現代文の選択
Sakakibara
じゃあ、後半戦、私の話で行きましょうか。 僕も掘り下げてほしいと思いながら喋るんですけれど。
坂木バラ君は、どれですか? 僕は、理系だったのに、文系になって理系に戻るっていう、複雑な流れをした中で。
高校までは理系で、大学で文系になって、大学院からまた理系に戻るっていうね。 そう、そういうキャリアなので、
じゃあ、なんかそういったのを選ぶんじゃないかなとか思われるんですけど。 僕、あえて現代文を選びます。
現代文? 現代文です。 なぜ? よく江戸時代から、江戸時代の教育は、
読み書きソロ版っていう3つの原則で成り立ってるのって、有名な話だと思います。 読み書きソロ版。
で、まぁ、ソロ版は別なんですけれど、読み書きの重要性がすごく高くなってるっていうのが、このAIの時代において僕自身すごく痛感してることだなと思ってます。
なるほど、現代、このAIが普及している現代において重要だと。 そう、あの、よりもっと掘り下げていくと、まず読みからいくんですけど、
現代文とかで、よく説問があって、共通テストとか5択、4択か5択の選択肢の中から1つ選んで、選ぶじゃないですか。
tanaka
あるね。 だいたい2個に絞って、どっちかなって悩むじゃないですか。 そうだね。明らかに違う問題が3つ、説問が3つぐらいあるからね。
で、そのうちの2個をなんで選べないかっていうふうな、なんで選べないと思います。 えー、やっぱその例題の文章をちゃんと読み込めてないからとか?
あの、あ、説問に注目してみるとっていう話でいくと。 説問が。 本当の回答の選択肢っすね。 選択肢、なんでだろう、なんかすごい急に塾で言われるようになったけど。
なんでだと思う? えー、なんか、問題文の指示により合致してるのはどっちかみたいな話?とか、そういう感じ? あー、違う、あ、違う。
Sakakibara
違う。 あー、やばい、ちょっと弱いかも、俺、現代文。 僕もめっちゃ弱いんですけど、弱いなりにいろいろ考えて、はい、わかった理由がありまして、
あの、書いてないことを読むやつがバカほどいるんですよ。 書いてないことを読む? そう、説問に書いてないことを読んじゃうんですよ。
書かれてないのに、こう言ってるんだと思って、間違った選択肢を選んじゃうってこと? そう。 だから問題文の、その、僕が前回、その、なんて、回答例から読み込んで、
いざ、この選択肢だとか、こういう論述をすればいいっていうのを勉強したって話があったと。 大学受験の時ね。 はい、振り返ってくれれば嬉しいんですけれど、
あの、だいたいその回答例の説問を、説問から回答例作るときって、ここの箇所の言い換えをしたものが基本的に回答になるじゃないですか。
まあ、そうだよね。基本的に書かれてないことは正解にはならないよね。 だけど、恐ろしいことに、僕も含めてなんですけど、文章をニュアンスで読んじゃうんですよ。
あ、なんとなくで読んじゃうってことか。 そう。なんとなくこういうこと言ってるだろうなーっていうのがあって、で、その状態で説問を見たときに、明らかに違うものは消せるんだけど、
二択に、二択で迷ってしまうのは、言い換えてるやつか、言ってない、ニュアンスあってんだけど言ってないこと言ってるやつかなんですよ。 だいたい。
あー、なるほどね。なんか上手くカモフラージュされてるんだ。 そう。で、僕らはニュアンスでしか理解してないから、なんとなくこういうこと言ってただろうなーっていうので、
実際、本文には書かれてない論理性だったりとか、本文に説明されてない用語だったりとかっていうのが、あ、これ、ちょうど説問で言ってたことに関連する用語でこういうのあった気がするし、こういうこと言ってるやろうなーって選んじゃうんですよ。
確かに、なんかそう選んでた気がする、俺も受験生の頃。 いや、僕はそれをして、現代文の成績が恐ろしいほどずっと悪かったので。
書き方の重要性
Sakakibara
苦手科目全然現代文だったっす。 だから、それはあくまで大学受験とか受験の話なんですけど、これは実際、社会に出たあとでもまさに出てくるなと思う。
僕は日々、Xとかツイッターで、いわゆる議論をしてる人たちっているじゃないですか。
