1. 3 ways
  2. 読書=義務じゃない!本との関..
2025-01-10 20:54

読書=義務じゃない!本との関係をリセットする方法〜読書をもっと楽しむために〜

「知識を増やすため」「教養を増やすため」「勉強のため」!そんな気持ちで読書のプレッシャーを高めてしまっていませんか。これでは読書が億劫になりますし、楽しみも減ってしまいます。



真面目な人ほど月に何冊の本を読むなどといったノルマを課して義務感で読書をしてしまったりします。それより単純に読書を楽しんでみましょう!その方がずっと健全で、ずっと多くのことが身につくでしょう!



● X → ⁠https://x.com/jmatsuzaki⁠

● Voicy → ⁠https://voicy.jp/channel/1380⁠

● Facebook → ⁠https://www.facebook.com/Blog.jMatsuzaki⁠



👇 お仕事の依頼はコチラまで

 jmatsuzaki.com@gmail.com





▼プロフィール



●jMatsuzaki

システム系の専門学校を卒業後、システムエンジニアとして6年半の会社員生活を経て2011年に独立。会社員時代にjMatsuzakiの名で始めたブログが「熱くて有益」と人気を博し、最高で月間80万PVに達する。現在は時間管理サービス「TaskChute Cloud」の開発や執筆、講演活動をしている。著書に、『先送り0』(技術評論社)がある。1986年生まれ。埼玉県 春日部市出身、ドイツ バイエルン州在住



●佐々木正悟

ビジネス書作家、心理学ジャーナリスト。1973年北海道旭川市生まれ。97年獨協大学卒業後、ドコモサービスで働く。2001年アヴィラ大学心理学科に留学。2005年に帰国。著書に『イラスト図解 先送りせず「すぐやる人」になる100の方法』(KADOKAWA)、『不安ゼロで生きる技術』(知的生き方文庫)、『先送り0』(技術評論社)など。





▼時間管理ツール「TaskChute Cloud 2」

https://www.taskchute.cloud/



▼共著「先送り0」(技術評論社)

https://amzn.to/3RnwLIl



▼お仕事の依頼はコチラまで

jmatsuzaki.com@gmail.com

サマリー

このエピソードでは、読書の義務感を捨て、楽しむことに焦点を当てた関係の見直し方が語られています。義務から解放されることで、読書がより一層楽しくなるという考えが示されています。読書を義務として捉えず、楽しむことの重要性が強調されています。また、知識の増加が必ずしも幸福につながらないことや、本に対して上下をつけずに様々なジャンルを楽しむことが推奨されています。

