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2025-11-17 55:44

# 32-3 カントで動物倫理を語る意味とは?――“飽きないゲーム” “星空” “ロゼッタストーン”としてのカント(早稲田大学 中村 涼さん、北海道大学 清水 颯さん)

今年2月1日に開催された、動物倫理かいぎ創立記念イベントの発表内容を、登壇者ご本人にシェアしていただくシリーズ!第四弾のゲストは、早稲田大学の中村涼さんと北海道大学の清水颯さん。


お二人はカント研究を下敷きに、中村さんは環境倫理、清水さんは人と人以外との関係に取り組んでこられました。


今回は前回に引き続き、ご研究の関心、動物倫理におけるカント義務論のアプローチに加えて、カントを下敷きにした研究や倫理学における理論研究の意義などについてもお話しいただきました。


300年前を生きたカントをもとに現代を語ることや、アプローチしやすい他の理論ではなくカント義務論を取り上げることに意味はあるのか? どう向き合うべきなのか?

さらにはお二人にとってのカント研究の現れ方、動機の違いも興味深く、人柄にも迫れるようなお話でした。

聴いていただくと、倫理学の魅力をあらためて感じてもらえるかもしれません。



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こちらのフォームからもお便りお待ちしております。



中村さんのカント的アプローチ / 動物実験を減らすための議論 / カントの議論を21世紀視点で問い直す / あの時代に生きていたからカントはカントである / 2つの意味で「難しい」直接義務のアプローチ / 権利論と義務論とカント義務論 / 工場畜産批判をするためにカントをアレンジしすぎる / 理論が倫理を豊かにする / 倫理学はかぎ針だ / 倫理学が好きになった! / 二人が名言連発 / 研究の展望 / カントはなかなか飽きないゲーム / カントは星空 / 実践と学問をつなげる / 骨太の問題意識が必要 / コットンさんと背後の綿引さんから動物倫理かいぎへの思い


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各種リンク

動物倫理かいぎ:

中村涼さんResearchmap

清水颯さんResearchmap

サマリー

カントの動物倫理についての議論が展開され、彼の哲学が現代の動物実験や倫理的配慮にどのように関連するかが考察されています。特に、カントの義務論に基づく新たなアプローチの必要性があり、動物に対する配慮を広げる可能性が探求されています。このエピソードでは、カントの倫理学と動物倫理に関する議論が行われ、カントが動物の権利や義務論に与える影響について考察されています。また、動物の権利論と功利主義との違いも論じられています。このエピソードは、カントの倫理学が動物倫理にどのように関わるかを探求し、倫理学の多様性や価値観の重要性について議論されています。特に、カントの思想が現代の動物やAIとの関係にどのような示唆を与えるかが取り上げられています。さらに、このエピソードでは、カントの哲学を通じて動物倫理について考察し、アクティビズムとの関係が探求されています。出演者たちは、カントを星空に例え、その魅力や理解の難しさを語りながら、動物倫理の重要性と社会的正義の実現に向けた取り組みを強調しています。

