2025-12-12 40:23

#82 挫折をチャンスに変えたアグレッシブ大学院留学【UC davis 中西さん 前編】

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UC davis 行川研究室で大学院博士課程に在学されている「中西陽菜」さんをお招きし、英語学習や、アメリカで大学院留学を始めるまでのドタバタ劇を伺いました。

またサブMCとして、同じくUC davis 行川研究室で博士研究員をされている北村さんにも参加していただいています。


北村さん回:https://open.spotify.com/episode/3W6A0sTDAq48FHLgY7D2oY?si=UwcyTwOPRnW2YTogUmfEjQ


東京大学理学部学生国際派遣プログラムStudy and Visit Abroad Program (SVAP)

https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/offices/ilo/svap/application.html


🗽トピック🗽 

留学への動機と初期準備/語学交換プログラム/大学院入試不合格/チェアからの推薦状/チャンスを掴む


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

サマリー

中西さんは、東京大学からUCデイビスでPhDを進める過程での挑戦や成長について話します。彼は遺伝学のインテグレイティブジェネティクス&ジェノミクスのプログラムに所属し、海外での留学経験やアメリカでの研究環境についての洞察を提供しています。このエピソードでは、アグレッシブな大学院留学を通じて得た貴重な経験が紹介されます。特に、UC Davisでのラボ選びやコミュニケーションの重要性、留学の際に直面した挫折や成功が詳しく語られています。彼がUCデイビスへの留学を目指し、挫折を乗り越えながら挑戦する過程が描かれています。留学時のさまざまな選択肢や、アメリカでの経験を通じて成長していく姿が強調されています。また、中西さんは、アグレッシブに大学院留学を目指し、リトリートでのプレゼンテーションを通じて得た機会について述べます。さらに、良きメンターとの出会いやその影響を受けながら、前向きな姿勢でチャンスを掴む重要性が強調されます。

留学の魅力と挑戦
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。この番組では、アメリカ研究留学4年目を迎えた私、NAKAMURAが、ゲストとお話しながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、お聞きのあなたにおすそわけすることを目指しています。今回は、ゲストMCの方に来ていただいています。自己紹介をお願いします。
こんにちは、UC Davisの舐川県でポスト読をしている北村由加です。本日はよろしくお願いします。
第何回かに出ていただいて、僕は実験とかいろんな面でめちゃめちゃお世話になっているんですけど、バイオインフォマティクスっていうパソコン型だけのプロフェッショナルですね。
パソコン型もするけど、実験もちゃんとやってますよ。
マウスも使って、データ解析もして、僕はハイシーという技術をだいぶお力をいただいたので、うまくいってよかったです。
難しいですね、あれ。もう二度とやりたくないです。
あのキットを使えば、結構簡単にできるんですけど。
全部高いじゃないですか。値段が全てにおいて。ミスれないというプレッシャーがありますね。
そうですね。でもうまくいって、何よりです。
よかったです。北村さんもあの後、いいことがあったと。
そうですね。
方々から聞いておりますが。
いいことがこれであったのかわかんないけど。
収録の時点では、アメリカのNIHのグラントのK99というポストクから、その次独立ポジションへ向けてのグラントを出しましたという話をしていたところですけど、それが無事に採択されました。
ありがとうございます。
もうお金降りてきました?
降りてます、降りてます。
一応、結局採択のディシジョンというのが7月の28日とかに来て、8月1日から開始みたいな。
超ドタバタ。でもNIHグラントってこんな感じらしいです、毎回。
そうなんだ。
数日前にディシジョンが来るみたいな。
めっちゃ遅れてますよね。
私のですか?
遅れませんでした?ディシジョン。
まだ来ないのかみたいな。
私の場合は、ちょうど1ヶ月遅れぐらいでしたね、結局。
スコアが出て、その後サマリーステートメントみたいなコメントみたいなやつが1ヶ月後ぐらいに来るんですよね。
そうですね、はい。
その後何ヶ月ぐらいかかりました?
多分ね、私の場合そこのプロセスは割と順当な感じで来ましたね。
私が1ヶ月遅れたっていうのは、もう完全にスタディーセクションが止まってた?
スタディーセクションっていう、そもそもその申請書のスコアに点数をつけるっていう会議があるんですけど、
そのスタディーセクションをやるっていう日程が当初の予定よりも1ヶ月後倒しになってしまったので、
それが理由でちょうど1ヶ月ぐらい後倒しになっちゃったけど、多分スタディーセクション以降の日程はいつも通りに自分の場合は来ました。
いいですね。K99が3年?2年?
