佐治先生との出会いと宇宙物理学者の視点
五感でつながる開運ラジオ
はじまり、はじまり
このラジオは、聞くだけで運が開けていく
今、そこにあるものに気づいていく
人生の可能性を開くコミュニティ
Vision Quest主催の5個の
あきら
そして、その仲間たちが
気づきや学びをシェアするラジオです。
ということで
今日のテーマは
佐治丸先生の
講演に2人で2週連続で行ったっていう
2週連続で行ったね、そういえば
佐治先生、物理学者の
はい
佐治先生の紹介を、五感さんお願いします
それだけでも20分話したかもしれないんです
いやいや、もうちょっとコンパクト
今年91歳になられた
宇宙物理学者ですね
F分の1揺らぎを
なんだっけ、生活に
実生活に持ち込むというか
いろんな
パナソニックとかが
家電に揺らぎを入れたりとかするときに
佐治先生がアドバイザーに入ったりとか
されて、だから私としては
いろんな難しい理論を
生活だったり身近なところに
つなげていく
すごい
実践的な方だっていう
いろんな角度でいろいろ紹介したいけど
今それが出てきたから
そういうふうな人ですね
そうですね
私から
私からいくと
河野さんの推しからの影響を受けて
私も大好きな
師匠の一人みたいな感じに勝手に位置づけてますけど
北海道の美江っていう街にある
天文台
真昼の星が見れるという
天文台にも何度も行ってますね
2回ね
何度もってちょっとなんか
盛りすぎです
2回も行ってますね
2回も行ってます
わざわざでもそれだけのそれが目的で
目的でね
日帰りでも行きましたね
日帰りで行きました
でもそうね
さじ先生の話を知らすと
いろんなことでいろいろ
語れるんですけどね
でもね
20分目はこのラジオで
五感につながる
開運ラジオの文脈でいくと
どう何を
皆さんと分かち合いたい
やっぱりでもなんか
さじ先生ってさ
この間も
この間2回行ったの
1回は玉川
高島屋のコミュニティ
みたいな感じだったし
2回目は成慶大学の講堂でやったやつだったけど
割と定番で
さじ先生が最初に冒頭に出されるのが
初めて
私を生で見たことがある方
どれくらいいますか?
みたいな問いかけから始まって
初めてです
みたいな人が手を挙げたりとかするけれども
本当?
本当ですか?
みたいなね
宇宙が始まった時に
私たちはもうすでに会ってますよね
みたいなさ
ああいうことを本当に真面目に
信じてるっていうか
そうでしかないっていう言い方で
毎回される
宇宙は一つだから
私たちはみんな星の欠片であり
一つから
綱が散らばった
だから一つなんだけども
多様であるみたいな
それがやっぱりさじ先生から
いつも受け取るよね
確かに
宇宙の
元素の成分と
人の体の元素の成分の構成は
基本同じです
星の欠片から
地球も人もできてるっていうような
一番多いのが水素で
みたいなことね
っていう話を
裏付けとしてされながらね
実際リックバンから始まったってことで言うと
確かにそうなんだよね
なんかでも
今思ったけど
さじ先生の話を
さじ先生という方を
知ったのは多分
26年前なんですよ
2000年に松岡聖郷さんのところで
ご縁があって働いてたときに
そこで
いろいろお世話になった方たち
方の一人から教えてもらったところがきっかけ
その時からそのようなことをおっしゃってたんだけど
なんかやっぱりだんだん染みてきてるっていうか
あの時は
頭で考えてそうなんだねみたいな
そういうことかみたいな理解っていう感じだったけど
今はなんか本当そうだよねっていう
まだまだこの実感はもっと深くいくのはもちろんそうだと思うけど
本当にそうだよねっていうのは
あの時とは全然違う感じで受け止めてる感じはなんかあるなって
今ちょっと思ったな
先生はその時もうすでに60代にいらっしゃって
でもそれまでもずっとこうね
宇宙の真理を探求されていて
おっしゃってることは変わんない
本質は変わんないんだろうけどね
でも確かに
なんか我々が大事にしていることとか
いろんな方から学んでいることとすごく
つながるお話だったよね
何が一番心に残ってますか
宇宙の真理と「当たり前」の再発見
あきらさんは何が残ってたの?
私?
