1. アワノトモキの「読書の時間」
  2. ep35-2 「共感という病」(永..
2024-03-19 47:21

ep35-2 「共感という病」(永井陽右さん)-第三者・同情するなら金をくれ・宇宙兄弟-

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読書の時間35冊目 「共感という病」(永井陽右さん)の2週目は、

3つのキーワードについて対話を重ねていきます。

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1.共感が生む対立・争い

テロや紛争の場面、ビジネス、日常生活など、多くのシーンで共感は利用されています。

 

BML運動然り、共感は大きな力を持つ一方で、同時に敵との埋めがたい壁を作り出す場合もあり、

共感が大きな対立を生む弊害もあるのではないか。

 

永井陽右さん曰く、「共感しすぎない、無関係な第三者」がいることで、

問題が解決することが多いという言葉。

まさにそうだと思います。我々は過度な共感を求めすぎているのかもしれません。

 

2.共感(empathy)と同情(sympathy)

「公園で転んで泣いている子どもがいたら、どう声をかけるか。」

共感か、同情か。そんな話題からスタートしました。

よく、コーチングやキャリアカウンセリングの研修場面では、

共感は良いが、同情はだめ(同情は個人のマスターベーションだから)、とされます。

 

しかし、粟野個人としては、

「その相手を大事に思う心があれば、リアクションは、同情でも共感でも、無言でもよい」

のではないかと考えています。

また、星野さん曰くの「表出した言動や形式に焦点をあててしまい、

”あいだ”が抜けてしまうことに、我々は抵抗を感じるのでは」

という話には、同意する方も多いのではないでしょうか。

 

3.知性と集団

最後は、この本の巻末にある、内田樹さん(思想家)と永井陽右さんとの師匠と弟子のような対談から。

 

「個人が専門性を高めて強くなることは、知性ではない」

「むしろ、その人がいることで、周囲の沢山の人が力を発揮できるようになることが知性である」

 

という内田樹さんの言葉があり、粟野個人としては自分の考える知性の定義を改めざるを得ない、気づき・学びとなりました。

 

ちょうどアニメの「宇宙兄弟」にハマっていたタイミングだったので、

この意味での知性は、キレキレな人物ではないけれど、

周りを活かしつつ、物事を成し遂げていく六太(お兄ちゃん側)のような存在を知性がある人というのかもしれません。

 

さて、3週目は、共感や感じること、学びなどについてざっくばらんに話を展開するこぼれ話の会です。

 

次回の読書の時間でもお会いできることを楽しみにし

サマリー

永井陽介さんの著書『共感という病』は、共感が生む対立争いや共感と同情、知性と集団の関係について探求しています。共感という病について考えます。共感は相手に役に立たず、同情は自分のためのものだという視点から、分かり合うことを目指す姿勢を重視する意見もありますが、相手を完全に理解し合うことは不可能なので、感情や直感を置いておき、合理的な判断をするべきだという意見もあります。永井陽介さんは、紛争解決について相談し、内田達夫さんとの対談で知性と集団の関係について話します。知性的な人は周りのパフォーマンスを上げる存在であり、個人の専門性よりも集団で力を発揮することが重要だと述べています。また、40代の長井陽介さんは、寝ている生徒に対して、他の先生の授業で聞いてくれたら全体としていいんじゃないかと話していました。自分しかできないことをやって機嫌よくいることが大事であり、自分がやることが全体にプラスになるところに集中することもできる理想的な生き方だと思っています。

