こんにちは、にじシバラジオ第75回です。MCのともぞーです。
小倉です。
にじシバラジオは、LGBTQ系サブカル・社会ネタを主に取り上げるポッドキャストです。
先週ですね、急遽、同性婚訴訟というか、婚姻の自由をすべての人に訴訟の控訴審判決について、いろいろ…
テンションを上げてね。
今回は小倉さんからのコンテンツ紹介ということで。
穏やかなコンテンツ紹介会ですよ。
秋のね、テレビドラマシリーズ。
結構その同性婚、あるいは同性カップルの話がね、中心に。
結構いいのが出てきてるよって話を、ちょっと前の回にやったと思うんですけど。
面白そうだねって話をしたんですけど、全然見てなかった。
名前が上がってなかったので、ひとつ今見始めたところであげたいと思うんですけど。
日本テレビ系、中共テレビ制作のおいしい離婚届けますというのが始まりましたと。
俗に言う弁護士ドラマですよ。
離婚訴訟専門の弁護士さん。
彼は、同性カップルのパートナーがいて、もちろん同居して。
彼の方は、パートナーの方は探偵業をやってる。
2人が力を合わせて、ここでは結ばれない2人が問いかけるヒューマンディーガルドラマって書いてある。
で、離婚訴訟だからね。この場合、離婚っていうふうに言うからには既に結婚してる人のことを指してるわけで。
異性婚のカップルの離婚を取り上げて、それを持ってきた人に有利に進めていくという、そういう話ですよね。
っていうのをやってまして、これも私は全然俳優さんとか知らないので難だったんですけども。
そこそこちゃんと俳優陣とかも力を入れて作ってるみたいですということで見始めましたが、お仕事ドラマです。
本当にこっちが逆に、でもね面白いなと思うのは、同性カップルであることが大前提でお仕事ドラマというのが乗っかるっていう。
BLとかでも時期いろいろあって、最初はもう悲劇的な恋愛物から始まって、どっちか必ず死ぬか。
夢だったかじゃないけど、そういう話だったBLの時代から始まって、だんだんこれがうまく2人が結ばれましたって話の時代も来て、
さらにその後お仕事BLっていう、仕事と2人の恋愛っていうのを描くものとかが出てきて対応化していくと。
さらに今のご時世は、オメガバースとかまた異世界物に近いようなものも増えてきて、歴史物も増えてきて、さらに他ジャンルになるっていうことがあったんですけど、
同性カップルドラマもここへ来たかっていう感じのお仕事ドラマで、正直私は3回見たところでこの後見るかって言われると微妙なんですけど、
女性が受けているDVの話とか、例えば女性の側によった、かなりよった形で弁護士さんが弁護していくと、離婚裁判を進めていく、調整を進めていくって話をする感じだと思うんですよね。
だから女性の婚姻の中における不均衡な扱いに対しての、多分意識があって作られているのかなっていう感じは一応はしますけど、
なにせ私はまだ無料3話分前しか見てないから。
これがまず1本じゃないですか。
で、この間話題に戻した僕たちんち。
これは友蔵さんも見てくれたということですね。
そうですね。録画捨てるんですけど、録画捨てるとなかなか見ないっていう悪い癖があります。
そういうことですよね。
なので今回収録前に溜まっていった録画を少しだけ紹介していきました。
予想してたのと全然違ったというのが私の印象でしたね。
とにかく女の子の存在感が大きい。
彼女がゲームの舞台回しみたいな形になっていて、この存在がいなかったらこの二人はどうにも男性二人は寄りようもないし進みようもないし。
なのでこちらの方が物語性が強い感じがしますね、全体としての。
ミッチーがあまりにもびっくりよく言いがちな地味な中年。
そうですね。
一人でもいいもんとか思いながら同性婚の結婚相談所に行ってみたりとか、びっくりするほどダサい感じをね。
確かに。
やっていて、これはそこが見るべきところなのかな。
あと先生は不思議ちゃんだけど、意外と普通の高青年っぽくて。
あの先生の受け付けはちょっとありえなくないですかっていう話があって。
仮にも公立中学校の教師やってるわけですよね。
それで彼氏と別れましたと。
その後3ヶ月くらい車中泊するんですよ。
すごいですよね。
とにかくあの話、基本わけわかんないんですよ。
どうしても出会いからしてわけわかんない。
出会いもわかんないし、あの家に転がる、あの家を張りる。
例えば猫じゃない、犬になってるのがバレて、家を追い出されるっていう経緯から、もうファンタジーですよね。
独人ファンタジーですね。
もう圧倒的にでも恋愛に意外なほど重心が偏っているタイプのドラマだったので、そっちかと思ってびっくりしましたね。
今のところ3話、自分も3話までしか語られてないんですけど、まだ恋愛っていうところまではまだ進めないんですよ。
十分でも恋愛じゃないですか。
だからね、ミッチーが。
ミッチーじゃないけど役名があるはずだけど、もう全然覚えてないんで、ミッチー、テコシって言いますよ。
恋愛に惚れたっていう説明が第2話の冒頭ナレーションで出てくるんですけど。
あ、そうだったの?って思いましたよね。
ただの良い要素どこにあったんですか?
