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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、
営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、日本の教育観が終わってる理由でいこうと思います。
日本のというか、僕もずっとそういうふうに思ってたんですけど、
日本の教育とか詰め込み方って言われたりしますけど、
僕も育児をしていたり、会社で仕事中に後輩に言葉かけをしたり、
人材育成の観点で指導をしたりするんですけど、
だいたい日本の教育と同じ路線を走ってたなというふうに反省することがあるんですね。
なので、最近気づいたことと、何がダメでどうやっていったらいいのかっていうところを
自分なりの、僕なりの学びを今回まとめてアウトプットしようかなっていうのが
今回のテーマの目的です。
今、僕がどういう失敗をしていたかっていうのを振り返って、
日本の教育観と照らし合わせて似てるなっていうところをまずお話ししようと思うんですけど、
基本的に日本の教育は詰め込み方って言われたりしますよね。
知識を詰め込むとかいうふうなやり方になってますが、
僕も例えば子どもに対してよくやってしまいがちなのは、
子どもが失敗した場面とか、なんでそんなことやってんの?
そうじゃなくてこうやらなきゃダメでしょとかね。
早くやらないと時間なくなってできなくなるよとか。
今勉強しないともうダメだよとか。すぐ勉強しなさいとかね。
勉強しなさいは僕あんまり言わないですけど、すぐ今これやってとか。
こうしないとダメでしょみたいなのはよく言っちゃいがちですよね。
後輩に対する言葉がけでも、そうじゃなくてこうやらないと効率悪いよねとか
っていうふうに言ったりフィードバックしたりすることが結構多かったのが
反省点だなというふうに思ってます。
このやり方って基本的には僕ら年長者がより若い人たちに対して、
子どももそうですよね。自分よりはるかに若い存在ですけど、
そういう上の人から若い人に対してやり方を伝授してるというか
教えている、そういう知識を授けているようなやり方だと思うんですが、
これだとあまりその人には響かないし、実際に行動に移してもらいにくいんじゃないか
っていうのが僕の最近の気づきですね。
どうして言ったことをやってくれないんだろうとか、
どうしてこういうふうに言ってるのに同じ失敗ばっかりするんだろうとか
っていうふうに思うんですけど、結局このやり方を取っている限りは
変わんないんだろうなっていうふうに気づきました。
ここの何が悪いかっていうと、当事者は本人たちは対して
頭を使ってないのが良くないんだろうなっていうふうに気づいたんです。
要は、頭を使っているのは教えている側であって、
こういう場面だったらこういう対応をしなきゃいけないよね、
こういう行動をしなきゃいけないよねっていうのは
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考えている側というか、教えている側が必死に頭を使って
こうだったらこうでしょ、わかった、こうだったらこうでしょって
考えているのは教えている側なんですよ。
教わっている側は言われるがままに、そうなんだ、
そうしなきゃダメなのかみたいなふうには思うとは思うんですけど、
その場面がいざ来たときに多分その行動を取ってくれないのは
思い出せないっていうのもあるだろうし、
似たような状況になったときに考える力が育たないからきっと
動かないんだろうな、変わんないんだろうなっていうのが
僕の今の気づきですね、学びですね。
どうやったらいいのかっていうと、基本的にはやっぱり
教えないに尽きる、ここかなって思います。
一生懸命教える側が頭を動かせて働かせて、
知恵を使ってこういうふうにやったらいいんじゃないって、
それは本人のためになってないなって気づいたんですね。
なので、本人のために教えないっていうのがすごく大事だと、
我慢するっていうのがここが重要だなって最近は思ってます。
なので、このままいったらこの子は失敗するなとか、
このままいったらこの子の仕事の効率が悪いから
やたら時間かかるなとか、そういうふうに思ったとしても
そのままやらせるって、鬼のような所業かもしれませんけど、
一旦失敗させて本人にどう思うのかっていうのを
気づかせてあげなきゃいけないなっていうのが
最近僕が考えていることですね。
実際に失敗したときに本人がもしその状況に
まずいなと思ったら相談してくると思うんですよね。
こうこうこういうことが起きてて、こうでこうで
どうしたらいいの?みたいなね。
そういうのが多分思うことが多いかなって思うんですよね。
全く危機感なかったらそんなことも考えずに
またやっちまった、まあいいやみたいな感じでは
思うかもしれませんけど、子供は特にそうですよね。
こうやったらこうなっちゃったんだけど、もうできないみたいなね。
幼児とかだとそうですよね。こうやってんだけど
なんかもう全然できなくて、うわーなってるみたいなね。
そういう場面がありますよね。
大人でもうわーはならないですけど、どうしたらいいんですか?
っていう場面って結構あると思うんですよね。
なのでここでどうしたらいいんですか?で
そのどうしたらいいの?の答えは僕らは持ってるんですけど
それをもう伝えない。それを伝えてしまうと
本人が考えることを放棄している状態で
それを良しとしてしまうこと、そこに剛性を出してしまうので
それはやっちゃいけない。逆にどうしたらいいと思う?
