愛知県に行くっていうことなので、
最後、斉藤くんとはここ1,2年仲良くさせてもらってるんで、
最後、ゲストでお呼びしました。
ありがとうございます。
斉藤くんは、僕らとの出会いは、
筑後川原流トレイルだよね?
はい。最初に会ったのはそうです。
あれは去年おとどしか?
はい。
2023年?
23年ですね。
23年の半田くんがやってた筑後川原流トレイル。
北であったトレイルランニングのレースなんですけど、
そこで僕と友野さんも出て、
コーヒーの出店というか、ブースを持たせてもらって、
その時に斉藤くんが仲間と来てくれて、
ラジオ連のゲストで、僕らの先輩の瀬田さんをお願いしたいんですけど、
って言って来たのが、斉藤くんとの初めての出会いなんですよ。
それをさっき僕と友野さんと、
斉藤くんってあの時が初めてだよね?って言ったら、
友野さんが、え?あの時の彼が斉藤くん?みたいな感じで、
ちょっとうる覚えだったんだけど。
そうなんよね。
ラジオ連を聞いてますって言って、初めましてって言って、
何歳?若いねって言われて、大学院生ですって言って、
じゃあ斉藤くんと同じくらいだね?みたいな感じで言われた時に、
先輩なんですよって。
そうやったよね。
そろそろ卒業しますよって言ったら、
じゃあ収録しないとなっていう話になった気がする。
そうそう。
あれも斉藤くん、まだやってなかったんですよ、僕ら。
で、斉藤くん、話したいねとはずっと言ってたんで、
斉藤くんがそうやって言ってくれたきっかけで、
斉藤くんに声かけて、最後ギリギリね、
福岡を離れる前に収録できたんですけど、
2年して斉藤くんが同じような感じでね、
こうやって出てくれるようになったんだけど、
あの大会もかなりローカルな大会だったじゃない。
斉藤くんのように若い人がトレーラーのレースに来ることっていうのも、
最近増えたけどね、前はそんなになかったし、
よくあんなローカルなレース見つけたね、あの時。
あれどうやって見つけたのかな。
多分誰かがストーリーかなんかにあげていたのを見て、
ちょうどトレーラーをやってみたいっていう1個下の後輩がいて、
20キロくらいを探してたので、ちょうどいいじゃんって言って、
一緒に行こうってなりましたね。
そうそう、斉藤くんのように若い人たちがあまりローカルな大会に来るって、
なかなかないからね、珍しいねと思ったんだけど、
斉藤くん今が24っていうことで、
瀬田幸喜くんっていうね、福岡じゃめちゃめちゃ早いランナーが今ね、
関東の方に行って向こうでもちゃんと結果が出てるんだけど、
そもそも斉藤くんどうやってこのトレーラーをやりだしたの?
トレーラーをやりだしたのは、瀬田さんが1個上の部活の先輩で、
ワンダーホーゲルグね。
ワンダーホーゲルグっていう大学で登山とかハイキングみたいな活動をやる部活動に入って、
やってたのは知ってたんですけど、
そんなに強く勧誘とかはされたわけじゃなくて、知ってたぐらい。
僕は普通に部活を4年生で引退して、山が好きだったので、
一人で学校のある日朝早くから行ったりすることがちょくちょくあったんですけど、
一人で行くからあんまりのんびり歩いてもしょうがないなと思って、
サクッと行ってサクッと帰れるようにトレーラーシューズとザック買おうかなって思って、
最初はその道具を買ってたっていう形で。
そしたらちょうど後輩の男の子と女の子2人いて、
その子たちの親御さんがトレーラーをやっている方々で、
その3人でトレーラー部を作って大会に出ようって声をかけられて、
大会とか出れるんだみたいな感じで始めたっていう形になりますね。
ちくご川原流トレイルのどのくらい前?
