1. あのさ、
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#58 気持ちの波がきたときどうしてる?
2026-06-14 47:08

#58 気持ちの波がきたときどうしてる?

index20代前半は人間関係や仕事でメンタルをやられることが多かった / 体にも症状が出る悪循環 / 最近は振れ幅が落ち着いた感じ / 上がっている時はいいけど下がっている時が激しいときついという状況 / 昼間家から出られない時期もあった / 自分の中での意味付けや捉え方が変わった / 自分の中で納得できる範囲が増えてきたような / コントロール外にあることへの対応の仕方の理解 / 家族の問題は自分ではどうしようもない / 自分自身の人生は自分のものであるという気付き / 他の場所での安定した関係性や基盤があることって大事 / ただこれって偶然的な要素が高い気もする / カウンセリングの意味 / 話すことで言語化し、状況を自分自身が整理できるようになった / 状況から抜け出すのではなく、距離を置く / 一人の人には一人分の力がある、という言葉との出会い / 「自分の中に力がある」とざっくり思えること / 「底辺」まで落ちたときの感覚 / 外部をたくさん作る / 友人関係・一人でできること・複数人でできることなどの多様な外部を求めて / 外部としてのゲームやファンタジーの世界 / 手を動かす・体を動かすという形での気持ちとの距離の置き方


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[収録日:2026年4月4日]

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サマリー

このエピソードでは、パーソナリティのむぎほさんとりょうこさんが、感情の波やエネルギーの変動にどう対処しているかについて語り合っています。特に20代前半は人間関係や仕事でメンタルが不安定になり、体調にも影響が出る悪循環に陥ることが多かったと振り返ります。最近は振れ幅が落ち着いてきたものの、落ち込んだ時の影響の大きさを実感しています。 番組では、コントロールできない外部の出来事に対して、自分なりの意味付けや捉え方を見つけることの重要性が語られます。家族の問題のように自分ではどうしようもないことに対して距離を置くことや、自分自身の人生は自分のものであるという気づきが、メンタルの安定に繋がったと話します。また、カウンセリングや文章を書くことなどを通じて、状況を整理し、感情と言葉を切り離す練習をしてきた経験も共有されます。 さらに、精神的な安定のためには、一つのことに依存せず、友人関係、一人でできること、複数人でできることなど、多様な「外部」を持つことが大切だと強調されます。ゲームやファンタジーの世界に没頭すること、編み物や裁縫、料理など手を動かす・体を動かすといった具体的な行動が、強制的に現実から距離を置かせ、精神的な安定に繋がる方法として紹介されています。最終的に、影響は避けられないものとして受け入れつつ、自分自身の内面や外部との関わり方を変えることで、感情の波を乗り越えていくことの重要性が語られました。

感情の波との付き合い方:過去の経験と現在の変化
こんにちは、むぎほです。
りょうこです。
ポッドキャスターのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのままに語っていこうという番組です。
はい。
4月になりました。
ねえ、早っ。
早すぎる。
早いよね。
もう1年の3分の1?
だね。
ねえ。あっという間だ。
あっという間すぎてもう嫌になっちゃうけど。
まあなんか、そうね、とりあえず今日のテーマ入っちゃって、
今日の話すテーマも季節とか時間とかにすごい関わっていることなので、
とりあえず今日のテーマを読みます。
今日のテーマは私がちょい前ぐらいに提案したので、
エネルギーの波とどう付き合っていくかっていうのでちょっと話してみたら面白いなって思ったんだけど、
その背景として、エネルギーの波っていうのはいろんなものからあると思ってて、
それこそ周りの出来事だったり、人間関係とか家庭環境だったり、
あとそれこそ季節的なもの、季節の変わり目とか、
特定の季節にある雰囲気とかそういうものから来る、
そういうメンタル的な影響だったりとか、
そういういろいろなエネルギーの波的なのが来た時に、
どういうふうにそれと向き合っているかとか、
そういうものの自分の受け取り方とかについて、
りょうちゃんと話したら面白いかなと思って提案してみたんだけど、
今めっちゃ二人季節の変わり目だから。
そうそうそう。
なんか、むーちゃんは結構その波がある方?
なんか私は最近は割と落ち着いた方ではあると思うんだけど、
結構前は、それこそ20代前半ぐらいは割とそういう周りの人間関係とか、
あとは何だろう、例えば仕事で起こっていることとか、
今でもちょっとそれはあったりするけど、
そういう人に結構メンタルやられて、
メンタルやられすぎると、今度それが体に支障が出てみたいな感じの流れ、
悪循環的なのが結構あって、それでよく体調崩したりとかもあったんだけど、
今はそこまでひどくはないけど、割と季節とか、
あと仕事のストレスとかプレッシャーみたいなのからの、
なんかちょっとそういうメンタルがきついとか、
そういう波的なのが割とあったりはするかなっていう感じ。
え、りょうちゃんは逆に?