カントの哲学と現代の関連性
清水 颯
単語は、一般的な言葉で説明すればいいが、おそらく、カントの言葉は、カントによる実践が、真っ当な意味を持つためには、骨太の問題意識がない。
中村 涼
シンプルに、カントが言っていたことを、そのまま現代に持ってきた論調ってクソつまんないですよね。
清水 颯
カントの不必要な仕方で動物に残虐になるということの正当性はないよ、って議論と合わせれば。
中村 涼
カントっていうゲーム見つけて、飽きたらやめようと思ったら意外に飽きなくって。
清水 颯
わたしにとってカントは星空なんですよ。宇宙なんですよ。
むらた
前回はカントや環境倫理、人と人以外の関係に関する倫理を研究するようになったきっかけや、
カント義務論からの動物倫理の4つのアプローチについてご紹介いただきました。
今回はその続きからお届けします。
アプローチが違ってもちょっとまた合流してくるっていう。
そのあとは中村さんが近い間接義務をそのまま持ってくるアプローチだとどうですか?
中村 涼
私も間接義務そのまま、清水さんがすごい丁寧に説明してくださった通りなんですけど、
そのままいっても皆さんが思っているより、あるいはカント自身が想定していたよりも、
カントのテクスト内在的にも、あるいは21世紀の状況を鑑みれば、
みんなが思っているより、あるいはカントが想定していたよりも、もっと動物に対して配慮できるっていうところを主張していきたいタイプなんですけど、
じゃあどこまでできるのかっていうとかなり難しくて、
そこからはこれからの、簡単に言ってしまうと、これから研究していかなきゃいけないことだなと思います。
前半部分で清水さんがちらっとおっしゃってましたけど、
カントが想定していた動物実験とか単なる思弁に基づいた、思弁のためだけの動物実験みたいなのに立脚してしまえば、
かなり狭い範囲でしか動物に対する利用は規制できないわけですので、
じゃあ現代の数々の動物実験あるいは人体実験の上に築かれた科学技術の成果を踏まえれば、
もっと減らせるんじゃないかって、21世紀視点から問い直すことは私は必要だと思っていて、それをこれからやりたいなと思っています。
むらた
カントが生きていた時代から300年ですか、生まれてから それ以上経って、この時代を踏まえると、またカントが言っていることから新しいことが言えるっていうのは、
カントも思っても見ないことが出てくるっていうのが、すごい面白いですね。
中村 涼
そうですね、この300年で大量の動物実験とおそらく人体実験を経て、安全性が確証されている薬品っていうものが大量に爆発的に増えたわけじゃないですか。
それでもやっぱり化粧品会社とか薬品会社、安全性が保証されている製品であっても動物実験している会社があったり、
あるいは私もスキンケア結構好きなんですけど、新しい成分を配合したいっていう思いがあるんですよね、多分お化粧品を作っている企業さんとかは。
なので、そういう意図に基づいて、別に同じ効果を別の薬品、安全性が確証されている薬品でできるのに、こういう名前をつけたいから動物実験するって試みもあるわけで、
そういうものは現代的な観点から捉え直す、必要性と不必要性って何なんですかって哲学を一つ別に確立して、それを先ほど前回から述べているカントの不必要な仕方で動物に残虐になる、
残虐になるっていうことの正当性はないよって議論と合わせれば、もっと広く動物に対する配慮を語れるんじゃないかなって今は思っています。
現代的視点からのカントの理解
むらた
ぜひ、動物実験を減らす議論、進めていただきたいなと思いました。
中村 涼
食べ物もそうですよね。今も飽食の時代なんで、私も近所のスーパーに行けばいくらでもプラントベースの食べ物を容易に選択できるわけですから、
肉でも300年前は農村地帯だったらたくさん水を使って育てなきゃいけない植物と豚しか栄養摂取の可能性がなかった時代ですので、カントの時代は。
カントはお金持ちだったからいろいろ食べてたと思いますけど、そういう状況では(21世紀に生きる我々では)ない人がほとんどですので、
そうなってくると本当に必要なものと不必要なものの境目っていうのは考え直していかなきゃいけないと思います。
カントの時代にはどんな動物実験だって意義があったんだ、議論は終わりってなるんじゃなくて、やっぱり現代的な視点での問い直しが必要なのかなと思っています。
清水 颯
それは一つ、ちょっと一般論っぽくなっちゃうかもしれない、一般論というか哲学研究、哲学者研究っていう文脈において、すごい僕が思ってることなんですけど、
まぁさっきの中村さんの自己紹介というか研究の動機、今どんな研究をされているのか、やっぱりカントが何を言ってるのかっていうのを明らかにするっていうので、長い時間費やしてきたっていうふうにおっしゃっていると。
これはすごく大事なことだし、その時に我々は現代の常識を持ち込んじゃいけないわけですよね。だってカントが何を言ってたか明らかにするのに、カントの時になかった道具があったかのように想定してしまったら、それはカントを理解できないってことになっちゃうわけじゃないですか。
でも一方で、哲学を研究するっていうことそれ自体に、もうこの時代の問題を考えるってことが内包されてると思うんですね。この時代の問題を考えずに哲学ができないと思うので、もう哲学は時代の刻印を押された学問だっていうふうに僕は思ってるので、
そこを考えるときに同時にカントが当時語ったことが何であったのかってことを加えて、中村さんが具体的におっしゃってくれたような、じゃあ今それを使って何が言えるのか。これは必ずしもカントが今の時代に生きてたら何を言うのかではない仕方で研究するってことが、
哲学、ある特定の哲学者を研究している人がやるべき仕事、大事な仕事の一つだなというふうに思っています。
むらた
カントが今生きてたらっていうわけでもないんですね。
清水 颯
ないですね。カントがこの時代に生きていたら何を言ったかっていうのは、考えるのは面白いです。非常に考えるのは面白いですけど、あの時代にあの場所であれを書いたからカントなんですよね。
この時代にカントがいたらそれはたぶん我々が見ているカントではないんですよね。なのでそもそもナンセンスなことを言ってると思うんですね。
