1. あのさ、
  2. #53 人と共に生きることの難しさ
2026-03-01 1:00:24

#53 人と共に生きることの難しさ

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いつの間にか2月/1日一言日記/ちゃんと1ヶ月生きた/記録が形として残る意義/自作のトラベラーズノート/ショッキングな発言/「面倒くさい人」「無理かもしれない人」とどう関わるか/関係を切ることは必ずしも正解とは言えない/良し悪しではなく相性の問題/自他境界線を引く/ボーダーを超えてくる人/自他の境界が薄い/言葉が通じていない/人より距離を必要とするタイプかも/冷たいと思われた経験/ケアの手厚さと距離感/関係性によって許容できる距離感は変わる/歩み寄りは相互的であるべき/距離感を縮める速度/社会的には「誰とでも仲良く」が理想とされがち/距離感の表明が尊重されてほしい/バウンダリー(境界線)の概念が浸透していない?/育った環境によって境界感覚は異なる/関わるか断つか以外の仕方で関係を模索中/折り合いのつく距離感を探したい


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[収録日:2026年2月2日]

サマリー

このエピソードでは、パーソナリティのりょうこさんとむぎほさんが、人間関係における距離感の難しさについて深く掘り下げています。まず、1月があっという間に過ぎたことに触れ、日々の出来事を記録するトラベラーズノートの活用について語り合います。その後、本題である「面倒くさい人」や「無理かもしれない人」との関わり方について議論が展開されます。りょうこさんは、これまでの関係を切るというスタンスから、断ち切れない関係での適切な距離感の模索へと移行した経験を語ります。一方、むぎほさんは、自身の中で早い段階で「適当に付き合う人グループ」を設定し、必要最低限の関わりに留めることで距離を保ってきたと話します。しかし、自身の境界線を越えてくる相手との関わり方や、相手の境界感覚の違いに直面した経験から、従来のやり方だけでは対応できないケースがあることを共有します。特に、自他の境界線が曖昧な人や、言葉が通じにくい人とのコミュニケーションの難しさ、そして育った環境によって境界感覚が異なることなどが話題に上ります。最終的に、関係性によって許容できる距離感が異なること、歩み寄りは相互的であるべきこと、そして「誰とでも仲良く」という社会的な理想と、個々の相性や境界線の尊重の必要性について考察し、折り合いのつく距離感を探求していくことの重要性を語り合っています。

00:09
こんばんは、りょうこです。
むぎほです。
ポッドキャスターのさは、日常の些細なことから社会のこと、 自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話をそのまま語っていこうという番組です。
はい。
はーい。
今日も。
始まりました。
へー。
ちょっと久しぶりだけどさ。
そうだね。
どうですか?むーちゃんは最近。
あっという間の1月と手帳の活用
えーっとね、もう2月、もう2月っていうことに、昨日ショックを受けて。
あれ?みたいな感じで、気づいたら1月が終わっていたっていう、
ショックをまだ昨日から引きずってて、
多分そんなことしてるうちに、2月も終わってしまうんじゃないかっていう。
で、そうね、うん。
まあぼちぼち1月は。
1月何して過ごしたんだろう。
なんか気づいたら終わってたなっていう。
なんかつい最近まで1月の頭で、
あーなんか今年これやろうとかいろいろ考えてたのに、
なんか気づいたら1月31で2月になって、
えーみたいな感じだった。
そう。えーりょうちゃんは。
早かったねー。
なんか私も未だにさ、年末年始みたいな気分が抜け入れずにいて、
なんか年変わったなーみたいな気持ちがまだあって、
でもなんかもう1ヶ月過ぎちゃって、
でなんか2月もさ早いじゃん終わるのが。
うんそうだね短い。
ね、だからなんか31日まであってもあっという間だからさ、
確かに。
28までとかほんと一瞬で終わるなって思ってるけど。
ねー。
そうでもなんか前話したけど、
あの今年からこう新しい手帳の使い方をしていて、
でなんか新しく使ってるその手帳用のノートに、
その1年分の1日一言ぐらい、
ほんとちっちゃいスペースがある、
一言日記が書けそうなくらいのスペースがあるページがあって、
そこになんかまあ毎日忘れずに書いてるわけじゃなくて、
前日書き忘れたら次の日にまとめて書くとかは全然あるんだけど、
でも今のところ1月全部のこのマス目が埋まった感じになって、
えーすごい。
そう、なんかそんなに文章書かなくてもいいし、
ほんとに一言1分ぐらいで書けることを書くっていう風にしていて、
だからなんか1月あっという間に終わったといえば終わったけど、
なんかこう見返してみると、
なんか意外と1日1日いろいろ考えてきたこととか、
まあその場その場でちょっとなんかまあ大変だった時期もあったから、
なんかそういうのを回想して、
なんかちゃんと1ヶ月過ごしたんだなみたいなものが可視化されてて、
なんか自分でやったことだけど、
なんかあんまりそういう1ヶ月ちゃんと生きたみたいな感覚って、
あんまり自分に対して抱いてこなかったから、
なんかそのものとしてバーってこう見れると、
おーっていうなんかちょっと自分でやったことなのに、
ちょっと感動するみたいなのがあって、
できれば1年続けていきたいなって思ってる。
いいね、なんか目に見えるの大事だよね。
そう。
わーって自分の頭の中ではなんとなく覚えててもさ、
まあ1ヶ月も経ったら多分記憶だって薄れていくし、
その時のその瞬間はちゃんとそれをやっていたんだけど、
それを思い出すってなるとなかなかね難しいから、
そうやって書かれてるのを見るのいいかも。
なんかいいね、1つの場所にあるの。
なんか私今なんか全部バラバラかも。