ただの良い人ってだけじゃないの?って。
どこにそんな描写あったの?
まとめたらそうなったんかいっていう不思議な話ですけど。
でも2話を見ると、2話にはこの人そこでうざい感じになっちゃってんだっていうふうにわかるんだけど、1話見た段階ではどこに恋愛要素があった?っていう。
思いましたね、私も。
でもまあ十分に力がある脚本家と多分力がある演出家が作ってるんでしょう。
とてもよくできてると思いますけどね。
今のところ、これはまだ見そうだなというふうに私は思ってますよ。
そうですね、結構ホロっとする部分も意外とっていうか。
だって女の子が一人になる話だってトンチンカンじゃん。
全て割り返し限りなくファンタジーです。
だから女の子も中学生の女の子が、母親がその会社のお金3000万を応領して逃げて逃亡生活を送っているっていう設定もよくわからないですよ。
すごいですよね。
でもだって顔安いんですけど、指名支配もされてるんですよ。
指名支配されてる。
指名支配されてるのに、ノココンと参考地とか行ってクレープとか買ってる。
買って歩いてるとかよくわかんないなっていうのと。
自分で作りなのかなと思ってみてましたけど。
私それで中学生の娘を一人置いて、別れた夫が、お父さんが家の周りをお金を求めてウロウロするとかって、どんなファンタジーだろうっていうね。
いやもう本当、典型的悪役みたいなお父さんが出てくるんですよね。
そもそも女の子の両親は離婚をしていますよと。
で、父親の方は新しい妻と結婚して。
家族があります。
家族があります。
で、それで母親と娘の二人で暮らしていたら、母親がさ、会社のお金を3000万を応領して、逃亡生活を始めていました。
もうそれだけよくわかんない。
よくわかんない。
よくわかんなくて。
それで女の子は、地層の人がね、あの施設に行ったほうがいいよって来るけど、一人で残りますって言って。
一人でアパート暮らしをしてるっていう。
一人でお父さんが面倒見てくれるっていうふうに言ってますっていうふうに言った言い訳で、
多分地層の人は忙しいんでしょう。その後ロックスポ確認もせず、親がいない状況を計測してると。
特定提出物が出せないっていうとこに来て、お父さんという存在が必要になって、親子契約を結ぶと。
人がいいだけのミッチの設定が、しょうがないから、わかったわかったって言って書いてくれちゃうっていう、そういうストーリーですよね。
女の子もめちゃめちゃ秀才キャラじゃないじゃないですか。
なかったです。
ないのに、なんであんな契約文作れるのって思います。
だってほら、それはだから、遠行の契約文を真似して作ったわけじゃん。
ああ、そうか。
パパカッツの。
パパカッツのやつ。
そうそう。そこで写してた。
そこら辺はね、ちゃんと設定して。
できてました。手書き今時。
今時だったらスマホで売って、コンビニ出力ですよって思いましたけど、そこは言い許して。
なので、圧倒的なファンタジーだけど、ファンタジーとして楽しく見えそうな気はするし、
そういう時の恋愛要素として、それがたまたま男と男であることは、空気として普通に、今は世の中であり得る時代になりましたねっていう。
そうですね。
そのぐらいのファンタジーの作品でしたね。
自分もね、たまってるやつを紹介しつつ。
面白い時代になりましたよ。楽しく消費してます。
あと、だから今日はもう一個おまけで、みんなおしゃべりを昨日ちょうど見てきたのでね、今回2日目かな、昨日は。
で、出演者挨拶がある回に、もういっぱいだったんですよ。
どこで見たかっていうと、タバタのシネマチュプキっていう、漢字字幕付きの普段はね、ローとかの人にも対応したミニシアターなんだけど、
私初めて行ったんですよ。今までもずっと気にはなっていて、行きたいなとは思ってたんですけど、関係者の人とかも来てくれたりとかしたりしたことがあったので、
そうなんですけど、行ったことがなくて行ってびっくりしたのは、20席のね。
その少ないですね。
ちっちゃいとは思ってたけど、そのちっちゃさなのか。で、ここまで普通の吹っ切り感をやっていて、
