほど、
相手の考えや行動を否定する状況にはやっぱりならないんですよね。少なくともそう思っているので。
応援するというよりも少なくとも認知であったり承認というか需要に近いと思うんですけども、
そういう心持ちにはなるなあと思って。
なるほど。
自分で自分のことを知ることと相手のことも知ること、それを受け止める、需要することで、
お互いの人生が自分たちにとって望んでいる方向へとうまく進むための優しい眼差しを得るための回みたいな、
何かそんな感じがちょっと印象を受けました?
嬉しい言葉です。でも、今アツさんが言ってくださったように、私が私自身のことを100%理解していないと思うので、
この場は私が私のことを知る機会でもありますし、私が相手のことを知る機会でもありますし、
相手が私のことを分かってくれる機会でもあるので、
納得してくれという形よりも、むしろ今の私のステータスや状況を理解というか、
本当に需要してほしいという願いはすごく強いと思いますし、
一方、本当にこの内省だなあと思うんですけど、これを言ったことで、
家族サミットの目的
私って今こういうことを思っているんだったんだよなあということを、
改めて自分にもリフレクションしているような状況がすごくありまして、
自分で気がつきやすくなるってことですね。
いや、まさにそうですね。
しかもそれを例えば去年と振り返ってみたときに、
去年こういうことを言っているのに、結局行動できていないじゃん、だったり、
やっぱり私ここでも言っているから、ここを深めていきたいと思っていたんだよなあみたいなことを、
もう一回自分にリフレクトすることもあったりするので、
自分のことを改めてグッと知る機会にもつながっています。
なるほど、分かりました。ありがとうございます。
家族サミットについてはすごい理解できました。
嬉しいです。ありがとうございます。
ちょっと次お聞きしたいのが、
なんでそもそもこれをやろうと思われたのかっていうところを、
ちょっとお聞きしたいんですけど、
何だろう、夫婦仲がめちゃくちゃ悪いわけでもないと思うんですけど、
めちゃくちゃ悪くて、ちょっとマジで話は必要だよみたいな感じじゃないんじゃないかなって、
ちょっと外から見てて思って、ご夫婦さん知らないですけど、
ティーさんの人から見てて思うんですけど、
なんでこれをわざわざ設定してやることにしたんですか?
ありがとうございます。そうですね、今そう言われて、
これをなんでやってるかって聞かれるのもしかしたら初めての質問かもしれないんですけれど、
多分もう続けて10年以上経っているはずなんですけれど、
一番スタートのきっかけは、本当にすごくシンプルだったと思います。
私の興味みたいなところがすごく強くてですね。
夫のことを知りたいってことですか?
そうですね、夫のことを知りたい。
なぜなら、夫と私がかなり考え方が違うなっていうことに、
気がつくことがすごく多かったので。
価値観も違かったんですか?
そうですね、はい。
なので、こういう、同じ物事に対してこういう考え方の違いがある人なんだっていうことがわかったときに、
たびたびそれは感じることがあったんですけれど、
なんで違うんだろうっていうのがすごく興味深くてですね。
好奇心?
いや、まさにそうです。
別にそれは夫に限らない話ではあるんですけれど、
一緒に仕事する人に対しても、友人に対しても、
えー、これなんでそう思ってるの?っていうことは思うタイプではあるんですけれど、
しかし関係性になったときにますますそういう、
知りたくなった。
はい、背景だったり、思いや価値観みたいなことを知りたいなというふうに思ったのがスタートするきっかけではあって、
あの、このサミット、あの、なんて言うんでしょう。
なんかこう畳の上で星座でやってるわけでは決してなくてですね。
かしこまってるわけじゃないんですね。
陶薬サミットみたいな感じなんじゃない?
はい、お互いスーツ着てとかそういう感じではなかったりするんですけれど、
むしろ本当にこう居酒屋で飲みながらやったりするケースもありますし。
そうなんだ、カジュアルですね。
はい、カフェでコーヒー飲みながらみたいなこともありますし、
むしろそれぐらいこう本当に気持ちが緩やかにほどけてフラットになる場所でこれやっているんですけど、
なんか本当にそういう興味喚起みたいなところからスタートはしてました。
その価値観が違うと結構陥りやすいのが、なんでわかってくれないの?とか、
こっちの意見をこう、いやいやこっちは正しいでしょみたいな、
そうでしょみたいなふうに押し付けたいとかしちゃいそうになるんですけど、
そうならなかったらなんでなんですか?
