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2025-05-16 14:59

数字は他社比較ではなく、自分を認める手段

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本日のテーマ;『数字は他社比較ではなく、自分を認める手段』

 

【今日のONEメッセージ】

◉数字に左右されず、数字を使って自分を認める!

 

サマリー

このエピソードでは、子育て中の母親が自らの努力や成果を過小評価せず、他者との比較ではなく自己評価の重要性を探る。高橋優乃が日常のタスクを通じて、自らを認める方法について語る。このエピソードでは、数字を他者と比較するのではなく、自分を認めるための手段として捉えることの重要性について述べられている。また、過去の自分と比較することで自己価値を再確認し、ストレスを軽減する方法を考察している。

自分軸の必要性
みなさん、こんにちは。
子育ての自分軸を育むコーチ、高橋優乃です。
七転び八起きのママLife、この番組では、完璧主義からくるイライラや、
子育ての自分軸迷子でグルグル同じ思考をして悩み続けてしまうママへ向けて、
自分軸を見つけるヒントや考え方をお届けする番組です。
みなさん、いかがお過ごしでしょうか。
すっごい久しぶりのポッドキャストになってしまいました。
何をしていたかと言いますと、本当にバタバタしてて追われてたんですよね、単純に。
自分の新しいコードのリリースをしたりとか、
それに向けてちょっとお声掛けさせていただいたりとか、
セッションの体験をしていただいたりしておりました。
言い訳にしたらあかんのですけど、もう手が回らなかったんです。
それだけなんですけど、すっごい久しぶりになっちゃったな。
めっちゃ嫌、もう撮ろうと思ってね、
今日は時間をとって、これやるぞと決めてね、今撮っているんですけれども。
過小評価の指摘
今日はですね、久々、ポッドキャスト何話そうかなって思ったときに、
自分への過小評価してるよな、みたいなことを思って、
とあるテーマで話したいなと思いました。
今日のテーマはですね、他者比較ではなく、
あ、間違えたわ、数字はすいません。
数字は他者比較ではなく、自分を認める手段っていうテーマでお送りしたいなと思いました。
なぜこのテーマにしようかなと思ったときに、
日々、自分がやってるタスクだったり、仕事のタスク、
子育て、家事とか、いろいろあるじゃないですか、やることって。
そのやってる日々の行動を自分で認めて、
自分めっちゃ頑張ってるよなって思って、
そのやってる日々の行動を自分で認めて、
自分めっちゃ頑張ってるやん、十分やん、みたいな風に至るようなメッセージをするっていうのは、
私の中で日常のルーティーンみたいになってるんですよ。
毎日自分で褒めてるんですよ。
今日めっちゃ頑張った、みたいな。
どんだけ出来ひんひんでも、めっちゃ頑張ったって言うんですね、自分に対して。
でもこれね、ルーティーンのように私当たり前にやってるけど、
やってるお母さんって案外世の中に少ないんかなって思った時に、
絶対自分で褒めた方がええで。
だってすごいことやってるよって思うんですよね。
みんなどんなことやってるのかは細かくは知らないんですけど、
けどもしお子さんが同じようにいる方って、
お子さんの年齢によりますけど、家事やるじゃないですか。
何か子供のことに関してね、することって多いだろうなと思うんですよね。
そんな時に全然足りてへんやん、みたいな声かけてめっちゃ嫌じゃないですか、自分に対して。
もう全然なんも出来てない、みたいな。
そういうのがすごく嫌やなと思った時に、
自分のやってる行いに対して過小評価をしてるお母さんって多いんじゃないかなって、
逆にそれは思ったんですよね。
で、このテーマでお話しできることあるかなと思って今撮ってるんですけど、
唐突なんですけれども、過小評価ってどういうことか。
言葉はよく聞くと思うんですけど、どういった意味合いがあるかっていうのを改めてね、
