どうしたら読書って楽しくなるんですか。
そうですね、なんとなくですよ、なんとなく僕が一般的に苦しんで読書している人ともし違うとすればですね、
まず僕はタスクシュートの記録の上に読書という項目はありません。
そうなんですか、それ意外です。
読書ログを取ろうという気はないし、僕にとって読書の時間というのはトイレの時間と何ら変わらないものなので、
読書の時間をあえて読書とつける理由が別にないので、
僕にとってテキストを読むというのは、それがこういうことですよ、
ブログだろうとXだろうと本だろうと同じとみんなしてる気がします。
読書、じゃあ本読むときってタスクシュート上はどうしてるんですか。
休憩になってますね。
そうなんですね。
休憩なんで、確かに一番近いイメージとして。
だから2つありますよね、多分違うなと思うのが、読書という時間を計測する気はないということと、
つまり読書という時間と例えばYouTubeを見る時間、僕にとっては違いがないんですよね。
これはよくJさんが言ってる行動の違い、価値の違いを学いてるのとはちょっと違って、
とにかくそこの2つは僕の中ではほぼ完全に同じことになっちゃってるから、
っていうのが1つ。
もう1つは、ひたまって読書の記録を残そうという気もないってことですね。
だから昔はやってましたけど、いわゆる読書メーターみたいなやつですよね。
別にそれはそれでいいと思うんですけど、
僕例えばYouTubeメーターみたいなものをつけるとは思えないんで、自分は。
そうですよね。
Xメーターみたいなのとかね。
だから僕は読書をしたからそのメモを取る、ノートを取るってことをしないし、
しないですね。
それ以上言うの、つまりここに楽しみであるということ以外の意味があって、
読書にはないんですよ、僕の中で。
だから例えば僕の中で特にそうだ、これも言えますね。
漫画を読むのと本を読むことはどっちも読書ですね。
うーん、なるほど、なるほど。
読むのが筋肉マンだろうと、しばりおたろうだろうと、フロイトだろうと、
僕の中では同じですね。
意味は違いますよ、もろん。
意味は違うけど、大して違いはないですね。
だから僕の中で特にそうだ、これも言えますね。
意味は違いますよ、もろん。
意味は違うけど、大して違いはないですね。
それすごいいいかも。
ちなみに僕は数年前まで義務館で読書してた人なんですけど。
僕もそうですよ、はい。
十数年前までだけど、確かに義務館で読書してた。
僕ね、ずっとね、そもそも本ほとんど読んだことなかった。
20代前半くらいまで。
なるほど。
小説とかは読んでたことあるんですけど、いわゆる教養みたいな本ですよね。
いわゆるビジネス書みたいな。
こういうのは全然読んだことなくて、
20代の初めくらいから、
ビジネス書みたいな、教養本みたいなのも読んでみようと思ってやってて、
そっから10年間ぐらいはずっと義務館で読書してましたね、そういう。
ちょっとためになる本みたいなやつとか。
なるほど。
これがね、全然楽しくないんですよ、やっぱり。
よく10年もね、そんなね、よく本読んでたって思うくらい楽しくない。
その時僕は、今だったら絶対やんないんですけど、いわゆるツンドクとかも管理してたんですよ。
管理してたんですね。
そうなんですよ。ツンドク、これね、僕はね、楽しいかっていう。
タスク化されちゃってるじゃん、みたいなね。
僕はね、ツンドクみたいなことはもう絶対やらなくなりました。
そうですよね。
そうですよね。
あとね、そういう意味で本に上下をつけるはめっちゃやってました、その10年間くらい。
この本はあんま興味ないけど読んだほうがいいとか、なぜならためになるからみたいなね。
これは娯楽の本とか。
こんな感じでね、本の一冊一冊になんとなくね、ランク分けというか上下みたいな。
ざっくりジャンルごとに上下があるみたいなね。
みたいのはね、すごいね。
やってたっていうか、なんとなく自分の中にあったんですよね、そういう概念。
これがあるとね、やっぱね、面白くなくなってくるんですよね。
その娯楽っていう、読んでて楽しいやつはランクの下の方に行くし、