ここというスペースだけで今、2巻しか吹っ切りになって、景品特選演出の人とかね、埼玉の人はシネマチュプキ取れればそれでもいいと思うんですけど、
もうこの映画ができることは前からわかっていてっていうのは、この辺を監督がロケ版してた。
これはそうそう、どういう映画なんでしょう。
そうなんですよね、これ自体は東京国際映画祭アジアの未来文文公式出品作品って書いてありますけど、
劇映画で、今年レフリンピックがあったんですよね。
で、それを踏まえての、老の人たちを取り扱った映画に、なぜかクルド人をかませたという話で、劇映画なんですけど、
河合健さんという監督さんは、彼自身が孝太、つまり親が老で、彼自身は孝太として育ったという経験を持っていて、
それこそ何年越しまで温めて、今までも作品は作ってきたけど、これは本当に温めに温めてきた記憶で、
去年撮影して、今年レフリンピックの年に合わせて公開したっていう、そんな形なんですね。
で、やっぱり老の話、クルドの話というよりは、主人公の女の子が主人公なんだけど、
彼女は老人生で、母親は亡くなっており、母親は聴者、聞こえる人。
で、お父さんが老者、聞こえない人。
で、手話にすごいこだわって、日本手話社であることにこだわって生きてるお父さんがいるんですよ。
で、その弟もいるんだけど、その彼女には。弟も老者。
老とクルドの映画であるっていうのと同時に、子供たち、孝太としての主人公と、
で、主人公と親しくなるのが、そのクルドの男の子なんだけど、
彼は日本、設定としては日本生まれ日本育ちの日本語話者のクルドの。
で、親たちは日本語をろくにできない設定。
老の人も発声については不自由設定ですよね。
で、常に通訳、親の通訳をしなくてはいけない存在。
で、この映画の面白いところは、全編字幕。
で、字幕も、字幕自体が作品の意義みたいなところがあって、読める字幕と読めない字幕があります。
読めない字幕。
クルド語だったらクルド語がそのまま記載されて、翻訳されません。
で、一方で老の人たちの手話で、日本語が字幕で出るときもあるし、多分出ないものもあります。
だから、お互いの世界観について何の説明もあんまりないです。
だから、分かってるジャンルの分野がちょっと分かる。
分かんない分野もちょっと分かるっていう感じなのね。
で、ここのお話を動かしていくのは、もちろんこの主人公の女の子とその男の子と、あと弟。
弟はさ、ここがまあ多分、リパーソンになってるんだけど、弟っていうのはさ、老学校に行ってるんだ。老の教室に行ってるんだけども、
今時ね、これは何か説明する必要ないことは説明しないって監督が言ってるのに、私が説明するのもどうかと思うんだけど、
手話と言っても一種類じゃないんですよと。で、学校で習う手話と日本手話はまた違いますと。
で、それから今、人口内耳が発達していて、実際にはその、何て言うかな、人口内耳がある人とない人のその差も結構はっきりしてきてますと。
で、学校でもひとっくりにくくれず、何で会話していくかとか、
こっちができる人は常に割り送ってるとか、こっちができない人は割り送ってるとか、そういったことがまあどうしても起こってしまっている社会で、
ここがクルトンの人たちの世界と似てるなっていうふうに監督が思いついたことでできたような。
だからもうその、それは似てるよねって、多分言われた人たちっていうか、登場人物は全部ほぼ当事者がやっていて、逆はあるんですって。
だから長者の役を老者がやってたりとかは、エキストラ的なところではあるらしいんだけど、基本はほぼ当事者がやっていて、
だから説明をね多分役者さんにしたときに、そこの説明はうちのと似てんなっていうふうにお互いのこと絶対思ったはずなんですよ。
何でかっていうと、クルトンの人たちのその言語環境も、もうその、例えばクルトンってほら、国をまたいちゃってて、それぞれの方言が激しくなっちゃってるし、まず一つにはね。
で、クルト語できない人たちもいっぱいいるし、でもクルト人だって意識はあるけどクルト語ができないっていう人たち実際にいっぱいいるし、で、クルト語がトルコ、国内ではトルコ語はね、使えないっていう時代が長かったから、
