私の愛しいアップルパイへ。来月5月に日本に一時帰国するんですけれども、日本に帰ったら絶対やりたい意外なことの一つは、日本の美容院で髪を切りたい。
ああ、わかります。それはわかる。
jMatsuzakiです。
今ちょっと西市がですね、義実家のおじいちゃんに会いに行っているんですけども、久しぶりに一人暮らしを堪能しつつ、
結構やることが多岐に渡って、特に絶え間なく玄関先で大和運輸さんとかに対応すると、結構仕事には上がってくるんだなぁと思っております。
はい。今回はですね、結構攻めてみようと思います。
僕らは長くですね、タスク管理、仕事事務とかの話をしてきてるじゃないですか。
本当にたくさん相談を受けたりとか、佐々木さんは個人セッションとかもされてますし、僕もいろんな講座をやってきまして、
仕事が遅い人の特徴っていうのがちょっと見えてきたなと、ここに来て思うんですよ。
この仕事なりわえにして14年。
これね、ちょっとね、ミイラ取りがミイラになる的なところもあるんですけど、
でもね、これはもう正直に言わないといけないなと思いまして、発表するんですけれども、
仕事が遅いなってハマり込んでしまう人の特徴はね、タスク整理する人です。
だからね、僕もね、いや分かりますよ、タスクを管理しましょうと。
タスクを整理してね、可視化しましょうと。で、今やることを見極めてそれをやりましょうとってね。
もうね、何百回と500回は絶対言いましたね。
もうそれどころじゃないですよ、多分5000回くらいってかもしれない。
はい、言ってきましたけど、やっぱね、これね、すいません意味ないですわ。
これ多分ね、あのね、むしろね、仕事を遅くすることの方が多いっていうことがね、僕の中ではもう分かりました。
で、タスクの整理もそうなんですけれども、特に注意してほしいのは細分化。
これもうね、細分化ってワードが出たらね、ちょっと注意ですね、僕の中では。
整理の中でも細分化ね。
もっと言うとですよ、よし、これから仕事しようと。
それからこれからタスクこなそうと言うときに、じゃあまずは細分化しよう。
これが一番やばい。
とりあえずこれを避けてほしいんですよね。
仕事をやるときにですね、まずはタスクを整理しようから入ってしまう。
で、それが整理のプロセスの最終的な落とし所として、タスクを細かく細分化しよう。
で、それを仕事が始まる前にやるっていうこの3拍子揃ったらもう仕事一切進みません、これじゃ。
はい、これ何でかっていうとこれは僕自身もやっててよくわかりました。
まず一番の落とし穴はタスクを整理して細分化して次これやろう。
これで若干仕事した気になっちゃうんですよ。
そこもないんですよね、実際にやらないといけないことってその時点で一歩も進んでないじゃないですか。
整理して細分化して次これって。
これ多分それなりに時間かかるんですよ、多分。
何分かかることもあるし、結構プロジェクトみたいなレベルだと割と20分とかかけて結構細かく細分化したらね。
で、しかも僕なんかは昔はすごい完璧主義ですごいかっこいいテーブル作ってケーセンとか完璧に敷いてたんで。
こういうことやるやつともうそれだけで30分とか1時間とかかかりかねない。
もうこの時点で何も中身進んでないのに仕事した感出ちゃうじゃないですか。
進捗ゼロで時間だけ使ってもう今日はいいやっていう実質先送りみたいな。
これ辞めるだけでも大分変わると思いますよね。
なるほどね。
要するにね、これをなぜやるかというと仕事そのものをやりたくないんですよ。
そうなんです、そこにまず気づいてほしいんですよね。
でもね、これ不思議なんだけど今ジェイさんがおっしゃったみたいに僕は1時間そういうことをやってることあんまなかったけど1時間とかやりかねないわけですが、それは仕事を10分やるより大変なことはやってるんですよね。
間違いないです。
これはね、だからね、どうしてそんなに仕事そのものをやりたくないんだろう人はって僕は時々考えたりはしますよね。
今の話を伺ってて、これはね、ある種の方法をやっぱり何か切り込むようなことになっちゃうんだけど、やってうまくいってる人にそのやり方を放棄しましょうというつもりはないんですけどね。
