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#440 リビドーを昇華せよ!フロイト流、社会の荒波の泳ぎ方
2026-07-15 1:01:29

#440 リビドーを昇華せよ!フロイト流、社会の荒波の泳ぎ方

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サマリー

今回の「それ哲ラジオ」は、ジークムント・フロイトの精神分析理論を巡る全5回のシリーズ最終回。これまでの「無意識」「自我」「エス」「超自我」といった概念を踏まえ、フロイトが社会や文明をどのように捉えたのか、そして人間のリビドー(性的欲動)が社会の中でどのように抑圧され、昇華されていくのかを深掘りします。 フロイトは、社会や文明が発展するほど、人間の欲望を抑圧する規範(超自我)も厳しくなると指摘しました。この抑圧は、個人の心に葛藤を生み出し、時には精神的な不調につながることもあります。しかし、フロイトは、この抑圧されたエネルギーを芸術や学問といった社会的に価値のあるものへと転換する「昇華」というメカニズムにも着目しました。これは、単なる欲望の発散ではなく、内なる葛藤を建設的な活動へと昇華させることで、人間が社会との調和を図りながら生きるための重要なプロセスであると解説されました。 番組の後半では、リスナー自身の「S(エス)」、すなわち抑圧された欲望や偏愛を解放する試みとして、次回は音楽をテーマにした雑談会が予告されました。自身の好きな曲や、普段語らないような音楽への偏愛を共有する機会が設けられ、リスナーからの投稿も募集されています。フロイトの理論を現代社会における人間理解や自己理解にどう活かせるかを探求する、示唆に富んだ回となりました。

フロイト理論の総括:自我、エス、超自我と社会
はい、それ哲ラジオ、今日も始めていきたいと思います。 よろしくお願いします。
よろしくお願いします。 はい、今回でフロイト最終回ということでやっていきたいと思います。
はい、そうですね、ちょっとフロイトこれまでね、やってきたんですけれども、前回はですね、その第一極諸論というという、あの氷山モデルですね。
無意識と意識ってものがあって、まあその意識の方は見えるけどっていうような話から、実はそうでもないんだよと。
むしろもっと複雑に、お互いにこうなんだろうな、自我っていうものがね、Sと超自我に板挟みになっていて、
中間下辞職みたいにこうなんだろう、お互いにこうおっしゃいへっしゃいしながらもなんとか活動を保っている、それが自我だよっていうふうな、そういう話をしたかなと思うんですよね。
で、結構特徴的な言葉があるみたいで、フロイトが書いてるらしいんですけれども、その自我っていうのは自分の家の主人ではないのだと。
つまり、それを意識とか理性って言えば、やっぱりデカルト以来ずっと言っている、やっぱり理性というものが人間の象徴というかね、特徴だって話なんだけれども、
理性とか自我っていうものも全然なんかこうね、人間その中心にあるもんじゃなくて、むしろもっと大きなSっていうふうなよくわかんない欲求とか、
あるいは超自我っていう社会から与えられるもの、他人から与えられるものっていうものがやっぱり自分というものをすごく定めているから、
そんな完全無欠な自己とか自我なんてものはないんだぜみたいな、そんな話をしてたっていう感じなんですよね。
はいはい、結構面白いよね。そうするとやっぱり自我そのものがあるのだ。もちろんあるにしても、
その、ちゃんと何だろう、周りの環境にちゃんと左右されるというか、相対化されてるというかね。
そうだね。
うん、それが面白いね、なんかね。
ところがね、やっぱり自分っていうものがただ子としてあるんじゃないっていうところは、やっぱりこの時代の、
それこそベルクソンも何度もお伝えしている通り、現在っていうような過去の影響があるっていうことも含めて、
やっぱりより大きな目線で人間っていうものとか心とか社会っていうものを捉えようっていうところが、やっぱりこの時代の大きな流れなのかなと思ったりしますよと。
はいはい。
というところなんですけれども、ここはですね、この最終回というところで、前回もちょっとお伝えした、その自我とか超自我っていうのも基本的には一人一人の心の話をしてたんだけれども、
そこがいわゆる社会と繋がる超自我っていう観点を入れることによって、自分の心と社会ってある種切っても切り離さないんだみたいな、そういうような発想になってくるわけなんですよね。
いやー確かにね、その社会だったりとか、自分の周りの環境がなければ、ある意味その前回覚えたさ、Sっていうその自分のその欲望側というか、ギビドー側みたいな感じなのかな?
うん。
ある意味それが自由気ままにやればいいじゃんって話になるもんね、確かに。
あ、そうそうそうね。
兄貴まで言ってくれたと思うんだけれども、2回前くらいかな?