K99は2年ですね。
2年ですね。2年間とりあえずジョブが請求されたというか。
そこは多分、なくても先生が来てくれるから。
さて、今回はカルフォルニア大学デイビス校で北村さんと一緒に研究されている中西さんを迎えに来ました。
今週もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD
改めましてNAKAMURAと
北村です。
それでは今回のゲスト中西さんです。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
まず簡単に中西さんの自己紹介をお願いします。
はい、東京大学の理学部生物科学科の学部卒業をした後に、
2024年、去年の秋からUCデイビスにてPhDを始めました。
遺伝学のインテグレイティブジェネティクス&ジェノミクスっていうプログラムのPhDプログラムに所属しております。
今、PhD2年目をこの秋から始めたところになります。
本日はよろしくお願いします。
お願いします。
中西さんと一回最初のバスの新春セミナーで話したことあるんですよね。
はい、あると思います。
サンフランシスコのバスのセミナーでしたね。
東大卒業して、その後いろいろあって、UCデイビスに来たっていう話を聞いて、
そのいろいろなところが僕の中でずっと記憶に残っています。
そこを今日ぜひ深掘っていただければ、いろいろ話せることあるかなと思うので、イリギュラーですけど。
あと今、専攻なんて言いました?インテグレイティブ?
インテグレイティブジェネティクス&ジェノミクスっていうところで、
要は遺伝学が一番メジャーな分野のPhDスチューデントが集まっているところで、
いろいろなプログラムが正直UCデイビスにたくさんあって、
名前だけだとどういうプログラムなのか正直全然判別はつかないんですけど、
インテグレイティブジェネティクス&ジェノミクスは通称みんなIGGって呼んでいて、
そこはウェットもやるけど、かなりドライの解析もやっている学生が多いイメージです。
じゃあ、だからキタムラさんとちょっと会うというか、動物もやりつつ、そういう解説系も。
英語学習と留学の経緯
そうですね。なめかわはどっちもやるラボなので、IGGがあっている。
なめかわ県そのものが大学院生をどこのプログラムから取るかっていうのが決まっていて、
IGGかもう一つのやつかの学生しか取らないはずだよね。
そうですね。
一応研究室にあってそういうのがあります。
でもそれって実は結構緩くて、どうしてもその研究室に行きたいという希望があれば、
基本的にプログラムはあまりに分野が違っていなければ、
3人1つでその研究室に所属できるっていう感じになってたはずです。
アメリカの場合は。
じゃあ、なめかわ県一発目から入った、ローテーションとかいろいろせずに。
そこが複雑というか、学部のときに話はさかん戻る形になるんですけど、大丈夫ですか。
そこから始めてしまって。
学部4年のときに、まず東大の理学部のプログラムで、
SBAPっていう2ヶ月海外に行けるプログラムがあって、
これは最大65万人の学生が、
出て、自分がその研究室とコンタクトを取って、
研究室がOKさえすれば、基本的にどの研究室に行ってもいいっていうプログラムなんですよ。
その制限なんですね。
私の場合は、学部のときに所属していた卒研の先生の力も借りて、
なめかわ県にコンタクトを取り、
その研究室に行ったら、
卒研の先生の力も借りて、なめかわ県にコンタクトを取り、
先生が来てもいいよって言ってくださったので、行くことになり、
そのなめかわ県からOK出たよっていう書類とともに、
プログラムに応募することで、
そのプログラムが行くんだねって言って、補助してくれて、
それを利用して、
そして、2023年の秋から2ヶ月間、なめかわ県にまず行きました。
そんなプログラムあるんですね。
やっぱりさすがだな、東大。
それはすごい太っ腹なプログラムだと思います。
65万なんて、サンフランシスコからきついかもな。
ただ、それも太っ腹ではあるんですけど、
研究室とのアポを取り付ける段階が大変すぎて、
ほとんどの学生がやっぱりそこで挫折してしまうことが多いので、
それがないとそもそも応募できないので、
私の場合は半年以上、どこにアプローチするかっていうのをいろいろ苦労して、
探し回った挙句、ようやくなめかわ県からオファーをもらえて、
やったーって言って、すぐさま申し込んでOKされたので、
割とそこがまずそもそも厳しいセレクションになっているのかなっていう気はしています。
そうだよ、学部2年とか3年の時から探し始めて、何個もアプライしてって感じなんですよね。
そうですね。学部3年の時には考えてましたね、そのプログラムの応募を。
すげーな。でもずっと海外行きたかったんですか?
