1. ママが自分を取り戻すラジオ
  2. 537.大事にしたいコト変わって..
2023-10-26 27:09

537.大事にしたいコト変わってきた

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《目次》
・カマキリとの出会い
・子の成長と親の変化
・子のトラブルは胸が痛い
・解決はしない親子の会話
・会話の終わらせ方

子育てで大事にしたいことが変わってきた今日この頃。子達には私の想像以上の力があるらしい。

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サマリー

今回のエピソードでは、ママが子育てをしている最中で、子育てで大事にしたいことが変わってきたことについて話しています。 子育てをすることは親の身を削るものであり、辛さや悲しみを見ると心が痛みます。しかし、子供自身が問題を乗り越える経験を積むことが大切であり、自分で解決する力を育てるべきだと感じています。 今回は子育てで大事にしたいことというテーマでお話しています。

子育てで大事にしたいことの変化
ママが自分を取り戻すラジオ。このラジオでは、子育て真っ最中の私が、イライラが止まらないお母さんたちに向けて、自分を知り、自分を取り戻すことで、子育ても夫婦関係も楽になる考え方をシェアしていきます。
こんにちは、すぎべです。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
我が家はですね、小4、小5、そして5歳のお兄ちゃん、お姉ちゃん、末っ子の3人兄弟がいて、みんな元気に騒がしく日々を送っております。
その5歳の末っ子は幼稚園に通ってるんですけども、幼稚園バスを利用して通園してるんですね。
なので、家から2分ぐらいのところにあるバス停に朝連れて行って、夕方もそこに行ってピックアップして帰ってくるっていう流れなんですよね。
これまでの過去感を聞いてくださっている方は、ご存知かもしれないんですけれども、
家からバス停までの道っていうのは小川が横に流れてるんですね。
過去のエピソードで話しているのは、私家からバス停まですごい短い距離なんですけど、
いつも時間に追われているというかバタバタしているので、
だいたい走ってることが多いんです。家からバス停まで。
走ってる弾みで、私のランニングの弾みで、私のエアポッツが川にスポーンって飛んでいって、ポチャンって落ちて、
その後泥だらけのエアポッツを網で救出するみたいな事が、そういう事件が起きたことがある小川が流れているんです。
なんなんでしょうね。ほんまにこんなことばっかり起きるんですけど、私の日常というのは。
そんな愛着のある小川が流れているんですけども、
先日末っ子を迎えに幼稚園バスを待っていていたんです。
そしたらちょうどそのぐらいの時間に、小学生も下校の時間だったので、長男と出会ったんですよ。
「お、ママ!」みたいな感じで、「お帰り!」とか言ってたわけなんですよ。
もう末っ子はバスで帰ってくるから、俺も待っとくわとか言って、一緒にマランドセルを背負った下校中の長男と私と近所のお母さんと一緒に幼稚園バスを待ってたんですね。
幼稚園バスが来て、末っ子は俺で来て、兄にいるみたいな感じで家に帰ろうと思ったんです。
そしたら、その小川が流れている付近に茶色いカマキリを発見したんです。
我が家は田んぼとか畑とか公園とか川とかに囲まれている地域に家があるので、
虫がそこら辺にいるのは全然珍しいことではないんですよね。
でもやっぱりカマキリって結構…なんていうの?