私もほんと多分この1年とかは比較的落ち着いたというか、
その波はあるっちゃあるけど、
触れ幅がそんなに肯定さが激しくないというか、
っていう感じに落ち着いては来ていて、
ただ今後はわかんないけど、とりあえずこの1年はそんな感じな気はしてるけど、
でもそれの前、2、3年ぐらい前がもうガタガタみたいな感じだったし、
結構20歳前後ぐらいの時もガタガタみたいな時期もあって、
なんかやっぱりそのガタガタで上がってる時はいいんだけど、
なんかもう下がりが結構激しいから、
それこそなんかやっぱりむーちゃんが言ってたみたいに体調にも影響が出るし、
なんか21、いや20歳ジャストぐらいだったのかな、なんか結構もうメンタル的にグーって落ち込んで、
なんか家から、その時東京住んでたんだけど、
その時の家からなんかもう出られない、日中出られないみたいな時期とかもあって、
なんか夜中に、なんかちょっと街を徘徊してるみたいな時期があったりもしてたし、
そう、なんかやっぱりその落ち込んだ時に、なんか結構その必死年齢とかが強まっちゃう時とかもあり、
まあでもなんかそこを経て、ここ1年は、まあそれこそ季節の変わり目で、
結構体調的に微妙な感じがあったりはするけど、
まあでもその時みたいな下がり方はしてないなっていう感じがして、
まあその意味では落ち着いてるかなっていう。
なんかその、すごい差が激しかった時期、
なんかその波がすごい高いときと低いときの差がすごいあったときと、
なんかその今、ここ1年はだいぶ触れ幅が落ち着いてるみたいな話だったけど、
なんかそのきっかけとかあったりする?なんか何かが変わったとかでもなく、
なんかそれは年齢的なものなのか、それとも環境的なものなのか、
なんかきっかけがあったりするのかな。
でも多分私の場合は多分環境に左右されてる感じはある、良くも悪くも。
なんか環境とか、その外的な、自分の内的な何かっていうよりかは、
その外的な諸々の変化、良くも悪くもいろんな変化の中で、
その影響を諸々に受けて自分も下がったり上がったり、
こう波が激しいみたいな感じだったかな。
その2,3年前とかもそうだし、20歳ぐらいの時もそうだしっていう。
じゃあなんか今は割とその自分、コントロールってわけではないけど、
自分のその外的なものが割と落ち着いてきたっていう感じ?
それとも自分の中で割とこう…
落ち着いたってかも。
うん。
納得ではないけど、
そういう風に影響される時って、
自分が思っていたものと違う結果だったりとか、
それこそ自分のコントロール外にあることが多いじゃん。
その外のことで起きることって。
それに対しての自分の中での、
私の場合は自分の中でのそれに対しての意味付けだったりとか、
捉え方とか、自分なりの納得の仕方みたいなのが、
あんまり自分の中で確立されてないと、
やっぱりそこのコントロール外にあるものに対しての対応ができなくて、
その外のものから影響されてしまうみたいな感じなのがあって、
年齢とともにやっぱりそれが自分の中で納得できるものの範囲が増えたっていうのもあるのかもしれないけど、
それでちょっとマシになったみたいなのもあるけど、
なんかそのリョウちゃんの中で、
その外的な環境自体が変わったとか落ち着いたのか、
それともリョウちゃんなりの変化で、
そういうものがあまりそこまで影響しない、影響しないというか、
そこまでその肯定酸に影響しなくなったのかとか、
あったりする、そういう変化。
なんか多分ムーちゃんと同じで、
外的ないろんな要因が変わっても、
多分自分の中でのそのうまくその事象に対して意味付けられてなかったりすると、
やっぱり些細な変化でも結構影響を受けちゃうと思うんだけど、
なんか結構特に2,3年とか前は、
家族の問題が結構大きくて、
やっぱり自分のことではないから自分のコントロール外にあって、
そこに影響を受けちゃうみたいなのもあったんだけど、
多分この1年ぐらいはその事象自体は結局変わってはないんだけど、
なんかそこと自分自身との距離感なり、
なんかその関係の仕方みたいなもので、
なんか折り合いがついたみたいな、
だからなんか状況が良くなったとかではないけど、
なんかそのそっちがその外的なこう家族の要因が別にどんどん悪くなっても、
自分自身はそれに対して責任はないし、
なんかそれに、それとその家族のことと自分自身の人生はまた別であるみたいな納得の仕方が多分取れたっていうのが、
多分自分のメンタルの安定に繋がったような気がしていて、
でなんか多分そういうなんだろう、
ある種の割り切りみたいなものが取れたのは、
結構その自分自身のその家族以外の人たちとの関係性が安定してたから、
なんかここがダメでもこっちはまだ大丈夫みたいな安心感がある上での、
そういう自分自身の納得の仕方ができたから、
