1. Joi Ito's Podcast
  2. #65 「お嬢ちゃんは家に帰りな..
2025-06-03 19:40

#65 「お嬢ちゃんは家に帰りなさい」屈辱を力に変えた女性起業家の物語|伊藤穰一 × 林千晶(ロフトワーク共同創業者/Q0代表取締役)

spotify apple_podcasts

今月のお客様は、ロフトワーク共同創業者で現在Q0代表の林千晶さん。Joiさんとは2000年代からクリエイティブコモンズやMITメディアラボで共に活動してきた20年来の盟友です。「私の人生、Joi」と自らが語るほど、深いつながりを持つ2人。果たして、どのように出会ったのか?その謎を紐解きながら、林さんの波乱万丈な起業家人生に迫ります。

幼少期に過ごしたアラブ首長国アブダビの思い出や、いじめを経験した日本の学校。そして、ジャーナリストを目指してニューヨークでインターンを積んだ経験から突如、2000年にベンチャーを立ち上げ。

投資家から「お嬢ちゃんは家に帰りなさい。東大とハーバードを出てないとベンチャーは無理」と門前払い。六本木で涙を流した屈辱の夜から、どう這い上がったのか?

2万人のクリエイターネットワークを築くまでの道のりと、20年来の友人だからこそ語れる起業家精神の源流、ぜひお楽しみください。



【編集ノート】

編集ノートでは難しい用語や人物名などの詳しい解説をお伝えしています。 

https://joi.ito.com/jp/archives/2025/06/03/006068.html




【NFTを無料でプレゼントしています】  

番組をお聞きのみなさんに番組オリジナルのNFTをプレゼントしています。下記リンクにあるMintRallyのJoi Ito's Podcast特設イベントページでゲットしてください。

https://www.mintrally.xyz/ja/events/923

NFT受け取りのひみつの「あいことば」と書かれた部分に番組最後に登場した問題に対する答えを記入してください。

ヒント:スペースなし半角英数字でお答えください。






【デジタルガレージ Web3のコア人材募集中】

https://recruit.garage.co.jp/fintech/


See Privacy Policy at https://art19.com/privacy and California Privacy Notice at https://art19.com/privacy#do-not-sell-my-info.

サマリー

伊藤穰一氏と林千晶氏のトークでは、林氏のユニークな育ちやビジネスに対する思いが語られています。彼女は日本に帰国後、起業を決意し、厳しい現実に直面しながらも自らの道を切り開く姿勢が強調されています。このエピソードでは、女性起業家の林千晶氏が経験した屈辱的な瞬間を乗り越え、ロフトワークというクリエイティブな企業を立ち上げた物語が語られています。起業における信頼関係の重要性や広告代理店との違いも詳しく取り上げられています。

