2025-07-11 40:40

#51 「海外に住みたい」夢を叶える家族の渡米【North western univ 夜久さん 後編】

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今回は、ノースウェスタン大学で研究留学をされている夜久さんをお迎えして、研究者としての渡米の経緯や、家族の適応や夫婦の家事分担、日本人研究者コミュニティの重要性を伺いました。


🗽トピック🗽 

幼少期からの海外経験/医学部時代の海外経験/PhD取得/子連れ渡米と家族の適応/今後の展望/ノースウェスタン大学日本人研究者の会


🤩 ノースウェスタン大学日本人研究者の会 (NUJRA)

https://nujra2020.wixsite.com/home


🌏 IFMSA 国際医学生連盟: https://ifmsa.jp/exchange/

🌏 VIA Volunteers in Asia: https://www.ciertmu.com/%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E4%BA%A4%E6%B5%81


🔥 アメゴーは”PODCAST MIXER”を応援します!

7/26(土) 名古屋

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#アメリカ留学 #日本人研究者コミュニティ #医学教育 #ノースウェスタン大学 #家族での海外生活 #シカゴ #医学生留学


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

⁠⁠⁠ハードロック・ジングル(shimtone様)⁠

⁠Hello World(Anonyment様)

サマリー

このエピソードでは、ヤクさんがアメリカでの留学経験や異文化コミュニケーションについてお話しされています。また、フィンランドでの医学実習や日本とアメリカの医学教育のシステムの違いについても掘り下げられています。また、アメリカに住む夢を実現するための家族の挑戦についても語られています。医師としての資格やPhD取得を目指し、家族一緒に渡米する過程や苦労が共有されています。ノースウェスタン大学に住む家族がアメリカでの子供の適応や教育についてお話しされ、親のサポートやコミュニケーションが子供の英語力や学校生活に大きな影響を与えたことが強調されています。このエピソードでは、アメリカに渡米してきた家族の夢や生活、そしてコミュニティのつながりについてもお話しされています。特に、ノースウェスタン大学の卒業生同士の交流や研究のネットワークの構築が強調されています。