そうですね、そういう聞かれると。
性格的な問題ですかね?
お互いに需要しやすい関係性、性格だった?
えっと、かなり私と考え方違うなと思っているんですけれども、
お互いに正しいって思うことは私すごく多くて。
ああそうなんですね。相手も正しいし、自分も正しい。
はい、私も正しい。で、なぜなら、私も夫も違うこれまでの時間の積み上げ方をしていて、
違う家庭環境や学習環境で生きてきていて、
もちろん違う仕事場で何かしら様々な体験をしてきている以上、
同じ考えでいるなんてことは100%できないってわかってはいるので。
なるほど、なるほど。
はい、なのでそもそも気持ちをどちら側かに寄せろみたいなのが、
私がまずできない。私も夫に対してできないですし、
夫にそうしてほしいと思ったことも一回もないかと思います。
夫さんからもなかったですか?
そうですね、そう聞かれるとあんまりないかな。
同じような感覚だったってことですかね。
はい、そうかもしれないです。
違う人間だから、同じ考えにはそもそもバチッとはまるわけないよね。
違う人間だからっていう感覚だった。
そうかもしれないです、はい。
なるほど。で、距離が近いパートナーであるから、
違うよねだけで終わらずに、なんでなんだろう知りたいなっていう好奇心が湧いてきた。
家族サミットに繋がっていった。
その大きな一つの要因って言ったらあれなんですけれど、
夫婦間のコミュニケーション
例えば私、出産、子育てみたいなところに対して、
とてもポジティブなイメージがあまりなかったんですね。
なので、そもそも家族を形成していくことそのものにも怖さをとても感じていたので、
夫ともちろんそういう話をしたことがあるんですけれども、
すごくシンプルに夫が尋ねてくれたことがあって、
えーなんでそれ怖いの?って聞かれたことがあったんですよね。
それは子供を持つことか、家族を持つことか。
はい、そうですそうです。
私なりの自分の家庭環境の状況を伝えたり、
その様子からやっぱり子供及び家庭を築くことって結構怖いことだなって思ってるんだっていうことを、
なかなかにエモーショナルな形で伝えていたかと思うんですけど、
それに対しての夫のクエスチョンがすごく面白くて、
えーそれ、私はそういうふうに思っていたかもしれないけれども、
子育てしていた当時の母親はどう思っていたのかな?みたいな質問だったんですね。
そこで私すごくハッとしていて、
確かにその子供を育てることの大変さとか、家族を築くことの難しさは、
同じ家族の環境にいた私自身はすごく息苦しいものだったなーって思っていたんですけど、
その場にいて、むしろその子育てをしていた母親はどう見えていたかなんてことは一回も聞いたことはなかったぞというふうに思っていまして、
なんかその夫からの質問を受けて、
あ、そうかちょっと聞いてみるっていう形になり、
なので私の家族である母と父と弟と3人にそれぞれ、
私たちがまだ小さかった頃を含めて、
家族の状況や子育てに関してどう思ったのかっていう質問を3本それぞれに聞いてみるんですけど、
全員全く違う言葉が入ってくるっていう。
本当にそうでした。
同じ場所にいたはずなんですけど。
同じ場所にいたはずですよね。
同じ体験したはずですもんね。
いやそうなんです。
さらに言うなら、私は母がしんどそうだ、もう本当に大変そうだってずっと思っている後ろ姿を見てたんですけど、
同じ場所にいたってはめちゃくちゃ楽しかったっていう言葉が返ってきて、
もう本当にその場でずっこけそうになったんですけど、
なんか私が勝手ながら、
母さん本当に苦しそう、子育て本当に嫌だったのかもしれない、なんて思っていた10年、20年の気持ちが、
この彼女の本当に楽しかったっていう言葉で、
あっという間に破壊されていくと言いますか、
私が家族に対する目線が固定化されているだけであって、
他の家族がどう思っているかは、その人ごとに見えている景色が大きく違うんじゃんっていうことが、
その問いかけで理解ができたので、
そうなると勝手ながら枠組みとして一番近しいだろうと思われる家族という言葉の中でも、
見えている景色が違う人たちが揃っているのであれば、
100%分かり合うっていうのはどうしたってできないよなというのが、
その場ですごく深めに理解ができたので、
そういった背景があったりします。
