#112 ある理論物理学者の「起源」をたどるキャリア超入門【UCバークレー 野村泰紀先生 前編】
2026-05-22 55:40

#112 ある理論物理学者の「起源」をたどるキャリア超入門【UCバークレー 野村泰紀先生 前編】

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今回は、UCバークレー教授、ラインウェバー理論物理学研究所所長の野村泰紀先生 (@YasuNomu1wiki に、

  • 先端の物理学への関心:高校の部活動引退後、受験には全く出ない相対性理論や量子力学を熱心に語る、はみ出し者的な先生の補習を受け、その面白さに魅了されたことが、理論物理学を志す1つのきっかけとなったそうです🚀
  • 圧倒的な研究者との出会い: 若手時代にアテンドしたアメリカ人ポスドク(後に29歳でハーバード教授になる)の圧倒的な深さに衝撃を受け、研究への集中度を劇的に上げた経験が現在の野村先生を形作ったそうです💥
  • アメリカの議論文化: 理論物理の世界では、毎日行われる激しい議論に貢献できなければ、共著者から自動的に外されてしまうという、厳しいサバイバルの実態が明かされています🗣️

などについて伺いました。

(2026年3月19日収録)


野村泰紀先生の最新作

宇宙はどう生まれたのか 世界の「起源」がわかる素粒子物理学超入門


5月のアメゴーは「アメゴーでたどる、世界で戦う研究者のキャリア」をテーマに、研究の世界でのトップランナーの先生方から、キャリアの変遷をアメゴー目線で辿っていきます👀


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🗽トピック🗽 

ブルーバックスと中学時代/ソフトテニス部での猛練習/P「模試7点」からの東大合格/運命の教師/理論を選んだ理由/異例の早期卒業/天才との遭遇/議論と脱落/「なぜ重力は弱いのか?」/arXiv(アーカイブ)以前と以後

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✏️参考✏️

  • 理論物理学:実験装置を扱うのではなく、数学的な計算と思考を用いて宇宙の仕組みや法則を解明しようとする物理学の分野です。
  • ブルーバックス:科学の話題を一般向けに分かりやすく解説した新書シリーズで、野村先生が中学時代に物理に興味を持つきっかけとなりました。
  • ミラー・フェロー:UCバークレー独自の特別な研究員制度で、特定の教授の指導下ではなく、完全に独立して自分の好きな研究を行うことができます。
  • 素粒子:物質を構成する最も小さな単位。
  • プレプリント:学術誌に掲載される前の未査読の論文原稿のことで、物理学の分野では情報の共有を早めるために日常的に公開・閲覧されています。
  • arXiv(アーカイブ):世界中の物理学者がプレプリントを投稿し、誰でも無料で読めるようにしたオンライン上のサーバーのことです。
  • テニア(テニュア):大学教員の終身雇用の権利のことで、野村先生が衝撃を受けた研究者はわずか29歳でハーバード大学からこのオファーを受けていました。
  • ナショナルラボ(国立研究所):政府が資金を出す大規模な研究機関のことで、野村先生は「フェルミ国立加速器研究所」という一流の研究所に在籍していました,。
  • 標準模型:素粒子の性質やそれらの間に働く力を説明する物理学の標準的な理論ですが、非常に弱すぎるため「重力」は計算に含まれていません。
  • オーサー(共著者):論文を書いた人のことで、アメリカの激しい議論についていけない研究者は、自動的にこのリストから名前を外されてしまいます。


本配信は個人的な見解であり、所属する組織とは全く関係ありません。


★パーソナリティ ⁠⁠⁠NAKAMURA ⁠⁠⁠

1994年生まれ、岐阜県出身、広島大学大学院にて博士後期課程修了。現在は、米国のサンフランシスコにある大学にて、ポスドク研究員として、循環器、再生関係の研究をしている。


★雑務 ⁠⁠おニューのわら人形⁠⁠

★番組のX ⁠⁠⁠@ANG_2024⁠⁠⁠

⁠⁠⁠メッセージはこちら⁠⁠⁠

★オープニング: ⁠⁠⁠Trick style(まんぼう二等兵様)⁠⁠⁠

★エンディング: ⁠⁠⁠Night trip(Make a field Music様)⁠⁠⁠

★ジングル:

気分一新 (otologic様)

OP/EDジングル41 (t12ya様)

感想

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サマリー

UCバークレー教授でラインウェバー理論物理学研究所所長の野村泰紀先生が、自身の理論物理学者としてのキャリアの「起源」を語ります。中学時代にブルーバックスで相対性理論や量子力学に触れ、高校では受験には出ないこれらの分野を熱心に教える先生との出会いが、物理学への興味を決定づけました。厳しいソフトテニス部の活動で培った根性と、大学での実験への苦手意識から、理論物理学の道を選びます。