アメリカ留学の旅
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。このポッドキャストは、アメリカ研究留学3年目を迎えた私、NAKAMURAが、日常についてだったり、アメリカ生活を経験した、また今楽しんでいる方を招きして、その方のアメリカ留学を掘り下げていきます。
7月のアメゴンは、日本人研究者コミュニティと巡るアメリカ中西部と題して、シカゴやピッツバーグの日本人研究者コミュニティに参加されている方からお話を伺っていきます。
最近、ネット記事を見たんですけど、8時10分前に集合って、結構前に一回バズったんですけど、8時10分前に集合って言われたら、7時50分を思い浮かべるか、8時前だから8時9分とか8分とか、どっちって思い浮かべるかっていうので、世代で分かれるって記事を見て、
多分、段階の世代、4、50代、おじさんたちは、8時10分前って言ったら7時50分らしいんですよ。僕らより若い世代、Z世代と言われる。8時8分とか、8時10分前。
けど、俺の中で、8時10分前は8時8分が正しいと思うよ。8時の10分前だったら7時50分前。8時10分前っていう言葉だとしたら、8時10分っていう言葉が成り立ってるじゃん。8時の10分前だったら7時50分じゃん。
確かにどっちもいけるっていけるんだけど、普通に読み取ったら、8時8分とかの方が正しいんですけど、俺の中で。記事的に、まるでZ世代が間違ってるみたいな書き方が多かったんで、そういう解釈の違いって、
特にアメリカにいると英語解釈の仕方とか違うじゃないですか。僕ら日本人が感じるFワードも出るじゃないですか。日常で。Fワードも日常に出てくるんで。
Fワードって言っちゃいけないってイメージがあるじゃないですか。日常に出てきたら結構、そういう言葉の解釈の違いっていうのが各国であるんだなっていうふうに思った。今日、記事を見て思いました。
てな感じで、今回のゲストもシカゴの日本人コミュニティ、ノースウェスタン大学日本人研究者の会のヤクさんをお迎えします。
というわけで、今回のゲストもヤクさんです。よろしくお願いします。
ヤクさん、アメリカにいますけど、何年目なんですか?そもそも。
今、2022年9月から来てるので。
めちゃめちゃ長いですね。
2年半ちょっと。
22年か。
なるほど、びっくりした。12年かと思った。
3年とか。
3年弱ですね。はい。
22年何月ですか?
9月なんです。
ほぼ僕ら同期じゃないですか。
一緒ですか?
オルドワラさんと同期ですよ。オルドワラさん完全に同期なんで、8月なんで。
そうなんですね。同じ時期に。
来てたんですね、意外と。
コロナがちょっと収まってきたぐらいの時ですよね。
そうですね。ほぼ大丈夫みたいな。証明書ぎりいらないぐらいの。
抗原検査いらないみたいな。
フィンランドでの医学実習
そもそもアメリカが好きでアメリカ留学。過去に海外経験とかあったんですか?
そうですね、アメリカが好きというか海外が好きですね。
国は問わず海外という、日本とは違う環境に身を置くっていう、海外に行くっていうのが憧れがあって。
なんで私こんなに海外に憧れがあるんだろうって考えたんですけど、
たぶん祖父母がもともと海外旅行が好きで、そういう写真とかを見てたから、
たぶん海外に興味を持ったんだと思うんですけど。
小学生の時にニュージーランドから来た女の子が1週間半どうちの家に泊まりに来るっていうのがあって、
そこで初めて外国人の人と英語で喋って、異文化コミュニケーションっていうのがすごい新鮮で楽しくて。
その子に今度ニュージーランドに私が行くねって約束して、それは小学校の時だったんですけど、
その後中学生になってニュージーランドに1ヶ月ホームステイをして。
へー、すごい。
そうなんです。ニュージーランドも日本と全然違って自然がすごい高いで、そこらじゅうに羊とか馬がいて、
お菓子のパッケージも海外のやっぱり可愛いんですよね。見るもの全てがすごい新鮮で、
そこからいつしか海外に住んでみたいなって思うようになりました。
でもその頃から英語は喋れたんですか?
喋れるって普通の中学生だったんで、普通の中学生ぐらいの英語です。
恐れがない分。
ボディーランゲージとかをすごい活かしてコミュニケーションしていました。
それは結構早いですね、海外経験。ホームステイって。
確かに、そうですね。中学の時のホームステイなんで。
それいいな。それはやっぱり親御さんが行きたいなら行っておいでみたいな。
もともとジュージーランドの学生を受け入れたのも親が受け入れたんだと思うので、
親がそういう意向があったんだと思います。あまり聞いてないですけど。
すごいな、いいですね。僕にはそういう経験なかったんで。
若い時に行くっていうのはすごい良いかなと思います。
その後は高校では海外行ってないですか?