00:07
アワノトモキの読書の時間、本日もよろしくお願いします。
よろしくお願いします。アワノです。
星野です。今回は35冊目、「共感という病」)永井陽右さん。
前回の1回目に続き、今回は2回目、アワノさんが掲げていただいたキーワードを基にお話ししていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
まずはキーワードをもう1回紹介するところからいきたいと思いますが、今回のキーワードは3つ?
はい、そうですね。いつも通り3つで、1つ目が共感が生む対立争い。2つ目が共感と同情。3つ目が知性と集団です。
共感が生む対立争い
はい、じゃあまずは1個目、共感が生む対立争いからお願いします。
はい、これは1週目に最後、星野さんからの質問をいただいて話になったところに、ほぼほぼその感じなんですけど、
共感って力がむちゃくちゃ強いからこそ、いいふうに働きが繋がっていけば、社会的な動き、うねり、ムーブメントになるんですけど、
だからこそ逆に利用される対立とか争いを生む要因になるんじゃないかってことが、この本にも書かれていて、そうだよなと思った次第です。
そもそも共感というのはどういうものだっていうふうになってるのかしら。
共感ですか。
この本の定義的にはね、ちょっと待ってくださいね。
共感はね、どっちかというと、いいの見つけましたよ。18ページに書いてあります。
共感とは誰かの困難に対してではなく、困難に陥っている自分側の誰かに作用している。
っていうのがちょっと今パッと開いたところに出てるんで。
今の話は、人に対して感じる感情ってことだね。困難に対してではなくっていうのは。
で、プラス自分側っていうところがあるんだね。
そうですね。共感と同情っていう2つ目のキーワードのところですよ。
ちょっとその共感についてまた話していくかもしれないですけど、
長井洋介さんが言わんとしているとか禁止されていることは、どっちかというと結局自分側じゃないかってことですよね。
自分にとって都合のいい話とか、自分にとって理解しやすい話、飛びつきたい話に対して寄っていく感じなのかな。
なるほどね。
カチューマに乗るかもしれないです。
ファンガンビーキみたいな話とはまた違うんだ。
ファンガンビーキはどっちかというと同情ですかね。
そっかそっか。
どちらかというと多分、おそらく。
勝ち負け関係なしに共感っていうのはあんまなさそうっていう感じ?
うーん。
勝ち負けの軸だけじゃないとは思うんですけど、どうなんだろう。
そこに共感してあげる価値があるとかそんなのかな。
しやすいとか。
ここで扱うその共感、多分共感も広い言葉と言うかな。
そうですね。
とはいえその共感の、今、意図を持って作られようとしている共感に対しての危機感をここでお話ししているってことなのかね。
そうですね。
自然に出てくる、思いがけすりた的なつい出てくるものじゃなくて、
本に書いてるとこなんですけど、社会貢献NPOとかでも、僕も共感したんですけど、
かわいそうな子供のつぶらな瞳の写真が出てきて、
この子1日10円を支援すれば1ヶ月分の食事になりますって訴えられたら、
それは正しいことだと思うんですけど、共感しちゃう。
それを狙ってると思うので、別に悪いことじゃないんですけど、
そうだと思いますし、普通にビジネス場面でもそうだと思うんですよ。
そうですね。
共感しやすいというか、感情移入しやすいようなコンテンツ作って、
考えさせなくすることもあると思いますし、
広告もある意味共感を生む。読者に共感を生む。
広告なんかコンセプト作ってから作るけどさ、
そのコンセプトは共感接点だもんね。
企業の採用とかもそうですよね。
求職者に対して共感の接点をいかに作るかみたいな、
ペルソナみたいなのを作って、ほとんどここが共感してくれる。
そうそうそうなと思いますね。
だから全然悪いことじゃないんですけども、
一週目にもちょっと出たように、紛争とかテロで考えると、
その紛争を指導する側ですよね。
テロリストの集団に対しても共感っていうのをパワーにしようとしますし、
新たに仲間を入れる時もストーリーを作って、
外の世界はおかしいなと、我々が迫害されてるんだみたいな、
例えばわかりやすく言うと、そういう話を作って、
共感を力にしてテロリストを増やしていく。
彼らにとってはそれは正義かもしれないですけど、
そういう意味で共感ってすごい力があるからこそ、
永井陽介さんとテロの現場、紛争の現場を見てると、
その弊害っていうのをすごく感じられるんでしょうね、きっと。
悪く使われちゃいがちなパワーを持ったもんなんでしょうね。
ドラゴンボールみたいなもんですよね。
ドラゴンボール。
適当なことを言いましたけど、すみません。
シェンナーを呼び出せるじゃないですか。
願いを叶えられるじゃないですか。
世界平和に使おうとする人もいたら、
世界統一に使おうとする人もいて、
ゲラルのパンティーに貰おうとする人もいたりするわけです。
だから使い方だよねっていう。
線路イコール共感と願いを叶えようってね。
でも便利ですよね、ある意味。
共感と同情
ここで最後この話題で、ここまでの話はそうだよなって
みなさんはそんな感じだと思うんですけど、