ちくご川の1年前ですね。
ジュラシックトレイル、2022年のジュラシックトレイルが最初。
そうやって考えるとまだ2年ぐらいなんだけど、
早いんだよね、斎藤くんね。
まあまあ体格がいいというか、
いやいや、早いんよね。
もうちょっと絞ったらもっと早くなりそうなぐらい。
この前も言われました。
ちょっとぽっちゃりなんだけど、すげえ早いんだよね、ぽっちゃりの割にはね。
足がやっぱあるね。
そうですね、足が太いというか重いというか。
足が太いし、後ろから見てても力強いというかね、パワーあるね。
お尻がでかいって言われますね。
山田にサッカー?
サッカーやってて、サイドバックとかをやってたんですけど、
その頃から体質的に筋肉がつきやすいから、もともと足が太くなってて。
で、登山でまたボッカって言って重い荷物を持って登る練習とかをちゃんとやったおかげでまた足が太くなったという感じ。
まあでもある意味、ケツの筋肉もしっかりついてるっていうことだよね。
なんでまたサッカーやってたのに。
サッカーは僕、好きは好きだったんですけどあんまりセンスがないので、大学からちょっと違うことをやりたいなと思って。
で、ハイキングかアーチェリーか、やったことないやつやりたいなと思って。
入ってすぐワンダーホーゲルに入ったの?
新館をいろいろ回ってて、最初は半分半分ぐらいの気持ちで、
友達と軽く行ったらすごい楽しくて、登山やってる人も優しくて、その日に即決して入部しました。
どう?トレランは。
ワンダーホーゲルからトレランって他にも結構いるの?
今それこそトレラン部って言って、ライングループ最初3人で作ったんですけど、
トレラン部のグループ15人ぐらいいるかな。
15人ぐらい確かいて。
トレラン部になるんじゃないの?それ。
ですかね。なんか非公式なんですけど、ライングループでやってて。
ワンダーホーゲル部の中でトレランの大会に出たことある子は多分15人ぐらいはいると思います。
回数は人それぞれなんですけど。
去年僕が骨折した彦三美音入りで斎藤君来てて、
友達も結構何人かいたよね。
あの子たちはワンゲルじゃなくて、普通にクラスとかの友達。
そうなんだ。じゃあどんどん広がっていってるんじゃない?
部活以外のクラスの友達とかでも合計6人か7人くらいは連れて行ってるから。
ここ2年で20人くらい増えたんじゃないですか。
斎藤君すごいよね。結構その辺の巻き込む力。
なんかやってみたいって言われるから、じゃあ一緒に行こうって言って。
斎藤君何がすごいかって言ったら、この若いのに俺らみたいなおじさんの中で、
ちゃんとコミュニケーションとできるんだよね。
だから斎藤君もちろん見た目も若いんだけど、
まあまあ古くから一緒に居るぐらいのナチュラルさがあるっていうか、
溶け込んでるんだよね、割とね、僕らにね。
昔からそういうコミュニティに飛び込むタイプ?
いや、まあでもそこまで、高校までは普通に部活やってて、
大学入ってからでも大きめの部活に、
ワンダーホケル部とバドミントンの大きいサークルとかに入ってて、
言っても5個ぐらいしか離れてないけど、結構幅広い年の人と喋る機会は多かったのかな。
まあでも人と喋るのは得意だったから、っていう感じですかね。
あといろんな人の話を聞くのが面白くて、
トリランやってる人っていろんな仕事をしてたり、
個性的な人が多いからそれが面白くて。
まあでも自分が若い時を考えたら、あんまり年上の人と話すのめんどくさいよ。
まあね、我々は思い出話もよくするじゃないですか。
説教臭いことも言うしさ。
あんまり若かったらめんどくせえな、この人とか思い寄ったけど、
うまいことやるなと思ってね。
たまに思うときはあるけど、まあそんなに気にならなくなりましたね。
九大は一度も入ったことないんだけど、いいね、あれだけ大きい大学ね。
まあいいと思います。
自然も人によるけど、田舎にあって嫌いっていう人と、
僕みたいに山が周りに多くて走りやすいとか、それはすごく分かりますね。
で、今どこに住んでたの?
今は九大学研都市、金戸須仙寺駅とかあそこら辺です。
まあもう歩いて行けるぐらいの感じ?