それこそいい意味では白紙みたいなさ、ロックの白紙みたいなこともあれば、あるいはもう逃走状態、ホップズの逃走状態みたいに外部の目がないっていうことはもうそういう全員がある種欲望のままで行動してある種醜い世界になるよねみたいな。
はいはいはい。
そういうふうな発想もあるとしたときに、やっぱりこれってすごい大事なわけですよ。
でも大事なんだけど、やっぱりそれがね強すぎると結局その人の期待とか、社会の期待に追われて、なんか自分というものがすり減っていくとか、本当はこういうことしたいのにできないって言ってどんどんどんどんやっぱ自分が生きにくくなるみたいな、やっぱそういうこともあるわけで、ここってやっぱりよしやしなんですよね。
本当バランスだね。
そうそうそうそう。
で、フロイトは足の部分、ちょっとマイナスの部分というところに目を向けた人でもあるので、これまでの感覚を持ちながらフロイトがまずは社会とか文明とかってものをどう捉えたのかっていう、そういうところを今日お話しすることで、大きなフロイト界のまとめとしたいなというふうに思ってますという感じなんだよね。
うんうんうん。
抑圧された欲求と日常生活の葛藤
では早速いこうと思うんですけれども、これもある種日常的な話ではあると思うんですが、やっぱ日々ね、特に大人だとさ、こんなことやりたいでもできないとかって全然普通にあるじゃないですか。
うんうん、こういうとこ遊び行きたいけど行けねえなみたいなもあるよね。
あと5分寝たいけど電車間に合わないとかさ。
あーはいはいはい。
もうそういうことも含めて、本当にちっちゃいことも含めると本当にたぶん1日10回100回ぐらいある人もいると思うんだよね。
うんうんうん。
うん、で、たぶん当然それを一個一個やっぱりやってるとしんどいので、それこそ意識無意識の時に言ったように、僕らはそれを抑圧っていうふうな形であるし圧縮して無意識の方にポイって渡してますと。
うんうんうん。
で、そうなるとあるしそれって僕らが日常生活を送るための安全装置というか、ちゃんとそこでブレーキ効かせてくれてるから日常生活が歩めるよっていうふうな話なんだけれども、
これまでお伝えしてきた通りでやっぱりなくなるわけじゃないんですよね、このエネルギーって。
あーなるほどね、その蓋をしたというか、ポイってした方がね。
そうそうそう、ポイってして見ぬふりしてるだけで全然そこにまだゴミというかね、それはまだありますと。
何らもどんどん積み重なってて。
はいはい、そのマジで5分、あと5分寝てたいみたいなものは全然残ってるわけだね。
そうそうそうそう、そういう気持ちはありますと。
うんうん。
なので、例えばもうそれが抑圧して頑張ってたんだけれども、それがもう効かなくなった時にもう体が動かないとか、
どう頑張っても起きれないとかなると結局それがいわゆる精神的な病とか、そういうものとして現れるっていうふうな話をフロイトは考えてるんだよね。
なるほどね、5分寝るだけじゃ進まないのか。
そうそうそう、抑圧し続けてるとね。
そうなもんね、毎日毎日溜まってるからね。
そうそうそうそう、だからね、よくあるじゃん、やっぱそれってさ、何が一個のきっかけになるんじゃなくて、
コップが溢れるときは一瞬だけれども、積み重なってる、その蓄積があってこそ不具合とか病気みたいになっていくから、
ある種その抑圧が上手くいけばいくほどそれに気づかないっていうふうな、やっぱりそういう問題もあるわけなんですよね。
あー、なるほど、はいはい、さすが無意識って話だね。
そうそうそうそう、もっと言うと前回のモデルで言うと、そういった抑圧の時にもSと超自我っていうものがガンガンバトルをしていて、僕らの知らないところで。
で、自我はそこにいたわさびになってもしんどいようしんどいようとなってるみたいな、そういうことが起きてるんですよというのがフロイトのモデルでは言えるわけなんだよね。
いやー、なるほどだし、今のハヤトの話で言うと、そのSと超自我に挟まれた自我が、今しんどいよって話してたけれども、
そのしんどいよっていうふうにどんぐらい思ってるかとか、実際のそのしんどいレベルと実際自分が感じてるしんどいレベルが一致してるとも限らないって話ってことね。
そうだね、そうだね。もっと言うと多くの場合は一致していない。
あー、はいはいはい。
なぜなら僕らはそれを意識できないとか、フロイト流に言うと夢ではもしかして出てくるかもしれないけれども、現実世界に出てくることってのは稀だから。
あー、じゃあ多くのケースだと実際のダメージレベルというか、しんどいレベルよりも自分が思ってる方が低く感じてる方が多いって話か。
そうそうそうそう。結構周りでもいない、皆さんの周りでもいらっしゃるかもしれないけれども、
いわゆるバーンアウトとかさ、仕事をすごく元気にやってたはずなのに、突然やっぱりパタッと気力がなくなってしまうとか、会社に関わってしまうとかってあると思うんだけども、
あれもやっぱ本人とか周囲は全然大丈夫とか、あるいはこの丸々さんなら生きるよねみたいに思ってても、やっぱりダメージがどんどんどんどん蓄積されてるってあると思うんだよね。
はいはい、なるほどな。
まさにそれがその人の心では起きているっていうふうなところの葛藤だったりとか、いろんなダメージっていうものを説明できる、そういうモデルなんですよっていう話だね。
なるほどね、はいはい。
文明と社会の発展がもたらす人間の苦悩
全部が理性だったらさ、そんな自分は大丈夫ですとかさ、もう疲れたので休みますって自分のことは自分で何でもわかりますなんだけど、やっぱりそうはならないよね、どうしてもね。
はいはい、あと一滴が溢れますからもう休みますって言えるっていうね。
そうそうそうそう、本当に理性だね。
で、やっぱり我々はそういう存在ではないというところが大事なんですけれども、じゃあなんでっていう話なんだよね、じゃあなんでそんなになるまである種自分っていうものをある種抑圧し続けるのかとか、
なんでそんな自分では見えないぐらい、あと一歩で溢れそうなのにそれがわかんないのかっていう話なんだけれども、
ここにある種フロイトはこの社会とか文化、文明っていうものへの視点というのを取り込んでいくんですよね。
へー。
で、なんか実際ちょっとね、僕読んでないんだけれども、フロイトの本に文化への不満っていう、なんかそのものズバリみたいな晩年の本があるらしいんですけれども、
ここでですね、言ってるのがその文化とか文明、社会っていうものはある種人間っていうものを幸せにするために発展してきましたよねと。
これまでのね、ロックとかルソーとかやってきた、ルソーじゃないか、それこそその社会契約とかっていうものもいかにね自分の財産を守るかとか、
自由っていうものを広げながら周囲の人をうまくやるかみたいな感じで、ちゃんとそのいわゆる王様とか、特権階級だけがいい社会じゃなくて、平民というか一般の人も住みやすい、生きやすい、そういう世界だっていうところで本来発展してきたはずですよねと。
ふんふんふんふん。
世の中っていうのは一定どんどんどんどん良くなっているというふうな話があるはずなんだけれども、でもなんか一人一人を見るとめちゃめちゃ苦しんでいるとか、
今言ったみたいにその抑圧がガンガン効いていて、ともすると精神病とかになる人が増えているみたいな時に、なんで世の中は良くなっているはずなのにこんなに苦しいんだろうねみたいな、そういうことをやっぱフロイトは考えるんですよ。
おー、いやー、いいテーマだね。
こんなね、今だってね、スマホが普及してね、こんな連絡もね、豆に取れるようになったしみたいな、なのに我々はなんでこんなに大変なんだみたいな、ちょっとなんか似てる感じがするよね。
ね、ほんと現代でもさ、株価上がって、高経験だとか言われてるはずなのに、なんか全然自分の暮らしは楽じゃないけどとかさ、ブック上がって、むしろしんどいんですけどみたいなさ、あったりするじゃん?