高校は特に行ってないですね。大学受験に専念して。
でもずっと海外に行きたいっていうのがあって、
医学部に入った時もそういうのはずっと思っていて、
医学部では医学生の交換留学を行う団体、イフムサっていうのがありまして、
そういうのに参加して、そうすると自分の大学に来た留学生のお世話をしたりとか、
その代わりに自分も海外に留学するチャンスがあって、
私はフィンランドを選んで、フィンランドで1ヶ月産婦人科の実習を行いました。
フィンランドってすごい福祉が進んでるイメージがあるんですけど。
その通り、福祉が進んでます。その一環で産婦人科の出産とか、
日本と違うかなと思って、それでフィンランドを選んだんですけど、
文弁も日本と違って、まず文弁室がそもそも広くて、
中にプールがあったり、バランスボールがあったり、
だからその妊婦さんがその時の気分に応じてバランスボールに乗ったり、
プールに入って、プールの中で出産することも可能ですし。
プールの中で出産するんですか?
はい、はい。水中って言うんですかね。そういう選択肢もあります。
赤ちゃんは死なないんですか?
あ、そのすぐに。
ウォースの中にいるから大丈夫か?
まあ、いろんな、どういう状況で産まれてくるか、
タイとか水の中から出すのか、いろいろあると思いますけど、
そんな感じでですね。
フィンランド以外にもいろんな選択肢があるんですか?
いろんな国が選べます、はい。
別にアメリカも選べますし、イタリアとかドイツとか、はい。
でもその、なぜかフィンランドがいいなと思ったんですね。
逆に英語の、英語圏、アメリカとかイギリスとかは、将来…
英語でもできますもんね。
そうなんです。学会とか、まあね、働き出してから行くかなと思って、
そういうところじゃないところに行きたいなと思って、
で、フィンランドを選びました。
アメリカの医学教育の違い
確かにそうですね。フィンランドはなかなか行かない。
オールアメに行くぐらいだもんね。
サンタさんに会うとかね、それぐらい。
確かに確かに。
で、まあそこで他の、イフムサ、私と同じようにイフムサから留学してきた、
いろんな国の留学生とかもいてですね。
で、そういった留学生同士の交流もすごい楽しくてですね。
で、やっぱりそれでも、それ以外もですね、
私海外に行くことずっと興味があったので、
他に東京女子医科大学と東京医科大学が行ってる
BIAっていうアメリカの医療を学ぶ短期留学プログラムというのが
2週間ぐらいで夏休みにあったんですけど、
夏休み?春休み?あったんですけど、
それは何するかというと、スタンフォード大学とか
UCSFに行ってアメリカの医療を学ぶっていう。
じゃあ来たんですね、UCSFに。
そうそう、行きました行きました。
グッズとか買いました。
西海岸ならではのHIVクリニックの見学とか。
なるほど。
あとは、日本ってあんま臓器移植そんな盛んじゃないですけど、
アメリカ盛んなんで、そういった同室移植を受けた、
双子でもともと脳法性肺炎症があって、双子で療肺植を受けた
そういった方のお話聞いたりとか。
やっぱりアメリカの方が医学は進んでるんですか?
医学は進んでると思いますね、はい。
やっぱりそうなんだ。
あとこういうプログラムが結構あるんですね。
こんなのあるとは思わなかったです。
意外にあるんです。
これもやっぱり人に聞いたとしても知るんですけど。
しかもこれ神戸大で東京系の大学がやってるやつとかも
アプラできるんですね。
そうなんだ。だからもともと関東の大学が中心にやっていたので、
でも私はたまたま声をかけてもらって、
神戸大から行ったのは私と友達1人、2人だけで行ったんですけど、
あとはほとんどみんな関東の大学の方ばかりだったんですけど。
すごいな、いいな、こういうのないもんな、俺ら。
普通の学生、医学部だからこういうのがたくさんあるんでしょうね。
学部生ですもんね。
そうですね。その後、医者になってからもですね、
1、3年目、後期検証院の時ですけども、
これはアメリカ内科学会の日本支部の女性を受けて、
ロサンゼルスにあるオリーブビューホスピタルっていうところのリューマトロジーで、
1ヶ月間入院と外来を見学する機会を得ました。
やっぱりアメリカの医学教育ってすごい確立されてて、
日本って例えば医学生はポリクリっていう形で、
あんまり実際の臨床には参加せずに見てるだけっていう感じなんですけど、
アメリカはその医学生がもう実際の診療チームの一員となって、
実際に診療して診断も考えてっていう形で、
その実地教育がすごい確立されててですね。
そういうのなんですかね。感銘を受けておりますが。
で、外来指導も向こうはレジデンシーだったり、
フェローがまず先に患者さんを見て、その後指導員のところに戻ってきて、
それをプレゼンして、指導員と治療方針のディスカッションして、
また患者さんのところに行って診察してっていう感じで、
