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おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、子どもを持ったことは僕の人生にとって最悪の出来事だった、ということで、結構刺激的なタイトルかもしれませんが、続きがあります。
この日から僕の生きがいは子どもを育てることになった、というね、あの続きをちょっとね、付け加えたいなと思います。
子どもを持った瞬間に、僕は、もうこの瞬間ではないですけどね、僕は一旦自分自身が死んだような気がしました。今振り返ると。
まあこの時はね、そこまで思わなかったんですけど、振り返って完全にターニングポイントだったなという風にね、今思いますね。
どう変わったかというと、もう完全に一旦自分が死にました。
死んで、どう死んだかというと、もはやね、自分のことがもうほぼほぼどうでもよくなりましたね。
時を追うにつれて、子どもが生まれた瞬間ではないですよ。
瞬間に自分が死んだわけじゃないですけど、徐々に徐々に思考が変わってきて、自分にお金なんてもう早くかけなくていいなとか、
自分に使う時間なんてもう結構どうでもいいな、むしろこの子たち、そして家族にどれだけ多くを与えられるか。
与えるって言ったらちょっと奥がましいですけど、何ができるか、そういう視点で物事を考えるようになったんですね。
今までは、独り身だった頃はね、自分自身がどれだけ楽しめるかとか、自分自身にどれだけお金を使えるかとか、好きなものを買えるかとか、優雅な贅沢ができるかとか、
そういうことしか考えてなかったわけじゃないですけど、どっちかというと、自分本位な生活スタイルというか人生観だったと思うんですよ。
それがもはやね、どうでもよくなったと言っても過言ではない。
着る服なんてもはや全部ユニクロでいいやって言うくらいですね。
何か別にカビにならなくても、自分がしたいオシャレができなくても、清潔感さえあればいいんじゃないくらいの感じですよね。
周りの人に不愉快な感情を抱かせない、匂いとか見た目とかそういうところで不快感を与えない格好であれば、
もはや服装なんて別に個性を表すものでもなくなったし、
昔はちょっと特徴、自分の個性を表すという意味でこだわったりした時期も一時ありましたけど、
何かそういうことがね、もはやどうでもよくなりました。
むしろそこで余計なことにお金や時間を使うんじゃなくて、
全部それは子供に、家族に回したいなというふうに思うことができるようになりましたね。
なので、そこがすごくターニングポイントだったなというふうに今思いますし、
子育てをしながら学べることじゃないですけど、気づけることとか、
すごい一言では表せないほど自分自身にとってプラスになることいっぱいあるんですよ。
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これってやっぱり一つじゃないんですよね。
例えば、子供に対して頼むなしにこれやれって言ったってやらないんですね、子供はね。
そういうのを通して、例えば仕事中に後輩や周りの人にこうやってって言ったって動かないよねっていうのが当たり前のようにわかるんですよ。
でもこれ子育てしてなかったら、なんであれやれって言ったのにやんないんだお前はっていうふうになるわけですよ。
だからここは子育てしてる人としてない人で大きな考え方の違いが出るんじゃないかなというふうに思ったりもします。
子供に対してやれって言っても本当にやんないですよね。
風呂入れって言っても嫌だとか言ってきますよね。
どういうことよ。今もう出かけるから着替えて嫌だ。どういうことだお前。
今出かけないと遅刻するぞと。保育園に間に合わないぞと。
お前が保育園に間に合わないっていうことはお父さんは会社に遅刻するんだ。
だから今すぐ着替えろ。嫌だ。
で無理やり着替えさせようとすると泣きじゃくるみたいなね。
どうなってんだと。こんなに大変なのかみたいなね。そういうことが起こるわけですよ。
だからやれって言っても人は動かないとわかるわけですよね。
それが普通なんだと。だからもうね基準が違うんですよね。
言ったからやるのは当然だって考えてる人間と言っても簡単に人は動かないよねってそういうふうな認識でいる人間と全然違うわけですよ。
子育てしている人たちはそういうところから学びがあると思うんで
頭こなしに何かをやれと命令くちょう指示を出すんではなくて
どうやったらこの人は自分が思い描くように動いてくれるんだろうかっていうところに思考を張り巡らせるわけですよ。