っていう時に、なんかその社会全体ってものと自分ってものがなんか全然切り離されてるんだよねみたいな、やっぱそういう感覚で多分今もあるしフロイトの時代もあったんですよというとこなんだけれども、
やっぱ彼はですね、ちゃんとそこに対して分析とか自分なりの結論をちゃんと出すんですよね。
じゃあなんでこんな風になっちゃったのか?文明とか社会っていうものが発展しているのに、なんで僕らはこんな苦しいのかっていう時にフロイトが出した一個の結論っていうものがある種わかりやすく言うと、
それは文明とか社会っていうものは、いわゆるこれまでやってきたリビドーだよね、欲望とか欲動、これを諦める、断念する必要があるからだっていう風に言ったわけですよ。
はいはいはい。
これは前回の話を踏まえるとちょっと当たり前っぽくも聞こえるんだけれども、要は人間の大元にリビドーっていう性的な欲求っていうものがありますと、
性っていうのは前々回お伝えした通り、いわゆるセックス的な性ってものだけじゃなくって愛されたいとか、誰かと近くにいたいとかそういうことも含むんだけれども、
そういった欲求っていうものはベースにあるですと。
もっと言うと、やっぱり人を傷つけたいとか、誰かから奪ってでも自分が豊かになりたいとか、そういうふうなちょっとドロドロしたものも基本的にみんな持ってますっていうのがフロイトの前提なんですよね。
はいはい、いわゆる自己中心的なと言われかねないような。
そうそうそうそう。そういったものもあるんだけれども、でもやっぱりそれは長寿がみたいなものから抑圧されて、ある種封印しなきゃいけないと。
当然だよね、全員が全員を奪いたいって思ってる社会で生きられないじゃないですか。
大変だよね。まさにホップスじゃないけども大変だよね。
世紀末感が出てしまうので、それは厳しいと。だからこそ文明っていうか社会契約説も含めてそういったものをつないでいって、社会とかを高度化させて、そのルールっていうものを作ってみんなが生きやすい社会にしましょうね、なんだけれども。
その社会が高度になればなるほど、つまりよりみんなが平等にとか自由に生きられるルールを作れば作るほどとか、それがブラッシュアップされればされるほど、その長寿が、要は社会から期待される自分の在り方っていうものもどんどん厳しくなりますよねっていうことをフロイトは考えるんですよ。
たしかに想像はできるかもしれないよね。いろんな多様性としたときに仮に、その多様になればなるほど、そのルールとかって細かく厳しく、厳しくというか細かくなりそうだもんね。
そうそうそう。
だからそれこそさ、もし村で本当に100人ぐらいの村だったら、まあまあ長寿がって言ってもみんな顔見せ出しみたいなさ、ちょっと人間関係的なところでできることもあるかもしれないけれども、
今ね、東京で1000万人以上住んでるところで電車乗りますっていうときに、その電車に乗った全ての人の、だいたい人ってこういうふうに行動するよねみたいな、そういう期待を僕らは持たなきゃいけないわけじゃないですか。
わー、はいはいはい。
電車入っておにぎり食べていいんだっけ?とかさ、山手線はダメだけど中央線はいける?とか、まあ多分どっちもダメってあれなんだけれども、でも食べてる人もいたりするじゃない?
っていうときに、それって何がいいの悪いのとかがやっぱめちゃめちゃ難しいですよねと。
僕らはそれをある種自分に取り込んで、前回のモデル言うと長寿がもう自分の心だから、この自分の心にその1000万、東京なら1000万人分のやっぱりこのルールというか、他者の目というかそういったものを入れ込んでますみたいな、そういう感じになるんだよね。
わー、はいはいはい。
それは苦しいよねっていう話で。
なるほどなるほど。
うんうん。もっと言うと社会が高度化すればするほど、自分に対する期待っていうものが複雑になりますねと。
だからさっき言った通り、世の中良くなっているはずなんだけど、その反比例みたいな感じで自分を縛る規律も厳しくなっていくねっていう、これが同時進行だよっていうことをフロイトはある種暴いたんですよね。
わー、はいはいはいはい。
うん。なので、しかも僕らはその社会で生きていかないといけないわけだから、そういう社会化されている人とか世の中にとって、ある種馴染んでいる人ほど、自分の内側にそういう他者の厳しい目とか、そういう洗練された世の中の規範というものをある種入れ込まなきゃいけませんと。
うんうんうん。
それってイコールさ、前回の話で言うと、どんどんSをさ、厳しく厳しく抑圧するというか、抑え込むみたいな、そういう働きになるじゃない?
いやー、そうなるね。あれもダメ、これもダメ、この場合はこうせよ、みたいなのがめっちゃ増えていく、複雑になる。
そうなんだよね、そう。子供とか見ればわかるけど、そうやってさ、あれもダメ、これもダメって言ったらどうなる?子供。
あー、確かによく言われるのは、自分の頭で考えなくなるとか、もしくはね、そこそこ抑圧されて、逆に良くないよ、みたいな話か。
そうそう、爆発する人があると思うんだけど、まさに人間の心っていうのは、まさにっていうのは僕のイメージではあるけれども、それこそもう自我が耐えられなくなっちゃって、それこそもう好きにしてくださいと、自分はそれこそ考えずに言われたことだけやります、ってなることもあるだろうし。
あるいは、そうやってSをギューって抑圧されたからこそ、やっぱりこう爆発しちゃって、それこそ犯罪を犯すとかさ、自分の欲望をむしろガーって出しちゃうみたいな、そういう反発ってこともあるよねっていう。
それが人の心の中で起きてることなんだけれども、社会と連動しているとか、社会が発展すればするほど、そういう反作用というか、やっぱり人間の心に対する圧力が強くなるっていう、これが起きてるよねっていうことを、やっぱりフロイトは考えるんですよね。
昇華:抑圧されたリビドーの建設的転換
これはね、結構その通りというか、なるほどなと思ったんだけれども、実際ね、本に書いてる内容とかがあったんですけれども、やっぱりフロイトは遠い性欲っていうことをよく使うので、そういうことが出てるんだけれども、例えば実際ちょっと読んでみると、
文化っていうものは欲望を抑えつけるんだけれども、文化と性欲、それと長寿がとSっていうものを対立しますと。それっていうのは、いわゆる性愛っていうものは、そもそも二人の人間の間の関係で、ここでは第三者っていうものは余計なものとか邪魔者っていうふうに排除できるんだけれども、
文化ってやっぱり、さっき言ったように多数の人の人間同士の関係っていうものを前提にしなきゃいけないので、これがやっぱりその大きな、本当は一対一の深い環境を築きたいのに、他者の環境を優先しなきゃいけないっていう、ここに問題があるんだよ、みたいなことも言ってるんだよね。
うーん、そうなんだ。ちょっとわかりづらいな。
あ、本当。さっきのように言うとね、Sってのは自己中心性ですと。フロイドはやっぱり性欲とか性愛っていうものをベースに考えてるんで、その一対一の関係からって話はあるんだけれども、その原型というか、元になってるのは親子関係なんですよ。