静かなインターネットにちょこちょこ書いたりとか、
あと手帳にまあちょこちょこ書いたりとか、
あとiPhoneのメモになんか日記フォルダみたいのを今年作って、
なんかそこにもこうちょこちょこ書いたりして、
違うところに一口サイズのものがいっぱい散らばってる感じがして、
なんかそれをかき集めてこなきゃみたいな感じだから、
そう1箇所にこう全部がね、
まあその短いそういうのが集まってるのいいかも。
そうそうそう、なんか私もずっといろんな複数の場所にいろいろ書いて、
しかも別に毎日書いてるわけじゃないっていう感じで置いてある状態だったんだけど長年。
それをなんか今年はその一冊の、
まあなんか別のもうちょっとページがちゃんと真っ白であるところに長い文章書いたりもするんだけど、
なんか一言だけは絶対1日1回書くみたいにして、
なんかそれ以外の大きいページは書く日もあれば書かない日もあるっていう感じなんだけど、
なんか一言だけは続けるっていう感じにしてて、
なんか見てほしいパッと。
え、見たい。
なんかここが1月の欄なんだけど、
こっちが2月。
こういう月ごと。
そうそうそうそう。
いいね。
でもなんかこうずっと書いてってて、
なんか一行っていうの?この1月の列が全部こう埋まると、
なんかちょっと達成感があると思って。
確かに。
しかもそれをこう1年で見られるのいいね、1年。
そうそうそう、こういうふうに見開きで、
見開き1ページで半年分。
半年、うん、6ヶ月。
6ヶ月。
だからもう次のページ見開き分で1年っていう感じ、そう。
え、いいね、なんかエクセルのマスみたいな、あの行と列とか。
そうそうそうそう、そんな感じ。
いいね、なんかそういう携帯の見たことないかも、ざっと見られるみたいのはあるけど、
なんか一言入るまでのこう欄のサイズみたいのはなんかいいね。
そうね、なんかそうそう、こういう1日単位のページもあれば、
1月ごとの枠のページもあって、
そう、なんかいい感じかなと思って、
とりあえず1ヶ月の使ってみた使い心地的には。
ね、いいね、私もやってみようかな。
なんかほんと短いのいいよね。
続けるのをまず一番目的にして、
こう1日ほんとにちょっと、ちょこっとでも何か書ければ。
そう、なんかポッドキャストを続けてさ、
なんか別に大したこと話してないんだけど、
なんかとりあえず各週でアップロードしてっていうのを続けたっていう、
なんかその自分たちが続けてこれたみたいな、
ちゃんとものとして残るっていうのが、
なんか結構達成感があったなと思って、
まあそれの個人レベルに落として、
なんか1日1日ちゃんとなんか別にどうでもいい日もあるけど、
とりあえずちゃんと1日1日生きてきたぞみたいな形跡が残るっていうのは、
結構いいことだなと思っている。
目標はあとは続ける1年間。
いいね、私もやってみようかな。
私もなんかこの間言ってた手帳をね。
あーなんかトラベラーズノートの。
そうそう、こんな感じで、ちょっと緑っぽいんだけど。
すごい、それ外側手作りってことだよね。
そうそう、なんか皮切っただけだけど、
切って穴開けてここにゴムのゴムひも通してみたいな感じなんだけど、
で中にMDノートの3冊っていうか、
この文庫本のやつもともとあったやつが真ん中にゴムで挟まってて、
でMDノートからこう薄めのが出ててすごい、
こういうこれぐらいの厚さのやつが束になってるのが結構、
そういろんな文字とかマス目のが出てるから、
それを1冊ずつこのなんかもともとあったMDノートのこの文庫本カバーを、
なんかそのカバーの支えみたいな感じにして、そこに片側に挟んでみたいな。
だから合計3つのノートがこう合わさってるっていう感じ。
すごい厚さ。
でもそんな厚くないのかな、文庫本のなんかちょっと厚めの文庫本的な感じ。
でもこんな感じで今使ってて。
薄い方のMDノートになんか1冊は記録系。
なんか本読んだりとか映画見たのを記録するよう。
もう一つを何にしようかなみたいな感じで考えてたから、
そこにこう一言日記とかみたいな感じでやったらいいかもと思った。
なんか薄いしすぐ埋まりそう。
ノートがいっぱいページ数あると埋めなきゃみたいな結構プレッシャー感じちゃうんだよね。
だから本当にもともとが薄くてページ数があんまないと、
それだけでもだいぶ埋まってきたみたいな感覚があって、
やる気が出そうかなと思って。
やってみようかなりおちゃんが。
ぜひぜひ。
雑談はこんな感じで。
でもいいね。ありがとうシェアしてくれて。
いいね。ちょうど1月終わったから。
ちょうどだね。また2月。
「無理かもしれない人」との関わり方
一応なんか今日のテーマに移ると、
一応私が出したみたいな感じになるのか。
なんかまあ提案というか、別に今日じゃなくて、
別のタイミングでむーちゃんと話した時に、
ちょっとなんか詳しくはめっちゃ個人情報を含むから言えないんだけれども、
なんかちょっとまあ身近なところで割とショッキングな発言があって、
その人とどう付き合ったらいいかなみたいな悩みがあったんだけど、
そこからなんかもうちょっといろんな人の文脈でも考えられるテーマとして、
めんどくさい人とか、
ちょっとこの人のこと本当に無理かもって思う人とどう付き合うか、
みたいなものを一応今日のテーマにしています。
なんかまあめんどくさい人とか、
なんか自分の基本スタンスとしては、
なんか今までが割とプライベートで関わる人たちであれば、
結構無理かもって思ったらもうバサッて切っちゃうっていうか、
なんかもう自分から連絡もしないし、
相手から連絡が来ても、
なんか無視するとかはないけど、
なんかそれとなく離れてくれるようにちょっと工夫をするみたいなことをして、
なるべくその人との関係が切れるようにっていう方向で動いてきたんだけど、
でもまあそういうやり方をしてきたことに対するちょっとした後悔もあるし、
プラスなんかこう日常生活の中で必ずしも全ての人に対して、
なんかそういう付き合い方ができるわけじゃない?