さっきも言ったように時代に刻印を押されても、我々はこの時代のこの状況のこの道具立ての中でしか思考ができないという制約がかけられてしまっているので、この時代にカントが蘇ったら確かに違うことを言うだろうけど、それはカントが言っていることを新しい人格がそこにいるっていうことになると思う。
むらた
カントのテキストとかを理解していくときに、カントはこの時代にこういう環境で生きた人だったんだっていうのも踏まえないといけないし、逆に実践的なこと、動物実験がどうとか考えるときに、
あの時代のをそのまま持ってきても仕方がなくて、その時には今の文脈も踏まえないといけないよねというような感じでしょうかね。
清水 颯
そうですね。シンプルにカントが言っていたことをそのまま現代に持ってきた論調ってクソつまんないですよね。
っていう強い言葉を使ってみましたけど、あんまり面白くないかなって思いますね。やってる側もやってる側は面白いんだかもしれないけど、見てる側も面白くないので、もうちょっとちゃんとしようって。(笑)
むらた
間接義務そのままアプローチの話をさっきまでしてましたが、直接義務でカントっぽくとか直接義務どうにかして動物擁護みたいなのはちょっとどうなんでしょう。清水さんとしては難しそうじゃないっていう見解でしたかね。
清水 颯
はい。難しそうっていうところに2つ意味がかかっていて、その論理自体が難しそうっていうパターンと、カント使っていくの難しそうっていうパターンですね。
後者はおそらく中村さんもよく感じると思うんですけど、やっぱりカントを現代に持ってくるっていう時に、やっぱりしっかりと現代の状況とかを鑑みて、ある種変更を加えながら自分で考えるってことが大事だっていうのは先ほど述べた通りなんですけど、
だったらちゃんとそう言ってよっていうところがあって、すごくカントをリスペクトしながらカントの道具立てを使って、例えば一つのある議論としては義務の方向性の話でさっきも言ったように、理性的な存在者に義務が拘束される、義務が向かうっていう時の理性的存在者っていうものが何なのかっていうところで、
いわゆる非ヒト動物もそういう義務、我々を拘束する存在として考えられるんじゃないかっていうことによって、要するに非ヒト動物も理性的存在だよっていうことですね、簡単に言ってしまう。それによって義務の話をするっていうこと。
これは、端から見るとめちゃくちゃカントを修正しなきゃいけないわけですよね。だってそんなこと言ってないわけですから。そうじゃないって言ってるわけなんで。そこにやっぱり大きな変更点があるように思われるけど、やはりカントのいわゆる内在的にカントが何を言っていたかっていうことから論じるっていう立て付けというかスタンスを取っているので、
よく言えば、アクロバティックな読み方をしていると。悪く言ったら、それどう読んだ?っていうことになってくると。そういうカント解釈としての難点があって、もう1個言うと
だったらカントって言わない理論を使った方がよっぽど上手くいくのに、なんでまだカントそれやってるんだろうっていう仕方で、どうせカント使って頑張るんだったらさっきのニコ・ミュラーでやったように、めっちゃラディカルにやった方が面白いんじゃないのっていうふうに思う意味で、上手くいってるかいってないかっていうのは非常に評価が難しい。上手くいってるから一定の評価を受けていると思うので、ロジックとしては上手くいってるんですけど。
僕はちょっとわかりづらいし、カントじゃない方が上手くそれを言えすぎるのではっていう疑問が浮かぶっていう感じですかね。
コットン
先ほど4つアプローチは分けられてると思うんですけど、今言われてたのは直接義務なアプローチの中でなんていうか。
3つ目ですね。
3つ目の立場はなんですかね。
清水 颯
直接義務は動物に対して我々は持っているが、人間に対する義務と全く同じ種類のものではないっていうタイプですね。義務の種類を1個増やしてるって言ってもいいかもしれないんですけど。
コットン
それが少しカントから離れすぎじゃないかみたいな思いを持ってるっていう話ですかね。
清水 颯
カントから離れすぎじゃないかっていうところもありますし、カントを読んでこれが出てくるっていう雰囲気があるんですけど、カントを読んでもそれは出てこなくないっていう。
コットン
ニコさんとかがやられてるのは4つ目のアプローチ。
4つ目のアプローチ。
清水 颯
つまり直接義務のもう1つのアプローチ。
コットン
はい。なので3つ目の直接義務。
清水 颯
なのでニコ・ミュラーとかがやってるアプローチが最初にやってるのは、その前半3つを全部批判するっていうことから始めるってことですね。
そうしないといけないんで、ラディカラにやるためには。
むらた
聞いてみたかったのは、動物倫理の3大理論みたいな感じで、功利主義とか得の観点から述べるとかあって、権利論っていうのがあると思うんですけど、ポッドキャストでも以前取り上げたんですが、
これは義務論と関連していると理解してるんですけど、これはどうなんですか。カント風にやってるやつなんですかね。直接は出てこないよみたいなことなのか。
清水 颯
そうですよ。
中村 涼
どうぞ。
清水 颯
僕はもう全然言うことはあんまりないけど、そうだと。
権利論っていう潮流の中は、やっぱり義務論的な立て付けで話は進んでいるし、でもちょっと難しいですね。
カントからは一旦、これもちょっと一回遠回りしますけど、いわゆる倫理学説みたいなものを挙げたときに、功利主義ないし、否決主義、得倫理。
義務論とカント
清水 颯
やっぱり義務論って言われるときと、カント倫理学って言っちゃうときと、義務論って言いながらカントの話しかしないってパターンがあると思うんですけど、義務論って結構アンブレラタームなんですね。
例えばイメージ的には、功利主義って言ったときに、ジョン・スチュアート・ミルって言ってるようなものっていう感じですね。
つまり、功利主義って結構いろんな立場からの功利主義的な理論ってあると思うんですけど、義務論もあるんですね、いっぱい。
そういう感じでいっぱいあるんですけど、なんか知らんけど、義務論だけ結構、カント言っときゃ義務論語ったことになるみたいな風潮がちょっとだけあるんで、そこでちょっとそこが生まれてるのかもしれないですね。
トム・レーガンとかが一応、カント的な議論を一応知ってる、カント的なというか、カントに言及しながら動物の権利っていうところ、ある意味では直接義務的な仕方でやってますけど、