読んでて楽しくないとためになるやつだけが上に来て、読んどってそれだけになるみたいな。
で、しかもなんかね、すごいなんか小難しい本ばっかりランクの一番上に来るんだよね。
すごい大変なんですよね。
面白かったです。
今の話をちょっともじってみると、
一つね、僕これをね、なんかこうその、ダンクというようなものとか、
いわゆる俗に言う高尚さってものを言う人は、
例えばなんですけど、Jさんご存知ないかもなと思いながらも、
あのね、なんだっけな、少女漫画にね、
砂の城っていう、検索してもいいんじゃないですか。
砂の城。
砂の城っていうね、作品がね、あるんですよね。
石城ゆかりさんっていう方が書いている。
知ってます。あれ、それなんだっけ。
知ってる。
知らないと思ったわ。
姉がいるんでね、姉が読んでました。
そっかそっかそっか。
え、なんだっけ、なんとかクラブって本ないですか。
リボンかな。
空間クラブ。
空間クラブ読んでました。
石城ゆかりの砂の城と、
ドストエフスキーの地下室の主旗はどっちが高尚だっていう問いを、
僕は食べてみたいんですよね。
高尚な。
例えばどっちが品がいいかっていう問いに、
みんなはどう答えるんだろうっていうね。
どっちも読んだことのない人は、
なんとなくドストエフスキーの方がよっぽど高尚だと思うかもしれないけど、
これはね、
ドストエフスキーの地下室の主旗が品がいいと思う人ね、
多分あれを読んだ人の中には誰もいないと思うんですよね。
すごい下品というわけじゃないですよ。
でもね、絶対独語感は普通の人が読むとかなり悪いと思う。
いろんな意味で。
胸クソの悪い小説。
僕ちなみにあれ10回くらい読んでるんですけど。
あ、そうなんだ。
Jさんとホラーと同じ。
確かにそうです。
それに比べるとね、市城ゆかりさんの砂の城ってね、
めっちゃ心が現れる系の話。
そうなんですか。
めちゃくちゃ心が現れると思う。
で、少女漫画なんですよ。
ドストエフスキーと少女漫画。
どっちが高尚なのって。
僕ね、人間の品性だけで言ったら絶対市城ゆかりさんの方が上だと思うね。
へー。
それはね、すっごいね、異論があると思う。
でもね、異論が絶対出ちゃうレベルだと思う。
これを交互に、どっち先でもいいですけど、
手続けに読んでみって感じなんですよね。
どっちが人間性が高いって感じるっていう。
僕はね、砂の城だと思うんだよね。
で、僕は砂の城は1回しか読んでませんけどね。
これはね、ほんとね、高尚っていう言葉にみんなどういう意味を求めてんだろうなって思うんですよね。
はいはいはい。
ちなみにね、ちょっとネタバレになっちゃうんですけどね。
あのね、ようやくやっとあらゆる、少女漫画なんでね、めちゃくちゃ苦難の末にたどり着いた恋愛、恋人同士がね、
いろんな悲劇の末、完全に女の人の方が記憶を失ってしまうんですよ。
この段階ですでにもうめちゃくちゃ泣ける話なんですよ。
へー。
だからその人がね、ある瞬間、一瞬だけこの記憶を全て取り戻すっていう、その辺にもうラストがやってくるんですけどね。
へー。
あと萩尾本のローマへの道とかね、あれもすごいもう超人間性高そうな話ですよ。
あれとドステフスキー比べると、僕は絶対ローマへの道の方が立派になるために読むんだったらそっちの方がいいと思うよっていう世界ですね。
なるほどな。
やっぱりこのね、高尚な本を読んだ方がいいっていうのは、たぶんその義務感で読書をしているパターンに陥りがちで、
かつその高尚さって、やっぱ社会的なあれですよね。
そうね。
これ読んだことあるよ。
これが高尚なんだっていうのが多いの。
これ読んだことあるって言ったらなんかすごーって言われそうな本なわけですよ、結局は。
そうなんだよね。
罪と罰とかでしょ。
そうです。
やっぱそういう、読書は楽しくないし、楽しくないから続かないしみたいのもあるしね、あまりいいことがないんじゃないかな。
そう思いますよね。
本、これ僕も義務感で読書した時はすごい思ってたんですけど、謎に特に哲学書とかは原著読んだ方が偉いみたいな、なんかないですか。
ドイツ語見てるでしょ。
そう、ドイツ語で読むのが理想だし、せめて翻訳されてても原著を翻訳したやつであって、何分でわかるほねららみたいな。