オープニングと自己紹介
アメリカからこんばんは、NAKAMURAです。
この番組では、アメリカ研究留学4年目を迎えた私、NAKAMURAが、
ゲストと話しながら、アメリカ留学の魅力を再発見し、
大きな新たにおすそわけすることを目指しています。
アメリカだと、大体5月ぐらいに大学が終わって、そこから夏休みになるんですけど、
うちのラボは結構学部生が多くて、その中でも、僕がメンターしている子たちが
今、5人ぐらいいて、そのうち3人が、夏も一緒に研究したいということで、
フェローシップに申し込んで、フェローシップが結構いろいろあって、
UCバークレーの子たちなので、UCバークレーがおそらく提供しているフェローシップだったり、
カルフォルニア州が提供しているやつだったり、企業が提供しているやつだったり、
いろんなフェローシップがあって、みんなそれぞれ3人中3人ともいろいろ申し込んで、
めでたく3人中3人とも通って、夏一緒に働くことになったんですけど、
それプラス、他の外部の大学からもあと2名ほど来ることが決まって、
その子たちも僕と一緒に働くらしく、僕がやっているプロジェクトの再現を取ってもらいつつ、
少しちょっと新しいこともするみたいな感じで、夏暇かなと思ってたんですけど、
5人学生さんと一緒に働くってことが決まったので、学生さんが多いっていうのは楽しみことなんでいいんですけど、
何をやるかっていうのはちょっと考えないとな、あと1ヶ月あるんで、
あと1ヶ月の間に何とかして考えないとなっていうのはありますね。
あと、こうやっていわゆる世界でもトップレベルの学生と一緒に研究できるっていう環境がこのUCSFにあるので、
それはすごい刺激になりますね。
いわゆる本当に天才っていうのを目の当たりにすると、若干自分の能力の低さを感じてしまうんですけど、
僕はまだ経験が彼らであるので、それで補っていきつつ、いわゆるその天才たちがどういうふうにして研究をしているのかっていうのがすごい勉強になるので、
すごいいいなあっていうふうに思いながら、あと1ヶ月後楽しみにして今研究をしている感じです。
今月5月のアメイゴーのテーマは、アメイゴーで辿る世界で戦う研究者のキャリアです。
研究の世界のトップランナーの先生方からキャリアの変遷をアメイゴー視点で辿っていきます。
今回はUCバークレーの野村先生をお迎えいたします。今週もよろしくお願いします。
アメリカンナイトGOLD。
改めましてNAKAMURAです。それでは今回のゲストを紹介します。野村先生です。よろしくお願いします。
どうもよろしくお願いします。
野村先生とは2回目になるんですけど、この前バースの回でお話しいただいてありがとうございました。
はい、ごちそうさまです。
簡単に野村先生の自己紹介をお願いします。
野村泰則と言います。今はカリフォルニア大学バークレー校で物理学の教授ですね、やってます。
理論物理の人間が集まって作っているラインウェバー理論物理学研究所っていうのがあるんですけど、ちょうど今そのディレクターをやってるところです。
アメリカには2000年に来たので、日本でPhD博士を取った後に来ているので、英語があんまりよく喋れないですけど、その後もう26年目ですね、っていう感じです。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
この前先生のツイッター見てて、日本に帰れる時横にすごいでかい人がいたっていう。
ああ、あれか。
前日に僕も全く同じ経験をして、もう半分くらい乗っ取られてるんですよね。
そうだよね。
あれどうにか悲惜しいですよね。
手すりっていうか、手を乗せるとこ、あれどうしてもはみ出してくるから。
そうですよね。
でもちょっとやめてくれよとも言えないよね。
たぶん彼もギチギチで、これ以上詰められないサイズで、物理的にはみ出しているので、もうどうしようもないですよね。
あれ日本へのフライトですか?
日本へのフライトです。
しんどいな。
だからずっとよじってて、着いたらガキガキみたいな。
しかもあったかいですもんね、なんか。
まあちょっとね、人肌、人肌ってことでね。
物理学への道のり:少年時代から大学まで
物理的な圧迫を感じた時間だと思うんですけど、先生が物理っていう、めちゃめちゃ飛びましたけど、物理に出会ったきっかけとかっていうのはいつだったんですか?
忘れてるから、僕はあんまりサイエンス少年ではない。それはそうだと思うんだけど。
いろんなところで言ってたけど、こういう会話をさせてもらう機会が増えてきて。
そうするとやっぱりね、どうも忘れてるだけで、たとえば中学校の時とかにブルーバックスとか読んだ記憶がやっぱり蘇ってきて。
単に忘れてるだけで、どの本読んだのかでもう1本は分かってて。
相対性理論の本。
佐藤文太郎さんっていうまあ偉い先生だったけど、たぶん彼の本で。
もう1個は南部幼少さん。そのも僕らの分野のスター研究者。もうお亡くなりになったけど、そのブルーバックスとかも読んだ記憶があるので。
物理とか天文とかの区別ちょっとよく分かってなかったかもしれないけど、そっち方面の興味っていうのもあったっぽいですね。少なくとも中学校で。
やっぱ僕らは生物に行っちゃったんですけど、その頃やっぱり物理って言ったらやっぱ数学とかそっち系も絡んでくるじゃないですか。
そういうのは関係なしにもうそういう物理学というかそういう分野に興味があったって感じですか。
まあ物理やるんだったら数学だろうっていうぐらいの印象はもうあったんじゃないかなと。
それは一般相対性論のブルーバックスぐらいのレベル読んでても、まあこれ式使ってんだろうなっていうのも明らかだし、もしかしたらちょっと式に乗ってたかもしれないし。
そうするとそんな式はさっぱりわかんないわけだよね。だからまあこういうことをやろうと思ったらそれが必要っていうのは、数学が必要っていうのは知ってたんじゃないかな。
まあだからもう当時、昔のこと全部忘れちゃう人なんで。いや本当にもうすげえびっくりぐらい忘れ、なんか中学校の時の同科なんかとか大学の時のサークルの人とかがなんか連絡を送ってくれたりして、やりとりしてたんだけど。
そう言ってるからそうなんだろうなって感じで、誰だかさっぱりわかってなくて。
結構面白いな。
っていうぐらいなんで、なんか覚えてないんですけど。
よくインタビューの方ではこの頃でテニスをすごいやられてみたいな、力を入れられてって話が。
中学でもやってたけど、高校はやっぱり一番。高校は公式なかったんで、僕は中学校がずっと公式だったんだけど、何式しかないんで、何式に入って。
でも県立高だったから、まあ結構何式テニスなんかでも他、横浜高とか東海大佐上とか強かったんだけど、やっぱり中学で全国制覇したやつとか集めてるので。
勝つのはなかなか大変だったんだけど、だからもうずっと練習しかしてなかったんで、夏も休みないし、土日も休みないし。
で、朝練やってから授業終わってからもやるし、真っ暗だし帰るとき。
すごいっすね。がっつりっすね。
だからまあそれもあって、神奈川県のベスト4まで行ったんだけど、最後。
確かに先生でかいし、サーブ強そうっすね。
スマッシュだけは異常に強かった。
サーブしたからか。
いや、後衛と前衛っていうのがあって、僕前だったんで。
すっげえ早い球を取るために、なんかこう2、3メートルのところから、まあ4、5メートルあったかもしれないけど、打って、そいつを止めるっていう練習をずっとやってて。
目にぶち当たって、すっげえ晴れたりしてたんだけど。