あれもカントから論じているっていう雰囲気ではやっぱりないとは思うので、義務とか権利とかっていうふうに語り出すと、義務論っぽいからカントがそこにうっすらと見えるってことがあるかもしれないんですけど、
そこはちょっと距離感はよく気をつけないといけないかもしれませんね。
中村 涼
私の理解だと、清水さんがおっしゃったことに何の異存もなくて、プラスアルファのレーガン的な動物の権利論が、まず前提としてこれは広い意味での義務論の中の一つのものだし、
カントではないけど、カント的なスキームにある種乗っかっている部分があって、それはまずこのレーガン動物倫理の発生原理としてピーターシンガーの功利主義に対するアンチテーデというか、アンサーとして出されているということですよね。
そこの批判の論点っていうのが、ピーターシンガーは動物の苦しむ能力っていうものに着目して、快が多いことが善であり、苦痛が多いことが悪であるってしたわけですよね。
でも結局この私の快が多いことが良くて、この私の苦痛が多いことが悪なんだけど、この私自身、トムレーガンは快苦の入れ物って言いますけど、コップの中にどれぐらいの快が入っているかだけが問題なのであって、このコップ自体は何も大事じゃない。
つまりこの入れ物、快苦の入れ物である私とか犬、それ自体は何も価値があるって言えないじゃないか、功利主義はっていうところがまず批判のポイントだったと思うんですね。
カント自身も功利主義とカント的義務論を対視されたときに、カントの利点として挙げられるのがそこで、この人間、人格自体に何か価値がある、あるいは尊厳があるって言えるところがカントの強みであって、トムレーガンも多分そこに乗っかっているわけです。
別に快が増えたり苦痛が増えたりすることがこの動物たちの価値なんじゃなくて、この動物が生を主体的に営んでいるっていうこと、その主体が生きているっていうことそれ自体に価値があるんだって言いたくて提出された議論であるという点では、多分カントと功利主義に対するカントの重みづけとパラレルというか同じ立場、ポジションにあるのかなと思います。
じゃあ何がカントと違うのかっていうと、トムレーガンは明らかに間接義務を否定して直接義務を語るし、義務の根拠、さっきカントは理性があるかないかだったんですけど、そうじゃなくて生を主体的に営んでいるか、その対象が生の主体であるかということを根拠にしているっていうことが全く違うということになると思いますね、私は。
むらた
なるほどちょっと理解が深まってきました。
中村 涼
動物の権利論はまず義務論であって、直接義務論である。
なんで功利主義じゃなくて直接義務を主張しないといけないかっていうと、そこはカントの利点に乗っかっていて、その器自体、存在自体に価値がある。別に快が増えたり靴が増えたりすることに価値が上がったり減ったりすることが重要なんじゃなくて、私がこの体で生きているっていうそのものに尊厳とか絶対的価値、内在的価値ですかレーガンの言葉で言うと。
カント的。でもひるがえってカント的じゃないのがその価値の根拠。理性なのか生の主体なのか。
多様な倫理理論の重要性
中村 涼
当然カントは理性に価値の根拠を置くから理性を持っていないものに対する義務は間接的にしか語れない。
けどレーガンは生の主体であるっていうことで既に価値を持っている存在とみますから、そういう主体はワンちゃんとかブタさんとかが目の前に現れたときに、カントと違って彼らに対して直接的に私たちが義務を負えるってことを主張できるってことが似てるところと違うところかなと個人的に思います。
コットン
すいません、あれですよね、工場畜産が道徳的に悪かどうか、制約はどうなのかってことを竹下さんに解説してもらって、功利主義と権利論と特利論の三つの立場から、やっぱりどの三つの立場どれからでも工場畜産は正当化できないって話をしてもらいましたけど、
でも権利論とカントの義務論が違うとなると、カントの義務論から工場畜産に対して何が言えるのか気になるところですね。
そこからでも同じ結論が出たら、カントからでも同じ結論が出るんだっていうことで、やっぱりそうなると正当化が難しいだろうなって話になると思うし。
そこら辺、今度話し聞かせてもらいたいところです。
清水 颯
でも難しいと思う一点が、言えるよう模索してカントを読みつつ、いろいろとアレンジしていくってことはできると思うんですけど、それで出てきた工場畜産に対する批判的な観点をカント義務論から論じるっていったときに、
結構アレンジされてるんで、今コットンさんがおっしゃった、よく知られてるものから同じことがっていうときに想定されてるようなのって、たぶんめちゃくちゃよくあるカントの義務論だと思うんですよ。
だからめちゃくちゃよくあるカントの義務論から言うのはすごく難しいから、結構アレンジされたカント義務論になっちゃうと、それはもしかしたら、そんな頑張って読んだからでしょって言われる可能性は捨てきれないので、そこもちょっと戦っていかなきゃいけないなっていう気がしますよね。
非常に注意しなきゃいけないし、たぶん容易に想像ができるレスポンスだと思います。
コットン
そういうレスポンスに頼るように、なるべく忠実に読もうとしているってことですよね、清水さん。
清水 颯
そうですね。
コットン
なので2回目ですけど、応援してます。
むらた
応援してます。
清水 颯
カントを続けなければならなくなっちゃう。
むらた
ほんとですね、前半の話しといい。
カント義務論から動物のことを考えようとすると、すごいこねくり回さないといけなくなるっていうお話でしたけど、
なんでその人たちはカントに頼り続けるのかなっていう素朴な疑問なんですけど、
頼る意義とか、他の理論に比べて感じているということなのでしょうか。
清水 颯
それはさっきもちょっとだけ喋ったことにも関わると思うんですけど、
やはり、たとえ同じことが、もしくは違う結論でも、
例えば動物の福祉を向上させたりとか、
工場畜産の悪さを批判する、動物実験の悪さを批判するっていうことが言えるときに、
例えば功利主義を使ったほうがよっぽどうまくいくパターンっていうのは全然あると思いますし、
徳倫理を使ったほうがうまくいくパターンっていろいろあると思うんですけど、
さっきトム・レーガンがまさにピーター・シンガーを批判した仕方で、
権利論を打ち立てたという文脈から分かるように、
やはりそのコアと理論である時点で、