読書と義務感
知識をつけるということをすると、学校の成績が落ちるという現象が世の中にあります。
そうなのですか〜。
今、妻が犬のシャワーをしていて、犬とすごい格闘をしているのがめっちゃ気になっている、jMatsuzakiです。
今、下で妻はDNAとソフトバンクの試合を見て一喜一憂しているのが聞こえてきて、
それがそれで気になっている、jMatsuzakiです。
夫婦で好きなんですか?野球。
夫婦で好きだけれども、ある意味の二人のほうが好きかもっていうレベルですね。
ちなみに野球一緒に見に行ったりするんですか?
します、します。
うわ、めっちゃいいじゃないですか。
いい相談、初めて知りました。
僕、勝手に佐々木さんが一人好きで、奥さんとか娘さんが寝た後に暗い部屋の中で一人野球を見ているっていうイメージが勝手に。
しかたと妻のほうが好きなんじゃないかな。
そうなんですね。それはめちゃくちゃいいですね。
ありがとうございます。
ということで、今日も3waysなんで、あなたなりの大胆な道を探していってくださいということで、
今回はこんなテーマでお送りしようと思うんですけれども、読書の楽しみ方っていうテーマを見ようと思います。
読書術っていうよりは、どう読書を楽しむかみたいな切り口で語ってみようかなと思うんですけれども。
佐々木さんって相当僕は読書派なイメージあるんですが、日常的にいつも本読んでるのかなみたいな感じですか。
そういうことにはなるでしょうね。
読書派だと思ったことはないですけどね。でも日常的に本は読んでます。
ちなみにどのくらい並行して読んでるんですか、本って。
そういうこと考えたことがないから全然わからないですね。
わからないですね。
心理学の本とかはもちろん読まれると思うんですけれども、他にもなんでも読むってことですか。
なんでも読みます。
面白い。読書楽しいですか。
楽しいです。というか楽しいという感覚以外であれば多分僕は読書ってしないですね。
そうですよね。
ありましたよ、一時はさすがに。
義務感とは何の関係もない感覚ですね。
なんでこのテーマにしたかっていうと、本当にそれこそ義務感で読書していると頑張って読書しているという人結構いるんじゃないかなと思うんですよ。
やっぱり中には3waysリスナーの方にも読書楽しくないっていうよりは、結構義務感で読んでるなみたいな。
いるんじゃないかなと思いますので、ちょっとこの辺を楽しく読書できるようになるような、
大地みたいに持ち帰ってほしいなと思いまして、こういうテーマにしてみました。
読書を楽しむ方法
どうしたら読書って楽しくなるんですか。
そうですね、なんとなくですよ、なんとなく僕が一般的に苦しんで読書している人ともし違うとすればですね、
まず僕はタスクシュートの記録の上に読書という項目はありません。
そうなんですか、それ意外です。
読書ログを取ろうという気はないし、僕にとって読書の時間というのはトイレの時間と何ら変わらないものなので、
読書の時間をあえて読書とつける理由が別にないので、
僕にとってテキストを読むというのは、それがこういうことですよ、
ブログだろうとXだろうと本だろうと同じとみんなしてる気がします。
読書、じゃあ本読むときってタスクシュート上はどうしてるんですか。
休憩になってますね。
そうなんですね。
休憩なんで、確かに一番近いイメージとして。
だから2つありますよね、多分違うなと思うのが、読書という時間を計測する気はないということと、
つまり読書という時間と例えばYouTubeを見る時間、僕にとっては違いがないんですよね。
これはよくJさんが言ってる行動の違い、価値の違いを学いてるのとはちょっと違って、
とにかくそこの2つは僕の中ではほぼ完全に同じことになっちゃってるから、
っていうのが1つ。
もう1つは、ひたまって読書の記録を残そうという気もないってことですね。
だから昔はやってましたけど、いわゆる読書メーターみたいなやつですよね。
別にそれはそれでいいと思うんですけど、
僕例えばYouTubeメーターみたいなものをつけるとは思えないんで、自分は。
そうですよね。
Xメーターみたいなのとかね。
だから僕は読書をしたからそのメモを取る、ノートを取るってことをしないし、
しないですね。
それ以上言うの、つまりここに楽しみであるということ以外の意味があって、
読書にはないんですよ、僕の中で。
だから例えば僕の中で特にそうだ、これも言えますね。
漫画を読むのと本を読むことはどっちも読書ですね。
うーん、なるほど、なるほど。
読むのが筋肉マンだろうと、しばりおたろうだろうと、フロイトだろうと、