結構なんか根性が鍛えられる期間だったっていうふうに、インタビューでもお見かけしましたが。
そうそうそう。僕はそんなにやられたことじゃないけど、やっぱり当時だからね。ボレミスったら殴られるとかあったからね。
なんかね、やりづらいのがあんまりやられなかった。態度は結構それなりに良くないんだけど。
あんまり殴りがいがなかったんですかね。
そう、多分リアクションがさ、つまんなかった。冷めてるっていうか。みんな結構、混音が異動になるときとかも、みんな輪になって、こう泣いてるわけ。
へえ。
もうすげえ熱くて。いや俺もなんかちょっと心寂しさはあるなとか思ったけど、なんか泣かないタイプでしたね、別に。
フーンみたいな。なんかいろいろやっとったしな、この混音もみたいな。柔道技で俺ら投げたり、いろいろしてたなみたいな。
ああ、そういう時代か。
思いましたよ。もちろん水飲むの禁止だしね。
おお。
ああもう全然違いますよ、時代。
まあいわゆる僕らが噂に聞くレベルの時代なんですね。
まあいっちゃん殴られたのはあれだけどね、武室で麻雀やってたときだけどね。
ああ、そりゃあ沼田先生があれかもしれないけど。
そのレベルでそれをやるかっていう、普通ちょっとしたあれみんな気遣って怒られないようにしてるのに、ちょっと4人調子乗ったやつが麻雀やっちゃって、カード麻雀。すんげえ怒られた。
じゃあもう全然勉強はやってないんですね。
そうね、まあ普通には、だから授業中はやってるから。
ああ。
吹き出したりはしない時代だったんだけど、本人には順位が知らされる。だいたい100万よりちょっと上ぐらいかな。
僕結構いいっすよね。
うん、そうそう。上位5分の1ぐらいになりたい。
おおー。それでも物理とかの点数がなんかめっちゃ低かったっていう話を聞いたんですけど。
それはね、まあいろんなどっかでしゃべったんだけど、それは模試を初めて受け取ってて、学校の物理の成績とか別にそんな悪くない。
おおー。
で、模試って大学入試の模試とか、トレーニングしたことないから、3年生になって初めて受けた。
あの塾とかも行ってなかったんで。で、そうしたら7点だったんだよね。
笑。7点でも確率的にも難しいですもんね、多分取るの。
あ、いや多分記述だったと思う。
記述ですか。
うん、いきなりね、ちょっとこれ記憶が悪くないんじゃないんだけど、その程度のやつでいきなり東大模試を受けたんだよなと思う。
面白いから、だからちょっと一応それで測ってみよう、別に何の損もしないからね。ってやったらやっぱり全然わかんなくて。で、7点だったのが記憶にある。
やっぱその頃からは相対性理論とか量子力学とかそういう、いわゆるテストの物理じゃなくてもそういう学問的なものに興味あったんですか。
興味あがら、まあブルーベックスのレベルではあったけど、もう本当にそういう興味が弱気されたっていうかのは、僕は高校最後関東大学に行けずに負けてるんで、早めに引退だったんで。
で、それがちょうどよくて、もうそっからもう受験しかやることないんで。今までやったもん、朝から晩まで土曜も日曜もずっと出てくるのが一気になくなるんで。
何もしなくてよくなっちゃうんで。で、まあ普通に勉強始めたんだけど。で、夏にね、ポーコン物理の先生、後に大学の先生だかららしいんだけど。
ポーコン物理の先生が、そういう相対性理論とか量子力学とかを高3の連中に向かって、受験に全く出ないやつをしゃべる。
いやだから、授業中にやるとちょっとさすがにあれなんで。っていうことで、多分本人としたら部活のコモンみたいな感覚だったと思うんだよね。物理、しゃべるのが好きで。話すごい面白い。
で、夏場、ほんと2週間だったかな、3週間とかの、まあもちろん出なくてもいい授業っていうのに、最後さすがにちょっと減ったけど、本当に物理なんか興味なさそうなやつが部屋、教室いっぱいいなくて。
それを毎日ずっと、相対理論から二重スリットからとか言って、それを僕も言ってて、夏むちゃくちゃ時間あるからね、部活は一気になくなっちゃうんで。っていう、それははっきり覚えてる。
じゃあ今先生が、そういうリハークとかでやられてることを、そのポーコンの先生が学生に向かって。
結構優秀ですね、その先生。
なんか多分、多分ポスト学だったんだと思う。それでアカデミアに残れずに来てて、でも最終的に大学の先生になってたらしい。
そうか、確かにそういう先生と出会いって確かにでかいっすね。
それはね、県立高校だからたまたまだよね、だってローテーションだから。
本当にいわゆる、日本だと県立高校の受験があるんで、いわゆるトップ校と、新学校っていうのかな。一応僕はそこに行ったけど。
と、本当に荒れてる当時。僕の中学校なんかもひどかったから、窓ガラス割りまくられるわ、いじめとかもいっぱいあって。
でも僕も血だらけで書いたこともある。
それは?
タイマンとか。ズボンの太さでランクが決まってるんで。
その時期か。
そうそう、自分よりちょっとこう、自分の格よりちょっと太いの入ってくと囲まれて、やらないといけなくて、そのまま負けまして。
結局体でかいから強いんじゃないですか?
いやー、ダメだった。
それはでもたぶんね、血だらけって言ってもたぶん鼻血なんで、一発入っちゃっただけだったと思うんだけど。
何の話してるかよくわかんないけど。
そういうところの人たちが行く高校、高校行かない人もいるけど、その相手はちなみに高校行かなかったというわけで、少年院に入っちゃったんだよ。
で、その高校とかも全部ローテーションなわけで。
本当にたまたまどういう先生がいるかっていうのはね、本当に運だったわけだけど。
でもその前にブルーバックストーンに出会いっていうのがあったかと思うんですけど、もともとそうやって本を読まれること自体は好きだったんですか?
それってやっぱり、あってっていうほどではなかったけど、確かに記憶では図書館があって中学。そこで読んでた気がする。借りたのかもしれないし、わかんないけど。
細かいこと何も覚えてないんだけど。
謎に目についたってことなんですね、たぶん。
そうだろうね。でもそれより前に何か興味があった可能性は。
ただ小学校は全然田舎で、茨城県にいてたんで、本当に田んぼだらけで。
やっぱり遊びは野後捕まえてとか、カブとクワガタいるので普通に捕りに行ってとか、そういう感じだったんで。
たぶん中学校入ってからじゃないかな。
ちょっとずつあった興味が高校になって、そういう歩行での先生との出会いが結構大きかったわけですね。
具体的になってきたっていうか。
ただ結局は細かいことを決めなくていい大学、東京大学ですけど、理科一類っていう、それは迷う必要なかった。
理科三類っていうのは本当に医者の類型が3つに引っかかれてないんで。
理科二類っていうのはもっと農学とか、もしかしたら生物の一部もそうかもしれないけど、でも生物も生物学はやっぱり理科一で。
全体の3分の2ぐらいが理科一なので、確か。
だからそういうもん、あんまり物理って決め打ちする必要すらなかったんだけど、ほぼそっち方面だっていうのは心の中では決まってたかもしれないね。
実際大学入ってもずっと飲んでたっていう話ですけど。
いやいやいや、大学期間結構頑張ったんで、やっぱりそっからの半年か。
勉強しないで入り回すとかそんな無理に決まってて。
やっぱり当時は、今もそうなのかもしれないけど、プライベートなスクール、高校とかって、やっぱり受験用の勉強をずっと2年3年間、中高一環だしやってるので、
全くやってないから、やっぱり初っ端の7点とかそうなんだよね。