ちょっとこう…別格じゃないですか。
カマキリ、カブトムシ、クワガタあたりはちょっと私の中でも別格なんですよね。虫の中でもね。
だから、「カマキリいるで!」みたいな感じになって、
子供たちも怖いんだけど気になるっていう感じだから、末っ子とかも特にね。
ゾンって触ってみて、「動いた!」とか言って、言ってたんです。
そしたら、触ったりとか、いろいろ人間の気配を感じすぎて、カマキリがダッシュし始めたんですよ。
その時に長男がパッて触ったもんだから、その小川にカマキリが落ちてしまったんです。
本当に普通のカマキリですよ。茶色い普通のカマキリが。
ファーって落ちてしまって、川の流れにカマキリが乗ってしまってるんですよね。
私の幼少期の本当に古い古い記憶の中では、カマキリって確か水に弱かったし泳がれへんし、
なんなら水につけたらカマキリってお尻から黒い針金虫って言うんですかね。
そういう黒い物体を出すんじゃなかったっけって思ったんです。
そこから、やばいやばいやばいみたいな、死んでしまう死んでしまうってなって、
もしね、そのカマキリ私たちと出会わなかったら、その川に入るつもりなかったんじゃないかと思うんですよ。
だから少なからずちょっと責任を感じてしまって、ここでカマキリが死んでしまったら私らのせいやみたいな風にね、
なんかこう見捨てることができなかったんです。
だから助けてあげないとと思って、ちょっと網取ってこようかなとか、
家戻ってなんか助けられそうなもの探してこようかなとか言って、
いろいろこう思ったり言ったり調べたり、その場でね小川の横でやってたんですよね。
だけどどんどんどんどん川は流れていくし、
家近いって言っても多分網取って帰ってきた頃にはもう流されてるんちゃうかなとかいろいろ思って、
もうただただどうしようどうしよう大丈夫生きてる?みたいな感じで見届けるしかなかったんです。
で、そしたらちょっとましたらカマキリがなんか泳いでるのではないけど、
両手で本当に平泳ぎみたいなポーズを取り出したんですよね。
まさかのうまいことその川の流れに乗って泳いで向こう岸にたどり着いたんですよ。
向こう岸にたどり着いてちゃんとその壁を登っていったんですよね。
川の幅も私が大股開いたぐらいの幅はありますし、
その川の壁も1メートルぐらいはあるんですよ。
水面からその壁のゴールのところまで行こうと思うと。
それをちょっとずつちょっとずつカマキリがもう自力でね、しかもズブ濡れですよ。
ズブ濡れやからもう羽とかも重たくなってるんやと思うんです多分。
ちょっとカマキリにしかわからないですけど。
やのに頑張って頑張ってこう一歩ずつ一歩ずつ上がっていって、
ちょっと途中で休憩しながらどんどんどんどん上がっていく姿を見て、
カマキリすごいと思って。そんな能力持ってたん?みたいな。
カマキリ泳がれへんってググったら出てくるのに、このカマキリすごいやんみたいな。
こんなことができるの?と思って。
こんなに向こう岸に自力でたどり着いてこの壁を登ってゴールすることができるの?
この能力を私は舐めていてね、侮っていて。
あたかも人間の方が上かのような言い草で助けてあげるとか、
網持ってきてあげるとか、ようそんなこと思ってたなみたいな。
申し訳ございませんカマキリ様みたいな感じになったんです。
すごいなと思って。
命ってすごいなじゃないけど、
生きていくってすごいなみたいなことを、
本当にこの夕方の数分で思わせてもらったんですね。
すごいなと思って。
すごいなもそうだし、助けなくてよかったなとも思ったんですよ。
助けたら、その姿って見れてなかったしね。
ていださんと見守っててよかったなと思いました。
でもこれほんまに子育てでもそうやなと思ったんですね。
なので、今日のテーマなんですが、
カマキリの冒険
今日のテーマは子育てで大事にしたいことというテーマでお話をしたいと思います。
カマキリの話からいきなり子育ての話につながっていくんですけれども、
私子育てで大事にしたいことって何かなって考えることは結構頻繁にあって、
これまではどっちかっていうと、いろいろあるんですよ。
それを挙げ出したらキリがないくらいいっぱいあるんですけど、
すごく割合として大きかったのは、
子どもたちに自分に自信を持って生きていってほしいなっていう気持ちがすごく強くあるから、
どうやったら自分の自信って作られていくんだろうかって思ったときに、
一つの手段として自分のすごく好きなものだったりとか夢中になれるものだったりとか、
時間を忘れて没頭できるようなものを見つけて、
その時間をすごく大事にしてほしいなっていう気持ちがすごく割合として大きかったんですよね。
他には自分のことを大事にしてほしいなとかももちろんあるし、いろいろあるんですけど、
それがすごく夫婦で一致している価値観でもあったんですね。