出産をこそがってポジティブになれなかったっていうお話で思い出したんですけど、
チーさんのネオファミリースタイル学科かもしれないですけど、
何かのページでチーさんが肩に自由って思いっきり書いてますね。
僕はタトゥーだと最初思ってて、やべえ人がいると思って、
家族アナウンスでポッドキャストとコラボさせていただくときに調べたときに出てきて、
やべえ人がいる、こういう人と話すのかと思って、
めっちゃ自由でタトゥー掘ってると思って、タトゥーじゃないんですよねあれはね。
あの郵政ペンで書いて、そこを引いてました。
ハッシュタグ家族って作る意味あるとか色々書いてあって、
ありましたね、ありましたね。
だいぶパンクな人なんだなと思って、すごいなみたいな、
ファンキーでパンクな人なのかと思ったんですけど、
だけど家族サミットやられたりとか、アローの団体の活動とかって、
その家族の幸せとかがメインにあるのかなって思うんですよ。
家族全員の幸せとかっていうのがメインにあるのかなと思って、
家族作る意味あるって言ってた人が家族サミットを開くに至ったその経緯って何なんだろうなって。
面白い、そっか、そうですね。
家族って作る意味あるかどうかについては、まだこの問いかけは自分の中では残っていると言いますが、
すごくまっすぐ言うと、作っても、きっと作らなくてもどっちでもいいだろうなっていうのは思っています。
作らない人生を私ももしかしたら歩んでいた可能性が本当に高いなと思っているのは、
ベースラインとしてあったりするので、
作る必要がないって思っている人の選択肢はすごく応援したいというか、
気持ちとしてすごく重要しているというのは。
家族絶対必要っていうのにクエスチョン投げかけるってことですかね。
家族絶対必要、家族マストみたいな。
全然そうはないです。
そうじゃないってことですよね。
むしろ家族ってやっぱりなんだろうっていうクエスチョンに今ちょっと切り替わっています。
作る必要あるかどうかと言われている家族って、そもそもどういう定義の人を家族って言うんだろうなっていうのは感じていて、
例えば血がつながっていなかったとしても、親職を共にしてお互いケアしていたら私やっぱりそれは家族だって思いますし、
日本ではまだ同性婚を認められていませんけれども、
でもお互いがそうして本当に気持ちを持ち寄りながらケアをしていて、
一緒に暮らし生活をしている人たちを私は知っているので、
彼ら彼女らは家族だなってやっぱり思いますし、
家族っていう言葉の概念が人によって結構違っていて、違っていて全然いいんだと思うんですけれども、
家族の多様性と新しい定義
その違いをやっぱりもっと多様になれたら、その違いが多様であっていいぞっていう状況になれたらいいのになっていうのが強く思います。
上野千鶴子さんの何かの本に、ファミリーアイデンティティという言葉が出てきて、
家族の定義っていうのって、例えばなんだろう、昭和時代とかだったら、
おじいちゃんおばあちゃんお母さんお父さんで子供たちみたいな感じの3世帯が家族みたいな定義みたいな感じだったけど、
現代はいろいろ変わってきてる。昔から多分変化はあったんでしょうけど、
例えば本の中に書いてあったのが、ある70代か70代の男性と同居している全く赤の他人の3世代の女性がいると、
この2人はお互いに家族だと思っている。この2人の原理をたどっていくと、その3世代の女性の義理のお父さんなんですね、その人は。
その女性は夫ともちろん結婚してたんですけど、離婚をしましたと。夫は出て行きましたと。
なんで夫が出て行って、その人と義理のお父さんが一緒に暮らしてるかというと、2人はすごく仲が良かったのか、
お父さんはその女性に出て行かないでほしいって言ったらしいんですよ。一緒に暮らしたいと。
自分の息子だけは出てきたんですね。2人だけは残って、その女性は残るのは別に私もあなたのこと嫌いじゃないからいいけど、
家のことはやったよねって。あなたのお世話するために残りたくないと。
で、おじいちゃんもお父さんも分かったと言って家事を教えたんですって。教え込んでできるようになって、2人で家事を回しながら暮らしてる。
で、お互いに大切にし合ってる。お互いを必要とし合ってる。受け止め合ってる。
外から見た時に彼らはもう血縁関係はもちろん最初から存在しないし、法律的にも家族じゃない。