いるよね、バズってるよね、よくね。 その人たちって、その人たちのなんでこういうことになってんだろうっていうのを見たときに、みんな書いてないことを読むんですよ。
あー、そこまで言ってないのにみたいな。 そうそうそう、あるじゃないですか、伝わんなくて。
あー、まあ確かになんか主語がでかいとか、なんか言われたりするよね、なんかね。 主語がでかいは、主語がでかいっていうのは書き手の問題もちょっとあるかもしれないですけど、ごめんなさいね。
実際、こういうこと、こういうネガティブなニュアンスのことは、まったく言ってない事実だけのことを言ってるのに、その事実から自分のことに落とし込んで、自分が傷つけられた気持ちになって、ふざけるなーとかって言ったりするんですよ。
tanaka
あれって書いてないことを読んでんですよ、はっきり言ったら。 そうだよね、そんなつもりはなかったのにみたいなことがあったりするよね。
Sakakibara
で、それで、まあいろいろと言論とかを見てる中で、書いてないことを読む人ってこんなに恐ろしいほどいるんだなーっていうのをすごく痛感してるのと、
tanaka
吉橋はともかく正しい議論ってできなくなってるなーっていうのはすごく感じますね。 なるほどね。
Sakakibara
たのこくんの言ってる歴史の中で、歴史の中で正しく対話ができたケースみたいなものって、正しく対話できれば、戦争なんてそもそも起こんないんですよ、はっきり言って。
tanaka
そうだね、実際その認識の底であったりだとか、コミュニケーション不足だったりだとかで、不中になっちゃうってことは、国家間かもしれないし、それは隣人とかもしれないし、割とありふれた問題ではあるよね。
Sakakibara
で、それがなんで起こるかっていうと、読みができないから。 っていうのがあって、で、それがなんでAI時代で大事なのかってとこに落とし込めますが、
なんでなんで? いわゆるフェイクニュース。 なるほどね。 だからAIが作った嘘の情報に、自分のことを落とし込んで、書いてないことを自分感情で煽られて、それを言ってしまってっていうのが増えていくと、
tanaka
もうカオスになっちゃうんですよ。 確かにね、そのネガティブな情報ほどね、あの世には早く回るって言われるしね。
Sakakibara
そう考えると、なんていうか、人のネガティブな感情を煽るビジネスみたいのが今後増えてきちゃうと、なんかそれに振り回されっぱなしになっちゃいそうだよね。
tanaka
いや、僕はそれをすごく懸念してますね。 ありがとうございます。まあ、それが今、読みの部分ですね。
Sakakibara
はい。で、書きの方に言ってくると、書きはそれこそ、ちょうどXとかツイッターの話もしたので、その書く内容をしっかり見極めて書くっていうのも大事ではありますが、
もっと僕らが接点としてあるんじゃないかなと思うのが、それは例えばレポート課題だったり、もしかすると社会人になってから報告書書いてくださいとかっていうタイミングとかがあるんですけど、
その時に恐ろしいほどに論理を果たしてる文章を書く人が多いんですよ。 いわゆるアカデミックライティングって僕ら大学の頃学びませんでした、最初に。
tanaka
そうだね、レポート論文を書くためにはちゃんとルールが存在していて、それにのっとって書かないと減点しますよって言われるよね。
Sakakibara
私はこういうことを思ってます。なぜならこういう背景があってこういうことを感じてます。例えばこういうことがありました。これらをまとめてこういう印象を抱いたので私はこう感じていますっていうふうに。
これが一般的なアカデミックライティングというか、割とよくある手法なんですけれど、この論理性がごっちゃごっちゃでぐちゃぐちゃの文章を結構書いてるんですよ。
だから一目で見てわかりづらい文章を書いてるんですよ。
tanaka
そうだね、報告書なのに他の人が読みづらかったら意味ないよね。
Sakakibara
それで、それがまたコミュニケーションズレを生むこともあったりして。
tanaka
あーまあ、言葉足らずというかね。
Sakakibara
そう、どこまで説明すればいいんだろう、どこまでやればいいんだろうっていうのは。それは社会人になってもそういう問題がありますし、