なんかこの人と一緒にいるのが自分にとって毒だから離れようって言って、
離れられる人もいるけど、生活する上でとか、
あるいは職場とか仕事する上でとか、
家族とかでもそうだと思うけど、
なんかこう自分からそう簡単に関係を断ち切れない場合には、
どうにかこうにかして適切な距離感を保ちながら付き合い続けるしかないんじゃないかと思っていて、
私がちょっと個人的な相談をしたこの人とかも、
すぐに自分でこうもう話したくありませんっていうふうにできるわけでもなく、
でもこの人と多分こう本当に自分が思っていることとか、
自分が大事にしたい価値観とかを話すことは難しいなって思った人と離れることもできず、
でもまあ嫌だけどそれなりに付き合うある程度挨拶するとか、
そういうレベルでは付き合う必要はあるっていうふうになっていて、
でまあじゃあそういう自分にとってその人がどうこうっていうよりかは、
自分との相性の問題でこう付き合っていくのに困難を感じる人とどう付き合うかみたいなのが、
今日の一応トークテーマです。
めっちゃ難しいね。
そうね、なんかちょっと考えてみたけど、
なんか基本的に嫌だなとか、ちょっと無理かもみたいなふうに思う人は、
まあいたっちゃいたけど、なんかそこまで強く、
こう本当に無理みたいな感じにそこまで思わない、
多分そこまであんま考えてないというか、
あんまりそこまでその相手を、
例えば自分があんまり会わないなとか、
そこまで仲良くなりたくないなとか思うと、
自分の中で割と適当に付き合う人グループみたいなのを自分の頭の中で勝手に入れて、
なんかそうすると、自分の中で業務上の連絡とか、
そういう仕事をしないといけない範囲での会話とか付き合いみたいなものはするけど、
それ以上のものはしなくていいみたいな感じで、
自分の中である程度のLINEみたいなのを割とすぐ引いちゃう。
なんかそれも多分いい時と悪い時があるんだけど、
なんかそろそろ引いちゃうから、
そこまで踏み込まれたりとか、
逆に自分が踏み込んだりする必要があんまりなかったなって、
りょうちゃんから最初テーマ提示されて振り返った時に思って、
社会全般でいうそういう人付き合い的な感じ、
自分で例えば仕事で毎日会う人とか、
あとは他に本当に自分ではどうしようもない、
自分で距離を置いたりとかが簡単にできない範囲にいるそういう人たちっていうのは、
本当に自分の中では本当に必要最低限で付き合っていくみたいなのを割とできるし、
割と自分の中でそれ以外のものをブロックするみたいな感じになっちゃうから、
それも楽っちゃ楽、面倒くさいなと思った時とか、
なんか嫌だなとか、
例えば業務に支障を来すとか、
そういう場合はやっぱり話さないといけないし、
これはこうやってくれないと困りますとか、
それなりの解決策を探ろうとはするけど、
そこにあんまり自分が良し悪しを自分で、
多分自分の中でそういうふうにある程度面倒くさいと思っちゃってると、
結構ネガティブな向き合い方になっちゃうなって自分で分かってて、
それで勝手に相手も多分相手なりにいろいろ事情があるけど、
それを私もそこまで理解しようとしたくないし、
でもそれをしないまま勝手にこっちからネガティブなものを、
見方をするのも嫌だから、
そこにたどり着く前に本当にボーダーを引いちゃおうみたいな感じで、
割と付き合ってきたなっていう感じで、
それも別にりょうちゃんがさっき言ったみたいな、
りょうちゃんが割とバッサリ切ってたっていう感じほどではないけど、
でもそういう感じの傾向的なのは、
自分のそういう面倒くさいなと思った人との付き合い方には割とあって、
だからそれも良いか悪いかは分からないんだけど、
どうなんだろうなみたいな自分で振り返ってて思った。
境界線を越えてくる相手への対応
分かんない。
私もだから基本的には自分、最低限の会話だけするとか、
付き合いを立てない立場上、人とかはもう本当最低限の付き合いだけして、
それこそ自分がこれ以上関わらないように、
その線を引くっていうのは割としてきた方だと思うんだけど、
この間話した人みたいに、
この間話した人みたいな人に私は結構初めて会ったのね。
この数年間の生活の中で、
こういうタイプの人は今までの人生で出会ったことがなかったっていうタイプの人で、
ざっくりどういう人かっていうと、
自分の側からは結構ここボーダーですっていう感じで引いてるんだけど、
あんまり自他の境界線がないなっていう人で、
自分が引いてたはずのバウンダリーを、
土足でガンガンガンってきちゃう。
自分では引いてるつもりなんだけど、
相手はそういう境界というか、人との距離の取り方が自分とはだいぶ違う人で、
自分が引いてるつもりでも、その引いた線を相手が飛び越えてくるみたいなことが結構あって、
だから自分ではこれ以上、自分が乱されないためにもっていうのもそうだし、
その結果として自分の振る舞いが相手に良くない影響とか、
望んでいなかった影響みたいなのを与えるのも嫌だし、
だからもう離れるっていうことに徹するって割と徹してきた方、
その結果として関係が添えになるみたいなことが複数あって、
それはそれで仕方がなかったって思ってるんだけど、
でもなんかその、そういうふうにいかない場合もあるんだっていうのを、
なんか結構その人のケースで私は最近結構感じているから、
なんかその自分でこれ以上関わらないように、関わってこないようにっていうふうに引いている線を、
なんか飛び越えてくるタイプの人もいるんだなと思って、
なんか割とはっきりめに意思表示をしたこともあったんだけど、
なんかそういうのを多分ネガティブに受け取らないの、
良い意味でも悪い意味でも、相手が。
だから自分と距離を取りたがっているとかっていうふうに多分感じていないから、
なんか結構こう会うたびにグングンってこう近づいてこられる感じがあって、
そうそうそう、だからなんかその距離を取りたいし、取ってるつもり?