僕の中では同じですね。
意味は違いますよ、もろん。
意味は違うけど、大して違いはないですね。
だから僕の中で特にそうだ、これも言えますね。
意味は違いますよ、もろん。
意味は違うけど、大して違いはないですね。
それすごいいいかも。
ちなみに僕は数年前まで義務館で読書してた人なんですけど。
僕もそうですよ、はい。
十数年前までだけど、確かに義務館で読書してた。
僕ね、ずっとね、そもそも本ほとんど読んだことなかった。
20代前半くらいまで。
なるほど。
小説とかは読んでたことあるんですけど、いわゆる教養みたいな本ですよね。
いわゆるビジネス書みたいな。
こういうのは全然読んだことなくて、
20代の初めくらいから、
ビジネス書みたいな、教養本みたいなのも読んでみようと思ってやってて、
そっから10年間ぐらいはずっと義務館で読書してましたね、そういう。
ちょっとためになる本みたいなやつとか。
なるほど。
これがね、全然楽しくないんですよ、やっぱり。
よく10年もね、そんなね、よく本読んでたって思うくらい楽しくない。
その時僕は、今だったら絶対やんないんですけど、いわゆるツンドクとかも管理してたんですよ。
管理してたんですね。
そうなんですよ。ツンドク、これね、僕はね、楽しいかっていう。
タスク化されちゃってるじゃん、みたいなね。
僕はね、ツンドクみたいなことはもう絶対やらなくなりました。
高尚な読書の価値
そうですよね。
そうですよね。
あとね、そういう意味で本に上下をつけるはめっちゃやってました、その10年間くらい。
この本はあんま興味ないけど読んだほうがいいとか、なぜならためになるからみたいなね。
これは娯楽の本とか。
こんな感じでね、本の一冊一冊になんとなくね、ランク分けというか上下みたいな。
ざっくりジャンルごとに上下があるみたいなね。
みたいのはね、すごいね。
やってたっていうか、なんとなく自分の中にあったんですよね、そういう概念。
これがあるとね、やっぱね、面白くなくなってくるんですよね。
その娯楽っていう、読んでて楽しいやつはランクの下の方に行くし、
読んでて楽しくないとためになるやつだけが上に来て、読んどってそれだけになるみたいな。
で、しかもなんかね、すごいなんか小難しい本ばっかりランクの一番上に来るんだよね。
すごい大変なんですよね。
面白かったです。
今の話をちょっともじってみると、
一つね、僕これをね、なんかこうその、ダンクというようなものとか、
いわゆる俗に言う高尚さってものを言う人は、
例えばなんですけど、Jさんご存知ないかもなと思いながらも、
あのね、なんだっけな、少女漫画にね、
砂の城っていう、検索してもいいんじゃないですか。
砂の城。
砂の城っていうね、作品がね、あるんですよね。
石城ゆかりさんっていう方が書いている。
知ってます。あれ、それなんだっけ。
知ってる。
知らないと思ったわ。
姉がいるんでね、姉が読んでました。
そっかそっかそっか。
え、なんだっけ、なんとかクラブって本ないですか。
リボンかな。
空間クラブ。
空間クラブ読んでました。
石城ゆかりの砂の城と、
ドストエフスキーの地下室の主旗はどっちが高尚だっていう問いを、
僕は食べてみたいんですよね。
高尚な。
例えばどっちが品がいいかっていう問いに、
みんなはどう答えるんだろうっていうね。
どっちも読んだことのない人は、
なんとなくドストエフスキーの方がよっぽど高尚だと思うかもしれないけど、
これはね、
ドストエフスキーの地下室の主旗が品がいいと思う人ね、
多分あれを読んだ人の中には誰もいないと思うんですよね。
すごい下品というわけじゃないですよ。
でもね、絶対独語感は普通の人が読むとかなり悪いと思う。
いろんな意味で。
胸クソの悪い小説。
僕ちなみにあれ10回くらい読んでるんですけど。
あ、そうなんだ。
Jさんとホラーと同じ。
確かにそうです。
それに比べるとね、市城ゆかりさんの砂の城ってね、
めっちゃ心が現れる系の話。
そうなんですか。
めちゃくちゃ心が現れると思う。
で、少女漫画なんですよ。
ドストエフスキーと少女漫画。
どっちが高尚なのって。
僕ね、人間の品性だけで言ったら絶対市城ゆかりさんの方が上だと思うね。
へー。
それはね、すっごいね、異論があると思う。
でもね、異論が絶対出ちゃうレベルだと思う。
これを交互に、どっち先でもいいですけど、
手続けに読んでみって感じなんですよね。
どっちが人間性が高いって感じるっていう。
僕はね、砂の城だと思うんだよね。
で、僕は砂の城は1回しか読んでませんけどね。
これはね、ほんとね、高尚っていう言葉にみんなどういう意味を求めてんだろうなって思うんですよね。