受験っていう結構リアルな観点で話すと、記述苦手じゃないですか。
tanaka
大変だよね。記述問題大変だよね。
Sakakibara
記述ってめっちゃ大変じゃないですか。
tanaka
うん。
Sakakibara
あれとかが苦手な人って何を書けばいいのかっていうフォーマットを理解してないだけだと思ってて。
tanaka
まあ、確かにそもそも書き方だったりとか、そのルールみたいなものがわかってなくて立ち止まっちゃってる人はかなりいるかもね。
Sakakibara
そこの論議を1回知っておくことで、書きって結構できるようになるので、
そういう書き方のフォーマットを現代文から学んでおくっていうのは非常に重要だと思ってます。
あの、このフォーマットをそのまま書いてるのを教えてくれるのはどっちかっていうと、僕は予備校だと思ってて。
教育の必要性
tanaka
あー、でも俺あれだったな。浪人時代の小論文の講座受けてた時、むちゃくちゃわかりやすかったな、その小論文の担当講師の先生の文章の書き方を。
でしょ。
Sakakibara
意外とそういうのって予備校とかじゃないと教えてくれなかったりするんですよね。
tanaka
予備校の回し物ではないですよ、我々。
Sakakibara
回し物ではないんですけど、これは結構リアルな話というか。
tanaka
言われてみれば確かにそうかも。もちろんね、丁寧に指導してくれる先生もいらっしゃるだろうけど、
俺もなんかその成功体験、なんか自分でわかりやすい文章を書けるようになったなって思ったのは確かに予備校の時の方が強かったな。
あとは俺放送部だったから、部活とか。
あー確かにね、確かにね。
でもなんか国語の授業の中でそういう感じだかって確かにあんま感じなかったかもしれない。
Sakakibara
なんかその先生の解釈でふんふんこういうふうに思ってるんだねっていうのをお互いが書き写してみたいな感じでやってたので、
明確な書き方のフォーマットって実は教わってないんですよ。こういうことがあったからこういう感じだというふうにやってますっていう、なんですかね。
問題文の、説問のここの回答箇所の言い換えをして繋げてまとめましょうみたいなことやってるので。
それってここ大事だな、ここ大事だなっていうニュアンスを理解してそれを上手いことふわって繋げてみたいなことをやってるじゃないですか。
それを例えば、あえて言うなれば似た内容はイコールで繋げましょうとか、違う内容は矢印、両側の矢印でやりましょうとかっていうのを記号でつけたりする先生もいるんですけれど。
回答例で書くときに矢印をちゃんとしかしっていうふうに置き換えて、ニコルの内容は同じくとか、っていうふうな具体的な書き方の言い換えの1対1の言い換えとして置き換えてみたいなことって教えてないじゃないですか。
ニュアンスでやればって感じなんで。
tanaka
たしかに、当たり前すぎて教えられないみたいなパターンもあるのかもね、その人にとってはね。
Sakakibara
いや、だから、でもそれって意外とみんな共通にしとれてないんですよ。
なんとなくここの因果が合ってるだろうなっていうので繋げて、例えば重要な内容が1、2、3っていうふうな論議であったとしたら、2、1、3とかで書いてくるんですよ。
tanaka
なるほどね。ちょっと気持ち悪いね。
Sakakibara
気持ち悪いけど、なんか文章としてはなんとなく読めるからいいやつって、回答するとかも全然あるんで。
ちゃんとその論議が1、2、3ってあれば1があります、それによって2があります、だから3になりますみたいな。
っていう、ほんと畜合訳、古文でいう畜合訳じゃないんですけれど、そういった論理性のある文章を書きましょうっていうところは、現代文と小論文かな、引き加えるなら。
逆にそこの機会でしか学べないと思うので、そこで学んでおく必要は絶対あるなと思ってます。
だから、もし学校生活の中で考えるとするならば、先生がどういうふうな論理でそれを書いてるんですかっていうのを掘り下げていくことはすごく大事だと思ってて。
tanaka
なるほどね。
Sakakibara
僕が13歳、戻ったら、それを現代文先生に聞きたいです。
