2022-07-18 17:47

番外編#13 因果関係とは単なる思い込み?

【お知らせ】

Episode19~22の内容をブログにまとめました。
カスタマーサクセスにとって言葉はなぜ大事か?
https://cs-harmony.com/podcast/verbalizing/


【本編の紹介】

因果関係について話しました。

・哲学者ヒュームは語る「因果関係は思い込み」

・行動経済学から理解すると腹落ちできる

・地動説は将来にわたって覆らないのか?

・知識をつけると悪影響もある?

・異質を認められる謙虚さを持てるか

サマリー

CS Harmony Radioの番外編では、人格関係と因果関係について話し合われています。因果関係については、デイビッド・ヒュームの考え方が紹介され、経験や知識に基づいて自分が判断しているものだという主張がされています。また、それによって思い込みや誤った結論が生まれることもあると指摘されています。なお、この話題は他の分野でも類似の議論がされており、現代の常識や教えが後付けである可能性があることも指摘されています。

人格関係との関連
では、CS Harmony Radioの番外編を始めていきたいと思います。
今回はですね、ちょっと前ですかね、
構造課のところで少し人格関係という話が出てきたと思うんですけど、
そこのちょっと深掘りというか、をしていただきたいなと思います。
どちらかというと、ちょっと難しい話を今日はしたいと思うので、
本編でやるとちょっとつらいんで、ちょっと番外編で、私と堀さんと2人でしょうか。
わかりました。深くわかってないんで、話を聞かせていただければなと思いますので、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
で、人格関係って、もともとは仏教用語ですかね、因果方法の因果なんですけど、
そこから話すとわけわかんないのと、あと定義し始めると、なんかいろんな論争が起こりそうなんで、
今回このポッドキャストのこの回の中では、
こうすればこうなるくらい認識したいなと。
わかりました。
思います。で、もともと因果関係って結構私の場合は問題分析とかをするのに使うんです。
研究者なので、根本の原因なんですかっていうところを突き止める必要があって、
そのために主に使うことが多いんですけど、
そういう関係で、因果関係って結構こだわりがデッキにあって、
なるほど。
調べるとですね、リストテレス時代ぐらいにさっぱ残ったりするんですよね。
そんなに戻っちゃうんですね。
哲学の人が好きな感じなんですよ。
で、これ言い出すとめんどくさくて、因果関係って存在論みたいなのがあって、
因果関係というものが存在するのかとか、そういうなんか難しい話が出てくるんですけど、
その辺の歴史は別途どっか誰かに見てください。もしくは調べてみてください。
ちょっとやってると時間がないってことですね。
はい。っていうのは難しいのと、私も読んでるんですけどよくわからないので。
なるほど。
デイビッド・ヒュームの考え方
難しい。
で、その中で個人的にスタンスに近いなと思うのが、デイビッド・ヒュームっていう方が、
簡単に言うと、因果関係って自分とか人の過去の経験に基づいていて、
そもそもそんなものは存在しないっていう主張をされてます。
で、これお話ししてクリアにしていきたいんですけど、この考え方が結構私はいいかなと思ってて、
ちょっと耳も蓋もないなと若干、いさしを思ったんですけど、大井さんどう思います?
この話本編でもちょっと触れてたくだりのところですね。
なので出典本というか、この定義を喋ってる方がデイビッド・ヒュームさんという方ですかね。
ちょっと今調べてみてるんですけど、大体300年前ぐらいに方。
300年前からそんな話が出てるんですね。
そうですね。もっと言うとアリスト・テレスぐらい。
アリスト・テレスからずっと脈々ついてるんですけど、300年前にそういうちょっと…
こういうぶっこんでくる人が。
そうですね。割とそれ言ったらもう全てなんか覆っちゃうよなみたいな感覚は今持ちましたから。
それどの辺でハラオチ時間・ヤギさん出てきたんですか?
この辺を紐解いていくと、別の分野でいろいろ考えた時には確かになと思ったのが最終的な話なんですけど、
別の分野で言うと農家国の話とか、経済森林学みたいなところでちょっと流行ったファスト&スローって本、ご存じですかね?