いや、4キロぐらい離れてます。
まあ、斎藤君なら。
通勤ランしようと思うけど、なかなか続かず。
大学では何やってたの?
科学を、化学を専攻してて。
頭いいんだね。
まあまあ。
いやいや、九大はまあまあですよ。
大学入ってからはほんと山遊びばっかりして、あまり勉強してないけど、それなりに。
元々どこの出身?
熊本の山賀っていうところです。
九州でもトレランコミュニティでは一番活発じゃないですか、熊本ってね。
大会も熊本が多いし。
じゃあもう山ばっかりのところからこっちに来たって感じはね。
そうですね。周りが山だったんですけど、そのトレランコミュニティとか全然知らなくて。
その時はね。
まあでもそれだけあったんだから、何かしら行ってたんじゃないの?山。
うーん、なんか小さい頃虫取りとか竹の子掘りとかをおじちゃんとやってたりして、ばあちゃんの家も結構山の中にあるので。
山の中を一人歩くことはあまり怖くないかなっていうところがあります。
ばあちゃんっていう言い方いいね。
ちょっと方言出てました?
出てた出てた。
ワンゲルブって何人くらいいるの?
昔は僕らの時は60から70くらいだったんですけど、今なんかすごい裾野が広がって、今100人くらいいるらしくて。
それは多いの?少ないの?100人くらいの部としては。
多いです。部活としては多分最大規模。
あ、そうなんだ。
今の一年生が50人くらいいるとか言ってて、出会いの場ばっかりじゃんって言って、いいなって。
まあでもそういうのが生まれそうだよね、女子多いとね。
それも若い子はそういう山とか自然に興味がある子が増えてるってこと?
キャンプとかのイメージですごい自然の遊びがいいイメージがついてるのと、
あとSNSが発達してるから新刊のためのプロモーションビデオとかをインスタとかで見て、ドローンで撮った映像とかを見て。
結構上手にやってるんだ。
集まってくるんですよ。
部活の勧誘というかPVがさ、プロ級というかさ、コマーシャルレベルなんよね。
すごいね。
アルプスのドローンとか、そういうのを見たら入りたくなる。
確かにね。
だからやり過ぎないといいんじゃないって言ってるんですけどね。
普通に大学生のクリエイティブってプロ級ですからね、何にしても。
時間たっぷりあるからね。
そんな時代か。
あと一つ思い出したのは、僕高校熊本生成高っていうところに通ってたんですけど、
裏山がたった100があっている辰田山っていうところで、
そうなんだ。
冬の体育の時は毎回辰田山まで走らされるんですよ。
だからトレーランっていうか林道を走るみたいな感じではあるんですけど、
山を走るのは嫌いだったんですけど、よく考えたら高校の時からやってたなっていうのはあります。
辰田チャレンジ出たことある?
この前。
この前出たんかね。
一緒に。
そうだそうだ。
出たんだ、出たけどね。
あれなんで起源したんだっけ?
あの時は、一つは怪我が、もともと怪我してたのがあって、
熊川の100キロのために酷くならないようにも痛くなり始めたっていうのと、
前半飛ばしすぎて普通にちょっと体調が悪くなって。
雨降ってたしね。
冷めきったまま飛ばして脱水みたいになって。
そうなってたね。
最後の5周目か何か石川さんと一緒に歩いてすいませんって言って。
そうだそうだ、思い出した思い出した。
あれ結構難しいからね。
だから来年戻ってリベンジ。
するんだ。
言ったんで。戻ってこないといけない。
2年こっちでトレラン出会って、トレランやって、いろいろ大会出て、
愛知に今から行くやん。
どうこの2年間の思い出、振り返ってみて印象に残ってることってある?