価値観であり、親の言ってしまったエゴでもあったりとか、希望であったりとかっていうところでもあると思うんですけど、
そうだったんです。
だけど、最近変わってきたかもなっていうふうに思ってるんです。
これは長男長女が大きくなってきた年が10歳11歳っていうふうにだんだん大きくなってきているから、
変わってきた部分もあるんじゃないかなと思ってるんですね。
今は何を大事にしたいかとか、大事にしてほしいかっていうと、
自分以外の人に心を開くとか、助けを求めるとか、
自分の気持ちを話せる能力だったりとか語彙力だったり表現力っていうのを身につけてほしいなとか、
あとはもっと言うと、心を開いたりだとか、その話ができる相手っていうのは一人でもいいから、
見つけられるような人になってほしいなって思いが最近すごく強いんですよね。
これはきっと大人と同等ぐらいな感じで話せるようになってきた年だから、
こんなふうに私の考え方もちょっとずつ変わってきて、
子育てで大事にしたいこととか、子供たちに大事にしてほしいことに優先順位が変わってきたりしてるのかなと思ってるんです。
つい最近ね、詳しいことはちょいちょいの話だから言えないですけど、
ちょいちょいが友達関係で悩んでいる姿を見たんですよね。
そういうのを見ると本当に、分かってるんですよ。私と長女は全然違う人格を持っているし、
長女は確かに私に似ているところもあるけど全然別の人ってことは分かってる。
確かに私から生まれてきたけど全然別の人ってことはすっごく分かってる。
分かってるんだけど、やっぱり友達とのやりとりで傷ついている姿とか、悩んでいる姿とかっていうのを見ると、
すっごい胸が痛いんですよ。すっごくつらいんですよ。
子育ての辛さと心の痛み
もちろんね、本人がつらいし、心を痛めてるんだと思うんだけど、
それと同じくらいか、それ以上かもしれない。すっごく身が削れる気持ちになるんですよね。
これは独自アメリカンライフのしのぶさんが言われていた言葉なんですけど、
子育てって本当に親の身を削ってやっている。精神もだし、肉体的にもそうかもしれないけど、
身を削って身を削って子育てしている。それが子育てだっていう言葉を言われていたこともあって、本当にそうだなと思うんですけど、
そういう辛そうな姿とか、悲しくて傷ついて涙を流している姿とかを見ると本当に心が痛いの。
どうにかしてあげたいとか、なんなら助けてあげたいとか、これを解決してあげたいとか、楽にさせてあげたいってすっごい思うんですよ。
もう本当に思う。
もう、何でしょうね。
ちゃんと自分で自分を止めなかったら、もう今すぐにでも私出て行っちゃいそうな気持ちになるんですよね。
だけど、この鎌切りが、ここで鎌切りの話ちょっと題してきて、鎌切りすいませんって感じなんですけど、
ちゃんと手を出さずに見守ってたら、ちゃんと鎌切りも向こう岸にたどり着けて、壁を登ってゴールできたように、
きっと私はここであまり口を出したり手を出したりまして、私が出て行くっていうことをしない方がいいんだろうなって思ったんですよね。
これはすっごい難しいなと思ったんです。
状況によっては、もちろん例外もあると思っていて、状況によっては絶対に大人が間に入らないといけないとか、大人同士で話し合わないといけないとか、
先生に相談しないといけないとかっていうこともあると思うんですよね。
だけど、私が今回長女と話をした中で感じたのは、私は出るべきじゃないんじゃないかなと思ったんですよね。
私が出てしまうと、本人がこの問題を乗り越えるっていう経験ができなくって、乗り越えた先に見えるものとか、乗り越えるからこそつく力みたいなものを私が奪ってしまうことになるなと思ったんですよ。
だから、じゃあどうしたらいいのって思った時に、もうとにかく私は長女が思っていることとか感じていることっていうのを吐き出せる場だったり、吐き出せる相手になることしかできないなと思ったんですよね。
これからどうするのかとか、どう考えてるのかとか、どう感じたのかとか、別に話を聞いたからって解決はしないんですよ。すぐには解決する話じゃないんですよね。
だけど、なんかもやもやするねんって話を、ただただ本当に聞くっていうこと、もうそれ以上できることっていうのはないなと思ったんですよね。
で、その話を聞いていると、本当にまだ10年しか生きてないけど、いろんな人と出会って、いろんな意見を聞いて、傷つけたり傷つけられたりとかしてきてね。
私も34、5年生きてる私からすると、小学4年生の女の子の悩みって、すごくなんかいやそんな、まだまだこれからいろんなことがあるからって思うんですよ。
そんな小学校の時の世界ってすごくすごくちっちゃい。その時はその世界が全てだと思ってるけど、すごくちっちゃくて、中学校高校大学とか社会に出て行ったりすると、どんどんどんどん交流関係も広がるし、世界も広がるし、居場所って一つだけじゃなくて、いろんなところで持つことができたりするよって思うんですよね。