まあ結果的にこう波が、
肯定さが緩くなっていったっていう感じかな、私の場合は。
なんかすごい話聞いてて、
他の部分での関係性が安定してるとか、
ある程度の基盤があるって結構重要だよね。
なんかそれこそやっぱりその一つだけの世界で何とかしようってなると、
やっぱり自分の思考とか視野も狭くなるし、
なんかそこから抜き出せないみたいな気持ち、
なんかそこから、そうね、なんかそこに閉じ込められてるみたいなので、
なんかすごく引っ張られて、
私は20代前半結構そういう感覚が強くて、
だからなんか、そこから本当にもうずっと抜けられない、
ずっとその波、ずっとその環境のまま動けない、
みたいな感じの気持ちがすごい強かったから、
なんかすごい今話聞いてて、
わかると思った、そこから出て、
それがなくなるわけではないけど、
その環境以外のものとのある程度のこう、
ベースとか関係性とか、
精神の安定を求めることができる場所がある、
みたいなのってすごく重要だなって今話聞いてて思ったし、
なんかそれがそういうふうに、
そういう関係性が構築できたのって、
年齢的なものがあったりするのかな、
年齢とか自分が得てきた、
それこそ20代前半とか、
まだ自分の中でそういう折り合いがつけられてなかった時期の時とは、
それを得たからこそ、
そういうふうにそこから、
その外での関係性を築こうとか、
築けたことができたのか、
それとも逆にただ、
環境的にたまたまそういうふうに、
そういう関係性が築ける機会とか場所にあったことによって、
そういうふうな結果になったっていうのなのか、
なんかその辺はどう?
りょうちゃんの場合どうだったりする?
やっぱり環境的?
たまたまやっぱりそういう機会があったとか、
自分で求めていたわけではない。
例えば、家族なり、
自分が今置かれている、
そういうちょっと難しい環境から出るのって難しいじゃん。
なんかそこからやっぱり、
自分のメンタル的にも、
実際のそういう生活とか現実的にも、
出るってすごい難しいことだし、
そういうところにいるときって、
それ以外の場所で関係を築いたりとか、
そういう場所を求めたりするエネルギーさえもなかったりする場合とかもあるから、
だから、なんかその関係性を築くっていうのも、
たまたま本当にそういう、
誰かに出会えたとか、
そういう場所に出会えたとか、
っていう偶然性的なものがあったりもするし、
あとはわかんないけど、
例えばそういう、
それが人とか環境ではなくても、
安定した関係性と外部の重要性
例えば読んだ本とか、
何かある程度そういう、
自分が出会ったものがきっかけになって、
あったりするみたいなのじゃない限り、
私の場合は難しかったなって、
私は割と偶然的なものに救われてきた感じはあって、
なんかそういう、
自分が辛いと思っていた環境にいたときは、
なかなか自分から、
そういう外への何かを求めることはあんまりできなかったから、
りょうちゃんの場合は、
どういう流れっていうか、
あれだったの、きっかけがあったりしたのかなとか。
でもなんか私も偶然あるし、
自分が抜け出せないとか、
自分が結構困難な状況に陥ってるときって、
なんかそのこと自体を話すのもさ、難しかったりするというか、
話すのがというか、
誰に話していいのかわからないみたいな状況とかってあったりすると思っていて、
特になんか、
私の場合は家族だったりもしたから、
なんかやっぱりその家族のいろんな話って、
誰に対してしていいのかみたいなのって、
結構いろいろ難しい部分があると思うんだけど、
結果的には私は相性の問題もあって続かなかったんだけど、
なんか一時期カウンセリングにも行ってて、
専門、そういう話を聞くことを専門としていて、
自分が何を話しても驚かないし、変な同情もしないし、
現実の状況を分析するための手助けをしてくれる場として使っていて、
自分自身がその人に話すことで言語化して、
少しずつその状況を自分自身が整理するみたいなのもそうだし、
自分自身が自然と思い込んでいたこととか、
こうしなきゃいけないとか、
こう思わなきゃいけないみたいなことに対して、
なぜっていう問いを挟んでくれる存在みたいなのが、
なんかそのカウンセラーさんであって、
なんかそのことによって自分も少し状況が、
いろいろ混沌としていたものがちょっとさっぱりしてきた、
見える景色がみたいなのも一つあったかなと思うし、
その後に自分で文章を書いたりとかして、
自分の中でその出来事なり状況なりと向き合う練習をしたみたいなのもあって、
なんか少しずつ、
実際その中にいるとか状況から抜け出すみたいなまでは至らなくても、
そのメンタルの面で少し距離を取るみたいなことが、
なんかできるようになってきたかなっていう感じもあるかな。
