ADHDと好感度の関係
おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、好感度を上げる方法ということでやっていきます。
好感度ですよ。好感度を上げたいですね。
自分の好感度が周囲の人からもっと上がれば、これは嬉しい人は多いんじゃないかなと思いますし、僕だって嬉しいですね。
好感度を下げたいって人います?多分いないと思うんですけど、上げなくてもいいよそんなにって思う人はいるかもしれません。
だけど、上がってて高くて困る人って多分いないんじゃないかなと思うんですよね。
あの人のことをなんとなく好きというか、親しみやすいというか、ああいう風になりたいなって思うことって多分あると思うんですよ。
なんかわかんないけど、あの人には話しかけやすいとか、話しかけるハードルが低いというか、敷居が低いというか、
よしよしですけど、あんまり低すぎてもバカにされたり舐められたりっていうのがあるかもしれませんけどね。
ただ、それと好感度ってちょっと近いところもあったりするんじゃないかなって思うんですね。
結論、僕が今回伝えたいことはADHDの人たちは好感度というか親しみやすさって言った方がいいかもしれませんね。
ちょっと最初からタイトルとやや違うニュアンスになったかもしれませんけど、
ADHDはここの素質が僕はあるんじゃないかなと思っているんです。
なので、ADHDだから自分は苦手とか周りの人と一緒にできないとか、そういう風に思うこととかあったりすると思うし、
僕もすごく悩んだりしていますし、今も苦労しているところが多いんですけど、
ここ一点に関しては僕らにもしかしたら有利な部分があるんじゃないかなっていうね、
ちょっと希望に感じられるところがあるかなと思うので、
そういう観点で聞いてもらえたら何か役に立つかなという風に思ったりしています。
コミュニケーションの相性
今日は何を題材に話をするかと言いますと、
僕が一緒に働いた上司の話ですね。
僕は何人もの上司と、たくさんではないですけどね、
数人の上司の下で働いた経験があります。
それぞれの上司に特徴があって、いいところも悪いところもあったわけですが、
特に僕が苦労したというか、一番相性の悪かった上司が、
僕を鬱病にしたって言ったら、かなり被害者感があるんですけど、
非常に相性が悪くて、うまくコミュニケーションが取れず、
僕がトラブってお叱りを受けて鬱になったという、
そういう時の僕の上司は、非常に隙がないタイプの上司だったんですね。
先に全体図を話すと、僕と相性が悪かった隙のない上司と、
それから僕と比較的相性の良かった、コミュニケーションが取れた上司との対比ですね。
これについて考察をしてから、好感度の高い人とはどういう人か、
隙が低い人、コミュニケーションが取りやすい、
コミュニケーションコストが低いと言ったらいいんですかね。
そういう親しみやすい人とはどういう人かっていうのを、
炙り出していこうかなっていうのが全体像ですね。
その僕が一番コミュニケーションに苦労した上司というのは、
非常に仕事のできる人間だったんですね。
ミスがとても少なくて、事前に起こりうるリスクを見通しを立てて、
管理しておき、徹底的に減らしていく、そういうタイプの人で、
パーフェクト人間に近いかなっていう印象を持ってますね。
テキパキ、何でもこなすし、事務処理も得意だし、
部下に対する指示出しも得意というか、
マネージャーとしてもテキパキすることができるタイプだったんですね。
ところが僕はこの人と非常にうまく噛み合いませんでした。
何でかっていうのを考察して、ここで全部述べると長くなっちゃうんですけど、
結構ニュアンスで指示を出すことが多かったんですね。
雰囲気というか、ざっくりした指示出しがすごく多くて、
できる部下はこれに対して、
それってこういうことですよねっていう確認をしたりとか、
何もそれ以上聞かずともなんとなく受け取って、
あうんの呼吸で仕事ができたりするんで、うまくやり取りできたんですけど、
僕はすごくその辺が苦手で、そういうふうに言われても、
それってこういうことなのかなって自分で考えてやったりしたんですが、