ここだけでもねすごい収穫って言ったらまた変なニュアンスになりますけど学びですよね。
それからあえてもう一つ具体的に挙げるならやっぱり忍耐力あと寛容性この辺もやっぱり鍛えられるなというふうに思います。
子供と対峙しているとなかなかやってくれないというかまだそれできないのかっていうふうに思うことがあるし
またそれやってるのかってイラッとすることもあるんですよ。
分かりますよね。お子さんいる方ならね。
だけどそこはやっぱり自分の寛大な心でやっぱり認めてあげるというか待つ姿勢ってすごい大事じゃないですか。
親が何でもかんでもやってしまってはそもそも早いんですよ。
早いのは間違いないしそのほうが効率的なんですけど
それでは本人のためにならないし結局それでは1から10まで自分がやってしまってはいつまで経っても自分がやらなきゃいけないということになってしまうわけですね。
なのでやっぱり待つ。自分が期待した通りに動いてくれなくてもそれに対して何も言わずにただただ見つめてるみたいなね。
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失敗してもそれを見て見守ってあげる。むしろ失敗させてあげる。
失敗から学んで一歩ずつ、いや下手したら半歩ずつ、たまに一歩下がりながらとかね。
そういうのを長くね、回り道をしながらでも成長してくれるところを見ていかないとダメなんだなというふうに分かるわけですよ。
だからその辺がやっぱり抽象的に自分は学んで、それは子供が育ったんだから仕事の場面でもね、
周りの人がうまくいかなかったとしても初めてのことだからしょうがないよねっていうふうに考えられるし、
そこから学び終えて次はどうやったらできるようになるんだろうか。
その本人はそこに気づいているんだろうかってやっぱりね、何を考えているんだろうかっていう思いを馳せるわけですよ。
完全にこれはもう僕は忍耐としか言いようがないぐらいのひどい心を持って見守っているっていうね、
この力はやっぱりすごく大事だし、養って持っているとやっぱり長い人生これが生かされる時って多々あるなっていうふうに感じますね。
太平洋のような静かな心で波風が立たない、ひたすら見ているっていうね、失敗させてあげるとかね。
やばい時にはもちろん身の危険が迫ってとかね、怪我をしてしまうとかそういう時にはもちろん注意しなきゃないですけど、
そうじゃない時は多少の怪我はさせてあげるぐらいのね、気持ちがやっぱり必要だなっていうふうに思うようになってきましたね。
そんなことを考えていたらですね、ある時素晴らしい言葉に出会いまして、子育てって子供を育てるって書くから子育てっていうふうに認識している人が多いと思いますし、
僕もそうだったと思うんですけど、ある人はですね、そうではなくこう言ってました。
子供に育てられるから子育てって言うんだよっていうふうに言ってて、うわぁなるほど、それだ、まさにそれだっていうふうに僕は腑に落ちてしまいました。
子供に育てられるから、親が育てられるから子育て。
そう思ったらですね、あらゆるビジネススクールとか資格取得とかいろんな事故通しってあると思いますし、スキルアップの方法もいっぱいあると思いますが、
子育てほど自分が成長するそういう環境ってないんじゃないかなっていうふうに思わされてしまいました。
もうね、全人類に子育てを推奨したいって言ったら炎上するかと思いますが、子供をね、持てない理由もたくさんあると思いますんで、そこはね、そんなことは言いませんけども、
例えばですよ、子供を車に乗せている時、絶対に煽り運転なんてしないですよね、家族を乗せている状態で。
私、子供を抱っこしている時に考えたことがあるんですけど、みんながね、育児をしていたら、戦争するアホなんていないんじゃないかなって思うわけですよ。
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子供の身を危険にさらすことを普通は親しないですよね。
なので、ああいうことをする人たちっていうのは、きっと子供を持ったことないか、もしくは忘れてしまった感情があるんだろうなっていうふうにね、ちょっと感じたこともありましたね。
そして子供の成長スピードってやっぱりえげつないですよね。
ついこの前ハイハイをしたかと思ったら、もう捕まり立ちしようとしている。なんだこの成長スピードは。
そしてそれに対して自分は何か成長したんだろうかってちょっと虚しくなったりするわけですよ。
そうなったら、負けてられねえぞって張り合いたくなりますよね。
いや、勝てるわけないんですけど。
負けないように自分ももうちょっと頑張らないとなっていうふうに思わせてくれる存在だったりもしますよね。