なんか本当に見たことないような感じの問題みたいな感覚になってて。
あと、高3の初めにそれ受けてるからもちろん高3の範囲わかんなくて、どんなもんか知ってみようと思って、情報収集のためにやっただけなんで。
そしたらもう全然ダメってのがあって、そっからは結構勉強しかしなかったんで。
部活とやったときの同じような勢いでやってたんで、ずーっと。
だから終わるでしょ。
そうすると、やんなくていいわけよ。
解放される。
あと、僕は実験ももう1個しか実は出してないんで、それ落ちたらもう落ちるっていう感じだったから、それなりにストレスもかかってたんだと思うんだよね。
で、それが通って、行ってみたらまた、お酒はわかんないね。
20歳より上の人しか飲んでなかったかもしれないけど、とか、また公式テニスに戻ったりして。
それはもう部じゃなくてサークルでしたけど、2年ぐらいは気抜いてたかな。
まあ必要だよね。
人によってはね、ずーっとできる人っていうのは、天才はいるけどね。大谷翔平さんとか多分。
そういう感じだったけど。
一応その間も物理学には興味はあったんですか。
それもそう。学者になるとまで考えてたか覚えてないんだけど、方向性はそっちっていうのはもう。
大学入って心変わりする人もやっぱいるじゃない。中曽根元総理大臣とかも。
やっぱり理系に入って、リーチに入って、でも結局文学部に出す。東大生3年の時に学部決まるんだけど。
っていうふうに心変わりする人もいるんだけど、で、それある程度の人数は認められてるんだよね。
そういう変えるみたいな。変えるっていうことを思ったこともなかったし、そのまま物理学科に進みました。
結構学部の頃からそういう教授とかと話したりみたいなやつはあったんですか、研究室に行ったり。
いいね。授業ほとんど出てないしね。
いやでも4年生は別、4年生はゼミっていうのは始まるんで、で、どれかは取らないといけないから。
で、その時にはもう理論のゼミをほとんど実験と迷った記憶ないんで。
それなんでですか。
いやまぁだいたいそうなるんだよね。みんなそういうブルーバックスとかでやるとなんとか理論とか相対性理論とかなんとかってやると。
結構なんていうんですか、夢を現実にするみたいな感じになるんですかね。
実験の醍醐味みたいなのってあんまり分かりづらいよね。書かれてもいないし、そういう一般書で。
あーまあそうか確かに。
だからほんとやってみてみんな楽しさ、楽しいものじゃないです。世界で初めて最初に結果が知れるしさ。
なんだけど分かりづらいくて、僕は多分その分かりやすい方にそのまま入れないで。
そのままなんか理論とか、当時僕は素粒子物理とかから入るんですけど、そういう素粒子の世界とか思いっきりそのままニュートンとかいう感じの雑誌の。
そういうのまま理論に来ましたね。あと1,2年の時は実験やらされるんだけど。
なんか結構実験ノート取って何とかルールがいっぱいあって。
そうですね。
で実験だけ出ないといけない。
確かに。
だからしかも2人1組でやって、みんな結構インチキしたりするわけだから。
頼むぜとか言って。
だけど俺のピアノ、これ結構出席取られたりするんで、でちゃんと内容もちゃんとノート取ってないといけないから、ほんと適当に出ちゃうと結構バレる。
ほんとに留年するのよ、それ。東大留年多いからね。
東大でもあるんですね、そんな。
あるある。サークの先輩とか7年生とか8年生とか結構いたの。
おーすごいな。
あだ名親父さんとか。
まあそれで結構みんなでも片方のやつは出てないとか、まああるわけ。実験片方やれば取れるんで。
だけど俺のペアになったやつはほとんど来ねえんだよ。
だから俺出なきゃいけなくて、全部それやんなきゃいけなくてやったんだけど、それで嫌になっちゃったね、たぶん。
あーなるほどね。
結構きついし厳しいし、そのノートの取り方とか。
まあそれって今から考えたらすごい良い教育なんだけど、まあ若造にはそれがわからずちょっとなんだ、うっとしいなみたいな感じになっちゃったんだと思うんだよね。
よく先生がご自身の分野のお話しされるときに、二重スリット実験が最も美しいっていう話がよく出てくるんですけど。
わかりやすいからね。
そういうことなんですね。なんかそうやって自分で実際手を動かされるのも好きだと思ってました。
いやもうそういう実験よりはね、おしろコープをどう使うかとかね、なんかそういう大事なんですごく実験やとしては。
だけどたぶん違ったんだな、それ人それぞれで。僕にちょっと。だってその後一切その知識使って。
あ、いやでもまあ数字とか厳密にっていうところは生きてるけど、学問全般に当てはまる厳密さとか、そういうのはもしかしたら生きてるかもしれないけど。
まあ理論上そういう人多いよね。有名な僕らの部屋のアブダスサラムっていう人も。実験やると全部壊すんで。
俺は無理だ。まあ結局ノーベル取るんだけど、理論で。
研究者としての覚醒とアメリカでの挑戦
すげえな。実際大学院は東大大学院で確か4年で卒業されてますよね。
そうね。
そうっすよね。
うん。僕の年から始まったんだよね。なんか1年早く出せって。
へえ。
たぶん物理学科の大将。
おお。たまーにいますよね。たまーに僕らの大学、たまーにいるんですけど、そういう卒業みたいな人が。
うんうんうん。そうね。それはもういいんじゃないって言われて。
確かにそう。
だからもう1年早く卒業出して、日本の場合半年待たないといけないじゃない、逆に。
あ、そうなんですか。
普通なるだと。4月と9月にずれてるから。
卒業も関係あるんですか。
いや、卒業も9月から始まるんで、アメリカは。
あ、そうなんですね。
特に先生がされたのがミラーリサーチフェローみたいなコースだったからっていうのもありますか。
いや、違うよ。9月しかあるしかないよね、卒業って。あ、あるの?
いや、僕らは通年ですね。いつでもOKです。
あ、いつでもいいんだ。あ、全然違う。僕らやっぱり楽器と連動してる。
だからアプリケーションはみんな10月、11月に出して、1月、2月に決まって、9月から着任しか、原理的にほとんどないと思う。
ほんと例外あるのかもしれないけど、全部そのサイクルなので、普通は3月に卒業しちゃうから日本で。
半年間、なんとか研究院とかで普通時間を潰すので、それを半年早めたって感じ。
あ、なるほど。じゃあ結構大変っすよね。半年早めて推薦状とか、いろんなの集めないといけないじゃないですか。
でもだから整理期にすると丸1年早くなってるように見えるけど、3月に卒業するところを7月に卒業して、
ほぼ1年かな。でも7月に卒業して、8月からのポジションで行ったっていう感じかな。
実際どういうところに応募されたんですか。
いややっぱりたくさん出さなきゃダメだみたいなことは言われてたんで、
それまで例えば大学も大学院も僕1個しか大学に入ってないんで、そういうのじゃもういかんっていうことなんで、
多分10個以上は出してる。
おーそうなんだ。そういうのはやっぱ教えてもらった教授の先生とかからアドバイスをもらってたんですか。
そうそうそう、彼の学生は大体みんな海外に出てるのよ。
おーそうなんだ。
で、まあ僕の彼が東大に移って最初の学生なんだけど、東北大の教授だったんだけども、
その彼の3校への学生とか2校への学生とか話したことあって、みんなアメリカでポスドカやってたから当時。
今は東大の教授だった。で、あんまりわかんないというか、そうなんだろうなみたいな。