林千晶の背景と育ち
千彩ちゃんとは、ロフトワークも一緒にやって、クリエイティブ・コモンスも一緒にやってもらって。
もうね、私の人生ね、Joy。
デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことJoyさんが、今一番興味のある分野を深掘りしていくJoy Ito's Podcast。
本日のお客様は?
だからあれだよね、もう友達っぽく普通に喋っていいよね。
このPodcast聞いたことある?
聞いたことある。
相手によって全然違うんだけど。
そうだよね、全然違うよね。
ロフトワークの共同創業者で、現在Q0の代表取締役を務める女性起業家、林千彩さん。
Joyさんとは2000年代からの中で、クリエイティブ・コモンスやMITの研究所、メディアラボのお仕事も一緒にやってたんですって。
今日はそんな20年来の友人で、ビジネスパートナーであるJoyさんと林千彩さんとのトークをお届けします。
Joy Ito's Podcast。
はい、千彩ちゃん、じゃあ、Podcastに出ていただいてありがとうございます。
結構、いろんな人出てもらってる間には千彩ちゃん出てもらってなかったんだけど。
そうなんだよね。
身近に居すぎちゃってたのかもしれないんだけども。
そうだね、だから千彩ちゃん、まず自己紹介と出会いから始めようかな。
ちょっと千彩ちゃん、自分の話ちょっとしてもらって。
自己紹介?人物ぞ。
人物的なところもあるので、ちょっと育ちのところから始めてもらっていい?
確かお父さんの仕事って海外からみたいな話から。
そう、父の仕事で、幼稚園の時にアラブ諸国のアブダビに行って、
小学校4年かなくらいで帰ってきて、
新潟に1年、世田谷に1年っていう形で引っ越しをして、
だから、ちっちゃい頃はアラブ諸国、その後ずっと大学生になるまで日本だったんだけど、
やっぱり英語を使って世界と話したい。世界って広い。
だから、日本の中で自分がもし会わなくても、世界にはどこかでそのまんまの自分で認めてくれるところがあるはずだっていう感覚が、小学校の時に気づかれたっていうのはあるかもしれない。
起業への道
アブダビにいて、日本に帰ってきた時にいじめられたんだよね。
日本で?アブダビじゃない?
アブダビでもいじめられたし、日本でも、あの人ってアブダビっていう変なところから帰ってきたし、信号とかもなかった国なんでって、でも勉強はできるみたいな、あの人嫌みたいな、そういうのもあって、
普通の自分を出したら嫌われちゃうんじゃないか。だから抑えとかなきゃいけない。
でもそこで僕もアメリカですごいいじめられて、で、クラス一番ちびだったんだけど、帰ってきたらそれでも一番ちびだったし、いじめは下手だけど、でも帰国史上っぽいところは近いよね。
いじめられるよね、何かとね。
日本ってちょっと変わってるといじめられるよね。
いじめられるっていうか、本当にこうなんだよバカ、なんとかっていうんじゃなくて、ちょっとこう煙たがられるっていうか。
僕も夏だけは、うちの岩手のおばあちゃんのときに、アメリカって夏休み3ヶ月あったので、1ヶ月だけ岩手に行って、岩手で日本の小学校とか行って、もう後ろから、This is a pen?とか言われて、もう外国人いないから、だからいじめとはちょっと違うけど、すっごいやな気分になるんだよね。
そうなんだよね。だから、そういう意味で、どこか世界で、日本じゃ自分が会わなくても、世界に行けばどこかで会う国がある、みたいな感覚は、小学校のときから持ってたかなっていうのはある、今は。
なるほど。じゃあその後ずっと日本で日本の大学出て、就職してっていう感じだよね。
だけど、そのときにオーストラリアに1ヶ月行ってみたり、大学のときにアメリカに行きたいって父に言うわけ。だけど、そしたら父が、英語を勉強しにアメリカに行くのはダメだと。そうじゃなくて、これをやりたいから、それを実現するにはアメリカじゃないとダメって言うんだったら、行っていいと。それができたら留学させてあげるって言われて、えーって言って、それが答えがなかなか見つからなくて。
で、社会人になって3年目ぐらいのときに、あ、やっぱこれで見つかったと思って、これで留学します、みたいな。で、留学したから。
そっか、それ何の理由でどこに留学してたんだっけ。
え、ジャーナリズムを勉強したり。
そこでライターになるのね。
うん、そうなの。だから、大学のときからいつか隙を見てって思ってたんだけど。
なるほど。それって日本卒業してから?
日本卒業してから。
日本卒業してから、日本大学。
それで行って、帰ってきて、ジャーナリストをやって。
うん、帰ってきて、ジャーナリストやらなくて。だから、アメリカ行って、ニューヨークで1年間、インターンでジャーナリスト、まあやったんだけど、ジャーナリストもどきみたいなことをやって、で、でも私はアイラの記者になりたかったから、日本に帰ってきたわけ。
それで、朝日新聞の中途採用に応募して、で、その頃に、須賀くんはニューヨークに住んでて、で、チョーキちゃん、なんか起業しようよ、ネットで、みたいな。
それ何年?いつ頃だの?
え、1998年とか99年。
じゃあ、ちょうどインターネットが盛り上がってる。