全て教育システムが整っていて、すごい勉強になりました。
逆に日本はそうじゃないんですか。
日本は教育がないわけではないんですけど、
例えば外来で、日本は初期研修医が外来をするってことはないんですけど、
後期研修医から外来をすることはあるんですけど、
アメリカみたいに後期研修医が先に見て、
それを指導員にプレゼンして相談するっていうことはなくてですね、
もう普通に一人で一人立ちして診察して終わらせる。
で、後から困ったことがあったら、後で相談するっていう。
で、あとはその医学生の時からそういうふうにあんまり実地での教育っていうのは、
教育はあるんです。教育はあるんですけど、
そんなに臨床に踏み込んで参加して教育してもらうという感じではないので、
ちょっとシステムが違いますね。
おもしろいですね。それ知らなかった。
けど、やっぱりアメリカはお金あるからできることなんですかね。
でもアメリカの方が多分、すべてシステムが効率よくなっていると思います。
その方が医学生を早めに病院に出させて教育する方が早く戦力になりますし、
そういう面で考えると日本もそういうふうにした方がいいのかもしれないですし、
アメリカでの生活の夢
いろんな意見があると思いますけど。
じゃあ結構、アメリカ2回、しかも西海岸2回来てますね。
そうです。
アメリカってそこで大好きになったみたいな感じですか。
アメリカは住めるなと思いましたね。
住むことのイメージも1ヶ月も過ごせましたし、
これはアメリカで生活はできるなと思いまして、
アメリカで実際に働くのであれば、
アメリカで医師として働くというのが一番選択肢が上がってきますけど、
私はその時ですね、やっぱりそうなるとアメリカの医師免許を取り直さないといけないので、
勉強をもう1回英語でやり直してというのをそこまでできる気力がなくてですね、
それは選べなかったんです。
で、じゃあ医者じゃなくて海外に住むにはどうしたらいいのかなと考えたときに、
研究者になって研究留学すればいいと考えて、
じゃあ医者になってから研究しようと思いました。
そのお医者さん、国権者だった後に、
PhDを取るに普通の大学院に行くわけですよね。
はい。
それはなんで、普通にMDで海外に行くこともできたと思うんですけど、
PhDをなぜ取ろうと思ったんですか、日本で。
でもその、たぶん日本MDだけで留学する方って、
研究留学をする方ってほとんどいないと思うんですけど。
確かに少ないかも。少ないかと言われれば少ないかもしれないな。
私の周りではMDだけで研究留学をしている方はいなくてですね。
MDだけだと研究を何もしたことがないので、
留学して、何もできない状態で留学するっていう。
しかも受け入れる方もあんまりメリットがないですよね。
研究経験してないのに。
確かに研究は素人が入ってくるってことになりますもんね。
そうです。だからそのPhDを取らないといけないなと思ったのと、
あとは専門抗原病内科って決めたときに、
抗原病内科の資料が今すごい進歩してて、分子標的薬ですね。
IL-6とかTNFとか、いろんな分子を標的にしたお薬がたくさん出てきてて、
それを理解するには全体的なそういう分子メカニズムを理解しないと
抗原病のことを理解できないなと思って、
そういう意味でもやっぱり大学院に行かないといけないなと思って、
それでPhDに行くことにしました。
旦那さんもPhD取ったんですか。
そうです。主人も結果的にはPhD取ったんですけど、
渡米の準備と課題
そもそも主人はあまり別に大学院に行くとか興味がなくてですね。
私がでもただ海外に行きたいっていうのをすごい言っていて、
でも海外に行くには研究留学しかないんだと。
それを強く言ってたので、
もともと主人は大学院に行くという選択肢はなかったみたいなんですけど、
それで主人は大学院に行くという選択肢を選んでくれて、
ということを留学してから主人から聞かされたんですけど。
じゃあいい旦那さんですね。
同じ方向を向いてくれたってことですか。
同じ方向を向いてくれた。
やっぱりやりたいことっていうのは口に出した方がみんなに伝わるというか、
やれるようになるんだなってその時は思いました。
お医者さんがPhD取るときって医者は辞めるんですか。
医者は辞めなくてですね、大体外来バイトとか、
非常勤バイトで医者を続けながら研究する人がほとんどだと思う。
収入がなくなるので医者を辞めると。
そうですよね。だから結構大変じゃないと。
2人でやったらもうめちゃめちゃお金払わないといけないじゃないですか。
学費を納めないといけないので。
なので私も非常勤の保健病何かの専門外来だけはやってました。
博士で博士号を取ってお子さんを育てながらすごい大変だったと思うんですけど、
博士号を取る前にシカゴのポジションをもらってたんですよね。
そうですね。