じゃあ彼らは家族じゃないと言えるのか?ファミリーアイデンティティーとは一体何なんだろう?みたいな問いがそこにあって、面白いなと思ったんですよね。
その話近いなと思って。
そうなんですよね。やっぱり本当に血縁なの?って思ったり、ケアの概念にもよってくると思うんですけれども、
互いが思いやり持ち合える場所だとしたら、それが家族になり得るんじゃないの?だったり。
確かに人によってその家族のアイデンティティーなり定義が違うなっていうのはすごく強く思っていて。
NPO法人Arrowの役割
ネオファミリースタイル学はまさにそれぞれ絶対的に家族の定義が違うので、自分なりの家族の定義を作ってみようみたいな場所だったりするんですね。
いろんなファミリーアイデンティティーを持っている方たちを紹介するみたいな。
はい、様々な家族の形態を作っていらっしゃる方々にお会いして、最後に自分はどういう家族の形態だと望ましいというか、自分が描く家族のそれこそ今、
上野さんがおっしゃってくださった言葉とファミリーアイデンティティーに近しいのかっていうイメージや言葉を少し出してもらうようなワークショップといいますか、
ものを最後に作っていたりするので、今お伝えしてくださった上野鈴子さんのファミリーアイデンティティーの話はとても共感、共鳴をしました。
近いなと思ったんですよね。
その家族、おそらく知事さんは自分が育った、生まれ育った家庭とか家族に対してポジティブな感情とか感覚っていうのをあまりいただけなかったから、
その家族に対してポジティブな感覚がいなかったのかなと思うんですけど、家族のあり方っていろいろあるよねっていうこともいろいろ最近、大きくなりにつれて考えるようになっていった。
幼少期の頃にプリインストール的にされた感覚が芽生えていった感じなのかなと思うんですけど、
一方で今、知事さんは娘さんがいらっしゃって、お父さんがいらっしゃって、社会的に見たときの家族をつくって暮らされている。これについてご自身はどういうふうに捉えられている感じなんですか。
そうですね、先ほど厚さんが言ってくださった、自分の育ってきた家族のことをあまり悲観的には見てなかったかと思います。
ただ、友人の家族の感じとちょっと違うなっていうのはわかっていたので、そこに違和感というか、やっぱりその時点からクエスチョンがあったんですよね。
ずっと家族って何だろうな、血が繋がっていれば家族なんだろうか、仲が良くなかったら家族じゃないんじゃないかとか、一緒に住んでなかったら家族って言わないのかなとか、
あの当時やっていた様々な、今もやってますけど佐々江さんだったり、チームアルコちゃんだったり、いわゆる三世代同居の、いわゆるザ家族の形態は我が家にはない。
なので、家族とはそもそも呼べる形態なんだろうか、という不思議な違和感がずっとある状態ではあったので、ちょっとそのすごく激しくうつうつとネガティブに捉えていたかって言ったら、全くそうではなく。
なるほど。違和感的なものってことですよね。そうですね。日曜日の夕方にお茶玉に流れる、あの磯野家の姿が果たして家族の正解なんだろうか。
そうですね。やっぱりそれがすごく不思議ではあるというか。
そうですね。その疑問を持ち続けながら、自分も少しずつ年を足されて成人をして、色々な景色が見えてくるので、やっぱり状況によって全然変わるよな、ということも理解はしてきていましたし、
一つ大きかったのは、このアロアローというNPO団体に関わって、より一層今の社会の構造はどうなっているのかというソーシャルな目線に移ったのも大きかったです。
それは今までの視点というのはどういった視点だったんですか。
そうですね。今までの視点は本当に一、自分の家族はどうだったんだろうかだったり、自分の周り、友人はどうだったんだろうかという、もうごく個人的な子の目線だったんですけれど、
今の団体に携わって、その目線をグッと広げて、それが数として、社会として今どういう状況になっているのかを見ていくと、本当に例えば、今3世帯同居ほとんどいなくて、むしろ独居世帯の方が3割4割染み始めているよ、みたいな状況だったり、
つまり独居世帯が増えているということは、結婚を選ばない方々も今もちろん増えていて、そういった意味では家族形態を作らない人たちももちろんこれからもっと増えていく可能性があるよ、という数字データが出ていたりしますし、