でも落ちたら、まあ日本全部落ちたら、ヨーロッパが。当時やっぱまだアメリカのほうがヨーロッパより結構上だった。
ヨーロッパほとんど出さなかったと思う。
ヨーロッパだとなんか今だとすごい加速機なんかでっかいやつありますよね。フランスから。
そこだけ出した。セルンっていうところで。
でもセルンはなんか最初の人が、まあそういうのはいろいろ聞いてたんだけど、最初の学生が行くのにはあんまり適してないんだよな。
もうみんなプロなんで、大学じゃないんで、ほっとかれる人数すごい多いんで、巨大な組織だからほっとかれる可能性があって、
噛めないまま2年間過ぎちゃって、しかも2年なんだよねヨーロッパは当時。
で、アメリカは3年なんだよね基本。2年ってことは言って1年後にはもうアプリケーション書かないといけない。
もうそんな期限があるんですね。
もう本当に9月から分かるね。
ああ、なるほど。有限の雇用なんですね。
うん、そうそうそう。アメリカはだいたい3年で、まあ今でも3年で基本。
ヨーロッパは2年だったけど、今3年のとこも増えてんのかもしれない。やっぱ取り合いになったら3年のほう行っちゃうからね。
言って言葉もままならない中、1年で成果出して、その時点の成果で次のポジション競わないといけないんで、それはきついよね。
3年でも結構きついですよね。
まあ3年だと2年分の時間がある、アプリケーションまで2年ちょいの時間があるんで、まあでもそれはみんなやってることだからしょうがないんだけど。
大学と全然サイズ違うんで、そのヨーロッパ共同研究所でヨーロッパ中の人が集まって、理論部だけでももう本当に人は300人とかいるわけで。
それで何も喋らないでフラフラしてたら、全く誰にも相手にされないまま1年過ぎて、何の成果もないままアプライしたらもうキャリア終わるように。
確かに。
っていうようなことは言われてたんで、まあアメリカだったらそっちに行く気はなかったけどね。
ちょっと話を戻して、その他のインタビューでもお話しされてたエピソードの中に、大学院時代にすごく大きな出会いがあったっていうふうにお答えされてるのをよく見たんですけども、
アメリカから来たポスト学の方とお話しする機会があったんですか。
そうそうそう、そうなんですよ。当時やっぱり今と全然違って、大学院生が国外の研究者に触れる機会ってほとんどないわけ。
国際シンポジウムとかもあんまり今ほどはないような感じなんですか。
今ほどはない。あることあってもあんまり参加もそんなできないしね、学生。
で、そういうとこに参加してインタラクションできるってあんまりないし、やっぱり学生に突っ込んでて。
それ自体もあんまなかったと思うんだよね。いつも通りよく覚えてないんだけど。印象的な出来事しか覚えてないんだけど。
それがね、やっぱり大学もまったま同じことを繰り返してて、大学3年の時に、やっぱり試験、物理の試験、まともにやりだし、
医師の試験見ないのやつを。全くわかんないんだよ。でもまたそこで頑張って一応、大学院に入ってから全然違って、やっぱり研究時間使うようになるんで。
先生とやっぱりやるようになるから。そうすると結構いけんじゃんみたいな感じに思ってたんだよね、たぶん。
若いし、調子乗ってるし。学術振興会研究員っていうのがあって、なんか給料ももらえるのよ。
そうそう、給料ももらえるし、授業料も払えなくて、あれももらってたんで。だから、まあふんふんって感じだったんだけど。
その時に彼がなんかで来たんだよね。で、アメリカのポストックなんて全然こう、えらい教授はね、それなりに来て会議で見ることあるけど、それと違って同年代でしょ。
ちょっと上だけど。で、もっと小さいワークショップみたいのをやろうっていう、当時新しい本で、だから若い人読んでたんだよね。
で、それが富士山の元でやるんだけど、その前に東大に寄って東京をしばらくちょっとナンパッパする。
で、こう誰かがアテンドやっぱりしないとっていうことになって。で、まあみんな手を挙げないわけよ。で、教授はもちろんポストックにそうまでね。
時間外に街を連れ出したり夕飯食うの付き合うっていうのもないし。まあ僕はやりますって。
で、1日中いろんなとこから東京タワーとかその時初めて行ったんだけど、よくあるあるで東京住んでる人、東京タワー行ったことない方なんで。
で、でもね、見てる間ずっと普通に話したんだよ。結局。彼がずっと喋る人で。とにかくずっと喋ってんだよ。
で、それに付き合ったんだけど、言葉よくわかんないっていうのもあるけど、僕もちょっともうやってたから、論文も書いてたし何本か。
当時も4、5本ぐらい書いてたんで。で、これはやっぱりとらえレベルが違ってる。すぐわかる。
深いし、知識の量が半端ないし。で、サンプル1だからアメリカン。これが周りにみんないたらもうやばいなと思って。絶対無理ですみたいな。このままだと。
っていうんで、さらに集中度を上げて、それからもう大学からほとんど家シャワー浴びるときしか帰らないぐらいの感じになったからね。
おーすげーなー。
大学でやる必要はないんだけど、実験じゃないし。でもなんかずーっとやってて、気づくとこう疲れて、大学のソファーで寝て。あれ俺のベッドになってたんで、大学の。
朝起きるまでに絶対次の日の結果を出すって。
理論だからやろうと思っちゃったら多分できちゃうんですよね。
そうそうずーっとできる。で、教授がなんか言うじゃない。で言って、これどうかなとか議論になったときに、できませんでしたも含めて絶対翌日には焼きてませんよはないようにしてたんで。
すげーなー。
そうすると2時とかでも終わってないとやっぱり3時4時とかになって、そうすると疲れてそのまま寝るっていうのは結構あって。
それはやっぱりそこら辺から影響を受けて、これはやべーなーと思って。
まあでも後でこれも言ってたけど、その後アメリカ行ったら、彼はもう行ったときには教授、ファカリティーになってて、20代でハーバードの政教授になっちゃったんで。
彼ぶちゃくちゃ飛び回ってるから年齢僕とそんな変わんないのよ。で今はプリンストン高等研究所ってところの教授だけど、アインシュタインがいる。
もうアメリカでもトップレベルの都市属だったんですね。
まあね、当時スタンフォードにいたのかな。で卒業はパークレーで大学院をやっていて、スタンフォードでポスト区やってパークレーで女教授になって1年目か2年目に。
でその1年後にはハーバードにもテニアオファーが来たんで、フルプロフェッサーね教授って、フルプロフェッサーになったから。
ヤバいな。
でまあ3、4年やったのかな。でやった後にもうちょっと雑用多すぎつって高等研究所に行っちゃった。
でもあれが全員だと思ってたんで。行ったら全然違うんで。また気が緩みそうになったけど、そこはさすがにもう学んでたんで。
逆にそれがなかったら今の野村先生はないかもしれないですよね。
ないかもね。それなりに頑張ってたつもりだけど、頑張ってたつもりがその後の彼から見ると全然頑張ってない。
その頃からそういうネットワーキング的なのは頑張ってたんですか。
いやいや単にそれは誰もいないからさ。俺がやるかみたいな感じ。ただ性格は変わってないんで。元からこうなんで。人が来れば頑張らなくても喋るし。
それはちょっと質問事項もいろいろもらったので去ってみたけど、村山一さんって今僕の同僚なんですけど、バークに行くときに推薦書の一人が彼。
それは本郷に何回か来たことがあって、やっぱりそこで話してたんで。彼と物理の話をしたから。人間関係だけで書かないからね、こっちの推薦書は内容を知らないと。