自分では取ってるつもりなんだけど、それを飛び越えてくる場合に、
なんかどうすればいいんだって思っちゃって。
私聞いたことないかも、考えてるけど。
だって私も初めてだもん、なんかこんな人。
そう、なんかなんか基本的には、なんか別に自分は割とこう性伝説タイプではないんだけど、
他者とのこう出会いに、とか他者への見方に対して、
なんか相手が善なる人みたいに思っていくよりかは、
割と疑っていくタイプの人間ではあるんだけれども、
とはいえ、なんかその自分と結構違うタイプの人間だなって思っても、
なんかとりあえず話すことは試みたいと思っているし、
自分の理解し得ないことに対して、
なんかもうちょっとそれこそ言葉によってちゃんと歩み寄るみたいなことを意識したいと、
割とこの数年とかは思ってるけど、
なんかその、さっき言ってた人とかは、
多分いくら言葉を尽くしたところで平行線だなっていう、
一旦そういう状況になったがゆえに、
なんか多分この人に対して言葉でどうにか相手のことを理解しようと務めることっていうのが結構難しいなって思って、
だからなんか自分からこの人がどういう人なのかっていうのを、
今以上に知りに行くことも結構難しいし、
でもなんか自分が止まってても向こうから、
なんか線を踏み越えてやってくるみたいな感じで、
困ったと思って、
でもなんか多分あんまりないんだろうね、こういうケースは。
ね、なんか多分稀にそういう人が現れて、
台風みたいな感じでバーって、
そうそう、そんな感じ。
みんなの間を駆け抜けて多分去っていくんだろうけど、
多分だからその人と、
その場から動ける人は多分去っていくだろうし、
時間なり何らかの機会をきっかけに、
長くその人の周りに留まりたいっていう風に多分思う人もいない、
あんまりいないと思うし、
そうね、私もこう会ったことないタイプだから、
自分だったらどうするだろうと思うけど、
結構なんていうのかな、
例えばこっち側が、
なんかその距離を置きたい意思を表明したとしても、
そこを乗り越えてくるって、
この会話が通じてないってこと、
例えば直接言うのもちょっと失礼だけど、
ある程度のバウンダリー的な、
やっぱり限界的な線が、
もうすでにいろいろなバウンダリーを超えてるけど、
最後のここは超えちゃダメでしょみたいなところを、
超えた時点で、
私だったらちょっと言うかな、
でもそれを言ったら相手はどう反応するのかを、
私にはタイプの人と会ったことないから予測できない、
すごく怒るのか、
自分が否定されたみたいな感じで怒ってしまうのか、
あるいはなんとも思わずそのままどんどん来るのか、
わかんないけど、
やっぱり自分の身を守らないと、
相手は別に自分自身の境界線的なものを、
やっぱりわかってないし、
そもそもその概念がなかったとしたら、
そういうのを多分考えたこともないだろうから、
言われて、気づくのか、
言われて、
この人私のこと嫌いなんだみたいな感じで、
逆切れじゃないけど怒るのか、
どういう反応するのかわからないけど、
多分私だったらある程度のリミットを超えられたら、
ちょっと私の方では、
ちょっとここはこれ以上来られたら困るなみたいな感じのは、
相手には何とかして伝えようとはするかもしれないかな。
とは思うけど、
なかなかいないから、
私も周りにそういう人いてあんまりいたことないから、
あれなんだけど、
でもやっぱりその自分、
例えばその環境的にこう、
会わないといけないとかさ、
やっぱりその簡単に距離を置けないってなると、
なかなかそのそういう場合にどういうふうにしたらいいんだろう、
みたいなすごく悩むよね。
なんかその場に何かこう、
マネージャーとか上司とか、
ある程度のそういう人との距離を、
コントロールじゃないけど、
ある程度保つ人みたいな、
第三者みたいな人が必要かなとは思うけど、
でも1対1になってしまうと、
なんかそこでバトル的な感じになってしまうと、
またなかなか抜け出せなくて、
お互いに傷つく可能性がすごいあるから、
なんかそこに第三者的な人が入ってきて、
仲裁するなり、何かこう、
ちょっとコミュニケーションの取り方を変えるなりして、
っていうのになるのかな、
考えてる。
なんか文脈は違うけど、
ちょっとこれ以上は難しいです、
みたいなのを言ったことある?
それに対して、
あ、オッケー、みたいな感じなの、相手は。
だから何て言うの?
了解です、みたいな感じ。
で、
了解ですって、それ分かってる感じの了解ですじゃないよね。
だから何だろう、その話題に関しては分かりましたっていうこと?
だから根本的に人との距離の取り方みたいなものは、
多分その人の気質みたいなものもあるから、
なんか変わらないんだけど、
その話題については、
それ以上は特に突っ込まれないし、
踏み越えてくることもない、
そもそも話題にもならない、
っていう風になってよかったけど、
でもさ、一個ずつしらみつぶしにしていくっていう。
それが出るたびに何か伝えないと、
同じ会話をしないといけないっていう。
そうそうそう、だからなんかあんまり多分、
いや分かんない、その人じゃないから、
もしかしたら明るく振る舞ってるけど、
実際ちょっと傷ついているかもしれない。
けど、でもわりと私から見るとめげずに、
ずっと来るなっていう感じはあって、
そうだからなんかこう、
その意味でもやっぱりこういう人に会ったことなかったなって思って、
で、なんかその人とは別に一対一になる場っていうよりかは、
もうちょっと複数にいる場でその人と一緒になる機会が多いっていう感じなんだけど、
その同じ場にいる他の人たちはどうなんだろうと思って、
結構こう観察したり、
なんか親しい人とかだったらちょっと話して、
なんかどういう感じで思ってるのかなみたいなのを、
ここまで直接的じゃないけど、
それとなく聞いてみるみたいなのはしていて、
で、なんかそこで思ったのは、
なんか意外と私ほどなんかこう拒否感ではないけど、
なんかもうちょっとしんどいなーみたいな風に思ってる人もあんまりいなかったっていうのが、
また一つ衝撃的で、
もしかしたらっていうかまあまあ自覚はあるんだけど、
なんか自分の場合はその自分のパーソナルスペースとか、
ここまでは一人でいたいですみたいな空間的な線の引き方が、
わりと多分広めの方だと思うの。
だからなんかその人によっては、
例えば自分の振る舞いとか言動が冷たいって思われることもあったし、
それは自分がなんかあんまり冷たいことをしているっていう自覚がなかったけど、
どうしてそう思われちゃうんだろうみたいなのを、
結構悶々としてた時期もあったんだけど、
多分自分と他人とのその線の引き方なり距離の取り方みたいなのが、