それでそれを糧に博士号を取って、そこから卒業してすぐシカゴに行ったんですか。
そうです。卒業というか論文がアクセプトとなってすぐに行きました。
結構それ何に準備してたんですかね。
これは結構バタバタで、どこから話し始めたらいいのか。
夫が先に留学先を話し始めて、夫のラボの受入れが決まって、
その夫のラボの受入れが決まったのが実際の都米時期の2年ぐらい前で、2020年ぐらいなんですね。
その時私はまだ大学院生で論文をまとめるにもまだデータが足りなかったので、
毎日実験をしていて。
COVID-19 の流行もあったので、その夫も都米時期を伸ばしていたんですね。
でも日本の留学助成金の年齢制限でだいたい40歳未満のところが多くて、
これ以上都米時期を伸ばすと、夫が助成金に申請できなくなるっていう年齢になってきたので、
夫が助成金に応募して、
それに2022年から応募した助成金が採択されて、
2022年から助成金がもらえることになって、必然的に都米時期が2022年に決まるんです。
で、私は2022年の1月に論文を初投稿して、
初投稿なんですね。
ディジェクトされるかもわからないんですけど。
で、一応3月にレビューアーからコメントが来て、
で、6月にリバースを返して。
お、順調ですね。
一応順調にいったからいいんです。
で、7月にアクセプトされて、9月に都米という。
おーすごい順調だ。
結果的に見れば順調なんですけど、
私の気持ちとしてはずっとドキドキで。
アクセプトされるまで自分が都米できるかどうかもわからないですし。
で、子どもの保育園の先生にも、
もしかしたらアメリカに行くかもしれないんですけど、
わからないんです。
ずっとずっといつわかるんですかって言われてたんですけど、
ずっと曖昧なことばっかり言ってまして。
すごい私的には人生で一番忙しかったんですけど、
その3月にレビュアからコメントが来てから、
さすがに子どものことに手が回らなくなって、
で、その夫と私の両家の親に日ごとにヘルプ、
毎日ですね、ヘルプに来てもらって、
で、なんとか乗り切ることができたという感じです。
で、アクセプトされてからすごいバタバタで時間がなかったので、
学位審査の申請だけしたんですけど、
実際の学位審査は都米前にできなかったので、
結局都米後に一時帰国して学位審査を行って、
で、自分のラボのデスクとか、
サンプルの整理とかもできてなかったので、
その一時帰国の時に一旦片付けるっていう。
子供の新生活への適応
そんなバタバタで行ったんですか。
そんなにバタバタで本当もうじゃーって行くような感じで、
とりあえずアメリカに行ったっていう感じです。
そのアクセプトになるまでの間から、
その都米前の間に多分書類的なところも
いろいろクリアしなくちゃいけなかったと思うんですけど、
その辺ってビザとかどうなってるんですか。
そこら辺の都米の書類関係は全て夫に任せました。
もうそんなに全くなくてですね。
私が唯一都米に関与したのは、
住居の実際のアパートをどこにするかぐらいですかね。
あと子供の学校の手続きとそれぐらいですね。
そういうビザとかそういうの全て夫にしてもらいました。
そういう手続き系は日本でやるんですか。
日本でオンラインでやりました。
その時は面接もいらなかったんで、ビザの。
確かに送ればいいですもんね。
そうですね、はい。
アメリカンナイトGOLD
名古屋でのポッドキャストイベント
ポッドキャストミキサーを開催します。
ポッドキャストミキサーは
ポッドキャスターもリスナーも全員巻き込んだ
トーク型イベントです。
豪華ゲストによる特別コラボセッション。
10分おきに様々な番組が混ざり合うミキサータイム。
各番組のグッズが手に入る物販ブース。
計15番組と混ざり合う
東海で今までになかったポッドキャストイベントがここに実現。
声が混ざる、思いが交わる。
ジャンルもスタイルも超えて
ポッドキャストの今が名古屋に集う週末。
話す人も聞く人も
混ざって生まれる新しい熱。
7月、ポッドキャストミキサーで会いましょう。
場所は名古屋駅すぐ近く名古野キャンパス。
7月26日13時より開始。
チケットはリッスンチケットページにて。
さあ、推しに会いに行こう。
やっぱ大変ですよね。
だって旦那さんと子供2人ですよね。
それを4人で引っ越して
めっちゃ大変そうですけど。
そうなんですよ。
しかも2本だって全部引き払わないといけないですよね。
そうですね、はい。
一応家は残して
家を置いておくか
誰かに貸すかっていう選択肢があったんですけど
忙しすぎて
貸すには一旦荷物をのげないといけないですけど
そんな時間も余裕もなかったんで
引き払わずにおります。
お子さんってその時何歳だったんですか?
子供は4歳、6歳です。
小学校に入るぐらいの?
そうです。上の子が小学校1年生をちょっとだけしたぐらい。