ずっと海外行きたかったんですよ。
ずっと海外行きたくて、だけどそれは研究留学っていうジャンルではなくて、
ただ単にとにかく留学がしてみたいっていうぐらいの漠然とした海外への憧れから来ているもの。
高校生だったからそれを思っていたので、ほんとにふんわり海外、語学留学、英語、海外の友達、楽しそう、キラキラぐらいの感じで、
ずっと行きたい気持ちを膨らましつつ、膨らまし続けた3、4年みたいな感じだったんですよ、学部生の時に。
とにかく私はキラキラというか、留学はとにかく憧れていたんですよね。
それはもうアメリカなんですか?それかヨーロッパの方がキラキラしているイメージありますけど。
アメリカ、ヨーロッパ関わり、あまり国がどうってのはなかったんですけど、
とにかく日本以外の場所で勉強してみたいっていうのと、海外で一人で暮らすなり、新しい環境に飛び込むなり、
そういうチャレンジをしてみたいと思っていて、ただ大学1年生の時がコロナ禍真っ最中で、
2年生の時もほとんどコロナ禍の要因というか、コロナ禍だったですよね。
だから基本的に留学の機会というのがそもそもとても制限されていた上に、
いくつか研究留学プログラムがやっぱり民間の財団だったり、大学の一般公募だったりであったので、
3つぐらい応募したんですけど、全部先行落ちちゃっていけなかったんですよ。
なのでコロナ禍プラス普通に自分が落ちるでいけないみたいな感じのが、大学1、2、3は続いてました。
ようやくSBAPに出会って、これは流石に逃せないと思って本気で準備したみたいな感じでした。
やっぱりそういう機会というのは東大という関係なくて、別にいろんな人が申し込めるやつなんですね。
もうそうです。東大関係ない。
SBAPは東大ですけど。
そうですね。
学部生の頃からそういうのやってた方がいいんだよね。
どうなんですかね。
でもその民間の財団の応募とか基本的に書類先行が主なので、何で行きたいかとか、何をしたいのかとか、
そういうのを全部英語で書くプロセスを一通り、全部落ちましたけど、全部何回もやってたんですよね。
1、2年、3年生の時。
それは結局、ユシーデイビスのPhDにアプライする時にすごい経験として助けになったというか、
なんとなくやったことはあったので、それを元にPhDアプリケーションも頑張ったみたいな感じになりました。
その英語とかってどうやって勉強するんですか。
なんですかね、ほんと英語早く喋れになりたいって大学人生から思ってて、
それをありとあらゆる機会を使って、まず語学交換プログラムみたいなのが東大にあって、
もともと対面で多分そういうのもいっぱいあったんですけど、コロナ禍で全部ないということで、
逆にZoomを活用して、どの国の人でもおしゃべりできるじゃんっていうアイディアをもとに、
マッチングみたいな感じで、私は英語を喋りたい、
他の国の人は日本語を勉強したい、みたいなモチベーションがあって、
そういう人たちをうまくマッチングさせてくれるプログラムが、確かそれは東大だったんですけど、
そういう人たちをうまくマッチングさせてくれるプログラムが、確かそれは東大だったんですけど、
そこにあって、応募をしまくっていろんな人と、毎日じゃないけど3日に1回くらい違う人と喋るみたいな、オンラインで。
本当に片言でひどかったですけどね。
お話にならないくらいひどい英会話でしたけど、当時は。
当時は。
コミュニケーションの大切さ
喋ってお友達になったり、
東大の留学生と仲良くなって、会話を経験したり、
あとは英語が元々できる友達に別の留学生を紹介してもらったり、
なるべく英語を喋ろうと頑張っていましたね、大学1,2年生くらいの時。
すげーな。
よくこうやって海外の人とコミュニケーションする時に、言葉の壁も一つの障壁ではあるんですけど、
話題も結構難しかったりすると思うんですよ。
ランゲージエクスチェンジとかでいろんな人とお話しする時に、どういう話題で喋っていくことが多いんですか?
