ここで簡単な解説をお届けしましょう。
ユニックスとは、ベル研究所で開発されたオペレーティングシステム。
UCバークレーの学生たちが新しいバージョンのユニックスを作り、
無料で配ったことで世界中に広がりました。
これがインターネット誕生のきっかけとなったと言われています。
ユニックスは人のためにコンピューターがどう働くかという大きなテーマに、
真正面から向き合った、まさに時代を先取りしたシステムでした。
単体で高性能なコンピューターを実現するのではなく、
コンピューター同士がつながり、その力を人間全体のために活用するという、
コンピューターが人間のために何をするかという哲学を追求したOSだったのです。
そんな当時の開発者の強い思いを知っているからこそ、
インターネットの起源は軍事技術ではない、フェイクニュースだ!
と村井先生は熱弁していたわけなんです。
まさに、インターネットの父として知られる、
村井先生らしいエピソードというわけですね。
では、続きお楽しみください。
その当時って村井先生は、シリコンマリーにいたよね。
バークレーンね。
バークレーンにいたんだ。あれ、いつからいついて、
それってインターネットのちょっと前からいるんだっけ。
僕、インターネットの前です。
だから、やっぱりユニックスコミュニティと、
バークレーンを中心としたユニックスコミュニティがあって、
その理由はケントロプソンがサバティカルで行って、
授業をやったんだよね。
カーネルのソースコードの授業をやってるわけ。
それで、OSのカーネルのソースコードの授業をできる奴っていうのを作った奴ぐらいしかいないんで、
実は僕もずっとそれを大抵やったんですよ。日本で。
なるほど。
デックのセミナーがあって、すんげえ高いセミナーがあって、
それで、これでOSの中身を解説しちゃうっていうのがあって、
それのバイト僕やってましたよ。
ちょっと僕もその頃まだ若かったんだけど、
デックがボストンで、そしてサンマイクロシステムスがカリフォルニアで、
なんかちょっと東と西とシステムファイルとBSDみたいな。
今の時代交渉がちょっとずれてる。
なぜかっていうと、バークレーンに、ケントロプソンがバークレーンに来たよ。
これ70年代の最後なのね。
それでそこで覚醒が効いてるわけよ。
それでUNIXの中身全部知っちゃったわけよ。
ずるいよね。俺なんてこうリバースコンパイルでさ、
勉強したのに。
でもまあソースコードあって。
それでうまく、その連中のうちの一人がビル・ジョイなんだよ。
それでビル・ジョイが同期なんだけど、
それで82年で、なんか俺は割合KOで収支取ってるから、
なんか収支取れたよとか言って、
もう言ってたわけ。
そしたらドクターじゃない?今度は2人の挑戦は。
それでまずね、ビルはね、こんなこと言っていいのかどうかだけど、
あのUNIXのマニュアルをコチキスで周りのやつが止めて、
それで終始論文になったよね。
それですごいんだよ。
それでつまり書かないね、論文を。
そうこうしてるうちに、なんかね、博士号の論文書くより面白いことがあるって言って、
サンマイクロシステムを始めた。
そうなんだ。
アンディ・ヴィクトリー・シャイムと一緒にね。
それでスタンフォード・ユニバースティ・ネットワークってグループがごそっていって、
ビルをOSのやつとして入れて、
それで作ったのがサンマイクロシステムでしょ。
だから最初サンが新しく、じゃあCOも雇おうかとか言ってた。
ガレージでまだやってた頃。
その頃は僕はずっとその辺に既にいたわけ。
で、ある時、なんかドクターより全然面白いよ、アベンチャー始めるのって。
ビルが言い始めて、おっとって言って、
それで俺はこっちで相変わらずドクターで、
彼はスタートアップ始めて、そのサンを始めた。
82年。
村井先生の同僚として登場するビル・ジョイという人物は、
UCバークレーでユニックスの改良版であるBSDの開発に携わった長本人。
後にサンマイクロシステムのチーフサイエンティストとして活躍しています。
そして村井先生がもう一人のジョイである伊藤城一ことジョイさんと出会ったのも、
この頃だったようなんです。
その頃あったんじゃない?だから俺がね、覚えてるのはね、
どっかモーテルみたいな、シリコンバレーのモーテルで、
そこにジョイが訪ねてきて、それで会ったの覚えてるから、
それが80年代の前半だったと思います。
80年代のどっかだよね。僕もちょうどビル・ジョイとか、
ちょっと歳が僕の下だったんだけど、あの辺とはちょっとつながってたけど、
でももうインターネットが多分始まった後なんじゃないかな。
まあでも84年が僕高校卒業して、
で、その時インターネットちょっといじってたんだけど。
82年に4.2BSDっていうのが配られて、そこに初めてこう、
まあヨタヨタなんだけどさ、TCPAPのソースコードが入ったんだよね。
で、だからそれでだいたい、まあイーサネットの出現がそのくらいでしょ?