tanaka
確かに。先生がどうやって書いてるのか、どうやって評価してるのかっていうのは確かに、一回ちゃんと言語化しとかんと、結局お互いあやふやなままで終わっちゃいそうな気がするよね。
Sakakibara
なんでこの点数なんだみたいな。体感言ってることだいたいこんな感じで書いてるはずなんだけど、なんでこんな点数低いんだっていうこととかあると思うんですけど。
tanaka
あり得るよね、確かに。
現代文の重要性
tanaka
それは例えば論理が破綻してるとか、適切な具体を引っ張ってきてないとかっていうのがあったりするので、現代文の先生がどういうふうに回答を構築してるんですかっていうのは、ちょっと聞いてみたい、普通に。
確かに。
Sakakibara
うちの学校とかは、現代文の先生が小論文も兼ねてたので、結構そういったのをわかりやすく説明してくれる先生だったなっていうのがあったんですけど、意外とそれをふわっとニュアンスで説明してる先生とかもいるので、
これはほんと出会う先生にもよるかなと思うんですけれども、もし聞けるのであれば覗いてみたいと思ってます。
tanaka
それ聞いてみて、僕の感想なんですけど、そう考えてみると確かに、書くことと読むことって両輪だよね、片方、両方やることによって両方の理解度が上がるっていうか、
自分がちゃんとロジック立てて書けるようになるから、ロジック通りの文章が読みやすくなるし、一方でそういうふうにロジカルな書き方をされている文章を読むことによって、自分の書き方もよりロジカルになるし、そう考えると確か読み書きってすごく両方やってこそだなってすごい思いましたね。
Sakakibara
なんだろう、識字率高いじゃないですか、日本って。
tanaka
そうだね、これはほんと高いって言われるよね。
Sakakibara
だけど、識字率が高いがあまり、書けるでしょっていう前提に立っちゃって、僕らはそういう論理の話をしてないなっていうのはすごく思ってて。
tanaka
確かに。
Sakakibara
わかるでしょっていう前提になっちゃって。
tanaka
改めて具体的にじゃあ、文章の書き方説明してください、一からって言われたら、それはなんかフィーリングでって言いたくなっちゃうかもね。
Sakakibara
そう、だから今こそそういう論理っていうところをわかる先生にちゃんと聞くっていうのが大事だと思ってますね。
tanaka
そういった書き方、読解力っていうのが最初の方に言ってくれたそのAI、フェイクっていったものをちゃんと見れる神秘感みたいなところに繋がってくるってことだよね。
Sakakibara
そうですね、書きの観点でAIの話してなかったのでそれ付け加えましょうか。
書くってもう人間がAIにかがしちゃうみたいなこととかもうみんなザラにやってるなって思うんですけれど。
あえて言うなれば、AIとかは結構ロジック、頭がいいので論理性がちゃんとしてる文章を書いたりはするんですけれど、
例えば時折とんでもなく論理が崩壊してる文章を出してきたりとかってあるじゃないですか。
tanaka
あるね。
Sakakibara
あるじゃないですか。変なこと言ってしまして。
tanaka
それは言い過ぎだろとか、本当にその情報正しいのみたいな。
Sakakibara
あとはそこからその論理に飛躍するのもどうなんだろうとか。
tanaka
基本指定してこないから、これとこれって関係ありますかって言って、直接的にはないですが間接的にはあります。
Sakakibara
それは物事なんだって間接的には影響あるだろって。
tanaka
そんななんか当たり障りのない回答してんじゃねえよってたまに思ったりすることありますけどね。
Sakakibara
そうなんですよ。だから人間が、ただこれから思う有意義な情報とか書かれている情報って、
人間が書く情報がより価値があるようになるなというふうに思ってるんですけど、ちょっと難しい話になっちゃうんですけどね。
tanaka
まあそうですよね。
Sakakibara
AIがみんなバーって書いちゃってたら、
情報を知りたいとか、こういったノウハウがあるっていうのを知るための情報としての書かれているものって、AIがだいぶとって変わるなというふうに思うんですけれど、
