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にじシバラジオ#105 ✦追悼:岸田秀 精神分析理論と唯幻論 ✦ゆるクィア用語辞典 第40回「性的唯幻論」
2026-08-05 30:15

にじシバラジオ#105 ✦追悼:岸田秀 精神分析理論と唯幻論 ✦ゆるクィア用語辞典 第40回「性的唯幻論」

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岸田秀の訃報 / 岸田秀との大学卒業後の交流 / ベストセラー『ものぐさ精神分析』と当時の影響力 / 「心理学」と「精神分析」の違い / フロイトと「無意識」の発見:精神分析の原点 / エディプス・コンプレックス:父殺しの神話と西洋的家族観 / 日本における精神分析の受容と独自の概念(阿闍世コンプレックス等) / 集団心理と歴史:岸田秀が読み解く「日本の近代」 / ペリー来航による開国の屈辱と日本人心理の分裂 / 第二次世界大戦への突入:解消しがたいジレンマの爆発 / 岸田秀思想のキーワード「唯幻論」と共同幻想 / ゆるクィア用語辞典 第40回 「性的唯幻論」/ リビドーの変遷:フロイトの幼児性欲論と岸田の視点 / 「性的本能」の否定:異性愛も同性愛も文化的構築物 / 「正常」と「異常」の境界を解体する

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サマリー

このエピソードでは、精神分析学者・岸田秀氏の訃報に触れ、彼の思想と影響について深く掘り下げています。岸田氏は、フロイトの精神分析を基盤としつつ、日本独自の精神文化や歴史的背景を踏まえた独自の理論を展開しました。特に、ペリー来航以降の日本の近代化における集団心理の分裂や、第二次世界大戦への道程を「共同幻想」や「唯幻論」といったキーワードで分析しました。また、「ゆるクィア用語辞典」のコーナーでは、「性的唯幻論」を取り上げ、フロイトの性欲説を批判的に検討し、人間のセクシュアリティや性行動が本能ではなく、文化的に構築されたものであるという岸田氏の視点を解説しています。これにより、異性愛や同性愛といった多様なセクシュアリティが、本質的なものではなく、社会的な幻想の中で位置づけられることを示唆しています。

岸田秀氏の訃報と影響
こんにちは。にじシバラジオ第105回です。MCのともぞーです。 小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
で、もう8月に入ったんですけれども、以前ですね、宮脇博さんのツイートを行った。
ツイートというか、まあ、亡くなったということで、宮脇博さんの村崎の履歴書っていうのを取り上げたんですけど、
はい。 あの、またツイートをしたいな。
もうね、なんかね、私たちの年齢のせいだよね。
影響を受けた人たちが端から死んでいくふしになっていると。 そういうことです。
で、くしくも、その亡くなった方がですね、宮脇さんと同じ92歳で。
おー、くしくも。
くしくも。まあ、ということで、あの、どうなったかというと、
あの、僕がわちゃわちゃ歴史10代の頃に非常に影響を受けた岸田周が92歳で、
はい。
5月の下旬に、そんな亡くなりになりまして、
はい。
で、ちょっと前から体調を崩していたというか、
うんうん。
っていうのは聞いていたんですけども、
それ以降、暴れも遠ざからなくてですね、
はいはいはい。
どんどん元気かなと思っていたところ、
ちょっと不法が届いたというか。
大人になってからも連絡を取っていたの?