どれだけしか聞いたことなくて。
システム1とシステム2っていう。
あ、システム1、システム2の話。
そうそう。認知バイアスの話。
私的要約をすると、単純に人間ってね、生涯でしないと生きていけないっていうのが脳としてはあるじゃないですか。
例えば目の前にライオンが現れた時に、なんだろう、こいつはどういうライオンで?みたいな。
考え始めてもどうしようもなくて、とにかく逃げろよみたいな。
生存本能としていちいちスローの方で考えてると間に合わないので、
ファストの単純計算でパターンで動く方で動きやすいという話だと思います。
それがこの本の中というか、スローの方が本来はしっかり考える方なんですけど、パターン認知でいっちゃう方がファストなので。
ファストの方が結構支配的な時が多くて。
確かにそうですね。
それに関連するのが、因果関係で言うと、因果関係ってさっきほどちょっと言いましたけど、こうなればこうなる。
2項女子自称があるんですよね。前半の自称と後半の自称。原因と結果っていう2項の関係がある。
人間ってこのファスト&フルスローの2項のものがつくと、関連づけって考えようとする性質がある。
だから下駄を中に投げて、裏だったら雨だろうっていう、くっつけると。
普通に考えると関係ないことでもくっつけたがるという性質があって、そこが多分ヒュームの自称に近いものだと思います。
なるほどですね。
思い込みや誤った結論
要は2項あって、自分の経験値もしくは知識を基づいて判断していって。
これは因果関係だと思っているのは、あくまでも自分が知っていることとの紐づけに基づいて、これは因果関係だと決めているんじゃないかなという話だったんです。
なんかその辺って日本だと結構意識強いんですかね。
そうなんですかね。
今の話聞いててちょっとパッと思ったのが、風が吹けばお部屋がもうおかしくなる。
まさにですね。
まさにじゃないですか。
あの話って時代背景的にも、現代というよりもっと昔の話だし、自称とか天候を見てこんな風になるだろうとか、そういう話って事例はいっぱいありそうかなと思ったんで。
ヨーロッパだけで言われている話というよりは、
じゃあ全然ないと思います。
割といろんなところでこういう議論があって、それを底限というか論としてまとめたのがヒュームスタンみたいな人たちがいるっていう、そんな感じなんですかね。
そうですね。突き抜けて考えたらそうでしたみたいな感じだと。
確かに高い力はありますね。
他の分野でもうちょっと農科学というか認知の話から、実際の自然科学みたいな話を移すんですね。
例に出しやすいので言いますけど、天動説と地動説の話あるじゃないですか。
昔は天動説が信じられていて、宗教的にもそれが正しいとキリスト教とかが言っていて、その後地動説が正しいと言われてますけど、実際はどっちかまだ本当はわかんない。
またくっつけるかもしれない。私が実際に直接見たわけではない。わかりませんけど、ただ地動説なんでしょうねとは思いますけど。
天動説にまた戻ることがあるかもしれないってことですか?今の話って。
今はみんな地動説と思ってますけど、それって思い込みかもしれないじゃないですか。
絶対戻らないとは言えない。
おそらくおっしゃる通りですね。
っていう話かなと思ってて。
昔は天動説がみんな経験則および理論上もそっちの方が正しそうだみたいなのをそれこそ認知バイアスで集めて、それが因果関係だと。
こうなるからこうなんだと決めてたんですけど、それって実は違ってて、本当は地動説みたいなのがあって、自然科学でもよく起こる。
もっと言うと、これはニュートン力学って一番有名な、リンボが落ちるやつがあるんです。
その後、アインシュタインの量子力学で一部、そうじゃないって部分が出てたりしてましたけど、拡張されてるという意味も取れますけど、
もともとのニュートン力学で信じられてたことじゃないものが後付けで理論上で出てきたりとかっていうのを、技術的な進歩ってそういうふうにできてるんです。
もともと因果関係だと思われてるのは、それは勝手に思ってて、人が。
だいたいこの場合はこうだみたいなのを思ってるんですけど、突き詰めてみると違うものが出てくる。
それって、要は具体的にヒューマンなんですけど、人が過去の経験とか知識とかで得てるもので、これとこれはこういう関係だと結びつけてる。
結びすぎなくて。
で、後で覆ったりとかってことが起こると。
