ポッドキャストの紹介とテーマ
13歳からのPodcast。この番組は、もし13歳の頃に戻ったとして、どうしても伝えたい生き方やノウハウを発信するPodcastです。
はい、ということで13歳からのPodcast、今回はよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
はい、改めて私が坂木バラで、田中の二人でお送りしてまいります。
田中です。よろしくお願いします。
何か名乗りましょうか、これから。
名乗りましょう。
最初。
名乗った方がいいかもしれないですね。毎回誰だよって思われてる気がするんで。
そう、1回目しか名乗ってない気がしますよね。
そうですね。いや、この前の収録で名乗ってないよねってことを思ったので、これから名乗ろうと思います。
名乗っていきたいと思います。
はい、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、今回のトークテーマに移りたいと思います。今回のテーマも、13歳の頃になったら考えるかなっていうことでこのテーマを選びました。
論理と感情の重要性
論理と感情をどっちを優先するべきですかという質問でございます。
はい、そうですね。大前提としてどっちも大事ではあるんですけども、結構、この人感情派だなって思ったり、この人論理派だなってなんとなくわかるというか、
友達でもいるんじゃないかなと思いますし、自分がどっち向きなんだろうなっていうのがわかったら、そのなんていうか、自分の起源の取り方であったりだとか、
他の人と、友達との付き合い方みたいなものもわかりやすくなるんじゃないかなと思ったんで、ちょっと考えてほしいなと思いますね。
そうですね。いや、どっちかっていうか、どっちかに分類はされますよね、なんとなく。
なんとなく見えてくるよね、なんかこう。もちろんその大半の人はどっちも持ってるんだけど、最後の人推しとか、ここ一番の決断でって言った時に、すごいなんかその人の色じゃないけどさ、出てくるよね、論理派なのか感情派なのかって。
わかるかも、それめっちゃ。確かに僕自身が、これは後で喋るんですけど、僕自身はどっちかっていうと感情を重視する派なので、最後の人推しは大体パッションが乗るか乗らないかっていう基準で選んだりしてます。
ただ、やっぱりその他の人とかだと、もうちょい夢追った方がいいよって僕自身は思ってるけど、いや私は守りに入りますっていう選択をしてる人とか。それとかは論理を重視するんだろうなっていうのは、日々人と触れ合う中ではこの人論理重視してんな、感情重視してんなっていうのは分けられるかもしれないですね。
そういったのを今日は考えていけたら楽しいんじゃないかなと思います。まず大前提としてですけども、どうですか、僕たちは大学院生なので、やっぱり論理ってむっちゃ重要っすよね。
まあ、論理が通らない主張って跳ねられますからね。
ねえ、厳しいよね。厳しい。風当たりが強いんですよ。やっぱり研究っていうものには根拠が必要だし、なるほどって思える妥当性が大切だから、それは本当?とか、いや、こういう考え方もあるんじゃない?とか、それはちょっとよく言う論理の飛躍、飛躍してないかみたいなことをね、論文書いたりとかするときに突っ込まれたりしますよね。
ああ、言われますね。
そういったときにちゃんと丁寧に、これがこうだから、これがこうなって、結果としてこういうふうに言えるんですっていう、順序立てて説明しないといけないし、そうやって書きましょうねっていうふうに、僕たちもね、論文の書くための授業とかですごい言われるんですよね。
うんうん、なんかその論文の書き方みたいなところとか、どういうふうに文章を書いたらいいのっていう回をやりましたね、最近。
うん、しました。
現代文の話やったじゃないですか。
はいはいはいはい。
あれでなんかそういった論理性を重視してやりましょうっていうのは、なんか日々勉強してるところですね。
そうですね、僕たちも前話したというか、その坂木バラくんがね、現代文の話をしてくれたときにもしてくれましたし、僕たちが授業とか、まあ大学生もなんか割と最初の方にやるんじゃないかなと思います。入学して最初の方にね。
まあ書き方もそうですし、いわゆるロジカルシンキングみたいなね、考え方みたいな部分っていうふうに、自分がこう今まで無意識のうちに考えていた考え方の手順とか手法みたいなものをいちいち言語化していって、
自分の考え方の癖を健在化させるっていうふうなことが必要だったり、そういったところがやっぱ研究では求められるっていう部分が大前提として、
まああるし、まあそういうふうにちょっと理にかなってないような話をすると、すぐ教授に、いや、たなかくんそれはちょっと違うんじゃないかなっていうふうに突っ込まれちゃうっていうね。
すごいヒヤヒヤするんですけどね。
中間報告とか。
そうそう。なんか、え、それをどういったデータから言えるんですかとかって、それなんか先行研究とかあるんですかって突っ込んだら、いや、そのなんていうかっていうふうにゴニョゴニョしちゃうとね。