っていうね、この逆の質問ですよね。
これをやってあげて、どうしたらいいと思う?って
分かんないから聞いてるんだけど、なるかもしれませんよ。
なるかもしれないですけど、分かんないながらも
どういうことが考えられるのか、何がうまく
どこまではうまくできて、どこからかうまくできないのか
この辺をまず理解して、できないながらも
こうやったらいいんじゃないかっていう
なんか策をね、やっぱ考えてほしいんですよね。
それでうまくいったら、うまくいって褒めてあげればいいし
うまくいかなかったとしたら、じゃあそのやり方はだめだったね。
別なやり方を考えようか。
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それでもどうしてもうまくいかないんだったら
ちょっとずつヒントを授けてあげるみたいなね。
そういうやり方が一番いいかなっていうふうにね
僕の最近はそういうやり方で
これコーチングのスキルですよね。
あなたはどう思う?っていうね、そのやり方ですよね。
コーチングしつつ導いてあげるっていうのが
一番いいんじゃないかな。
その人の行動を促すことができて
頭も使わせることができて
失敗しないと初めて分かることもあると思うんで
その失敗の経験も奪わない。
ここがすごく大事なところかなっていうふうに思います。
朝の支度とかね、子供ってやたら時間かかりますよね。
いつまでテレビ見てんだみたいな。
テレビを消したら消したら今度近くにあった
おもちゃ片付けてないやつで遊び始めて
まだ着替えてないみたいなね、そういうのありますよね。
早く着替えて早く準備しないと学校遅刻するよって
よくね、言いますけど
僕の妻も遅刻したら困るでしょみたいなこと言って
遅刻しないように一生懸命やってますけど
逆にこの考えで行くんであれば
遅刻させればいいじゃんってね
失敗させて、そこでどう感じるのか
恥ずかしい思いをするのか、先生に怒られるのか
なんか多分不都合なことが起こると思うんですよね。
遅刻っていう失敗をしたら初めて
やばい、このままではまた今日も遅刻してしまう
っていうふうに思うと思うんですよ。
そこに気づかないでまた翌日も
だらだら準備をしていたとしても
そこでちょっと一言、また遅刻するよって言ってあげたら
やばい、昨日遅刻したからっていうふうな
気づきがあるかもしれませんね。
一回でも遅刻してあげさせると
そういうふうな学びとか感情が起き上がる可能性がありますが
ずっと遅刻させないで親がずっとね
過保護にしてしまうと失敗の経験をさせることができないので
それはそれで学びというか体験が減ってしまうのかな
というふうに思ったりするのが
この考え方の舞台例ですね。
ただこれ難しいのはすぐ答えを言いがちなんですよね。
そうじゃなくてこうしたらいいじゃんって言っちゃうんですよ。
お前はどう思うのっていうふうに聞くんじゃなくて
これ結構我慢が必要なんですよね。
どうしたらいいって言われて
こういう時はこうでしょってすぐ言っちゃいがちなんですよ。
言わないですごく我慢しつつ
どう思うって聞いて
それでまともな答えが結構返ってくることが少ないんで
ふーんって聞き流しながら
じゃあそれでやってみたらいいんじゃないって言ってあげる。
そこで起こる失敗の責任は
親ないしは上の立場の人が全部ね
取るぐらいの気持ちでいないと
これは成り立たないんですけど
失敗してやばいことは失敗させちゃダメですよね。
健康上すごくやばいとか怪我するとかね
そういうのとか危険だったり
会社に損害を与えてしまうとか
そういう失敗はちょっとね
セーフティーネットをかけてあげないとやばいですけど
多少失敗させても
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それで学びがあってリカバリできるぐらいの
そういう失敗ならむしろさせてあげた方が成長になるだろうし
経験を進めるかなというふうに思います。
ということでタイトル回収したいとしたら
何でもかんでも教えるなと
知識ばっかり突っ込むなと
ちゃんと失敗させてあげろと
その上でその経験を踏まえて
自分で考える力を身につけさせて
身につけてもらって行動を起こしてもらう
それが多分人材育成の観点では大事じゃないかなというふうに思います。
この考えが身につくと自分自身も
目上の人に対する質問の仕方が変わってきますね。
こういう時どうしたらいいんですか?ではなくて
こういう時こういう状況でこう困ってるんですけど
こういうふうにやろうと思ってますが
これ大丈夫ですかね?みたいな
そういう聞き方ができるんですね。
大丈夫だと思ったらゴーサインくれるし
それは明らかにやばい
その考え方そのやり方でやったら
すごい被害が出る
危険だっていうふうに判断されたら
そこはそれはダメだというふうに
上の人が言ってくれると思うんですよ。
だから自分のコミュニケーション力も上がるし
人間としての価値も価値というか
スキルも上がってくると思うんで
これをやれたら自分もプラスだし
自分より若い人たちに対しても
プラスのコミュニケーションが取れるんじゃないかな
というふうに思います。
最近はスマホのおかげで頭を使う機会が
かなり減っていると思います。
今になったらスマホを起動すれば
いろんな面白いコンテンツがあるんで
それをダラダラ見てしまって
時間を浪費しがちですよね。
だから考えさせる習慣
自分自身も考える習慣
ここっていうのはすごく減っていると思うんで
逆に考える習慣とかここが身についていたら
それだけで周りとの大きな差別化ができるかな
というふうに思いますので
そういうところでちょっとずつ周りと差をつけて
できる人間になって
DHDですけど
僕もうつ病はまだ治ってませんけど
それでも周りから必要とされる人間になれたら
最高ですよね。
そうやってサバイバル術を身につけて
磨いていければなというふうに思いますが
皆さんどうですかね。
全ての状況、全ての場面に
当てはまるわけではないと思いますが
おおむねこういう方針でやっていきたいな
って自分自身にもう一回
すり込むためにも発信してみました。
もし参考になるところがあったら
一緒にこういうやり方で
子どもと向き合ったり
職場で若い人と向き合ってみたら
いいかなというふうに思います。
我慢が必要なので
なかなか難しいかもしれませんが
ちょっとずつ対応を変えていけば
それが習慣になるかなと思いますので
ちょっとずつ変えていってやっていきましょう。
最近言ってませんでしたが
もし参考になるところとかありましたら
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僕のモチベーションになってますので
ぜひよろしくお願いします。
ではまた。