思い込みだよね、みたいなところが、実物的に考えてもそうなのかなって思った。
そうですね。
この説はそうだろうなーっていう。
むちゃむちゃありますよね。
そういった話で言うと、やっぱり僕らも今生きてて、昔と常識変わってんなと思うので、
例えば、昔だと怪我したら消毒してバスコーを貼りましょうみたいな措置だったんですけど、
今ってなんかこう、あえて熟々にして出陣の用語っていうんですけど、
前は消毒して完全に乾かして貼るみたいな話だったのが、
だいぶやり方違ってきてるのっていうのも、
メカニズムが解明されてたことによって、
治療としてはこっちのほうが実は良かったみたいな話って、
今も我々の生活の中でも変わってきてますよね。
で、その話って、インカの話って面白いなと思ったのは、
なんかそういうふうに証明できるものって覆しやすいんですけど、
一方で、なんかフラッシボっていうか、
なんだろう、信仰的なものに近いんですけど、
例えばなんか緊張したときに、手のひらに人っていう文字が飲むと落ち着くっていうのあるじゃないですか。
はい、ありますね。
因がもうあるかどうかわかんないですけど、
なんもないですね。
ないと思っているけれども、でも結構やったりとか、
それにすがってる人もいるじゃないですか。
はい、いると思います。
よくあるのは血液型もそうですよね。
Aだとこういう人であるとか、
Bだとこういう人であるとか。
そういうのって結構愛嬌に行き止まりがないなっていうのはすごい感じるんで、
なんなんでしょうね。
いろんなことって提案中から言えるんですけど、
残っていくやつってなかなか、
なんでそうなったみたいなやつとかって結構考える人が多いなっていうのは、
ちょっと話ずれちゃいますけど、
広がり方みたいなところって面白いなって思っちゃいますけどね、
そういう意味で言うと。
そうですね。
因果関係ってすごく強くいろんな人が言ったりしますけど、
実は別に大したことないっていうのをちょっと主張したいところ。
それを言うと確かにそうですよね。
多分我々の中だと、
コンサルタントの人の主張とかって結構そういう因による論理ブーストをして、
AであるからBであるっていうのを結構言われることは多いですけど、
それも下手したら適当に言ってるかもしれないっていうことですよね。
本人は悪気があるかどうかの依存はあるかもしれないですけど、
もちろんもちろん。
ロジカルであるとか論破するみたいな話って、
別になんかねえって思い込みでかもしれないですよね。
あとパワーで決まったりしますしね。
まあでも確かにそうですね。
結論上で言うと、
因果関係と相関関係
やはり因果関係っていうのは個人の経験とか知識による思い込みと思っていいんじゃないかなと思ってて、
実務的な観点、ビジネス的な観点で考えたときに、
自分も思い込んでるし、
ってことは相手も思い込んでるんですよ。
因果関係って言っているものと、あと例えば相関関係って言葉もありますけど、
相関関係と因果関係の差なんてわからないんですよね、実際は。
まあ確かに。
因果関係、一個だけはわからない。
因果関係の場合は原因が先行するっていう決まり状があるので、
原因が先です、結果が後ですっていうのもあるんですけど、
相関の場合はちょっとそこ怪しい。
それだけはありますけど、
それを除いちゃうとその差ってなんだろう?
本当にそうですね。
文字通りの本当に因果っていう話と、相関っていうだけの話なんで、
これが因果であるというふうに決めることっていうのは、
モデリングとコミュニケーション
この話ではできないんですよね。
っていうスタンスに立ったほうがいいんじゃないかなと私は思って、
そうすると例えば、絶対的な因果関係って、
例えばニュートン利益学絶対だと思っても絶対じゃなかったりとか、
普通にするので、すごい法則性になったとしても。
なので、そういうスタンスに立って話をしたほうが、
だいたいコミュニケーションとか一緒にうまくいくんだなっていう。
で、例えば問題構造図みたいなのを書き出し、
こういうふうに困ってますよねとか、困ってる頃こういうふうに書き出したりとか、
それを構造化してメール化したりするとかっていう、
それはある意味モデリングですけど、
そういうのを使ってコミュニケーションするっていうのはすごく重要で、
じゃないと絶対的な公式があるならそれだけでいいので、
一回見ればいいんですけど、そんなの知らなくても、
