行動分析学とコミュニケーション
こんにちは。お聞きいただきありがとうございます。あきねです。
こちらは、2人の小学生の子を持ついちお母さんの私が、ASDの息子を通して出会った行動分析学について語るチャンネルです。
行動分析学が大好きな私は、行動分析学を知ると子どもたちを褒めることがぐっと増えるし、反対に怒ることはぐっと減ると思っています。
私は今、子どもたちに関わる仕事、子どもたちを支援する仕事をしているのですが、
怒ったことはありません、というと誤解を招くかもしれないので、怒鳴ったことはありませんにしておきます。
というのも、怒ることが悪いと思っているわけではないからです。
だけど、上の立ち位置から道徳的なお説教をすることはしていません。
道徳的指導という名の叱責をすると、普段から怒られがちな子どもたちはどう感じるかというと、
まるで攻撃されたときのような感覚を覚えて、相手を敵だと思ってしまうことがあるそうです。
あるそうですというか、実際大人から怒鳴られて怒鳴り返している子とか、
悪態はつかなくても心の内に不満を抑え込んでいるときの子どもの様子からは敵意が見えますね。
もし子どもから敵意認定されてしまうと、シャッターを閉めるかのように話が届かなくなってしまって、とても困ります。
この辺は大人同士の世界でも同じことが言えると思います。
なので、工夫として私は、特に出会った初期には否定と捉えられそうな言葉は極力避けていました。
例えば、低年齢のお子さんが何か思うようにいかなくて足をじたばたさせて、結果ドアを蹴るような形になったときでも、
本来なら危険な行動なので、それは×ですと言いたいところですが、
あれ、そんなしたら痛いなぁ、とか、そんな程度のセリフを顔を近づけながら繰り返すに留めるとか、
固いものを投げたようなときでも、人に向けた行動ではなくて好奇心からと判断できそうなときは、
なるべく×とかいう表現も使わないようにしたりですね。
とにかく最初は敵ではないことをわかってもらう時間を過ごして、
そして最近ではどちらかというと味方だと思ってもらえているようなので、
徐々に投げるのは、そう×です、とか、それは痛いからしません、のようなセリフを使いやすくなってきました。
効果的な怒り方の工夫
つまりそんなセリフを言っても、相手の子たちから条件反射的な反発をくらわなくなってきたように思います。
それから約束を破られたときには、あえて怒るのもありかなと個人的には思います。
例えば、このタイマーが鳴ったらお部屋に入るって約束したよね、といったシチュエーションですね。
こんな状況は結構平行線になる確率が高くて、だんだんイライラしてきたお子さんがものにあたる展開になったりもするんですが、
ただ約束というのは将来の生活全般や仕事に就くことを考えてもとても重要だと思うので、
約束を破ることはどんな場面でも人を不快にさせる、そうなるといいことがない、というふうに覚えてもらうために、
一貫して約束は守ります、守るものです、というスタンスで通すのも大事だと思うんですよね。
敵だと思われることなく効果的に起こるためには、
相手が自分自身のことを否定されたと捉えてしまいそうな言い方は避けたいです。
それには望ましくない行動をピンポイントで示すのも一つの工夫だと思います。
投げるのは×とか、その手は×とか、危ないからその場所は×とかですね。
そんな行動するあなたがダメと伝わるか、その行動がダメと伝わるかは似ているようで全然違います。
その行動がダメなんだよ、なぜなら○○だからね、と伝えようと思うと、
怒鳴るっていうのは無理なんですよね。
怒鳴ってるときって人に伝わりやすい文章を組み立てるのは難しいんじゃないでしょうか。
大抵思いつきで喋ってるだけみたいになってしまってる気がします。
せっかく子どもたちのために、または大人相手にでもエネルギーを使うんだったら、
効果的な、なるべくウィンウィンな関わりを目指したいと思います。
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ABAで広がれ、シンプルで楽しい生き方。
今日も大事なものを大事にできる一日を。あきねでした。