そうだね
この間はね
先週は空海とアインシュタインっていうテーマで
空海とアインシュタインは1100年くらい生きた時代は違うんだけど
でもやっぱ共通するところがあるっていうことで
何が共通してるのかっていうと
世界を分けて捉えないっていうことをおっしゃってて
時間と空間っていうのをアインシュタインは一つのものとして捉えてたりとか
空海も大日如来って言ってるんだけど
仏さんがというよりは宇宙の真理を大日如来というモチーフで語ってたっていう
だからやっぱり宇宙の真理を2人とも
ある種の分離して捉えないというか分解して捉えないっていう世界観
だから我々
例えたとしてもよく出るけど
光と影とか
善と悪とか
片っぽ分けて
片っぽ良し片っぽはちょっと良くないっていう風に
反射的に捉えるように分解して理解するみたいな
染み込んでるんですけど
善と悪でも善があるのは
悪と対比するから善があるっていう
みたいな構造の中で
でも善と悪って
一概に良い悪いって
判断できないよねみたいなこととかね
その話の流れの中でおっしゃった例えば一枚の紙の話
紙は表と裏がありますねと
そうですね
この表っていうのは
表と裏の
面っていう字も表って読むわけですけど
だから例えば顔も顔のことですね面面
この表情って目に見えるわけなんですけど
裏っていう日本語は裏がなしいとかいうのは心のことなんですね裏っていうのはね
だから裏は見えないと
でも一枚の紙は表と裏でできてて
表だけ存在することもできない裏だけ存在することもできない
両方
同時にあって両方で紙
なんですよねと言われて
めちゃくちゃ当たり前のことなんだけど
確かにそうだみたいな
この
表が良くてじゃあ裏がダメなのかとか裏が良くて表がダメなのかとかそういうものではないというこの
いかにも当たり前の事実を紙を通して伝えてくださって
いや本当そうなんだよなって言い悪いって言ってるけどいや両方合わせて存在している
ていう
ことの
なんだろうその存在
人がそういう意味ではただ存在しているっていう
だけでその宇宙にね何らかのその
記憶を残してるみたいなお話もあったけど
存在していること
自体が両方を合わせて
そのものであるみたいなね
その真実
実にちょっと心が動いた
ねえ何かでも私今聞いてて思ったんだけど
その
あたり前なんだけどって
言ったじゃない?その表があって裏があるのほんと当たり前すぎるぐらい当たり前なんだけど
なんか今その当たり前なんだけどそこに当たり前じゃないものをなんかしみじみ 感じている自分
を がいるなぁと思ってそれって
何だろうってちょっとなんか 思ったんだけど
なんかやっぱりそのうーんと
ああああああ
そんなこと当たり前じゃんみたいな感じで受け取ってた時代があるとすると その今なんか当たり前なんだけど当たり前の中にあるものすごいいろんなものがあるよね
みたいなことがある自分とやっぱそこの間になくものすごい体験をし続けたんだろう なーってなんかちょっと
持ったよねなんか ドイこともうちょっと言うと
うーん なんかいろんな体験をするんだけど
その思ってが裏になって裏が表になったり前と開く がさ
全部連なって言ってて あの
本当に国家服はざなえる縄のごとしじゃないけどいいと思ってたことが なんか何かになっていったり
いやまあ意味いまいちだったみたいなことが あのでもアレンのおかげでこうなったよねとか
っていう そのカットマンのこの人数後半人生ってこう
伏線回収の嵐だって私はちょっと思ってるけど あの時のこれが全部見事にこう絡んでこうなっているわーって言う
ことを たくさん発見する今になってるから
その当たり前感が 当たり前なんだけど当たり前
で終わらせられないものがあるなぁみたいな感じに なってんのかなぁって今ちょっと
改めて聞きながらちょっとなんか 神話にしておりました
どうだねぇ 人生万事採用がうま
とも言う うーんほんまにほんまにそう
結構その 世界をねあの
分かったというか理解するためにこう分解して整理してね そうそう分かったっていうになりたいっていうところがある
それは別にダメなことじゃなくてそうなよねと うん
でも一方でこうこうだねってこう わかった
分かっているっていうことと その分かってないはすぐ隣り合わせですよみたいなねお話もあったけど
ねえ そう
全部隣り合わせ分かってる瞬間 もう分かってないみたいなね
その分かっていることと分かってないことっていうのは常に隣にいるんだよって いうことを分かってるみたいな
まあムチノチってそういうことなのかもしれないんだけど
いやーほんとそうなるとある種 何が起こってもっていうのかなぁ
恵みだなっていう何かあるその
