皆さんこんにちは。 丸ちゃん教授のツミナハナシ-市民のための犯罪学-の丸山です。 山口です。南口です。
皆さん、我々は今崖っぷちにおります。 今日はですね、私たちから皆さんに切実なお願いがございます。
よくリスナーの方々に驚かれるのですが、このポッドキャスト番組はですね、一切の収入がなく、
どこからの協賛も得ないでお送りしているため、常に資金繰りで困っております。
ただ、その理由としては、自由な内容の発言を確保するためですし、自分たちの話したいことを話すためなんですけども、
そうなるとですね、収入どころか、この収録の費用は私たちの持ち出しになっています。
というわけでですね、丸ちゃん教授ではクラウドファンディングを実施します。
実施します。
我々にですね、2026年も継続して番組を収録できるよう、ぜひ応援をよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
クラファンの詳細は概要欄からお確かめください。
ところで南口さん、おでんと認識するために、これ絶対いるやろっていう具材って何ですか?
じゃがいもです。
いや、嘘やと思う。
じゃがいもです。
普通、おでんといえば大根とか卵とか、こういうもんでしょ?
ちなみに私は半ペンです。
いや、ギリ半ペンは浮いてるから。
浮いてるとかじゃなくて、浮いてる?沈まないんですよね、カレーは。
そう、ポッとなってるもんね。
あの、おでんのじゃがいもについて、私話し合いたいことあるんですかねてより。
おでんにじゃがいもは入れますよね?
正直に言っていいんですか?
まあ、一応。
これ入れないです、僕。
嘘でしょ。
いや、ポトフやん、それ。
どちらかというと。
え、山口さんは?
どうしても具が足りない時とかは入ってますけど。
誤魔化すために。
しまうまるやつよ。
じゃがいもってそんな扱い?
じゃがいも、入れる入れない論争あるかな?
あるんですよ。
あるかな?
かつて東京に長崎から何人かな、3,4人、4,5人と東京の人と千葉の人と何人か全部で10人くらいいたのかな、最終的に。
で、おでんにじゃがいもを入れるかどうかで大激論をしたことがあって。
激論ある?
いや、そのうち。
決着ついたん、それほんで。
いや、これが3人、私を含めて。
入れると言った人が私を含めて一本も引かなかったから。
むしろ私的にはじゃがいもがないおでんはおでんじゃないぐらいの勢いだったから。
何人中3人かもよくわからへんけど。
大体ね、多分10人ぐらい。
これでもすごい水かけ論になると思うよ。
そうなんです。
今日は同じ水かけ論でも、最も厄介な資金についての水かけ論でお話ししたいと思います。
丸ちゃん教授の罪な話、市民のための犯罪学
刑事政策・犯罪学を専門とする立証大学教授で、一般社団法人刑事司法未来の丸山康博です。
同じく刑事司法未来の山口由紀です。
同じく南口文です。
このトーク番組は、刑事司法未来が送るこれまでとは異なった視点から罪と罰を考えるものです。
ニュースでは聞けない犯罪学・刑事政策の話について、わかりやすく解説をしていきます。
お堅いテーマですが、なるべく親しみやすい形でお伝えできればと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さて、今回の配信も前回に引き続き公開収録の音源でお届けしています。
というわけで、丸山さん。
まずですよ、丸山さんの新書曰く、一般的に言われている死刑の根拠、まず存知論の根拠として、一つ目に法法、国家の規範違反というのが出てくるんです。
ここで山口から補足を。
お願いします。
今日の収録で存知っていう言葉を使うときは死刑に賛成派という意味で、廃止って使うときは死刑に反対派っていうことで使うという認識でよろしいですかね。
分かりました。僕は何?存知の方から話していけばいいんですか?
