私の愛しいApple PieA。来月、久々に1年2ヶ月ぶりに日本に帰国するんですけれども、その予定をね、いろいろと立て始めていて、すごくワクワクしつつも、今回も非常に忙しい旅になりそうだなと思っているjMatsuzakiです。
はい、なりそうですよね。6月にNintendo Switch 2が出るというので、どうしようかな、買おうかな、買うだろうけどどうしようかなと思っておりますjMatsuzakiです。
はい、ありがとうございます。今から1年2ヶ月前に私、日本に帰ったんですけれども1回ね。4週間くらい帰ったんですけど、その時に先送り0の本が出まして、私と佐々木さんで2人で書いた先送り0っていう本があるんですけれども、これがちょうど前回日本帰国時だったんですよね。
早いもので、あれからまた1年経ったんですけれども、改めてね、先送り0っていうね、先送り0の習慣というものにね、ちょっと切り込んでみたいというか、改めて紹介したいなと思っております。
このね、jMatsuzaki Podcastリスナーの方もちょっと忘れつつあるんじゃないかなと思います。先送り0のですね、習慣。私たちがですね、今の先送り0っていう本も出したんですけれども、今現在もね、継続して100日チャレンジというものをやっておりまして、これが先送り0の習慣というものを100日間取り組もうっていうオンラインのね、プログラムになってるんですよね。
これもね、もう2000人以上ですか?の方に参加していただいておりまして、で、本が出た後もですね、1年以上ずっと途切れず継続してですね、運営もしているんで、あれからね、いろいろとさらにね、我々の中でも知見が溜まってきたみたいなところもあるんで。
はい、じゃあ先送り0の習慣を改めて取り上げたいと思うんですけれども、先送り0の習慣で何なのかっていうとですね、これはもう非常にシンプルでございまして、3つのルールっていうことをですね、今日1日の中でやってもらうというものでございます。
ルール1つ目、1日の初めに今日やることを決めると。で、ルール2つ目、1日の終わりにその中で先送りしたものの数を数えると。そしてルール3、1分でも手をつけたら先送りとはしない。はい、このシンプルなルールですよね。
やることも簡単ですね。今日やることを1日の早い段階で決めて、1日が終わったらですね、今日やるって決めたことの中でできなかったことを先送りとして数えましょうという。で、じゃあその先送りの基準っていうのは何かっていうと、1分でも手をつけたら先送りとしなくていいですよっていうことなんで。
これをですね、毎日取り組んでもらって、100日チャレンジなんかの中ではですね、報告もしてもらっていると、その先送りいくつありましたみたいなものをですね、これを100日間やってもらっているということなんですけれども。
このシンプルな先送りゼロの習慣、100日続けたら人生変わりますよ、本当に。
いやでも、先送りゼロのその100日チャレンジとか見てて、結構みんなすごい変わってるというか、僕の中では結構手応えあるんですよ。これはやっぱり100日続けたらすごいぞっていうのはね、あるんですよ。
ささきさんどうですか?手応え的なとこあります?
手応えというか、ある種の驚きがありまして。
私は驚きありますよね。
ありますあります。第1期の時にそのJさんの、今1期から変わってないんだけどね、その手が。
そうですね。
見て、一体この手記どっから出てきたんだろうねっていうのをちょっと見て不思議に思ったんですよ。
で、とりあえずなんかこうタスクシュートに比べれば難しくないし、とりあえず何かが必要なのは分かるんで、これでやってみたらいいんじゃないかと思ってたんですけど。
思いの他にというか、最初っから反響良かったんですけどね。
僕がやっぱりなんとも驚いたのが、これは僕の性格もちょっとあるのかもしれないけど、100人が参加するじゃないですか、100日チャレンジって。
で、脱落者がえらい少ないなっていう。
Jさんには違って見えたかも分かんないけど。
私にはですね、100日後にはもしかするともう3人ぐらいになっちゃうじゃないかと思ってたんですよね。
ところが、1回も20人切るなんてことはなかったような気がするんですよね、10期やってきて。
今期に至ってはもう半分ぐらいまだ残ってるんじゃないかと。
でももう見た感じ、なんか全然減らないんですけど、不思議ですよね。
っていうか、主催者がそれを言うのもあれなんですけどね。
Jさんのこの発想はちょっと驚きましたし、この繋がり方も正直驚きましたね。
私なんかも仕事柄、オンラインコミュニティみたいなものは結構ですね、100名というのはまずなかったけど、
主催してみて、もう1週間で誰もいなくなるような雰囲気になっちゃうんで。