それじゃなくて、お前だけなんかやってること違うんだけど、
みたいなふうになったりとかですね、
それってこういうことですかって聞いたら、
10年になっててそれもわからないの?みたいなことを言われたりとか、
すごく僕は嫌な不快な気持ちになったり、
そんなこと言われたら、もうこれから質問できないなと思って、
自分の中で答えをある程度絞って仕事をしたら、
全然違って言われたりですね。
そういうことがあって、すごく苦しんだことを覚えがあります。
それから僕らがすごく苦手とする、
僕らって言ったらちょっと違うかもしれませんけど、
僕はすごくケアレスミスが多い人間なんで、
そういう人に対してすごく指摘を受けましたね。
またここ間違ってる、ここも違う、
あっちも違うっていう感じですごくミスを指摘されて、
それ以降ミスに対してすごく心機を解かせてしまって、
常に気を張っている状態になってしまい、
仕事が全然進まないと、
そういうような事態に直面してしまいました。
なので、僕はこの上司と非常に相性が悪くて、
自分のメンタルを病んでしまって、対象を壊してしまい、
自分が得意としていた営業活動にも支障が出てしまったということで、
自分の存在感を、自己肯定感を非常に避けてしまって、
うつのすごく苦しい時期を過ごしたというのが僕だったんですね。
親しみやすさの重要性
一方で、その前後に僕が指示を受けた上司というか、
一緒に仕事をした上司は結構真逆のタイプだったんですね。
なので、どういう感じだったかっていうのを一言で表すと、
すごく緩い雰囲気で仕事を一緒にしていけるような人たちでした。
特に僕が非常に仕事をしやすかったのは、
僕の上司もかなりケアレスミスの多い人間でした。
僕と同等か、下手したらそれ以上にちょこちょこやってましたね。
大事な決定打をやばいミスをする人ではなかったんですけど、
どうでもいいミスをやったりするようなタイプで、
僕のミスもその人は分かる分かる、ミスるよねみたいな感じで、
受け入れてくれてたんですね。
そんなのはむしろどうでもいいからちゃんと打ってこいとか、
ちゃんと数字残せとかっていうような感じで、
数字にはすごい厳しく言われたんですけど、
要所要所の細かいミスは意外とスルーしてくれたんですね。
僕はこれがすごいやりやすかったんですね。
自分が得意とするところ、ちゃんと結果を残す、
数字を残す、注文を取ってくるっていうね、
ここに関して注力できたので、
そこに付随する伝票とか、数字の精査とか、
ここで仮にちょっとしたミスがあったとしても、
ちゃんと頑張ってやってるんだから、
多少のミスは俺がチェックするし、いいよみたいなね。
そこまで明確には言わなかったですけど、
そういう雰囲気を僕は感じ取ることができたんですね。
なのでとっても僕は仕事がしやすかったっていうのが、
肌感覚として、感覚ですね、もうこれね。
言葉で言うよりも一緒に仕事をしていて、
やりやすかったな、相談もしやすかったなっていうのが、
すごく記憶にあります。
こういうミスをする人って、会社としてはね、
一緒に仕事をする仲間としてミスをする人って、
ちょっと信用を足りにくかったりするかもしれませんけど、
ちゃんと仕事をしている一方でミスをするっていう、
このギャップに関しては、
僕は決して悪いことじゃないんじゃないかなって思うんですね。
例えば自分の直属の上司が、
僕を鬱病にした上司と、
そういう言い方になってしまいますけど、
みたいな人間が、完璧な人が上司だったら、
どう思いますかね。
すごく仕事しにくくないですか。
この人いつも完璧だし、
こんなことを聞いたら、
どう思われるんだろうとかって、
気にしちゃったりしませんか。
僕はね、結構そういうのを気にしたり、
なんかちょっとミスっただけで、
すごい評価避けられちゃうんじゃないかなとか、
どう思われてるんだろうとか、
怒ってるんじゃないかなっていうふうに、
結構気にしちゃうタイプだったんですね。
なので、いつも張り詰めたような、
意図が張り詰めたような気持ちで、
仕事をせざるを得ないような感じだったんですね。
一方で、自分もミスをする上司っていうのは、
結構その辺に寛容だったりするんで、