面白いなと思ったのは、永井陽輔さんが言うには、
紛争だけじゃなくて、ビジネスの対立でもいいかもしれないですけど、
当事者同士だと絶対解決しづらいことが多いって書いてあるんですよ。
当事者以外の第三者がいることによって、共感しない人ですよね。
それぞれの言い分に共感していない人とかがいることによって
そのことが解決することが多々あるとおっしゃるんですよ。
あんまり寄り添いすぎたり、
今の時代で言うと、性被害を受けた女性に
側の思いを代弁して拡散して言っちゃうみたいなのあるじゃないですか。
本当にあったことかどうかわからないことを、これはひどいみたいな。
それをどんどん強調していくと、本当に何があったかわからないけど、
どんどんある特定の主張だけが広がっていく。それがどんどん拡大していく。
それだと解決しづらいので、そうじゃない、共感しない人たちがいることによって
物事がうまい具合に進んでいくんじゃないかっていうのを、
永井陽輔さんはテロ解決の原爆で感じてらっしゃるみたいですよね。
すごく極端な共感とかによって、途中で共感が固まるというかさ。
たけのこの里の方が圧倒的に美味しいんだっていう人と、
いやいやいや、きのこの山だっていうさ。
でもこの人たちは、そうなる前に一回、柔軟な共感性を持っていたので、
それが片っぽのポジションを取ってしまったのより、
他の者に共感は私はしないっていうぐらい同一化した。
とはいえ、この二人同士だとお互い柔軟な共感性っていうのを失ってしまってるので、
そこに対しても共感っていうアプローチじゃなくて、論理っていうアプローチで
お互いに納得させなきゃいけないっていう、頭に訴えかけなきゃいけないみたいなことを
他の人がやらなきゃいけないわけだね。
そこではもう共感っていう効力はないわけね、共感にね。
まあそうですね、共感だけでいくと多分、今たけのこときのこの山だとかどっちかわからないですけど、
それぞれの意見で終わっちゃうんで、対立しちゃうんで。
なるほど、第三者が必要だっていうのは面白いよね。
共感しすぎないっていうことかな、今の世の中的に言うと。
メタみたいな視点を持っているところもありますかね。
ヤフコメとかXのバツっているものとか見ると、
だいたい共感とかわかりにとかブワーって出てくるじゃないですか。
ある意見が出たときに。
それも読んでてもそうかと思う部分もあるかもしれないですけど、
あんまりフラットな意見ってないかもしれないですね、そういう。
すごい反対かすごい賛成か。
全員ね、逆Xみたいなものを作ってもらってさ。
リバースXみたいなものを作ってもらってさ。
面白いですね。
140文字以内で動向するっていうのがXの特徴じゃん。
そうしたら、結論の部分だけ書いてしまいがちで、
もしくは自分のファーストインプレッションだけ書いてしまいがちだけど、
このリバースX上では、1600文字以上じゃないと投稿できませんっていうのがあったとして。
なるほどね。面白いですね。
そしたら、一般的にこう言われているみたいなさ。
に対して私はこの立場を取りたい。
まずならこうだね。
もしかするとそうじゃないという方もいるかもしれない。
ただしこの点において私はこっちの結論をね。
なるほど。
みたいな。
でもありかもしれない。
SNSっていうのは浅いというかさ。
そうですね。議論に向かないって皆さんおっしゃってますしね。
ポリポリといったちょっとした意見のファーストインプレッションの応酬にしかなっていかないようなイメージなのだよね。
それが大きな力にブラックライブスマターとか映像を見て、
ブワーって数の力でっていうのもあると思うんですよね。
インプレッションがね。ファーストインプレッションが広がっていって力になることもあると思うんで。
まあ否定はできないんですけどね。
まあね。
時にはそうじゃない人が必要かも。
いやなんかほんとああいうのってさ、共感を作るのってね。
めちゃめちゃ人間を知った人が仕掛けちゃうとさ。
うん。
すごく大きなものになっていくよねって思うよね。
だからビジネスとか政治とかでごく上手に使われちゃうんだけどさ。
うん。
うん。
でそこに、いや共感だけで決めんなよみたいな話だよね。
そうですね。
頭でも考えて、でその裏も取れよみたいなね。
誰が言ってんのかも分析しろよとかね。
そうですね。
うん。
そういうお話が1個目。至極真っ当というか、そういうふうに思ったところでございます。
うん。確かにこの第三者、必要だよ紛争解決によってのはとても大事な視点だと思いました。
うん。
引いてみなくては必要。
そうそうそう。
多分永井洋介さん自身がアフリカの紛争地域に関係のない日本の人だからできてることっていうのが多分体感してらっしゃるんだろうなとは思いますね。
そうだね。そんな感じはしますね。
というのが1個目でございます。
2つ目が共感と同情というものです。
知性と集団
はい。
さっき星野さんもおっしゃったみたいに、共感って本当に広いですし、僕も一応ウェブ上で定義とか調べたんですけど結構入り乱れますよね。
そうかね。
ここまで範囲にするのか。
うん。
同情も共感もわりと一つ、一括にあんまり区別されずに使われるし、僕なんかも結構使ってると思うんですけど。
うん。