ダメだってでしょ。
ソフィーの世界読んでちゃダメっていう話だよね。
ちゃんとニーチェ読めって話だよね。
あとね、これもちょっと誤解を生みそうなんであんまり引っかかるんですけど、よく僕が思うのはですね、めちゃくちゃのめり込むことによってめちゃくちゃ知識をつけるということをすると、学校の成績が落ちるって現象が世の中にはあります。
そうなんすか。
あるある。僕はそれをものすごいハマり込んだ人間なんで。
だから学校教育があれだっていう話にこれは展開しやすいんだけど関係ないんですよ。
これはそういうことをやってちゃいけないんだけど、やっちゃうってことがあるよって話で。
どっちも面白さっていうのはそういうところがすごくあるんで、今のJさんが知識の拡充のためって話。
知識の拡充っていうのは程よく読むっていうことと関係が深いんですよ。
僕ね、ダメなんですよ。そういうことが非常に苦手な人間で、非常におかしなところがある。
そうは思わなくなったけど、これはある種のやっぱり性格で。
例えば僕は吉恒が殺されたことに納得がいかない人なんですよ。
そうなんですか。
それで僕はそれこそ現状みたいなので、よりともは一体何を考えてたんだろうみたいなのを読んで読んじゃうみたいな人なんですよ。
そういうことをやっているうちに日本史の説意がダダ下がりしていったんですよね。
へー。
そういうことが起こるんです、自然に。
僕はあらゆる教科でそういうことをやってるからよくわかるんですよ。
知識の拡充と読書欲ってのは必ずしもマッチないですよね。
あのね、何だっけな、扶養録って読んだらいいのかな。
そのね、廃線に向かっていく日本のこの日の何時ってのがちょうどXの時刻だけ、日時だけあってるのね。年数間違ってる。年数ずれてるやつね。
それを毎年のように流しているのを僕、ずーっと読んでいっちゃうんですよね。
ずーっと読んでいっちゃう。さっきの全然解にやったやつね。
全然解にやってるからね。
それがあって、全然解にやってるからね。
僕、ずーっと読んでいっちゃうんですよね。
ずーっと読んでいっちゃう。
さっきのあの、前々回にやった、脱線と同じで、仕事中にもうね、原爆が投下されるまでの流れみたいなのを追っていくんですよね。
僕がね、なんでここでやめることできないんだろうに、ハマっていく人間なんですよ。
あの辺にだけむやみやたらに詳しくなるんですよね。
僕がワンセイ日記とかを読んじゃうんですよね。
そういうことをやってると、日本史の成績はダダ下がりなんですよ。さっきも言ったように。
全然上がらない。そこしか点が取れないですよね。
なんか、源頼朝のところだけは常に完璧とかね。
あの、日本のギリギリのところだけ常に完璧な点が取れるんだけど、他は完璧に落とすみたいなことが起こる。
僕はそういうところが多々あって、すごいよく知ってるんで、知識の拡充っていうのはこういうこととは関係ない。
でもやっちゃう人はやっちゃうんだと思うんですよね。
気になるから。僕、西郷隆盛が殺されたのもすっごい納得がいかなくて、すっげえ西郷系のところだけ詳しくなるみたいなことが。
なるほど、なるほど。
ダメなんですよね。それは知識の拡充には繋がらない。ある意味繋がるんだけど、西郷オタクにしかなれないみたいな。
松本聖長の西郷察まで読んでるんだけど、そんなのは日本史と関係ないから。
そういうことが起こります。
そうですよね。特にこういう話を僕は3waysで取り上げたいなって思ったのは、今ってある意味知識増やそうブームの中であると思うんですよ。
ちょっと前からずっとやってる。
ずっとですよね。
やっぱり自分の頭で考えよう。そのために引き出しを増やすために知識を増やしていきましょう。
こういうことを本当に手放しで称賛するっていうことが今平気で行われてるんですけど、やっぱり知識をそんなに頑張って増やしてもそんなにいいことないし。
むしろ悪影響になる時だって十分にあるんだよね。
その頑張って超頑張って義務感で本読んで、しかも悪影響あるってなんかもう全然幸せじゃないなって思うんで。
読書の楽しみ方みたいなテーマで取り上げてみたいと思ったという次第でございます。