例えば対してシェアハウスであったり、コレクティブハウスだったり、住まいを共にする場所の形態は実は増えてきているよね、みたいなデータであったり。
いろいろと変わってきているんですね。自分一個人の中にあった家族に対する違和感とかっていうところから、社会を大きく見渡してみると、いろいろと変わってきているな。
はい、変化が出てきているなと思いました。
自分の視点もそういったふうに、視座が変わってきたという感覚ですね。
なので、自分個人の選択ではあるんですけれども、この社会の変容がある中で、最後は私はどうしたいんだろうかということを改めて考える機会があったのと、
思いやりの表現
先ほど夫が問いかけてくれたように、それは本当に私の視点なのかっていう、固定的な考えを自分が持っていたことで、家族って大変そう、家族って怖いって言ったらあれなんですけど、
そういうイメージを覆すようなきっかけがあったりすると、私が見ていた景色、それまでの景色もごく一部の見え方であって、100%真実ではないとなったときに、
じゃあ、新しい家族を作るということに踏み出せるなという気持ちにはとても切り替わったので、今家族を作っているということにシフトしたという自分の状況に、あまり違和感はないと言ったらあれなんですけど、その行動で良かったんだろうなと。
小井さんにとっての家族の定義というか、家族ってどういうものとして捉えられていますか。それは小井さんの家族の話でいいんですけど、小井さん家族、小井さん一家においての家族のどういうふうに家族としてなりたいなとか、
こういうふうな家族であったらいいなみたいな、目指している家族としての行き先というか、家族が一つの船だとしたら、小井さん一家の船はどこへ向かおうとされている感じですか。目指すべき姿みたいな感じで言うと。
一つ貫いていたら嬉しいなという言葉は、思いやりという言葉でして、思いやりは目で見えないので、行動だったり言葉で表現ができないときっと相手には伝わらないなと思っていて、
それがお互いに表現しあえている家族の形だと、私はすごく嬉しいなと思っていますし、今新しい船の乗組員になっている子どもにも間もなくこの家族サミットに入ってもらおうと思っています。
ついに第3カ国が、いよいよ3カ国目が。そうなってくると、いや思いやりじゃないんじゃない?みたいな首脳の話があっても全然いいと思うんですよね。
3人の船の中で大事にしたいものが何なのかを一度話し合える機会があると、少なくともお互い大事にしているワードや何かが違っていて全然いいと思いますし、
それを何があったらいいのかをまずはそれぞれテーブルの上に出せるといいなと思いますし。
お互いの、今回は3社になりますけど、3社間によって家族に起こる変化を受容し合っていこう、受容して受け止めていこうみたいな感覚ですか?今これからの感じで言うと。
そうですね。もしかしたらつらぬくことが別に人じゃなくてよくない?みたいなことがもし起こり得たとしたら、確かにそうかもね、みたいなことになるかもしれませんし、
もしかしたらわからないですけど、やっぱりちょっとこの船の居心地が悪いんでおりますっていう方が出てこないということももちろん言い切れないなという感じで。
わかんないですもんね、なるほど。
何があるかわからないですけど。
最後にちょっとお聞きしたいんですけど、目に見えない思いやり、この思いやりを表現し合うことが大切だと感じられている。
これは第3国目が加入する前の2か国間における行為形成のひとつだと思うんですけど。
そうですね。
思いやりを表現し合う。具体的にどういった表現をされています?参考までに知りたいなと思って。
思いやりの表現ですよね。
言葉とか行動とかってことですよね。きっと目に見える形ですもんね。
そうですね。本当にシンプルなことですし、皆さんやってることだと思うんですけど、
今日どうだった?みたいなことは毎日お互い聞いてるかもしれないです。帰ってきて、今日どう?
今日なんかあった?とか。
一日、今日どうあった?みたいな質問ってことですよね。一日どうだった?っていう。
面白いことあった?とか悲しいことあった?とか。その都度質問のボールは変えてるんですけど。
追いかけをいろいろ変えるんですね。面白いことあった?悲しいことあった?とかっていう。
そうですね。
相手が答えやすいからってことですか?