英語で言うと共感はエンパシーらしいです。
はい。出た。
で、同情がシンパシーだと。
はい。
まあまあそうだよね。
これもこの共感と病で本ではちょっと説明が逆になってるんじゃないかなと思ったんですが、
共感っていうのはどちらかというとちょっと引いて客観的に他者の悲しみとかを理解するテクニックというか感じですね。
相手と同一になりすぎないっていうらしいんですよ。
で、同情っていうのは逆に相手にこう、相手の悲しみとか苦しみみたいなものにこう、
同一化する。感情移入しまくるっていう意味合いじゃないかといろいろ見た結果、
そこの違いがあると。
共感と同情。
はい。
ちょっとあんまりしっくりきてないような表情されてるんで、どうでしょう?
共感と同情について
なんかまた青野さんの中でもいろんな説明の仕方があるんだろうなと思いながら、
そこでご説明をしていただいたのねと思いながら聞いておって、
で、なんか前回の会館なんかで、歩く共感と同情みたいなところ触れたっけ?触れてないっけ?
なんかちょっと触れた気がするかな。
なんかその、家無き子の話ってしてないのか?
はしてないですね。これはあの、すみません、僕あの、書いてる時にそういえば、
我々の時に90年代家無き子っていう人気ドラマがあったなと思って、
同情するなら金をくれっていう名文句があったなって、それを単純に同情から気まずいと思い出す。
いやなんかね、俺ね、それがわかりやすいとすごく思ったんですよ。
なるほど。
その時にある同情って、ぶっちゃけ相手に役に立たないというかさ。
うんうんうん。かもしれないな。
自分のための同情みたいな。
相手を分かろうとする共感みたいな。
はいはいはいはい。
なんか自分の中での認識でのそういうイメージ?
うんうん。わかりますわかります。
だから家無き子的に言えば、うるせえ私を消費するんじゃねえと。だったら料理を払えっていう話だよね。
うんうんうん。そうですね。
私のことを思うんだったら、自分でマスターベーションを取るんじゃなくて、
ちゃんと払えということですね。
マスターベーション代を払えっていう話なんだろうなと思ったので、
なのでそこら辺はそう捉えましたよっていう話。
うんうんうん。
ここで僕はちょっとひねくれてると思うのが、
いいですね。
ひねくれてるというか、
コーチングとかキャリアカウンセリングとかで、
もしかしたら本格的に心理カウンセリングもあるかもしれないですけど、
共感が良しとされると思うんですよ、基本的に。
はいはい。
同情はするなっていう方、指導になるんじゃないかと思うんですよ。
うん。
例でも出すと、
例えば保住野さんのお子さんがですね、公園でこけましたと。
で、泣いてます。
痛いと。痛いからわかんない。
とりあえず泣いてますとわけわかんないけど、とりあえず膝をすりむいて。
そうした時に、共感だったら痛かったねって共感するっていうのがあり方らしいんですよ。
痛かったねって。
で、一方で同情するのはかわいそうって言うんですよ。
はい。
共感のテクニック
で、僕は正直どっちでもいいかなって思うんですけど、
どっちでもいいと思うんですけど、
そのいろんなこう、コーチングとか的に言うと、
いや同情は意味ないでしょと。
それあなたの勝手ですよね、さっきのマスターベーションですよね。
なるほどなるほど。
相手の立場になって、その人が見てる風景を見ましょうと。
だから共感が大事ってなると思うんですよ。
うん。
でも僕は別にどっちでもいいかなって思ったんですよね。
いいねー。
いや、僕がそういうのテクニックがうまくできないからだと思うんですけど、
キャリアコンサルタントの資格取る時とか、ロープレーとかテープ起こしとかして、
いろいろ指導をお互いに指摘しあったりとか、スーパーバイザーから指摘されたりとかいっぱいあるんですよ。
はい。
そういう時に共感しないとため息がつかれるとか、
これはちょっとおかしいんじゃないですか。
蓄合力を出されてきて、
青野さんはなぜここでこういうリアクションに対応したんですか?みたいなこと言われるんですけど。
はい。
そういう経験が僕の中で嫌だなって。
ちょっと僕のひねくれた考えなんですけど。
いや、そもそもよ。
そもそも青野さん的にどっちでもいいやって思うのは何でなの?
どっちやられたとしても自分は嬉しくないよって思うからなの?
時もあるかと思うんですよね。
だからさっきの子供がこう泣いてます。
こけて公園の声で泣きました。
泣いてるのって別に痛いから泣いてるかわかんないし、
もしかしたらこけたことが恥ずかしいとか、
自分の思った動きができなくて悔しいと思って泣いてるかもしれないし。
ああ、そうね。
とか、別にこけたこと泣いたんじゃなくて、
なんかわかんないけど、
なんか違う理由で泣いてるかもしれない。
そうね。
っていうのに、
例えばその痛かったね以外の共感の仕方もあるかもしれないけど、
うるせえよって僕だと思うかもしれないですね。
共感されたら。
言われるとね。
うるせえよ、わかったふうにすんなよと、
僕だと思ってしまうかもしれない。
その前にもうちょっと原因を共に追求するプロセスが必要だと。
なんで泣いてるんだろう、君は。
仮説としては痛かった、悔しかった。
