悩みの基準
おはようございます、あさひです。
このチャンネルでは、ADHD当事者でうつ病診断も受けている僕が、
営業職としてどのように働いているかを発信しています。
今日のテーマは、困ったり、悩んだり、迷ったりしたときに
僕が考える基準としているもの、です。
いろいろね、人生、生きていると悩みあると思いますね。
あと判断に迷うこと、どっちがいいんだろう、決断に困ること、
あると思うんですが、そのすべてにおいて使える基準というか
考え方ではないんですが、僕自身が主に意識している考え方を
今日はちょっとお話ししようかなというふうに思います。
例えばですけど、自分の生活リズムは朝型なのか夜型なのか
よくわかんないけど、どっちがいいんだろうみたいな、
あとは昨日の配信でお話ししたようなワークライフバランスとか
仕事と人生、プライベートは分けたほうがいいのか
分けないほうがいいのか、バランスはどっちがどうなのかとか
こういう答えのない問題、課題ではないです、問題ですよね。
答えの出ない悩みにぶち当たったときに
その中でもどっちか選んでいかなきゃいけないというか
自分の中でスタンスをどっちかに取っていかなきゃいけないという場面
たぶん生きていれば結構多いんじゃないかなというふうに思います。
そういうときに僕が考える基準というか
こういうふうに考えている、これを意識して考えているというものを
ちょっとお話しします。
歴史から学ぶ生活スタイル
結論的には生物学的に人間はどっちに向いているんだろうか
というふうに僕は考えるようにしています。
かなり壮大な聞こえ方がするかもしれませんけど
人間としてもともとどっちがマッチするんだろうか
最適なんだろうかというような考え方を僕は結構取り入れているんですね。
なので朝方か夜方かの話でいくと
そもそも昔狩猟採集時代の人間とか縄文時代とか
昔々の文明が発達していないとき
ここでの人間の生活スタイルって
どんなだったかなというふうに考えるんですね、僕自身は。
例えば、そもそもこんなにITとかエネルギーとか電気とか
そもそも発達して今の生活スタイルになった
現代の生活スタイルになったというのは
まだ100年とか200年とかそのレベルだと思うんですね。
なので今の生活スタイルって
実は歴史的にはかなりレアな環境だと思うんですよ。
人間の歴史ってもっともっと長い何千年とかあるのに
その中で今の生活スタイルってかなり歴史的に浅いんですよね。
なので今の生活スタイルが人間に及ぼす影響って結構でかいと思うし
昔の人はなかったいろんな影響が
良いことも悪いこともあると思うんですよね。
なのでここで悩んだら昔はどうだったかというふうに考えたら
その辺りに良いヒントが出てくるんじゃないかなというふうに
靴と体の関係
僕は考えているんですね。
それを踏まえて自分が朝方か夜方か
どっちが生活のリズムが合っているのかわからないと思ったときに
そもそも朝方とか夜方ではなくて
朝日が昇ったら起きて日が沈んだら寝るのが
一般的なんじゃないかなというふうに
自分の体に合うんじゃないかなというふうに僕は考えるんですね。
だから朝日が昇るって言っても季節によって違うじゃないですか。
夏は比較的早いし冬は遅いし
そもそも日が沈むのも早い遅いありますよね。
なのでそこに合わせてバイオリズムに合わせて生きていくのが
一番体に負荷がかからないんじゃないかなというふうに
僕は考えているんですね。
世の中にはもう3時ぐらいから朝起きて
電気をつけて朝活動している人もいて
いやいいなそうなりたいなというふうに
思った時期も僕はありますけど
でも結構ね無理がやっぱり生じるんですね。
それにはなかなかなれませんでしたね。
4時から起きて資格取得のために勉強をしていたこともありますけど
やっぱりそれは一時的な資格取得試験までの
一時数ヶ月間の頑張れる
その期間限定だからできた話で
持続可能ではなかったんですよ。
実際すごくね一時的に白髪が増えたりとか
非道館すごかったりとか
もうあと何日だから頑張れるみたいなね
そういう気持ちで頑張ってましたけど
それをもうずっとやっていこうと思ったら
ちょっとね無理かなというふうに思いました。
なので無理なたかつとかは絶対そもそも無理だし
でも日が昇るぐらいの5時とか
それぐらいだったら毎日続けられるかな
というふうに思いますよね。
5時ぐらいに起きたら
日が沈む夏だったら7時ぐらいには
まだ明るいですか?