文章を書くってあるじゃないですか。
はいはいはい。
これも僕もね、結構いっとき、本当にいっときなんですけど、ジェイさんじゃないですけど、その白紙に書くのはつらいっていうのにね、はまってたんですよね。
わかります。
はまってたんですよ。で、なんかね、下書きがあると書きやすくなる論みたいなのがあるんだけど。
ありますよね。
その下書きを書くと書きやすくなる論に引っ張られて、あのアウトライナーってやつが出てくるんですよね。
過剰書きなら書けますみたいな。
どうして過剰書きを書いてまで本文を書きたくないんだ我々はっていうね、物書きになりたいとか言っておきながら、何なんだろうなこれっていうね、思ってたんですよ。
僕は一切やめようって思った瞬間が、震災直後ぐらいからあってね。
だってね、なんかね、思ったんですよ。震災の時のことはしょっちゅう喋ってるからあんまり言いませんけど、大橋英宗さんと二人でね、ランチミーティングとショーして飯を食ってたら、バイキングみたいに揺れ始めたわけですけども。
はいはいはい。
もうね、この、いつ本当にある意味どんな目に合うかわからないのに、アウトライン書いててどうするんだろうって思ったんですよね。
思ったんですよ。その時に思ったぐらいに思ったんですよね。
アウトライナー使って文章書いてるうちに地震で死んじゃったら結構後悔するなって思ったんですよ。
それだったらせめて文章書いて死のうみたいに。
で、あの震災明けで仕事するようになった時に、白紙から絶対書くっていう風になったんですよ。
人文字目から打っていくんだっていうことに決めたんですよ。
ワードのワードじゃなくてもいいんだけど、白い紙にひたすら打っていく。
それがこう、ダメだろうと、だぶんだろうとそんなことはよくて、とにかくそれは文章を書いているんだから、
その下書きの修正とかアウトラインに肉付けとかそういうことではなくて、ちゃんと文章を書こう、文字を打っていこうっていう風に決めたんですよね。
以来僕は文章を書くっていう仕事に対する拒否感がなくなりましたね。
これはもうなくなりました。その辺の頃から。
急速になくなっていって、書くのが辛いとかいう感覚からはおさらばできて、
あれはすごい震災体験の中で抜群に良かったことの一つだと今でも思ってます。
書けなくなることはない。あれ以来思うようになったんですよね。
それ以来、毎日絶対書くってのをやめたんですよ。
毎日書かなくても書けなくはならないっていうことに気づいたんです。
拒否感ってものさえ出なければ。
よく言うんですよね、アウトライナー作っておかないと前後が崩れてきたりして、
リライトしなきゃならないくって二度手間になるとか、ちゃんと整理が整ってないとか。
でも僕は思ったんですよ。整理が整ってるかどうかよりも、文章を書くことの方が大事だって思ったんですよね。
本ってのは必ずしも一冊丸々きっちり整理されてるものばっかりじゃなくて、必ずしもそれが一番いい本でもなくて、教科書とはまた別なんでね。
教科書書くとか辞書作るっていうのは話違うかもしれないけど、文章はそういうもんじゃないから、
一つ一つ書いていかなきゃいけないっていう、その繋がりが途中で寸断されるような真似をわざわざ自分ですることはなくて、さっきジェイソンもおっしゃったような、
トップダウンで細分化して、その材料を揃えていくようなものを作るのと、この作業は異なるもんだって思うようになってから、書けるって感じが得られるようになりました。
これが、だからやっぱり同じ意味でお勧めしたいのは、本丸から書くってことなんですよね。ちゃんと書くって作業をスタートさせる。
それはね、やっぱり一緒ですよ。拍手のこのタイムラインに音符を打つのが怖い。それの拒否反応ですね。
なるほどね。
お茶にごしちゃうんですよね。
なるほど。
特に曲を作るときなんかですね、もう顕著なんですけれども、実際に音符打っちゃうとそんなにかっこよくないっていうことがわかってしまうから、拍手が怖くなってしまうんです。