存知ですね。賛成派の方の一番最初に出てくる理由が、やっぱり王法っていうのが意味があるから死刑は必要だっていう話だと思うんですけど、ここはもうちょっと詳しく王法というのはどういうことか教えていただけますか。
なるほど。王法っていうのは多分多くの人が思っているのは、やったからやり返せとかっていうイメージなんだと思うんですけど、
基本的には王法って国家の規律違反に対する報復というか、それを守らせるための作用なんで。
だから被害者のために被害者がこうされたんだからそうやり返しましょうっていうのが王法じゃないです。まずね、そもそもが。
これよくある間違いなんだけど。
挟みます。被害者の話はセミの話第41回でしているので、ぜひここも合わせてお聞きいただくと。
制作の回ね。私が選ぶ神回、ポッドキャスト。素晴らしいね。
選んでいただいたやつね。
というわけでですよ。王法の国家規範、違反について、だいたい尊痴の人が何ていうかっていうと、命奪ったんだから自らの命をもって償うべきだみたいなことがよく言われるやつですね。
そうですね。ここがだから復讐っていうのとちょっと先ほどの丸山さんの説明だと違う概念なんですよね。復讐とはちょっと違うんですけど、個心がする復讐とは違うんだけれども、かなり近いというか、感情的にも近く考えられたりするようなところのポイントになってますね。
次行きます。次、無害化。口で言うとちょっと難しいんですけど、無力の無ですね。無いっていう字に害、科学の科で無害化っていうのが2つ目に出てきます。これちょっと詳しくお願いします。
そう訳してるから分かりにくいんですけど、インキャパシテーションの訳なんですよ。インキャパシテーションっていうのは隔離とか閉じ込めるっていう意味があるんで、例えば施設に入れてしまったらその人が次にやるのは止めれますよね。
そこで害が外に及ばなくなるんで無害化って言うんですけど、特に死刑に関しては最も確実な再犯防止というか社会防衛じゃないですか。
その人の再犯はないってことですね。
そういうのの無害化って言われたりもします。
そのどこかに入れるとかっていうところの無期懲役とか法案処分とかっていうのを過去の罪の話でもお話ししてもらってるんですけど、無期懲役は第17回、法案処分は第39回と第40回でお話ししてますので、またこちらも合わせてお聞きいただけると。
歴史を感じますね。
確かに。
じゃあ3つ目。
3つ目に死刑に賛成される方ですね。3つ目の理由が世論調査の結果がよく出てきます。
よく言うんよ。
そうなんです。これどうでしょう。
これは本当よく言うんよ。
そうですね。
なんかもう日本国民が賛成してますからってやつを言うんですけど、あれ8割以上の人が常に賛成してるんでまだ時期焦燥だっていうあれを5年おきに世論調査やってまして、死刑に対しての損失すべきですか廃止すべきですかっていう世論調査をやっていて、それが常に8割を超えるっていうのを見て、いやまだやめるべきじゃないでしょっていうのが賛成派の意見だったりします。
ちなみに死刑についての世論調査については第9回でお話しています。
素晴らしい。
そうなんです。
3分クッキングかどうか。
素晴らしさですね。
はい。
で、賛成派の方の4つ目の話が抑止力、一般予防っていうところなんですね。
ここは語ってはない。第何回ですって持ってこれないんですね。
次、廃止の方ですね。死刑をやめましょうっていう方たちの根拠の方、やっときたいと思います。
なるほど。個別に全くゼロかって言われたらそうじゃないことがあるんじゃないかってことが気になるってこと?
なんとなくそうなんじゃないかっていう抑止力があるんじゃないかなっていう思いってすごくたくさんの人が持ってるんじゃないかなっていう気はなんかしますね。
これでもね、今ほら賛成派の方で言ってくれてるけど、廃止派の方の人は抑止力ないっていうわけじゃないですか。
そうなんです。ここちょっと廃止派の方が考える抑止ってどういう感じですか。
だからそういうのはもう存在しないし。
そもそも。
事件を起こすときに、例えば死刑になるとかって止まらへんのちゃうかってことですよね。
そうなんですよね。
ましてや、僕ちょっと警察発表が全てをもちろん信じてるわけじゃないけど、よく出てくるのが死刑になりたかったっていう人がいて、仮にこれが本当にそうやったとしますよ、死刑になりたかった。
じゃあ加速させとるやんけってなるわけじゃないですか。
いやそうなんですよね。だからさっき言った漠然とした抑止力ってある気がするって思う自分の感覚と、ずれるんですよね今の話。
これだからいつもね、結局すごい壮大な水かけ論となっていくんですよ。じゃがいもよりね。
だいぶ壮大やし、だいぶ深刻ですよね。じゃがいもに比べると。
