1. ごりの堂々巡り
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2023-01-22 17:20:00

#16 未来に対しての責任?おなか痛くてツライ日

おなか痛い1日

調理の話からなぜか話がしっちゃかめっちゃかに

発達したのに行動しない怠惰

歴史を知るホモサピエンスだからこそ、見たこともない未来に思いを馳せる

行動する自由、行動しない自由



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毎度おごりです。 絶賛コロナ対応中ではなくて
お腹が痛いというね。 多分胃腸炎だと思います。テンション低いです。お腹痛いですからね。
しょうがないんですけども。 息子が熱を出しまして
コロナとインフルの検査をしたけど、どっちも出ない。 そんな中でね、まぁちょっと吐き気とかね腹痛を訴えたので
どうかなと思ってるんですけど、僕の方がよほどお腹が痛くて調子が悪い。息子は下痢は全然してないのでね。
今後下してくるのかもしれませんけど、そういう体調の悪い1日です。
今日ね何も話すこと考えてないんですけども、まぁちょっとね 体調悪いながらも今日やれることを色々ね家の片付けであったりとか
なんやかんやしてるんですけども。 実はね僕は基本
うちのご飯っていうのは、晩ご飯なんかはね 基本僕が作るんですね。
理由は単純でね、料理をするのが非常に好きで ストレス解消になるんですね。僕は本当にあの
自分の子供の頃の写真をね アルバムなんかひっくり返してみるとまだ3歳になったかどうかぐらいの時に
親も親だと思うんですけども包丁を持たせてるんですね。 僕が子供の当時うちは
鶏ですね。鶏が家にいまして、その鶏にそこら辺で生えてる 雑草を取ってきて食べさせる。
その時にね、その鶏に食べさせるための草を包丁で切ってるわけですよね。 ザクザクと。
自分でも覚えてますよ。そのシーンはね。 波場のね、ギザギザの包丁みたいなパン切り包丁みたいな包丁なので、まあそういう意味ではね
危険度はスパーッといってしまうようなね 危険度は低めの包丁ではあるんですけども、それでよく
雑草を刻んで鶏に揚げてたっていう、そういう記憶があります。そういうことからね本当に こう自然と料理をするというのがね、まあ当たり前の行為になってまして
うち小学生、僕自身がね小学生の時には まあ目玉焼きを自分で作るとか、晩御飯のおかず
冷蔵庫に入っている魚をグリルで焼いて味噌汁を作ったりとか なんか材料と余っているものがあればちょっと一品
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なんか作ってみたりとかね、っていうのをどんどんどんどんやってたわけですよ。 でもう中学生ぐらいになってくると
普通におかずですよね。煮物とかね そういうものもやってましたね。高校生の頃ももう始めてましたね。
大学生になればまあ一人暮らしが始まりましたので、もうここからはもうパラダイスですね。 自分で作りたいものを作る。自分で食べたいものを作る。
そして友達がね 家に来たりとかした時には友達にもご飯を出すし
なんならもう自分で食材とかね 調達して友達の家でも作ったりとかしましたね
大学生になって大阪のね 針球の学校に行ったんですけれども
その時に会議に買い物をしたりね 自分でアルバイトをしてちょこっと買ったものの中で
寸胴鍋をね買ったんですけども、普通大学生寸胴鍋買いませんよね。でもね買いたかったんですよ
まあ友達で、当時その自分が所属していた
クラブですね。まあこれが格闘技のクラブだったんですけども、そこで気の合う連中とね一緒に遊んだりしてる中で
一軒家を借りてる学生がいまして、そこに集まってよくみんなでご飯を食べたんですけども
そこにね 自分が作ったカレーとかシチューとかをね持って行って、もう寸胴鍋をね
当時僕あのちっちゃいねバイクゴリラってね50ccの可愛いバイクがありましたけど、あのゴリラの荷台にね寸胴鍋
くぐりつけて中身入ったまんまね そのまんま持って行って、で向こうでね着いたお家の方で温め直してみんなで食べたりとかっていう
ねえ今思うとなんでそんなことしただろうって思うこともありますけどもね まあ学校にもね
カレー持って行ってそうですね学食でご飯だけ白ご飯だけ 買ってね買ってきてで物質にねカセットコンロ持ち込んでカレー温め直して