みんな同じだよね。これ何なんだろうね。
作品の性差を目にしたくないから違うことや。
そうなんです。これもう全部一緒。メールとかでもやっぱり一緒ですよ、多分。
一緒だよね。
メール書くとかも。
これね、辞めるだけでもずいぶん違うと思いますね。
もう一回ちょっと繰り返しみたいになっちゃうんですけど、この文章を白紙の上に書いていくのが辛いという思い込みっていうのは、本当のところはですね、アウトラインを書こうと何しようと消えるはずがないんですよ。
辛いと思ってるわけだから。
辛さっていうのはですね、例えば1時間経ったのに1行だったとか、そういうことによって自分が辛い目に遭っているって思っちゃうらしいんですけど、本当にそうなのかどうかをやっぱり何回か体験していただく必要があります。
実際そういう日は来ますから。1時間経っても1行とかいう日は来ますから。
それが本当に、その代わりに整然と並んだ100行ぐらいのアウトライン、ワークフローイとか、いろいろありますけどダイナリストとかそういうものができたほうが本当にいいと思うかどうかっていうのを、やっぱり一度ちゃんと考えてみたほうがいいと思いますね。
私その100行のアウトラインとか使えた試しがないんですよね。
それがその後文章になったという経験がなくて、文章は文章として残るはずなのに、アウトラインが何行残っても文章にはならないんで。
そのアウトラインをね、そのまんまブログにすることもKindleに置くこともできないんですよ。売り物にもはもちろん全くならないしですね。
そうそうそうそう。
そういうことをよく考えてみたほうがいいと思うんですよね、やっぱりね。
本当にね、アウトライン、それこそ本文を書くことに対する拒絶反応としてアウトラインを書いてるわけじゃないですか。本人はそういう自覚はないかもしれないけれども。
でもアウトラインを書いてるっていうことは巧妙に一番怖いところを避けてるわけですよね。
一番怖いところに切り込んでない以上、やっぱりそうやって何の意味もないんですよね。
結局どこかでその一番拒絶反応が起こる本文を書くっていうのはまず絶対どこかでやらないといけないじゃないですか。
そう、やらないんだったら本になりませんから。
そうそうそうそう。絶対そこからもう攻めたほうがいい、本丸からっていうのが一つ。
でそれからね、僕はね、こういうことをもう何年も続けてきてアウトラインとか事前設計するとか事前にデザインしてそれを形にしていくみたいな。
まずは設計書でそれに実際に中身を作るっていうことで2階ものを作るみたいなこういうことをあらゆることに対して僕は何年もやってきたんですよ。
もう十何年やってきてよくわかったのはこれね、後から勝手にアウトラインがあったから本文が書けたって勝手に思い込んでるんですよ。
これね、何の繋がりもないんですよ。書けた暁には事前にアウトラインいっぱい書いてあってスムーズに書けたなって後からそう解釈するんでまたアウトラインとか設計書とかそういうことを作り始めちゃうんですけれども
よくね、それこそ本当に最初から本丸を攻めるっていうことをやってみてもらってちょっとビフォーアフターをちょっとね、なんとなく感じてほしいんですけれども
アウトラインがあったから本も書きやすいとかアウトラインがあったことによっていいものが書けた作れたこれない。これは無理矢理自分で繋げてるだけです。ここに何の因果関係もないということは僕はこれがね僕の結論ですね。
そうですよね。僕もね、昔はいっぱい用意してたんですよ。断片的なメモみたいなものをね、エヴァノートにね、なんかもう300ぐらい用意して本を書いてたんだけど、今もエヴァノートに一つもないけど本は書けるんで、この300の断片の意味のなさですよね。
あってもなくても同じなんで、結果が。そういうことなんだと思います。
ということで、今回はですね、仕事の遅い人の特徴というね、ちょっとトピックで言ってみましてもとにかく一つですね、仕事をやりたくないからタスク整理しようっていうこのね、いびつな構図にまず気づくことでそれやってるなって思ったらそれやめてください。