配慮の不足と苦手な行為
おはようございます、あさひです。このチャンネルでは、ADHD当事者で、うつ病診断も受けている僕が、営業職としてどのように働いているかを発信しています。
昨日お話しした、僕らの配慮が行き届かないとか、気が利かないとか、これのテーマ、第2弾で連日お届けします。
昨日の内容を聞いていただければわかると思うんですけど、本当に気を配慮する、気の利いた行為というのが苦手な我々ですが、
ここをもうちょっとプラスに受け取ろうという、そういう考え方ですね、今日の内容は。
要は、そういうところが僕らは苦手なんですよ。
なので、そういう振る舞いをできない似たような人、そして自分よりも若い人に対して寛容になれるっていうところが、
最大のストロングポイントかなっていうふうに思うんですよね。
要は、自分がそういうことできないもんだから、できない人を見たときに、
いやそうだよね、できないよね、わかんないよねっていう共感できる立場にいるのが僕らなんですよ。
だからこれはちょっと子育ての例が一番いいかなと思うんですけど、前の過去の放送でも一回具体例として出しましたけど、
子供が幼児が何か手伝いをしようと思ってスープを器に入れました。
ところが頑張ってやったにもかかわらず、すごい浅い器に入れちゃったと。
お椀とかそういうんじゃなくて、持ち歩いたら病でこぼれるような浅い器に入れちゃったと。
親だったら普通、いやそれね、こぼれるでしょ。
で、現にびちゃびちゃになってるんですよ。キッチンとか、いろんなところで悲惨なことになってるんですね。
親だったら、大人だったら、小学生くらいでも、いやそれはさ、こぼれるんだよねっていうのがわかると思うんですよね、経験から。
だけど当事者はわかんないんですよ。やったことないし、液体ってどういう動きをするのかわかんないし。
一生懸命考えた結果、これでいけるんじゃないかと思ってやったら、わかんなかったからこぼしちゃったわけですよね。
だからここを怒り浸透でブチ切れてもしょうがないというか、それは双方にとって何の利益もないことになってしまうわけですよ。
だからこれが僕ら社会人になっても結局同じで、いや考えたらさ、それってさ、こことここに連絡しておかなきゃいけないよねとか。
事前に在庫があるかどうか見ておかなきゃいけないよねとか。在庫ないものを売ってきたんだよ、あんたは。
っていうようなことを、一生懸命やったにもかかわらず怒られるケースって、まあ往々にしてあると思うんですけど、
僕らはそっちの、要は怒られてしまう側の人間の気持ちを、おそらく相当周りの人よりも理解できるはず。
だって自分もできないから。だからそっちに理解を示してあげることで、彼らをもっとうまく成長をさせてあげられる、
できる人の理解の難しさ
導いてあげることができるんじゃないかなと思うんですよね。
だって自分だってできないんだから、それはわからなかったよねって初めてやったんだからさ、
でも一生懸命やったんでしょ、その結果間違ったんだよねっていうのは、多分当事者にとってすごい嬉しい言葉だと思うんですよ。
だって僕らそういう言葉をかけられたら、だってすごいありがたいじゃないですか。
いやそうなんですよ、ちょっと初めてやったから知らなくて、でも一生懸命やったらちょっとミスって、
で怒られたんで、もうやる気なくしてたんですけど、でもそういうふうに言ってもらえたら、
また今回の学びを次から活かせるしってなると思うんですよね。
だからその辺の理解を示すっていうところだと思うんですよ。
残念ながら世の中のできる人は、この辺の理解が多分難しいと思います。
自分はできるから、できるからできない人の気持ちはかなり察しにくいと思うんですよ。
だってケアレスミス少ない人、テキパキ仕事して、もうコンピューターのように機械のように右から左に流せる人、
そういう人って何で右に書いてあることを左に書き直すだけ、転記するだけなのに間違うんですかって、
多分僕らのことを指摘すると思うんですよ。
いやADHDってできないんですよって言っても、だってこっちからこっちに書き写すだけでしょって、
何で間違うのってお互い平行線なんですよね。
だってそれは考えてる時に別のことを考えちゃうんですよっていうのを多分伝わんないんですよ。
だからそれ集中力ないだけでしょって言われちゃうんですよね。
そういうことじゃないんですよ。
そういうことじゃなくて、そういう人もいるっていうのがなかなか理解できないのができる人のできない部分なんですよね。
ここに僕らの存在価値があるんじゃないかなって僕は思うんですよ。
ここどうです?
聞いてくれてる発達障害の方は大きく頷いてくれてる場面だと僕は期待したいです。
僕ができない人間だからできない人の気持ちが分かる。
というか分かるようになりたい。
でもちょっと気を抜くとここは自分ができるようになっちゃったもんだから、
言い方を間違えちゃったりっていうのもあると思うんですよね。
特に自分が余裕がなかったり疲れてしまっていたり、
多量の業務に押し潰されそうになっている場面とかは、
それぐらいやってよ、言わなくてもみたいなことを、僕でもありますよ。
ありますけど、そうじゃなくて、
それでは自分のいいところを潰してしまうことになるんですよ。
だからちょっとでも余力を持って分かんない人、できてない人の気持ちを察してあげて、
うまく導いてあげる。
そうすると自分の仲間が増えるから。
自分の仲間が増えると手伝ってもらえるようになるから、
結局自分の業務がちょっと楽になるとか、
仲間が増えたら、だって仕事の量自分が増えても仕事が増えますよね。
自分を育ててくれた人を裏切る人はそうはいないと思うんで、
だから自分の仲間を増やして、自分の仕事を割り振って、
一緒に成長していければいいんじゃないかなっていうふうに思っているのが、
うつを経験したADHDである自分の、僕の今の思想というか、
生き方としてそういう方向で進んでいこうかなっていうのが僕の考えですね。
別の言い方をするならば、僕らみたいにできない人間だけができることだし、
弱点があるから、苦手があるからこそ得意になれること、
得意分野が出てくるっていう、この長所と短所の表裏一体部分ですよね。
弱者の気持ちは分かるっていうのはやっぱり最大の強みかなっていうふうに思うし、
それを強みにしないで何を強みにするんだっていうところですよ。
他にこれが私は得意なんですっていうものがあればいいですけど、
おそらくそう簡単には見つからないですね。
だからできないことをできないと自覚している。
それはおそらく自分だけじゃないはず、あなただけではないはず、他にもいるはず。
だからそこに理解を示してあげること、そして一緒に成長していくこと、
これがおそらく僕らにできることじゃないかなっていうふうに思います。
一緒に苦手を理解して、それを別に隠す必要もないし、
苦手を苦手と認めてそれを上手く逆手にとって使える、生きていけるような
そういう存在になりたいなっていうふうに思いますね。
一緒に頑張っていきましょう。
ということで、ではまた明日。