そうですね、印象に残っているのは、
トレラン、ランナーさん、トレイルもマラソンもですけど、
ランナーの人たちがすごい温かいコミュニティっていうのがすごい強い印象で、
自分が去年の夏に糸の国トレイルで大会を実行委員長としてやらせてもらったときに、
すごいいろんな人が助けてくれて、
無事成功みたいな感じで終わったんですけど、
実は裏でいろいろハプニングが起きてたんですけど、
ボランの人たちがポイントポイントで対処してくれて、
なんとかなってたっていうのを後々分かって、
それでも何一つ言わずに、よく頑張ってね、成功してよかったねって言ってくれるのが
すごい温かいなと思いました。
もうちょっと細かく言うと、
檜山。
糸島の方の檜山っていう、標高どのくらいの山?
標高は150か60メートルくらい。
低いけど山頂とか上に上がると海が見れる。
糸島のロケーション独特の山というか、楽しめる山で
斎藤くんが割と陣頭式を取ったくらいの勢いで、
ボラとして大会運営に関わったんだよね。
その大会が初めての大会ということで、
斎藤くんが自分の陣脈をフルに使って、
みんなに呼びかけて、
コース整備から当日のボランティアから出場されるエントリーを呼びかけて、
結構僕らも見ててね、
すごいよく動いてるなっていうふうに見ててさ、
また斎藤くんがその前にもね、
いろんな大会で協力してくれたりとかさ、
出てちゃんとコミュニケーション取ってるから、
周りのランナーたちの応援もすごかったよね。
デップさんとかもね、出てくれたりとかしててね。
デップさんも言ってたよね、
なんかすごい若い斎藤くんみたいな若い人が、
そうやってやってるのはやっぱり支えたいみたいなと言ってたんで、
あれは本当僕らも見てて、
すごいなっていうふうに思っとった。
でもあっという間の半年、
半年すごい力を入れてやったんですけど、
あっという間でしたね。
コース整備もね、
ごめんね、一回も行かずに。
本当申し訳ないね。
毎回行きたいんやけど、毎回重なっちゃってて、
本当申し訳ないなと思いながら見てました。
大変だった?
結構大変でした。
初回っていうのがあったんで、
ノウハウがなかなかなかったところと、
最初大会がやるって決まった時点で、
ほとんど大人の人とあんまり人脈がない状態だったので、
そこから本当にいろんなイベントとか大会にエントリーして、
ちょっと協力者増やさないとこれはやばいぞって思って、
やったのが結構。
やっぱりね、自分がやっとかないとね、
選手としても遅かったら説得力ないし、
コース作るのも自分がコースを作ったんで、
いろんなコース走らないとちょっと分かんないところがあるから、
半分焦りながらずっと出れるところとか行けるところにはなるべく行くようにしてっていう感じですね。
あれ何人だったの?
250人でエントリー募集して、
結局締め切り2週間前くらいに達して、
ちょっとオーバーで取って260人くらい取ったんですかね。
第1回目にしてはね、成功。
大きな事故も怪我もなく。
でも第2回大変ね。
斉藤君の頑張りを見るとね。
あれは今後はまたその旧代の後輩たちが携わっていく?
今は運営側でちょっと検討中なんですけど、
実行委員のメンバーのうち半分が一旦福岡を離れてて、
そういうところがあるからちょこちょこ話したりはしてるんですけど、
具体的にいつ頃第2回とかの話までは行かれてないですね。
でも選手で出る楽しみはもちろんやけど、
大会を作るっていうのも体験して、
この2年すごく濃かったんじゃない?
特にこの1年がすごい濃かったですね。
なかなかトレーラーをやってて2年3年って経ってて、
もう運営に回る人っていないかなね。
ないですね。
そういうのに携わる機会ってね。
その当日のボラとかはね、みんな経験あるだろうけど、
長い時間運営っていう視点で動く人っていうのはなかなかないから、
いろんなもの見れたね。
そうですね、いろんなもの見ました。
僕も大会を運営側でやるって決まらなかったら、
ボラも行ってない、行ったことなかったし、
そういうのを実際にやってみて、
自分が今走る大会でやってくれてる人に対する感謝の気持ちが増しました。
そこだよね。
その視点を体験することによって、
改めてそうしてくれてる人たちのありがたみっていうのが分かるよね。
大会を走るのがもうちょっと楽しくなりましたね。
ここ2年、斉藤君がどんなレースに出てきたかっていうのをざっくり見ていくと、
まあまあな成績だよ。
上位5%くらいには常に入ってるんじゃない?