多少ミスっても、また出し直せばいいなっていうぐらいの、
決してそれは甘えではないんですけど、
すごく気持ちにゆとりがあるような状況で、
のびのびとね、仕事をすることができたっていうのが、
僕の体感なんですよ。
そして、何と言っても話しかけやすいっていうのが、
僕の中ですごく大きかったですね。
困った時に、これでいいですかっていうふうに聞いたりとか、
困った時に、こういうことを聞かれて困ってるんですけど、
どういうふうに考えたらいいんですかね、
すごく聞きやすかったんですよ。
なので、やっぱり好感度っていうと、
ちょっとタイトル違ったかもしれませんね。
親しみやすさですね。
親しみやすさっていう点で、
物理的に気持ちの距離がすごく近いような気がしていて、
難しい言葉で言ったら、
心理的安全性ってやつですよね。
変なことを聞いても、変なことを言ったとしても、
自分の身の危険は犯されないっていうね、
こういう安全性ですよね、難しく言ったらね。
ここがやっぱり自分の中で担保されていたような、
保全されていたような気がするんですよね。
だから全てをパーフェクトにやってしまうと、
もちろん上司からは、そのさらに上の上司からは、
気に入られるかもしれません。
あいつはね、いつも密なく、
完璧に仕事を正確にこなす人間だってことで、
上司からは気に入られるかもしれませんが、
下の人間からは、もしかしたら、
ちょっとね、こう、距離を置かれるかもしれない、
話しかけにくい存在になってしまうかもしれないっていう懸念は、
ちょっと一つ残ったりするんですよ。
一方で、ミスをする人間。
僕らみたいにね、ケアリスミスをちょっと頻発してしまったり、
うっかりやってしまう。
ドジってしまう。
ミスと親しみやすさ
こういう人たちって、結構好感度が上がりやすいんじゃないかな、
親しみやすさが持たれやすいんじゃないかなっていうようなことを
思っていたら、たまたまメンタリストDAIGOさんのYouTubeで、
チャンネルで同じようなことを言ってて、
やっぱりっていうふうに思ったので、
それでこのタイトルにしたんですよ、今日はね。
そうでした。
DAIGOさんも好感度みたいなね、このフレーズを使ってて、
自分が思ってた、僕が思ってたのと似たようなことを言ってるよって思って、
すごく嬉しかったのと、
好感度って確かにね、そういうふうに表現してもいいなって思って、
このタイトルにしたんでした。
なので、ミスをすることが決して悪いことではないし、
かといって完璧なことも悪いことではないんですけど、
むしろいいことなんですけど、ミスるから自分を否定する、
全否定する必要はないなってすごく思いますね。
例えば上司から部下に対して、
お前ちょっとミス多すぎるから気をつけろってなったときに、
部下から、そう言ってもなんとかさんだってめっちゃミスってるじゃないですかって言ったら、
確かにそうだな、てへぺどんみたいな。
そういう会話だったら、会話が職場で展開されたら、
すごいやりやすいじゃないですか。
じゃあわかった、今日からお前は俺のミスをチェックしろ、
ミスないようにチェックしろ、
俺はお前のミスをチェックするから、交換してやるぞみたいな。
そういうスタートラインというか、
同じ立ち位置に立てたらすごいやりやすいなって僕は思うわけですね。
それができるのが多分ミスる人の、
これ特権じゃないですかね。
特権だと思っていいと思うんですよ。
だってミスらない人にはこの権利はないわけですよ。
だって自分はミスらないんだからチェックしてもらう必要ないですよね。
例えて言うなら、小学校のテストとかで、
答案用紙を交換して丸付けするみたいな、
友達同士で、生徒同士でやるじゃないですか。
そういうときに、片屋すごい成績優秀な出来過ぎ君で、
片屋伸び太だったら伸び太だんだん嫌になってきますよね。
出来過ぎの答案は完璧に出来過ぎてるし、
自分の答案は0点だしってなったら、
じゃあもうお互いに嫌になりませんか。
っていうような状況になっちゃうと思うんですよ。
だからそこそこミスる人はそこそこミスる人と組めばいいしっていうね。
その方がやりやすいと思うんですよね。
でもそんなことしてたらね、