はいはいはい。
ちなみにね、ちょっとネタバレになっちゃうんですけどね。
あのね、ようやくやっとあらゆる、少女漫画なんでね、めちゃくちゃ苦難の末にたどり着いた恋愛、恋人同士がね、
いろんな悲劇の末、完全に女の人の方が記憶を失ってしまうんですよ。
この段階ですでにもうめちゃくちゃ泣ける話なんですよ。
へー。
だからその人がね、ある瞬間、一瞬だけこの記憶を全て取り戻すっていう、その辺にもうラストがやってくるんですけどね。
へー。
あと萩尾本のローマへの道とかね、あれもすごいもう超人間性高そうな話ですよ。
あれとドステフスキー比べると、僕は絶対ローマへの道の方が立派になるために読むんだったらそっちの方がいいと思うよっていう世界ですね。
なるほどな。
やっぱりこのね、高尚な本を読んだ方がいいっていうのは、たぶんその義務感で読書をしているパターンに陥りがちで、
かつその高尚さって、やっぱ社会的なあれですよね。
そうね。
これ読んだことあるよ。
これが高尚なんだっていうのが多いの。
これ読んだことあるって言ったらなんかすごーって言われそうな本なわけですよ、結局は。
そうなんだよね。
罪と罰とかでしょ。
そうです。
やっぱそういう、読書は楽しくないし、楽しくないから続かないしみたいのもあるしね、あまりいいことがないんじゃないかな。
そう思いますよね。
本、これ僕も義務感で読書した時はすごい思ってたんですけど、謎に特に哲学書とかは原著読んだ方が偉いみたいな、なんかないですか。
ドイツ語見てるでしょ。
そう、ドイツ語で読むのが理想だし、せめて翻訳されてても原著を翻訳したやつであって、何分でわかるほねららみたいな。
ダメだってでしょ。
ソフィーの世界読んでちゃダメっていう話だよね。
ちゃんとニーチェ読めって話だよね。
読書の楽しみ方
だから頑張って直接原著が翻訳されたやつとか、何なら用語とかはちょっとドイツ語だったら何て言うんだろうとかちょっと調べておくみたいなくらいはやろっかなみたいなね。
全然楽しかったですね。
やめたほうがいいですよ。
全然おすすめできないです。
僕はやっぱりそもそも思うんですけど、義務感で読書して、かつ交渉の方へもってなってくると、不思議とどんどん名調みたいなものになってくるんですよ。
岩波文庫シリーズみたいな。
最近のやつとかじゃなくて、18世紀の名調みたいなやつを、しかも独派みたいな感じで、このまま読むだけですごいみたいな感じのやつばっかり上の方に来るわけですよ。
それが哲学者ってわかんないんですけどね。
僕の場合は哲学者とかがあったわけですけど。
僕はそれをあるタイミングで、この読書いるんかってなってですね。
その時に思ったらですね、僕がそんなに歴史的な名調、交渉の方を読んでもあんまり意味ないんですよ。
そういうことは必要な人が読んだらいいんだって。
人類史が誇るですね、超小難しい哲学名調みたいな。
これ読んでもね、そんなに僕の人生にあんまり影響ないんで、あんまり身にならないものを超頑張って読んでるみたいなことになってたなっていうのを笑えてきました。
それ以来、僕は知識を積もうみたいなモチベーションで読書するっていうのを全くやめました。
そういう意味だと先ほど佐々木さんが言ってた、本当に娯楽と色を分けないみたいな。
この本だって楽しいから読んでるっていう本しかある意味読まないみたいなね。
そういう意味と近いのかなって思うんですけど、知識をつけようみたいな気持ちで本を読むことは僕はなくなりました。
そっから読書が楽しくなったっていうのが。
知識の増加と影響
あとね、これもちょっと誤解を生みそうなんであんまり引っかかるんですけど、よく僕が思うのはですね、めちゃくちゃのめり込むことによってめちゃくちゃ知識をつけるということをすると、学校の成績が落ちるって現象が世の中にはあります。
そうなんすか。
あるある。僕はそれをものすごいハマり込んだ人間なんで。
だから学校教育があれだっていう話にこれは展開しやすいんだけど関係ないんですよ。
これはそういうことをやってちゃいけないんだけど、やっちゃうってことがあるよって話で。
どっちも面白さっていうのはそういうところがすごくあるんで、今のJさんが知識の拡充のためって話。
知識の拡充っていうのは程よく読むっていうことと関係が深いんですよ。
僕ね、ダメなんですよ。そういうことが非常に苦手な人間で、非常におかしなところがある。
そうは思わなくなったけど、これはある種のやっぱり性格で。
例えば僕は吉恒が殺されたことに納得がいかない人なんですよ。
そうなんですか。
