そもそもアメリカが好きでアメリカ留学。過去に海外経験とかあったんですか?
そうですね、アメリカが好きというか海外が好きですね。
国は問わず海外という、日本とは違う環境に身を置くっていう、海外に行くっていうのが憧れがあって。
なんで私こんなに海外に憧れがあるんだろうって考えたんですけど、
たぶん祖父母がもともと海外旅行が好きで、そういう写真とかを見てたから、
たぶん海外に興味を持ったんだと思うんですけど。
小学生の時にニュージーランドから来た女の子が1週間半どうちの家に泊まりに来るっていうのがあって、
そこで初めて外国人の人と英語で喋って、異文化コミュニケーションっていうのがすごい新鮮で楽しくて。
その子に今度ニュージーランドに私が行くねって約束して、それは小学校の時だったんですけど、
その後中学生になってニュージーランドに1ヶ月ホームステイをして。
へー、すごい。
そうなんです。ニュージーランドも日本と全然違って自然がすごい高いで、そこらじゅうに羊とか馬がいて、
お菓子のパッケージも海外のやっぱり可愛いんですよね。見るもの全てがすごい新鮮で、
そこからいつしか海外に住んでみたいなって思うようになりました。
でもその頃から英語は喋れたんですか?
喋れるって普通の中学生だったんで、普通の中学生ぐらいの英語です。
恐れがない分。
ボディーランゲージとかをすごい活かしてコミュニケーションしていました。
それは結構早いですね、海外経験。ホームステイって。
確かに、そうですね。中学の時のホームステイなんで。
それいいな。それはやっぱり親御さんが行きたいなら行っておいでみたいな。
もともとジュージーランドの学生を受け入れたのも親が受け入れたんだと思うので、
親がそういう意向があったんだと思います。あまり聞いてないですけど。
すごいな、いいですね。僕にはそういう経験なかったんで。
若い時に行くっていうのはすごい良いかなと思います。
その後は高校では海外行ってないですか?
高校は特に行ってないですね。大学受験に専念して。
でもずっと海外に行きたいっていうのがあって、
医学部に入った時もそういうのはずっと思っていて、
医学部では医学生の交換留学を行う団体、イフムサっていうのがありまして、
そういうのに参加して、そうすると自分の大学に来た留学生のお世話をしたりとか、
その代わりに自分も海外に留学するチャンスがあって、
私はフィンランドを選んで、フィンランドで1ヶ月産婦人科の実習を行いました。
フィンランドってすごい福祉が進んでるイメージがあるんですけど。
その通り、福祉が進んでます。その一環で産婦人科の出産とか、
日本と違うかなと思って、それでフィンランドを選んだんですけど、
文弁も日本と違って、まず文弁室がそもそも広くて、
中にプールがあったり、バランスボールがあったり、
だからその妊婦さんがその時の気分に応じてバランスボールに乗ったり、
プールに入って、プールの中で出産することも可能ですし。
プールの中で出産するんですか?
はい、はい。水中って言うんですかね。そういう選択肢もあります。
赤ちゃんは死なないんですか?
あ、そのすぐに。
ウォースの中にいるから大丈夫か?
まあ、いろんな、どういう状況で産まれてくるか、
タイとか水の中から出すのか、いろいろあると思いますけど、
そんな感じでですね。
フィンランド以外にもいろんな選択肢があるんですか?