じゃあ結構なんかどうなんですか。
子供的には
アメリカに行くって言っても
多分わかんないと思いますけど。
子供はね、すごい嫌がりますよね。
嫌がりますよね。
変わってなりますよね。
友達にも会えないし
ジージーバーバーにも会えないし
そして英語わからないしっていうので
子供は嫌がってましたね。
ただ、親の希望で
子供に教育園はなくて
連れてきていました。
一番なんか大変だったのは何ですか?
家族で引っ越しって
海外への引っ越し?
海外への引っ越し
来てからですね
子供がアメリカの生活になれるのが
大変ですよね。
子供からしたら
下の子は保育園で上の子は小学校なんですけど
やっぱり行っても
言葉がわからないので
それは悲しいですよね。
6歳の子は特に
しんどいですよね。
下の子は保育園で遊びが中心なんでいいんですけど
上の子は小学校で授業がメインで
だから
学校の先生が何言ってるかわからない
毎朝その学校
一緒に行くんですけど
学校行くの嫌って言って
毎朝泣いていて
結構
泣かなくなるのに半年ぐらい
上の子はかかりまして
しかもですね
うちは2人とも共働きなので
学校は3時半に終わるんですけど
その後
学校の場所でアフタースクールをしてくれるんですけど
アフタースクール
6時まで預かってもらうんですけど
そのアフタースクールには
日本人の子がいなくてですね
うちの子供はですね
なんで私はアフタースクールに
行かないといけないんだと
日本で誰もいひんでと
アフタースクールに行きたくないねって
言われまして
子供のアメリカでの適応
もう私には返す言葉がないんですよ
確かにそうですよね
自分のせいで
そうなんです
私たち親の希望で子供を連れてきて
本当ごめんなさいと
本当に心の中で謝ってたんです
でですね
日本人の子供たちは
いるんですけど3時半に親が来て
帰るんですけど
その前にプレイグラウンドでみんな遊んで帰るんですね
そのプレイグラウンドで遊んでる様子が
そのアフタースクールから
見えるんで
私もみんなと一緒に遊びたい
って
結構言われるんですけど
もう本当ごめんとしか
言いようがなくてですね
本当に子供に
ずっと申し訳ない気持ちで
1年半年はすごい
私の心もずーんと
なりながら過ごしまして
でもやっぱり子供ってすごくてですね
やっぱり適応してくれてですね
今2人とも
英語はペラペラで
友達もできて
学校もアフタースクールも大好きで
アフタースクールなんてお迎えが早かったら
今だって送られることもある
ぐらい
すごいなぁ
それはもうお子様様ですね
本当そうなんです
やっぱ良かったですね
うつ病とかそういう
地形に行かなくて
そうですね
そこで
不登校とか
役さんが
頑張って
アクティブの方に
持っていこうとしたみたいな
私はいろんな手を使ってですね
例えば今日は泣かずに
行けたらここに
ハローとかそんなカレンダーを作ったりとか
いろんなこと
試行錯誤したんですけど
どれも長くはうまく続かず
結局何が良かったか
って言うと私が毎朝いつも
連れて行ってたんですけど
子供は私には甘えるんですよね
でも夫にはあんまり甘えない
甘えられないのか甘えないのか分からないですけど
でも私はダメだと思って
夫に交代するんです
朝送っていくの
帰りをお迎えすることにして
すると娘はあんまり
学校朝
夫が連れて行って別れるときに
泣かなくなって学校に行けるようになった
なるほど
分かんないんだけど
いいのかいいのか分からないですけど
結果的にはそれが良かった
教育環境とサポート
という子供もそこで
甘えてられないんだな
と思ったのかもしれないですね
しょうがないなってなった
これどうしようもないんだな
やるしかないんだな
すごいな
俺しんどいな
子供だったら
ずっと泣き続けるしかないですよね
そんな考え方ができるのが
すごいですね
やっぱり日本にいらっしゃるときから
おさんの
英語力の基礎的なところって
塾とか
英会話教室とか行かれて
訓練されたりしたんですか
一応ですね留学を行きたいなって
行けるかどうか分からなかったけど
行きたいなと思ってたんで
一応2人とも苦悶をやらせてたんです
でも苦悶をやらせても
喋れない
アップルとかバナナとか
それぐらい
上の子は小学校1年生に上がって
英会話の学童に
週2回行かせてたんですけど
それも何言ってるか全然分からない
って言って
効果があったのか全然分からないぐらい
だから一応親としては
やってたんですけど
やっぱり日本の
日本語の環境だとなかなか
英語の取得は難しかったですね
でも今はですね
すごいネイティブ並みのきれいな
英語を話してくれてですね
2人で英語を喋りだすと
私がついていけないぐらいで
でも今私が
文章を読んで
ママの間違ってる発音直してって言って
子供に
英語の発音を強制してもらってます
やっぱすごいんだろう
子供はすごいですね