うーん。
うん。やっぱり、第2回から、ボイリプスコンプレックスというか、男の子はお母さんを求めるし、女の子はお父さんを求めるみたいな、そういうふうな話をしたと思うんですけれども、
やっぱり、子供として生まれた、いわゆる食べたいとか愛されたいという欲求を持って生まれた自分というのを考えたときに、僕らから見ると親がいて子が生まれるっていう2者から3者関係なんだけど、
子供から見ると、自分という1者と、自分と母親という2者、そこに父親という3者が入ってくるっていう関係性なんだってフロイドは見るんだよね。
ああ、なるほど。男の子の子供の場合はね。
そうそうそう。女の子でも、まず最初は母親と結ばれるっていう感じなんだけど。
ああ、そうなんだ。
うん。やっぱりね、いわゆる授乳してくれるとか世話をしてくれるっていうのは母親の方が強かったりするから。
なるほど、なるほど。はいはい。
だったときに、要はその関係性がいわゆる性愛の元にある関係性なんですよ。
ああ、なるほど、なるほど。まあ現体験も現体験みたいな感じか。
そうそうそう。自分の一番近しい人と結ばれたいとか、あるいは愛されたい自分のものにしたいみたいな。
で、父親っていうのはその自分から愛せる母親を奪う敵だとか。
そういうふうなことを、やっぱりベースとして持っていくっていうふうにフロイトは考えるんだよね。
なるほど、なるほど。
さっき読んだところも、その性愛性欲っていうのは、二者関係っていうのは、母親と自分とかっていう関係が社会に広がっていくと、そういうふうに思えてくるっていう話。
ああ、うわあ、そっか、まだちゃんとイメージできてないけれども、そっか、すごく面白そうだね。
本来、人はその一対一でS側が満たされるように生きている、もしくは満たされれば満足だっていう話なんだけれども、
それを実現しようとすると、まずは展開になっちゃうと。ワン人の闘争状態になっちゃうっていう話で。
じゃあ色んな制約を作ってこうかってなると、そうするともう必ず第三者的な存在が出てきたと。
そう、そう、そう。
これちょっとまだちゃんと想像できないけど、面白いね。そんなシンプルな話なのに、ある意味社会が高度化したりとかしていくと、そんなぐちゃぐちゃなるのかみたいな。
そうね。だからこれはある種、やっぱり大人の目線から子供を産む、育てるっていうふうな発想っていうよりも、
人々は人間が本当にオギャーと生まれて、どういうふうに社会と接点を持ちながら大きくなっていきますかっていう、そっちのやっぱり視点なんだよね。
へー。
だからやっぱり、家族は社会の原型だみたいな話もあるんだけれども、やっぱり親子の関係性があり、その中でも第三者っていうものは入ってきて、
それがさらに学校とか仕事とかってなっていくと、さらにどんどん大きな長寿がっていうものがどんどん強くなっていくっていうふうにしていくと、
やっぱりそのSで自分が満たしたい欲求ってものが常にどんどんどんどん脅かされるというか、出せなくなっていくっていう状況が、
やっぱりフロイドが見たときの人間の発達であったりとか社会の発展っていうものと、本当にリンクするっていう感じなんだよね。
なるほど。
じゃあねと、こう言ってしまうと、社会なんて発展しなくていいみたいな感じとかさ、自分はもう一人と愛する人と増えて生きていくのだみたいなさ、
それは別にいいかもしれないけれども、私これちょっとどん詰まり感もあるじゃないですか。
まあそうね、というよりもそれじゃ解決しないからこういうルールできてるんだよねっていうふうに戻っちゃうよね、たぶん。
そうなんだよね。これはベルクソンの時、見るときだけか、その自由の話をしたときにさ、自分だけはアウトローで社会から抜け出そうって思っても、結局やっぱり本質が解決にはならないというか。
結局は大対策と言いつつ、反抗してるだけって話をしたと思うんですよね。
実際フロイトに関して自由っていうのは結構大きなテーマなんですよ。
つまり今の話でいくと、要は本当は自分を愛されたいとか、あるいは自分だけ良ければいいっていう欲求があるんだけど、
それを社会とか他社から抑圧されて、ニッチもサッチもいかがかってる存在みたいになっちゃうと、もうちょっと救いようがないんじゃないですか、やっぱり。
まあそうね、ネガティブな感じしか受けないもんね。
そうそうそう。だから実際そういうところもあるんだけれども、やっぱり人間っていうものはそれだけじゃないと。
もっといろんなものを生み出したりとか、まさに想像性未来を作っていくとか、そういうこともできるよねっていうときにフロイトが考えていろんなことをやってるんですけれども、
その一個がね、これは僕らからしたら結構当たり前かもしれないんだけれども、このフロイトの時代においては新しい発想として、昇華、登るに難しい方の花。
で、あるものを一段上の状態にするとか、あと理科でいうと個体が期待になる、ドライアイスが二酸化炭素になるみたいなときに使ったりするんだけれども。
はいはい、昇華。
っていうことを、ある種この抑圧されるっていうことへのプラスの意味での乗り越えっていう風な話で考えるんですよね。
ほうほうほう。
うん、まあこれはただね、まあ割と一般的っちゃ一般的なんだけれども、いわゆるそういう抑圧された思いだよね、とか満たされなかった欲望っていうものを使って、それこそ芸術とかさ。
あとは学問とか、まあ科学でも何でもいいんだけれども、そういう社会的に価値あるものに転換しましょうみたいな、そういうような発想ってあるじゃないですか。
うん、あるある。
でもこれも実は走りとしてはフロイトだったりするんですよね。
わーすごいね。だからあんまネガティブな側面だけじゃなくて、結構ある意味救いもちゃんと考えてるというか。
そうね、まあこれもね難しくて、じゃあ本当に苦しみながら生み出してた人が幸福かってのはわからないんだけれども、
でも少なくともやっぱりそういった苦しみとか葛藤っていうものは全人類にあるわけだよね、フロイトのモデルでいうと。
なのでそれをどういうふうに扱いますかっていうときに、やっぱりダダ漏れにはできないんで、ある意味ちゃんと社会的に意義あるような活動に接続しましょうとか、
あるいはその葛藤こそが何かを生み出して元になるっていうふうに思って付き合いましょうみたいな、そういうことをやっぱりフロイトは考えてくるんですよ。
なるほど。だからイメージとして、本来の欲求とか欲望の代替っていうよりは、
破裂しないためにガス抜きのガスぐらいのイメージぐらいの感じなのかな。
それだといわゆる消化じゃなくて、普通に発散するってなっちゃうと思うんだよね、ガス抜きだと。
なるほどなるほど。じゃあ本当に代替ぐらいのイメージでこの消化っていうものは言われてるのかな、考えられてる。
だから例えば、いわゆる溢れそうな欲求があった時に、例えば暴飲暴食に走るとか、ギャンブルしてドーパイン出すとか、別にそれ自体が好きならいいとは思うんだけれども、
でも本当は別にやりたいわけじゃないのにやっちゃうって依存症みたいな話ってあるわけじゃない?