やっぱり80年代の前半。
イーサネットがないとやっぱりつなぎ方がわかんないとか、
まあ長距離ができるのはアンパネットみたいに、
お金持ちじゃないとできないから、回線借りなきゃいけないからね。
それで、それでしょうがねえなって言って、
これやっぱり何か所つなぐのでも500万ぐらいかかるなとか言って、
じゃあこれ1000万かかるなとか、
そういうので各会社に500万出してよ、500万出してよって言って
ワイドプロジェクトっていうのを始めた。
それが86年。
ワイドプロジェクトとは、村井先生が主導するインターネットに関する研究運用プロジェクト。
平王大学、東京大学、東京工業大学をつなぐデータ網を構築したことがきっかけとなって結成されたもので、
日本におけるネットワーク基盤の構築を推進した、
まさにインターネット連盟機の立役者的存在なんです。
84年、85年とかってパソコン通信はやってたの結構。
東京のパソコン通信のコミュニティを作って、
その頃はサンとか買うお金ないから、アップルとかWindowsで、
イーサネットでつないで、それで初めてTCPIPがMacとかWindowsでダウンロードできるようになって、
そしてMacとPCを初めてつなぐことができたっていうのを、
80年代の中旬ぐらい覚えてて、
そして一番最初に僕サン接触するの結構後で、
確か92年ぐらいにユーズドな安いワンプラスか何か買って、
サーバー立ち上げて、それが富ヶ谷のホームページになったっていう。
そうだよね。覚えてるよ。
あれはサンだったの。
自分家だよね。
自分家だよ。
俺遊びに行ったこと覚えてる。
それでね、ちょっと今すごく重要な、結構歴史で語られてないけどめちゃくちゃ重要なことを思い出したから、
忘れないうちに言っとくね。
あのね、バークレーの連中とその79年から80年代の頭で、
僕バークレーに住んでたわけじゃないんだけど、
もうしょっちゅう行ってて、あの地震があったときなんかもうずっとあの辺でうろうろしてたから、
とにかくたくさんの時間を過ごしてたんだけど、夜通しね、ソフトウェア書いたりしてたんだけど、
そのとき4BSDっていうのと、これがVAXのバーチャルマシンのアーキテクチャで作ってた、
これがまあ出来が元のベルケンのユニクスより全然いいわけ。
はじめからバーチャルマシン狙いでやってて、だから性能も良くて、だからみんなそれが好きで世界中に配られたわけね。
それから2BSDっていうのがあった、その弟分みたいな、そのバージョンが4点いくつっていうのと2点いくつっていうのがあって、
2BSDっていうのはPDPレベルの上にバークレーのユニクスを動かすっていうプロジェクトだったわけ。
これがね、歴史であんまり語られてないんだよ。
なぜかっていうとね、これをやってた奴らが、例えばリック・アダムスとかマイク・カレルスとか、そういうベルの次の世代、ちょうど上位との間にいるぐらいの世代。
これがね、要するに弟分だからさ、小さなコンピューターの上で4BSDで出来た技術をずっと移植して、
DIとかスイッチシェルとかそういうのをどんどんどんどん2BSDに入れていく。
ちょっと小さいコンピューターにきゅうきゅう言いながら余計なことそぎ落として入れていくっていうのが2BSDプロジェクトってのがあって、
そうしたこいつらがやったことが結構歴史上大きなことで、それはIBM PCにユニクス移植したんですよ。
なるほど。
そうするとこれが、今のVMとかさ、全部386のアーキテクチャでちゃんとバーチャルマシンがあって、その上にユニクスのオペレニクス載せられるわけじゃん。
これで突然この、産はまだ高いよね。それでワークステーションっていう。
ところがPCの上でフルユニクスが動いちゃうわけ。
これのエクサイティングなプロジェクトをやったんだけど、ちょっとこれあまりにエクサイティングすぎて、あいつらすぐBSDIっていうベンチャーを作ったわけ。
そこで、やっぱBSDのやったことはオープンソースっていうか、ソースコードで世界中に配ったっていうのもあるんだけど、
それからATTのライセンスが、ベルケンのライセンスがまだ残ったのを、それを全部消したっていうのね。
自分で書き直して。それでそこの資材を完全にフリーにしたっていう。
それでもう一個やっぱ、IBMPCに移植したことある。
はい、村井先生が語る、歴史で語られてないけどめちゃくちゃ重要なこと。
こちらを少し整理してお届けしましょう。
簡単に言うと、ユニックスがどうやってみんなのものになったかという話です。
ベル研究所が作ったユニックスを、UCバークレーの学生たちがもっといいバージョンを作ろうと改良版を開発し、無料で配布しました。
これがBSDというシリーズだったことはお伝えしましたよね。
ここで村井先生が熱弁しているのは、その下の世代であるリック・アダムスやマイク・カレルスという開発者たちが成し遂げたこと。
それまでユニックスを使うには何百万円もする専用コーピューターが必要だったんですが、彼らは当時普及していたIBMのPCでも動くようにしてしまった。
つまり、高級車でしか走れなかった道路を、軽自動車でも走れるようにしたような感じですね。
さらに彼らは、ベル研究所が保有していた権利を全部書き直して、これはもう完全にみんなのものですと宣言した。
このみんなで作ってみんなで使うというスタイルが、後のインターネット普及の大きな原動力になったということなんですね。
それによってIBM PCのオペレーションシステムが、例えばWindowsだけだったのが、ユニックスも動いて、
しかも嬉しくてしょうがないんだよね。IBM PCそこら辺に転がっているやつにフルユニックスが乗るんだよね。
これが、今までは全部タカー、IP、DPカー、バックス買わなきゃいけなかったのが、
IBM PC、秋葉原行って買ってくると、あれはどっかのビジネスのところのお下がりで動いちゃう。
これはね、結構すごい、インターネットの世界ではすごいことだったと思うんだけど、
この間誰かと繋がしてて、それであれ?これってそういえば知ってる人が、結構よく歴史を知ってる人も知らないんだよ。
というわけで、記録に残すために今しゃべった。
ジョイさんと村井先生のインターネットに関するお話は、まだまだ続きます。
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ベル研究所が開発し、後にUCバークレーの学生が改良を加え、
世界中に広まったオペレーティングシステムは何という名前だったでしょうか。
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