でもまあ多分、今考えればそうなだけであって、
多分いろんな偶然の機会なり、
友達とかに恵まれていたっていうのも本当偶然みたいな部分もあるし、
そうそうそう。
なんかすごい偶然が重なって、
私もなんかそういう感じだから、
何かをしたら、こういう時はこうすればいいよとか、
もちろんその実際にすごく精神的に危ない時とかは、
もちろんそういう専門の助けを求めることは必要だと思うけど、
なんかそれ以外のそういう漠然とした、
まあそれこそ不安とかそういう状況とかって、
なかなか難しい、これがこうやったら良くなるよみたいなのって、
なかなかこうすごいケースバイケースだったりするなっていうのはあるし、
それこそ私たちお互い話したように、
割とそういうたまたまこういう人に出会えたとか、
たまたまそういう良い友人たちに恵まれていたとかっていうのって、
人によってはもちろんそういう偶然があるってわけでもないし、
人によっては、そういうものと出会う機会とかも、
その人の環境とかによって違ってくるから、
本当にその人それぞれみたいなところになっちゃうから、
それもやっぱりすごく難しい、
全部の人にこれをこうすればいいよっていう道がないのって、
なかなかテーマとしてすごく難しかったり、話したりするの難しかったりするけど、
なんかそういう、私たち共通してるのは、
お互いそれぞれがその環境が変わるとか、
それがもう本当に全部なくなって、問題解決しましたっていうことがあったわけではないけども、
自分の中での変化によって、やっぱりそういうものへの距離感なり、
捉え方なりが変わっていったことによって、
そういうエネルギーの波の変化、
それこそリョウちゃん最初言ったみたいに、
触れ幅っていうのが割と落ち着いたっていうのはすごいあって、
なんかすごく難しいっちゃ難しいけど、
でも同時に自分の中の変化で何かを変えることができるっていうのは、
すごく怒っていることって、ほぼ自分の外で怒っていることで、
コントロール外にあるものがほとんどだから、
そういうものに対して何とかするってなるとやっぱりなかなか難しいし、
自分の思った通りにいかないっていうことがほとんどだと思うけど、
自分の中での変化って自分である程度コントロールできることもあったりするから、
それがまずそもそも存在しているっていうことを知ること自体が一歩になる。
その人なりのそういう、
その変化、自分の中での変化がどういうものかは人それぞれかもしれないけど、
自分の中のことだったら、何とかして動かす、
何かしらの今とは違う方向へ動かすことは可能ではあるっていうことを、
やっぱり知るっていうこと自体が重要だったりするかなっていうのは、
私たちの話をしてても、りょうちゃんの話を聞いてても思うし、
それがどういう変化とか、行動につながっていくかはその人それぞれかもしれないけど、
結構今のむーちゃんの話聞きながら思い出したんだけど、
なんかこないださ、上本一子さんって、
日記とか、写真家?
そうそう、写真家だよね。写真家でありつつ、
文筆活動もしてる人の、
なんかインスタのストーリーとかだったかなと思うんだけど、
亡くなった元パートナーの人が昔言ってたことで、
ちょっと厳密には覚えてないんだけど、
今政治の文脈とか、いろんな社会の動きとかの文脈の中で、
自分一人でできることがないとか、自分がいかに無力かみたいな、
私も割と思いがちだし、なんか結構言説としてもたくさんあって、
でもなんか上本さんのパートナーの方が言ってたのが、
みんな無力だと思いたがりすぎているみたいな、
一人一人、一人の人には一人分の力があるっていうのを言っていたらしくて、
確かになと思って、自分一人でできることもあんまりないけど、
一人の人間には一人の人間の分だけの力がある、
二人分の力はないけど、みたいなことは、
なんか結構いろんな文脈において言えることだなと、
なんか読みながら思って、
今のムーちゃんが話してくれた内容とか、
でもなんかその自分一人で、
いろんなこうストレスの源みたいなものに対処することはできない、
っていう風に思うこともあるけど、
その自分自身の認識を変えるとか、すぐにその過虫から抜け出すことはできなくても、
それに対する自分の認識を変えることで、
ちょっとそのメンタルの落ち込みをマシにする、
なくすことはできないけど、マシにするみたいなことは、
もしかしたらできるかもしれないし、
そういうことができるだけの力は、自分自身の中にも備わっているって思うのは、
結構重要かもと思った。
そうね、確かに。
なんかその一人分の力は、自分自身向けることができるから、
なんかやっぱりその力を、そういう形で使っていけるのってすごい重要だし、
なんかその、この文脈でいくとさ、
なんか若干こう、すごいめっちゃポジティブシンキング的な感じ?