それで僕はそれこそ現状みたいなので、よりともは一体何を考えてたんだろうみたいなのを読んで読んじゃうみたいな人なんですよ。
そういうことをやっているうちに日本史の説意がダダ下がりしていったんですよね。
へー。
そういうことが起こるんです、自然に。
僕はあらゆる教科でそういうことをやってるからよくわかるんですよ。
知識の拡充と読書欲ってのは必ずしもマッチないですよね。
あのね、何だっけな、扶養録って読んだらいいのかな。
そのね、廃線に向かっていく日本のこの日の何時ってのがちょうどXの時刻だけ、日時だけあってるのね。年数間違ってる。年数ずれてるやつね。
それを毎年のように流しているのを僕、ずーっと読んでいっちゃうんですよね。
ずーっと読んでいっちゃう。さっきの全然解にやったやつね。
全然解にやってるからね。
それがあって、全然解にやってるからね。
僕、ずーっと読んでいっちゃうんですよね。
ずーっと読んでいっちゃう。
さっきのあの、前々回にやった、脱線と同じで、仕事中にもうね、原爆が投下されるまでの流れみたいなのを追っていくんですよね。
僕がね、なんでここでやめることできないんだろうに、ハマっていく人間なんですよ。
あの辺にだけむやみやたらに詳しくなるんですよね。
僕がワンセイ日記とかを読んじゃうんですよね。
そういうことをやってると、日本史の成績はダダ下がりなんですよ。さっきも言ったように。
全然上がらない。そこしか点が取れないですよね。
なんか、源頼朝のところだけは常に完璧とかね。
あの、日本のギリギリのところだけ常に完璧な点が取れるんだけど、他は完璧に落とすみたいなことが起こる。
僕はそういうところが多々あって、すごいよく知ってるんで、知識の拡充っていうのはこういうこととは関係ない。
でもやっちゃう人はやっちゃうんだと思うんですよね。
気になるから。僕、西郷隆盛が殺されたのもすっごい納得がいかなくて、すっげえ西郷系のところだけ詳しくなるみたいなことが。
なるほど、なるほど。
ダメなんですよね。それは知識の拡充には繋がらない。ある意味繋がるんだけど、西郷オタクにしかなれないみたいな。
松本聖長の西郷察まで読んでるんだけど、そんなのは日本史と関係ないから。
そういうことが起こります。
そうですよね。特にこういう話を僕は3waysで取り上げたいなって思ったのは、今ってある意味知識増やそうブームの中であると思うんですよ。
ちょっと前からずっとやってる。
ずっとですよね。
やっぱり自分の頭で考えよう。そのために引き出しを増やすために知識を増やしていきましょう。
こういうことを本当に手放しで称賛するっていうことが今平気で行われてるんですけど、やっぱり知識をそんなに頑張って増やしてもそんなにいいことないし。
むしろ悪影響になる時だって十分にあるんだよね。
その頑張って超頑張って義務感で本読んで、しかも悪影響あるってなんかもう全然幸せじゃないなって思うんで。
読書の楽しみ方みたいなテーマで取り上げてみたいと思ったという次第でございます。
読書を楽しむためのポイント
ありがとうございます。面白かったです。
面白かったです。ということで3waysのポイントを3つにまとめていきたいと思います。
ポイントの一つ目なんですけれども、まずは義務感で読書するっていうのはちょっとやめてみてください。
これ義務感で読んでるなと思ったらそれ読まないとかね。
逆に義務感なく楽しく読んでるなと思ったらぜひ読んでいってください。
これがポイントの一つ目だったかなと思います。
ポイントの二つ目は本ごとになんかランク分けしない上下をつけない価値に上下をつけない。
この本は交渉この本はおげれつみたいなこういう感じで色を分けないようにしてみると多分読書を楽しめるようになると思うし、楽しんだ読書が身になっていくと思いますんでね。
ぜひ本に上下をつけないジャンルごとに漫画は下だけでもう哲学賞は上とかこういうこともやめましょうというのがポイントの一つだったかなと思います。
ポイントの三つ目は知識をやたらに増やしていくっていうことが必ずしもいいことではないっていうところですね。
知識をやたらに増やしても悪い影響があることだっていうのも十分にあるわけですからそういう意味でも義務感で頑張って知識を増やそうこれからあまりいいことが起こらないんですよね。
なので知識を無理に増やそう積み上げていこうみたいなこういうことを少し読書っていうものから切り離してみるといいんじゃないかなと思いました。
というところだったかなと思います。
では今日のスリーウェイズは以上にしたいと思います。ありがとうございました。
ありがとうございました。
20:54

コメント

スクロール