なんか私はもうちょっと距離がないと、
なんか近すぎてしんどいとかっていう風に感じやすい多分傾向があると思っていて、
だからなんかその人との関わりの中でも、
なんかもしかしたら他の人だったら、
その人のいろんな言動とかを私ほどには、
なんかえっとか、なんか思わないこともあるんだろうなっていうのを、
なんか周りの人の反応を見てて思ったし、
同時になんかこう人間ってさ、
なんかその複数の側面があるから、
なんかその人のちょっとこうバウンダリーを超えてきやすい感じっていうのは、
なんか結構しんどいなって思う反面、
多分それって人によってはすごいある人のケアを献身的にしてくれるとか、
積極的に介入してくれる人とか、
困った時にちょっと一言助けてほしいって言ったら、
すぐ飛んでくるタイプの人、
そういう面ではもしかしたら、
優しいとか思いやりがあるみたいな形容詞がすごくぴったりな側面もおそらくあるし、
なんか周りの人は割とそういう面を結構評価ではないけど、
結構ポジティブに捉えている側面もあるんだなって思って、
でもなんかそれをなんか一時私はそういう、
その人にとってはおそらく善意から自分のことを気にかけてくれたりとか、
なんか自分のこう心身の健康状態とかをなんか恩恩ばかってくれて、
なんかいろいろ情報をくれたりとか、
なんかこう逆に自分の今の状態がどうなのかっていう情報を教えてほしいっていう感じで、
そういう会話になった時があったんだけど、
なんか私にとってはそれは来すぎっていう感じがしたの。
なんかそれは何て言うんだろう、別の人とか、
例えばなんか私とムーちゃんみたいな関係性と、
私とその人の関係性ではそもそも関係性のあり方が違うから、
それによって引ける距離っていうか線の近さ遠さみたいなのも変わってくるから、
なんかその人との関係においてはそれは近すぎるって思っちゃって、
なんかそれがすごい私はしんどいって思って、
なんか情報開示するのも嫌だし、
その人の言動が言ってみれば結構おせっかいっていう風に思ってしまったけど、
でもやっぱりそれってそういう側面もまた別の受け手にとってはすごいポジティブ、
なんでこの人はこんなに優しく接してくれるんだろうとか、
いろんなことを教えてくれるんだろうみたいなケースになってる場合もあって、
なんかすごいその人がどうかっていうよりかは、
多分どういう風にその人と関係するか、
関係を築いていくかみたいなのとか、
個々の相性とかいろんなものの違いみたいなのを、
私とその人の関係性とか、その人ともっと周りの人との関係性みたいなのを観察して考えてて、
でもなんかやっぱみんな感じている度合いが違うからさ、
当たり前って当たり前だけど、
なんかそれをやっぱりこう、
他の人のやり方を自分が模倣しても多分自分はしんどいし、
その人と関係を立てないのであれば、
なんか自分なりの距離の取り方だったり、
距離取ろうと思っても来るから、
自分なりのその人との関係の築き方みたいなのを、
多分考えなくちゃいけないんだろうなぁみたいなのを、
そう思っててっていう。
関係性の距離感と社会的な理想
でもなんかその今話聞いててすごい、めっちゃわかると思ったのは、
その人に、一つの人との関係性によって引けるラインの距離が違うっていうのはすごく重要で、
多分そこが結構いろんなグラデーションがあるみたいなのを、
なんか多くの人はあんまり意識してなくて、
みんなと仲良くとか、
結構割とグループで動ける人とか見てると、
本当にその関係性みたいなものに、
一つの関係の間におけるその距離が割と一緒みたいな感じがあって、
誰とでも付き合えるとか、
誰とでも同じぐらいのレベルまでの会話に突っ込んでいけるとかであるけど、
なんか割と私もりょうちゃんと結構似てる方で、
人によって相手とこう気づいてきた関係性とか、
どういう会話をしてきたとか、
人生のどういうステージで出会ってきたとか、
っていうことによって、
全然その引ける距離みたいなのがかなり違うと思っていて、
だからなんか、
それが関係性の優劣ってわけではなくて、
たぶんやっぱり気づいてきた関係性で、
共有できている背景とか、
内容みたいなのが全然違うから、
それによってやっぱり話せる内容も変わってくるし、
さっきりょうちゃんってみたいに、
開示できる、できない情報とかもだいぶ変わってくるから、
それが全然違ってしまうことは別にいいんだけど、
時間をかけたら、もしかしたらそこまでの関係性を、
相手がその距離のあり方をちゃんと理解して、
この人と関係を築きたいと思い、
それのための努力じゃないけど、
お互いにそういう会話をしたりとかっていうふうに、
時間をかけてそういうものを築き上げるみたいな、
こういう丁寧な関係性のアプローチみたいなのがあれば、
最初はそうじゃなくても、
だんだんとそういうふうに、
距離を縮めたりとかできるかもしれないけど、
やっぱり、そういうものがあること自体を、
相手側が全く理解しないとか、
全然考えずにっていうふうになっちゃうと、
やっぱりなかなか、
そういう関係性をベースに、
距離を築いてる側からしたら、
もうなんか無理かもって、
最初から無理かもって割となっちゃう。
だから、例えば相手がもう少し丁寧に時間をかけてとか、
相手の話を聞いてとかっていうふうなステップを踏めて、
お互いにそういう話をして、
多分相性のこともあるだろうから、
なかなか全部毎回うまくいくっていうことではないかもしれないけど、
そういうふうに、
お互いに歩み寄るアプローチみたいなのができるかもしれないけど、
でも、やっぱり片っぽが、
そのステップを全部飛ばしちゃうと、
ちょっと難しいかなっていうのはすごいあって、
でもそこを理解してもらうのが、
なかなか難しいっていうのを、
社会全般的な面から見てあるなっていうのはすごいあって、
やっぱりそういう、
誰とでも仲良くできるとか、
割と社交的とか、
あとなんか、
私は割と昔から、
結構孤立っていうか、
ずっと引っ越しとかもしてきたから、
なかなか友達もあんまりいなかったし、
いつもなんかこう、
第三者的な視点で、
人との関係性とかをすごい観察して、
自分はそこのどこに自分を置くかみたいな感じで、
関係性を割と気づいてきたから、
結構なんか変な客観的なものがあって、
そういう中で、
そういう人との関係性とかを、
すごい観察してきた感じはあって、
だからが故に、
やっぱり自分自身が距離を詰めるとかってなると、
やっぱり結構、
時間とか、
ある程度のそういう、
お互いを知るとか、
お互いがちゃんと相手の話を聞けてるかとか、
そういうのが結構自分にとっては重要ポイントで、
だから、なかなかうまく人と仲良くなるってどういうこと?