なんでこんなに盛況なんだ、ここはっていうのを毎回見てて思いますけど、しかも企業ごとに盛況度が増していくという、すごいなと思ってますね。
これだけでももう一定の成果を感じてますね。
ありがとうございます。確かにでも本当そうですね。
これなんでばっかりしてしづらいんですか。
そういうルールなんでしょうね、これはね。
もちろん先送りって結局、Jさんの言った中でも僕が斬新だなと思ったのが、先送りを定義しようっていうこと。
はいはい、そうですね。
先送りってそう考えてみると定義なしにやることなんですよね。
定義なしに自責の念に駆られていって、人にもよりますけれども、その自責の念が日々膨らんでいって、
だからこのルールには実はいろんなことが考えられていて隠されてる、隠してはいないんだけど、盛り込まれてるんですけれどもね。
その辺のことがすごく意味を持ってくるんですよね、100日後ということになってくると。
自責をするってことは、自分を責める自分と責められる自分に分裂しちゃうってことなんだけど、
その責める理由がですね、何とも曖昧なんだけど、何とでもなるんですよね。
そして責めたいんですよね。
自分を責めたいという気持ちがここにはすっごい強く潜んでるんだってことに、
そういうことを盛んに言うコミュニティではないんだけど、そういうことがいくらか意識されて活発化していくんだろうなと僕は思ってますね。
本当そうですね。
これの確かに発想の最初は先送りの定義っていうのは結構早い段階で僕の中であって、
これなぜかというとやっぱり先送りってもうみんな悩んでるじゃないですか。
結構この手のトゥードゥ、タスク管理、時間管理みたいな話になると、
必ず出てくるのが先送りをどうにかしたいですっていう話なんですけれども、
これでみんな悩んでるんですよ。
でもじゃあ実際に先送りって何なのっていうか、
やりたいと思っていることができないっていうことを先送りにしてしまうと絶対なくならないんですよね。
先送りをなくしたいっていうニーズがあるにもかかわらず、
やりたいことができないっていう定義で先送りのことを捉えてしまうと、
やりたいけどやってないことなんてもう無限にあるじゃないですか。
そうですね。やりたいことが全部できたらむしろ異常な感じになります。
そうなんです。絶対あり得ないことなんですよね。
絶対あり得ないことを望んで、しかもできなかった自分を責めるっていう、
なんかすごいディストピアというか。
すごい不幸ですよね。それってもう絶対に幸せになれないというね。
これをどうにかしたいなっていうのがあるんですよ。
なるほどね。
まずはそこの絶対に実現できないことを目指しては自分を責めて苦しんでるっていう、
この構図からまず抜け出しましょうっていうところで、
先送りってみんな悩んでるけど、実際その定義がめっちゃ曖昧ですよね。
曖昧なままだと先送りで絶対なくなりませんよっていう。
ここがまずちょっと出発点の一つだったかなと思いますね。
で、今もJさん言った通り、この絶対原理的にできないことをやろうとするというのはですね、
やっぱり僕は、これはすごく僕の発想じゃないけど、
僕が好んでる発想の中にある考え方ですけど、自分を責めたいんですよ。
だから自分を責めたくて始めるんですよ、この先送りという感じを抱いていくと。
なんで自分を責めたくなっちゃうんですか?
それはですね、自分が不甲斐ないと思ってるからなんですよね。
というか、欲求不満があるんですよ、ここにも。
Jさんが今言った通り、やりたいことがやれていないっていう気持ちに限りなく近いんですけども、
もっと自分はこれら何でもいいんですけどね、何かをもっとフル活用できていればとか、
ずっと昔からやりたかったことを、やりたかったというか達成しなければいけないことをもっと早くに達成していれば、
もっと自分は満足していていいはずだっていう感情があって、不満があるってことなんだけど、
この不満を作り出した自分を罰したいんですよね。
そして心を入れ替えさせたいんですよ。
そうして全く違うというかね、十分思い知って反省した自分になれば、
そういう馬鹿げたことはやめて、もっと満足のいく自分のやり方っていうかな、生き方に変えられるはずだっていう、
その前にまず罰を与えたい。
多分僕はそういうような感覚があって、その最後のチャンスみたいな感じで、
何かよく言いますよね、お前に最後のチャンスを与えよう、今度こそちゃんとやれよと。
今度こそ一切の先送りをしないで、全てやるべき、やりたいことは全部やれよと。
その分、自分に課すハードルは下げておくから、みたいな。
なんか下げたつもりに自分ではなってるんですよ。
つまり十分やれていいはずの項目だけを並べておいたから、
これすらやれなかったら本当にお前はダメ人間だからねっていうような条件をつけて、