みんなでそういうのを認知してるっていう行為って非常に重要だなと思ってます。
一応本編につながるお話として、モデリングとコミュニケーションの話かなと。
2つ思ったこと言っていいですか。
はい、どうぞ。
1個は今の最後のヤギさんの主張のところはそうだとまさに思って、
結局みんな好き勝手に思い込んでいるわけだから、
思い込みを同じ方に調整していく必要があるっていうところなんで、
因果関係と僕らが信じているものをどういうふうに擦り合わせるかっていうのはあると思うんですけど、
認識として唯一無二のものではないっていうことを意識しないと、
簡単にズレやすいっていうことですね、逆に言うと。
その因果と思っているものも人によって全然違う。
ニュートン力学とか重力みたいにも、ほぼほぼそうだろうっていうところはそんなにズレないですけど、
経験則に基づいている話だと、その辺ってすぐズレますよね。
そうですね、ズレます。
例えば営業さんの因果関係の法則で思っていることと、
開発の人の因果関係の法則で思っているベースって全然違うから、
そういうのってズレるって思ってコミュニケーションしないと、
なんでズレるんだっていうところで対立したりとか、
うまく降りられなくて、結構自己降りやすいですよね。
なんであいつ分かってねえんだって話になったりとか、
全然ダメだなっていう話になりがちなんで、
それすごい気をつけたいなと思ったっていうのが1点と、
もう1点は質問にちょっとなるんですけど、
因果関係って経験を積むことによって、
いろいろ因果の引き出しが増えていくじゃないですか。
はい、そうですね。
逆に言うと。
逆に言うとそうですね。
そうなるときに、その引き出しを持っていることがいいか悪いかっていうのって、
なるほど、面白い。
むずいなと思ってて。
難しいですね、確かに難しいと思います。
ベテランの人の知見ってすごく有用であるという話がある一方で、
若い発想が必要だみたいな話もあるじゃないですか。
ありますね。
でもそれって多分発動条件が違うときの話としての期待値を言っているんだけれども、
なんかあんまりその辺の話って明確じゃないから、
聞いてよかったというか、聞いたら意味わかんねえなって話と、
なんかどうしても混ざっちゃうんですよね。
確かに。
なるほど。
なんかいい方法ないかなって今話してて思って。
どうなんですかね。
知識をつけることによって悪影響は実際ありますよね。
ありますね。
同じバイアスのものばっかり見ちゃうと、
それがそうだと信じちゃうんで、
そういう感じかなとは思いますけどね。
月並みの話で言うと、
あれですね、初心忘れないでみなさいねとかそういう話になっちゃうんで。
面白くないですか?
いやいや、でもそうかもしれないですね。
ちょっと注視なきゃいけないなと思ったのは、
同質化していくと一質な人に対する対応っていうのは、
別にどっちが正しいっていうのがない世界もあるじゃないですか。
でもなんかやり方とか考え的に、
こういうふうがいいよねっていうのは、
同質な人だと因果とかの考え方も揃いやすいんで、
なんか相談って話とか、
そうですね。
コミュニケーションとして会いやすいんですけど、
でも一質な人からしたら全然考えてるロジックが違う話があって、
でも別にどっちがいい悪いはないんだけど、
その話になった時に、
なんか同質化してる人の集まりの方がやっぱり、
パワーバランス的に強くなっちゃうっていう時に、
その一質的な人を、
これだからダメだよな、
あいつらなんか会ってないなみたいなふうに捉えるっていうのは、
すごく危険だなって思って、
自制しようと思った反面、
なかなか難しいなと思うちょっと。
なかなか難しいですね。
現実問題ね。
スピードとか、危機嫌いが気づいてると、
サクッと合わせたいと思う気持ちもわからなくてもないなと。
こういう話になるから、
やっぱり哲学的に盛り上がるっていうことですね、
因果関係は。
そうですね。
いやいや、でも面白いですね。
話題的には。
普段考えないですけど、
でもやっぱり初心を忘れないっていうのは、
ちょっと心に刻もうと思いました。
普段こんなことばっか考えてます、私は。
すごい。
っていうところでちょっと小難しい話を、
今日はさせていただきました。
ありがとうございました。
はい、ありがとうございました。
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