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  2. 子どもは本質的
2025-03-27 13:42

子どもは本質的

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木曜日は【オカンのリアルとマインド】

本日のテーマ;『子どもは本質的』

・ものごとを鋭い視点で捉えてる子ども

・トラといのち

・子どもに意見を求めてみる

サマリー

このエピソードでは、子どもの本質的な考えや命についての深い洞察が語られ、親が持つ「教える側」と「教わる側」の固定概念が問い直されています。特に、子どもが命の終わり方についてしっかりとした意見を持っていることに驚かされ、子どもと親の対話の重要性が再認識されます。

子どもの本質的な視点
七転び八起きのママLife。この番組では、感情の揺らぎが多い2人の子育て中のママ、Yuunoが日々七転び八起きしながら、
得た子育ての学びや気づきをシェアしています。おはようございます、Yuunoです。
今日は木曜日ですので、おかんのリアルとマインドの回です。
今日は、昨日、ふと考えさせられることが多かった会話を娘としたので、それについて考えたことがあるので、お話ししていけたらなと思いました。
テーマは、子どもは本質的、声がガサガサですみません。朝めっちゃ早いんですよね、今まだ。
そうそう、早朝に撮っているので、声がめっちゃ出にくいです。すみません。
テーマは、子どもは本質的というテーマでお送りしたいなと思います。
本質的って何なんやろうなって、改めて意味って答えられなかったので調べたんですよね。
物事の根本的な性質、要素、そのものの本来の姿って書いてあって、子どもって本質的、そうかもって自分的に納得したんですよね。
子どもの捉え方、子どものイメージっていうんですか、勝手に抱いてたものがあったんですよね、私の中で。
それが何なのかって言ったら、大人とか親が教える側で、子どもは教わる側だと思い込んでたというか、そういうイメージを持ってたなと思ったんですよね。
実際そうだなと思うことも多いんですよ。やっぱりまだまだ経験値が少ない分、お伝えすることがこちらの方が多かったりとか、経験値で言えば長く生きてるんだから、もちろん大人の方が多いっていうところもあるし、
やっぱり赤ちゃんの時から育ってているので、教えてきたっていうのも実際あるんですよね。人としてというか、生きていくのに生活面ですね。生活の土台を整えるのに、
トイレとかご飯の食べ方とかね、言葉とかね、そういうのって教えるって言ったらあれですけど、こちらから伝えていくことが多かったなっていうのもあって、いつの間にか教える側、教わる側っていう風に捉えてたなと。
でも物事の本来の姿を鋭く見れてるのって子供の方なんじゃないかなって思った出来事が昨日あったんですよね。
命についての気づき
昨日ね、夕方の散歩に行きたいって言われたんですよ、息子に。で、久々ね、夕方ちょっと時間がゆっくり空いたので、自転車に乗ってね、ちょっと行こうかみたいな。
歩くんはちょっともう疲れたみたいな、私のね、しんどさやったんですけど、前と後ろに乗ってね、ちょっとサイクリングで勘弁してみたいなことでね、行ったんですよ。
で、前に4歳の息子を乗せて、後ろに8歳の娘を乗せて、自転車をね、海沿いをちょっと走ってたわけなんですよね。
気持ちいいんですよ、実際海を見ながら。そんなに寒くもなく、暑くもなくっていうところで。
リラックスするんですかね。結構いろんな話を娘がしてくれまして、対面じゃないから、うんうんってあいづちを打ち続けるっていう感じになったんですけど、
そのことでね、娘がどんな考えを持ってて、どんなことを思っているのかとかをすごく深くすることができたんですよね。
で、それがどんな話やったかって言ったら、命についてすごく考えてるなっていう、考えてるというか、命の大切さも娘からも教わったんですけど、
命の終え方っていうか、終わり方まで話してくるとは思わなかったんですよね。
けど、それについて話をしてきたんですよ。で、ちょっとびっくりして、なんか子供の見え方が覆されるみたいなことになったんですけど、
初めは何気ない虎の話になったんですよ。虎って昔はどこにでもおったみたいな、それってどこの国のことなんみたいなことを言われたんですよね。
今って動物園にしか虎って基本的にはいないし、違う地域とか国に行けばまだまだ出るかもしれないけど、そういうのってあんま目にしないなみたいな、動物園で見るもんって思うなみたいな話になって、
まあいたんじゃないっていう話になって、どこにいたのって聞かれたんですよ。知らんと思ったんですよね。
でもなんか中国みたいなことを適当に言ったんですよ。中国とか虎ってイメージやけどみたいな、朝一式を娘に植え付けたわけなんですよね。
でも今はいないねみたいな、それってなんでいなくなって動物園にいるっていう状態ができたのかって話に移っていったんですよね。
それは人が虎の命を奪ったからじゃないかって娘が言い始めたんですよ。
虎が自分の命をここで終わるって決めたんじゃなくて、人がここで終わりって言って、虎の命の終わりを決めてきたんじゃないかみたいなことを言ってきたんですよ。