いろんな国が選べます、はい。
別にアメリカも選べますし、イタリアとかドイツとか、はい。
でもその、なぜかフィンランドがいいなと思ったんですね。
逆に英語の、英語圏、アメリカとかイギリスとかは、将来…
英語でもできますもんね。
そうなんです。学会とか、まあね、働き出してから行くかなと思って、
そういうところじゃないところに行きたいなと思って、
で、フィンランドを選びました。
確かにそうですね。フィンランドはなかなか行かない。
オールアメに行くぐらいだもんね。
サンタさんに会うとかね、それぐらい。
確かに確かに。
で、まあそこで他の、イフムサ、私と同じようにイフムサから留学してきた、
いろんな国の留学生とかもいてですね。
で、そういった留学生同士の交流もすごい楽しくてですね。
で、やっぱりそれでも、それ以外もですね、
私海外に行くことずっと興味があったので、
他に東京女子医科大学と東京医科大学が行ってる
BIAっていうアメリカの医療を学ぶ短期留学プログラムというのが
2週間ぐらいで夏休みにあったんですけど、
夏休み?春休み?あったんですけど、
それは何するかというと、スタンフォード大学とか
UCSFに行ってアメリカの医療を学ぶっていう。
じゃあ来たんですね、UCSFに。
そうそう、行きました行きました。
グッズとか買いました。
西海岸ならではのHIVクリニックの見学とか。
なるほど。
あとは、日本ってあんま臓器移植そんな盛んじゃないですけど、
アメリカ盛んなんで、そういった同室移植を受けた、
双子でもともと脳法性肺炎症があって、双子で療肺植を受けた
そういった方のお話聞いたりとか。
やっぱりアメリカの方が医学は進んでるんですか?
医学は進んでると思いますね、はい。
やっぱりそうなんだ。
あとこういうプログラムが結構あるんですね。
こんなのあるとは思わなかったです。
意外にあるんです。
これもやっぱり人に聞いたとしても知るんですけど。
しかもこれ神戸大で東京系の大学がやってるやつとかも
アプラできるんですね。
そうなんだ。だからもともと関東の大学が中心にやっていたので、
でも私はたまたま声をかけてもらって、
神戸大から行ったのは私と友達1人、2人だけで行ったんですけど、
あとはほとんどみんな関東の大学の方ばかりだったんですけど。
すごいな、いいな、こういうのないもんな、俺ら。
普通の学生、医学部だからこういうのがたくさんあるんでしょうね。
学部生ですもんね。
そうですね。その後、医者になってからもですね、
1、3年目、後期検証院の時ですけども、
これはアメリカ内科学会の日本支部の女性を受けて、
ロサンゼルスにあるオリーブビューホスピタルっていうところのリューマトロジーで、
1ヶ月間入院と外来を見学する機会を得ました。
やっぱりアメリカの医学教育ってすごい確立されてて、
日本って例えば医学生はポリクリっていう形で、
あんまり実際の臨床には参加せずに見てるだけっていう感じなんですけど、
アメリカはその医学生がもう実際の診療チームの一員となって、
実際に診療して診断も考えてっていう形で、
その実地教育がすごい確立されててですね。
そういうのなんですかね。感銘を受けておりますが。
で、外来指導も向こうはレジデンシーだったり、
フェローがまず先に患者さんを見て、その後指導員のところに戻ってきて、
それをプレゼンして、指導員と治療方針のディスカッションして、
また患者さんのところに行って診察してっていう感じで、
全て教育システムが整っていて、すごい勉強になりました。
逆に日本はそうじゃないんですか。
日本は教育がないわけではないんですけど、
例えば外来で、日本は初期研修医が外来をするってことはないんですけど、
後期研修医から外来をすることはあるんですけど、
アメリカみたいに後期研修医が先に見て、
それを指導員にプレゼンして相談するっていうことはなくてですね、
もう普通に一人で一人立ちして診察して終わらせる。
で、後から困ったことがあったら、後で相談するっていう。
で、あとはその医学生の時からそういうふうにあんまり実地での教育っていうのは、
教育はあるんです。教育はあるんですけど、
そんなに臨床に踏み込んで参加して教育してもらうという感じではないので、
