このプログラムは、7trailsのサポーターのみなさまに特別な配信です。
そちらの内容はどうなの?というような方って結構いらっしゃると思うんですよね。
なので、今回のエピソードは、サポータープログラムの番外編といいますか、
みなさんがお聞きできる形として、通常回の方に挟もうかというふうに思っています。
河野さん、どうですか?
どうですか?最近はね、鼻をやられてますね。
花粉症?
花粉症じゃないです。
花粉症じゃないです。
花、何なの?風邪?
風邪、風邪でもなくて、先週また柿の仕事をしました。
高圧洗浄機で柿の木の皮を剥いていくという作業を。
結構強い洗浄機なの?
めちゃめちゃ強いですよ。
それをやってたんですけど、後で見たらすっごいトバッチリを浴びてたんで。
たぶん細かい花がやられたんじゃないかな。
それ何で皮剥くの?
結局そこの中に虫が入り込んだりとかしていうのを防ぐたんです。
じゃあ皮剥がれても柿の木は平気なんだ?
平気ですよ。
強いね。柿の木に登るなって子供の時言われんかった?折れやすいからって。
いやー折れやすいかな?
結構言われた。柿の木には登らんがいいって。折れるからって。
だって俺もろいんかなって思ってた。柿の木って。
そんなことないっすね。
そうなんだね。
じゃあみんなそれで花が…
ちょっと花がね。
俺は花粉症やね。
あ、マジっすか?
目ね、こすり出したからね。
花粉症じゃないでしょ。全然ずるずる言ってないじゃないですか。
いや、花は大丈夫だよ。目ないんよ。目。
花粉症じゃないっすよ。
花粉症って?だってこの時期だっけ?
花粉症の人はもっとひどいっすよ。
いやいや、人のレベルはあるけど花粉症ですよ。
軽めの?
軽いんかな?眼球かき出したら俺今目真っ赤っかですよ。
だから目薬さしたりとか頻繁にしてるけど。
鼻まで行くと結構重症。行かないわけじゃないですよ。
鼻もくしゃみが止まらんとか、耳がすごく痒いとか、
全体的に痒い顔がむずむずするのと。
今すごいらしいっすね、花粉ね。
あとなんかね、風邪みたいなお顔もするんですよ。
ゾクゾクしたような。
で、俺風邪ひいたかなと思うんですけど、
その時に思い出すんですけど、
あ、これ花粉症やんて。毎年なるやんて。
目が。
はい、今日のゲストを早速ご紹介したいと思います。
今日のゲストは熊本の水上村地域おこし協力隊の川野太志郎くんです。
こんばんは。
こんばんは。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
僕、太志郎くんとそこまで話したことないよね。
そうですね。大会の応援の時ぐらいですかね。
太志郎くんは地域おこし協力隊は今年で卒業?
はい、3月の末で終わりになります。
じゃあ3年いたっていうこと?
いや、僕は2020年からなんですけど、
コロナの特別措置みたいなので、2年間プラス延長になって、
5年間結果的に開いた。
5年もいたんだ。
5年ってどうなの?
今、水上村の地域おこし協力隊のみんなからすれば、
人気的には長いんじゃないの?
かなり長いというか、一番長いですね。
長いね。
その間には僕と太志郎くん若いからさ、24でしょ?
はい。
さすがに俺らみたいなおっさんと交流してくれてなかったのかな?
近づきにくかったのかな?
タイミングが合わなかったところじゃないですかね。
河光くんだちは構想整備とかそういうのがっつりやってるじゃない?
はい、やってます。
太志郎くんどういうことやってたの?
僕はその手伝い入って、桜ヴィレッジ管理して、
あと合宿関係の手伝いだったりだとか、
あとは駅伝大会、熊群であるんですけど、の準備だったりだとか、
あとはクラブチームを僕は持ってるんですよね、一応。
地元の子たちに陸上教室みたいな形でさせてもらってて、
それの事務処理だったりとかをその時間にさせてもらったり。
じゃあみんなとの動きとはちょっと違うんだね。
そうですね、違う時もたまにあります。
基本的には一緒なん?やっぱりがっつり土木作業?
はい、やったりもします。
あんまり河口さんがそれこそ入ってからは少なくなりましたけど。
河口一直線みたいなやつやもんね。
コース整備がしたいって言って入ってこられた。
大次郎くん知らない人は九州のドレランコミュニティではあまりいないと思うんだけど、
全国放送なんであえてちょっとご説明させていただくと、
今若干24歳という青年です。
そのちょっぱや陸上経験豊富な青年なんで、
もう見た目もシュッとしてね、スリムな感じなんですけど。
経歴から言えば、
これ僕よりも友野さんの方がキャリア的には詳しいというか、
よく分かる知識としてよく分かるので、
ちょっと友野さん言っていただけますか。
まずね、高校が記念銘も小林高校。
そうですね。
中学は野球部だったの?
そうですね、中学までは野球もしてて、
冬場に陸上も一緒に。
足が速いから陸上もやれみたいな。
生存のパターンや。
そういう感じです。
そんな感じでしたね。
小林高校にスカウト的な感じで。
そうですね、スカウトがたまたま引っかかったというか、
地元の陸上クラブに僕入ってたんですけど、
そこの監督さんが小林の高校の先生と繋がっていたというか、
知り合いの方で紹介してもらって、
なんとかギリギリという感じですね。
高校時代はどんな感じだったんですか。
僕は全然ですね、
それこそ本当に公式戦という公式戦に一回も出たことなくて。
本当?