みたいなのをすごい考えてしまって、
ある程度の近すぎず遠すぎずみたいな、
その絶妙な距離感を保ちながら、
なんとか過ごすみたいなのが、
一番の目標になってしまっていて、
でもやっぱりその関係性をやっぱり深めるとかってなると、
やっぱりある程度時間と、
お互いのそういう歩み寄る努力みたいなのは、
絶対必要だと思っているから、
そういうものででも、
あんまり社会的な感じからは、
あんまり重要視されてないなっていうのはすごいあって、
本当にみんなとうまく仲良く過ごせればいいとか、
みんなとグループ行動とか、
この輪の中に入っていける人が高評価されるとか、
いろいろな関係性のグラデーションとか、
距離感のこととか話すと、
めんどくさいなみたいな感じで、
私がめんどくさい人として見られてるのかもしれないみたいなのは、
すごいあって、
りょうちゃんの感じていることは、
普通に全然変じゃないし、
私たちは割と結構似てることもあるから、
そこはすごい共感、話聞いてて共感してしまうんだけど、
だからどうするっていうあれではないんだけど、
めっちゃわかるって思ったでも、
関係性によって変わってくる距離感みたいなのは。
でも本当に多分、さっきむーちゃん言ってたみたいに、
社会の中で評価されたりとか、
いい人って言ったらめっちゃざっくりしてるけど、
ポジティブに捉えられるタイプの人ってさ、
そつなく誰とでもそれなりに親しくできるとか、
誰かの善意を善意としてそのまま受け取れるみたいな人が、
やっぱり良い評価を受ける傾向があるなと思ってて、
特定の人とはめっちゃ親しくなれるけど、
それ以外の人とは無理ですとか、
めっちゃ無理な人がいるとか、
そういう人、そういう人間が生きていくのは、
なかなかハードルが高いというか、
実際のところ、自分は割とその後者のタイプだけど、
とはいえ、擬態はできるような気はしている。
ある程度は。
基本的にそれは自分の真実ではないが、
擬態しているという自覚があるみたいな感覚でいて、
だからそういう意味では、
社会の中で求められている人間像みたいなものを、
ある程度、模倣しようと努めている部分もあって、
ただ実際の自分はそうではないから、
そこのギャップで時々しんどくなったりとか、
あ、やっぱうまくいかないなみたいな感覚になっちゃうことが、
たぶんあるんだろうなっていうのを話し聞きながら考えてた。
めっちゃわかる。
その社会のゾーンにいいとされる人間像みたいなのは、
なるべく近づこうとはするんだけど、
いろいろ面倒だから、やっぱり生きていく上で。
そうじゃないと面倒なことがたくさんあるから、
でもそれに合わせようとするってことは、
やっぱりそういう人が良いとされてるっていう風な前提だから、
やっぱそこが苦しいなって思う。
そうじゃない人も別にそれでいいっていう風に受け入れられる社会であってほしいなっていうのはすごいあって、
別にだからって言って嫌いな人とバトルしろっていうわけではないんだけど、
自分の中でやっぱりそういう風に、
いろいろな距離感の取り方だったりとか、
ここを越えられたら困るみたいなのをある程度表明できたりとか、
逆にそれを表明することによって、
それを相手が尊重してくれるとか、
そういう風な距離感をもうちょっと取れるような、
そういうことを言い合えるような社会だったらいいなっていう風に、
別にそれがそれで人との関係性が楽になるわけではないけど、
やっぱりどうしたって相性的なものだってあるし、
やっぱり出会った時のタイミングとか、
それこそ出会った時の環境の状態だったりとか、
本当にたくさんのことが複雑に絡まってるから、
簡単に良いとされる人間像が一つっていうか、
みんなが良いとするものになろうと表製されるじゃないけど、
なったらそれで生きやすいっていうか、
生きやすい今の社会みたいなのが、
もうちょいそうじゃなくなったらいいなみたいなのはずっと思っていて、
だから別に、今良しとされる人間像が良くないっていうわけではないけど、
そうじゃない私たちももうちょっと受け入れられてほしいなみたいなのはあるかな。
本当最低限で言ったらさっき言ったみたいに、
バウンダリーを超えられてくることに対して脳って表明できる。
できてそれを尊重されるみたいなのは、
最低ラインとしてあってほしいなっていうふうには思うかな。
そうね。
それがきちんと脳が脳として伝わったらいいんだがっていう。
自分が思っている脳のあり方と違った捉え方をされているみたいなのが結構あったからさ、
一応脳というのに結構勇気を振り絞って言うし、
割と変に嫌な伝わり方をしないように結構考えて、
どういう言葉で言ったらいいかなみたいなのを練った上で言うんだけど、
結果的に言葉が通じてないみたいな。
自分の思っている脳っていうのの意味合いと、
多分違った受け取り方をされてるなみたいなのがあったから、
通じてほしいって思うんだけど。
バウンダリー的なのは概念としてもうちょっとあってほしい。
理解してほしい。
育った環境と境界感覚
バウンダリーって西洋的な概念らしくて、
私も前何回か行ったカウンセラーの人が、
日本人の人だったんだけど、ニュージーランドで資格を取って活動してる人のところに何回か行ったことがあって、
その人がバウンダリーについて結構いろいろ教えてくれたんだけど、
割と西洋社会では結構すごい個人主義が結構メインだから、
自分をそういう子として捉えて、
その子の周りにあるいろいろなバウンダリーみたいなものが結構明確、
割と結構ちっちゃいころから明確にそういうものを引いて、
社会なり学校とか家族とか、
習い事とかいろいろな場でそういうふうなものを、
割と自分のそういう子の形として持ってるみたいな話はしてて、
でも割とアジア的なとことか、
家族みたいな単位がすごく強い文化的な面でそういう風潮があったりとか、