8時ぐらいにはもうだんだん寝る準備を整えて
9時には電気を消して真っ暗な中で寝る。
これが一番体に合っているんじゃないかなとかね
考えたりするようにしています。
他の例でいくとライフワークバランスで言ったら
昔は個人的なプライベートと仕事とを
切り分けるっていう発想はそもそもなかったですよね。
今の現代だからこそ土日は休む、平日は働く
ちゃんとそこは私は切り分けたいんだ
切り離して考えたいんだっていう人も
出てくるかもしれませんが
昔は農耕社会であろうが
狩猟最終民族であろうが
そんなことはなかったわけですよ。
例えば目の前にすごくおいしそうな
こいつを捕まえたら大量の肉がゲットできるぜみたいなね
そういう動物が現れたときに
今日はちょっと休みだから狩猟はしませんみたいな
そんなことにはならないですよね。
農耕社会だったとしても
例えば田植えをしてその間水管理をして
秋が来たら稲刈りをするみたいな
そういうライフステージがあったとして
それに合わせて管理をしたり田植えをしたり
稲刈りをしなきゃいけないのに
稲刈りの真っ只中で
今日は土曜日だから今日は休みまわすみたいな
そんなことにならないですよね。
ならないと思うんですよ。
だから仕事とプライベートを切り離すっていう考えは
そもそも違うんじゃないかなと
休むべきときには休まなきゃいけないし
暇なときに無理に働いたって
別に何か何かが起こるわけではなく
それで稲の収量が増えたりしないですよね
秋口とか
今更何を頑張ってもそう増えないとは思うんです
雪が降っている冬に一生懸命働いたって
何があるわけでもないと思うんですよ
だから休むときには休む
だけど働かなきゃいけないときには働くっていうね
そういうのが本来あるべき姿なんじゃないかな
っていうふうに思うんですね
休まなきゃいけないときに
例えば子どもが熱を出したとか
そういうときは子どもの看病が大事ですからね
そこは周りの周り近所の人に手伝ってもらって
そっちを優先するべきだとは思いますが
今日は休みだから趣味に没頭しますみたいなのは
そもそも違うんじゃないかなっていうふうに
考えたのが実はこれねスタートだったりしますね
なので昔々はどうだったのかなとかね
結構そういうことを僕は考えるときにね
重要な思考と思ってるんですよね
他にもなんかこう結構ね
腰が痛くなったりすることあるんですけど
靴が悪いのかなとか姿勢が悪いのかなとか
結構思うんですね
ここを正していきたいなって
例えば靴だったら今ランニングシューズとか
特にですけど厚底シューズ流行ってますよね
厚底シューズ
ランナーとかねオリンピック選手とかは
カーボンプレートの入った
高反発のランニングシューズを履いて
素晴らしいタイムを出してるとか
そういうのはあるんで
時代の流れは厚底シューズなんですけども
厚底シューズって昔はなかったじゃないですか
だからこの厚底シューズを履くことによって
もしかしたら弊害が生じてるのかな
っていう風に考えたりもしました
それで先日YouTubeのピボットで
たまたまある動画に出会ったんですけど
厚底シューズのブームとはまた別で
薄底、裸足感覚の
ベアフット双方っていうらしいんですけど
裸足で走ったほうがいいって主張する
学者とか人たちもやっぱり存在するんですね
なぜかっていうと厚底シューズは
脂肪が厚いからクッションに頼ってしまう
だから本来の自分の筋肉を使わなくなってしまう
そのクッションに頼ってしまって
足腰が弱ってしまう
だからだんだん筋肉が衰えてきて
自分の筋肉を使わなくなるようになり
足腰が弱くなって腰が痛くなるとか
っていうことも全然考えられてそうなんですね
本来はそんなクッションがなくて
反発性もなかったから起こり得なかった
すごい負荷が体にかかるから
その負荷に耐えられなくて
っていうこともあるそうなんですよ
だから本来は薄底シューズを履いて
その薄底でも多分最初は腰とか関節とか
足首とか痛くなると思うんですよ
でもそれ痛くなるってことは
痛みと心理的な問題
そもそも本来つけるべき筋肉が付いてないとか
だから痛くなるってことになると思うんで
ちゃんと筋トレをして
ちゃんと正しい姿勢で歩いたり走れるようになったら
そもそも腰痛とか変な体の痛みとかは
なくなるんじゃないかな
そっちの方が人間的には正しい
痛みの軽減の仕方とか回復の仕方なのかな
って思ったりしますね
最速タイムを競うとか
そういう競技であればね
そういうシューズの力を借りて
いい力を出すっていうのは
もちろんやるべきです
他の強豪たちもやってるんで
そこに頼らないともはや戦えないのかもしれませんけど
僕ら別にそんなアスリートじゃないんで
正しい体の使い方ができれば
そっちの方が健康的であれば