なんかよく自分でもよくわかんないあるけど、どれだと思う?みたいな。
とか、もしかしたらほっといてくれって思うかもしれないし、
そこに別にかわいそうっていうか、
思われても別にいいかもしれない。
わかんないんですよね。
なのにそういうキャリアカウンセリングの場面とかでは、
共感っていうのを、
それこそあれですよね。
普段感じてることなのに、
どこから誰かから偉い人からこれをやれって言われてる感じ?
共感っていうテクニックをやりましょうと言われてる感じがして、
ちょっと嫌だったかもしれないですね。
いやなんかここら辺はさ、
多分ね、青野さんの共感の大事さっていうのは全然、
もともと持っていた上で、
上でとはいえ、
その手法論とか形式とか型みたいなものに入った時に、
いろいろと間のつなぐものが失われた結果、
その間を求めて反発を起こしちゃってるってことが多いと思いますよ。
そうですね。
そうだよね。
例えばこの例でもさ、
子供が公園で泣いた、
こけて泣いたって言った時にさ、
痛かったねかわいそう、
二択じゃ全然ないじゃんっていうね。
ないと思いますね。
これ単純化してる例なんで。
青野さん的に心地のいいコミュニケーションは何なのかを、
ちょっと一旦自分で考えた上で声かけてくださいみたいなところがあってさ。
そうですね。
それを分析した結果ここには共感がありますねとかって話だと思うんだけど。
結果論として。
自分がされたら嬉しいことじゃなくて、
相手がされたら嬉しいことをちゃんと考えて接しましょうねっていう話。
そのアプローチの姿勢だもんね。
ここから永井陽介さんの書いてあることにつながるんですけど、
相手のしてほしいことって分かんないと思うんですよ極論が。
分かんない。
絶対に分かんない。
そこで共感しましょうっていうコーチングとかキャリアカウンセリングの指導って、
そうするしかないと思うんですけど、
そうせざるを得ないと思うんですよ指導としては。
ただ、相手のことを分かり合えるとか分かれる自分になろうとしすぎてるんじゃないかなっていう気はするんですよね。
だから、別にこけた子供がいたときに、
その子のことを大事に思ってれば別に黙っていようが、
痛かったねであろうが、
かわいそうだねって何でもいいと思うんですよね。
ありようになってくると思うんですけど、
そうするとちょっとまた、
メンタル的に気持ちの話になっちゃうかもしれないです。
共感っていうことを強調する後ろに、
相手のことを分かれる人がいるとか、
分かり合えるっていう観点が強く入ってる気がして、
永井洋介さんも、
そんな人間同士分かり合えるわけがないっていう前提に立ちましょうと。
分かり合えるわけがないから、
でもその上でできるどこまでやっていこうねっていうスタンスみたいなんですね。
そこの順番がちょっと違うのかなっていう気がするんですよね。
そのコーチングとかキャリア。
そんなことない。違うことはないと思うんですけど、
分かり合うためのコミュニケーション
受け手の我々、僕が未熟だからそう受け取ったかもしれないです。
なるほどね。
100パー分かり合うなんてのは多分絶対無理よねっていうのがあり。
とはいえ姿勢として、
100パーは無理なのは分かってるけど、
できる限りの分かり合いはしたいなっていう姿勢が多分あり。
共感していきましょうねっていうのはプロセスの話だと俺は思うんだけど、
これから、
例えば俺は青野さんと今後もっと分かり合えるようになりたいと思うと。
例えば今このタイミングでは青野さんが言ったことのシーン100パーセント分かんないけども、
例えば1年後とかにはもうちょっと分かり合っておきたいので、
今その背景を聞いていくとか、
なんかそういう姿勢の話だと俺は共感はちょっと思うところがあって、
なのでその場で100パーセント相手の言うことは理解しきれません。
でも世の中の人たちは理解し、それを言葉に表しなさい。
そういう指導をしてくるみたいなところに抵抗を感じるってことになるね、きっとね。
そういうことですね。
そういう視覚系とか、場面だと想定され得ないと思うんですよね。
そういう形に一回カリキュラムに落とさなきゃいけないとかいうのはすごい分かるんですけど、
なんか気持ち悪い感が編集の場とかでも、
「わー丸々さん共感できてる、すごい、青野さんできてない、やばい!」みたいな、
こういう、「丸々さんってやっぱり言葉がけが素敵ですよね。」に対して、
カッコの後に、「青野さんって本当言葉がひどいですよね。」っていう、
言ってない言ってない。
そういう場面がよくあるんですよ、そういう視覚を取るときに。
長井さんとしては、その共感同情みたいなものもありつつも、
最終的には、やっぱりある程度、分かり合うため、感情じゃない頭の部分でのコミュニケーションとか、
判断で決着つけていきましょうね、みたいなことを言うわけよね。
そうですね。この長井さんの書いた文章の最後ではそうなってます。
青野さん的にもそっちの姿勢の方が分かる感が大きいんだよね。
これはちょっと、そこに対する納得度としては半分って感じですかね。
そうだよなっていう部分もありますね。確かに論理も大事だと思いますし、
一つ目のキーワードにあった第三者のひいた視線っていうのも大事だと思うので、