やっぱり何かを大事にして、何かを大事にしないっていうことをしなきゃいけないわけですよね。
功利主義だったら快とか、いわゆる有感性、何かを感じる、快苦を感じるということ、
それ自体がすごい内在的な価値を持って大事なことだと言えるわけですね。
一方で、確かにカントはそれをうまく拾えてないかもしれないけど、
いや、我々は快苦を感じるだけの生き物じゃなくてみたいな仕方で、
別の大事さを理論の中で打ち立てることができるわけですよね。
そうした仕方で、たとえ結論が動物畜産はダメだっていうことになったとしても、
一個の理論だけじゃなくて、いろんな理論から言うことによって、
豊かになると思うんですね、内実がというか。
理論がやる、いわゆる動物倫理の中で、いわゆるアクティビストの方もいますから、
実践という仕方で、実践につながっていない理論ってあんまり良くないよねっていうのは一般論であるかもしれないですけど、
実践に理論がどう貢献するのかっていったときに、
実践をどうあるべきかっていうことの中身をすごく豊かにするのが理論屋さんたる仕事で、
そのときに、なんでカントで頑張るのかっていうところ、
もしかしたらカントが他の理論の何よりも優れてるんだって人がいるかもしれないですけど、
僕は少なくともそうじゃなくて、いろんな難点はあるけれども、
カントが大事にしている理論の核ってものを使いながらこういうことが言うってことは、
こういうことがこういう仕方で言えるんじゃないかといろんな仕方で波及していくわけなので、
そうして我々が、いわゆる道徳とか倫理っていうふうに言われる中で成すべき実践ってことを考えていく上でのスタンスを豊かにして、
かつ僕はそのスタンスを多元的に取ればいいと思ってました。
いろんなときにいろんなものを取ればいいと思っていて、
カント研究してるからずっとカント的に生きなきゃいけないわけでは全然ないし、
もちろんそれでもいいんですけど、功利主義の立場にシンパシーを覚えてるから、
義務なんてクソだって言う必要もないわけですよね。
徳も大事だし、義務も大事だし、でも大事にしているのが一番価値があると思っているものが、
快とか苦なので、こういうふうな議論をするけど、でもここにも義務とか入ってきてるっていう仕方で、
我々が倫理を営むときってすごいごちゃごちゃしてると思うんですよ。
そこにごちゃごちゃしてるので、一個一個ピックアップして整理するのが理論の仕事で、
整理したときにいろんな整理ができてくると、やはりいろんな生き方ができるっていうことがあるので、
その意味でカントに頼るというよりかは、カントを使ってなお理論を組み立てていって、
それを表明して批判されて議論されてっていう、このプロセスというかこの在り方自体が非常に大事かなと思うので、
今後も多分、おそらく主張性が変わったりとか、いろんな新しい存在が、もしかしたらAIから苦を、快苦を感じるAIが出てくるかもしれませんけど、
その時にそれでもやっぱりカントがまた出てくるだろうなっていうのは、我々が実践を考えるときの大事にしているものが何なのかっていう多様さに答え得る理論が多元的だからっていうことなんだろうなっていうふうに思います。
むらた
なるほど。カントが絶対だからこれやってるんだとかそういうわけではなくて。
清水 颯
いますけどね。
むらた
いるか。いるんですね。
まあそうですよね。大好きで。
でも、現実を見るといろんな価値、いろんなものを大切にすることがあるんだから、
功利主義とか徳とか、いろんな観点と同じように、カント的な価値観からも物事を考えてみようよ、議論してみようよってことで、またいろいろ豊かになっていくっていう。
中村さんはこの点いかがですか?
中村 涼
私も清水さんが全部言ってくれたと思ってます。
倫理学っていうのは、編み針、かぎ針だと思ってるので、編み物で使う。
現実の状況っていうのはすごい複雑に編み込まれていて、ぐちゃぐちゃで、どの人からこの議論が始まっているのかとか、どの問題がどの人につながっているのかがわかんない。
倫理学の多様性とカントの重要性
中村 涼
ものを一つのかぎ針、つまり倫理学、あらゆる倫理学は全部一つの原理を持っているわけですよ。
カントだったら理性、難しい言葉をできるだけ使わずに言っても難しくなるんですけど、理性的な自立って言っていいと思いますね。
功利主義だったら苦しむことができるかどうかだけが道徳的に重要だっていう原理。
徳倫理だったら有徳な人とはどういうことかっていう、それぞれ一本の原理を持っているわけですよ。
でも全部大事じゃないですか、本当は。
でもどれか一つに一旦絞ることで、ぐちゃぐちゃになった編み物をまず解きほぐすことができる。
どのかぎ針が一番合っているのかもいじってみればわかるわけですよ、ぐちゃぐちゃな状況を。
この問題は義務論だとスッと解けるな、じゃあ徳倫理で編み直してみようということもできるわけで。
その時のツールとして倫理学を使えばいいと思いますし、その状況に応じて適宜、じゃあ徳倫理で考えてみようとか、
功利主義的に考えてみようっていうふうに使い分けていくことで、
てか、いかないと、だって理性的な自立だけがこの世で唯一大事なわけないじゃないですか。
カントの本読んでると、私はカントの主張には共感しますけど、それだけが大事だとはさすがに思わない。
さっきのトムレーガンのピーターシンガーに対する批判でも出てきましたけど、
私たちの大事さっていうのは快楽とか苦痛を感じられるかどうかだけじゃないと思うんですよね。
なので複合的に考えなきゃいけないんだけど、じゃあなんで一本の理論、一本の原理で、
私たちが我々カント研究者として、前回の竹下さんは功利主義研究者としてやってるかっていうと、
どれだけその筋道で現実の問題を綺麗に解きほぐしかつ、より良い未来のために編み直していけるかっていうのを最も効率的に探究しようとしてるだけなのかなって思いますけど。
むらた
いろいろ聞きたいことを考えていたときに、いろいろお二人のご発表とか論文とか見ていて、
カント義務論から何か言おうとして頑張った結果、それはちょっと伝統的な読み方と違うじゃないかみたいな、
そういうやりとりがあるんだなっていうことが分かって、
理論に囚われるとそうなるけども、好きかって言っちゃえばいいじゃんっていうか、
理論を必ずしも下敷きにしなくても、みたいに思って、その辺りどうなのかって聞こうと思ってたんですけど、