tanaka
例えばコラムだったりとかエッセイだったりとか、人間の主観がちょっと現れる文章って、やっぱりAIでは書けないんですよね。
人間味とかその人らしさみたいなものは滲み出てくるよね、文章からね。
Sakakibara
問題はそれをしっかり適切な形で伝えられることだと思ってて、そのためにAIほどじゃないんだけど、人間として書くことの論理性っていうものを書きで勉強しておくことによって、
人にちゃんと伝わる文章になったり、コミュニケーションがずれたりってことも減っていくっていうのはあるなと思ってて。
AI時代だからっていうのもそうなんですけど、昔から大事な問題かもしれないですね、これは。
tanaka
それは確かにそうだね。結局読むことも書くことも、それなりにやっぱり訓練がいることではあるからね。
なんとなくとかフィーリングでっていうと、気づいたらなんかあれ俺何もわかんねえやってことになったりすることになりかねませんからね。
Sakakibara
本当、あえて付け加えるならば、例えば検索したときに表示されるものって、今もAIが最適化した文章出すんで、AIが書いた文章の方が上にくるんですよね。
tanaka
出てきますね。
Sakakibara
その中でその人間が書いたっていう情報が埋もれないために、そういう論理性がしっかりした文章を書くっていうのも大事になってくるんじゃないかなと思ってます。
だってAIの方が読みやすい文章を書いてるんだったらAIの方読むじゃないですか。
tanaka
それはそうだよね、なんか負けちゃうよね。
いくらその人間が書いた文章の方が知識的には正しくても、読みづらかったらなんかAIの方が正しいのかなと思っちゃうよね。
Sakakibara
そう、だからそのもっともらしさみたいなのをAIがどんどん作っていくようになってくんで、
AIと人間の文章
Sakakibara
僕らはそれに負けないように論理性の正しい文章を書き、正しい事実に基づいて書くことによって、より人間として伝える情報を洗練させていく必要があるんじゃないかっていう、
やばい、壮大な話になっちゃったなこれ。
tanaka
どっちも壮大な話になっちゃうけどっていう話。
Sakakibara
結論を言うと、読み書きちゃんとできないと正しくコミュニケーションできなくてめんどくさいことになるし、時間の無駄になりますよっていう。
tanaka
そうね、結果めんどくさくなるからね。
コミュニケーションずれっすね。ずれが一番だと思うので。
Sakakibara
そういったのを、より読み書きを勉強することでそういっためんどくさい問題を解決しちゃいましょう。
それは後々の人生にもめちゃくちゃ生きてきますよっていう、はい、そんな話です。
tanaka
ありがとうございます。
Sakakibara
はい、こんな感じでいいですかね。
tanaka
お互い最終的になんか壮大な話になっちゃったけどね。
Sakakibara
そうですね。なんかもうちょいざっくり言うと、これから先生きてく上で大事になってくるよっていう。
tanaka
そうだね、なんかそういう時代だよね。本当に。
多様性もそうだし、AIの普及もそうだし、そうだと思います。
Sakakibara
はい、いろんなことを考えながら僕たちはこの2つを挙げましたが、皆さんもし事例がありましたら、
なんかコメントとかに書いて、私はこれ大事だと思いますとか言われれば聞いてみたいですね。
tanaka
決して今回挙げたね、歴史と現代文以外はないがしろにしていいというわけではございませんので。
Sakakibara
全然それはないんだよ。家庭も大事ですから。
tanaka
そうです。しいて言うならこれかなって僕たちが思ったのを挙げさせてもらったので、ぜひ皆さんの推し、強化を挙げてもらえると幸いでございます。
Sakakibara
はい、ありがとうございます。
ということで今回のトークテーマ、「ぶっちゃけ何の科目ができたら得?」というテーマでお送りしてまいりました。
今回もご視聴いただきありがとうございました。ぜひ皆さん次回もよろしくお願いいたします。
それではまた。
ありがとうございました。