話題?別になんかその、ティピカルなアニメとかじゃなくても、
日本語を勉強したい人って、ともすると私たちより日本の文化すごく詳しかったりするじゃないですか。
逆に教えてもらうみたいな感じで、教えてもらいつつ私の知っている日本をちょっとずつ引き出して、
会話をつなげるなり、何でも、料理のこととか、
お互いの国の行ってみたいところをプレゼンし合うとかもよくやってました。
私、ドイツ人の友人がいるんですけど、その子とはそのランゲージエクスチェンジで会って、
大学2年生の時に会ったんですよ、オンラインで。
仲良くなりすぎて、今5年、違う、今何年経ったんだ、3、2、
4年経った今でも、月1で電話し合うくらい仲良くなって、
すごい本当に素晴らしい出会いがあってよかったんですけど、
その子とは最初はあっちも日本語めちゃめちゃ下手で、私も英語めちゃめちゃ手だったから、
パワポを作って、食べてみたいドイツのお菓子パワポみたいな、
もう何の需要があるのかわかんないけど、
私が食べてみたいドイツのお菓子を勝手にピックアップして説明して、
彼女は日本に来たらやりたいことを日本語で説明するように、
そういうことをやってました。
当時はお互いドイツと日本にいらっしゃったんですか?
その後会うことはあったんですか?
あったんですよ、彼女が日本に遊びに来て、初めて会って、
カンプして、その後彼女が日系の自動車の関連の会社にドイツのミューヘンで就職して、
出張で名古屋に来ることがあってたまたま、
それはもう会わなきゃって言って、東京まで来てもらって会ってみたいな感じの
リユニオンを本当に1年に1回ぐらいのペースで繰り返して、今になります。
すごい良い出会いがあったんですね。
本当に、基本的にオンラインの会話ですけどね。
ラボ選びと応募プロセス
対面で会ったのは本当に数える程度なんですけど。
それはやっぱりコミュニケーションが高いからなんですか?
いや。
それか、意外とやっぱり難しいんですよね。
今の俺でも学部生のことを喋るのあんまりないんですよ。
話題を自分で考えて出さないと。
今だったらチェンソーマンのすごい流行ってる、エゼ編がすごい流行ってるんで、
その話一生知らないですけど。
何でしょう、そんな話題か。
でもアメリカ人の学部生とかと喋ってて思うのは、
彼らもすごい喋るの上手いっていうか、
すごい話題の作り方が上手というか、
日常の些細なところから上手く会話を吹き出してくれる気がしてて、
だからあんまり私も無理して何か喋らなきゃって、
自然に雑談っぽく始めて、
学部生って大体授業めっちゃ忙しいので、
忙しいのは大変なので、
そういう愚痴っぽい感じで話を始めると大体愚痴ってくれて、
仲良くなりやすいみたいな感じですかね。
そうか。
異性と話すときは、
同性だと話題合うんですよ。
異性って俺めっちゃ難しいんですよね。
特に日本人だったらいけるんですけど、
外国人めっちゃ難しい感じが俺の中であって。
北村さんどうですか?
いや私全くそこのバイアスなかったな。
あ、マジか。
じゃあ俺が気使いすぎなのかな。
多分。
なんかね、若干ね、壁があるんだよね。
勝手に俺が作ってるんだろうけど。
うん。
お悩み相談みたいになっちゃったな。
そうですね。
性別であんま話題作り変えようとか思ったことないですね。
普通に。
普通に話したらやっぱりいいですね。
普通に異性というか、
そうですね、アンダーグラッドメンタリックしてますけど、
別に些細な会話をずっとしてます。
なんか私も本当に些細な、別に男女関係なく、
些細な話もそれこそさっき中西さんが言ってたような、
授業の話とかあったり、
あとなんとなくカルフォルニアの大学だからか分かんないけど、
日本に興味あるっていう高校結構いて、
なんかそれこそ今メンターしている一人の子は、
来年1ヶ月ぐらい日本に短期留学するらしくて、
なんかどのフライトチケット取ったらいいかとか、
しょうもない話とかしたけど、
うん、なんか喋りやすくしてくれてる感はありますね。
うん、確かに。
その点なんか日本人でよかったなっていう思う点はめっちゃありますね。
この前Tabelogで予約取ってあげたんで、
なんかどうしても取れないって言い出して、
いやTabelogやったら一緒にできるからって、
やっぱ日本人でよかったなっていうのは不思議に思います。
確かに会話のコンテンツ力としてすごく高い。
アメリカンナイトGOLD。
で実際にその、ちょっと話戻しちゃうんですけど、
留学に行くってなるじゃないですか、そのプログラムに通って、
そのラボ選びっていうのは、
なめかけに至る経緯っていうのはどういう経緯があったんですか。