はい、そうなんです。なんか面白いことあった?って聞いても、いや全然なかった?とか夫はすぐ言うので、
じゃあ今日一番イラッとしたこと何?みたいなことを聞いたりもしますけど。
答えやすい質問を用意する。用意するというか、投げかけるって大事ですね。
はい、なんかすごく深刻にサミットのように真っ直ぐにボール投げ合うというよりかは、
今のステータスの変化みたいなところが知れたら嬉しいので、
少なくとも変化が知れたら嬉しいっていうのと、それを私は気にしてるよっていうボールを相手に投げたいなと思っているので。
なるほど。気にかけてるんだよ。あなたの変化を知りたいんだよっていうこと。
はい。
で、それが思いやりでもあるってことですよね。
そうなんです。でもそれが私の思いやりの方法ではあるんですけど、
多分この後、子どもは思春期に突入していくと思うので、
いやそれうざいわっていうステータスになっていくと思うんですけれども。
変わっていくかもしれない。
そうですね。だとしたら思いやりの手段や方法や表現を変えなきゃいけないなと思ってるんですけど。
なるほど。他にやられてることってあります?
その今日どうだった?とか面白いことあった?とかっていうこと以外でないか、思いやりの表現されてることってあります?
家族間のコミュニケーション
そうですね。あとは本当に行動に近しいのだと思います。
家族の中での家事を、もちろん分担してやっているんですけれども、
どっちかが忙しくなった時に、これこっちやろうかだったり、
例えば昨日の夜、夫が洗濯物を畳むのを私の代わりに先に手を出してくれていたので、
ごめん、やらなきゃいけなかったけど、ありがとうっていう言葉をかけたりだとか。
声かけと感謝。
そうですね。それぞれ役割を持っているからこそ、交換できたり、サポートできたり。
比較的分かりやすい行動として出ていることかな。
なるほど。今日どうだったっていうのは結構やりやすいし、
今日からでもできますね。
そうですね。本当にラフにできそうな気がします。
相手のことを気にかけてるんだよっていうのが伝わるっていうのはすごくいいなって思いましたね。
あと私、最近すぐ久しぶりって家族に声かけちゃう特徴があるんですけど。
それは昨日会ってたのに1ヶ月間いなかったとかじゃないってことですよね。
なんなったら、学校に行って帰ってきた子供に対して久しぶりって言ってしまうんですけど。
なんで言っちゃうんですか。
そうなんです。家族に久しぶりって言うねって言われてはって気がついて、
無意識に使ってたんですね。
でも確かになんで久しぶりって言っちゃってるんだろうっていうのを振り返ったときに、
やっぱり朝会った人と同じ人で帰ってくるかどうかわかんないなっていうのを。
それはどういった変化があると想像されてるんですか。
例えばですよ、本当に会社や学校でものすごくショッキングなことがあって、
すごく塞ぎ込んで帰ってくるみたいなことが起こり得たときに、
朝行ってきますっていった状況と帰ってきている状況で、
同じ人間の気持ちで帰ってきてないとなった場合に、
今会っているあなたはたぶん新しいあなたなんだよなと思うと、
久しぶりって言っちゃってるんだなっていうことが分かりました。
どういった変化があるかわからない。
自分の知っている子どもとか自分の知っているパートナーが、
ずっと自分の中で認知しているその存在で続けるとは限らない。
いらないですね。限らないですし、まず間違いなく違うと思っているので。
なので久しぶりの後だと、今日どうだったって聞きやすいんですよね。
久しぶりに会うから聞きたいんだよって。
久しぶりじゃないけど、そういう感覚でいるから言いやすいってことですね。
私は新しいあなたに聞きたいんです。
今日何があったのかをっていう気持ちでいるのは間違いないなと思っています。
なるほど。
人はずっと同じでいるとは限らない。
人は変化するものだっていう感覚が小さな中にはあるんですかね。
大きいです。大きいですね。
なるほど。わかりました。ありがとうございます。
思いやりの話もあれですけど、まとめると
家族サミットというものの根底にあるのって、ずっと同じであるとは限らない。
自分が知っているあなたであるとも限らない。
私が知っているあなたであり続けるとも限らない。
その変化を気にかけているんだよっていうサインであったり、
変化を理解する
変化を知りたいっていう好奇心だったり、
可愛い続ける自分自身のことを知りたいっていう好奇心であったり、
同じ船に乗って住んでいる仲間として、
どういうふうに我々はコラボレーションをしていくのかみたいなことなら
国家間がどのように手を結んで進んでいくのかっていうことで