えーってなって、確かにそうかもみたいなんで、そういうことって今現在も自然を壊すじゃないけど、やっぱり人口が増えるとそれだけ人間が生きる範囲って広げていくので、
そういう伐採、森林伐採とかあるなっていうので、それこそ本当に知らないからその辺の情報とか知識が薄い、知識とかテレビから見た情報しかないけど、実際そうよなーって思いながら聞いてたんですよ。
でね、そっからね、命の終わりを自分じゃない誰かが決めることはあかんことじゃないのって言われたんですよね。
まあ確かにそうかもね、みたいになって、そこで私がとある疑問を抱いたんですよ。
じゃあさあって、自分で自分の命の終わりを決めることも人はあるんやんかって話をしたんですよね。
それってどう思う?みたいな。自分で自分の命の終わりを決めることはいいの?って聞いたんですよ、私。
そしたら、いいって即答やったんですよ。娘がいいって。で、どこでそのいいか悪いかって決まるみたいなことを聞いたんですよ。
自分の命の終わりを決めるのはいい、それはあかん、なんかその判断基準はなんなんやろうなと思ったから、なんでいいのって自分で決めるんやったらって聞いたら、
自分の命に満足したかどうかが自分でわかってたらそれでいいって言われたんですよ。
自分の命はここまでって終わりにしたとしても、でもなんか満足、ここで終わることが満足、ここまで生きたことが満足、やったらいいと思うねって言ったんですよね。
そうなんやって思って、もうここもちょっとびっくりして、自分の命に満足したかどうか。出てこへんよ、私って思ったんですよ。
読んでるねん、鬼頭けど。これ迷う問いかけやな、私だったら答えてへんかもしれへんと思ってたのに、即答でこれが出てきて。
でまたそこから虎の話になったんですけど、やっぱり命をどう捉えてるんかなと思ったときに、命って何?って最後に問いかけたら、満足したかどうか。
自分で決めること、誰かが奪う権利がないものっていうふうに定義をしてくれたんですよね、娘が。
家族間の対話の重要性
なんかすごい定義やなと思って、それが私が思う命っていう話に結論になって、大事に生きようって思ったんですよ。
結果、結論、薄い意見が出てきたんですけど、また、ほんま私の人生薄っぺらく感じられてしまうと思うんですけど、
命って自分で確かに決めるものやし、誰かが奪う権利がないものだし、自分が自分に満足しているか、問いかけられるものでもあるよなって、
思って考えられたもあるんですけど、命が大事だよねっていうのは、正直大人が教えることやと思ってたんです。
けど、8年っていうね、私と比べればまだ短いというね、命を生きている中で、命について考えているんやこんなにも、みたいな。
なんかびっくりしちゃって。
で、命の終え方というか、自分で自分の命を終えることをどう思うのかっていう難しい問いに答えることが8歳でできるんやと思ったときに、
なんかこの自分が教える側で、子どもが教わる側って思ってた、そのイメージを持ってたことがすごい恥ずかしくなったんですよね。
で、なんかそっから、子どもの意見、考えを聞くってめちゃくちゃ大事やなと思ったんですよ。
なんか子どもっていうイメージ、固定概念を捨てること、ほんと大事と思って。
家族間とか、家の中でルールじゃないけど、何か変えていこうとするときとか、そういうときって私と夫で話すことが多いんですよね。
春休みの過ごし方とか、時間の使い方とか、掃除もそうですし、私らでここをしていこうねとか、自分たちしか数に入ってないんですよね。
その役割分担とか、話し合いもそうだし。
だけど、こういうふうにすごい深いところまでいろいろ考えたりしてるんやなっていうのを知ったら、
家族の一員として、意見を子どもにちゃんと求めていく、どう考えているのか、話し合いの席に一席子どもも設けておくっていうのは必要やなと思ったんですよね。
自分たち夫婦だけで結論を出して、こういうふうにしていくから、従いなさいじゃないけど、結論だけを出して、答えを与えてこうやからっていうので考えさせないんじゃなくて、
話し合いの段階で席につかせて、あなたがどう思っているのか、あなたはこれについてどう思うのかっていう家族間の決め事をするときは、
子どももその席について一緒に話し合うって、それいるなって思いました。
すごく大事なことを教えてもらえることの方、こっちが教えてもらえることが多いなと。
子どもに対するイメージを年々変えていく、見方を変えていくって必要やなって、今回すごく強く思わされたんでね。
そのことについてシェアしたいなと、子どもってどういうもんやと思って接してるんかなって、それって変化がいるものなんじゃないかなっていうことを私は感じたので、
お母さんにとって子どもっていうイメージがあって、いるなって思いました。そうなんです。
そういうことを今日はシェアできたらなと思ったので、おかんちゃんは子どもは本質的っていうテーマでね、今回はお届けしました。
ではこんなところで終わりにしたいと思います。
ではまた。
13:42

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