やっと安定して入れるようになったかな。
ほぼほぼ一桁ばっかり出してさ。
早い早い。
その中でも目を見張るのは海外レース1本。
これは?
これはスイスピークスっていう大会の100キロカテゴリーなんですけど、
去年大学の研究で留学に1ヶ月スイスに行った時に出てきました。
すごいね。
ラッキーでした。
ついでにね。
あくまで学業がみんな。
でもね、行き帰りがやっぱり金かかるからね。
せっかく行くんだったらちょっと出れるレースないのかなと調べたところ、
このスイスピークス100があったと。
っていうところで、100キロ完走ですよね?
完走です。
もう完走と楽しむっていうのを目標にいって。
どうだった?初海外レース。
いやーちょっとすごい楽しかったですね。
天気良かった?
天気も良かったんですよね。天気も良くて、
雰囲気とか景色のスケールが違うのに圧倒されて、また行きたいなーってなってる今日この頃です。
苦労はなかったの?
苦労?
もう楽しいばっかり?
そうですね。途中で筆形のレインを落としちゃったりして。
レインがなかったら困るね。
そうなんですね。夜に10キロくらいの時に、外国人の人からチャック開いてるよって言われて、
見たら開いてて、その時に落ちたんですよね。最初の時。
で、ドロップに行った時に気づいたんですけど、
その時も夜になってて、その夜、ドロップの後に2000メーターくらいまで一回上がって、
気温が一桁とかだったんで、これ大丈夫かなーって思って、
あんまり厚着の羽織るもの持って行ってなかった。
2個はあるけどね。
そうなんですよ。だからそこで結構いろいろ考えたりして、
ドロップパックにあった服とかをいろいろパッキングし直して、
ペース描かないように、そこからペースかなり落として迷惑かけないように、
失格になったり大会に迷惑かけないようにって感じでゴールしました。
結果的にはどうだったの?
結果的には順位は120番くらいでゴールしたんですけど、
何時間かかったの?
25時間くらいだったかな。
エイドでも寝たりして、朝ごはんとかもエイドでゆっくり食べて、
楽しんでね。
25時間くらいだったかな。
若い子に対してトレランへの入り方っていうか楽しみ方みたいなのがね。
それはダイレクトに伝えていけばいいと思うけど。
もしそれを聞いてやってみようかなっていう人は聞いてないよね。
まだね。
やってる人ですね。
誰々さんが出てるよって言ったら聞いたりしてるんですけど。
毎週のように聞いてる人はあんまり聞かないよ。
最初はトレランの大会の名前とか人の名前がわからなさすぎてついていけない。
ある程度実際に行って誰々さんがこの顔なんだとかSNSでこの顔なんだってイメージ湧くとすごい話が入ってくるんですけど。
顔がわからない。
僕も最初石川さんと友野さんの顔知らなかったから。
どういう人なんだろうっていうところがあってあんまり話が入ってこなかった。
インスタを見てフォローして喋ってるイメージが頭の中に湧いて。
僕らも他のポッドキャストを聞いた時にコミュニティの名前とかがバンバン出てくるじゃない。
わからんやんね。
楽しめるところはあるよね。
しょうがないよね。これはうちうちのローカルの盛り上がり的なものはあるからね。
実感としては若い人やりたいとかやり始めたみたいな人は増えてる?