なんか思考をちょっと変えて、みたいな感じになりそうなんだけどね、
怖いんだけど、なんか私たちが言ってるのって、
割とこう、ネガティブなりの自分の中での捉え直しというか、
すごいニュアンスがあって、説明するのめっちゃ難しいんだけど、
例えばそういう自分が辛いとか、今ちょっと苦しいみたいな状況にあるときに、
なんかそれを無しにするわけではなくて、
やっぱりそれはそこにあって、それに対して対処法とか、
それをどうしようか、みたいなことに悩むことも多分必要だったりはするんだけど、
でも結局は、今リョウちゃん言ったみたいに、
その一人分以上のものを変えることって、やっぱりその力的に不可能だし、
そうだった場合に、それ無理だから諦めちゃう。
ではなくて、やっぱり今ある一人分の力っていうものを、
どういうふうに自分の中で分配できるか、みたいなのを考え直すみたいな感じ?感覚?
今の話聞いてて、私たちの話っていうのは。
それを、例えば苦しいことないものにするのではなくて、
やっぱり自分の中で、そのことについて考え、そのことについて苦しみ、
本当にもう、どうしようもないよ、みたいな感じになって、
それでもやっぱり自分の中にはまだ何かしらの力があるっていうのを、
フワッとなり中傷的でも、それを実感として思う。
そういうのが、一番結構重要だったりするのかなって思ったりして、
それこそメソッド的な感じで、これをこういうふうにポジティブに変換すれば、
気持ちも上がって、認識が良くなるから、できることが、行動が変わってくるとか、
そういう実際のポジティブシンキング的な方向性の中でも、
もちろん意味のあるそういう考え方とか、実際に実践して、
それが効果のある人たちも多分いるとは思うんだけど、
でも私が話してる、りょうちゃんも多分似てると思うけど、
ただ自分の中にあるそういう力を、まずは信じてみる。
それで何かをするとか、こういう行動をするとか、何かにすぐつなげるとかでもなくて、
ただなんか自分の中にはそういう力があって、
まあなんとかなる、ある程度こうなんとかなるっていうふうに、
なぎありではないけど、なんかざっくり思えるみたいなのがすごい重要なのかなと思ったりもして、
そういうの苦しい時って、何をこうしたら良くなるかとか、何をこうしたらこれがマシになるかとか、
結構細かいこととか、何かそういう、何かこう割と現実的すぎたりすることとかにもすごい考えが、視野が狭くなっちゃったりしてる場合とかもあるから、
何かそういうところから抜け出す面でも、何かほんとざっくり自分のそういう中にある何かを信じるみたいな、
すごいめっちゃふわっとした話なんだけど、っていうのがすごい重要だったりするのかなと思ったりも、
なんか話、りょうちゃんの今話したの聞いたりもした思ったし、
ねえ、なんか、
そう、だからなんか、うちら多分普通2人ともさ、根本的に全くポジティブではないじゃん、
何か割とネガティブよりっていうか、何か1回こうガクッと落ち込むと、何か螺旋階段を下るかのようにグングングングン、
いろんなことを考えすぎたりして、何かどんどん悪い方向に行っちゃうんだけど、
何かだからこそのみたいな、もう行き着くとこまで行き着いたみたいな感覚。
そうそうそうそう、ほんとそれかも。
何かもう、底辺までガクッと行っての、何かもう諦めというか、何かもう仕方ないみたいな、
諦めもありの、まあポジティブなのか、そういうまあ、自分に自分を変えられる、もうかすかな力はあるみたいな境地だと思っていて。
確かに。
何かでもたまに思うのは、何かそのすごい落ちてる時とかに、
本当にすごい気持ちが落ち込んでる時とか、まあそういうのをぐるぐるぐるぐる考えてる時とかって、
自分の中でこうしがみついてる感覚があったりもして、何かそういうね、ネガティブとか言われる感じのそういう落ち込んでいく考えとか、
まあそのたまたまの状況の捉え方とかに、何かすごくそういうもの、まあその考え自体とか、そういう感情、感覚自体に自分がすごくしがみついてる感じがあったりもして、
何かそういうのを手放せた時に、何かその別にポジティブな気持ちになるわけでもなく、でも何かそのめっちゃネガティブになっていくっていうのもなく、何か本当にまあ、
無ではないけど、何かすごいこう、何か本当にこう平らな感じな感じはあって、
だから何かそこに何かすごく、これから前向きに生きていくぞみたいなエネルギーが別にあるわけでもないんだけど、