捉え直した時にどんなふうに思いますか。
私ちょっと一旦調べたんですよね。
過小評価って物事、人や物、事象など、本来の価値や実力よりも低いレベルで評価することって書いてあったんですよね。
過小評価なーって思った時に、確かにする時あると思うんですけど、
じゃあその過小評価ってどんな時にやってるんかなって自分のことについてちょっと振り返ってみたら、
数字がね、頭にちらついた時にね、ものすごい私自分のことを過小評価するんですよね。
そう、どういうことかっていうことなんですけれども、
例えばなんですよ、昔私こんなふうに思ってたっていうようなことなんですけど、
家庭内において、私専業主婦ですので家事、育児は自ずと担当になると言いますか、
夫の方は仕事に出かけてますので家にいないので私がその役割を担うということをやっているんですけれども、
それに関してね、毎日朝晩洗濯量が増えてきたらね、朝晩2回洗濯したりとか、
ご飯も食べるんで朝昼晩とかね、朝晩とかで洗い物って絶対出るじゃないですか。
何回は私がやってるなって思うんですよね。2回。2回はね、洗濯も洗い物もやってるなと。
毎日の子どもの送迎も週5日、月曜日から金曜日やってるなみたいな。
ここにもやっぱり何回やってるなとか、何日間やってるなって数字が出てきてるじゃないですか。
他者比較の罠
この数字を見たときに、私めちゃくちゃ洗い物とか洗濯1日2回もやってるやんみたいな。
週5日雨の日も風の日も頑張って送迎絶対やってるなって思って、
自分を認めることとしてその数字を捉えて評価していく自分を、自分でね。
頑張ってる、いいやんっていう風に思えたらいいんですけど、
以前ね、この数字見たときに全然こんな風に捉えられなかったんですよね。
で、比較をするんですよ、夫と。
夫が家事をやってる数、納得してね、自分で役割分担というか分担としてね、
働き手、家庭を回す担い手と一緒に納得してね、それぞれ担っているにも関わらず比較するんですよ、私。
比較してたんですよ、以前。むちゃくちゃ。
でね、すっごい恥ずかしいんですけど、これまた数字で自分が劣ってるっていう評価をしてたんですよね。
いくら家事を、洗い物を、洗濯を夫よりも1日2回、3回とかしようが、子供を何時間見ようが意味ない、みたいな。
だって稼いでないもんって、ここにつなげてたんですよ。ないです。
いいかな、こんな目目親、私だけなんかな。
それやったらすっごい恥ずかしいんですけど。
働きに行ったとしても、やっぱり比重と言いますか、夫の収入、私の収入と比較したとき、
やはり働いてるときであっても、やっぱり夫の収入の方がどうしても多くなって働く時間も多くなるんですよね。
お金を稼ぐことに価値を見出してたんですよ、私は。
だから数字、とにかく数字で比較して、稼ぎやら、やってる家事の数やら、
私の方が全然あかんねや、みたいな風に捉えてたんですよ、数字を。
でも落ち込みますよね、そういう風に数字をね、自分の頑張り価値を認めるものとして捉えていると、
今日もよう頑張ったやん、何回もこれを朝も晩も洗い物もできた、すっごい頑張ったっていう風に捉えてるんだったらまた違うんですけど、
他人とやっぱり数字を元にして比較し、自分が劣っていると。
で、過小評価する、自分のこういう日々の家事や育児は意味がないことっていう風に、数字をそういう風に捉えてしまいますと、
やっぱりね、他人と、というか夫となんですけど、家庭内で競うことが起こり始めるんですよ。
見返したいなとか、私の方が稼げたらどうだったんだろうとか、ようわからへんたられは始めるんですよね、何々だったら。
もし何々であればとかね、初めて想像し始めてね、すんごいね、あの劣等感に包まれていくんですよ。
で、勝ち負けの競争みたいな感じのものを夫に対して挑むようにもなりますし、
働き始めたとしても、同じように働くママに対しても、そっちのママの方が稼いでるとか、たくさんのタスクをこなせてる人とかね。
特にSNSとか見てたら、違います?なんか、めっちゃ輝かしく働いてる、すごいと思った時に、