思うけど、今の彼女はやっぱり今のその友達だったりとか学校っていうのが全てになってしまうんですよね。それは自然なことだと思うんです。
だから、言いたいことがいっぱいあるし、こういう時はこうしたらええんちゃうかとか、それはとか言って、それはなんだろうとか言って、言いたくなるんですよ。言いたくなるけど、もうとにかく聞くに徹しようと思って、何度も何度もたまに言いましたけど、それはママはとか言って、ママもなみたいな感じで、何回も何回もおっとっとっとってなりながら、本当に聞くっていうことに徹していました。
その先に私が思ったのは、今はこうやって私が元気で生きていてね、言っても同じ家に住んでいて、長女が私に話すっていうことがいつでもできる環境にはあるんですよ。
子供自身の成長と解決力の育成
だけどこの先、長女の方が長い人生というか、私の方が先にいなくなるだろうし、そうであってほしいし、ってなった時に、私が長女の唯一の話し相手になってはいけないなとも思ったんですよね。
ここで心を開く練習とか、自分の気持ちを言葉にする練習とか、表現する練習とか、っていうのはどんどんしてくれたらいいんじゃないかなと思うけど、次はそれをママ以外の人にもできる力だったり、心を開いてもいいんだよっていうマインドだったりっていうのを育んでいってほしいなと思ったんですよね。
これをね、ド直球で本人に伝えるとすごい重いなと思ったから、またママなんか言ってるわみたいな感じになるなと思ったから、言わなかったんですけど。
でもなんか私にこう話してくれている内容とかを聞いていると、すごくもう親バカですけど、いろいろあった。本当にいろいろあったし、きっとこれからもいろいろあると思うけど、めちゃくちゃいい子に育ったなと思ったんですね。
何がか分からないけど、ちゃんといろんなことを感じて考えて、だけど自分の中で折り合いもつけたりしながら、たまに家でそれが折り合いつききれなくて暴れたりとかしたりもしながら、本当に頑張って生きてきたんやな、ここまでみたいな風に思ったんですよ。
本当に感動してしまった。
本人も別に何にも解決してないけど話したらすっきりしたわって言ってくれてね。
せやろって言って、別にママに言ったからと言って何にも解決はしませんと。
ママもそれを解決することが正解だとも思わないけど、こうやって話すだけでも全然違うから話したらいいんじゃないって言ってたんですよ。
いろんなことがある。本当にいろんなトラブルも起きるし課題も見つかるし、友達関係だけじゃなくても勉強のことでもそうだし学校のことでも学校以外のことでも兄弟のことでもそうなんですけど、いろんなことがあるたびに結局その都度話し合わないといけなくなるんですよね。
その話し合いの時に直接的な解決はできなかったとしても話し合いの回数を重ねて重ねて重ねて重ねてしていくこと自体が結局親子のつながりだったりとか子どもたちのここで話したらいいわみたいな安心要素になったりとかっていうところにつながっていくのかなと思ってるんですよ。
だからいろいろある。本当にいろいろあるんですけど、いろいろあるからこそたくさん話せてよかったなっていうふうに思えるような時間を過ごしたいなと思ってますね。
すごい私が気をつけてるのはできてる時とできてない時とあるんです。やっぱり聞く方もエネルギーいりますからできてる時とできてない時があるけど、そういうもやもやした話とかイライラした話をしてきたときに最後の締めくくりというか着地をするときはでもそれにイライラするってことはこういうことに気づけてるからやんなとか
それに傷つくっていうことはこれを大事にしてるからやんなみたいなふうに返すようにしてるんですよね。
例えば結構過激な言葉をかけられる機会が多くて、その言葉にすごく傷つくっていう話をしてきたときは、長女はすごく言葉を、私もそうなんですけど、すごい言葉を使うのがうまいって大事にしているからいろんな言葉を大切にしているし、
自分の大事にしたいものの中に言葉っていうのが入っているから、だからそうやって軽々しく過激な言葉だったり攻撃的な言葉を受けたときに、もしかしたら他の人以上に打って傷つくのかもしれない。
相手がもしそういうつもりがなかったとしても。でもその言葉の大切さみたいなものは相手と私たちとは違うから、もしかしたらその差なのかもしれへんなとか。
よくも悪くも、少女はかなりいろんな物事を見ているんですよね。先生のこともそうだし、私たち親のこともそうだし、周りの友達のこともそうだし、すごい見てるなって。これは幼稚園の頃から先生にも言われてたんですけど。