村山さんとさっき言ったアメリカのポストオーク、僕が出すときにはもうファカルティだったけど、ニーマー・アルカニ・ハーメンという人と、あと自分の指導教官。
ヤナイラ教授という人で出したんで。今から考えても結構強いよね。
強いですね。しかもやっぱり村山先生がバークに行っていろんな情報を聞いて結局バークにされたみたいな感じもあるんですか。
いや、情報は何にも。レッター書いてって言ってOKって言って、そのぐらいの。
ただね、僕の分野、ソリューシーの減少論っていう分野なんだけど、もう少しこう本当に仮測器とかを調べる、理論構造というよりは本当にソリューシーの性質を調べる。
それが当時ね、やっぱバークへちょっと紡げてたんだよね。だから結局オファーはいくつか来たんだけど、もう後半に来るような大学、マタズスに。
どこだったかな。MITとグリーンストン国道研究所とバークレーとかの時点でもう決めちゃったんだよね。別にもう考えしたらええやと思って。
当時から今いらっしゃるパカルティ?オッペンハイマーが立てたというふうに言われてると思うんですけど、やっぱりそういう著名な人がいたからこそ、やっぱりバークレーはそういうある種メッカみたいな感じになったりもしてたんですか。
それはそうなんじゃない。ただもう少し当時はもう、僕の指導教官が物理学だったのでソリューシーを見てるけど、もう少し広い視野を持てば、例えば量子量耗とか、当時は量子量耗そんなになかったけど、もう少し量子重力とかあれすれば全体で見てバークレーが他を圧倒してるって感じはなかったんだけど、
僕のやってる分野がトップ5の一つぐらいで、トップ5はほぼ同じぐらいで競ってますみたいな、いつものMIT、プリンストン、ハーバード、スタンフォー、バークレー。僕の分野でも明らかに一番良かったんで。
野村先生が選んだPIの先生もかなり著名な人だったんですか。
僕はミラーっていう大学全体のフェローみたいなのを語っちゃったんで、誰かの元でやるっていうんじゃなくて、独立してやりなさいみたいな。
ミラーリサーチフェローってそうなんですね。
ハーバードも似たようなジュニアフェローっていうのがある。
UCSFもありますね、一応。
そういうやつだったから、もちろん形式上のホストはいるんだけど、いろんな人と話して。
分かってPIみたいな感じになるんですか。
いや、そんなではない。ホストかポストか。だけど、資金の出どころが、教授個人の科学研究費ではないので。
自分勝手にできる?自分の好きなことを。
できるし、理論はね、教授の彼で言っても自分勝手にやるんだけど、別に教授の下ばたきをするってセンスはない。
アメリカの研究文化と議論の重要性
僕らみたいにマウスとかを使ったウェットの研究者からすると、
理論の方がそうやって留学することによって、どういう風にやってる仕事って変わるのかがあんまり想像つかないんですけど。
やっぱね、議論のレベルが全然違うよ。
ああ、なるほど。
今は知らない。今、日本もいろいろ国際化してるし。
当時の日本の先生のレベルが低いっていうんじゃなくて、
その柳田さんって世界でもすごい著名な、もう本当に100回賞いっぱい取ってる人だから。
ただ、ポツンポツンといるだけなんだよね。
そんな教授にアクセスできるなんてそんなしょっちゅうできるわけではないし、
彼は比較的学生と交わる方だったけど、
自分と同世代のオースドフとか大学院生とかのレベルが高いし、人数が多いし、
もう日常のレベルが全然違うんだよね。
そうすると考え方が全然違ってて、
例えば日本だと当時のね、特に若手だけだったりすると、
校書から見れないからね。
そうすると、どれが論文になるかみたいな感じになるし、
プレイプリント毎日振ってくるもん。
今も同じ。
これって結構そういう感じの人が聞くんだよね。
プレイプリントって説明しなくてもいいんだよね。
そうですね、はい。
で、そういうのを見て、どういうことが世界でやられてるのかって。
それでもちゃんとフォローはしてたけど、
で、それを文系紹介とかして、
こういう計算した論文になるんじゃないかとか、
そういう感じなんだけど。
そのレベルの話がね、普通に出るんだよね。
ランチとかコーヒータイムに。
で、でも、これ誰かやるだろうと。
ってすぐに思いつこうから。
いうと、なんか、論文を書くに値するかっていうディスカッションにもすげえ時間が掴んだよね。
おー。
なんか論文書き始めたら数ヶ月使っちゃうんだよね。
今と違ってAIもないし。
そうするといかにしょぼい論文を書かないかみたいな。
なるほどな。
だからもうちょっと大きいクエスチョンを持って。
そうそうそうそう。
やれば絶対論文になるんだよ。
ちゃんと雑誌にも載るレベルのクエスチョンでも、
結構みんな手が早い。
ただ最新の情報はもうすべてを把握してるっていう状況なんだよね。
そうそうそう。で、それがちょっと遅れて、
例えば日本とかから出るみたいな。
そういうレベルなんだよね。
あー、なるほど。やっぱりね。
もう知ってるよみたいな。
おー、なるほど。かっこいいな。
野村先生自体は自分のテーマっていうのは自分で思いつくんですか?
やっぱりそういう議論があったからこそ思いつけたみたいな感じですか?
もちろん議論ですね。
特に当時はジュニアで、
その後の面談みたいになっていく恐怖中と、
よくやって、
それ自分からもアイデアいっぱい出して、
で、レゾネートしたっていうか、
ちょうど共鳴して、
彼ももちろんいろんなアイデアを出してきて、
もちろんすでにバークレーの成長生なわけで、
当時偉かった。
今の僕より変えてみたら随分下だったけど、
当時は上に仰ぎにいるような存在で、
でもその人と一緒に結構書いたね。
年に、もうアイデアが出たくってるんで、
書かないと追いつかないから、
論文の数ってアメリカの気にしないわけよ。
さっきも言ったように。
どれだけ質っていうかね、インパクトがあるか。
逆に今変なのも書かないほうがいいぐらいの感じなので、
でもそれでも十何本毎年書いたね。
だってもうどれも逃したくないっていうか、
なんかちょっと当たったんだよね。
この方向でいけるっていうのが。
荒脈みたいなものに。
そうね。
それもあって、
だから英語もつたないやつがいて、
1年ちょっと経った時に、
セミナーの誘いはいろいろあるんだけど、
そのセミナーの誘いのうちの一つがフェルミ国立研究所ってところ。
で、ジョブがあるんだけど、
応募しない。
よくわからないうちに、
ポスト国とあれの区別もあんまりついてないんだけど、
ジョブに出さないって言われたんで、
出したら通っちゃって。
ポスト国2年で辞めなきゃいけない。
2年終わった時にモソロンが。
もう1年やらしてって言ったけど、
ダメって言われたんで。
ちゃんとスタートしろって言われて。
で、フェルミ研究所に行ったのが最初の、
いわゆるジュニアなポジション。
バークレー行かれてからそんなにすんなりと、
そういうディスカッションのパートナーみたいなのが、
見つかるものになったんですか?
何言うの?口挟んでたからな。
でも自分から。
何言ってればよくわかんないけど、なんか違うんじゃね?と思ったら。
だから多分向こうが言ってもいないことを、
それ違うとか言ってたと思うんだけど。
That's not true!とか。
で、なんか言ってんだけど、
いや、ていうか、もともと俺それ言ってないんだけど、
多分聞いてる方は。
思ってたのを多分何度もやらかしてるぐらいの。
でもそこを気にせずに、どんどんどんどん、
そうやって話をするという、