そう、盛り上がってるとき、アメリカでね。で、だから、こんな盛り上がってるんだから、やろうよって言って、そういう怪しいのは嫌だから、私はもうジャーナリストになると。
でも落ちたら、まあやってもいいよ、ぐらいに落ちるつもりなかったから、で、言ったら落ちちゃったのよ。で、どうしようって、ちょいやろっかって言って。
ああ、そうなんだ。
そうなの。
で、そのとき2人ともニューヨークで、でも事業しようって言ったときにはもう動いたの?
私が一人で戻ってきた。
でも、えっと、事業計画はニューヨークに居たときに書いたの。だから、事業計画は全部英語で書いてるの。
私が一人で。こうかな、かな。
で、アメリカでやろうと思ったの?アメリカでお金集め?
うん、アメリカではやろうと思ってない。
せっかく英語を覚えたし、ジャーナリストだから英語で書こうってそういう感じなの?
あのね、そのときはやっぱり考えるのが英語になってて、で、っていうのは、アメリカのさ、ベンチャーがどんどん、PRタイムズみたいなのにこう1日100件、200件上がってくるから、
それを全部記事を見て、このベンチャーが面白いんじゃないの?っていうことを京都通信で記事にしてたから。
自分の頭の中が英語になってる。
頭の中が英語になってるから、だからそれのあれでなんとなく英語で書いてたね。
で、それもうそこでいきなりロックワークができちゃうの?
で、じゃあ立ち上げようと思うから、日本に帰るねって言うと、私一人で日本に帰って、で、諏訪君とそのときシステム作ってくれてた京都通信のシステムの担当の人は2人ともニューヨークで、私だけ日本に帰って。
で、もう最初からビジネスモデルはこのクリエイターのネットワークで云々かんねんって、そこはもう最初から。
そこは変わらないの。
変わらないの。で、なんか前聞いた話だと、この話、外に出ていい話か分かんないけど、お父さんの友達にビジネスの相談しに行ったらあんまりこう応援してくれなかったみたいな。
そうそう、そのときは、頭の中はニューヨークのベンチャービジネスの雰囲気を、だからベンチャーやりたいって言ったら、さぞ応援してくれるだろうなって思ったわけ。
それで日本に帰ってきて、投資家に会ってみる。
で、しかもすあと、かまたくんっていう2人はニューヨークだから1人で会いに行くって言って、3、4人会ったのかな。
で、その中の1人に、その父の知り合いの人がいて、インキュベーションするみたいな会社でね。
父ってほら基本的に好きなことやりなさい。
だけどそれは自分の人生だから、自分がやれることをやる。
親とかは関係ないよねっていう、すごいリベラルな人だから。
で、なんだけど私がこうベンチャーやろうって言ったら、さすがにこう何か自分で応援できることないかなと思ったみたいで。
じゃあこの人に連絡してみるねって言って、父の紹介で会って。
で、そしたらお嬢さんって言って、花王に戻りなさいと。
ベンチャーはそんな甘い世界じゃないから、ナンバさんとか楽天のみきたにさんとか共通してることは知ってるって言って知りませんって。
東大とハーバード出てることだよと。
それを出てなかったらベンチャーはうまくいかないんだよと。
僕が本書いてるからそれにサインしてあげるからって言って。
私六本木だったんだけど、その会社が。
もう涙が出てきちゃって。
お父さんに申し訳ないやら、情けないやら、でもそうじゃないんじゃないかって思うやら。
もう人に会いたくないって泣きながら帰ったのを覚えてる。
女性起業家としての挑戦
2000年に、友人の諏訪光さんとロフトワークを立ち上げた林千秋さん。
ロフトワークは今や2万人が登録するクリエイターネットワークを抱え、
ウェブサービスの開発や映像、広告プロモーション、空間デザインなどさまざまなプロジェクトを手掛けています。
ですが、設立当初は厳しい時代があったんですね。
アメリカに行ってジャーナリズムやって、インターネット見てやって、
クソ親父に嫌なこと言われて泣いちゃったって、そんな感じだよね。
まあ、そうだね。
でもそこでめげなくて。
いや、めげた。かなりめげた。
あ、そうなの?
だって、言う人はさ、
偉い人なんだよね。
ものすごい偉い人でさ、ベンチャーの世界の有名な人だからさ、だと思ってたから、その時は。
だから、やっぱりダメなのかな。だけど、やりたいし、みたいな、なんかそんな感じだった。
女性だったっていうこともなんかあるの?あんまり関係ないの?その段階では。
女性だったっていうことは、その時は言われなかったけど、でも、お嬢ちゃんって。
そうだよね。そこは失礼だよね。
お嬢ちゃんって、戻りなさい。こんなところは来ちゃダメよって、言われた。
こんなところは来ちゃダメよって、言われたのは、やっぱり女性の通用する世界じゃないよっていうのもあったんだと思う。
で、どうなると?その後。
で、その後、もうじゃあ、お金、投資家に出してもらわなくていいと。
って思ってたら、何人かの人が、上位に話を聞いてもらえばいいと思う。上位に話を聞いてもらえばいいと思って。
3人ぐらいが、上位っていうわけ。だから、会ったこともないけど、じゃあその上位っていう人に会わせてもらえますかって言って、上位に会うっていうのがもう最後だと思ってたの。