そういう富士山学校ではトルコ語を学ぶっていうのがあって、さらに日本に来れば日本語を学ぶっていう状態があって、この人はトルコ語を喋るんでしょ?とかクルト語を喋るんでしょ?というだけでは解決しない、すごい複雑な言語状況がある。
これね、何を、ドッカーがキャッチフレーズで使ってましたけど、わからないことを楽しむための映画ですっていうふうに言ってました。
聞いてる分だと実験的な映画だなって感じはして。
全然面白いです、普通に。
普通に実験的な要素を含めながら、笑って泣いてみたいな映画で、ちゃんとドラマ性はわかんなくても成立するんだなってことですね。
だから全部を、もちろんあらすじは理解できるんだよな。お互いが揉めながら仲良くなる話、決まってんだよこんな話。
なんだけど、それでも、わかんないことはいっぱい、何度見てもその人は絶対永遠にわかんないだろうなって。
背景をかなり、でもわかりきることってどうせできないし、わかんなくてもいいんだなっていう、何らかの信頼感があれば、わかんなくても別に全部わかる必要はないっていうことを、たぶんすごい描いた。
ある意味、映画表現の中で説明をしているか。
そうですね。
字幕に頼らないで。
そうですね。字幕もあるし、あるけど、字幕すらも全部を説明するわけではないじゃないですか。
ローの問題は言語の問題だっていうのを、ローの人たちがこの中でもね。
自分たちは障害カテゴリーに入れられてるけど、そうじゃない。言語カテゴリー。
そうですね。ロー文化って一つの言語体系。ロー文化だっていう話はありますからね。
だから、そういう話とかも出てきて、言語好きな人には超面白いと思うので、よくできた映画だと思います。
いつまでやってるんですかね。
始まってばっかりだから、まだ当分、これ放送してる頃はユーロスペースとか、チューブ機とかでもやってるんじゃないですかね。
今実際満員だし。
それではここから、ユールクリア用語辞典のコーナーとなります。
このコーナーでは、我々がクリアだと思う用語について、我々の解釈で説明してみるコーナーとなっております。
ということで、今回の用語は何でしょうか。
今回はカモフラージュで。
カモフラージュ。
カモフラージュといえばね、それこそ同性婚ならぬ、同性愛者の異性婚とか。
そう、友情結婚と呼ばれるやつですね。
そうありますね、そういうのもあるし。
実際に同性愛者なんじゃないのって聞かれた時に、いやいや違うよっていう風になりすますために過剰に装いとかさ。
そうですね。
作り込むっていうのはありますよね。
僕たちんちの中でも、そのカモフラージュを捨てるシーンと言われてきていて、第2話だったか第3話かで、
手越くんの元パートナーの人、吉田さんっていう人がいます。
それは役名と本名がごっちゃになってて。
この人たちこれどうにかいいのかな。
ごっちゃになってるんですけど、役名で言うと作田作くんっていうのが。
すごい出てきた。
手越くんの役名は作田作っていう中学校教師なんですけど、
それで作田くんの元パートナー、元彼が吉田さんっていう人がいて、
元彼の吉田さんのところにミッチーが演じる畑野さんが、
行くんですよね。
行くんですよね。
事情があって。
そう事情があって行って、それでその2人で喫茶店カフェかクレープ屋さんでクレープを食べているシーンがあって、
そこで2人で面と向かって話をしている中で、吉田さんの指輪に指輪がついていることを畑野さんが気づくと。
そうですね。
それでそれ何ですかって聞くと、結婚してないのに何でしてるんですかみたいに言うと、
職場の人から結局あれこれ詮索、結構いい年なのに独身だと結婚してないのとか、
いろいろ言われるから。
言われるのがめんどくさいから指輪してるんですっていうような話をしていると。
それが一種のカモフラージュ的な要素ですね。
そうですね。
さくとさくぷんも別にカミングアウトを学校中に僕は実は同性愛者でとか言ってるわけではなくて、
かといって隠してるわけでもない。
これ本当に今時っぽいけど、聞かれたら言うけど聞かれなかったら言わないっていう。
それは波風立てたくないし、わざわざね。
だからそれでいいんじゃないっていう向きぐらいまでにはなってる人は結構多い。