食ったりとかっていうね とんでもない変な学生生活送ってますね。とにかく僕の中でそう
料理ってすごい大事な部分でもありまして 自分がとにかくうまいものが食いたいっていうそれだけなんですよ
腹が満たせればいいという部分もあるんですけどもどうせ食べるなら美味しいもの食べたい 不思議でもなんでもないことだと思うんですよ
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自然な欲求だと思うんですね そのためにね人間はいろんな調味料を
発見してね使用してみたり調理方法を編み出してみたりしてるわけですよね なぜね同じ例えば肉を食べるんであっても
生で食べてたと思うんですよ最初はねで火を通す 炙りですかね直火というか炙り焼きみたいなことをしてたと思うんですけども
そこから 調理器具の発達があって煮るとかね
茹でる煮るっていうところも出てきますよね で海の近くに住んでれば海水を使って塩茹でみたいなことねしたかもしれませんよね
まあそうやって人類が自然とね 調理方法を発達させていくっていう方法がなかなか面白いんじゃないかなと僕は感じてるん
ですね 不必要なことなのであれば
未だに人類は肉生で食ったりとかまし上手くらいまでで終わってるんじゃないかなと思うん ですけども
なぜか人類にはその食を豊かにすることが必要だったんだと思うんですね なんでかそういうふうになってしまった
人間の手ってねこうものを握ることができる まあ猿もものを握るわけですけど猿の手っていうのは人間と違って親指が内側に折れ曲がる
あの対立運動言うんですけども親指が内側に折れ曲がってこないようなね 握り方になるのでちょっと不器用なんですよね人間は人差し指
中指と親指ねこう合わせること自分の4本の指と親指をこう合わせることができます けどできない
猿もいるわけですよねそこでこうものを器用に使うっていうところの音差がすごく出 てるわけですけども
まあせっかくね人類がそういうふうに手を器用に使うことができるように発達しているので あればそれを否定する理由はないんじゃないかなって思うんですね
道具を使うということに対しての否定は必要ないんじゃないかなと思います 甘んじて受ける甘んじて受け入れるという感覚をまあ持ってるんですね
他のこともそうですよ 人類まあねホモサピエンスこの親指の動きであったりとか物事の理解であったりとか
っていうところでこう非常にね 独特の文化を形成している生き物だと思うんですけれども
動物の中でね過去を記録して残すというねいわゆる歴史ですよね歴史をこう 帰り見ることができる生き物ってそんなにないというかまあ僕別に生物学
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とか全然詳しくないんであの歴史を紡ぐ生き物が他にいるのかもしれませんけれども 人類ってねその過去をすごくこうしっかり残せる生き物になってますよね
文字とか言葉を使って 過去を残しているで今ね我々がここいるこの現時点で過去を見ると
なんて言うんでしょうね 未来にね何かをしようとして実際それが叶った人もいれば
かなってない人もいるんだと思いますけれどもまあやってた当時 それがこうせこういうふうに変わる大きなことになると想像しながら活動していた
人っていうのがどこまでいるのかなぁとでこれは結局 過去を見ているから未来が予測できるのではないかみたいなね
そういう考えになりたって 行動している結果だと思うんですけどもどうなんでしょうね
僕の単純な考え方なんですけども 人類は過去は知ってるけど未来は何一つ知らないはずなんですよ
今までねそれがなぜかこう自分たちの行いが未来を変えることができるって豊かな 想像を膨らませていろんな行動を起こす
ですけども まあ起こした結果何が起こるかというのも非常に興味はあるんですけども
まあそれは自分が死んでからの話なので自分が生きている間にね その変化を起こる変化を見るということはなかなかないんだと思っています
ここに関してもねちょっと自分の持論があるんですけどもね まあそれはまたねどっかの機会で話せれば面白いかなと思うんですけども
まあ一度もね誰一人として見たことのない未来をすごく真剣に考えてああでもない こうでもないと皆さんで議論してより良い未来のために自分ができること
まあ結局今そのね未来のために活動するというSDGsですか 持続可能な開発目標っていうやつですかね
未来の人類に対してね 追い目を置いたくまの持ちたくないという感覚なのかなとすごくこう未来