今の話聞くと、一つの価値観っていう、得とか快楽とか、自分の人格、品格とか、そういうところ、
一つ一つの価値観にフォーカスを当てて、そこから一回そこを特化して突き詰めていくっていう、
結果全体として豊かになるっていうことなのかなってなんとなく聞いていて、
清水 颯
いや、素晴らしい。
むらた
思いました。
清水 颯
素晴らしく聞き、聞いていただいたなって思います。
理論をもう一言だけ表現すると、哲学を勉強するときにはもちろんテキストを読んでテキストのことを理解するってすごい狭いことをやっているわけですけど、
例えばカントのすべてを理解できなかったとしても、それこそカントが大事にしている、もしくは功利主義が大事にしている何かってものが分かったときに、
世界の見え方が一つ増えると思うんですよね。大きく言ってしまえば。
この色にしか見えなかった世界が、こんな色もしてたんだ、意外と思ったよりもごちゃごちゃだなとか、思ったよりも綺麗だなとかってあると思うんですね。
それを快楽と苦痛だけが価値で、あとは無価値って言ってしまえば、単色な世界なわけですよね。
たぶんそれは、倫理の、我々が生きている世界の本物じゃないと思うんですね。
でも理論ってそういうふうに積み取っていかなきゃいけないんで、単色のものがいっぱいあって、いろんな色を組み合わせていろんな色になるじゃないですか。
そういう仕方で見ていきたいし、例えば竹下さんなんかは、快楽、苦痛の話、基本的にこれを内在的な価値としますけど、これ以外に価値がないと言っているわけじゃないですかね。
他にも道具的な価値がいろいろあると言っているわけですから。
我々というか、おそらくカント研究者であっても、カント主義者であっても、自立というものに内在的な価値を持つからといって快とか苦に価値がないというわけではないということなんで。
そういう、いろんなものにいろんな仕方で価値があって、それがこの世界の見え方をいろいろ構成していて。
ぐっちゃぐちゃの中で、物事を考える時の一つ手助けみたいな仕方や理論というのがあって、それはいっぱい持っている方が、綱いっぱいあった方が安定するじゃんみたいな感じで、やっていけばいいなというふうに思うので。
ある意味では、チェリー・ピッキングになってもいいから、いろんな理論をぴょいぴょいぴょいぴょい表面的に学んで語ってしまえばいいと思いますね。
あんま気にせず、伝統的なとか気にせず、うるさいっつって。(笑)
うるさい貧相な気がする。
むらた
すごい今日お話聞いてて、倫理学がより好きになったというか、豊かさが見えてくるようになった気がします。
うれしい。
清水 颯
ありがとうございます。僕も喋っていて倫理学を持ってやるじゃんって思いましたね。
喋んないとあんまり内面化もできないというか。
むらた
コットンさんはどうですか?今までのお話聞いて。
コットン
清水さんの「哲学は時代の刻印をされた学問だ」とか、涼さんの「倫理学はかぎ針だ」とか、名言がポンポン出てきたなと思って。
これはちょっと自分はできないなと思って。すごいなと思って、すごい二人だなと思いました。
清水 颯
なんでなんでしょうね。近代哲学やると何か言いたくなるんですかね、そういうこと。
コットン
そうですね、カント読んでると、カント名言ありますかね、いろいろね。そういう能力が培われるのかもしれないですね。
これで多分聞いてる人もカント読みたくなったんじゃないかな。
中村 涼
個人的にはカント全然うまいこと言えないなって。
コットン
はい、まあちょっとそれはいいんですけど、すいません、脱線しちゃいましたけど。
そうですね、やっぱりカント倫理学でやるポイントは、倫理学的な理論の多様性で確保するのに重要なんだということがよく自分も改めて理解しました。
動物倫理の現代的視点
コットン
多分本当になんで今更カントっていう人は多分正直多いと思うんですよね、特に哲学勉強してる人はね。
でもなんか、さっきほど言ったように、結構でも動物に対して直接的義務は特にないとか、自然環境に対する直接的義務はなくて、
全部人間に回り回って利益があるから、あるいは利益がある限りで自然を守んなきゃいけない人を守んなきゃいけないって、
割とでも実際ね、最初誰かいたと思いますけど、そういう考えを持ってる人多いと思うので、
そういう立場から何か動物のためになることが出てきたら、それは本当に現代でも意味があるなと思いますので、3回目になりますけれども。
清水 颯
頑張ります。
むらた
応援しております。
清水 颯
やっぱりカントもそうですけど、あれですよね、何でしょう。僕はちょっとちらっと最初の方で、後半最初の方で言いましたけど、
あんまりカントが好きで始めたわけではないっていうふうにちょっとだけ言いましたけど、でも感覚的には面白いゲーム見つけたっていう感じで、
カントっていうソフトかハードかわからないけどゲームを見つけて遊んでたら、面白いし、いろいろなオープンワールドでいろいろできることがあるなと思ってギュンギュン遊んでたら、
飽きたらやめようと思ったら意外に飽きなくて、続けてて、1回飽きちゃってポンってやっても、何か3ヶ月くらい経ったらもう1回やりたくなってくるみたいな、
そういう面白さを持ってる、おそらくずっと研究され続けてる哲学者のテキストってそういう面白さが多分あると思うんですね。
ボスを倒すためにずっとやって、いわゆる読破するとかやってますけど、ボス倒した後も効率的な道具を集めたくなったりとか、
よくわかんないサブクエストやりたくなったりとか、サブクエストやってたっけ、ここにこんなのがあったりとかっていう、
そういう驚きを常に与えてくれる。驚きが与えられると哲学が始まりますので、そういう1つの契機に哲学書ってなるなっていうふうに思ってるので、
そういう感じでおもちゃだと思って哲学書を手に取ってみてください。そしたら面白くないか、おもちゃだと思って哲学書取っても面白くないかもしれないけど、そんなもんだと思ってください。
むらた
わかりました。そろそろ締めていきたいなと思うんですけど、最後にお2人のご研究の展望なんかを聞いていきたいんですが、
ちょっとこれまで前半とかにも話出てきたような気もしますが、実社会と倫理学というところのつながり、
研究で言いたいことを頑張って言えたとしても、それが実社会に取り入れられるかっていうと、ちょっと壁があるのかなというふうにも感じているんですが、