増えてますね。絶対増えてると思います。
陸上経験があってトレランやりたいっていう人とか。
マラソンを趣味で始めたので一緒にやりたいとかいう子が結構声かけてきてくれてて。
そういう人は本当にこの2年でだいぶ増えたんじゃないかな。
やっぱSNSとかでそういうのを見る機会が増えるから
走れる子がちょっとやってみたいな気になるのかもね。
僕が別に誘ってるわけではないんですけど、毎週楽しそうにしてるから。
それってなんか面白そうって。
楽しそうやもんね。基本的に。
基本的に採読もそうやしやっぱトレランやってる人たち。
そういう発信をやっぱりみんなやっていけばちょっとずつ増えていくかもね。
身近な人がやってたらそれはやれるんだって自分にとっても身近なものと思えるよね。
そうじゃないときは強靭なことをする人たちって世の中の一部の人なんじゃないかなって思うけどね。
マラソンだってそのくらいの勢いで思ってたもんね。
フルマラソンとかとんでもないとかって思ってたけど。
だんだんそういう人が近くにいるとね。
あの人ができるんだったらできるかもなとかね。
いうのはあるよね。特にねちょっとぼっちゃりした採読家はね。
話それるんですけど、MEGさんっていうじゃないですか。
MEGさんはもともとヤマップで知り合ってて。
僕はトレラ始めてる時期だったとは思うんですけど、短いのばっか出てて。
MEGさんがだんだん長いのに始めて。目標100キロとか言って。
すごい長い熊川リバイバルとかに出てて。
もともと運動経験なしとか書かれてて。
主婦にできるなら俺もできるんじゃね?みたいな。
それこそラジオでも聞いてても、50代の人が100キロとか100回りいけるなら、いけるんじゃね?って思って。
そうだよ。
それで中川さんがよく言ってるように概念が壊れたというか。
できるんじゃないかなって。
そこ大事よね。
それこそ今月のスーさんが、熊川さんがマイルで走れるんだったら俺にもできるんじゃないかなって思ったんで。
これ我々の役目結構大きいんじゃないですか。
大きいよ。
希望与えてます。
あいつらがやれるんだなっていうのはね。
私の役目はそれやん。
でもマラソン4時間40分やったけんね。
マラソン4時間40分でも100マイル走れるんですねって言われそうやね。
それ売りにしていこう。
俺マラソン4時間40分やったら、ガチでその総力と思った人が、中川さんなら3時間半の足ありますよって。
ですかって。
本気で言われた。
ですかねって。
頑張ります。
頑張りますよ、俺も。
今後の目標は?
今後の目標は、具体的にこれって決まってるわけでもないんですけど、100マイルを1,2年いないくらいに走れたらなって。
そんなに急ぎでは思ってないけど思ってて。
残しとった方がいいよ、もうちょっと先に楽しい。
しんえつとかすぐ行けるじゃんね。
しんえつとかああいうのも出てみたいから、この前スイスで走ったのに影響されて、初マイルは海外で走りたいなと思ってるから。
先にそれやらないと国内の出たいやつが出れないから。
出たい時に国内の100マイルに出れる、いつでも出れるようにするためにさっさと海外で100マイルやっていこうかな。
やれるかわかんないけど。
海外あるしね、いろいろね。
行きたいなと思ってますね。
それこそサポーターズプログラムで配信しているなおとりさんの東南アジアトレイル情報では割とそういう情報も発信してくれてるんで。
結構あるんだよね、やっぱね。身近に行けるところで。
いいんじゃないですか。
楽しみですね。いつまでにするとかはまだ決めてないです。
そのうちね、ハートとかいろいろ出た時にはまた出演して。
僕結構熱中してぐわーってやるタイプだから、いつトレラン熱が冷めるかわかんないから。
なんかやれるうちにやっとった方がいいかなとか思いつつ。
たぶん周期的にまた戻ってくる時期はあるんですけど。
なんか他に興味が、頑張ってする可能性はあるよね。
今だってまだ二重志望だしね。
それぐらいの方がいいかもしれない。
バックカントリーに行ったりとかさ、何でもまだできるしさ、サーフィンとかね。
そう、やりたいことはいっぱいですね。
お金と車が手に入るから、そしたらまたいろいろやれること増えますね。
僕らはもう3歳取りしかないもんね。
そうよ、残された道は。
頑張ってね、健康でね。
健康で。
当面はまだね、事故の確立っていうか生活を安定させてしっかり仕事して、いろいろ今から可能性ばかりだ。
いいね、ですかね。
じゃあ仕事は4月から?