安心感というのかそうでしかないって言う まあなんていうのかね腹のくくりというか頑張って腹くくるというよりは
そうでしかないそうだ
そこの そうでしかないそうだっていう感じが英語で言うとそうビーイットってね
そうビーイット そのようである
そのようで あれって言う祈りだったりね
その感じ
あのキリスト教のアーメンというねエイメンという言葉もそういうそのようで ある
そのようでありますようにみたいな そういう意味合いがあるっていうふうにも聞いたんだけど
そうこのそうでしかない この宇宙の真理というのかな
世界の真理というか なんかそれを理屈だけじゃなく体でなんか
そうだっていうね感覚が まあ確か60
我々ねもうあの 今年59で来年
いよいよ歓励みたいなところまで セレブレーション
しみじみなんかそうでしかないんだよな世界はというか宇宙はみたいなねなんとなく 別に悟ってるわけではないんだけど
なんか思考心と体に染みてくる感じはあるよね
それでね今ねー 思った
人生の振り返りと「今」を生きる
なんや なんかねー
あの ソーレンがしみじみ感じられているために
あの一つのそこにそうなるのに一つしか道がないってわけではないんだけども 体験を振り返るっていうことがすごく私にとってはそれを手助けしてきたんじゃないかって
思った 振り返りが振り返ること味わい直すというか
そうそうそうそう やっぱりものすごいこうあっという間に1年というかあっという間に人生過ぎていく
c 生き抜け駆け抜けるみたいな感じじゃない日々日々
多分それ誰も一緒だと思ってて
ほとんどねいるいろんなちょっといろんな環境があるから本当そう そうでもない方もいらっしゃると思うけど
そうでない方もそうである方もいると思うけれども でもやっぱりあっという間に1日過ぎていくし
そうね怒涛の日々がねってねみんな怒涛だと思うんだよね一生懸命生きてる場合には でもやっぱそれを
どっかしらでやっぱりまあ結局どっかで区切る必要があるのかもしれないんだけど 立ち止まってね立ち止まるときにはいったんここまで
みたいな感じでこう立ち止まることによって区切ることにはなるけど その区切りながらも今後も続いていくっていう前提の上で今
一旦あの振り返ってみましょうって言って振り返り 続けているっていうことが
なんかその そのいろんなことがこう
あれがこうなってつながってきてるよねとかあの人との出会いがこうなったよね とかなんか出会いもそうだしできることもそうだし
だから今あのいいねいいねっていう生き生きなことが悲観的になることではないんだ けどもどうなっていくかもわからないからこゆだねていくみたいな
うだねるしかないみたいな感じになったりとか 慣れたりそういう気心持ちになれたりとかするのは結構定期的に振り返りをして
いるからなのではないかって今思った それはされて再戦戦を仕立てたけど結局その
フェンシュタインの話から 時間空間っていうね
時に時間って今しかないと 仏教もそうやけど
過去っていうのは 過ぎ去っていくから
過去にアプローチできなくて未来をまだ来てませんと ってことは
今しかないと今がずっと連続している さっきの振り返るっていうことは過去を振り返っているようで
一気にその今 その過去を
の出来事を捉え直している 今の中で捉え直しているっていうことで
この だから過去は今に含まれる
過去は 今の捉え方によっていかようにも変えられる変わる
っていう なんかこれは単にそのポジティブな見方をしましょうとかってそういう話ではなく
その真理として今しかないっていうことの中で 過去の体験をどう
自分の中で意味付けしていくのかあらゆる可能性がある 中で一つの見方しかひょっとしてがしてなかったとすると
違う見方も あるかもねっていうことでね可能性を開いていくっていう
いやもうあっという間に20分経ちましたけどもねこれはい まあまあ大事な話ですねこれ
やっぱりさじ先生の話は一晩語れますね 日本語は語れますはい
じゃあ あえてこの途中な感じで
おしまいにするというです続きは 皆さんそれぞれ夢の中でね
の中ではねあの あのさじ先生もそんな感じのことをね
よくおっしゃいますけどねうん まあそんな感じで
この続きはねまたなんか皆さんね聞いていらっしゃる皆さんとどっかでね直接 会えたらね会えた時にまた何か続きの話を一緒にできると嬉しいなと
本当だね はいということでよかったら
あの ここのストーリーね
うちを運んでいただくのもいいかなみたいなねちょっとね振りもしつつ はいはいでは
閉めるはいはい今日も聞いていただいてありがとうございました ありがとうございました
それじゃあねー これどうやって消すの