それも大事だとは思う。
なるほど。
けれども、それだと、きついのは厳しいのかなっていう気はするんですよね。
そうすると、個人の直感とか感情みたいなのを一旦置いといて、
頭で整理して、こっちは合理的だからこうだ、
分装するよりお互い仲直りして、この土地を活用した方がいいじゃないかみたいな。
極労員ってそういうふうになって、それも現実的なのかなっていう気もしますね。
現実的かどうかっていう話で言えばね。
そういう腹落ち感みたいなものを大事にしたいわけよね。
そうですね。腹落ち感。
結局ここら辺は説中だったと思うんだけどさ。
全部そうなっちゃいますよね。バランス、説中。
いやいや、本当そうなんですよ。
ごめん。
僕もそうなんですよ。結局答えが出ないんで。
そうなんですよ。
研修とかでやるね。言葉足らずで間がかけまくっていて、とりあえず共感すればいいみたいな、
すごくシンプルにされちゃった型、モデルっていうのは、まずこれは足りませんよねって話で終わりな気はよくします。
紛争解決と知性
多分、もともとの提唱者とかもともとの実践者の人たちに直接話を聞いていけば、めちゃめちゃ腹落ちするんだと思うんですよ。
それが何世代にもわたってモデルとしてシンプルにされていって、
その資格になるまでにそぎ落とされていったものっていうのは、
まあいろんな間が抜けてるんだろうなと思うので。
っていう理解が混ざってさ。
この永井さんは多分紛争にあたって、多分両方のアプローチこれまで試してみたんじゃないのかなって思うんですよね。
今のところ辿り着いてるのが、どうも最近は、
共感とか感情部分でのつながりに固執する人たちが多すぎるみたいな。
もうちょっと長期的視点でメタに考えて、お互いの立場をリセットして、
もう一回ことにあたって最適化で見つけていこうぜっていうのを知ってほしいみたいなところがあるわけですよね。
あると思いますね。
あとは俺らの好みの話というか、課題感みたいなところの話。
どうなんだろうね、多分俺もアドさんもそんなに共感って強くないタイプかな。
僕はあんま強くないかもしれないですね。
まあでも対象に寄り切りかな。
対象に寄り切り、めちゃくちゃわかる。
横道していい?
どうぞどうぞ、いきましょう。
あの、影響を受ける人っていう話でさ、
あなたにとって影響を受けた人いますか?みたいな。
質問があった時にね。
最近影響を受けた人がいますかなっていう時にね。
ありますわな、そういう質問。
この人には影響を受けている、この人のこの発言には影響を受けたみたいなのってあるじゃん、思いつくんだけどさ。
なぜその人のその発言が俺に影響を与えたのかとかっていうのを考えていった時に、
これ傾向あると思うんだけど人によってね。
俺はね、誰が言ったかっていうのをめちゃめちゃ重視するなっていうことが。
誰がね、なるほど。
で、本当はこれ良くないと思うのよ。
良くないと。
思考停止というかさ、ぜんぜんひひができないから。
ちなみにこのぜんぜんひひって俺最近ようやく新聞に見ました。
なんかよく間違えて使ってるんですかね、もしかしたら、ぜんぜんひひって。
意味がわからなかったって思った。なんだぜんぜんひひってっていう。
たまたまいろんな文章から同じタイミングでぜんぜんひひっていうことを聞くことがあって、
あ、これを使うんだってことがわかった。
ここも俺は共感だなとちょっと思ってるんですよ。
この人が言うから、俺の好きなこの人が言うからこの発言を恐らく検討するに値するであろうとかさ。
一瞬なんか意味がわかんないし、もしくは俺とイキックはたちいち反対だなって感じる意見であったとしても、
この人が言うんだったらちょっと自分もそこを考えて理解できるようにしてみようかなとかね。
っていうなんかこう受け取るスタンスがだいぶ変わるなっていうことに気づいた。
良いんじゃないですか。
良いんじゃないですか。
でも良くない。
悪い師匠でしょ。
ぜんぜんひひでしょ。
って思って。
さっき青野さんに対して俺らは共感そんなに多くないですよねとか言いながらも、
意外とあるねとも思ったし、青野さんもそういえばあるかもしれないですねって言った時に、
同じようにこの人に対しては自分は共感を覚えやすいなっていう人が思い浮かんだんじゃないかなと思ったのよ。
ありますねそれは。
ちなみにどなた?
僕ね、でもいろいろ言いますよ。
それこそ学生時代の先輩とか先生とかもそうですし、
あとはそうですね、なんか星野さん嫌いかもしれないですけど、
タクラムの渡辺幸太郎さんとか、
俺渡辺さんは好きだよ、大丈夫だよ。
そう、好き。
とかね、言うことはなんかこう、それ全部受け止めるっていうより、なんかその感じが好きですかね。
トーンとか感じがそうだよなって聞いちゃうかな。
なんかそこら辺に自分たちのアチ感みたいなもんってきっとあるんだろうなとは思うところ。
もう一個気づいたのがさ、
現実世界でこの人の話を聞きたいなって思う人と、
このメディアの世界、ほとんど著者だったりとかテレビに出てる人だったりとかユーチューバーだったりとか、
そこでここの観点って変わるなぁと思ったんですよ。
それはあるかもなぁ。
現実世界だったら、例えばね、
俺モラルのない人の話は全然聞く気にならないんです。