もう劣等感の塊ですよ、スクロールしながら、恥ずかしい恥ずかしいっていうことをやってたんですよ。
つい最近まで。
数字と自己認識
なので数字、今日何回これやったな、こういうことしたなっていう数字で、何か自分の頑張りを置き換えた時に、
自分を認めていくものとして数字を捉えてほしいなってすごく思ったんですよ。
過去の自分にそういうふうに言いたいなと思ってね。
今日もね、頑張れたやんみたいな感じでね。
そういうふうに捉えていくと、すごく楽になったんですよね。
数字と向き合うとか、稼ぐ稼がないとかに価値を見出さなくもなったし、
自分の今やってることに価値が見出せるようになっていったんですよね、だんだんと。
そうしたら必然と不幻化って少しずつ軽減されるといいますか、全くゼロにはならないですけど、
自分の捉え方を変えたことで、自分からね、夫に謎の勝ち負けの競争を挑むみたいな、
独り相撲みたいなのなくなったんですよ、私はね。
そうそう。
でね、最後にね、比較ってどうしても誰かしちゃうなって思うんですよ、人って。
何かと比べる?自然にしてまうよなと思うから、そこをね、やめてくださいっていうことじゃなく、
数字を他者比較じゃなく自分を認める手段として欲しいし、比較してもいいんですよ。
でも比較を他人じゃなくて、去年の自分とかにしたらどうだろうっていう提案なんですよね。
私はね、ほんまに、お母さん初めてし始めた時、娘出産してからの家事の回し方、格段に上がってるんですよ。
もちろんね、何年?9年目ですか?もうすぐ娘が9歳になるんで、9年母親やってたら馬なるやろっていう話なんですけど、
でもやっぱり本当にね、過去の自分と比較してものすごく段取り良くもなってきてるし、苦手な料理も楽しめるようになってきてるんですよね。
手短にパパッと作れることもできるようになってきたしってなって、比較するのはやめなくてもいいけど、
去年とか以前の自分と比較していく他人じゃなく、それってすごく大事な視点だなって思ったんですよね。
数字に左右されるんじゃなく、数字を使って自分や自分の認めていく、自分の価値を認めるっていうものに使っていけたらどうですか?っていうことなんですよね。
そういうことをちょっと今回で伝えたいなと思って撮ってみました。
比較の重要性
そうなんですよ。自分の価値を評価して、数字見て、誰かと比べて競争を挑んで、自分やっぱあかんわみたいなんで自己価値を下げていくっていうサイクルをしてる方、
もしいらっしゃったらこういう視点とかこういう比較の仕方あるよみたいなことが伝わったらいいなと思って思っています。
そうなんです。っていうところで、自分って本当にたくさんのことをしてますし、めっちゃ頑張ってるって思いません?
書き出した時に数字見て落ち込むんじゃなくて、こんなにたくさんのことをやってたんや、去年に比べてここうまくいかへんかったのにうまくできてるな、十分やんっていう風に自分で自分の価値を認めてあげていきませんか?
っていうお誘いですよ。
私もそういう感じで日々、やっぱり比べることはやめられなくて、他人と比較して、夫と比較して、同じように母親としていててもこんなにも違うんだなって比較しちゃう時もちろんあります。
でもそんな時にこの考え方をいつも思い出して、せやせやと、去年に比べたら今の生活、十分回せるようになってきてる。
お母さんとしてもいい感じやんっていう風に声かけを自分に対して変えて、自分で他人に認めてもらうんじゃなく、自分で自分のいいところを探していって、数字で評価し、自分で認めるものの手段として私は数字を今使っていますというお話でした。
いかがでしたでしょうか。もう久々なんで噛み噛みなんですけれども。最後まで聞いてくださった方ありがとうございます。
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それでは次回の放送でまたお会いしましょう。ではまた。
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