野々知り合って終わっていくよ、ゼミとかやっても、排斥派と賛成派の抑止力があるないっていうのを自分の信じて疑わない部分をうわーってやって。
そうすると確かにやっぱり感情というか、もうちょっと感覚、自分の感覚的な話な気がするんですけど、
その丸山さんの専門の刑事政策的に、じゃあ死刑が効果があるのかとかないのかってどう考えるのかっていうその効果って何ってとこはちょっと言っといていただいていいですか。
これは死刑だからどうとか、抑止力どうこうってよりあらゆる刑事政策とか対策の中で何が効果があるかどうかでもう僕らって語っていくしかないんですよ。
個別事例出し出したら、そりゃそういう事例はあるだろうって話になってくるんだけど、じゃあその個別事例に従ってみんなそういう政策取りたいですかっていう話になってて。
例えばね、交通事故でですよ。シートベルトをしなかったが故に助かった人がいたとするじゃないですか。
たまたまね。
後で振り返ったら、車ペチャンコなってるやん。けどしてなかった故に突き出てってバカーンってゴロゴロってなって助かったっていう人がいたとするでしょ。ゼロとは言えんやん。
そうですね。それはそうですね。
だからそういう事例があったんで、じゃあみんなシートベルトせずに運転しましょうねってはならないんじゃない。
ならないですよね。
なぜかというと圧倒的大多数はシートベルトするから助かるんですよ。
確かに。
そうすると一事例として、例えば抑止力があるって本当にあった事例があるとするじゃない。
はい。
だけどそれはエビデンスで語ってなくて事例を語っただけであって、それは本当にエビデンスとして言えるかと言われるとそうじゃないわけでしょ。
そうですね。
これはだから死刑の抑止力が云々というより、全ての政策においてこういうのが効果あるんじゃない。例えば監視カメラを付けたから犯罪防げたんじゃないとか、ここにこういうセキュリティーの人置いたから防げたんじゃない。
だから防げた事例は確かにあるかもしれないけど、それが1000件に1件とか1万件に1件とか、1万件に1件助かったら9999件は失敗しとるわけですよね。
そうですね。
そうするとそれが意味があってそれをすべきだっていうののエビデンスにはなっていかないですね。
だからそれが学問というか調査をするとか刑事政策犯罪学ということですよね。
心苦しいですよ。殺人とか被害者がもちろん1人も出ちゃダメなんですよ。
それはその通りなんですよ。1人も出ない。本当なら全てが助かるっていう方法を取るべきなんです。べき論で言うとね。
ただいかに効果的で効率いいものは取っていくかっていうので、こういう政策の方がいいんじゃないですかって言わざるを得ないですよね。
手のあった時にこの死刑の今の取り分け抑止力のところですよね。っていうのはどういうふうに考えていけばいいかをちょっと話してもらいましょうか。
死刑の抑止力ですか。
そういう研究自体って難しいところはあるかもしれないんですけど、死刑の抑止力についての研究とかってあるんですか。
これは今言ったような本当はエビデンス取っていけたらいいんだけど、実験してね。
それを例えば実証しようとしたら理論的に言うと10年とか30年とか50年とか死刑やめてみてどう変わったかっていうのをやるしかないんですよ。
凶悪事件が減ったの増えたのやるしかない。
理論的にはそうなりますよね。
ってなってくると今行われている研究で語ろうとすると実際やめてみた国を見るしかないとか。
もしくはよく基準として言われるのは10年執行してないと事実上廃止国とか、やってない州だと事実上廃止州って言われたりするんですけど。
廃止した国とか事実上の廃止国のその前後やってみて、凶悪事件とか殺人が増加しましたかとかっていうのを比較するぐらいの研究をやるしかない。
ぐらいっていうかこれが一番志向ですね。
社会実験できない。
そうですよね。やっぱり実験でやるのはちょっと人の生き死にがかかった話なので。
でしょ。
難しいですよね。
ってなってくるとその実験はできないんで研究として出されたのがハワイ大学のデイビッド・ジョンソンの研究なんですよね。
デイビッド・ジョンソンって超日本では有名なんですよ。
まず日本研究ですごい有名なんですよ。
もともと日本で検察官の研究されてたんですよね。
へー。
そう、やっぱりね、初出しの話の方がいいよ、こうやって驚いてくれるから。
検察官の研究されてて著名な本出されたわけね。
この時まだバークレーにいらっしゃって、その後就職されてハワイ大学に移られた。
このハワイ大学に移られてからの研究に死刑のテーマがあって、結構日本でも死刑の本出されてますよね、デイビッド・ジョンソンって。
知らない?