えっとその2ヶ月のプログラムでですよね。
まずそのプログラムに応募したいってなって、
興味のあるラボを自分で全部リストアップして、
自分でまずそのCVを作って、
こういう経緯で行かせてほしいんだっていうメールを
片っ端に送るっていうことを始めて。
へー、それも自分でやるんですか。
自分でやりました。
その時チャットGPTとかないじゃないですか。
ないないない、ないっすね、そういえば。
だから文法とかなんか勘すか。
あーそうですね。
でも転作ツールはあったんですよ、当時から。
確かその無料のやつ。
グラマリーでしたっけ、確かグラマリーとかを利用して
転作しつつ、あとは英語が得意の友人、
日本人の友人とかネイティブの友人に
転作はめっちゃお願いしてましたね。
あーそうか、だからその1,2年の時の関係性が生きたわけですね。
それはめっちゃ生きたと思います。
なんか本当に転作はよくお願いしてました。
自信がないので、やっぱり学部生の時の英語なんて基本的には。
で、そうやってたくさん送りまくって。
送って帰ってこないんですよ、やっぱ当たり前ですけど。
帰ってこない、本当に帰ってこないし、
リマインド3回ぐらいはしろって誰かに言われたので、
まあしつこくしたんですけど、
基本的に帰ってこない。
基本的にそういう有名なラボを私が狙い撃ちにしすぎたっていうのもあるんですけど、
基本的にああいう教授って世界中から何十つの
そういうよくわからないメール受け取ってるので、
その中から光ってたまたま返信を返してくれる確率なんて低くって。
なので、ちょっと方針転換して、
さっき言ったように卒研の時に所属してた先生に経緯を話して、
どうしても留学が今したいんだと。
で、こういう興味があるんだけど、
どこか留学、私がお願いしたら受け入れてくれそうなラボを知らないかっていう風にお願い聞いたら、
すごい親切にいろいろリストアップしてくださって、
そこに今度は私がまたディレクトメールを送ったんですね。
帰ってこないんですよ。
これはしょうがないってなって、
その先生が仲いいというか、
まだEメールでコンタクトが取れる関係性の教授に、
うちの学部生がどうしても行きたいらしいんだけど、
拾ってくれませんかみたいな感じのメールを送ってくれて、
面接と最終選考
したらその4つ目ぐらいで舐川健がようやく、
舐川先生がすごい優しかったので、
もう即答でいいよって言われて、
決まったという感じでした。
つけなきゃやっぱりつながりなんですね。
本当にそこはそうですね。
やっぱり学部生の力じゃどうしようもないところは、
正直そういうのはあると思っていて、
CAVとかも限りがありますし、
どんなにGPFよくたって返してくれない気持ちなんてもありますし、
確かにね。
自動車のコネクションは大事だと思うんですけど、
じゃあ舐川健にそれで舐川先生が来ていいよって言われて、
でもすぐ行ったんですか?
それでそれが決まったのが確か春とかかな、
だいぶ前だったんですよね。
学部3年生の時に既にそれが決まってたはずなので、
まず舐川健からOK出ましたっていう旨を報告して、
それがファーストセレクション。
次に陸部の生命科学研究所に行って、
それがファーストセレクション。
次に陸部の性別学系の教授、
15人ぐらいに会議室で囲まれて、
なんで行きたいのかとか、
何をするのかとか、
なんでその教授を選んだのかとかを、
ひたすら英語で質問責めにされるという
セカンドセレクションがありまして、
それもくぐり抜けて予約OKがもらえて、
それが学部3年の終わり頃。
その時にすでに4年生の時に、
夏頃に行けたら行きたいというふうに希望していたので、
半年後に飛べしたという感じでした。
なるほどな。
決まったのに落ちるパターンもあるんですか。
大平 決まったのに。
留学行く先は決まっているのに、
面接が駄目で落ちちゃうパターン。
大平 なんかそれはプログラムアドバイザーによると、
まずないから安心して受けなさいって言われて、
その後、
その後、
気抜かずにちゃんと準備しなさいって言われて。
英語できつそうだな。
英語の質疑応答。
いくら日本人の教授とはいえ。
大平 でも、
みんな優しく英語で聞いてくれたので、
優しく英語で聞いてくれたので、
なんか、
そうですね、
ネイティブの人といきなり英語で会話するよりかは、
大平 優しく英語で聞いてくれたので、
優しく英語で聞いてくれたので、
緊張しなかったというか、
さすがにちょっとなんか、
15人ぐらいに囲まれたのは面食らえましたけど、
準備してあったので、何を言うかは、