子供ってすげーな
だって無理ですもんね
僕らの年代でペラペラになるなんて
ベロが動かない
しかもその
沸騰した瞬間に喋ってる英語って
聞き取れないんですけど私は
意識を集中しないと
でも娘は全部聞き取ってるんですよ
娘に今何言ってたって聞いて
いつも
あそうなんかって言ってますけど
今もすごい子供たちに
助けてもらってます
通われていた学校で
通われてる学校で
始めできないわけじゃないですか
日本語しかわからないっていう
英語ちょっとされて
かじったぐらいのときに
そこの英語力を上げるみたいな
そういう特別な
クラスがあるわけではない
ですよね
あるわけではないです
でもうちの子が通ってる学校は
インターナショナルスクールで
現地の子も通うし
私たちみたいな英語がネイティブ
じゃない子も通うので
先生自体は英語が喋れてない子に
慣れてるので
今子どものクラスにも
スペイン語しか喋れない子もいますし
そんな感じ
必竜なしに英語が喋れない子がいるので
学校自体がそれに
慣れてるっていうのがあります
それで英語力を伸ばす
クラスがないわけではないんですけど
一応2年生に英語の
学校が終わった後に
英語の報酬するクラス
みたいなのはあります
逆に日本語の
報酬校とかもあるんですか
日本語の報酬校あります
でも車でその3,40分かけていくところに
今後のプラン
あるので
行ってないんです
じゃあお子さんからしたら英語のほうが
そうですね
家でですね
クモンの国語と算数とかやってるんですけど
最近ちょっとこの国語力が落ちてきて
なかなか
そうだな漢字とか読めねえもんな
その間もですね
国語の文章読んでて
運動会の小学校の運動会で
ケンタ君は
万年ビリだったっていう文章があって
万年は難しいとして
ビリっていうのはまあ
文章の流れからわかるかなと思って
娘に聞いてみたんですね
ビリって何かわかるって
最初言った言葉がびっくり
あーなるほど
びっくりじゃないよ
かわいいけど
それでもいいですよね
そんな感じ
お笑いみたいな感じの
そうですね
そんな感じの
おもしろい日常の日本語を
喋ってます
今後お子さんのこともありますし
ご自身のこともあると思うんですけど
今は入学3年目です
もうちょっと後で4年目になると思うんですけど
今後どういうプランを
考えてるんですか
今後はですね
もう少しあと1年ほどは
こちらで研究続ける予定なんですけど
帰国後はですね
今やってる狂皮症ですね
狂皮症を含めて後
抗原病全般ですけど
最近この20年ぐらいにたくさん
新薬が登場して
治療がすごい進んでる分野だと思うんです
まだやっぱり治療法が確立してない
疾患とかも多くあるので
抗原病診療を
よくするために
臨床に還元できる研究を
行っていきたいなと思ってます
やっぱりそのためには
臨床検体とか
患者さんのデータが必要になるので
まずはノースウェスタンで得た
知識とか経験を生かしてですね
狂皮症の広報等も
立ち上げたいなと思ってます
今こっちのノースウェスタンで
狂皮症外来の見学とかも
させてもらってるんですけど
狂皮症診療に関しても
ノースウェスタンみたいに
抗原病内科だけじゃなくて
抗原病内科とタカが連携して
狂皮症チームで診療するという体制を
日本の病院でも
作っていけたらなと思ってます
それが仕事面で
生活面としては
逃避後に成功したことの一つですけど
家事を
夫と半々にすることに成功しまして
日本にいたときはやっぱり
大学院に一緒に
タイミングで入りましたけど
その後
夫が先に卒業して
勤務員を始めたとか
いろんなことがありますけど
やっぱり私の方が負担が多くて
すごい体力的精神的に
きつかったんですけど
今はすごい楽なので
できたらこの状態を日本に帰国しても
維持していけたらなと
思ってます
日本に帰った時っていうのは
お医者さん
フィジシャン・サイエンティストという形で
活躍していくっていう感じですね
そうですね
基本的には臨床をよくできるような
研究がしたいので
臨床からは絶対外れないので
臨床と研究を並行する
形になるかと思います
日本だと
アメリカとかだと
パーセントで分けられるじゃないですか
臨床何パー
日本もそういうのってできるもんなんですか
それは多分
ほとんどの
いやほとんど
分からないですけどほとんどのところで
何パーセントってあんまり
定義はされてないんじゃないかなと思います
少なくとも私の
私教徒大学の講演部内科
から来てますけれども
そういったパーセントで
しっかりは分かれてないです
ただ臨床のデューティーの日は決まっていて
その合間に研究をするという
感じなので結構時間的には
タイトになるかと思います
一応自分で
ラボみたいなやつを
そうですね
ラボを持つという
そんなPIにまでは
最初はなれないと思いますけど
大学院生と協力して
自分のテーマをやっていく
という形になると思います