あの、別に和光大学の岸田周のゼミがあって、
うんうん。
で、基本的にその岸田さん自身は70で定年なので、
はい。
2000何年かに、
うんうん。
あの、定年退職して、
はい。
まあ、それ以降は教授職はやってないんですけど、
まあ、ただそれ以降も、なんていうの、そのゼミ制が集まって、
忘年会やったりとか、
あ、なるほど。
っていうことはずっと。
付き合いがみっきりあったんですね。
あ、そうですね。
おー。
だから、なんか自分が今の職になる、
うん。
定職をするっていうことが決まった年くらいの忘年会かなって決まったというか、
まあ、そのところの忘年会で、
えっと、岸田さんも来る予定だったんだけど、
うんうん。
その、ちょっと体調を崩して、
はいはい。
参加ができなくなっちゃったみたいなのがあって、
当時80代ですもんね。
まだ80代でしたね。
はい。
で、それまでは比較年一でぐらいでは会ってた。
あー、なるほどなるほど。
教科がありますね。
あー、すごい密な。
ははは。
ね、仲のいいゼミだったんですね。
そうですね。
岸田秀氏の思想的背景:精神分析と心理学の違い
うんうん。
で、まあ、あの、何から話そうかなと思ってたんですけど、
まあ、その、まず岸田秀っていう人はどういう人なのかって、
誰それっていうのはね、一般的な、
一般的にはですね、
うん。
ただ、あれなんですよ、不法が流れた時に、
うん。
あの、結構いろいろ、まあ、さすがに一世を風靡したとまでは言わないまでも、
いや、一世風靡したでしょ。
してました。
うん、した。大丈夫。あなただけではない。はい。
だからまあ、その、結構ベストセラーみたいなのを出していた人なので、
はい。
やっぱ、あの、メディアは取り上げていたんですね。
うんうんうん。
あの、
メディアの中とかにも影響を受けた人とかはいるんじゃないですか。
そうそうそう。いっぱいいると思うんですけど。
はい。
で、ずいとうというか、
うん。
まあ、そう、不法基準がね、結構載ってたんですけども、
はい。
まあ、ただ、やっぱり、それは世代が限られるというか、
まあ、若くて自分ぐらいの世代。
そうですよね。
まあ、上下限みたいな感じ。
うんうんうんうん。
で、そこから下になっちゃうと、
なかなか、下の世代だと、
うん。
なかなか知らない人の方が多いのではないか。
そうですね。本が売れたの80年代。
この、ものさせ新聞関っていうのが、
まあ、一番、
一番ね。
ベストシンガーですけども。
うん。みんなこのタイトルは知っているぐらいの。
で、これが、あの、ハードババアで出たのが、
うん。
たしか、1977年。
ああ、70年代なんだ。
はい。
うん。
ですかね。
うん。
じゃあ、私なんかよりもさらにまだ上の世代ですね。影響を受けてるのはね。
そうですね。
うんうん。本来的には。
はい。そうですね。
だから、まあ、自分がその影響を受けたっていうのは、
うん。
おかしな話言っちゃおかしい。
ああ、そうですよね。
だから、それ知りたかったといえば。
それでね、大学行ったっていうのは知ってるんですけど。
ああ、そうです。そうです。
聞いたことがある話なんですが、
なんでそこまでっていう。
何が引っかかって、その本読んじゃったっていう。
で、
じゃ、岸田周っていう人が、
はい。
何を、
まず何を専門としていた人なのか。
そうですね。
というところなんですけど。
はい。はい。はい。
まずあの、精神分析。
はい。
精神分析学という本を、
はい。
専門にしていた人です。
彼は言って、じゃあ心理学社かっていうと、
うん。
そうではない。
はい。
あの、この辺分かりづらい部分あると思うんですけど、
うんうん。
いわゆる心理学っていうジャンルと、
はい。
精神分析っていうのはちょっと違う。
そうですね。
若干違っていて、
うん。
まあ心理学っていう場合では、
だいたいあの、統計処理をしたりとか、
はい。
まあ実験、実験心理学みたいな、
うんうん。
まあ、動物実験であるとか、
うんうん。
あるいは、まあ社会心理学とかだと、
社会実験的なものをやったりとかしますけども、
はい。はい。はい。
まあそういうものを、データを集めて、
はい。
それを統計処理して、
はい。
で、そこで、あの、統計データに基づいて、
うん。
その人間の、まあ心理的傾向について、
うん。
分析するみたいな、
ええ。
まあもちろんあの、理論的なモデルもあるんですけど、
ありますけど、
はい。
まあ基本はそういうものがメインで、
で、精神分析っていうのは、
その心理学の一部とみなされることもあるんですが、
うん。
あの、ちょっとその、路線が違っていて、
うんうんうん。
まあ基本は臨床のための技術、
うんうん。