はいはいはい。
で、やっぱりそれは良くないよねと。
それは消化じゃないんだ、それは。
消化じゃない、そうそうそう。
それはあくまでも別の形でただ発散してるだけであって。
じゃあ、例えば、これも人によると思うけど、運動とかだったらどう?走るとか、筋トレめっちゃやるとかで落ち着くというか、バランス取れた場合は消化?
全然あると思う。
やっぱり社会的な価値ってその時々でもちらから難しいとは思うんだけれども、やっぱりそういった、なんだろうな、自分の中にあるそういった葛藤、だから本当は、
リティさんは例えば、それこそさ、格闘技、ボクシングとか兄貴も柔術やってるじゃん、ブラジリアン柔術。
別に相手を倒したいとかってことではないかもしれないけれども、でもやっぱりその欲求って自分の稼働を動かしたいとか強くなりたいとか、相手よりも上位にいたいとか、
わかんない、そういう欲求が仮にあったとした時に、それを道端でやっちゃうと犯罪なわけじゃん。
でもボクシングとか格闘技っていうところでやると、それってスポーツになるし、自分を高めるとこでも繋がったりするわけじゃない?
だからこれはいわゆる消化の一つの例だよね。
あー、なるほど。さっき生田が社会的に価値のある活動みたいな話してたけれども、それをちゃんと聞かずにジョリングとか筋トレみたいな話しちゃったけれども、それはそれでアリなのかな?どうなんだ?
フロイト的に言うと、おそらくやっぱりより優れた芸術とか、科学的な発見とか、そういうものをイメージしてたと思う。
社会的に価値があるっていうところで言うと、例えばジョリングとかだと、もちろん誰かがすごいねって褒めてくれるかもしれない。
けれども、多分そういう話じゃなくて、ちゃんといわゆる長寿が、社会的なそっちと接続して、何かしらフィードバックを得るような、というよりも価値があるからプラスのフィードバックを得る。
そこで繋がりを持つことで大体できるんだぐらいのイメージってことか、もしかして。
そうだね、確かにジョリングもアリって言っちゃったけれども、やっぱりより新しい価値を作るとか、すみません、こう言ってくれた、長寿がとの葛藤の中でそれを乗り越えるとか、
新しい目線を世の中に示すとか、結構そういうことを考えてると思うな、この消化っていう言葉はね。
芸術にしても、ただ作品を生み出すだけじゃなくて、ちゃんとそれに対して誰かに評価してもらう。どこまで含めてっていう感じがするね、ちゃんと繋がる。
こういった話自体は現代には当たり前のようにあると思うのよ。要は苦しんでいるほどいい作品が作れるとか、逆にアーティストが生活が安定してしまうと創造性がなくなってしまうみたいな。
多分両方の話があると思って、これも余談っぽくなってるんですけど、最近聴いている音楽があるんだけれども、昔作曲者としていた人が会社を辞めたみたいな話が多分数年前にあって、
それは会社にいると一定お給料がもらえるとか、安定したような生活になるんだけれども、でも自分が生み出したい音楽っていうのは、例えばイヨンチの切実さとか、教えてあげられる作者の声とかなのに、
自分がそこから離れてしまうことによって言葉が嘘になるとか、本当の意味で自分の想像したいものができなくなるんじゃないかっていう感覚があって、なので会社というかグループから脱退しますみたいな、そういうふうな人のインタビューを読んだことがあるのね。
これは多分両方ってフロリド的に言えば、まさにそういうSという欲望が抑圧されなくなった逆に。むしろ出していいよと、どうぞ自由に作ってくださいと。でもその自由というのはこの範囲ですよって言われた瞬間に、やっぱり葛藤がなくなってむしろ弱まってしまったというのはケースの気がするし。
でも現代からすると、本当にその葛藤っているんだっけみたいな、それは本人しかわからないけれども、本当に悩んで苦しんで、そういうふうな人じゃないと芸術は生み出せないのかって別の問題もあったりすると思うんだよね。
そうだね。
なので結構この辺は難しいが、もしそういうことを思うとすると、まさに150年前にフロリドが考えたこととか、この欲望リビドウというものが抑圧されているものを消化するというこのメカニズムに乗っかっているんだよということは言えますね、というような感じなんだよね。
結構やっぱフロリドはとんでもないね。ちょっと色物っていうかさ、変な人なのかなって思ってたけども。今回はハヤトが全部説明してくれてるからあれだけど、平気な顔してすごいものを生み出してるというか。2個も3個もみたいな感じがするね。
そうなんだよね。だから前もちょっと言ったかもんだけど、なんか今言っちゃうとわりと当たり前というかね、人間って抑圧されていてとかさ、その抑圧を生かしてエネルギーに変えて芸術を作るんだとかっていうのもなんか当たり前っぽく感じちゃうんだけれども、そういう概念がない時にそれを言ったって思うと、なんかやべえなってやっぱなるよね。
前も言ったけど、やっぱポジショニング絶妙説もやっぱ強い感じてて、このエヴァフロリドのこの話に対して、なんだろう、科学的に反対できないというかさ、論破できなさそうっていう感じ?