はい、本当にチーム内でもその後ろから数えた方が早かったですし、
あんまし走れたなっていう大会が一個もないんですよ、僕の記憶には。
じゃあ悔しい。
そうですね、あんまりいい思い出はほとんどないですね。
前にも言ったけど、高校のたった1年とか2年で結果が出る人っていうのは、
やっぱ難しいよね。
同じ歳と同じ成長をするわけじゃないからね。
後先の人とかもいるし、
あの期間で本当に結果が出る人たちっていうのはすごいなと思うけど、
だからといって才能がないわけじゃ全然ないんだから、
今その才能が開花してきてる途中なんかなと思いますけど。
地域ようこそ協力隊に入ったのが2020年、だからコロナの時か。
コロナの時ですね、ちょうどそれこそ自分が大学に1年だけ行ってたんですけど、
大学の寮の2キロ先の病院ぐらいかな、最初のコロナ患者が運ばれてきて、
そこから逃げてきたように九州に帰ってきたら蔓延したっていう感じでした。
どうしてまた地域ようこそ協力隊に入ろうと思ったの?
それこそ大学を辞めたタイミングで次の進路先というか、
競技を続けたいっていうのがまず一つと、
今やってるクラブの指導というか子どもたちの陸上指導みたいなのに関わりたいっていうのが一つあって、
それができる環境を探してたところ、それがヒットしたっていう感じでした。
なかなか内容的にぴったりだよね。
そうですね、結構自由にというかやらせてもらってるなっていう感じもありますね。
なるほど。
こちらに来てからの活動っていうのは?
さっき言ったような感じなんですけど、
基本的には陸上クラブをメインにやっていきたいなっていうところがあったので、
最初は外部コーチ部活動の形で入って、
何年目だったかな?3年目ですかね。
2年目か3年目ぐらい地域おこしの時にクラブチームを立ち上げて、
今っていう感じですね。
クラブチームっていうのは大代くんが個人でやってる感じ?
はい、もう基本的に一人でずっとやってて、
今年、去年からもう一人手伝ってくれる子が来たんですけど、
基本的にはもうずっと一人でしてるような感じですね。
じゃあ今年その任期が終わって、今後っていう風になると大代くん水上に残るの?
いや、残らないです。
残らないんだ。クラブチームどうすんの?
クラブチームはそれこそ今月でも終わるっていう方向で進めている感じなので、
その後引き継ぎはまたちょっと今話し合ってるところ。
なるほどね。
こっち来ての自身のランニング?
トレイルランニングしてるんだけど、どういう風に今に至る感じ?
そもそもトレイルランニングを知ったのがこっちに来てから。
以前も少しお話させていただいたんですけど、
MMVP、水上マウンテンパーティーのコースセーブで、
最初トレイルランニングというものに触れて。
何歳ぐらいの時?2022とか?
2020年ですかね、最初は。
2020年に最初コースセーブで入りさせてもらって、
2021年に初めてトレイルランニングの大会を始めたのかな。
が水上マウンテンパーティーだったんですよね、ミドル。
その翌年から音楽的に大会に向けて練習も始めていったような形で、
今に至るような感じなんですけど。
2021年にはもらった資料からすれば、神百で2位になってる?
はい、それはでもたまたまというか、本当に。
3日前にそれこそ群馬マラソンを走ってるんですよ、神百の。
どうしても熊川リバイバルがその年に開催される予定だったので、
その参加権をどうしても得たくて、
マラソンの3日後でも完走ぐらいはできるかなっていうので、
走ってたまたまという感じだったんですよね。
いい刺激になったのかなって思えばという感じですけど。
総力がしっかりあるランナーなんだけど、
2022年から本格的にトレーラー面白いぞということで、
いろいろ参戦しだしたと。
そうですね、面白いなと。
2021年の初めて走った時には、
結構しっかりやりたいなっていうのはなんとなくあってですね。
なんでまたトレーラーいいなっていうふうに思ったの?
なんでですかね。
楽しかったは楽しかったっていうのが一番なんですけど、
多分あんまり自由にできるかなというか、
あんまり言葉にできないんですよね。
いつも詰まるんですけど。
動画が出てこないというか。
駅伝やってるよりは自由そうですよね、動画がね。
責任性はなくていいですからね。
素人目から見ても駅伝ってちょっと特別だろうなって思うもん。
達成感ももちろん特別だと思うんだけど、
重圧っていうかプレッシャー凄まじいだろうなと思うんだけどね、駅伝って。
走ってる選手はそうかもしれないですね。
僕は1回も走れなかったので。
そうなんだ、あれですけど。
2022年は優勝したレースも多いよ。
そうですね、そこは狙いに行った年でしたね。
だいぶ勝ちに行ったというか。
太良の森から2個取れるランニング40キロ60キロぐらいのレンジでも優勝できてるから。
まあまあ俺走れるんじゃないかなっていう風に思った。
そうですね、ある程度自信というか。
通用するかなと。
それこそ太良の森で前田渉さんをよく名前を聞いててすごく速い方がいるよっていうのを聞いて、
それで確か太良の森にエントリーした記憶があるんですけど。
この時は前田君に勝ったの?
前田さんが3位で瀬田さんが2位でしたね。
すごいよ、前田君、瀬田君を押さえて優勝したんだ。
その年はでしたね。
すごいね。
その年の7月に霧エビに確かロングにエントリーしてるんですけど、
その時にショートが世界選手権の先行レースになってて確か。
そこで次はこれを狙おうという風になりましたね。
まあね、ショートの方が得意そうだよね、太良君。
そうですね、でも僕の感覚的にはロングの方が好きなんですよね。
そうなんだ。
第2位、川崎弥也に。
慣れたなんですね。
でも川崎弥也さんをそれこそ一つ目安というか、
次の太良の森は目標にしようかなと思っていて。
タイム?