フロイトの精神分析とエディプス・コンプレックス
あ、もともとまあ、あの、フロイトっていう人が、
うん。
あの、いてですね、
はい。
あの、オーストリアのウィーンですかね。
で、フロイトっていう人が19世紀末に、
うん。
登場して、
まあ神経症と呼ばれる、
ああ、はい。
まあノイローゼンと呼ばれる、
精神疾患について、
うんうん。
研究を行っていたと。
はい。
まあ、もともとはヒステリー研究とかね、
ああ。
まあそういうものが、
ああ。
あのベースにあって、
はい。
で、そうしたところで研究を重ねていくうちに、
その神経症の症状っていうのは、
はい。
まあ無意識、
人間が、
うん。
人間の無意識に存在している、
いろんなこう、
まあ記憶であったりとか、
うん。
トラウマであったりとか、
うん。
そうしたものが原因となって、
起きているのではないかっていうことを、
うん。
の仮説を立てて、
はい。
で、その仮説に基づいて、
じゃあどうしたら、
そのトラウマであったりとか、
うん。
いやな記憶であったりとかっていう部分を対処して、
その症状、
まあ解消することができるのかみたいな。
うんうんうんうん。
だからまあ、
有名な概念だと、
エディブスコンプレックスっていう、
うんうん。
概念だったりとか、
はい。
するんですけど、
はい。
それはあの、
なんていうのかな、
まあ西洋文化に、
うん。
普遍的に見られる、
うん。
うん。
その父親に対する、
うん。
愛犯する、
うん。
感情、
愛憎、
まあユニーズサヒャン的なジレンマ的な感情。
はい。
恐れと、
うん。
愛情みたいな。
そうですね。
うん。
父親っていうのは、
尊敬の対象であるとともに、
うん。
憎むべき存在であるみたいな。
うんうん。
うんうん。
だから父殺しっていうのを、
うん。
なんかこう、
うん。
文化的に、
うん。
無意識の中に、
抱えちゃってるんだみたいな。
うんうん。
うんうん。
はいはい。
うん。
そうしたものが、
家族形成、
家族関係の形成において、
うん。
非常に重要な役割を果たしていて、
うん。
逆にその、
子供の自立とかっていうのも、
そういうエディブスコンプレックスが駆動して、
うん。
子供がね、
そう。
成長していくんだみたいな、
うん。
なんかそういうような仮説というか、
なんかアジア人にはちょっとよく分からんみたいな。
そうそうそうそう。
うんうんうん。
うんうんうん。
うんうんうん。
やっぱりリアリティの薄い感じの、
うん。
まあでも、
うん。
フェミニズムの、
やはり古典的な、
うん。
うん。
あの流れとかも、
うん。
はい。
そのフロイトの影響を受けた、
はいはい。
そのエディブスコンプレックスを根底に置いた、
やっぱりそのフェミニズムみたいなのを、
うんうん。
ヨーロッパ中に広まって、
うん。
アメリカにも広まって、
うん。
で、それに対して、
うん。
まあその、
結局父親が主題になっちゃうんで、
うんうん。
じゃあ母親どうなったみたいな。
うんうんうんうん。
で、基本的にエディブスコンプレックスっていう概念自体が、
うん。
男性中心的な概念なんじゃないかみたいな話が出てきて、
うん。
まあそこでいろいろね、対抗がとして、
まあいろんな、
うん。
まあ仮説っていうのが出てきたりするの。
うん。
うん。
いうのが。
エディブスコンプレックスっていうのは、
まあエディブスっていうのが何かって言うと、
ギリシャ神話に出てくる、
はい。
エディブス神話、
はい。
まあオイリプス神話と言いますけど、
はい。
まあオイリプス王っていうのは昔、
はい。
いて、
うん。
その息子がいたんだけど、
うん。
その息子が生まれたときに、
うん。
預言者。
うん。
預言する人が、
うん。
あのこの息子がお前殺すぞ。
みたいなオイリプス王に言うんですよね。
うん。
オイディプス王はそれを恐れて息子を変狂の地にやっちゃうんですけど
そうすると何だかんだあって最終的に殺してしまう
そういう昔の父殺しの予言が予言者から聞いた予言というのが最終的に実現しちゃうよっていうのがオイディプス神話ってやつで
そういうものに基づいてフロイト・ギリストはエディプスコンプレックスっていう概念を作った
まあ冗談ですけど
結局そのギリシャ人物に竜流があるんで
アジアの人から見たらマンジャクシャになっちゃう
なんかそのリアリティが
精神構造の違いみたいなのが感じますけど
そういうことがあって
日本における精神分析の受容と岸田氏の登場
西洋から大正昭和の時期にやっぱり精神的な精神医学というか精神領域に関する学問として精神分析っていうのが日本にも入ってきた
その時に授業をするときにエディプスコンプレックスってのがよくわからないみたいな話はあって