何か本当にかすかに、そのりょうちゃんがさっき言ってみた、本当にかすかな希望じゃないけど、何か本当に何かちょっとだけ自分を信じる、
何か自分の力を信じてみるみたいな、まあ希望的なものはすごい、何かすごい今りょうちゃんの話聞いてて分かるなって思ったし、
そういうものに、何か別にそれになること自体がいいっていうわけでもないけど、何かそういう状況になってしまった以上には、
やっぱりそこからこう、まあもちろん状況的には、こう足掻いて、こう何とか出なきゃみたいな時もあるかもしれないけど、
何かそうじゃない時とかは、何かある程度そういうもの自体も、何かそういう自分を、まあそういうことを知っていくとか、
何か自分がどういうものに対してこう、そういう感情を抱えてるかとか、何かすごい自分の中でのいろいろなプロセス、
いろいろなものをプロセスしているみたいな感じは、すごい実感としてあって、だから必ずしも別に、その感情自体がいい、その経験自体がいいわけではないけど、
何かそういう状況になってしまった以上に、何かそういうのは、まあ何かそれを、自体を何かやっぱりこう、まあ受け入れていくみたいなのも、
まあちょっとあったりするのかなとは思って、でも何かそれって今だから、それを抜けてある程度そういう波が落ち着いたから言えることであって、
何かその実際に自分が勝ちにいる時に何かそういう風に考えられるとは思えないんだけど、
でも何かその底辺に行った時の何かその諦め的な、何か手放し的なのはすごい分かるなと思ったし、
そうだね。
何か実際にそこに行ってみないと分からないこともあったりするのかなとか思ってましたけど。
具体的な対処法:外部を増やし、手を動かす
そう結構このテーマをその考えてた時、その収録をする前に考えてた時も思ってたんだけど、
何かそのまあ今の話でもその自分の認識とか自分自身をちょっとだけ変えるみたいな力は自分にもあるけど、
でも何かそれを知っていたとて、例えばやっぱそのカチューにある時って、よし変えるぞって言って変わるものでもないじゃん。
何かいきなりストレスフルな毎日から、ああ何かもう今日からマシになったっていう風になるわけでもないから、
何かもうちょっと何かその具体的なものとして何か自分が結構大事だったかもみたいに思ってるのが、何かたくさん外部を作っておく。
やっぱりその自分が一番ストレスを受けている、別に私の場合は家族だったけど、別に家族だけじゃなくて職場とか仕事の内容とかでもそうだし、
例えば友人関係とかでもそうだろうし、もっとまた別のこういろんなストレスを抱えている対象を、
もしその自分が一番こうストレスを受けているってことは影響も受けていて、それだけやっぱ距離が近いっていうことだから、
それを内部とするなら、何かたくさんそこから抜け出すための外部をいっぱい作っておく。
一個だけじゃなくて、っていうのが何か結構大事だったのかもと思ってて、
まあ何かその一つで何か私の場合は、例えば友達関係が安定してたとかっていうのも一つあるだろうし、
もうちょっとすごい小さいことで言ったら、
なんか結構一人でカフェ行くのが好きだとか、本屋さん行くのが好きだとか、結構知ってる街知らない街いろいろ散歩するのが好きとか、
なんか結構自分がそういう落ち込んだ時にするとか、落ち込んでなくてもするのが好きっていう、
いろんな行動パターンみたいなのがあって、
何かそういう何か一人でできること、複数人でできることっていうのも含めて、
何かたくさんのその外部を作っておくっていうのが、
何か自分にとってはその内部から具体的にちょっと距離を取るとか、抜け出すみたいなののために重要だったかなと思っていて、
で、何か多分一番重要なのはその外部を一個にしないことだと思ってて、
外部を一個にしちゃうと何かそれが内部になっちゃうというか、
それがまたストレスを受ける大きい、自分にとっての大きい存在になってしまう可能性もあるから、
何かそれこそ自分のストレスを分配するじゃないけど、
たくさん外部を作っておくことで、一個がダメでもじゃあ次、じゃあ次みたいな感じで、
何かちょっとずつその自分が移動できる外部を増やしておくっていうのが、
何か割といいんじゃないかと思っている。
うーん、何かめっちゃいいアドバイスだ、それ。
何かそうね、一個にしないの重要だよね。
結局その外部だったはずの一個がダメになってしまうと、