大昇君の若さやったら全然早くなるよ。
だいぶ早くなったよ、やっぱり東雲さんも。最初よりは。
コツとかあるんですかね、東雲さん、下りの。
気持ちの問題。
気持ちの問題。
早くなったとはいえ東雲さんがそんな下りを語れるわけないですよ、まだ。
気持ちの問題。
じゃあ2022年、23年、24年と優勝もいろいろやってきたわけなんだけど、
今回大昇君こうやって収録したのは一つ理由っていうのがありまして、
大昇君が今年の7月から約8ヶ月ニュージーランドに行くということを僕はインスタグラムで見まして、
大昇君の投稿を見て、また河光くんがシェアしてるのとか見て、
えっと思ったんだけど、海外に行くっていうのがトレラン修行みたいな無社修行的なところもあってっていうところで、
7月から行くための寒波というかね、
まあそういう資金援助みたいなものもご協力いただける方がいらっしゃったら是非顔を見てご挨拶したいんでみたいなコメントを書いてたんで、
よかったらなんかみんなに広めてたいなというふうに思ってね、今回急遽お呼びしたんですけど、
これについてちょっといきさつというかそういうのを説明してもらってもいい?
はい、まず行こうと思って決めたのは去年の10月ですね、2024年の10月に行くっていうのは決めて、
9月までは本当に全く1ミリも考えてなくて海外に行くっていうことはですね、
行くってきっかけになったのが、本来2025年から入る予定だった仕事がちょっと伸びていろいろタイミングがずれて、
1年間何も仕事がないというか、空いた期間ができたんですよ、2025年とか。
で、それが10月だったんですけど、じゃあここからどうしようかなっていうふうに考えたときに、
いろいろ選択肢があった中で、ワーホリですね、形としてはワーホリで海外の方に行かせてもらうんですけど、
それが20代、30歳までかな?
30までだね。
30までしか行けなくて、28、29でそれだけ長い期間、28歳、29歳とかで長い期間取るのは自分の中ではちょっとイメージがあんまりできなくて、
だったらもう今かなっていうタイミングで、とりあえず行こうって決めていった感じだったのですよね。
なるほど。
ずっと行きたいとは思ってたので、海外の方には英語をどの他のタイミングで習得したいなっていうのはあって、
自宅じゃ英会話とかもそうですけど、ちょっと自分の中では難しいかなっていう、そんなに勉強が得意な方でもないので、
現地に行って覚えられれば一番いいかなっていうのが最初のスタート地点という感じですね。
行って生活の中で喋らんとどうしようもないという状況の方が絶対喋れるようになるからね。
間違いないですね。
なんでまたニュージーランドだったの?英語っていうのも分かるけど。
自分の中で英語とトレイルランニングと、ランニングがある程度盛んというか、
コミュニティーがあるだろうなっていう想定のできる国っていうのが自分の中の条件としてあって、
その中でオーストラリアだったりアメリカとか、いろいろ選択肢があったんですけど、
2年前に一度ニュージーランドに行ってるんですよね。
ある方にニュージーランドに行きたいんですけどっていう方を相談したら、
もう一回話してみようかっていう話になりまして、
そこからニュージーランドに行くっていう流れになったような感じでしたね。
UTMBの大会があるっていうのも一つ僕の中としては結構大きくて、
トレイルランニングで大きな大会があるっていう。
そこは目標にできるかなと思ったので向こうに行ってから。
これが先月行われたタラウエラ。
タラウエラウルトラトレイル by UTMB。
ウルトラトレイルか。100マイルですか。カテゴリーは他にもあるのかな。
100マイルと102キロと50キロと20キロの4部門ですかね。
最終的にはこれに出たいと。
そうですね。そこが一番の目標ですね。
もちろん出るだけじゃなくて優勝と目指すわ。
ただ、種目がまだ正直僕の中では決まってなくて、
100マイルはもう1年後かなというふうには思っているので、
おそらく50か100で勝負しようかなっていうところ。
そっちを見たら普通にコースは走れたりするのかな。
一応調べてみて、走れそうな感じではあったんですよね。
1回か2回ぐらいは走っておった方が絶対有利だよね。
そうですね。早めに行って準備しようかなと思っている。
でも7月から8ヶ月行くって言うんだから、8ヶ月ってまあまあ長いやん。
まあまあ長いです。
何をするかみたいな感じですか。
どうやって過ごすの。
とりあえず合格学校行って過ごそうかなと思って1ヶ月ぐらいは思ってるんですけど、
それこそさっき話したニュージーランドに一度行った際に
ホームステイで泊めてくださった方がいて、
その方の地域で動くのであれば、その方がランニングチームを持ってらっしゃるので、
そこの中に入っていろいろ英語も話しながら身につけられてたらいいかなという環境があるんだったらという感じかなと思ってるんですけど、
そこの地域じゃないところでもし生活するっていう風になりそうであれば、
まあ何かしら探していこうかなっていう。
SNSが今はあるので、どうにでも正直になるかなっていう感じなんですけど。
まあその仲間とか友達とか、そういうのはやっぱ僕らこのランニングっていうスポーツはできやすいじゃない。
やっぱ友達がね。
言葉が通じないところに行ったとしても、きっと温かいコミュニティーが迎え入れてくれるんじゃないかなという風には思うけどね。
確かに。どうしたらいいと思いますかね。
現地で話した方がいいんですかね。
やっぱグルランに参加するんじゃないの?