まあね、そもそも証明もできないからね。
だからか。だから絶妙なのかもしれないけど、そういう意味でもうまいよなあと思うよね。だからこそまだ、なんだろう、証明もされてないし、反論もされてないっていう意味で、100年以上ちゃんとなんだろう、うちらの感覚に浸透し続けている。
結構やばいよなと、なんか思ったね。
だからね、今回フロイドは哲学者ではないですよって話はしたけれども、やっぱりその、だからこそこんだけ残っているとかね、ある種、多分フロイドの名前の方がベルクソンよりも多分広まってると思うんだよね。
フロイト理論の現代的意義と今後の展望
っていうのはやっぱりこういった親しみやすさとかわかりやすさとか、僕らが普段考えていることにかなりやっぱり影響与えているところもあるんだろうなあと思うんだよね。
でもそれで言うとさ、哲学を趣味というか見ている者にとってはどうなの?なんかあれあるかもしれないけど、なんだろう、哲学者よりある意味思想家だったりさ、そういう人の方が世の中への影響度合いとか大きいみたいなことがあったとして、でもそれも人によるのか?哲学者でもそういう人はいるのか?
そういう意味でさ、思想家ずるいなみたいなのってないのかな?みたいなさ。
哲学者の方がどう思うかわからないけれども、でもなんかそのわかりやすさと本質を捉える力っていうのは、多分本来は別のべくしろだと思うんだよね。
数学者がある種100年後に役立つことを研究してますみたいな話と同じで、哲学者の方も自分としてやっぱりどうしても、やめたいテーマとか避けてはいけない問題をやっぱり向き合ってますってことがあると思うから、世の中にとってどうかってことはそこまでないとは思うんだけれども、だけどやっぱフロイドの場合はその両方ができてしまった?欲も悪くも。
両方っていう感じはあるんだ。
あると思う。やっぱり人に対してグッと現場に入って、それを理解を深めたってこともそうだし、本とかもいろいろ書く中でやっぱり世の中に影響を与える形できちんと広げていった。
だって前回ベルクソンの話だけにさ、ベルクソンのノーベル文学賞取ってますって話があったじゃん。
取ってたね、そうだそうだ。
でもさ、読んだことないわけよ、誰、おそらくほとんどの人は。
でもフロイドの夢判断みたいな話で、夢っていうのはなんかそういう無意識が現れてるってことはなんとなく知ってたりするとした時に、ノーベル文学賞よりもフロイドの方が広まったって話だと思うんだよ正直。
確かに何なら本としても読まれてる可能性が教材としても含めてね。
だからそこに関しては、もうそういうもんだよねっていう感じはする。
なるほどだし、実際ハヤト心理学専攻だったと思うけど、やっぱりハヤトはあんま馴染まなかったって言ってたけれども、ちゃんと授業で習うんでしょフロイドは。
習ってたと思う。
思わせてるけれども。
そんなに興味なかった。
そんなに面白くなかったんだよな。でももちろんやってると思う。
っていうところがあるので、やっぱり今回5回分通してフロイドっていう名前は知ってるよとか、なんとなくキーワードは知ってるよっていうところから、
ちょっとでもこういう何を発見した人なのかとか、もちろんだいぶかいつまんでるから、いつも通りちょっとわかりやすいというか、だいぶシンプルなお世話になってると思うんだけれども、
結構そういったことを考えながら人間理解ってここまで影響を与えてる人なんだみたいなことが伝わっているとすごく嬉しいなって思いますという感じだし、
あと最後にちょっと一個これはお話したいとか僕もいろいろ考えてたんだけれども、
このモデルゼアは第二極書論のSと自我と超自我ってなった時に、人間どう生きるべきかみたいな話って出てくるなと思うんだよね。
はいはい。
今日は社会の話をしたけれども、やっぱり社会が発展すればするほど要は超自我が強くなりますと。
じゃあ自我とかSはどうしたらいいのみたいな話がやっぱあると思うんだよね。
もうちょっと自我か。
だってさ、後ろからはこんなことやりたい、もっとやらせろって言われて、外側からはそんなことやっちゃダメだ、もっと正しくしろって言われてさ、
で俺はどうしたらいいのってやっぱなるじゃない、途方にくれると思うんだよね。
まあそうなるか、超自我の方はやるならこうやれとかじゃなくて、基本的にはもうそれやっちゃダメっていう風になってくるのか。
そうそうそう。
手明かりは教えてくれないとした時に、やっぱ自我が途方にくれますねと。
そうだね。
結構これはまあ難しいというか今後も深めていきたいテーマだなっていう感じなんですけれども、
やっぱ少なくとも何か言ってくれたようにやっぱ超自我からじゃ逃れましょうね。
ある種、一対一の関係だけを大事にして、それ以外は知りませんっていうのも違うし。
でも当然Sの欲望の間に、なんか自分だけ育ってやれってこともやっぱ違うわけじゃないですか。
やっぱりどっちにもいけない中で、なんだろうな、思ってますと、それはまず認めましょうよと。
自分っていうものがそんな綺麗な自我っていうのができるんじゃなくて、よくわからん欲求もあるし、全然なんか知らんけど他者の声っていうのは聞こえますと。
それも含めて自分なんだから、そのいろんなドロドロした中でやっぱり自分は何を大事にするのかとか、どういったものをやるし優先順位を立てて選んでいくのか。
実はその選ぶっていうことに関しては自我の働きっていうのがあるはずだから。
欲望に身を任せるにせよ、社会のルールに従うにせよ、それを決めるのは自分自我だよねっていう、そこはやっぱり手放しちゃいけないんだよなっていうふうに思うんだよね。
面白いし、今聞いて思ったのが、今はやっぱり自分の欲望だったり長自我そのもの、あれにそれをちゃんと自分で認識しましょうみたいな話に近いのかなとは思ったんだけど、
これが長自我側なのかわかんないけどさ、自分の欲望なのか、それを欲しいとかやりたいと思わされてるのかみたいな。
だから基本主義の大量消費とかさ、消費社会じゃないけれども、めっちゃ欲望がSじゃない欲望、Sじゃなくて外側から来た欲望に無理やり自分のSを紐づけられてるんじゃないかみたいな、そういうの多そうだなと思った。
マーケティングの話とかであるのは、他の人が欲しいものを欲するみたいな、他者の欲望を模倣するみたいな話があったりするんだよね。
それは自分の内側が出る欲望じゃないのかっていうと、多分これはいろんな話があると思うんだけれども、今僕が思っているのは、現代人は自分の欲求をそのまま出すってことはやっぱり傾向がありますというか、やっぱり長自我に抑え込まれてますと。
でも他の人も欲しているとか、他の人も出している欲望なら、自分も出して良いのだっていう、そういう学習をしている可能性があるなって思ったんだよね。
なるほどね。
だからこれは出して良い欲望だっていうものと、これは出しちゃダメなものなんだっていうものが多分あって、根っこはどっちもSなんだけれども、その分岐の中で人はこの欲求は出そうとか、これは抑えとこうとかってしてる気がする。
はいはい。だから長自我的にこれはOKですよっていう欲望の種類がいくつかというか、パターンみたいなものがあって、例えばテストで100点取るとか、あとYouTuberになって楽しくお金儲けをしますみたいなのがあった時に、
それを声を大にして俺はこれを目指してるんだ、それで成功するんだみたいなのは全然恥ずかしくないし、別に社会的に抹殺もされないし、何なら応援されたりとか、いろいろあるかもしれないけど、別に恥ずかしいことではないみたいな。
そういうのはいくつかパターンとしてあるとすると、確かにそれは長自我側か。
ほんとね、ただそういうと長自我って悪は欲圧するものとか制限をかけるものだから、やっぱりその欲望を促進するものではないって思った方がいいと思うんだよね。
例えば自分だけがいい思いをしたいとか、チヤホヤされたいっていうことをそのまま出すのはNGですと。
でもそれがYouTuberになりたいとか芸能人になりたいっていう言葉でくるまれると、途端にそれは社会的に良さそうな欲望になるみたいなことはあると思って。
なるほど、それはじゃあ今回で言う消化の一パターンというか、社会的に重きを得とされている消化のお品書きみたいな感じなのかな?