そこで心理学者だったりとか精神分析の哲学者だったりとかっていう人が
日本には日本なりの精神分析の概念があるんじゃないかみたいなことを言い始めた時期があった
お好み稽古さんという名ですけどね
そういう潮流の中で岸田修っていう人も登場してきたっていうのがハイバックグラウンド
ずいぶん長い
そこでねさっき言ったお好み稽古さんという人が
ギリシャ神話は日本から遠いんで
もうちょっと力の仏教説案に研究を求めましょうみたいな感じで
アジャスティコンプレックスとかって提唱したりしたんですけど
あとは甘えの構造とかっていうのがありましたね
土井武夫さんが書いたもので
日本人の精神文化的なところっていうのには
そういう甘えっていう概念があるんじゃないかということで
甘えっていう概念を軸として
日本の精神文化的なところの構造分析を行った
結構面白い本だと思いますけどね
そういうような流れがありました
そういう中で岸田秀夫は登場してきたっていうところで
岸田さんが何を言ったのかってところなんですけど
これはね今でも結構何かトッピーだと思うんですね
今考えると何かっていうと
精神分析っていうのは何を扱ったかっていうと
個人心理的な部分もあるんだけど
岸田秀氏の集団心理と歴史分析:唯幻論と共同幻想
基本は集団心理を扱ってたんですよ
だからフロイトの説明が
いろいろ事例紹介とかでするんですけど
そういう場合でも
単純に個人の心理だけは扱ってたんじゃなくて
もうちょっと集合的な心理状況みたいなものを扱っていたんだよ
みたいなことを説明していくと
そういう中で岸田秀夫が言うのは
それはもっと集団を拡大していくと
国家とか民族とかそういう水準でも
集合的な心理として扱うことができるのである
その集合的な心理を考えるときに
一番肝心になるのは歴史的な経緯であると
いうことを言う
岸田さんはやっぱり戦中生まれというか
戦中育ちということになるんで
なんでやっぱり日本が第二次世界大戦という悲劇に
突進していってしまったのかというところが
やっぱり関心があって
我々今の時点から見ても
あの第二次大戦に突入していった経緯というのは
非常に非合理に見えるんですね
どう考えても勝てない間に喧嘩を打って
ボロクソに負けてしまったと
それがなんであんな破滅的な状況に
自ら進んで突入していったのか
これは戦後いろんな知識人がいろんなことを言ってますけど
丸山正男とかもはじめとして
で岸田さんが言うには
それはそもそもの経緯として
江戸時代の幕末に日本が開国した時に
ペリーが来港してきて
でそこまでペリーが来港するまでは
日本というのは比較的江戸幕府の統治の下
安定した社会を作っていたと
ところがペリーがやってきて
無理やり開国させられてしまった結果
そこで日本人の集団心理の形成の部分で
非常に屈辱を味わった
ということを岸田さんは説明する
だから日本人集団として
その無理やり開国させられてしまったっていうことが
非常に屈辱的な経験として強化されて
その結果として
対米追従型の外交的な外に向かう
外面的には対米追従
内心的には大和騙し
そういう両面性な生じた
それを分裂したみたいに岸田さん言ってますけど
なのでそういう内面的事故と外面的事故の
2つに分裂してしまった
そこで葛藤田生じた
内面的事故からすると外面的事故は偽りである
ということなんだけど
外面的事故からすると
内面的事故は偽りだというふうに見ます
そこで解消しがたいジレンマが生じてしまって
そこでの葛藤というかジレンマが
結局日本の近代を駆動させていった
っていうのが岸田さんの見立て
その結果として
内的事故と外的事故の分裂状況っていうのは
結局解消されないままバツった結果
アメリカとの戦争にどんどん突入していってしまった
結局その対面的にはアメリカに対して
それから西欧諸国列強に対して追従して
追従するってことは
日本のこれまでの文化を捨てていった
伝統を捨てていくっていう
そうですね
それはもう内的事故からすると耐えらたい
かといって内的事故に従って伝統を骨子しようとすると
列強に従任されちゃうみたいな
そうですね
そういうことになっちゃうんで
そこのもう耐えらたいジレンマを解消するっていう時に
結局どういう選択を日本が取ったかっていうと
もうその一発逆転で
とにかくもう西欧列強打ちまかすとかみたいな感じで
アメリカと戦争したかった説ですね
したかった説というか
内的事故と外的事故の格闘を解消しようとしたら
結局そこで一種のアクティングアウト的なものとして
戦争が出てきちゃったんだよ
だからもうむしゃくしゃしてやったみたいな
そういう感じ
それね見事に
だからその第二次世界大戦に当たりつく経過っていうのは