コミュニティーの練習会に行って。
まあその中でもしかしたら日本語で話せる人がおるかもしれんしね。
確かに。
普通にだって早いから走ったら早いじゃんみたいな感じになると思うよ。
大会とかがあればすぐ出たいなって思ってるので。
住むのはオークランド?ウェリントン?
ウェリントンができればいいかな。
まだ発表は決めてないんだ。
ウェリントンが希望。
ただそのタラベラがあるのがオークランドの方になるので。
まあそれは行けばいいからね。
でも住んでいればその近くで実行だったりとかしやすいのはあると思うんで。
それはちょっと考えてるかもしれません。
このためのお金がいるんで。
それをちょっとでもやっぱりご支援いただきたいということで。
具体的にはどういうような活動を考えてるの?
1000人に会いたいって言ったやつ。
あれの概要をちょっと大昇君から話してもらいたいなと。
大人の方は一応1000円を支援いただいて。
1000円は一口ですからね。別に二口でも三口でもいいわけないので。
1000円と。
というところを条件一つしてて。
子どもたちからもちろん名前だけいただきたいっていうのが一つあって。
最初支援というかこの形をどうやってしようかなと思ったときに。
自分のできる範囲ですよね。
集まった分だけっていう風な形でも良いなと思ってたんですけど。
僕自身が人に頼ったりとかするのはすごい苦手で。
でも1000人行こうと思ったときに誰かしらの力を借りないと。
もちろんこのセブントレイルズさんのラジオとかもそうなんですけど。
そうやって誰かの力を借りてどうにか行くっていう目標を立てないと
自分が動かないだろうなっていうのはあったので。
それが1000人という目標にした理由なんですよ。最初の経緯は。
ニュージーランドに行ったときに自信というかそれをやりきったっていうことを自信にして
向こうでもまた頑張りたいなっていうのがあって。
1000円以上の寄付をいただいて1000人の方に支援していただくということをやろうと思っていくように。
お金をいただくことなんですごく頼みづらいというか僕自身も。
もちろん誰でも彼でも名前変えてくれるわけでもないので
お金をいただいた方のみメッセージカードみたいなやつにサインをいただいて
それを応援していただいた記録として自分の手元に持っていくということが今回一番やりたかったことなので。
人に頼らないっていうのはある意味一番楽というか簡単だもんね。
頼れなくて済むんだったらね。もちろんそれが絶対楽だし。
頼るということは自分の気持ちの中では大きな力がいるよね。
そうですね。お金を集めようと思ったらバイトするのが一番簡単というか。
自分だけで完結させるのが一番なんでも楽。
行く前に何か一つ時間も7月までっていうのがあったので
それで自分に負荷をちょっとかけたいなっていうのもあって
ちょっと頑張らないといけないぐらいの目標を立ててやろうかなっていう感じですね。
今ね結構大昇君のストーリーにバンバン上がってきてるもんね。サインのやつがね。
そうですね。ありがたいことにいろいろあって。
これをねセブントレーズでも応援したいと思うので
大昇君が会える距離だったら大昇君が来てくれるっていう風にも言ってたんで
熊本県内だったりとかね。例えば福岡とかに来てるタイミングがインスタとかで分かれば
じゃあちょっと会おうよっていうようなものをメールで送るとかね。
大昇君の動向をチェックしてもらってそこで声かけとかをしてもらえれば
効率よく大昇君も動けるだろうし
どこかのコミュニティが声かけていただければね
大昇君もちょっと行けるような動きにもなるのかなと思うので
ぜひみんなで応援してあげられればいいなというふうにも思いますけど
お願いじゃないんですけど
直接会いに行くのもいろいろ皆さん優しいんで
別に来なくてもいいよとか言われる方もいて
支援してもらった人の顔が見えないっていうのが僕の中では少し気持ち悪くて
知ってる方であればまだいいんですけど
例えばグループ内のいろんな人から支援をいただいて
誰か代表で僕にお金を渡そうかとか言ってくれる方とかもいたりしたんですけど
それがすごい自分の中で気持ち悪くて
できればとりあえず会いたいっていうのがあって
会うっていうのも一つの目標だもんね
別にお金を1000人分集めることが目標じゃないもんね
そういう感じですね
今沖縄とかからも来てて会いたいというか支援してもいいよという連絡がありがたいことに来てて
さすがに沖縄は飛べないので
メッセージカードを送って返送してくださいっていう
そこで今は集めてるんですけど
僕ももちろんやりますよ頑張ってね
福岡行くので
その時に僕も声かけして集まれる人がいたら集めますんで
セブントレイルズのぐるランみたいなやつあります?