全部頑張って言って、
無条件でたみたいな感じでした。
へえ。
そこで2ヶ月、
4年の夏に過ごして、
そのとき、多分北村さんにも会ったんですよね。
北村 あ、そうですね。
それが初めてお会いしたとき。
4年生の、
大平 秋ぐらいだよね。
初めの挫折
大平 秋ぐらいだったので、
飲酒派では日本にいて、
東大の飲酒ですね。
大平 霊の飲酒長。
霊の飲酒長。
大平 今となってはね、
黒月期の。
大平 黒月期のそうです。
東大飲酒を受けて、
入学したわけですね。
大平 そうです。
それはもう結果は分かってたんですか。
大平 結果は分かって、
だから落胆の飛べえですよね。
これから人生どうしようの飛べえですよね。
そういう人に相談してましたもん。
どうしようこれから。
ちょっと申し訳ないんですけど、
客観的に聞くと何が起こったのか、
ちょっと分からないので、
お伺いしたいんですけど、
その前に、
それが初めて、
2022年の秋に、
飲酒系に2ヶ月行かれるわけじゃないですか。
北村さんから見て、
当時中西さんってどうやって移ったんですか。
大平 来た。
初めて、
学部生が日本からやってきたってなったとき、
どうなったんですか、ラボでは。
大平 ラボでは、
まずね、
履歴書みたいなのが送られてきてて、
中西さん来る前、
キラキラ履歴書すぎて、
学歴中の人いるから。
ちなみに、
ここはどこなんですか。
中西 ここは応援です。
素晴らしいっす。
大平 応援から登台っていう、
もう典型的、
キラキラ企画みたいな。
もう典型的、
キラキラ企画歴すぎて、
なんかすごい人来るんだ、
みたいな、
怖いなって思ってましたね。
可愛い妹ができたみたいな感じですよね。
大平 うーん、
まあね、
でもやっぱり、
ちょっと後で話してくれると思いますけども、
ついてあったその時に、
隠志が、
みたいな、
どうしましょうみたいな話も。
隠志はどうだったんですか。
大平 隠志は、
だから、
行きたい研究室があって、
留学したいってずっと思ってたっていう風に、
お話ししたと思うんですけど、
その時は決して、
PHD留学はそこまで深くは考えていなくて、
普通に、
東大で修士、
できれば博士までとって、
日本で就職なり、
アカデミアに残るなりしようかなって、
考えてたんですよ。
留学はあくまで、
来たかったぐらいだったんですよね。
だったので、
普通にその修士から行きたいラボを、
学病年の時からずっといろいろ訪問したり、
探したりしていて、
その中でも特に来たかったところの先生と話して、
ぜひ来てほしいという風に言われて、
アプライしてくださいと。
一般のまずアプライが、
出願の、
修士課程の博士、
出願専攻があるんですけど、
それを受けて、
博士専攻が小論文で、
現代の科学技術の中で、
一つ興味のあるトピックを選んで、
論じなさいみたいな、
すごくジェネラルな課題が与えられて、
で、
頑張って書いて、
落ちました。
で、終わりました。
本当以上ですって感じなんですけど、
その先生には、
ごめんなさい、
その専攻で落ちてしまいました。
だって、
その先生はどうにもできないので。
小論文は何を書いたんですか?
小論文は、
頑張った、
悲しすぎてあんまり記憶にないんですけど、
悲しい記憶を。
すごい頑張って書いて、
何だっけ?
そういった失礼な言い方ですけど、
落ちのもんなんですか?
いや、分かんないです。
後から聞いたら、
東大にもいろんな専攻があって、
いろんな修士コースがあるんですけど、
そこの専攻は、
コロナ禍以降、
いろんな大学からの出願があって、
厳しくなってるっていう風に聞きました。
当時、私はちょっと舐めてた部分もあって、
学部からだったら、
いけるだろうみたいな部分があったんですよね。
で、ふたを開けてみたら、
割と何パーぐらいだったかな?
20パー、30パーだったかな?
みたいなぐらいだったので、
最終的な合格率が。
割と厳しかったのかもしれないです。
とはいえ、私の実力不足ですけど、
小論文を落ちたのは普通に。
そこしか出してなかったんですか?
留学への挑戦
そこしか出してなかったです。
どうしてもそこに来たんです。
当時は。
じゃあ、失意の中、
逃避したわけですね。
いろんな選択肢が当時あったんですけど、
当時考えてたのは、
一旦アメリカも含め、
海外大学院に、
これをチャンスと思って、
チャレンジしてみるっていうのが、
まず一つの選択肢。
で、今から準備するのはかなり厳しいというか、
その、やっぱり準備不足な面が
いろんなところであったので、
ダメだった場合も考えて、
日本、何だっけ?