あとはその本当日本とかってほぼ単一民族ですごい本当日本人しかいないみたいな感じの、
そういう結構ちょっと村社会的な感じの文化とかそういう背景になると、
割とそのバウンダリーみたいなその個人主義的なものが弱いっていうか、
なんかその線が結構あんまりはっきりしづらいから、
割とそういう概念的にそのバウンダリーみたいなのがわからないっていう人とかもいたりするし、
例えばそういう日本、バウンダリーのそういう境界があんまりないところで育って、
そういうすごいめっちゃ個人主義みたいなところに動いた時に、
なんかその差にそのギャップみたいなものに結構びっくりするとかっていうのもあるよねみたいな話をしていて、
そうだからなんかそういう背景でもそういうバウンダリーみたいな概念とかで、
やっぱりそういう頭で理解するしないとかもあるかもだけど、
なんかその本当に環境的にも、なんかそういうラインがあんまりなかったりする背景として、
そういうのもあったりするんだなぁみたいなのは話を聞いてて思って、
そうだから私は割とその人と話したり、
あとは他にそういうバウンダリーとかのそういう心理学とかをちょっと読んで、
まあそういう概念があるのかみたいな、
でも自分のそういう悩んでいたそういうその距離感のものに対して名前をつけることができたみたいなのはすごいあって、
でもなんかなかなか概念として掴みづらかったりもするのかなとは思った。
そういうのを意識したりしなかった人たちにとっては、
私は多分割と昔からそういう感覚があったけど、
それに対して、なんかどう説明していいかわからなかったみたいのはあって、
そうね、だからその友達との距離感とかはすごい割と近いし、
自分が大切だと思う人たちとのそういう距離感を自分の中で割と段階っていうか、
いろいろな段階とかいろいろな線の距離みたいのがあって生きてきたから、
なんか今やっとそれで自分の中で割と納得いく、
まあそういう説明の仕方みたいのがあるけど、
人によってはなんかそういうのを話してもあんまり感覚的にわからないとか、
なんかそうすることを意識したことないとか考えたことないみたいっていうのもあるから、
なんかやっぱり人によってもだいぶその考え方自体がないと、
やっぱりそのリョウちゃんさっき言ったみたいにそのノー、
なんかリョウちゃんめっちゃその頑張ってノーって言ったけど、
全然そのノーがなんでそもそもどこに対してのノーなのかも、
多分あんまりわかりづらいのかなって思ったし、
ね、そうね。
伝わらない。
なんかでも、
私とかもでもあんまり多分昔は意識してなかった、
そういうバウンダリーとかっていうのは、
なんか常にその実家、その上京するまで、
一人暮らしを始める前まで、
なんか家族と同居してた時とかって、
なんか家が人がいなくなることがない家だったから、
常に誰かしらいる家だったの。
だからなんかその逆に言うと、
一人になれる場所とか時間とかがなくって、
ほんとに、
常になんか朝でも夜でも誰かはいるみたいな感じだったから、
なんかそこにずっとその生まれてからその環境にいて、
なんかその中で違和感なり、
いろんなモヤッとすることはあったんだけど、
なんかそれを、
その場から離れられないからその状態について、
客観的にというか、
もうちょっと距離をとって考えるみたいなことができなかったから、
多分そういう、
そのなんていうの、
舌の境界線の引き方とかも、
なんか結構難しかったし、
なんかその難しさが、
なんか結構10代の頃の人間関係の難しさと、
無関係ではないような気はするなと思ってて、
なんかそれが18で家出て、
一人暮らしを始めたんだけど、
なんか生まれて初めて一人で、
こう家にいるみたいな時間ができて、
なんかそれはすごい、
なんかまあちょっと寂しい時間とかも増えたけど、
でもなんか同時にそれが、
同じだけのなんかこう自由みたいなものの感覚もあったし、
なんかその自分と他人の距離を、
なんかこう測るための、
なんかいい時間だったなと思っていて、
だからなんかその、
なんか一人になったことによって、
なんか他の人との、
こう距離を見るよう、
見れるだけの距離を取れるようになったし、
なんかやっぱりなんかこう、
それで初めて、
自分は結構この、
自分のスペースとか自分の時間とか、
なんか完全に一人でいる、
みたいなことがないと、
結構いろいろ難しくなるタイプなんだな、
みたいなのを、
なんかその期間に徐々に徐々に時間をかけながら、
理解していった結果として、
なんかこういうなんかちょっと、
あーなんか難しいみたいな人との、
こう関係においても、
なんか自分とその人の距離を取るとか、
線を引くみたいな感覚ができたのが、
この10年ぐらいの時間をかけてできたっていう、
気がするわ、私も多分。
なんかりょうちゃんめっちゃ、
そうだね、13、18でそれで一人になってから、
そういう風に割と、
LINEの距離感。
そうそうそうそう、
だからなんかこう、
なんかその前が、
なんかこう、
何もそういう、
そうそう、なんか人との距離を、
こう取れないとか取ることに対して、
なんかいろんなこう悩みとかが、
なかったわけじゃないんだけど、
多分概念とか感覚としてなかった、
自分の中に。
なんか常にやっぱりその家族みたいな、
共同体のでかさと、
なんかまあ家族から離れるってなったら、
あとは学校社会みたいなものしか、
こうコミュニティとしてない。
常に自分がその中の一人である、
みたいなものがすごい強くて、
だからなんかどうやって人と距離を取ったり、
近づいたり離れたりすればいいのか、
みたいなので、
なんかすごいトライアンドエラーみたいなのが、
すごい多かった時期だなと思って、
だからなんかやっぱそこから、
結構離れるっていうことが、
まあできたから、
その離れたことによって、