木曜日
それの時に来てもいいですかね
それの時に来てもいいし大志郎くんが来るんだったら
大志郎くんが練習稽古つけちゃうよみたいな感じでやって
そしたら人が来るでしょ
大堀公園のなんとかしますよみたいなことだったら2,30人わーって来るよ
何かあったらまたニュージーランドからもこうやって出演して
いいねいいね
いいと思う
健康に気をつけて頑張ってね
ありがとうございますまた報告します
今日はありがとうございました
ありがとうございました
おつかれさまでーす
触られたらそうでもないんだけど一回触りだすとね
なるほどね
そういう時期なんですけどそんなことよりも練習ですよ
練習はあんまり長いのがあんまりやれてないですね
鈴鹿さん最近何かちょっとこっそり本気出してないですか
最近じゃないですよ今日からこれですよ
っていうのが僕は五日山クロストレールに行ったんですよ
もう散々悪くて
森田さんこの間来て言ったけどやっぱ鈴鹿さん強いっすわって言えたよね
俺あの去年4時間18分ぐらいやったんですよ
それでもその余力はあったと思うんですよ
ゴールしてもそんな筋肉痛なかったし翌日も全然なかったし
あの頃まあまあ上がってたし
今年俺5時間6分とか7分ぐらいですよ
完全エイドパスです
それでも1時間遅かったんですよ
わけで無練でそれだったらいいんじゃないですか
バーチーとか中堅くんとかは骨折して走れること自体が普通じゃないっていうか
よしとしていいんじゃないですかみたいな
マラソンの時からも言ってくれてるんやけど
どうやってももう俺別に走れるから
自分の走れる中で去年4時間18分やったものが5時間6分とかやったら
やっぱ嫌や
それで急に走り出したわけで
そうもうね現在地が分かった俺今自分の
こんなに俺もう落ちてるんやって
すごいよく分かって
このままやったらマジでボルケーの地獄見るなと思ったんで
ちょっとGPTに練習メニュー相談して練習メニュー組みました
今俺の携帯の中にありますこれ練習メニューが
あえて言わんけどまだ実行できてないから言わないけど
それ全部送って俺に
いやいや多分ねトモノさんと俺との自力が違うから全然ダメですけど
それぐらいちょっと現在地が分かったんで
ちょっと俺も真面目に今から練習しますよ
けどもう翌日から走っとったでしょ
翌日は疲労抜き程度で
次の日ぐらいからは走ったけど
まあ今も筋肉とありますよでももう休ます
休ますよ俺も
疲労が抜けないっすね僕は
疲労がね
土曜日この間の土曜日に
安倉山の峠層行ったんですよ
まあまあこう
登りも頑張ったけどちょっと下りも割とペースを上げて
バンバン叩いたんですよね足を
疲労が抜けないっすね
その疲労が
まあまあいい練習になったということなんじゃないですか
うんけどそれぐらい前だとそれで
土曜日やったら日月
火曜日ぐらいからもうバンバン行ける感じだったんですけどね
今日は朝テンポそうしたけどやっぱり全然なんか
きついっすね
年ですね
言ったろ?52から来るって
これからって感じはする
疲労が抜けない
俺の話していい?
どうぞ
その五海山クラストレイルで結構
ショックやったんで
もう俺ほんとチャットGPTと3時間ぐらい会話したんですよ
全部収録したらそれ
どうやったら元は戻るのかとかいうと
やっぱり結構チャットGPTも親身になってくれて
そもそも皮骨骨折で2ヶ月
約3ヶ月走ってない状態で
走れるっていうこと自体が
すごくいいことだからそれに対して
悲観するなって
悲観するなっていうのと
これを元の調子まで
皮骨骨折するまで戻す期間っていうのは
半年かかると
半年ですって言ってはっきり言うんですよ
その半年の理由が
筋力の低下は休むと2%か3%なんか
減っていくみたいなことが割と
科学データを出すんですチャットGPT君が
だからつける期間よりも
それがなくなる期間のスピードの方が早いんだって
だからもう1回付け直そう取り戻そう
ってするのは2ヶ月よりも絶対かかるんだって
亡くなった今までやってない期間よりは
絶対かかるんだと
あとそれにミトコンドリアが
酸素を運ぶ力っていうのも
もうなくなってるから
そこもまた元に戻さないといけないし
神経
神経回路っていうのも一旦
なくなっちゃってるっていうか
そういう状態じゃなくなってるから
それをまた研ぎ澄まさないといけない
それらを全部計算すると
やっぱ6ヶ月くらいかかるんだって
だからオルゲノマンで2ヶ月じゃない
戻るわけないでしょって
今から2ヶ月?
今から6ヶ月ってこと?
感知して6ヶ月ですよ
要するにトレーニングして6ヶ月ですよ
だから今から6ヶ月なんですよ
9月くらいまでかかるってことなんで
元に戻すまで
だいぶフラグ立てるね
この状態で友野さんに
勝てるわけないですよ多分
嫌な戦略取ってくるね
科学的データに裏付けされてるからね
このプログラムは
東南アジアのトレイルサポーターの
特別エディションです
ラマダンがスタートして
今日が水曜日
今日は3月5日水曜日ですね
この収録させていただいてるのは
今ラマダン中と
ラマダン中で始まったばっかりですね
今日僕会社の人たちと
オフラインでの
いつもはリモートで仕事してるんですけど
今日たまたまオフラインでミーティングがあって
皆さん断食中なんで
断食中って水は飲めるのかと思って
水も飲めないんです
そうなんですか
そうなんですよ
日の出から日の入りまで
厳密にやると水分も取っちゃダメなんで
だから僕も喉乾いてたんですけど
昨年ミーティング中は水はちょっと遠慮して
まあね相手がそうですからね
日の出から日の入りって言ったら何時間になります?
ほぼ12時間ですね
12時間飲まず食わずですか?
飲まず食わずです
なのでラマダンの間って
皆さん早起きして食べるんですよ朝
で日が沈んだらまたみんなで集まって
リフタールって言って
また晩御飯食べるんですけど
夜はいいんですけど朝がですね
大音量のお祈り
マザーンって言うんですけど
これがねいつもは普通は朝の4時ぐらい
それでも早いんですけど
早いですね
これがラマダン中は3時ぐらいになって
それは街に響き渡るんですか?
響き渡ります
街で?
街角にモスクというか礼拝場があるんで
そこの上に大きなスピーカーが付けてられてるんです
そこが大音量で1日に何回もお祈りが流れるんですけど
それの一番最初は朝の3時ぐらいなので
それで目が覚めちゃうんですよね
もう結構寝不足
まだ5日しか経ってないんですけど
結構寝不足になってます
じゃあ日の出から日の入りまで
ラマダン中っていうのは
街はもう完全に店とか閉まって停止状態ですか?