機会を増やしていくっていうのが大事だった?
それは圧倒的に大事だよね。
今最近やれてないんだけど、ちょっと年老っちゃって。
あと振る舞い方?
これはアメリカの人上手いんだけど。
年老っていくとそれじゃない方でみんな、
逆にゆっくり遅れてきたりするよね。
偉い奴、ちょこちょこ来てずっとやんないみたいな。
そういうの上手いよね、みんなね。
なんかすごい、大御所の先生ほどゆっくり来て、
なんかニコニコして帰ってくるイメージ。
そうそうそうそう。
だから、求められるというか、
損とかで言えばね、そんな風なので生きていくのめんどくさいので、
僕はもうやめたけど。
でもやっぱりそれを考えるんだと、
何がキャリア的に振る舞いかっていうのは、
ステージよってかなり違う。
当時はもちろん突っ込むのが一番いいよね。
そんな若造で、外国から来て、
1年目で、英語もよくわかんないのに突っ込んでくると。
たまに面白いことも言うという。
そういう位置づけだよね、たぶん。
やってたら、ダイアビン時代にやった癖があって、
みんなそうなんだけど、アメリカ行ってびっくりしたのは。
でもやっぱりちゃんと翌日には絶対、
結果を持っていくっていうのはずっとやってたって。
でもそれはほとんど全員がやるってことに気づいたね、向こうでは。
こっち、アメリカでは。
そこはやっぱりアメリカと日本の。
日本でもそういう学生いないんですか?
いたとは思うよ。ただ、学生同士だったんで。
そういうのにあんまり重きを、
それがすげえ大事だってことは目立たない。
やってたのかもしれないけどね。
あまりやってないっていうのは勇気はないけども、
それがすごい大事なんだよ。
なぜならディスカッションが、
日本の場合コラボレーションを始めて、
この3人で論文を書いてるみたいな感じで、
僕らの分野でやっているので、
もうオーサーが決まってる感じなんだよ。
だけどこっちディスカッションなので、
例えば10人とかいたりするわけ。
理論論文って大体2,3人なんだけど。
そうするとなんか面白そうだなっていうのが出たときに、
それを翌日翌翌日に全然持ってこないやつは、
たぶんそこで議論から入れないよね。
周りが入ってて、座ってることはできても、
言葉発せないじゃん。
だってみんな、俺やったらこうなった。
いやいや、俺やったらそれとちょっと違うとか話してるのに、
やってないやつ、座るしかないよ。
だからほぼ自動的に外れるわけよ、その後。
みんな無視して話すから、そういう。
意図的にっていうより、言葉も挟めないし。
黒板の前でそいつに意見を求める必要もないし、
求めたって何もないの分かるし。
そうしたらたぶん来なくなるんで。
すげえな、結構厳しい世界ですね。
そうするとオーサーから落ちていくから。
そうするとその延長上にあるような仕事って、
もうその連中でやる。
でもその時にはまた新しい大学院生入ってくるんで、
ディスカッションに入って。
で、そっちの方がついてって、
例えば僕が何にもぼやーんとしてたら、
その論文から落ちるよね。
フェルミ研究所での経験と「なぜ」を問う研究スタイル
傍観は脱落っていう言葉をよく使われてましたけど、
そういう脱落なんですね。
そうそう、だから喋んなかったら、
まあそんな奴いないと思うけど、
仮にやってても一切喋らなかったらそれと一緒だよね。
外から見た時に区別の仕様がない。
やっぱそこら辺は生物と全然違いますね。
毎日議論することはあまりないですね。
データが出たら議論するみたいな感じで。
アメリカでも毎週ぐらいはしますけど、
毎日はないですね。
本当に毎日かどうかは別ですよ。
かなり定期的にやってたんですか?
もちろんもちろん。
特に何かが出かかっている時は、
そこの段階で自分が貢献できるかどうかで、
その仕事に絡むかどうか。
あと、ちゃんと絡まっていなければ、
悪能レジメントいきたいね。
オーサーから脱落しちゃうんですね。
実際3年、2年でポジション取るっていうのは、
一般的なんですか?
当時は違ったね。
放送局は普通2期とか。
だから5、6年やる人が多かった。
なるほど。2期やるんですね。
3期の人もいたし、ちょっと上の村山先生の世代だと、
本当に後に有名になった教授とかで、
4期やってる人とかもいたから。
そうするともう10年コースだよね。
やっぱりそういう環境にいたからこそ、
そういうチャンスが来たってことですね。
やっぱり奪えよかったものはもちろんあるけどね。
けどフェルミって確か1年ぐらいしかいなかったんですよね。
そう。で行ったら、思ってたのと違うんだ。
何も知らずにイエスって言って出してるんで。
ナショナルラボと大学の違いもよく分かった。
フェルミ一流ラボですもんね。
一流研究所だから。
でも学生いないしさ。
しかも素粒子物理学の研究所なので、
みんな素粒子しかやってない。
もちろん宇宙とか関連のことやってるけど、
例えば生物学やるやつなんかいないし。
あーなるほど。もうその分野だけの。
そう。もちろんイングリッシュデパートメントとか、
いわゆるアカデミックなコロッケとかやってるじゃん。
でもそんなに出るほうじゃないけど、
やっぱり例えばダライラマが来たりさ、
なんかそういうのもあるわけじゃない。
大学としてのそういうビル・イエスが講演するとか。
それはもちろんないよね。
単に素粒子の研究所だから。
しかも学生いないから。
話は早いんだけど論文書こうと思ったら、
ぺんぺんぺんってみんなプロなんで書けるけど、
なんかこう、なんですか。
突拍子もないアイディアみたいな。
そう突拍子もないクエスチョン。
すげー基本的なクエスチョン。
恥ずかしくてもうプロは絶対言えないようなクエスチョン。
聞いてくるやつはいないし。
そっかそっからやっぱアイディアとかが出てくるんですね。
うん。そう思うしね。
あと僕そういうの好きだしね。
なんか例えばこう本当に当たり前のような、
あの重力ってすごい例えば弱い。
それもう当たり前の僕なんですよ。
弱いって40桁とか弱いんですよ。
容子と電子の間は空論力っていう電気の力で引き合ってるんだけど、
で容子も電子も質量あるから、
重力でも引き合ってるはずなんだけど。
なるほど。
でこう重力のその引き合う力って電磁器の引き合う力に比べて40桁小さいんですよ。
40分の1じゃなくて。
ゴミなの。
で、だから素粒子の標準模型っていうのは重力入ってないんだけど、
もうエラーを40桁目に入れてくるだけなんで。
で、その当たり前なわけよプロの研究者。
だからそんなこと聞いてくるやついないわけ。
だけど大学だとエハンデルスが周り重力だらけですよっていうやつが出てくるわけ。
答えはだから、それはでもだから重力もすごい特殊な性質で、
電磁器でも他の何でもプラスとマイナスって両方があるわけ。
だからプラスマイナスは引き合うけどプラスプラスは反発するんで、
原子を見ても容子の数と電子の数が同じで中性になってるわけ。
だから全部キャンセルしていくわけ。
でも重力は単純に足し上がるわけよ。
確かにそうなの。
だから人間とかそういういくつの粒子できてんの?
10000で0が20何個もつく。
そいつが全部足し上がってるから、
他の力は全部キャンセルしていってるから、
大きいスケールになって初めて重力が効くわけよ。
人間とか天体とか机とか。
本当はものすごい小さい。
だけどこういう考え。
これ別に知識としてはもちろん当たり前なんだけど、
プロの人重力は弱い。
フンって感じで、それはそうで重力忘れましょうみたいな。