初めて人と人の間には、
ちゃんと距離がある、
みたいなことを、
なんかこう感覚とか概念とかが、
なんかちゃんと一致した、
みたいな感じ。
っていう感じだったわ。
振り返ってみると。
幼少期の経験と距離感の模索
そうか。
私たちのね、
おいたちが割と真逆だからね。
なんかその話聞いてて、
私真逆だと思って。
そうだよね。
基本的に常に転校生で、
常にやっぱり、
私しかいない、
私と新しい学校とか、
新しいプラスとか、
っていう風な、
関係だったから、
なんか常に、
まずそこに自分っていうものがあって、
そことその他大勢との距離とか、
まあその、
友達との距離とか、
その友達との関係も、
やっぱりずっと、
結構客観的な感じで、
その距離を測ったりとか、
なんか自分はその、
例えば新しいクラスの中で、
どういう、
この人たちとどういう距離感で、
付き合っていけばいいのか、
みたいなのも常に、
ずっと考えてきた人生。
だから、たぶん逆に、
その距離感が、
割と距離を取りすぎて、
取りすぎてしまったりとか、
客観的になりすぎて、
その関係を、
関係を作っているのは、
自分なんだけど、
自分じゃない、
みたいな感じの感覚が、
割とずっとあって、
だからその人と親しくなる、
みたいなときの、
踏み込み具合が、
割とあんまり、
うまくつかめなかった。
距離を取りすぎたがゆえに、
そういう面から、
割とそういう風な関係性に、
飛び込むときに、
怖くなってしまって、
逃げるとか、
無視するとか、
そういうのになっちゃって、
そこから結構、
自分なりに、
いろいろこう、
模索して、
それこそりょうちゃん言ってたみたいな、
トライアンドエラーで私も、
どういう距離感が、
自分に一番いいのかとか、
親しくなるということは、
自分の中でどういう、
はどういう距離なのかとか、
っていうのを割と、
いろんな人との関係性を通して、
学んできたなっていうのは、
すごいあって、
なんか、
そういうのって、
人によっても全然違うよね、
っていうのは、
すごいあって、
いい悪いではないから、
いいんだけど、
いろいろあるよねって、
いろいろそういう距離感があるよ、
っていうのを、
知ってほしいかなっていうのは、
あるかな。
難しいけど。
人によって、
何を親しいと感じるか、
とかも全然違いそうだし、
なんか、
冒頭から話に出していた、
私の身近にいる、
私がちょっと難しいなって思っている、
その人とかは、
間違いでなければ、
私は多分その人の比較的、
親しいの枠の中に、
多分入ってると思う。
なんかその、
その人と会う場所とか、
環境的な、
結構影響も大きいけど、
おそらくそういう枠に、
入っているんだろうな、
っていうのは、
感じていて、
だけどなんかその人の、
多分そういう人との、
関係の築き方なり、
距離の取り方っていうのが、
自分のそれとだいぶ離れている、
っていうのがあって、
それはなんかもう、
その人も別に直す、
直さないの問題じゃないし、
私自身も、
もうどうにもできないから、
何を心地いいと感じて、
何を不快だと感じるか、
みたいなのって、
自分で修正できるものじゃないからさ、
なんかその上で、
もうちょっとうまい、
その人とのお互いに、
あんまり傷を受けない、
ぐらいな感じで、
なんかうまいことやれたらいいな、
っていうのは思うけどね。
なんかそれもやっぱり、
試行錯誤だよね。
人によって、それを例えば言って、
もしかしたら理解してくれる、
瞬間があるかもしれないし、
まったくそれがない場合もあるし、
だからなんか、
そうね、
まあ別に、
避けるのが、避けたり距離を置くのが、
悪いっていうわけではないけど、
なんかそうじゃないやり方で、
なんとかこう、
お互いに、
こうね、
さっきリョウちゃん言ったみたいに、
傷つけ合わず、
なんとか過ごせる距離とか、
付き合い方みたいのは、
やっぱりその人との関係性の中でしか、
やっぱり気づけないから、
なんかその、
必ずしも正解があるものではないし、
もちろんその失敗したりとか、
これがうまくいかなかったから、
次これ試してみる、
とかっていうのを、
いろいろ試行錯誤していかないといけないし、
多分それはリョウちゃんとその人との
関係性の中にしか、
わからないこともたくさんあると思うから、
またどういう感じになるかは、
わかんないけど、
そうね、
今のところはトライアンドエラーの、
エラー続きだけど、
今までの自分のやり方的には、
話してちゃんと親密になるか、
まあほどほどの挨拶だけして、
ほどほど、
お互いにほどほどのままになるか、
まあその、
ある種突き放しちゃう、
みたいな感じ、
意図的に離れていく、
みたいなのもあって、
話すか、
会話のほうの話すか、
距離的に離れるのほうの話すか、
みたいな、
そのなんか割と二択で人との距離を
取ってきたなっていう感じはあるから、
まあなんか、
あんまりその人に時間も割きたくはないが、
でもなんかその中で、
まあその会話をするか、
あるいはもう距離を取るか、
みたいな、
そういう二択以外の仕方で、
なんかその人との関係性が、
自分の中で折り合いがつく、
みたいな距離で、
できるかどうか、
みたいなのを、
もうちょっとトライしてみます。
うん。
試行錯誤と折り合いのつく関係
まあ無理のない程度に、
りょうちゃんの精神。
またどんな感じになったか、
あとで、
1年くらい。
いい感じのアップデートがあれば、
なんか話すわ。
じゃあ今日はこんな感じ?
こんな感じかな。
うん。
ではでは、
ではでは、じゃあまた、
違う、次回。
おそらく再来週。
おそらく再来週だね。
じゃあまたね。
ありがとうね。
バイバイ。
01:00:24

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