そういう意味で言うと極めて非合理的な
そのもう無意識化の日本人の集団的な無意識の中で生じた
非合理な決定だった
だからあれを合理的に解釈しようとする
ということ自体がなかなか無理があるのでは
ということをものごさ精神分析とかで主張している
これはねだいぶアレンジして言ってるんで
この中で言っているものごさ精神分析の中で言ってる
言い方とはちょっと違った言い方を言ってますけど
そんなことを言っていて
これって今でも引きずってるとも言えるのかなと
公室展板改正に広がって
そうだね今またもう一周してますけどね
彼らにとってさ
彼らっていうのはつまり岸田氏の世代にとっては
まだ明治維新がそれほど遠くない屈辱なのに比べて
私たちのだからちょうど同じくらい前
どの平田だろう第二次世界大戦っていうのが存在してっていうさ
平和憲法の押し付けみたいな
それこそ公室展板も含めてそうだと思うんですけど
だからまあ多分同じくらいの距離感のものを見て
やっぱり次の世代が語る言葉って感じですよね
そういう意味ではね
そうですね
でまああとプラスして付け加えておくと
そのもともとのそういうふうな内的事故とか大的事故とか
言葉の前にそもそもそうやって日本の人間が文化を持つっていうこと自体が
これは幻想共同幻想である
北州のそういう説明枠組みというか
そうしたものを説明する言葉として
有意言論っていう言葉があるんですけど
全ては幻想だって
幻想っていうのはこの場合は文化っていうものを指していて
だからまあ人間はみんな文化的構築物の上にいるよねっていう社会構築主義の源流みたいなものだと思ってもいいのかもしれない
まあそういう意味で
これが言いわんとしていることっていうのは
何かさっきも言ったように日本文化とかっていうのが本質で
西洋文化が非本質的なものだっていうことではなくて
どっちも幻想に過ぎなくて
その集団としての人間が共同幻想というのを持たないと社会が維持できないので
やむなく持ったものっていう
なるほどなるほど
だからどちらも非合理性を抱えていて
非合理性の中で何とかかんとかやっているに過ぎない
っていうところへの着目っていうのがあったのかなっていうところですね
あのなんだっけ
ゆるクィア用語辞典:性的唯幻論
それこそさ長く交流があったとして
あったんでしょうけど
そうすると彼のスタンスっていうのは割とその後もみわくみわくと変わらなかった
だからそこまで自分が和光大学に行った17年とかの時に
新しい歴史教科書を作りたいっていうのができて
で藤岡信勝さんとかが立ち上げたやつ
で岸田さんはそこに賛同をする
要するに藤岡信勝さんとかの言い分によると
その当時の歴史教科書っていうのは自虐しかに続いていて
嘘ばっかり書いてあると
ちゃんと本当のことを書いた歴史教科書っていうのを作らないとダメだっていう話だったんですけど
岸田さんはそこに賛同をしたっていうところがあります
でそこの賛同をしたっていう部分は非常に当時は
衝撃的だった
そうなんでみたいな
なんか幻想とか言ってるわりには
一向に堅いレステルなんでみたいな
そういう反応を引き起こしましたが
岸田さんとしては何らかの意思があって
いうことだったんだと思うんですね
だから説明を当時も聞いた気がするんですけど
あまり釈然としなかった記憶があった
釈然としてると覚えてるけど
釈然としてないと覚えてない
覚えてないのがありましたね
でなんで最初からモノクソ精神分析じゃないやつ
岸田修に浸水するじゃないけど
それはちょっとクエア用文字典の方で説明させてもらいました
楽しみですね
ありがとうございます
それではこれより
ゆるクエア用語字典のコーナーとなります
このコーナーでは我々がクエアだと思う用語について
我々の解釈で説明してみますということで
今回は岸田修に関連してというところで
性的有意言論というものをずっと取り上げたいと思います
これさっきこの前のところで
有意言論って言葉を説明して
全ては幻想だみたいなそういうことなんですよって言ったんですけど
ここでは性的セクシュアルって言葉がつきます
ということが一体どういうことなのかってことなんですけど
この資料のモノクソ精神分析に言えば
性の倒作とタブーというそういう文章が載ってまして
フロイトピストは人間の発達段階っていうのは
リビドーに基づいて駆動するっていう風に考えてたんですね
リビドーっていう何かっていうと
性的欲動って言われるんですけども
だからフロイトの話をする場合は
このリビドーの話が欠かせないんですけど
人間が生まれてしばらくすると
人間の中にリビドーっていうのが生じて
それがいろんな体の各所に備給されていく
備給っていうのは注ぐみたいな意味なんですけど
どういう字?