その方がいいかなとか思ったりしてます
だから僕はどっちかっていうと
厚底シューズを極力やめて
薄底にシフトしていこうかなって思ったりしてます
結構これに関する
このテーマに関する具体例は
数限りなく出るんですけど
うつ病についても
昔はうつ病なんてなかったって言うんですよね
今だったら上司が嫌で会社に行きたくないとか
会社から近づいてくると
心臓がワクワクで呼吸が荒くなってとか
僕そんな感じだったんですけど
そういうのがあったんですけど
昔はそんなこともなかった
なぜならうつ病の前に
環境に行きたくないっていうね
そういうのってそもそも
トラウマ的なところですけど
例えばすごく童貌な動物
ライオンとか
出くわしたら最後みたいなね
そういう童貌な動物が現れたときに
人間は逃避行動に出るようにできてますよね
だからもしそれに似た動物の影形が見えたときには
ゾッとするというか
怯えてしまうとか
そういう人間の
命をつなぐための
延命的な
そういう反応として
びっくりするとか
恐ろしい気持ちになるとか
ゾクゾクする
背筋が凍るとか
そういうことが起こり得て
それは正しい反応だと思うんですよ
ただ今この現代では
そういうことっていうのはないと思うんですね
逆にそういう人間関係とか
あの上司やだなとか
そういうふうに思ってきたときに
そういう環境に長く
偽らなきゃいけないとか
嫌でもいかなきゃいけないとか
そういうのって
昔はなくて
現代だからこそ起きている
時代なんですよね
だからうつ病っていうのが出てきてしまうとか
だから本来は
そういう自分がトラウマともなるべき状況になったら
すぐ逃げるっていう行動をしなきゃいけないのに
逃げないで
行かなきゃいけないからうつになっちゃうとかね
そういうふうな考察もできるわけです
歴史的な人物と社会
ADHDもそうなんですよね
これも今現代は
日本は横並びの教育をされて
みんなが同じように知識を習得する
みんなが同じように
同じことをできる
日本は昭和から発展してきたわけですよね
軍隊を作るような感じでね
みんなが同じように漢字を読めるとかね
みんなが同じように上位下達で
上がいいってことを下の人が
遂行するとか
っていうので
そういう社会だったから
時間もきっちり守れるようになってるし
忘れ物も少ないとか
ちゃんと言われたことをちゃんとやるっていう
真面目な人間性が確立されてきたわけですけど
でもその中で僕らADHDっていうのは
周りと同じようにできないとか
ミスがやたら出てしまうとか
そういうのがやっぱりうまくできなくて
馴染めないっていうところがあると思うんですが
もっともっと昔をたどっていけば
もしくは違うね
そういう画一的な社会じゃなかったとしたら
僕らのようなすごく
アイデアマンとか
何かに没頭して
常に想像的な
クリエイティビティのあふれる何か作業をしてるとか
美術作品を作ってるとか
そういう人たちってやっぱり
引い出たものを残してきたりするわけですよ
でもそれって
サラリーマンとしては全然生きない
能力だったりするわけですよね
だからここも
本来みんなと同じような社会環境ではなく
ちょっと変わったところじゃないと
自分の能力が生きないんだろうな
っていう風に考えたりしますね
特に時代を動かしてきた
歴史的な人物って
普通じゃないですよね完全に
普通の人はあんなことしないだろうって
織田信長とかね
絶対普通じゃないですよね
イーロンマスクも普通じゃないですよね
人類を火星に生かせようと本気で頑張ってるとかね
これ全然普通の人じゃないですよね
イーロンマスクなんて自分でね
アスペルガーだって公表してますし
もう開き直っちゃって
普通の人間だと思ったのかいいみたいなね
そういうコメントまで出てますよね
そこまで振り切られたら
逆に何も言えなくなっちゃいますけど
やってることもすごいんで
とにかく結論普通の人じゃないっていうね
そこが自他ともに認める
自他ともに認める
すごい人だっていうところですよね
いろんな意味ですごいですよね
ということでちょっと話がだいぶ
まとまりがなくなってきたので
振り返るとおさらいすると
もともと僕が悩んだり
判断に迷ったりするときには
生物学的に人間とはどういうものだったのか
っていうところに立ち返って
いろいろ考えながら
決めるようにしているということを
お話ししました
非常に抽象度が高い話だったので
あんまり参考にならないかもしれませんが
まあそういう考えをしている
変なやつもいるなっていう風にね
捉えてもらえればいいかなという風に思います
はいということで
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とても嬉しいです
よろしくお願いします
ではまた