いろいろ考えてた。
休学もしようかなとか考えてたんですよね。
学部4年のステータスのまま休学をするとか、
卒論を出さないみたいなことも考えたり、
あとは、
ジュニアスペシャリストの
ポジションにつくっていうのも、
一つのオプションとしてあって、
ジュニアスペシャリストは、
日本ではあまりなじみがないと思うんですけど、
アメリカだと、
学部卒の身分で
アプライできて、
要はラボでのテクニシャンみたいなポジションで働いて、
で、多くの人は、
ジュニアスペシャリストを
1年とか2年とか経験してから、
PHDにアプライするみたいな
ケースがよくあるんですけど、
それもありかなと思って、
いろいろ考え、
ごちゃごちゃ考えながら、
2ヶ月過ごしてました。
まあ、けどいいですよね。
アメリカだから、
いろんな周りの人に相談できますよね。
そうですね。
けど、まあそうか。
大学院ってなると、
ちょうど今頃11月とか12月にアプライだから、
数ヶ月しかないんですね。
そうですね。
確かに現実的には厳しいですよね。
そうですね。
9月の中旬に渡米して、
で、南美川県でいろいろ実験をやらせてもらって、
いろいろ習って、
で、10月の半ばから後半にかけて、
PHD出願をするかって決意して、
で、11月の半ばに帰国だったので、
それまでに、
そのPHD出願するにあたってできることといえば、
コネクションをとにかくいっぱい築いて、
レコメンデーションレッター、
いいレコメンデーションレッターをもらって、
確かに。
UCデイビスのプログラムにアプライしたときに、
オファーをもらえる確率を高めることくらいだったので、
そこからちょっといろいろ頑張って、
帰国して、書類を仕上げて、
12月の1日が締め切りだったんですけど、
11月の本当に終わりくらいに、
無事どうにか全部出して、
っていう感じでした。
怒涛な感じで。
UCデイビスの周りの先生とかに、
いろいろはいって話しかけたり、
コネクション頑張って作ったみたいな感じですか?
本当そういう感じでしたね。
身知らずの先生に結構話しかけて、
日本から学部生で来てて、
あなたの教えているPHDプログラムを
すごく魅力的だと思ってて、
アプライしたいんだけど、
アプリケーションに当たっての
ティップスはないか、
みたいな聞き方をしつつ、
もしその先生がナイスそうだったら、
ワンチャンレコメンデーションレターも
くれるかもっていう、
期待も込めつつ、
コネクションをいろいろ築くみたいな感じの
ことをやってました。
だって3ついりますもんね。
そうですね。
日本の先生となめ川先生と、
もう1人ですよね、多分。
それが一番ベストで、
当時、UCデビュースの教授から、
なめ川先生以外にもらうのは厳しいかなと
思ってたので、
学部の時にお世話になってた先生だとかに、
お願いしていて、
書いてくれませんかということで、
やってたんですけど、
留学の最後の1週間ぐらいで、
私が応募したPHDプログラムの
チェアの先生からレコメンデーションレターを
書いてもらうことを、
確約をいただきまして、
チェアからもらえるんだったら、
やっぱりそれが一番ありがたい話なので、
その先生と、卒研の先生と、
なめ川先生のレター3つを揃えて提出させて
もらったって感じですね。
インタビューと期待
すげえな。
UCデビュースだけですか?
アプライション。
もともと他も考えてたんですけど、
結果的に間に合わなくて、
UCデビュースだけになりました。
途中で挫折しました。
他の大学は。
結構じゃあ、ギャンブリングですね。
もうめっちゃギャンブリングです。
正直オファーもらえるとは思ってなかった
って感じですね。
本当にやってみようかな、
やってみるしかないと思って、
ただそのチェアの方からもレターもらえる
って聞いたときは、
さすがにこれはワンチャンいけるかもしれない
みたいな気持ちには若干なりましたけど、
ただ本当に競争率が激しいのは知ってたので、
そんなに期待はしてなかったですね。
それにとって、
インタビューは現地であったんですか?
オンラインですか?