昔はそうだったみたいですけど
ジャカルタは他にも当然
イスラム教じゃない人たちもたくさんいるんで
普通にコンビニもやってますし
レストランとかもやってますし
ただレストランは外から見えないように
カーテンがしてあったりとか
営業は普通にしてます
いつも普段走ってる公園があるんですけど
そこも人が少ないというか
走ってる人まだいるんですけど
本当に少なくなりますね
朝のランナーの数が
快適に走れるっちゃ走れるんですけど
だからラマダンの時は逆に遠くまで行くとか
練習コース変えるとか
そういうことはある感じですか?
コースは特に山に行くと
今週末も土曜日日曜日行くんですけど
いつもは山の中に売店というか
売店があるんですね
ホットタコ屋みたいなところで営業して
ご飯とかも出してくれるところなんですけど
そこでいつも補給をするポイントがあるんですけど
そこがほぼ閉まってるので
基本的には麓のコンビニでしか補給ができなくなるんで
それを繋ぐコースにちょっと変えなきゃいけなくなるというか
補給間隔がちょっと長くなっちゃう感じですね
そういうのも赴任されて
最初はやりかぶったりとかしてたんですが
うわー閉まってるわーどこで食うみたいな
そうですね去年ちょうど赴任してすぐというか
去年まさに去年
ちょっとバンドンじゃなくてまた別の山域なんですけど
すごく人気のハイキングコースがあって
すごく大きな売店みたいなところがあるんですね
そこはさすがにやってるだろうっていうふうに勝手に思っていったら
2カ所あるんですけど2カ所とも閉まってて
幸いなことにただもうそのうちの1カ所は無人販売みたいな感じで
水のペットボトルだけ並べておいてあったんで
そこにお金だけおいて水を買っていったっていうのはあったんですけど
もうどこもやってなかったですね
そこの山域は山を下ってもお店が全然やってなくてコンビニもないんで
本当に干からびそうになったという記憶がちょうど1年前です
結構しょうがないといけないですね補給ね
そうなんですよ富士に向けてのトレーニングなんでちょうどいいかなと思うんですけど
そうですねそのコースは何キロぐらいになるんですか
今週末は37、8キロで2500メートルぐらいですかね
2500も上がるんですか30
上がります山を2つ登るんで
まあまあですね
まあまあです最初のちょっと天使山地が最初700メートルぐらい登るんですけど
今週末登るのもそれぐらいなんですね
DNFするとすごい自信なくしちゃいますよね
まあね
僕はサロマしかないですから今まで
出てないですもんそんなに
なるほど
こんな厳しいのは本当マジ出てないですもんね
厳しいのはばっかりですよねやっぱナオトリさん
この前ちょっと暇だったんで数えてたんですよね過去のログを見ながら
DNF多分20本ぐらいしてますね
本当ですか
レース多分100本ぐらい走ってるんですけど2割ぐらいDNFしてるんですよ
しょうがないですよそれもキッチンのばっかり行くから
しょうがないです
最近何かありますかって言ったやつに島に行ったっていう話題があったじゃないですか
ボホール島
ボホール島僕調べましたよ
フィリピンの島でしょ出張に行かれたっていう
調べましたよめちゃめちゃかっこよかったですよ絵が
チョコレートヒルっていうのが有名だったりして
セブ島の隣なんですよね
奥高い古墳みたいのがポンポンポンポンあるような山
山っていうか丘あれ何ですか島自体はすごい小っちゃいでしょ
あれがチョコレートヒルズっていう名称なんですから
アポロチョコをひっくり返したみたいなやつがブツブツあるやつ
すごい綺麗な写真というか行ってみたいです
簡単に行けるとこですかボホール島って
ボホール島は簡単に行けますよセブ島マニラからでも行けますし
セブ島の横ですもんね
セブ島から船でも行けますし
あれがいるんですよメガネだろうか本当に小っちゃいんですけど
猛獣じゃないからかわいいもんじゃないですか
昔トレイルやってたんですけどね50キロぐらいの
ここでですかボホール島で
ボホール島のそれこそまさにチョコレートヒルみたいなところを
本当ですかこのチョコレートヒルって案外大きいんじゃないですか
これなんかちっちゃそうに見えるけどこの1個1個の
50メートルぐらいですよ
50メートルぐらい
ものすごい急ですけどね登ろうと思ったら
急ですよね結構ね
その間を縫っていくようないわゆる四輪バギーみたいな
そういうアクティビティがあるんですけど
間近で見るとすごい大きいですけどね
出張で行ってそれがそのC2Cの1週間前というか
C2Cの一週だったんですけど
ちょっとトレーニングしなきゃいけないということで
トレーニングをそこで再開をちょうどしてたんですけど
ボホール島で走ったんですか
ボホール島ですボホール島のちょっと脇にちっちゃな島があって
ちょこちょこありますねなんかこの西武島の間ですか
空港がある島があるんですけど
ボホール島の左下の方にアングラオ島っていうのがあるんですけど
ありますあります
ここがリゾートが固まってるところでここもフラットなんですけど
やっぱりリゾート化されるところっていうのは島の南側になるんですかね
そういうわけじゃないですかね穏やかなのかな地形が
ここビーチがすごくホワイトビーチですっごい綺麗なんですよ
真っ白なビーチが珊瑚のビーチになって
ここで走ってちょっと練習を再開してたんですけど
ここに限らずあれですね
ランナーランニングやっててよかったなと思うんだ
出張が僕多いんです出張行った先であちこち走れるっていうのは
本当に知らない街を走るっていうか
一番ランナーやっててよかったなと思う瞬間ですね