また結局それが多分やっぱりダメになっちゃうんで、結局その一つしかないから、
やっぱりそこにエネルギー的にも依存してしまったりとかもするだろうし、
だからいっぱいあるのは重要だよね。
何か本当に趣味でもいいし、些細なことでもいいし。
だから何か結局外部が対人間、友達とか、
何か相手がいる外部だった場合に、それが端数だった時って、
やっぱり自分が別の場所で受けたストレスをそこで全て発散しちゃうと、
やっぱりそれって暴力的な行為になっちゃうし、
その相手にとって自分がその相手のストレスの源みたいにもなっちゃうから、
とりわけやっぱり相手がいる外部の場合には、
数が多いだけいいと思っている。
そうだね、確かに。
そうね、何かそのコミュニティとかもさ、
何かいろいろこう人間関係のいざこざとか、
何かそういうコミュニティなりのいろいろって、
人間が関わってる時点でたくさんあると思うし、
別にそれがオンラインでも対面でも同じだと思うんだけど、
何かその一人でできることがあるっていうのも結構重要だったりするなって今話聞いてて思ったし、
私が最近それになりつつあるのが何かゲーム。
めっちゃいろんなゲームを試していて、
何か今までは割とこう、自分の中ではこう、
まあ趣味としてのゲームみたいな感じで見てたんだけど、
何か今は割とそういう、何かストーリー性のあるゲームとかをやったりもしてて、
何かそういうのを通して、何か本当に自分の中で、
何かそれこそ今、例えば仕事がストレスだったりすると、
何かそれについて考えなくていい時間みたいな感じの対象として、
やっぱりゲームをするのが結構自分の中でいいストレスの分配先となってるから、
いいなーっていうのはすごいあって、
だから何かね、人と関わったりする、
まあそういういろんな、自分が普段接している分野とか、
世界とは違う人たちと接するとかもすごい重要だし、
いいそういう、何ていうのかな、
まあその今自分がストレスを受けているところから抜き出すっていう面では、
いろんな人の考え聞いたりとか、
いろんなものに出会うきっかけとしていいっていうのもあるけど、
何かその、そういう例えば時間が作れないとか、
そういう場所に行けないっていう場合には、
何かそういう一人で、一人だけど何か誰かとやったりとかっていうのも、
その半バーチャル的な感じでの、
そういう人間関係的な感じでオンラインプレイしたりとか、
っていうので、何かゲームとかもそういう形で、
いいひとつの、何かそういうものになるのかなと思ったりもしてて、
まあそれこそ読書だったりとか散歩だったりとか、
網物とか。
そう、だから何か結構私もさっき色々自分の場合なんだろうという風に抜き出していたんだけど、
何か多分もともと一人行動大好き人間だからっていうのもあって、
やっぱ一人で完結するものがすごい多くて、
でも何かやっぱりその落ち込み方とか、
その状況状況で、
一人でいた方が何かすごい癒される場合もあれば、
逆に何か誰かといることによってちょっと安心感があるみたいな場合もあるから、
本当ケースバイケースだから、
いろんな本当一人でできることも複数人でできることも、
色々用意しておくっていうのがいいんだろうなと思って。
そう、で何かまあゲームもいいし、
何か私は結構漫画で特にファンタジー要素の強い、
結構こう実際のこの現実社会と接点を持たなそうなくらい、
ゴリゴリのファンタジーの漫画を読むっていうのも、
さっきムーちゃんが言ってたみたいに、
結構ゲームのその世界観に没頭して、
自分の悩みを考えなくて済むっていうのと全く同じで、
その漫画の中の世界を考えてるから、
現実のことをちょっと考えるのをやめられているっていうのもあるし、
そうあと2月ぐらいから編み物を始めたから、
編み物も良かった、良かったっていうかまだそんなに編めるものも多くないし、
なんか編み図とかもざっくりとしかわかんないんだけど、
何かやってる時のあの目の前のことにだけ集中して、
ちょっと無心になってやっちゃう感じが、
本当になんかやっぱりこう落ち込むとやっぱり、
自分で歯止めが効かないほど考えすぎちゃうっていうのがあると思うから、
その強制的に考えるのをやめさせることとして、
なんか編み物めっちゃいいかもって思った。
集中せざるを得ないもんね、ちゃんと目の前の数えないと。
数とか数えながら。
なんかそのぼーっとしててミスったりしたらまたやり直しだからさ、
結局ある程度の集中力が求められるか確かに。