未来志向なんて言い方もあるのかもしれませんけどもまあ未来未来誰一人として見た ことのない未来に対しての感覚をすごく持つ
まあこれは結局歴史を残すことができている まあ記録することができている人類だからこそ
その未来というものに対して 今いる人間が影響を及ぼしているに違いないというそういう感覚
だと思うんですけども僕自身はいろんな行動を起こす人たちがありとあらゆる行動を起こす 人たちがいて
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でまあそれがこう残っていく まあそういうムーブが起こっていくっていうところには
本当にその時必要なことしか残らないって思ってるんですよ 自然とそうなってしまう
自分たちが意図していようともいなくとも 必然的にそうなってしまうような感覚なんですね
まあ運命で決まってるって言い方もあるのかもしれませんしも 人によってはこうなんでしょうね神なる力に
導かれたみたいなね 言い方をする場合もあるでしょうしまあこれ神を使うと楽ですよね
神が決めた方向に沿って動いてるんだね まあでもその神がいないと仮定した場合
まあ何なんでしょうね神じゃないね なんでそうなるのまあそこにこう自分たちの意思に人類人類多くの人類の意思が
そちらに向かえば必ず未来が良い方向に向かうんじゃないかっていう すごく良い考え方みたいなのを感じるんですけども多くの人類がより良い方向に
行くために人類は今までいろんなことをしてきているわけですよね まあ今見れば歴史を見ればなんでそんなことするんだっていうふうに思うわけですよね
じゃあ自分たちはその歴史を今まで見てきて じゃあ自分たちの選択肢はもう絶対に過去を勉強してるから間違いないんだっていう風に
捉えるのもどうなんだって思うんですね じゃあそういう活動をすることは全くの無意味かと言ったらそうじゃないんですよ
いろんな人がいろんな考え方を持っていろんなね 信念を持って活動していくそのどれかが未来にを作る
行動になっていくんだと思うんですよね 例えばその大多数の人が過去に
侵略戦争を起こすというところそれが別に悪いことだと思ってない時代があったとして そんな中でそういうことはダメなんだと思う人たちが少なからずいたと思うんですよね
でダメな結果淘汰された考え方思想であったりね行動であったりっていうそういう ものが淘汰されていってその温めていた
本当に少数の人が温めていた考え方を新しくね アップグレードして使っていくそうすることで何とか
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世界がなくならずに人類が何とか滅びずにやっていけているっていう 感覚わかりますかね伝わってますかね
だから自然とそう なるかもしれないしならないかもしれない
大多数の人が考えていたから それが選ばれるというわけでもなくじゃあ
少ない人今現在何かの活動をしてし思想的な活動をしていて まあそれが自分が思っているよりも広がっていない
で意味な意味がないんじゃないかなんかこう 今の活動が意味がないんじゃないかっていうふうに思って諦めてしまう
辞めてしまうっていうのも辞めてしまうのももう自然の流れなんであればまあそこは 否定はしませんし
僕は別に朝礼募会で朝言ってたことが夕方変わってても まあそういうこともあるよねっていうスタンスで見たい
見る必ずそうやって見られるわけではないと自覚はしてるんですけどもできるだけ 人の考え方は変わるっていうことを受け入れたいとずっと考えているわけですね
この考えている思いとかそういうものっていうのがどのようにね 広がっていくのかっていうところ
っていうのでまた次回以降自分の中でね勝手な解釈というかね まあもうここらへんになるとも観測不可能な
スピリチュアルな部分になってしまうのかもしれませんけれども そういうスピリチュアルな部分を否定してみたり否定しなかったりっていうね本当にもう
自分の中でも思考が行ったり来たり これが堂々巡りっていうところにねつながると思うんですけどもね
まあまたちょっと思考がどうやって広がっていくかなっていうふうなところを自分が どう考えているかっていうのはまた次回以降にしゃべってみたいと思います
今日はこれで終わりますありがとうございます
17:20:00

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