お互いに進歩がないんじゃないかっていう指摘も飛んできそうですけど、
多分進歩ないと思いますよ。一定のところまでしか。
でも進歩なくていい、僕はいいと思っていて、
ミスを引き出すことはその人当人たちにとっては、
それほど重要じゃなくて、もっと得意なこととか、
もっと注力した結果が出ることがあると思うんですね。
だからそっちに注力していきましょう。
ミスはお互いに減らして、
一定のところでそれなりに減ることができたならば、
もうそれでいいんじゃないかと。
いや、減らなくてもいいかもしれない。
だってそこは苦手なんだから。
苦手なところは誰かに任せておいて、
得意なことに注力した方が圧倒的にパフォーマンスがいいと思うし、
得意なことを伸ばし合うから、
得意なところをお互いに出し合うから組織が成り立つんであって、
みんなが同じようなね、そこそこ全部できますよ人間だったら、
あんまり組織として成り立つとか、
注力する意味がないんじゃないかなって思うんで、
そしたらフリーダンスでやったほうがいいってなっちゃうと思うんで、
得意と苦手があって、苦手はお互いに補い合って、
得意を伸ばし合うから組織がね、
パフォーマンス最大化するんじゃないかと思います。
そういう観点でいけば、
決してミスがあることとか苦手なことがあるのは別に悪いことではないと思うんで、
その辺に対する寛容性を持てるかどうか、
理解できるかっていうところは、
同じように自分の短所はこれであると、
ここが苦手であるというような弱点を持っている上司にしか、
上に立つ人がそれを知らなければならないという風にね、
短所を活かす
僕はすごく感じたわけですね。
だからADHDとかASDとか、
まあいろいろね、発達障害はあるかもしれませんし、
僕もね、そのうちの一人ではありますが、
だからといって、なんか苦手があるからといって落ち込む人は何もないと、
むしろその苦手があるからこそ、
苦手な人の気持ちはわかるんじゃないかというね、
それぐらいのスタンスというか、
開き直っちゃってもいいかなという風に思いますね。
苦労をした人にしかね、その苦労をしている人の気持ちはわかりませんからね。
エディートにはね、落ちこぼれの気持ちはわかりませんからね。
だけど、いや俺もクビになったことあるんだって言われたら、
え、そうなんですかって一気に親近感が湧くわけですよね。
そういうことだと思うんですね。
だからある意味、自分も苦手があるっていうね、
そういう隙を見せている人ほど、やっぱり距離を縮めやすいし、
親しみやすいし、親近感を持ちやすいんじゃないかなという風に思いますので、
そういうところを意識しながら、自分からミスがあったとしても、
まあね、やっちまうよね、みんなね、みたいな。
そういうぐらいのね、そういう上司がいたってね、
僕はいいかなという風に思うんでね。
完璧な人しか上司になれないっていうんじゃ、
組織はたぶん成り立たないと思うし、
今このね、上司になりたくないというか、
中間管理職はね、あのー、何でしたっけ?
あー、罰ゲームですか。
罰ゲームって言われるこの世の中で、
そこになりたいと言うような若者はどんどん減っていくと思いますんでね。
中間管理職だってね、そこそこでいいんじゃないでしょうか。
緩く考えて、スタンスで、そういう考えでやっていったっていいと思いますよ。
決してね、あのー、サボるとか、手を抜くとか、
そういうことではないですから。
自分の得意で勝負していこうと。
そういう話ですからね。
苦手があったら、誰かに手伝ってもらえばいいと。
そういうお話ですね。
ということで短所を逆手に取って、
上手く生きていきたいなという風に思います。
もがき苦しみながらもうまいことやっていきましょう。
まあそういうラジオかもしれませんね。
僕のチャンネルは。
うまくいくわけではないですけど、
その中で楽しみを見出しながらね、
こうやってやっていったらいいんじゃないかっていうね、
そういう試行錯誤をね、日々発信していこうと思いますんで、
引き続き聞いてもらえたら嬉しいです。
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ではまた。