編み物とかいいよね。
私もなんか最近は裁縫をまたやってるけど、
ミッキーとか危ないじゃんそもそも。
危ない危ない。
家庭科の授業で手縫ったことあるからミシンで。
言ってたよね前。
本当マジで今ミシン触るときは超危ないから集中みたいな。
それこそ包丁使うときみたいな。
それこそ料理とかも一緒だけど、危ない結局。
ちょっとミスったりすると、
火傷するとか手切るとかっていう結果がついてくるから、
ある程度危機感のある集中みたいな感じで。
ミシンとか触るときとかは結構集中してるから、
あんまりそれ以外のこと考えないで済むみたいな感じで、
良かったりもするし。
手を動かすとか体を動かすもので、
自分が思っている以上に結構自分の精神にも影響あったりするなっていうのはすごい。
そうだね。
やってみないと分かんないけど、
やるまでは結構自分のイメージとか想像であれなんだけど、
実際にやると本当にもうその状況とか環境に集中せざるを得ないから、
本当に強制的に自分の頭の中からその他のことがシャットアウトされやすいみたいなのがすごい良いよね。
そうだから結構運動にハマる人とかもそう言わない?
やっぱり無心になって、体を動かすとやっぱり体の調子も良くなったりするから。
だからもうそれによってだんだん逆というか、
メンタルが悪くなって体の調子も悪くなるっていうのはたくさんあるけど、
逆に体を先にアプローチして、体の調子を良くすることによって、
メンタルの調子も整えるみたいな。
すごいあるかも。
結構いるよね。
そう、だからなんか、私は運動ではないけど、
そういう運動の面でそういうことを言う人の気持ちもすごいわかるなと思った。
それこそそういう運動してる時とか、多分自分の体とかに集中してるし、
自分のそういうリズムとか、それこそ今苦しいとか、
苦しいとか走ってて苦しくて、他のこと考えるとかないじゃん。
だから私はあんまり運動しないからあれだけど、
でも多分そういう運動とかがそういう、
ストレスフリーな状況になる環境にするためにやってる人って、
そういうふうに自分の体の状態とかにすごい集中したりとかもして、
そういう外のものをシャットアウトしてるのかなっていうのを、
私は裁縫だけど、りょうちゃんは編み物で、それぞれの形で。
動かすの大事っていうのはすごいフィジカルな面から重要だなって、
そう思うよね。
そうそう。だからなんか結局多分私たちも今落ち着いてるけど、
本当に何からの影響も受けず、
常に薙の状態でいるっていうのは無理じゃん。
あらゆることに影響を受けるというか、
人間関係もそうだし、こういう季節の変わり目もそうだし、
いろんな日々のちょっとしたことでも本当にもろ影響を受けてるから、
その度に自分の体なり感情なりが動いて、
何らかの形で影響を受けて、
場合によってはそれがすごく落ち込む原因になったりっていう、
のはもうどんだけこう対策をしようとしても絶対受けるから無理っていう。
なんかその無理ってもうそれこそ諦めた状態で、
じゃあなんかそうなった時に自分が必要以上に落ち込まないようにというか、
本当にぐんぐんぐんぐん下がっていって、
日常生活もままならないみたいな状況にならないようにするために、
こういろんなこうなんだろう、
今日話してきたみたいな認識の仕方っていうのも一つそうだし、
もうちょっと具体的な行動として、
外貌をたくさん増やす。
自分の好きなこととか、
もっと集中できることを増やしておくっていうのは、
なんかめっちゃもうそうするしかないからっていうか、
もう影響は受けてしまうから、
だからもうたくさん外貌を作っておこうっていう感じかな。
ね、感じかな。
今日はそんな感じ。
結論、外貌をたくさん作ろう。
そう。
なんか、いろんな人のそういう外部のあり方とかも聞いてみたいよね。
やっぱりどういう、それが趣味だったりとかもするし、
場所だったりとかもするし、
みんなそれぞれのそういう外部の形があると思うから、
なんかそういうの聞いてみたりするのも面白いかもって思った。
お便りで募集してみてもいいかも。
これ外部、自分なりの外部のあり方教えてくださいみたいな感じ。
聞きたいです。
ぜひ。
っていう感じで、今日は終わり。
終わります。
終わります。
じゃあまた次回。
また次回。
ばいばーい。
47:08

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