備えるという字に給食の給ですね
分かりました
体のパーツパーツに
心の中にあるリビドーっていうのが
例えば頬紋に備給されたり
唇に備給されたり
更新期とか頬紋期とかいう時のやつですね
最初は唇に備給されているやつが
駆動する感じ
最初に赤ちゃんがおっぱいを飲むと
その時におっぱいを飲むっていう
その行為っていうところで
赤ちゃんは栄養をとって
お腹がいっぱいになるというところが
それが性的快楽として感じられる
なのでその唇っていうのが
一種の性的な器官として
赤ちゃん
赤ちゃんというか人間が唇を性的器官として
認識しちゃうっていうのがそこで生じる
それによって
あるいは頬紋であれば
排泄っていうものがある
排泄をするっていうことが
気持ちよさを感じるようになる
それも一種の性的快楽の一種として
人間は捉えてしまうようになる
それは主観かどうかっていうことじゃなくて
意識的にどうかっていうことじゃなくて
それは無意識の構造として
そうなっているのだというのが
フロイト
そこからやがて性器に
微々堂っていうのが
備給されるようになりますよ
そういうふうに順序立てて
微々堂っていうのが
体のあちこちに
備給されていきますよっていうのは
フロイトの理論なんですけど
そういう下の前提としてですね
岸田修がどう言ってるのかっていうことですね
フロイトの幼児性欲説によれば
人間には生まれた時から性欲があって
母親の小ささから父親を呼んで
満足した幼児の表情は
性的満足を得た後の
大人の表情と同じであるとされているが
私はこの第一次思春期から
子供の性欲が始まると思う
フロイトに倣って
性欲のエネルギーを
微々堂と呼ぶことにして
この第一次思春期の微々堂は
実に暴れな運命を背負わされている
成功が不可能だから欲望があっても
それを本来の手段で
満足させることはできないのである
つまり人間の性生活は
まず不能者として始まる
これが重要な点であると
ここから人間の性に特有な
さまざまな現象が
生じるからであるということで
微々堂があったとしても
それを正しくというか
要するにそれを持て余しちゃうわけです
人間っていうのは
だからまあ
いろんなところの体の部位に
微々堂が分散していくような
そんな感じになっちゃうわけですけども
ちなみにこの今言った
第一次思春期っていうのはですね
4,5歳のことを言って
岸田氏は4歳5歳ぐらいのことを
第一次思春期と言って
12,3歳ごろから始まる
普通の思春期を第二次思春期と呼んでいる
4,5歳の段階で
すでに微々堂が行き場を失っちゃっていて
そこから結局
それを何とかしたいんだけど
手段がないみたいな
そういう感じになっちゃうと
そうしたところで
人間っていうのは
文化の中で
それをどう処理する
どうにか処理するための
いろんな手段というのを
文化的に構築していく
ということになっている
そうした中で出てくるのが
例えば異性愛であったり
あるいは同性愛であったり
っていうものの括りであったりする
っていうところがある
なので共同元素っていう言葉がありますけど
人間の性的な
セクシュアリティ的なものとか
性的な振る舞いみたいなものも
基本的には
それは本能とは違って
文化的に作られたものなんだよ
っていうのが
キシダ主義も言わんとする
なので性的経由言論っていう言葉は
要するに性にまつわる
あらゆるものは
本能的なものではなく
文化的構築物なんだよ
っていうのは
言わんとすることです
でそこでつまり
キシダ主義に引っ張られた
そういうことです
こういうこと言ってそうだなっていうのは
いろんな本を読んでいる中で拾った
そうじゃなくて
どっかで何かこう
キシダ主義を知るきっかけになること
キシダ主義を知るきっかけになったのは
ツイヤス作じゃないですかね
おー
なるほど
そうかツイヤス作
キシダ主義
友情
って言われたんだけど
でもあの