法律形成であったりとかっていうことだったってことなんですね。
家族サミットっていうのは。
そうですね。でも、今そう言われてすごくその通りだなって思っていますし、
今、自分の仕事側では本当にそういった多様性ある状況の中で
どうやって対話していくかとか、どうやって法律形成を取っていくかということを
ずっとやってきている場所で働いているんですけれど、
手法はいっぱいあるんですよね。本当にリフレクションとか
ノンバイオレンスコミュニケーションだとか。
コミュニケーションを取るための手段がいっぱいある。
はい。それこそコーチングアワーセレブスとか、
法律形成や対話やそれによって前に進めていくみたいなことは
仕事の場でもずっとやってきている状況ではあるんですけれど、
一番時間が重なる人たちが多いのは、
家族なのだよなということはすごく思っていて、
すごくやっていることはもしかしたらあんまり変わらないかもなっていたらあれなんですけど、
仕事の場に対しても家族の場に対しても、
ここにいる私たちのコミュニティがどうやったら居心地よく前に進むことができるか、
さっきアツさんが言ってくださったような船を前に進めることができるのかっていうことを考えた時に、
思いやりというものがもしあったらいいなって思いますし、
そういった時に使えるコミュニケーションのツールがいくつもあったらいいなって思いますし、
もしかしたらやっている景色が違うだけで、
大事にしたいそれぞれのコミュニティや場所をどう進めていくかに
心を砕くことが好きなのかなって今言ってきて思いました。
そのコミュニティを前に進めるというか、
うまく回していくというか、
それが職場であったり、
提携先の企業であったりとか、
クライアントだったりとか、
家族だったりとか、
全然ビジネス家庭って違うけど、
そこで行われていることは小さな的には同じだってことなんですね。
しかも家族の中で、
これだけ多様で背景も違って考えている人たちが一緒なんだよってことは、
職場なんてもっとこの状況が違うっていう形にはなるので、
こちらも難しさを秘めているのは間違いないんですけれど、
でもそういう状況が違う人たちと同じ家族形態を作ったり、
同じ仕事をやったりするので、
それがうまく前に進むためにはどうしたらいいかなっていう。
なるほど。
独立した存在としての家族
そっか、お互いに違う存在なんだよっていうのが前提条件としてあるっていうのが、
ちーさんがうまくコミュニティを回されている秘訣なのかなって気もしました。
でも今そう言われて、
前提確かに違う人同士っていう気持ちは、
強く持っていると思います。
そうですね、わかりました。
ちーさん、といったお話をありがとうございました。
ありがとうございました。
たくさん私も自分ではなかなか言葉にできなかったことを、
今日たくさん話せた気がしているので、
アツさんに引っ張り出してもらったような気がしています。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
じゃあ家族間の話し合いなので、
ちょっと長くいかないなと思っている方は、
ぜひ家族サミット試されてみてください。
ぜひぜひ。
ちーさん、ありがとうございました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
はい、ということで今回も最後までありがとうございました。
パートナーの変化を定点観測する。
自分とパートナーに好奇心を持つ。
家族をそれぞれの独立した国としてみなす。
そして何よりも自分と自分以外の人間、
たとえそれが家族であっても、夫婦であっても、
相手を自分とは違う人間として見る。
そういった前提に立つという概念がとても印象的でした。
目の前の人は常に変わり続けている。
この人のことを自分は何も知らないのかもしれない。
という前提に立つということが、
逆に夫婦の絆を強めてくれるのかもしれないなって思いました。
はい、ということで、この放送がいいなと思った方は、
番組のフォロー・うつつぼし評価・コメントをぜひお願いいたします。
また、夫婦関係をより深く学べるニュースレター、
夫婦関係学ニュースレターを毎週金曜日にお送りしています。
それから、ご自身の夫婦関係改善のストーリーを
お話しいただける出演者の方も募集しています。
あなたの体験が誰かの足元を照らす松明になると信じています。
概要欄からチェックしてみてください。
ではまた次回お会いしましょう。さようなら。
01:18:26

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