あんまり印象よろしくなくなっちゃうっていうのがちょっと大学院生の厳しいところかなと思いますけども、でもやっぱ結構日常生活よりかは論理性を大事にしろって言われてるような気がしますね。
コミュニケーションのスタイルの違い
そうですね。
逆に僕思ったんですけど、今ちょうどこれ撮ってるときに実家に帰省中でして、久しぶりに地元の友達とか会うわけじゃないですか。
そしたら母親たちがこう、いわゆる井戸端会議というか噂話で盛り上がるわけじゃないですか。
まあ盛り上がってますね。
そう。だからどこどこの誰々さんがーとか、何々らしいよーとか、あれって実はーみたいな話をしたりしてるけども、なんかそういった話を聞いたときにすごい自分の親たちが盛り上がってるんですけども、
なんかこう、自分にとってはなんていうか、大学院のその論理性とかとはまた違うコミュニケーションの形だなーってすごい思って。
なんかそこに根拠とか、何か妥当性とかって多分あんま必要なくて。
まあ確かにね。
そうそうそうそう。何々らしいとかっぽいとか、まあもっと言うとちょっとセンセーショナルな感じの話で、なんか盛り上がったりするっていうのはまああると思うんですけども、
なんかこのコミュニケーションのあり方って全然違うなーってすごい思ったというか、
自分もそのね実家に行ったときはそんな話してたんだろうに、なんか逆に新鮮だなっていうのは帰省して思いましたね。
うんうんうん。改めて振り返ってみるとね、何の根拠もないような話を、取り留めのない話をしてて、なんだこれまあってなるかもしれないですね。
まあでも普通に生活してていちいち論理性なんて気にしないよねっていうのもあるんですよね。
まあ確かにね。
頭疲れちゃうよねっていうのはあるし、実際僕も大学院でその同じ院生と話してても、なんかこう頭使って疲れたなーって思うふうなことありますからね。
なんかそういった意味だと、なんかちょっと変な方向に慣れちゃってたのかなっていうふうには改めて思ったりとかして、はい思いましたね。
うーん、なるほどね。
まあで、ここから僕のなんか持論みたいな話になっちゃうんですけども、まあもちろんそのじゃあその、決してその大学院で話してるそういうなんか専門的な論理性のあるあの話がいいよねとか、
あの母ちゃんたちがやってる糸端会議はなんか良くないよねってしたいわけじゃなくて、あのどっちもどっちというか良いとこも悪いとこもどっちもどっちであると思うと思いますし、
そこに優劣をつけたいわけじゃないんですけども、まあなんかまあそれはそれとして自分がなんかどっち向きなのかなというか、どっちっぽいのかなって考えると、やっぱ自分は論理派なのかなっていうふうな思いますね。
ああ、なんかそんな印象はありますけどね。
あります?ここはなんというか、あのさっき最初の方にね感情派なんじゃないかなって言ってた坂木バラ君と、多分自分論理派だよなって思った中でちょっと別れましたけども、
なんか逆にどんなところからっぽいって思いますか?僕が論理派っぽいって思いますか?
あーとね、具体的なところではパッと思いつくわけではないんだけども、いろんなところの判断基準だったり、それこそ毎回あのこのポッドキャスト撮る前に打ち合わせみたいな感じで喋ったりしますけど、
うん、するね。
割かしその、なんていうかどういうこと喋ろうかなっていうのを論議立てて、論議的にそれが話せる内容なのかどうなのかっていうのはすごく重視してるかなと。
ああ、読まれてみれば確かに、あの変なこと喋ってないかなとか、話が急にどっか行っちゃったりしてないかなっていうのも意識してたりはしますね。
まあ多分これは田中くんがその元からやっていたあのアナウンスだったりラジオだったりっていうのを重視してるからこそそういうふうになってるのかもしれないけど、
そこになんだろう、やっぱり間違えたこと喋りたくないっていうある種の論理性みたいな、あのこのポッドキャストにおいてはちゃんと13歳に伝わることを喋りましょうっていうところ、いう部分を大事にしてるのは論理性はあるかもしれないという。
ありがとうございます。いやでも実際、間違ったこと喋りたくないなーっていうのは一番意識してることですね。
それで言うと、自分がなんで自分のことを論理派なのかなって思った理由みたいなところもあるんですけども、やっぱり今おっしゃってくださったその間違ったこと言ってたら嫌だなっていうふうなところはやっぱ大きいかなと思ってて、
友達と話したりとかしてたりするときに、もし自分が話した内容、相手が真に受けちゃったらどうしようってすごい不安になるんですよね。
うーん、なるほどね。
そうそうそう、まあそれが自分の研究テーマであったりだとか、自分の得意な分野でだったらいいんですけど、
経験に基づくアドバイス
まあなんか、もし自分があんまり知らない分野のことだったりだとか、自分の体験ベースの話とかを、なんかこう真に受けちゃったらどうしようかなーっていうか、
だから僕すごいいつも後輩とかにアドバイスを求められたら、僕もアドバイスはするんですけど、絶対俺以外にも聞いてね、自分以外にも聞いてね、いろんな人の意見聞いてねって絶対言わないと気が済まないんですよ。