そのあたり、動物倫理かいぎがある種、結節点みたいな、そういう意味もあるんじゃないかなと思うんですが、そのあたりも含めて今後の研究について、
まず清水さんから展望を伺っていいでしょうか。
清水 颯
はい、わかりました。この調子でカントをやっていきますというのがまず1個なので、これはもうサクッと終わらせちゃって、
僕今AI倫理とかロボット倫理とか、人間以外の存在っていうのを軸にやってるんですけど、
彼らとの関係がどういうふうなものなのかっていうのを倫理学でやっていくっていうのをやっていきながら、
動物倫理の文脈というのは、ちょっと展望的に僕はAI倫理のほうになっちゃうんですけど、やはりAIを実際に使っているユーザーであったりとか、
あるいはAIを開発している会社であったり、企業であったり、もしくはロボット研究者であったり、あるいはそれに何かアドバイスをしているサイエンティストの人がいると思うんです。
僕は今、北海道大学のチェインという竹下さんもいたんですけど、人間知能AI教育研究センターという、いわゆる哲学と人文系の知とサイエンス系の知と、
情報なり、脳科学なりと集めた知能を結集して人間とは何かを問う。
この人間とは何かを問うっていうのをひるがえて、人間以外の動物とは何なのか、もしくはAIって何なのかってことになってくると思うんですね。
その時に、今はとりあえずカントを頑張って使いながら、理論を多様化するって言ってますけど、もう少し世界を広げようと思った時に、
いろんな、さっきのポイント、我々こう今、倫理理論として、なんちゃら主義、こんちゃら主義っていう多様性を確保しましたけど、もっと学問を飛び越えた多様性もあると思うんですね。
例えば、情報系の人から見たらこうだ。動物について心理学的にやってる人から見たらこうだ。
いろいろあると思うので、そういう多様性に次は目を向けながら、同じようなことをやってるかもしれないし、全く違うことをやってるかもしれないですけど、
ずっと僕はそのいろんな視点を自分に取り入れて、自分にとって見える世界がもっと華やかに楽しい世界にしていくためのおもちゃをいっぱい集めたいなと思ってます。
カントとAI倫理の展望
むらた
とても楽しみです。楽しみですし、清水さん自身がずっと楽しまれてきてるっていうのが感じられて素晴らしいなと思って聞いておりました。
中村さんはいかがでしょうか。
中村 涼
そうですね。まず、展望についてはメインには、さっきお話しした私が今後やっていきたいこととしては、
カント倫理学を動物倫理の研究の面ではカント倫理学を使いながら、現代的な視点を盛り込んで、
またカント倫理学とは別に、現代的な必要性・不必要性の研究をした上で、それをカントの間接義務論にかませると、
どういう動物への配慮が語れるのかっていうのを研究したいなっていうのは、すごい小規模な視点ではまずあります。
あと私はカント研究も続けたい。清水さんもさっきおっしゃってましたけど、カント研究続けたいなと思ってて。
清水さんは楽しいおもちゃ手に入れたぞっておっしゃってましたけど、私はどっちかっていうと、
自分がカントを読んだ時もそうですし、カントを教えてくれた大師匠がいるんですけど、大学の。
その人は私にカントをすごい美しく教授してくれたんですよね。
なので私にとってカントはおもちゃよりも星空なんですよ、宇宙なんですよ。
なんか頭上に輝き続けてて、何か遠くにあるけど掴めないけど、なんか進んでいくとその先を見てみたいみたいな。
でもきっと何もわかんないんだろうなみたいな。
あれは前お話ししたけど、ロゼッタストーンなんですよね。
何か書いてあるか、ロゼッタストーンって全部解読されたんでしたっけ?ちょっとわかんないんですけど、
3種類ぐらいの謎の文字で書かれていて、何が書かれているかわかんないけど、何か深淵のものを教えてくれる気がするし、
教えてくれなくてもそれ自体が何かすごく美しくて、私を引きつけてくる一つの芸術だって思ってるので、
だからわからないときは全然楽しくはないんですけど、何かずっと引きつけられるものはあるので、
ちゃんと研究やりたいなと思っています。
アクティビズムの重要性
中村 涼
動物倫理における、さっきすごい小規模な私のアカデミア的な研究の話しましたけど、
さっき村田さんがおっしゃったことをすごく大事にしていきたいなと思っていて、
要はアクティビズムとか、アクティビズムと呼ばれないまでも動物への配慮の実践と学問、あるいは理論をつなげるっていう試みすごく大事にしていきたいと思っていたので、
昨年かな、動物倫理かいぎを設立させていただきました、仲間の皆さんと一緒に。
日本でも世界的にもそうだと思うんですけど、動物倫理研究してる人はいるし、アクティビズムに参画してる人たちもいるし、
単に動物に興味があるっていう人もいる。
動物に興味があるって中でも畜産動物に興味がなんとなくある、なんかひどいことが行われてるっぽいけどどうしていいかわかんないっていう人から、
この家で飼っているワンちゃんネコちゃんをどうやったらもっと一緒によく暮らしていけるんだろうって考えてる人たちもいるわけですよね。
でもあらゆる、別にマイノリティに含める必要はないと思うんですけど、あらゆる社会運動とか人権運動もそうですけどが、
この社会に正義が行われるためにはたくさんの人が手を取り合うってことがまず大前提として必要だと思うんですよね。
お互いエンカレッジしあって、お互いの間に溝を埋まないようにするってことが大事だと思っていて、
そのために動物倫理かいぎがどんどんこれから役割を果たしていけたらいいなと願っています。
そのために私は一応理論側っていうかアカデミックな側から関わっていきたいと思っているんですけど、
私は個人的にはですね、あらゆる実践が全うな意味を持つためには、これも師匠の言葉ですけど、骨太の問題意識がないといけないと思っているわけですよ。
今後の動物倫理かいぎ
中村 涼
なんとなくその気分でやっているっていう実践は長くは続かないし、
琢磨されないから、練磨されないから輝けないと思っているんですね。
そのためには骨太の問題意識が必要で、個人的には骨を太くするためには倫理学が必要だと思うんですよ、あらゆる行為の。
一本筋が通った仕方で行為を遂行するぞっていうところですよね。
その倫理学的な観点からもっと動物倫理かいぎ盛り上げていきつつ、皆さんと一緒にたくさんお話しして楽しい時間を過ごしたらいいなと動物倫理かいぎ的には思っています。