だからモチベーションの源泉が自分自身がどうなりたいかっていうよりかは、この子らのためにもっと頑張らなきゃいけないからもっとこうなりたいみたいなね、そういう感じになってくるわけですよ。
だからやっぱりある意味ね、自分はもう一旦死んでるんだなっていうふうに思いますね。
ちょっと難しい表現ですけど。
こんだけ考えていても、やっぱりADHDだからマルチタスクはできないんですよ。
育てしながら働くってね、もうこの時点でかなりレベル高いマルチタスクですよね。
だから最初はかなり苦労をするし、いやADHDとして子供を持っちゃいけなかったんじゃないかっていうふうにね、マジで考えたこともありましたね。
だけどもうね、逃げられないです。逃げられない。
どんだけ苦手だったとしても、できないかもしれないけど、でももうやるしかないんですよ。
やるしかない。仕事だったらマルチタスクできない。
何か業務を無理って言って切ることもできるし、投げ出すこともできるかもしれない。
でも子育てを投げ出すことはできないんですよ、どう頑張っても。
だとしたら、できない範囲で、でもやり苦しするしかないから、もはや排水の陣なんですよね。
それでどうやったら、できない中でもどうやったらちょっとマシになるのかとか、
やっぱり必死に考えて、手当たり次第何かやっていくしかないんですよ。
そうやっていくと、なるほど、これはちょっとこうやった方が多少はうまくいくなっていう風に、
何かが半歩未満ですけど1センチぐらい進んだりするんですよ。
この1センチが育児じゃなかったら絶対に分からなかった1センチだったりするんですよね。
仕事だったら無理って言って投げ捨てて分からなかったこの1センチの積み重ねで10センチぐらい進んだりするわけですね。
この10センチが仕事に生きたりすることもあるんですよ。
ここが本当に子育てしたかしてないかの違いだと僕は思ったりしますね。
ただ強調しますが、マジしんどいですよ。
一人身だったらどんだけ楽だろうかって思うことは多々ありますが、
どっちの人生を選ぶかと言われたら、僕はもう一回人生を歩んだとしても、
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やっぱり今の方が子供がいる方が圧倒的に楽しいなって思いますね。
めちゃめちゃしんどいですけど、こっちの方が豊かかなって。
人生観がいろいろですからね。
一人の方が楽しいって方もいると思いますし、それが良いとか悪いとかではなく、
どのラーメンが好きかレベルがね。
急にチープな話になっちゃいましたけど。
食事の好みが違うのと同じように人生観も違う。
それぐらいはやっぱり多様性の時代に認められるべきだと思いますが、
あくまでも僕の観点では、人生観では家族がいる方がいいなって思います。
皆さんの人生観はどんなですかね。
ADHDでいろいろ苦労するところもあると思いますし、
他に発達障害を抱えていたらいろいろ辛いところもあると思いますし、
子供を持っていいのかダメなのか、持っちゃったけどこれでいいのかみたいなね、
そういうこともあると思いますが、
まあでもね、何とかなるっていうのが適当ですけど。
それぐらいの感覚で何とかするしかないですからね。
だからそれぐらいの感覚で僕はいいんじゃないかなって苦労すると思いますけどね。
だけどまあやってみないとわかんないこともあるし、
やったらうまくいくかもしれないし、
あとはパートナーとの協力関係とかもあると思いますしね。
いろいろあると思いますが、
でもこれが自分にとっての自分の人生観でこれが幸福の指標だっていうものがね、
もしあったらそれが明確に持てたらやっぱり一番いいですよね。
僕のもうあれですね、
考えというか幸福感は家族に何をしてやれるかというか、
今一番かなというふうに思いますね。
どれだけのことをしてあげられて、
どれだけ喜んでくれるかみたいなところが一番の考えてるところかなって感じです。
まあでも自分たちだけが良ければいいわけじゃないんで、
やっぱりね、周り近所とうまくやっていかないと豊かじゃない、
幸せじゃないと思うんで、
ご近所付き合いとか周りの人間関係とかもお手入れしていく必要があるわけで、
そこがどこがスタート地点になるかっていうね、
そういう話になるのかなというふうに思います。
では長々としゃべりましたが、最後まで聞いてくださりありがとうございます。
引き続きまた次回も聞いてもらえるとありがたいです。
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ではまた。