そしこそ
中学生の時期とか
いろいろ妄想みたいなものを
持て余してたんで
物語に頼っちゃうわけです
あーなるほどなるほど
でそこで
ホシンジとかね
ツイヤス作とか
中学生的にはすごい
ワクワクする
絶対上の兄弟いるなこの人って感じの
読書歴ですね
それで読んでたら
やっぱあの特に
ツイヤス作って
夢の傷跡分岐点みたいな
小説とかありますけど
精神分析
ツイヤス作自体も
ユングとかね
その辺のものをベースにした小説を
いっぱい書いてるんで
そうしたところで
自然とこの
じゃあユングとか面白そうだなとか
フロイトとか面白そうだなとか
思って
言ったら
最終的に岸田修にぶつかったと
じゃあツイートしてみましょう
どうも岸田修さん
ありがとうございました
まああの
今でこそね
あの
文化的構築物理っていう
あるいは社会構築主義的な発想っていうのは
当たり前で
逆に当たり前すぎて
批判を食らってるみたいな状況がありますけど
当時1970年代の後半から80年代
それこそいわゆる入学家的なやつが
流行っていた頃っていうのは
斬新な見方ですよね
それはそうだね考えられる
当時はもう本能以外に何があるのって
言われてましたよね
だから例えば
子供が異性に自然と面白く思うのは
自然なことで
それは動物として当たり前のことなんだよね
そういう言い方っていうのが
まあ今でも言う人いますけどね
今そういうこと言ってる人いると
頭悪いんだな
ぐらいに思われて
だからそんなにいろんなことを知らない人なんだな
って思われちゃうんですよね
思われちゃうけど
まあ昔はねもっといっぱいいて
でそうした中で
いや別にそんな異性に目が向くっていうのは
単に共同幻想だけなんだ
それは本能とかが関係なくて
人間がね
まあなんとか感とか越し得た
単なる幻想に過ぎないんだよ
っていうことを言ってくれた
っていうのはすごいスッキリする
そうですね確かに
今から見ると分かりにくくなっちゃうことですよね
だからまあそういうところで言うと
そのフェティシズムであるとか
あるいはSM的なやつとかっていうのは
全部その同じラインに乗ってくる
共同性的幻想として
全部が同じ平等なんだよみたいな
そういう視点を
もののさ精神分析っていうのは与えてくる
それは変態として
言うべきものじゃなくて
異性愛が正常で
それ以外が
まあ要するにノーマルとアブノーマルを分けるんじゃなくて
全部アブノーマルだと言うだれば
だから異性愛っていうのはあるけど
それはその中だっていろいろありますからね
同じ異性愛者だって
それはそうですよね
いろんなフェティシズムがあって
重要なのはそっちのフェティシズムの方であり
それを異性愛って一つの括りで
ノーマルな不良をしているけど
違うよね
確かに確かに
もっといろんなクリア
時々たまたまそこが社会の主流です
みたいな顔をして
これがメジャーです
っていうふうにやるのは
それは社会的な問題でしかない
そうですね
そうしたところをやっぱりいわゆる
書き出してくれた本として
物草精神分析とか岸田修さんの本が
ことが高校生時代の僕にとっては
大きな救いになります
ということで本当に岸田さん
ありがとうございましたと言葉をかけて
感謝したいと思います
まとめと感謝
皆さんもぜひ岸田さんね
物草精神分析とかは非常に名長です
読んでみると
ツイート特集とかが
ユリイカとかで出たりとかしないですかね
もう今はそういう世代じゃないもんね
でも売れないかもしれないですけど
概要欄のホームページをご覧ください
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それではお聞きいただきありがとうございました
また来週お会いしましょう
さよなら
30:15

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