そうですね
そういう時って元のところに帰ってこれます
単純な話ですいませんけど走り出して
Googleマップさあれば大丈夫ですか
Googleマップ聞きますかどこでも
全然何十キロも行くわけじゃない
帰ってこれるんかなと思いましたけど
今時だったらストラバのヒートマップあるじゃないですか
セグメントもあるので
ヒートマップだったら安全っていうか人が走ってるからね
いいですね
そこ行けばそんなに危ないところには大体行かない
野良犬とかには追いかけられたりしますけど
しょうがないですねそういうところはですね
危険な思いはしたことないですね
いいなと思いましたありがとうございます
また来週またフィリピン
フィリピンですかフィリピンまでっていうのはジャカルタからフィリピン
フィリピンといったら例えばマニラとかは日本からすれば
ちょうど中間地点ぐらいですか
ちょうど中間地点ですジャカルタマニラが4時間で
マニラ福岡が3時間半でほぼほぼ中間です
じゃあフィリピンに行くことっていうのは割と多いんですか
そうですねもう月に1回は入ってますね
またここでも走るコースがあったりするんですか
マニラはそうですね
前はもう昔6年間ぐらい住んでたんで
その頃は外を走ってたんですけども
ちょっと今はどこ行ってみるかなって感じですかね
町中だから
町中で空気も良くないんですよ
ジャカルタの方がよっぽどマシな感じなんで
何回か走ると思うんですけど
分かりましたありがとうございます
じゃあまた来週再来週もよろしくお願いします
よろしくお願いしますありがとうございます
失礼しますお疲れ様でした
俺もネイザーしてたからね
ジロちゃんね
だからねそうは言ってもちょっと頑張りたいんで
自分が今耐えれるメニューを作ってって言って
いろいろ話し合いながら作ったんですよ
だからちょっとそれをね今やりだしたところ
まだやれてないですよやりだしたところです
すごいね
ちょっと頑張りたいなと思います
いや本当なんかね気持ちよく走れないんよ
この間その下りはどうやった
いいことに下りはここ一番ちょっと頑張ってみようと思ったら
前と同じ速度で行けたんですよ
後ろで下り自慢みたいな人が結構割と頑張ってついてきてたんですよ
じゃあ今ちょっとやってみようかなと思ったら全然いなくなりました
怖さはなく行けた?
怖さはないですね
ぐらついたりしない?
角度によりますね
走れるような下りは怖いです
落ちていくような下りは大丈夫です
そっちは得意やもんねそっちの方がね
そういうのはもう全然足さばきだけで行けました
でも走れる下りはちょっと怖いですやっぱ
グリーンって行きそうでね
テーピングした?
テーピングしましたよ
でもなんかあれでしょあんまり伸びないやつでしないといけないの
テーピングの種類が
でも伸びないやつですると固定されすぎた感じでちょっと嫌だったんですよね
僕はガッチのやつではやらないですよちょっと伸びるやつです
僕も普通のテーピングでやりました
1000より全然やっぱりした方がいいです
安定感がある
それでちょっと今組んだんでちょっと頑張りますよ
ちょっと前のガーミン出して別アカウントつけて
それでこそれにしようかなと思ったけど
すごいこと1000
僕は結構筋トレやってますよ
筋トレ?
あそこ見てください
腹筋代出してるでしょ
あそこは足を
でもあれは逆に俺は手で持って足だけを上に上げます
足はかけないですよ
手で持って足を腹につけてさらに上にギュンって伸ばして
伸ばすってやつをひたすらやってますよ
まじか
なんかね上り登った時に体幹も全然良くなくて
腹とか背中の筋肉もなんか押してるんで
しんどいんですよ上りが
ちょっとやっぱり筋肉つけないなと思って
背中は大事ですね
続いてのコーナーは九州のトレラン会を
霊名機から牽引してきたレジェンドスカイトレールの
新山壮一郎さんと九州のトレラン霊名機をお届けしたいと思います
壮さんこんばんは
こんばんは
よろしくお願いします
よろしくお願いします
初代アドベンチャーマウンテンが2016年でしたっけ
プレー大会が2015年っていう風に書いてた
そうですね
でもその頃には回数もセキュアはこなしてた時期だったんじゃないかなと
こなしてた感じですよね
セキュアに次々のスカイトレール主催のレースとして
初代アドベンチャーマウンテンだったんですか
その後は五木村の方が先ですね
五木村こちらはどんな内容ですか
キングオブ五木ってマウンテンバイクとの複合レースをやったのが
セキュアの後ですね
マウンテンバイクつながりでクロスロードバイシックルの宮本さんと一緒に五木村
五木村はもともとそこもマウンテンバイクのコースがあって
ちなみに壮さんマウンテンバイクされるんですか
いやいやいやしないんですよ
ただ最初トレラン始めた頃
元々兄がトライアスロンをやっていて
最初セルフディスカバリアドベンチャーで
大瀧村のトレランを紹介してもらって一緒に行こうよって言ったのが最初で
その後また義理の兄から今度は丸沼の方で
オフロードのトライアスロンがあって
そこはマウンテンバイクがレンタルできるから一緒に行かないって言われて
感度の高いお兄さんですね
そこで初めて本当レンタルバイク自転車なんで
そこで初めて乗って
トップは自分の半分のタイムでゴールするぐらい
自分はもう下りとかが怖くてですね
マウンテンバイクは無理だなと思いながら
握力が要りますよねバイクって
練習は一応兄さんからマウンテンバイク古いのを借りて
平坦な埼玉をぐるぐる走ってただけですけど練習
一応山での練習は全くなかったんでですね
そんな無謀な
だからマウンテンバイクは実際やってなくて