で、初日からつまずくんですよ。それは無理がある、だいたい項目になってるから。
そしてその通り自分を罰するっていう、多分これがしたいんだと思うんですよね、僕はね。
思ってます、今は。
確かにな。
だから毎日ゆでたて不整時、なんでもいいですけど、筋トレを30分。
これはできるでしょうと。
夜寝る前だけでも30分ぐらいはネットとか見てるでしょうっていうことがね。
これすらできなければもう本当にお前はダメだっていう感じで自分にそれを課して、
でも実際できないんですよ、そんなこと。
だから自罰すると。
多分僕は本当これがしたいんだと思いますね。
へー。
いやーそうですよね。
この不満ってのは例えばなんだけど、
ポメラを買ったのに使ってないとかそういうところにすら強くあったりするんですよね。
あーなるほど。
なんかもうね、何かの能力を磨くとかじゃなくてもいいんですよ。
単に買ったものを活用できてないとか、
単純に言うと買ってきたゲームで遊べてないとかですらあり得ると思うんですよね。
でも僕ね、ポメラ買ったけど使えてない自分が許せないみたいなのは結構あるような日がします。
いやーありますよね。
僕はこのドイツに移住した時ってこういうことってやってなかったんで、
先送りゼロとかもうまだやり始める前なんですよ。
メンタル的に一番きつい時期のちょっと前くらいドイツに移住したんですけれども、
それでいろいろあって復活してこういうこともやってるってことなんですけれども、
ドイツに来てやっぱ最初の1,2年くらい僕が悩んでたのはね、
ドイツにいるのに、ドイツにいるっていろいろヨーロッパに住んでるっていう機会を全然活かせてないという。
そうそう。
不思議な時的なんだけど。
すごいありそうですよね。
やっぱり人はそれなりにゴージャスなことをしたり買ったりしたら、
そういうものをフル活用してもっと自分を満足させないとダメなんだって思っちゃうようなところがあるような気がします。
ありますよね。
そうなんですよね。
これをですね、やる前後とかにやっぱり参加者の方々にですね、話を聞いてみると、
やっぱりよく出てくる話が今日もできなかったなっていう。
これはもう本当に共通して出てくるんですよね。
もういろんな人から、いろんなタイプ、いろんな職業の方からですね、
今日もできなかったなっていうね、この敗北感に悩まされてますっていうのをよく聞くんですよ。
これをですね、どうにか解消したいというのが先送りゼロの習慣で、
今日1日にフォーカスすることで、とにかくまず今日もできなかったなっていう感覚をなくそうと。
今日できることを上げて、先をこういう数えて。
大体やっぱり最初はできるわけですよね。
今日1日に絞って、今日はこれとこれとこれだけやりますっていう、ここまで限定してね。
しかも1分でも手をつけたらいいんですよっていうことを言えばですね、大体はできるわけですよ。
そうなると、まずは今日もできなかったなっていう感覚が徐々に薄れていくんですよね。
これをですね、やっていくと、最初はですね、まずね、今日もできなかったなっていつも思ってたけど、
意外とこれ5分くらい手をつけられたな。
これやってみたら結構15分くらい集中できたな。
こんな感じで、実は原点方式じゃなくて、加点方式で意外と今日できてることってあるんだなっていうところから、
まずちょっと現実っていうか生き方が変わっていくというのがあるんですよ。
これが100日を続けていくと、僕たちはこれを結構意識的に、僕と佐々木さんはやってるんですけれども、
でもね、100日を続けていくと、それって徐々に飽和していくんですよね。
最初はなんか、これとこれとこれ3つあって、それぞれ1分ずつ手をつけられたら、
よっしゃ1分でも手をつけられたぜ、今日もできたってなるんですけど、
これを30日、50日って続けていくともう満足できなくなるじゃないですか、それだけじゃなくて。
数が増えていくわけですよ。
今日はこれとこれとこれとこれとこれがあって、それぞれ30分ずつ手をつけられたらいいことにしようみたいな。
どんどんハードル上がってきて、必ず100日間をどこかで飽和することになるはずなんですよね。
これをですね、飽和した状態で何日かちょっと悩んでもらって、
それを悩んだ先にですね、できることって増えても別に満足には繋がらないんだって気づいてほしいっていうのはめっちゃあるんですよ。
それで100日間やってもらってるってなるんですけど。
ここのね、本当はいびつな構図があるんですよね。
欲求不満があって、できることが増えたらこの欲求不満っていうのは解消されるはずだっていう、
この何の因果関係もない妄想、ここに気づいてほしいっていうのはやっぱり僕はありますね。
なるほどね。ちょっとね、違う話していいですか。