それが新しい価値を作るなら消化だし、それを作らないなら、もしかしたらその代わりに本当はこうなりたいものがあるんだけれども、
それが目を背けるためにYouTuberとか芸能人とかっていうものに目を背けさせられているっていう可能性もあるよね。
ということもあるってことだね。
それはわかんない。本当に心からYouTuberになりたいと言っているのか、本当は違うんだけれども、その代替品としてYouTuberというものを出しているのか、それはやっぱりわからない。本人にも多分。
なるほど、じゃあその辺は長寿画側の何かかなと思ったけれども、それはまた別の話なんだね。
誰かにとっては消化になり得るかもしれないけれども、さっき言った芸術家、芸術活動だったりとか、学問だったりとか、
それの一部ってことはね、それの一部にビジネスだったりとか、YouTuber、芸能、いろいろあるってことはね、スポーツ選手とかいろいろあるってことか。
そうそうそうそう。よくキャリアとか現代圏とかって話があるんだけれども、小さい頃苦しかったとか、あるいは発展途上国に行って貧困を学んで、ビジネスで世界を変えるんだって言って起業するみたいなストーリーがあったときに、
それは多分わかりやすい消化の例なんだけれども、ある種それが一個免罪符になって、だから起業するということは良いのだとか、だからこういう行動をすれば他人から非難されないのだみたいな、そっちに行っちゃってる可能性もあるわけじゃないですか、同じことを教えてもね。
あーはいはいはい。
だからその、自分のSに従ってそれをやってるのか、それともやっぱりその超自我の方の欲圧を何かこうちょっと避けるために何だろうな、やってるのかっていうことは結構考えてみると面白いかもしれないなと思ったね。
あーはいはいはい。
伝わるかな、なんかその同じことをやってても動機が違うみたいな。
そうだねそうだね、確かに今自分こっちの話で言うと、そのなりたいもののお品書き自体がいろいろあることが問題というか、より複雑にしてるのかなみたいな話で思ったんだけれども、
確かに今の話で言うと、さっき言ったフロイトの時からあった芸術家とか学問とか科学とか、そういうものと同じだと。
そういうビジネスって意味では、結局それをどういう手段で自分が、自分のSのどういう現れ方としてそれ、例えばビジネスやるとか、芸術やるっていう風になってるかっていう方がすごい大事だから、
やっぱりそこを、このフロイトの話、正確フロイトが言語化してイメージ化してくれたから、そのイメージで自分だったりとか、他の人のものを見てみると、ちょっとわかるものがあるかもね、みたいな話ってことか。
そういうことだね。
フロイトすごいな。
すごい。
それだけでもね、言っている新しい言葉とか概念とか捉え方ってところが一個増える感じがあるので、今回そこをちゃんと5回分含めてお伝えできたんじゃないかなと思っておりますよという感じですね。
なるほどね。フロイトすごい癖がある人だなとは思ったけれども、今回前半がハヤトがだいぶ否定的に入ってたからさ、逆にちょっと肯定的にいこうかなと思ったけど、
この着地点からすごく最後の第2曲書論だけか、その辺の話は割とすんなり入ったなーっていう印象だったね。
よかったよかった。
はい、という感じでね、結構フロイトさんを通じた人間理解、人間の心だね、モデルとか、あとはそこの社会の繋がりとかね、そういったものを今回お伝えさせていただいたんですけれども、
次回もね、次回もっていうか、ちょっとやっぱその人をテーマにしたテストアクションが続くかなと思ってて、
次はですね、メルロポンティですね、やろうと思ってるんですよと。
なぜか兄貴の名前だけ知っている人ね。
なんかね、名前特徴的だからなんか覚えちゃったみたいな。
確かにね。
何の人かは知らない。
そんな有名ってことはないかなとは思うんだけれども、彼はフッサールからの繋がりの原子学の繋がりの人なんだよね。
で、僕も結構古いやの、たぶんそれこそ10年目ぐらいに地の原子学、近くの原子学かっていう有名な本があって、
それも分厚いんだけれども、なんか読もうとして挫折した記憶しかないぐらい、あんまり読めてないんですけれども、
やっぱりこの人も、人間の世界の捉え方とは何かとか、近くっていうかいわゆる見ることね、
ってことも含めて、やっぱり世界との関わりみたいなことをめちゃめちゃ深めて、
しかもたぶんそれが僕らの常識に入り込んじゃってるぐらいの人だったりするので、
この人を伝えていくことで、より人間理解というか、あるいは人間を理解した上で、やっぱり社会とか僕らが世界とどういう関わってるのかみたいな、
そういうところの理解をちょっと深めていくようなテーマを今後は2、3人ぐらいやっていきたいと思ってますっていう感じなんだよね。
はいはい。わー面白そうだし、あともう何回でも言うけど、いつでも東洋大歓迎です。
だいぶ最近触れてない気がするからね、ちょっとその辺の成分が恋しくなってきてるから、いつでも大歓迎です。
了解です。ちょっとね、それはどこかで盛り込もうかなと。確かに最近全然やってなかったね。掃除ぐらいか、掃除ぐらいからやってないな。
でもね、確かに19世紀、20世紀、最近の哲学者今年やるか多いかもね、みたいな話してたから、その流れには来ないのかもしんないけれども、どこかでね。
ちょっとね、時々やっていきたいと思いますというところと、あとちょっとね、これはもう一個、これはですね、僕の欲望なんですけれども、
ハヤトのSね。
僕のSが今溢れ出そうとしてるんですけど、次回はいつも通り雑談会ではフロイトを振り返りながらやろうと思っているんですけれども、
その時にね、一回ちょっと雑談会続くの良くないかなと思ったんだけれども、音楽についてちょっと話したいなと思ってるんですよね、音楽。
珍しいね。しかもわざわざ1回分みたいな。
これはね、僕の本当ただ偏愛を語りたいというだけなんだけれども、哲学ずっと好きで10年くらいやってますって言ったりするじゃない。
もう一個、音楽で、音楽に対するフェチズムが強くて、
それこそもう10代、12歳くらいから、日本のボーカルのちょっと有名じゃない女性の曲だけを聞くみたいな、よくわかんない縛りを自分で持ってるのね。
はいはいはいはい。
でなんか、その中で好きな曲とか哲学っぽい曲とか色々あるんだけれども、なんかそういう、皆さんにもそういうのあるんじゃないかなって、皆さんって聞いてる方にも、
なんかそういう、この曲とか音楽めちゃめちゃ好きだけどわざわざ語るほどじゃないなとか、
なんかね、自分の一押しの曲があるんだけれども、わざわざ人にオススメするほどじゃないなって思って、なんかあるんじゃないかなと思って。
あー、あと場合によっては人にオススメするの恥ずかしいみたいだね、場合によってはね。
そうそうそうそう。
ハヤトなんかまさにそのジャンルなんじゃないの?