言ってくれたらわかると思います。
例えば、アメリカ人の見た日本の死刑とか、孤立する日本の死刑とか、死刑に関する本たくさん出されてるんですよね。
そうでした。
家にありました、この本。
でしょ、知ってると思ったよ。
家にありました。
What do you mean?
失礼しました。
デイビッド先生って日本以外にどこか対象にされてる国とかってあるんですか?
ファーストネームやから、デイビッドって。
ヤスヒロ先生の先生ですよね。
かけてジョンソン先生っていうのもね。
デイビッド・ジョンソンが本を出したんですけど、これがご師匠さんのユーシー・バークレーの先生にフランクリン・ジムリングって方がいらっしゃるんですね。
このフランクリン・ジムリングと一緒に共著で出した本があるんですよ。
そこでアジアのいろんな国の比較研究をして、廃止した国がどうなったかとか、事実上廃止した国がどうなったかっていう研究をされてて。
例えば、この本の中でいくつかの国言われてるんですけど、興味深いのがフィリピンとか。
フィリピンって1987年に一回死刑廃止して、さらに93年に復活するっていう。
だから、やめたり戻したりまたやめるっていうのを繰り返してて、その前後に殺人どうなったのっていうことを研究されたわけね。
いろんな興味深い結果が出てくるのが、そもそも死刑があった時期も殺人すごい多いんですよ。
抑止力あるかって言われたらそこで怪しいし、廃止された後だからといって別に殺人事件の増加はなかったり。
むしろ、じゃあ復活した時にどうなったかというと、その時は望まれて復活してるんで、死刑のラッシュが起きて、すごい執行するぞっていう風になってくるんだけど。
ただそれはちょっと逆に触れすぎて、死刑判決の例えば40%ぐらいが殺人伴わない事件に死刑を言うとか、一気に原発火に動いてとか。
混乱期の時に死刑判決を再審査するっていうような立法をして、そうするとすごい数の例えば1500件以上の事件について審査して、そのうち270件だけが死刑判決維持して、あとは死刑やめちゃいましょうとか。
結果死刑をやめて殺人とかの凶悪事件も減っていってるっていうことなんですかね。
だからそれも難しくて死刑だけで殺人を減らしてる増やしてるっていうのじゃないの。
やっぱりいろいろ複雑で人と社会が起こしていくからいろんな考え方あるんですけど
基本的には殺人どころか凶悪犯どころか窃盗だってなんだって生活が安定していくほど経済が上向きとか人口がどうなってるとか
みんな不満なく生活できるとか教育とか福祉とか医療に安心できる社会が前提にあればそもそもいろんな犯罪的には落ち着いていくわけね。
そうすると死刑で抑え込んでるから殺人が増えた減ったっていうよりはまず社会の安定これ前提でしょうね。
社会が安定して成熟するとか発展するとかってなれば当然社会政策とか福祉政策も行き届くわけで
そうすると犯罪というものも全体的にも減りそうだしなんか死刑1個が必要だとかこれをやめたら犯罪が増えるとかそういう話じゃないっていう感じはなんかしますね。
少なくともそういう凶悪犯罪とか犯罪を減らしたいなら抑圧的に死刑で止めようっていうんじゃなくてみんなが生きやすい社会作って減らすっていうのが一番ベターなんじゃないですかね。
さてここで犯罪学をもっと身近に感じてもらうために犯罪学の観点から円溜めを見ていきたいと思います。
今日お勧めするのは死刑について哲学的な視点で考えるというために一作を取り上げたいんですけどチャップリンの殺人狂時代をご紹介します。
殺人狂時代は1947年に喜劇王チャールズチャップリンが監督脚本制作作曲主演を務めた離職の作品です。
銀行員として真面目に働いてきたベルドゥは不況の煽りを受けて仕事を解雇されました。
彼は車椅子の妻や幼い息子を養うため裕福な女性を次々と誘惑し命と財産を奪っていきます。
数年後ついに逮捕された彼は戦争による大量殺人についてのメッセージを残して死刑台へと向かうという映画です。
これはもう有名なあれでしょ。複数人殺すんだと犯罪だけどとかっていう。
そうですそうです。
でしょ。南口さんこれぜひ取り上げたいっておっしゃってたんですけど、なぜでしょうか。