ちゃんとこう元に立ち返って考える。
しかもそうやってやると例として、
みんなわかるよねみたいな。
なぜなら例えば静電気でクリップ持ち上げれるんだと。
だからクリップと下敷きの間の電磁気力が、
クリップと地球全体の重力に勝つわけ。
圧倒的に強いわけ。
そんなこと考えたことないんだけど。
そういう考え方とか、そういう話とかを、
日常的にやったらするかどうかっていうのは、
すごい僕にとって大きかったんで、僕のスタイル。
もちろん例えば加速機の精度を人で上げましょうとか、
そういう仕事もすごく大事で、
そういうのを積み重ねで科学は進むんだけど、
そういうスタイルで僕はなかったんで。
だからもうこれはちょっと違うと思って、
そしたら移動した年にいくつか大学のオープニングが出たんで、
でも2つとか3つしかなかったんでいいとか。
で、それを出して、バークレート、あとコーネルとか。
それ全部通ったんだけど。
でまたやっぱりバークレートを選んでたんですね。
そこでもうアメリカにしようと思ってたんですか?
もうその時点では。
それかもう日本に帰るっていう選択肢も。
ほぼ思ってたよね、今みたいな感じを見れば。
ただ年を取ったら日本に貢献できるかなとか思い出すかもしれないけど、
日本ってやっぱ開くタイミングがあるんで。
確かにそうですね。体感とかタイミングですよね。
ポジションの保存速が非常にストリート。厳しい。
で実際東大の本郷のはやっぱり当地の助手がいた時も、
それこそ自分の指導教官がリタイアして教授に会えた時も話はあったんだけど、
全部いかなかったですね。
実際今UCバークレートで研究室をやってるわけじゃないですか。
学生さんとかもたくさんいるんですか?
いや、理論の人少ないよ。今僕は3人持ってるけど多い方。
3人のPhD学生なんですか?
多いと思う。普通1人か2人だ。
結構やっぱ大変、どういう感じなんですか?その理論の研究室って。
何をやってるんですか?その研究室内で。
人と話してセミナー出て論文読んでアイデアを出して面白ければやる。
だから人で基本あんまりいらないんで。
やっぱりディスカッションしてアイデアを出して膨らましてそれを現実にするっていう。
そう。それには学生が何もアイデアを出さないとしても
ディスカッションの形になると自分もっと気づくんだよね。
1人で考えてるより。
やっぱりなんか細かいこと突っ込まれると
いやそれはさぁとか言って
多分自分の思考と違う流れをするので
彼が単に聞いてるだけで答えてるのは自分だとしても
思考がいろんなとこに行くから
そういう意味ではディスカッションは助かるけど
でも実験装置があるわけじゃないし
計算を代わりにやってもらうという感じでも
僕のあれはないので
精度を上げていくみたいな仕事でもないし
アイデア勝負なんで。
まぁあんまり
逆にボランティアに近いよね、学生と
次世代の人を育てるために
特に今壁打ちね、AIでできちゃうから。
確かにそうですね。
山田先生も使われることあるんですか?
最近ちょっとずつ
たまにリファレンスサーチするのが
だからGoogle使ってるような
僕らが研究始まった時に
検索が出てきた時みたいな感じでは使ってる
ヘルプ
なるほど
これまで検索なかったからさ
図書館行って全部見てたわけよ
そうなんだ
多分わからないと思う今の人って
俺らももう忘れてるけど
1950年とか60年の論文探し出すのは図書館行きますけど
もう最近のやつも全部オンラインで見れるんで
それだって探すのはオンラインじゃない?
そうですね探すのはオンラインです
確かにその通りですね
どこにあるっていう
実物をするのは
でも検索はとにかくないかったんで
検索僕がこっち来て
だって同世代が創業したわけだから
まあ確かに
Googleは
ほんとにオライドしかないかと思うよ
セルゲーブリントが
ちょっと上かもしれない
そもそもだから毎週最低
冊子体になってるネイチャーとかを
読みに行ってっていうことですよね
プレプリントだった僕らの時代はもう
プレプリントってどういう形で
僕らの分野って最近なんですよ
比較的アーカイブとかが
そうアーカイブから
そういう宇宙物理から始まってるからね
ですよね
あれはそういうプレプリントって
それまで送ってたんだけど
本当に船便とかで
船便なんですか?
昔はね
僕らの頃は航空便だったかな
でもまあ
でも送るんですね
本当に送ってた
その前は
そうなんだ
僕はギリギリ
何回かやったことあるけど
もうインターネットあったんで
それを始めたのは
ポール・ギンスパークって
当時最初の子にいたのは
コーネルにずっといた人だけど
ソリューシーの
超限リオンっていうやつをやってる
コンフォーマル・フィー・ティオリーっていう
表形版のリオンの専門家だったんだけど
彼がそのプレプリントを
ネット上に上げて
みんなであれすればいいじゃないかって
しかもそれで選試権が問題にならないように
知ってると思うけれども
何年何月何日何秒に
ポストされたっていうのを
リアルタイムじゃなくて1日に1回
リストすると
あのシステムはもう
彼が最初に考えた
もうそうなってたんで
結構前からあるんですね
今カテゴリーっていっぱいあるじゃない
あれやだから2つしかのあったのかな
エナジーフィジックスの
高エネルギー物理の減少論と
高エネルギー物理の
もうちょい数学というか
それこそ超限リオンとかよりの
だったと思う
そっからもうほんと広がって今
100カテゴリーとかあると思う
それで全部読めるんで
新しく出た論文はね
92年ぐらいだと思うんだけど
92年以降の論文は全部読めるんで
前の論文は図書館だよね
当時は
そのアーカイブも
そういうプレプリントも
何か雑誌みたいというか
どういう形で読めたんですか当時って
普通に
オンラインでPDFみたいな感じ
それもオンラインか
なるほどなるほど
でプリントアウトして
今の人たちはプリントアウトもしないと思うけど
当時はまだみんなプリントアウトしてたね
プリントアウトして
普通に読めると
でそれ彼の個人の
当時ラップトップもほとんどないので
ノートパソコンもほとんどないので
だから大学にいないと何もできなかったんだよ
大学にいないとパソコン使えないんで
そうか確かに確かに
それは痛いよね
何も書けないですもんね
とにかくインターネットに繋がらないわけだから
当時ネットはもう
研究の重要な一要素になってたから
大学に行ってたのはそういう理由ももちろんあるんだけど
さっきの大学で寝てた話に戻ると
家に行っちゃうと
自分で計算とかは僕は手計算なんで
僕ができるけど
それでこれなんだっけって思っても
もうお手上げなんだよね
明日調べるからになっちゃうんで
それが嫌だったんで
大学につっついたんだけど
そうねだから当時彼は自分のパソコンの
ハードディスクでそれやってたんで
やつが足つまずかして
足つまずくと
ソリューシーのここ10年の結果が
全部消えるっていう
そういう
もちろんバックアップは取っただろうけど
そういうので始まったんで
すげえ古い時期から
僕らの分野はそれやってるから
エンディング
というわけで野村先生には
来週も引き続きお話を伺いたいと思います
さてアメリカンナイトGOLDは
毎週日本時間の金曜日の
ゼロ時に配信をしています
番組のご意見ご感想は
ハッシュタグアメ号をつけて
SNSでつぶやいていただくか
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