そこも敵や繋がりでマウンテンバイクの大会
そこも最初から一緒にやるっていう設計だったのかな
五木村
まあまあ五木村遠くないですか
多いんですよねだからそこは大変でしたね
もう本当
この翔太さんも今もボランティアしてもらってる
私の幼馴染が
彼は幼稚園の頃からずっと一緒で
高校までずっと一緒だったんですけど
大学で一旦別れて地元で役所に勤めてるので
いろいろとこういう地元でのイベントとかも
お手伝いしてもらって
五木村はよく2人で車で行って
ステップつけたりいろいろ整備やったりしましたね
じゃあそれが2つ目の大会
そうですね何年かが出てくれば一番いいんですけど五木は
何回か続けられたんですか
そうですね3,4回はやったと思うんですけど
そこはマウンテンバイクの方が
ちょっともう人数が集まらないっていうところで
一緒にやっていたイベントだったので
そこもコロナ云々が始まる前々前ですけど
ちょっと大会を一旦中断しちゃいましたね
その名称がキングオブ五木
キングオブ五木ですね
もしかしてフェイスブックとかで検索すると
何かしら出てくるかもしれないですね
じゃあ当時はバイクとトレランをセットでやるっていうスタイルで
1回2回というふうにやられてきて
そこからが商代アドベンチャーマウンテンですか
そうですねその後が商代山で
最後に私が携わったイベントが
佐賀の上峰町っていうところの
椿の森トレランっていう
今でもありますよね
ありますあります
そこはもともと案件としては
突販印刷さんが上峰町の案件をコンペで取得されて
それはもう地域創生か何かですか
地域おこし的なイベントですか
そうですね
年間を通じてトレラン以外にも
いろいろと取り組みをされてたんですけれども
そのトレランだけがずっと残って
後々その翌年もイベントとして続いていったという中で
確かに見た目がブランディングされてましたもんね
あの大会って
デザインが入ってましたもんね
そうですそうです
もう突販産が引きされてるデザイナーさんとか
いろいろとやっぱりプロデュース力が
でしょうね僕もデザインの仕事してるので
いろいろ見る中では上峰町のやつは最初から
デザインありき的ななんか打ち出し方してたんで
なんかどっか入ってるなーって思ってました
何箇所Tシャツから結構力入れられてましたもんね
最初の年は光る塗料で背中にデザインされて
確か夜でもキラキラ光るような
サンカティですか
そうですそうです
上峰町Tシャツがですね
確かバック後ろか前かどっちかだけだったと思うんですけど
そういう特殊な塗料を使ってされて
デザインもすごく可愛らしい感じのデザインで
今でも続いてるロゴですよね
大会のメインロゴになっているところを
バックTシャツにドガンとプリントされていたのが
翔太さんアドベンチャーマウンテンは
どういう経緯でこれ始められたんですか
そうですね結構翔太山は大会ではなくて
お店のイベントでよく使っていた山だったんですね
イベントで何回か通っていく中で
逆に最初は自分も日本トレールランナーズ協会にも入っていて
その協会が立ち上がった経緯が
あそこの鎌倉ですかね
で接触事故というかトラブルがあって
鎌倉さんがちょっと一人では戦えないというか
その表現難しいんですけどやっぱり組織がなかったので
組織をもってトレールランっていう
当時は問題から立ち上がったんですけど
問題に対して組織で立ち向かいましょうじゃないけど
当時一番最初は未来のトレールランニングを考える会みたいな
協会というよりもそういう会からスタートしたんですよね
そこでやっぱり多くハイカーが集う山は
まずトレールランの大会には向いてないという
決まり決め事っていうかそういうのがあったので
根深いところありますもんね
やっぱり九州で言うと九州の山とか阿蘇とかですね
観光の人たちが多く集まるような場所はやっぱり
ちょっと厳しいかなっていうのがありましたけど
そんな中招待山も結構なハイカーがいらっしゃってですね
地元から愛されてる山ですからね
そうですねだから大会は無理だなと思ってたんですよね
それでイベントとか複数人連れていく中では
参加者とかに呼び声掛け合いながら
ハイカーさんいたらちょっと歩きましょうねとか
そういう啓蒙を含めた形でイベントも行えたんで
まだ良かったんですけど
さすがに大会とまでなるとちょっと厳しいだろうなっていうのがあったので
当時いろいろとそういう関羽ヒルズとか
植木村とかやってたんですけど
大会作りっていうところには発展しなかったのが
ハイカーさんから逆に何か言われたんですよね
大会とかやればいいのにみたいな
ちょっと具体的にどういう会話から
どういう話になったのかあれですけど
そこがやっぱり一番最初のきっかけだったんですかね
じゃあもう日頃からその
言ってるようなハイカーさんたちが
わりと認知してくれてたっていうことですよね
もう捜査の活動なり
捕れるランニングの人たちっていうのを地元の人たちが
たまたま招待山で活動をしてたグループが
オオムタハイキングクラブっていうのがあって
100人ぐらいのメンバーを持つ団体があって
そこに私の母が参加してたんですよね
それでちょっと私なんか顔とか母寄りの
もう見たら分かるんですね
顔をかざしてるのかな
山に会う人って誰も私のこと知らないはずなのに
いきなりしーやまさんって呼ばれたりとかして
じゃあもう売り二つじゃないですか
それでやっぱりしーやまさんのところの息子さんでしょみたいな話になって
なんでですかって
世に居とるもんとかっていう話で
それでそういう間柄もあって
ちょっと話が発展していったのかなと思うんですけど