これ殺人行為。主人公のチャプリンは殺人行為をするわけなんですよね。しかも複数人の。
その背景として時代的には戦争に向かっていってたくさんの人が殺されていく。
戦争をやるから軍需産業に携わる人たちも出てくるんですよ。
で、チャプリンがちょっと殺すつもりだったんだけれども、少し考えを変えて助けた人がその後チャプリンを助けてくれる瞬間が来るんだけど、その時その人が軍需産業の仕事をしていて。
軍需産業で今安定してるってことはその人たちの関係者が作った武器があちらこちらで人を殺しまくってるってことなわけですよね。
なので殺人をしているチャプリン、そして戦争をしている国家で、その戦争をすることに加担している武器を作っている人たちが出てくる中でチャプリンが死刑になっていく。
っていう4つのその人を死にいたらしめる行為が、私が今見ているものっていうのが、これは果たして何なんだろうってすごい考え込まされるんですよね。
もちろん白黒映画の古い映画なんですけど、起きていることは複数人を保険金目当てに結婚詐欺で殺しましたっていう、いわゆる凶悪犯罪ですよね。
その人が捕まって死刑になりますっていう中で、ほんまにそれって正義の発露なのかっていうのを考え込まされる映画なんですよ。
なので、ぜひ死刑について考える一作としてもいいかなと思って。
むっちゃ哲学チックのヒロソフィアの人じゃないですか。
そうなんです。すごいいい映画です。なのでぜひ今日の、これでだいたい、いわゆる賛成派の方と反対派の方がおっしゃるところの死刑に関する論点、だいたい一通りいったんじゃないかなと思います。
素晴らしいね、素晴らしい。じゃあ哲学的なテーマの会話、持たなくていいってこと?
まあ今後また考えましょう。
はい、わかりました。
丸山先生に解説してほしいエンタメ作品がありましたら、番組詳細欄にあるリンクよりご投稿ください。
さて、この番組では感想や質問、リクエストなどをお待ちしております。番組詳細欄にあるリンクよりお気軽にご投稿ください。
Xではカタカナでハッシュタグ、罪な話をつけてポストしてください。
ここでメッセージをご紹介します。
泣かずとばずさんからいただきました。
前半を省略させていただきます。
解説のリクエストとして、少年は残酷な弓を射るをご紹介いただいています。
この映画の後半部分、少年刑務所の様子が描かれています。
質問はそれにも関連するのですが、少年が重大な犯罪を犯して習慣され、
その重大さ故に刑期が長くなるということはあると思うのですが、
その場合、少年は刑期の途中から大人の刑務所に移送されるのですか。
もしそうだとしたら、刑期のカウントはどうなるのですか。
同じ懲役といっても、少年と大人ではそもそも目的とか扱いが違ってカウントが変わるのかどうか知りたいです。
毎回聞く度に、この私が住んでいる社会の知らなかった側面が見えてきて、社会への改造度が上がってくる気がしています。
これからも楽しみにしています。長文をお許しください。とメッセージいただいております。
ありがとうございます。おそらく質問のご趣旨としては、
少年法が将来の犯罪非公を防ぐための教育であり、福祉という概念ですよって何回も番組で言ってきて、
かたや少年刑務所のようなところがあって、どうなっていくのかなっていう点と、
いつから刑務所を移送されるのかなとか、同時に行われるんじゃないかっていうところから質問されていると思うんですよね。
この映画自体は日本のものじゃないと思うので、日本の前提にお返事しますけど、
その国はその国のいろんな規定があるので、僕から解説するのはちょっと難しいんですけど、
例えば日本で言ったらという時に、家庭裁判所でそもそもそのまま教育福祉を重視した保護処分にするのか、
そうじゃなくて、この子に関しては刑事処分の方が相当だから、一般の裁判に回しますっていうのが分かれるんですね。
その一般の裁判の方に行った後に刑事処分に課されるとなると、それはもう保護じゃなくて刑罰を課される方に行っているので、刑罰が前提です。
ただ年齢によっては行くところが変わっていて、そもそも少年刑務所に行けるのって16歳ぐらいからなので、