ある種のその個人の感想ですっていう注釈があるんだけどね。
そうそうそうそう、ずっとそのCMのテロップでさ、あの米印でさ、あの健康食品でさ、そうそう、これを飲んだおかげで腰痛が楽になりましたって言ってるおじいちゃんおばあちゃんの下の方にそうちっちゃくテロップが書いてあったの、あくまで個人の感想ですっていうのがあれあれ、そうそう。
あれなんだ。
そうそう、僕一言話してるときずっとあれなの、あの首からつり下げてんの、あの個人の感想ですっていうのは、そうそうそうそう、これも僕が実家に帰ってるときのエピソードになるんですけど、あの高校も後輩で、大学も後輩に当たる子が一旦いるんですよ。
いるって言ったのは、僕はその高校生時代にその男の子とは顔を見合わせたことがないんで、あのお母さん同士がこう知り合いで、それでまあなんかこう今回初対面でみたいな感じで、まあでもまあ要は後輩ですよね、あのはい、高等大学の後輩みたいな子がいたんですけど、まあその子がその大学院入試をね、こう考えてますというふうにおっしゃってて、
で、僕が大学院生だから、あのこう、ぜひアドバイスをみたいな感じで、すごい話を熱心に聞いてくれたから嬉しかったんですけども、僕文系で、その子理系なんですよ。
あー、必ずしもね、同じこと言うわけではないですね。
そうなんですよ。だから、まあ僕がじゃあ、あの大学院に入学するためにどういう準備をしたのかとか、どんな話を誰に聞いたのかみたいなのは、あの話せたんですけど、あの100%同じじゃないだろうから、絶対その、そのなんだろう、やりたいテーマがあるんだったらその大学の教授に聞くだとか、
まあその入試の方法が知りたいんだったら、その大学の事務室の職員さんに問い合わせるだとか、絶対聞いてねっていうふうにすごい念押しして言ったというか、はい。その子にも言ったんですけど、僕は君を大学院入試の入り口の一歩手前までは連れてってあげれるけど、
その先はもっと専門的な人に聞いてねってすごい念押しに行った、言ったなーっていうのを思い出したんで、ちょっと僕の体験を振り返らせてもらったんですけども、まあそんなことを諸々考えると、僕は割と感情派ですか論理派ですかって言われたら、まあ論理派というか、なんか論理をこう重視しないと気が済まない子、肌切るというか、なんかそんな感じなのかなっていうふうには思いましたね、はい。
なるほどね。いや、それ考えると、ちょっとこれ質問みたいな感じになるんですけど、人の矛盾点とかによく気づく方ですかって項目あるときに気づく方だっていう。
あーあの、説明するとあれだよね、就活の適性検査とかでね、性格診断みたいなときに聞かれるやつね、で、あなたはその人の矛盾点によく気づく方ですかって5段階ぐらい、とてもそう思うから全く思わないまでの5、6段階で選ぶやつだよね。
そうですね。 あーなんだろう、それはでもね、あんまり気づかないよりにしてるというか、なんかこう、あえて気づかないようにしてるというかって感じかな、なんかこう、気がしますね、なんか気になっちゃってつっかっかっちゃうとさ、相手が気持ちよく話してるのにさ、こう、話のペース乱したくないなーって思っちゃったりとかするし、
あれって思ってもグッと飲み込んで、あーそうっすねーって言うのがなんか、自分だなって思いますね。 あー、だから論議を重視するとは言ってるけど、あの理屈っぽく突っ込むみたいなことではなく、感情、相手の感情もんぱかって、あの、それを大事にするっていうのを両方持ち合わせているわけだ。
いやー、そうっすねー、なんだろう、あれかもしんない、あの、高校時代とかの話になっちゃうんだけどさ、こう、頭のいい友達がさ、こう、論議を振りかざしてさ、こう、なんていうか、肺論破的なことをさ、こう、そういうやついるじゃん、そういうやついるじゃん、高校の頃に、絶対クラスにはいるじゃん、そういうやつ見て、うわー、なんかやつって思ってたから、そういうふうにはなりたくないなっていうふうに思ってるのが未だにありますね。
へー、じゃあそこ、外面のそういったところは、相手の感情を重視して、でも自分の中で立てる論理は、論理性を重視してって。
あ、そうだね、おっしゃる通りで、別にこう、相手が喋ってることが、その、論理性が乏しいとかいちいち突っ込むつもりはなくて、あの、なんていうか、まあ、面白ければええやんって多少こうなんていうか、楽観的に思ってる部分はあるんですけど、なんか自分が話すときにはやっぱ、そこはちゃんと忘れたくないなっていうふうに思ってますね、ただそのなんかこだわりみたいなものは、あの、相手に押し付けすぎないようにしようとしてるつもりではあります。
まあ、確かにね、まあ、自分の中の論理は大事にするけれど、その全体の論理的に、その自分の意見っていうのは一貫そうだよねっていうのは、全てのセオリーじゃないよねっていう、両方大事にしてるわけですね。
まあ、そうですよね、諸世術ですよね、はい。
諸世術だね、なるほどね、田中斎藤は、まあ、論理を大事にする。
まあ、論理を大事にするということで。