オンラインですね。
そのチェアの先生は、
秋ぐらいにアニュアルリトリートっていう、
いろんなラボの人たちが集結して、
プチ学会みたいな感じなんですけど、
ユシデイビスのラボだけで構成された
プチ学会みたいなのが、
レイクタホーって毎年開かれてまして、
それに行かないって誘ってくださったんですよ、
並川県の人たちが。
先生とユカさんが誘ってくださって、
せっかくだから行きたいと思って、
行きますって言って、
そこでポスターセッションがあって、
やってみない?っていう風にユカさんに
声をかけていただいて、
私ポスター作ったこともなければ、
オーラルの発表さえ当時したことは
なかったんですけど、ほとんど。
やってみたいですって言って、
並川県でやらせてもらってた実験を
もうちょっと拡張して、
ユカさんのやってるプロジェクトの中で、
アグレッシブな留学志望
私がどういう風に、
本当にもう2ヶ月しかいなかったので、
やったことなんてごくわずかなんですけど、
それでも一応ポスターみたいな形で
まとめてプレゼンしたんですね。
そのリトリートで。
そしたら、そのチェアーの人がたまたま
私のポスターのところに来てくれて、
いろいろこう、私のプレゼンを聞いて
いろいろ質問をして、
ディスカッションみたいなものをしたんですよ。
なので一応、
あったっていう取り付けがあったので、
後日、あの時の学部生だけど、
レコメンデーションレターください、
みたいな、
正直無理げーなメールを送って、
そしたら返信返ってこなくって、
私はもう名言なくなってたので、
その時にすでに
当たり前のようにリマインドを送り、
そしたら分かったみたいな。
一応その、
今すぐそのレターを書くとは
活躍できないけど、
ディスカッションをすること自体には
オープンだよみたいなことを言ってくれたので、
じゃあ会ってくださいって言ってお願いして、
その先生ちょっとあまりに忙しい先生だったので、
3回ぐらいドタキャンされて、
会えない会えないが続いてたので、
半ば諦めてたんですけど、
4回目ぐらいの私の
リスケジューリングでようやく
お目にかかれて、
あの、
すげーな。
あの時の学部生ですみたいな。
で、あの、
なんかもう根性負けみたいな感じ。
そしたらもうなんか話して、
何がしたいかとか、
PHDになぜ行きたいのかとか
いろいろ話してたら、
その後の方で、
わかりました、レター書くよって
言ってくれたっていう感じでした。
ああ、そうか。
これがギリギリでしたね。
なるほどな。
確かにそこまでメール来たら、
もうやってやるかってなるもんね。
そうですね。
その先生すごく教育的な人で、
とってもいい先生だったんですよね。
その、PhDプログラムにあたって、
入りにあたっての心構えだとか、
学部の研究へのどういう、
どういうモチベーションで
いろいろ聞いてくれて、
決して投げやりな感じの態度で
接する人ではなかったので、
非常にいい関係性で、
レターをもらえたのは本当に
ありがたかったなと思ってます。
はい。
まあ、北村さんのポスターやってみない
っていうか、そういうのもやっぱ
北村姉さんの。
姉さんのおかげです。
いや、でもなんか、
その時の中西さんの
何が何でも少しのチャンスに
食らいつくぞみたいな、
なんかバイタリティーが
やっぱすごかったから、
やっぱそういうところを見てたら、
何だろうな、
応援したくもなるし、
実際そういうふうに、
あのリトリートの件がここまで
つながってきたっていうのを聞けて、
よかったなと思いますね。
いいっすね、なんか、
姉さんと妹みたいな感じで。
厳しく指導されてます。
なんか本当、
学部生の時から
面倒見てくださってるので、
私が帰国してる時もそうですし、
こっち来てからもそうですし、
直続のメンターとしてこんなに
いい人いないなと思ってます。
本当にありがたい。
別に機会をくれるとか
そういう話だけじゃなくて、
普段の実験もそうですし、
考え方、
実験に対する考え方とか、
次のステップどうしようかみたいな
考え方もかなり
由加さんから教えてもらった部分が
大きいので、
なんかちょっとずれちゃいます。
ありがたく
メンタリングをしていただいてます。
というわけで、
ここまで中西さんが
アメリカ大学院留学を始めるまでを
伺ってきました。
簡単なまとめってあるんですけど、
北村さんお願いしてもいいですか。
私?
私は全然話聞いてただけで。
あれですよね、
やっぱりアグレッシブな、
日本人、
僕のバイアスですけど、
日本人ってアグレッシブさが
若干ないような気がするんですよ。
やっぱり外国人の人に比べて。
やっぱりそのちっちゃい隙でも
そこをしっかり
チャンスを見つけて
そこに突き進んでいけるような
前進する力っていうのがやっぱり
アメリカでは必要なんだなっていうのは
メンターとの関係
改めて感じましたよね。
本当にちっちゃいことでも
逃さず掴み取ってほしいですね。
みんなに。
その掴み取った後の話を
後半で伺っていきたいと思います。
さて、アメリカンナイトGOLDは
毎週日日本時間の金曜0時に配信をしています。
番組のご意見ご感想は
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皆さんからのコメントをお待ちしています。
ここまでのお相手は
NAKAMURAと
北村と
中西でした。
また来週
40:23

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