昔と比べるとって感じがありますね。
自分も割とそういうスタンスです。
それで日常生活全然関係ない人にいちいち触れ回る必要もないしっていうところでもあるし、
なるべく世の中は波風が立たない方がいいなっていう思いもあるから、
カモフラージュってことが形を変えながらも社会の知恵的にありますよと。
この業界の人たちはそれはカモフラージュなのねっていうふうに口に出さないまでも、
なんとなくそこら辺の人のやり方を見ながら、
自分はこういう感じだなとかっていうふうに思いながら生きているっていうところじゃないですかね。
昔だとね、さっき友情結婚って言いましたけど、
昔、ちょっと一昔前に偽装結婚とかいう言葉があって。
言ったわ、その言葉あったわ。
カモフラージュっていうのは偽装みたいな感じのニュアンスになっちゃうと、
ちょっとマイナスイメージが強くなっちゃうけど、
だからそれって割とカミングアウト、ハードスタイルのカミングアウト。
強制じゃないけどね。
割と裏表の関係にあって、
そのカミングアウトを原理主義的に。
それもあるからね、一方で。
どんどんどんどん積極的にカミングアウトしなきゃダメだみたいな。
特に有名人はね、そういう人たちがカミングアウトしてくれることで、
社会的な揺らぎが起こって、他の人たちが暮らしやすくなるんだからとか言ったりもするけど、
いやそんなに同性愛者にだけ負担をかけないでくれっていうふうにも思うじゃないですか。
ある人もいるし。
一方で、だから私はそのカモフラージュ的に、
アウティングって言葉あるじゃないですか。
ありますあります。
もともとあれは当事者がこない始めたことでっていう話はあって、
でもやっぱりそこで矛盾を来さないようにしていくのが大事なのかなっていう気がしますね。
確かにね。
自分の気持ちを裏切らないというか。
本当ね、みんなおしゃべりの中で、
一番カモグラジュじゃないんだけど、それをイメージさせたシーンっていうのがあって、
お父さん同士が喧嘩をしていると。
老舎のお父さんたち、クルドのお父さんたちが喧嘩をしていると。
その時に子どもが通訳で入る。
で、子どもは揉め事が少なくて済むように、通訳する時に悪い言葉を消して通訳したりとか、
その間に入っている子がね、しちゃうと。
そうすることで、一時は喧嘩は収まるかもしれないけど、問題の解決にはちょっと遠ざかるところもあるじゃない。
疎遠になるっていうか、本当のところでの問題が解決しないというかさ。
子どもたちは、それはもちろん自分のストレスを減らすために、
まあいいじゃない、揉め事なんて、そんなない方がいいんだからって言って、
なるべくニュアンスを消して、いい言葉で説明していこうとする。
まあそれはほとんどカモグラジュと状況一緒なんだけど、
正直に言うことも、カモグラジュすることも、やっぱりそこら辺はバランスだよねって思わざるを得ない感じの内容でしたよ。
まあそこは、心が、メンタルがやられない程度に、ちゃんと整合性をとって、
なんていうか、自分の心理的安全性が保たれるような感じで。
でもやってみてわかるでしょ。実際にやってみたら、私あれで疲れたわとかさ、
あの本音が本当に混ざったわって、ここでカミングアウトしちゃったのが失敗だったわとかって思うじゃないですか。
カミングアウトの強制だけはやめていただきたいと思いますね。
まあそうです。
ということで、ゆるくいや洋文字展のコーナーでした。
二次芝は川口市芝のシェアスペースとプランで月2回開催しています。
ジェンダーやセクシュアリティにかかわらず誰でも参加できるおしゃべり会で、
LGBTQに関するさまざまな話題などについて取り上げています。
12月の二次芝は12月26日に開催予定です。
各回19時からJRわらび駅東口徒歩14分の場所にあるシェアスペースとプランで開催しますので、ぜひお越しください。
詳しい開催日時などは概要欄のホームページをご覧ください。
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それではお聞きいただきありがとうございました。また来週お会いしましょう。さよなら。