そうなんだよね、なんか言ったとこでさ、アニソンとかって言われたらウッってなるからさ。
あー、だしアニソンでも別にないでしょ。アニソンのものもあるかもしれないけど、そうでもないみたいなね。
そうそうそうそう。
っていうのがあったりする中で、なんかそういうちょっと自分の偏愛もちょっと語りたいし、
皆さんのそういうちょっと偏愛も聞きたいなって、それを音楽ってテーマちょっとやりたいなと思って。
あー、はいはい。
なので、ちょっとね、その最新回まで聞いてくださる方限定になっちゃうかもしれないんだけれども、
もしね、このフロイト回聞いて、今のことを聞いて、なんか自分もあるかもとか、この音楽すれば好きだったけど誰にも言ったことなかったみたいな、
あれは普通に好きな曲が多いよ、もう言いまくってるけどこの曲どうしても好きなんですって思うんだけど、
そういったものがあったらちょっと久々にフォーム、概要欄とかにあると思うんで、
フォームからこの曲すごい好きなんですって、よかったらYouTubeのリンクぐらいちょっと入れていただいて、
送っていただけたら、なんかそれをちょっとお伝えしながら、
なんかこういう曲が集まったよとか、自分はこういう曲が好きでねみたいなところをちょっとね、一回語りたいっていう、
ただの僕のやりたいことをやらせてくれませんかっていう話ですね。
はいはい。あーどうなんだろう。面白いね、確かにその、
今回のフロイトで言うと、もう自分のSと直通している曲を話す回みたいなね。
そう、すごい絶対これマニアックだし、なんか聞いても多分好きっていう人10人に1人もいないだろうなって思うけどやっぱ好きな曲とかあるのよ。
はいはいはい。でもあるよね、お兄さんもそういうのない?どうなんだろう。
まぁまぁあるっちゃあるかも、どうだろうね。
っていう、まぁちょっとせっかくフロイトやったし、Sを出してみようぜみたいな。
なるほど。
出してみようぜって僕が出すだけだから別に、やってもらって話なんだけれども。
ぜひね、これに合わせて皆さんもぜひ送ってほしいっていうね。
そうそうそう、そうなんです、はい。
そういうところをね、ぜひ、ちょっと反社会的な曲とかでもいいと思ってるんで、
音楽ってそもそもそういうのもあるじゃんやっぱり。
うん、あるある。
あるので良ければね、ちょっともしこれ聞いて、よっしゃちょっとなんか思いついたぞっていう方がいらっしゃったらですね、
送っていただければ、多分1週間ぐらい余裕あるんで聞いてから、公開してからか。
うんうんうん。
送っていただければ。
じゃあさ、せっかくというか、この自転車送料なのがバレるけどさ、一応引きずってクリっといたら、最新回の方限定っていう謎の縛りがあるからね。
次だって、次の収録だってもう来週とかでしょ。
そうね、これが出るのが2026年の7月の多分12だと思うんだよね。
はいはいはい。
あ、うそうそうごめん間違えた。
15だね。
15か、じゃあ2日しかないじゃん。
まあでもやってみるか。
2日でね。
今カレンダー見てると愕然としたんですけど、これが出るのが2026年の7月15なんですよ。
その次の収録が7月の17なんですよ。
なんていうお願いだね。
2日しかないんですけど、もしその中でちょっと手助けてやるかと公開して聞いてくださった方がもしいらっしゃればですね、
あの回で送っていただいて、もし次それが1本振られてなければ、あ、届かなかったんだなって思ってもらうっていう感じで。
はいはいはい。
ちょっとね、もしよければご協力いただけるとうれしいなと思っておりますという感じですね。
なるほどですね。
もしね、これを聞いてるのがもう締め切りすぎちゃってるとか、
それはそれでもぜひ送っていただければないかな、お便り会の時とか。
あ、そうだね。
もしくはね、時にぜひ紹介させてもらったりとかできればなと思うんで、はい。
はい、ちょっとそんな感じでね、ぜひちょっと我がままにお付き合いいただきつつ、ちょっとみんなでね、少しSを開放する回をね、やりたいと思っておりますので。
わかりました。
はい、というわけですいません、みなさん短いですけども、ぜひぜひお待ちしておりますということで、概要欄の方にソレテツラジオのお便りフォームありますので、ぜひそちらの方から送っていただければなということでよろしくお願いします。
お願いします。
はい、では今回でフロイト最終回ということで、次回ですね、また雑談を挟みながらメルロポンティーに入っていくというところで楽しんでいきたいと思います。
では、引き続きよろしくお願いします。
お願いします。今回もありがとうございました。
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