むらた
コットンさんが拍手してますけど。
中村 涼
コットンさんありがとう。
むらた
本当にカントへの向き合い方の清水さんとの違いっていうのもちょっと面白かったです。
星空っていう芸術とか見えないかもしれないけど進んでいくみたいなところも面白いなと思いましたし、
骨太の問題意識を守って人権運動なり、いろいろなアクティビズム、動物擁護運動なりやっていく必要があるっていう理論も含めて研ぎ澄ましてどんどんいかないといけないっていうので、
ぜひ動物倫理かいぎこれから盛り上がっていてほしいなと思います。
中村 涼
ありがとうございます。
むらた
ぜひまたポッドキャストにも来ていただいて何かここも手を取り合えたら。
清水 颯
次はカント研究者としてではなくAI倫理研究者として呼んでいただいても全然構いませんし、
全く違うことを言い出すかもしれないし、やっぱカントダメだわとか言い出すかも。
忘れます。わからないですけど。
むらた
そうですね。ぜひいろいろな視点をいただきたいなと思うのでまたよろしくお願いします。
中村 涼
よろしくお願いします。
むらた
ということで最後何かの動物倫理かいぎの宣伝とか。
中村 涼
コットンさんは動物倫理かいぎに結構しっかり参画されてるんですか?
コットン
一応簡易ではあるんですけどね。
中村 涼
そうなんですね。結構イベントにご参加いただいたり。
コットン
今のところ全部出てますかね。
中村 涼
すごい。
むらた
素晴らしい。
コットン
ファンと言っても過言じゃないです。
中村 涼
ぜひコットンさんからも動物倫理かいぎに参加してみて、
私は運営側なので参加してみて、もしこういうところがすごく良かったよとか、
あるいはこういう話もしてほしいですねみたいなことがあればぜひ伺いたいなって思います。
コットン
そうですね。やっぱり動物倫理かいぎのプレイベントでもそうだったんですけど、
学者だけじゃなくて本当に動物に関心がある人とか、
あとアクティビストとか、あと獣医の人も実はプレイベントのときは来てまして、
本当に動物に関わるいろんな多様な関係者ステークホルダーが同じ場に集まれるような
すごい特別な会なので、
それを今後もそういう場であり続けられるように努力していかなきゃいけないなって綿引が言ってましたけど、
そこで学者もアクティビストの方も、学者とあるいは他の人もお互いに関わっていって、
日本の動物問題に対する関心意識が高まったり情報交換して、
動物擁護の運動がどんどん日本で進んでいけばいいなと思います。
海外だとこういう場はそんなに珍しくないんで、日本にあってもおかしくないと思うんで、
ぜひ日本でもそういう場を育てていけたらいいなって綿引が言ってました。
中村 涼
ありがとうございます。まさにはコットンさんと背後にいる綿引さんがおっしゃってくださったような場を目指して、
動物倫理かいぎ、これからもたくさんイベントを企画してまいりますし、
できるだけ気軽にご参加いただけるようなイベントを各種ご用意してまいります。
前回お話ししたようなオンラインでの結構学術的なイベントから、
ちょっと収録、公開には間に合わないと思うんですけど、
動物倫理研究者と気軽にお話しできるディスコードでのイベントなど各種ご用意してございます。
会員になってくださった方には会員限定のイベントや読物などご案内予定ですので、
先ほどの動物倫理研究者と話そう、は一応会員限定のイベントになりますが、
他にも会員になるインセンティブとかモチベーションを高めるようなイベントも用意してまいります予定ですので、
ぜひお気軽に会員にならなくてもイベントがあったらちょっと行ってみようかなっていうお気持ちで、
全然ウェルカムですので、そういう多様なコミュニティに属している人との対話の場とか、
どういうことをみんな考えて動物と関わっているんだろうという情報交換のためにもぜひお気軽にご参加いただけますと、
我々大変嬉しいですし、皆さんと楽しく過ごせるような場作りを運営委員長とこれからも考え続けてまいりますので、
よろしければぜひご参加いただけると嬉しいです。
むらた
応援しております。
動物倫理かいぎのお知らせだったりはどこからチェックしたらいいですかね。
中村 涼
今、宣伝媒体がいくつかございまして、
特に今何も登録いただいていない方が一番気軽にご覧になれるのが、
こちらのASさんのインスタグラム。
ASさん、動物倫理かいぎの協賛団体までいらっしゃいますので、
ASさんのインスタグラムで基本的に動物倫理かいぎ関連のイベントを告知させていただいております。
もう少し詳しく知りたいよって方がもしいらっしゃいましたら、
動物倫理かいぎ自体のホームページもございますので、
動物倫理かいぎなど検索していただけると出るようになっているかと思います。
さらにご興味ございます方は、動物倫理かいぎのホームページに運営のメールアドレスが載っていますので、
そちらからのイベントのメール配信の希望もお送りいただいてももちろんOKですし、
当然もちろん会員になってくださったら自動的にご連絡はいくようになりますので、
いろいろご検討いただければ幸いです。
むらた
ぜひチェックしていただけたらと思います。
ということで、今回は前半後半に分けて中村さん清水さんの共同発表の内容をシェアしていただいて、
カント義務論だったり、動物倫理学での理論のあり方だったりといったお話を伺ってまいりました。
個人的には、カント義務論にまだ可能性があるんだなっていう希望と、
あとは倫理学全体としての面白さだったり豊かさだったり、
なんかもっと気軽に楽しんでもいいんだなみたいな感じだったり、
すごく得るものの多かった時間で、本当にこの機会いただけてよかったなという気持ちでいっぱいです。
中村 涼
ありがとうございます。
清水 颯
こちらこそです。
むらた
ということで、今回は早稲田大学の中村すずさん、北海道大学の清水はやてさんと、
ASから村田とコットンさん、4人でお送りしました。
はい、皆さんありがとうございました。
中村 涼
ありがとうございました。
清水 颯
ありがとうございました。
むらた
さようなら。
中村 涼
さようなら。
むらた
はい、ありがとうございました。
ありがとうございました。
55:44

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