異極内でチームみたいな感じで
ってことですよね
上に人がいて
教授もいるし
純教授もいるし
お医者さんだからできることですね
やっぱり研究を
医学にそのまま直接アプライするっていうのは
あと
僕らもそろそろ結婚する時期
ではあるんですけど
僕らは男なんで
旦那さん側になるんですけど
僕も梶原やり
頑張っていきたいなと思うんですけど
女性からしてやっぱり
女性の場合にとって一般的に高くなるイメージはあるんですよ
どういうその
ネゴシエーションで
そういう半々になっていったんですか
そこをちょっと女性のリスナーが
もしいたらそういうアドバイスになるかな
これはもう長い長い
歴史がありまして
日本にいる時から
ずっと
もっともっと
別に大学の時も
男女不平等を感じたことはなかったですし
アメリカでの生活と家族の夢
医者になってからも不平等を感じたことはなかったので
結婚してからも
結婚してからも
同じ男女平等に
できると思ってたんですね
家事育児も
別に普通にテクニカルには
50-50にできるはずじゃないですか
でもそれが
何か
世の中的にもそうだし
組織的に
それがうまくできないんですよね
それに腹を立て
すごい夫婦でディスカッションを
いい言葉で言えば
ディスカッション悪く言えば喧嘩ですけど
それをして
最終的に
なぜこういう
50-50に行ったかというと
まず一つはアメリカに来たというところで
アメリカに来て
お互いやることが
まったく一緒になったんですね
同じラボで
同じポスドックのポジションで
それが一番大きかったと思います
金無意と大学院生だったら
金無意の方が忙しそうなイメージはありますもんね
同じポスドックの時でも
なぜか私の方が比率が大きかったので
それだけではないんですけど
というのと
あとはもう
女の人がどれだけ強く言うかだと思います
男性は
言わせないようにするのが大事ですね
そうですね
怒られる前にやっておく
手伝ってるんじゃなくて
手伝うという言い方は良くないので
そうですね
それよく聞きます
はい
そこはちょっと肝に銘じて
やっていきたいと思います
そんなところですかね
はい
ノースウェスタン自身は
今話変わりますけど
コミュニティ自身は
卒業生の方ともさっき連絡取ってる
って話でしたけど
日本での繋がりとかもあるんですか
日本での集まりだったり
そうですね
日本でも繋がりがあって
現在の北海道
東京 中国 博多 沖縄と
5つの支部があって
めっちゃあるな
全国各地から
みんなノースウェスタンに来てるので
学会とかを利用して
メンバーが集って
そういったメンバーが集ったときには
Facebookでシカゴメンバーと日本メンバーが
繋がってるので
そこに写真をアップしたりして
情報を共有したり
あとは日本メンバーがシカゴに来たときは
大体みんな
夏に来ることが多いんですけど
BBQで接待をして
交流を深めてます
いいっすよね 日本にもそういう繋がりがあったほうが
絶対いいっすよね
ノースウェスタン大学のコミュニティ
留学して日本人研究者の繋がりの
一つのメリットは
日本帰国後も
繋がって
あとは例えば共同研究ができたり
日本に帰ったときのネットワークの
構築に繋がるというのが
すごいメリットと思います
行ってしまったら後輩だから手伝ってやるか
という気にもなるでしょうし
あと分野がやっぱり
みんな街々なので
分野が違うところに
知り合いがいるというのが
すごいメリットだと思う
逆に
日本人 今日本にいて
ノースウェスタンとかシカゴ系のところに
行きたい人はそういう日本人の
日本のコミュニティに
アクセスしているのがいいわけですよね
そう思います
その人に会えますしね
それいいな
すごいな
ここまでしっかりコミュニティの
確立されているのはすごいなと思います
本当ですか ありがとうございます
というわけで今回は役さんの
アメリカ留学と
アメリカ留学の経緯と将来の展望について
話してきました
今回2回にわたって参加していただきましたけども
どうでしたでしょうか
私としてはですね
自分の人生の中で
非常に密度が濃い実況を振り返ることができたので
いい機会になりました
貴重な機会をいただきまして
ありがとうございました
ありがとうございます
めっちゃ喋りやすかったです
関西弁というか
関西弁出てましたか
出てるよね
本当ですか
すごいフレンドリーな感じがして
すごい喋りやすかったです
本当ですか 標準語で喋ってるつもりでしたけど
失礼しました
さて
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ここまでのお相手はNAKAMURAと
はい
ありがとうございました
40:40

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