現実世界って、
日曜ね、この場面で。
メディアに出てる人も現実世界にいるんだけどさ、
でもなんか自分とちょっと直接関係のない人たちの話で言うと、
モラルって別にどうでもいいみたいなところがあって、
それよりも中身だったりスタンスだったり、
言い回しだったりっていうところが、
観点として重要視してるなぁとかって思うんです。
なんと自分は定まらない人間なんだろうと思ったお話だと思いますが。
ちょっと共感と同情。
すいません、整理しきれないところもありましたが、
皆さんなりにもね、それぞれ感じるところを、
これを機に見ていただければとは思いますが。
3つ目、知性と集団という、
ちょっとここから少しごろっと変わるんですけども、
このパートはですね、
この本の中で永井陽介さんと内田達郎さん、
思想家というか教育者ですかね、
その対談の中で、
僕の感覚、内田達郎さんの話結構僕も好きなんで、
これも偏りがあるんですけど、
Amazonのレビューとか見てても、
ここが面白かったっていう方が多いですね。
この対談部分が深みをもたらせるみたいなレビューが、
結構よかったですね、見てて。
そう感じるんだと思って、一応確認の意味で見たんですけど。
ここが面白かったです、正直。
それまでのところ面白いんですけど、
紛争解決の現場にいらっしゃる方の意見、
情報って面白かったんですけど、
ここが対談が面白かったですね。
たくさん面白いところがあったんですけど、
一つ言うなら知性と集団ですかね。
知性と集団の話の前に、
永井陽介さんがこういう相談をするんですよ、
内田達夫さんに。
結局、自分はいろいろ頑張ってるけど、
なかなか広がらないと、活動が。
思ったようには。
もちろん解決できてることもあるけど、
そこまでブラックライブズマターみたいな、
ブワーッとブレータ・トゥンベリさんみたいな感じは広がらないと。
そこ難しさあるんですよね、みたいな話の中で、
知性と集団って話が出てくるんですよ。
内田達夫さんに疑惑です。
あくまで内田達夫さんが言うにはってことですけど、
知性的な人っていうのは、
知識とか情報をたくさん持ってる個人じゃなくて、
その人がそこにいることによって、
周りの人たちのパフォーマンスが上がることだと。
いろんな創意工夫が起こったり、
アイデアが生まれたり、
物事が加速していくような人だと。
今手元に宇宙兄弟があるので、
宇宙兄弟でいうとムッタみたいな、お兄ちゃんの方ですね。
みたいなのが知性だっていうことを言うんです。
内田達夫さんに疑惑。
なるほど。
例えば、本人は頭はもちろんいいんですけど、ムッタも。
けれども、キレキレじゃない。
けれども、彼がいることによって、
漫画だからね、周りが上手くいくみたいな。
これが知性だと。
長井洋介さん向けに言うと、
自分がすごく専門性を磨いたり、
交渉術を磨くとか、
紛争の解決を論理で展開したり、
人権の保護とかっていうのを、
原理主義的に人権を守るべきだみたいな、
すごく理論武装する専門性を持つことをしても、
紛争解決に至らないんじゃないか。
っていうのがアドバイスだったのかな。
長井洋介さんがいかに紛争解決の専門家としての知識を身につけるとか、
知性と集団
有名になるとか、
解決の交渉術のプロになるとかをしたとしても、
あんまり良い方向に行かないんじゃないでしょうか。
自分がとか誰かを特化させるというよりは、
集団で力を発揮するような形に持って行った方が
よろしいんじゃないでしょうか。
そんなアドバイスだったのかな、確か。
なるほどね。
なんか、EQとIQとかも最近よくQRで出てくるけどさ、
そこにも紐づく話よね。
かもし、そうですね。
そうですね。一つの切り口としてはたぶんそうですね。
EQが大事ですよっていう話になるのかな。
もう一個言えば、もともとの相談内容が、
例えばGreta ThunbergさんとかBLMみたいなね、
あそこまで大きくしたいけどならないっていう話なのであれば、
あそこら辺には裏にいろんな意図があるだろうなと思うところと、
あと当事者が多いというか、
に対して今回のものは、
当事者が参加しにくい問題なんじゃないか。
長井さんの扱っていることがね。
もう一個聞いてて思ったのは、
たぶん内田達郎さんもさ、いろんな方向での返答っていうのができるだけどね。
引き出しをお持ちだとは思うんだけど、
長井さんとの対談ではそこを出されたんだなっていうところも思ったところ。
対談のトーンとしては、長井陽介さんは答えを求めに行っているって感じなんですよ。
内田達郎さんに答えを提示してほしいっていう。
行ったり来たりする。一回質問したことを後でもう一回質問したりとか。
明確な答えを出してほしいってことに対して内田達郎さんは、
野良りくらいじゃないですけど、そんなに急がなくていいんじゃないですかとか、
個人で頑張るというより周り姿を見せてたら周りがついてくるんじゃないですかみたいな話をしているかなって感じですかね。
知性と集団の関係
なるほどね。
とはいえ、青野さんとしては内田達郎さんのそのスタンスにも、
良いな、おもろいなってところがあったわけ。
そうですね。おもろいなという部分と、自分に対する反省も含めて、
そうだよなって思ったんですよね。