ちょっとシステムが違いますね。
おもしろいですね。それ知らなかった。
けど、やっぱりアメリカはお金あるからできることなんですかね。
でもアメリカの方が多分、すべてシステムが効率よくなっていると思います。
その方が医学生を早めに病院に出させて教育する方が早く戦力になりますし、
そういう面で考えると日本もそういうふうにした方がいいのかもしれないですし、
そもそも主人はあまり別に大学院に行くとか興味がなくてですね。
私がでもただ海外に行きたいっていうのをすごい言っていて、
でも海外に行くには研究留学しかないんだと。
それを強く言ってたので、
もともと主人は大学院に行くという選択肢はなかったみたいなんですけど、
それで主人は大学院に行くという選択肢を選んでくれて、
ということを留学してから主人から聞かされたんですけど。
じゃあいい旦那さんですね。
同じ方向を向いてくれたってことですか。
同じ方向を向いてくれた。
やっぱりやりたいことっていうのは口に出した方がみんなに伝わるというか、
やれるようになるんだなってその時は思いました。
お医者さんがPhD取るときって医者は辞めるんですか。
医者は辞めなくてですね、大体外来バイトとか、
非常勤バイトで医者を続けながら研究する人がほとんどだと思う。
収入がなくなるので医者を辞めると。
そうですよね。だから結構大変じゃないと。
2人でやったらもうめちゃめちゃお金払わないといけないじゃないですか。
学費を納めないといけないので。
なので私も非常勤の保健病何かの専門外来だけはやってました。
博士で博士号を取ってお子さんを育てながらすごい大変だったと思うんですけど、
博士号を取る前にシカゴのポジションをもらってたんですよね。
そうですね。
それでそれを糧に博士号を取って、そこから卒業してすぐシカゴに行ったんですか。
そうです。卒業というか論文がアクセプトとなってすぐに行きました。
結構それ何に準備してたんですかね。
これは結構バタバタで、どこから話し始めたらいいのか。
夫が先に留学先を話し始めて、夫のラボの受入れが決まって、
その夫のラボの受入れが決まったのが実際の都米時期の2年ぐらい前で、2020年ぐらいなんですね。
その時私はまだ大学院生で論文をまとめるにもまだデータが足りなかったので、
毎日実験をしていて。
COVID-19 の流行もあったので、その夫も都米時期を伸ばしていたんですね。
でも日本の留学助成金の年齢制限でだいたい40歳未満のところが多くて、
これ以上都米時期を伸ばすと、夫が助成金に申請できなくなるっていう年齢になってきたので、
夫が助成金に応募して、
それに2022年から応募した助成金が採択されて、
2022年から助成金がもらえることになって、必然的に都米時期が2022年に決まるんです。
で、私は2022年の1月に論文を初投稿して、
初投稿なんですね。
ディジェクトされるかもわからないんですけど。
で、一応3月にレビューアーからコメントが来て、
で、6月にリバースを返して。
お、順調ですね。
一応順調にいったからいいんです。
で、7月にアクセプトされて、9月に都米という。
おーすごい順調だ。
結果的に見れば順調なんですけど、
私の気持ちとしてはずっとドキドキで。
アクセプトされるまで自分が都米できるかどうかもわからないですし。
で、子どもの保育園の先生にも、
もしかしたらアメリカに行くかもしれないんですけど、
わからないんです。
ずっとずっといつわかるんですかって言われてたんですけど、
ずっと曖昧なことばっかり言ってまして。
すごい私的には人生で一番忙しかったんですけど、
その3月にレビュアからコメントが来てから、
さすがに子どものことに手が回らなくなって、
で、その夫と私の両家の親に日ごとにヘルプ、
毎日ですね、ヘルプに来てもらって、
で、なんとか乗り切ることができたという感じです。
で、アクセプトされてからすごいバタバタで時間がなかったので、
学位審査の申請だけしたんですけど、
実際の学位審査は都米前にできなかったので、
結局都米後に一時帰国して学位審査を行って、
で、自分のラボのデスクとか、
サンプルの整理とかもできてなかったので、
その一時帰国の時に一旦片付けるっていう。