よくも悪くもですよ。良いも悪いもないんですけど、すごく周りのことを見ているから、いろんな人のいろんな発言だったり行動だったりとかが細かいことでも気になる。気になるから自分とは全く関係のないところで起きている物事に気を取られちゃって、そこにストレスを感じちゃってしんどくなるみたいなこともあるんですよね。
だけど、それってすごい視野が広いっていうことやから、もうそれ見えへん人もいるからって言って。見えへん人もいるんだけど、見えるっていうことだから!みたいな感じで。なるべく着地としては、ポジティブな方向に着地できたらなと思うから。
無理な時もあります。全然無理な時もあるけど、なるべくそうやって本人の良いとことか、良い部分とか、良い着眼点とかっていうのを伝えて終わるようにしてるから。だからね、ハプニングとか問題とか課題とかがあるたびに私は長女にそういうポジティブな話をできる機会をもらえたって思えたら、もう最高にもうウィンウィンな関係じゃないですか。
8割ぐらいキレイごとですけど。状況にもよるんです。時間があって余裕があって静かな環境っていうのが揃わないと、やっぱり子供と2人で話すっていうこと自体が難しいですから。
我が家もこの間は本当に何度も何度も挑戦しました。長女と2人で話すっていうのを。
でないと末っ子が泣き出したりとか、末っ子がワーワー言ってたりとかってなると、そもそも会話ができないから、音が。うるさすぎて。
なので簡単なことじゃないけど、すごく今回は長女もいろいろあって、ちょっと気持ち的に波がありそうだなと思っていたので、寝る時間とかはすごい遅くなったりとか、お風呂も湯覚めするぐらい長く、お風呂入りながら喋ってたので、もう湯覚めするぐらい長くなっちゃったんですけど。
でもそれでも話す機会を得ることができてよかったなと思いました。
子育てで大事にしたいこと
今回は子育てで大事にしたいことというテーマでお話をしましたが、子育てで大事にしたいこととか、子どもたちに大事にしてほしいことって、それぞれいろいろたくさんあると思うんですよね。
そんなのも数えだしたらキリがないぐらいたくさんある。
その優先順位みたいなものもあるんですよね。私もそれはあるんです。
だけど、結構それって子どもの成長とともに優先順位が変わったり割合が変わったりするなっていうのを感じておりました。
今の我が家のフェーズとしては、ちょっと前から変わって好きなことを夢中になることを見つけてほしいっていうフェーズからちょっと変わって、
心を開いたりとか、自分の気持ちをきちんと言葉にできる能力を身につけてほしいとか、そういう相手を見つけられる人を信頼するってことをしてほしいとか、
っていうところが結構私の中では今大きくなってきてるなということに気づいたので、ちょっとねそれをシェアさせていただきました。
やっぱりカマキリなんですよ、きっかけは。
カマキリが私の想像を超える能力を持ってたんですよ。
だからこれ子どもも本当にそうだなと思う。カマキリは水に入ったら泳げへんやろって勝手に思ってた。
私は子どもたちに対しても結構そういう節あるなって思うんですよね。
この子はこれが苦手やろとか、この子はこういう考え方してるやろみたいなのを思いたくないけど、
やっぱりこれまで5年間10年間11年間見てきてるから、無意識のうちに溜まっていってるんですよね、データが。
末っ子データみたいな感じで、この場面ではこうするはずやとか、こういう場面は苦手なはずやとか、
こういうタイプの子と友達になりやすいはずやとか、そういうデータが溜まってきているので、
確かにデータを貯めてデータを分析するみたいなこともすごく大事だけど、
それ以上の能力を持ってたりとか、物事、何かを乗り越える力をきちんと持ってるっていうことを信じてあげることもすごく大事なんだろうなと思いますね。
手を出しすぎない?口出しすぎない?これが難しい。本当に難しい。すぐに口に出しちゃうんだから。
これを気をつけないといけないなと思いました。
ちょっと今回は何でしょうね、私もこのタイミングで記録しておきたいなと思って、すごくハッとさせられる出来事だったのでね。
この鎌切りからの長女の流れっていうのがまたすごく心揺さぶられた流れだったので、
ちょっとここに保存しておきたいなと思って、今回このテーマでお話をさせていただきました。
最後まで聞いていただきましてありがとうございます。
鎌切りの話から子育ての話までということで、幅広くこの番組では取り扱っておりますので、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
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URLは概要欄に貼ってあります。
ということで、今日も素敵な一日になることを願っております。
27:09

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