僕らがどっちかというと、自分の知識を身につけて専門性を高めたい話、どっちかって言ったら。
そうすることが知性というか、いろいろ情報を得て学んで、
自分の中で軸としていくつか持って、引き出し持って出せるようになることが知性かなと思ったんですけど、
いやー、宇宙兄弟に向かっていく方が知性じゃないか。
そういうのが一つの知性というか生かし方なんだろうな、集団として。
内田達郎さんが例として出してたのが面白くて、
もともと神戸女学院大学を教授されてたんですけど、
もう体感しますけど、そこに昔の卒業生ですね、おばあちゃんですよね。
おばあさんから亡くなった時に遺産の寄付が結構あるらしいんですよ。大学に行ったら。
不動産とか株とかわかんないですけど。
それを受け取っていいのかなって思ったらしいんですよね。
自分の知らない時代の生徒だし、
自分たちにさえ知らない教員の教え子の方の遺産を寄付されてどうすればいいんだろうって、
最初は戸惑ったものの、よく考えたら教師っていうのは一人で何か教えてるというより、
教師団ですね。グループとして何か提供してると考えたら、
時代とか越えながらつながってるって考えたら別に受け取っていいんじゃないかっていうのを納得できたし、
授業で寝てる学生を見ていて、
なんで自分は力がないんだと、
長井陽介さんの話
なんとかして自分で教えなきゃいけないと思ったらしいんですよ、40代の。
でも、この100人いる生徒の20人が寝てたとしても、
他の先生の授業でその20人が聞いてくれたら全体としていいんじゃないかという風に、
肩の力が抜けたらしいんですよね。
義務感や責任感でやってると顔つきがパワーバッて人がついてこないと。
だからこそ自分しかできないことをやって機嫌よくいることが大事ですみたいなことを言ってて、
長井陽介さんは責任感とかやらなきゃいけないって、もちろんそういうことをやってらっしゃる方なんで、
思いっぱいの解決とか、そういうのが出てらっしゃったんでしょうね。
そういうわけで正常なことだと思うんですけど、
おじさんはそういう風に回答されたんで。
いやー面白いねー。
今、青野さんも、おじさんはそういう風に回答されたって言いましたけど、
そこ大きいんでしょうね。
だと思うんですよ。
そのおじさんかどうかというかさ、年齢差の違いみたいなところもあると思いたい。
おじさんとしては。
だし、内田達郎さんの今の集団体験の話でさ、どんだけ自分を拡大するかみたいな話も。
下手したらね、深くは知らない自分、拡大した自分の中に所属している深くは知らない人のことすらも、ちょっと信頼してるわけだね。
そうだと思いますね。
それが無意識のうちにあるっていう状態になれるのは、めちゃめちゃ幸せだよねって思うよね。
そしたら呪われ食られと言い切れるもんね。
言い方悪いよ。
わかります。自分が全部やらなきゃってね。
そうそう。自分が得意なところとか、自分がやることが全体にプラスになるところだけに集中することもできる。
理想だし幸せだなって、そう生きていなと思うからね。
そうですね。自分が全然できてないですけど、こういうアドバイスというか。
直接受けたわけじゃないんですけど、本読みながら、まあそうだよなーって思いますね。
思ったね。なんかもう一個感じたのが、とはいえ現場にいる人とだいぶそこから引いて、全体感として眺めてる人とのテンションの違いみたいなところもちょっと感じるよね。
あると思いますね。さっきの教官と第三者の話。
会談の結果
あると思いますけど、どっちがいいかというより、
もしかしたら長井陽介さん的に言うと、この会談を経て分かんないですよ。
良かったなって思う部分と、何でだろう。もっと直結するようなアドバイスが欲しかったな、みたいなもしかしたらあったかもしれないなって。
両方当然あると思うんですけど、そんなところをちょっと感じましたね。
そうかもね。文面的にはそこら辺も感じるような文面だったんですかね。
うーん、それは勝手に僕は推測しすぎかもしれないけど。
同じぐらいの求める意味としてね。
年齢も30、40くらい違うと思うんで、
分かり合い部分と分かり得ない部分があったんだろうなっていう感じの対談ではありますね。
そういうもんだと思いますね。そういう場面がないと学べないのかな。
今の解説もうちょっと欲しい感じだけど、そういう場面がないと学べないっていうのは?
そういう角度ですよね。非対称性っていうのかな。
全部が分かることを教えてたら、知識の運び屋さんみたいな感じになると思うんで、
分かんないこともあっていいんじゃないかと思うんですよね。
納得できないこととか理不尽だなって思うこととか。
っていうところですかね。
ちょうどアーノさんとやってるピンポンで、この話は次回にしようか。
はい。承知。
じゃあ一旦2週目のところは、ちょっと最後、ごちゃごちゃっとしましたけど。
ありがとうございました。じゃあ2週目ここにして、3週目、3回目のこぼれ話の方に行きましょう。
今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございました。
47:21

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