で、でも今まで散々こう。
99年とかだっけ?
2000年。
2000年。じゃあ、ちょうどバブルがはじける前だよね。
女性起業家の物語
はじけるか、はじけないかぐらいだったと思う。
2001年だよね、多分、AOLタイムワーナーでこう、ドットコムが終わるっていう。
そのちょっと前だよね。
ちょっと前。
僕もちょうどお金集めて、おっきいオフィス偉そうにしてた。
そうそうそうそう。
一瞬のこう、ちょっと思い出したんだけど、その風景も。
そうそう。それで、右肩上がりの全く根拠はない、その事業計画だったり、いろんなものをとはいえ、数々の投資家に言われたこととかをこう反映して、で、資料を作って、で、あとでも自分だけだったら怖いから、北野さん?
で、北野さん横につけて、北野さんついてきてって言って。
北野さんというのは、ソニーコンピューターサイエンス研究所の代表取締役、北野裕明さんのこと。ロフトワークとはいろんなお仕事を一緒にしているみたい。
北野さんとはどう繋がっているの?
北野さんとは、別れた旦那が仲良くて、それで紹介してもらってとかっていう感じだったかな。
なるほど、そうだね。
そうそう、それで私も、今でも忘れないんだけど、上尉に、あの事業の説明をしようと思いますって言って資料を渡したら、上尉、ピャーって、ピュルルルって言ったら、ほって、もうそれ見ないで横に置いちゃって。
多分日本語は読めなかった。
そうなの?それを何年もして、あ、日本語読めないからなの?って後で気がついたんだけど、そんなとしかいなかったから、もうピャって開いて、目を見て、何やりたいの?って言われたら、もう何にも言えなくなっちゃって。
私ね、人生の中で言葉が出なくて真っ白になっちゃったのは、あの時だけ。本当に。そしたら北野さんがアルゴリズムを使ってクリエイターとなんとかととか言って、アルゴリズムって何だろうって思ったのを覚えてる。
なるほどね。この辺の話って千明ちゃんから何回も聞いてると、だんだん自分の記憶がそれになっちゃってる。どこまで本当に覚えてるかなんだけど。でも確かに代理店が間に入ってて、クリエイターたちがいて、それを直接つなぐとみんなハッピーだよねみたいなモデルで。
今ちょっとモデルは変わったけど、結構僕もずっと広告代理店の下で、デジタルガレージの元々のカウルの元祖は広告代理店下請け業で、そっから直接クライアントのIT企業とやるようになって伸びたの。デジタルガレージだったので。
その時なんとなく代理店から直に行くのって、いろんな意味でメリットあるなっていう話はすごく刺さったような覚えはあるんだけども、ただやっぱりモデルがね、ちょっと事前事業っぽかったんだよね。
ビジネスモデルじゃないからね。代理店だけが日本の中でクリエイティブなことをやりたいって言ったら、じゃあ代理店、あるいはその下、それしかほぼなかったから、それを変えたいっていうのはビジネスモデルじゃないよね、なんのね。だからよく出してくれたなーって思う。
そう、だから確かNPOだったら寄付するけどって、でもあの時もいろんなNPO助けてたから、なんかすごいミッション性は強かったので、それでも集まるんじゃないかなっていうふうに思ったんだけど、でもはっきり言ってそんなに伸びるとは思わなかったんだけど、でもすごかったよね。毎年10倍だったよね、最初の。
だってさ、最初の1年目は数十万、次数百万、次数千万だからさ、それはさ、桁が変わってくよね。だけど数千万、数億ってなったらさ、急にね、変わらなくなるからね。
でもすごかった。で、ちょっとそのロフトワークの事業を少し、そこから今の話につなげる。
で、そういう形でロフトワークっていうのを2000年に作ったんだけど、基本的にはクリエイターって言われているクリエイティブなことをやる人たち、この人たちが今も数千人規模でデータベース化されていて、で、あとはそれに対してクライアントっていうのがいて、
で、ロフトワークはそのパートナーとして、つまりクライアントの前にいるのか、後ろにいるのか、横にいるのか、どこにいるんですか、ロフトワークはって聞かれたときに、横なんだよね。
つまりクライアントの前にいる人っていうのはコンサルタントだよね。こうやったらいいですよって。で、後ろにいる人たちはさ、いわゆる決めたらそれを実行する政策の人たち。
だけどロフトワークは横にいて、何の課題感じてるの、その課題って何が根本の原因なの、だとしたらこういうサービスかな、こういうサービスがその人たちに刺さるかなっていうことを一緒に考える。なんかそういう立場っていうのはずっと変わってないかなって思って。
ただ元々、北野さんじゃないけど、アルゴリズムっぽくやろうっていう話もあったけど、結局は人間関係がメインになってるよね、信頼関係とか。
ただアワードっていうので、ネットでつながるっていうのもやってはいるけど、でもまあ信頼関係がベースにはなってるから、代理店と一緒になっちゃうんじゃないのってなんか上位に言われたじゃない。
自分たちも代理店になっちゃうんじゃないかって。
アワードっていうのはすごく意識していて、でも代理店をなくしたいっていうロフトワークの存在意義っていうのは、やっぱり代理店に似てはくるんだよね。
そうだよね。その穴をこう。
そう、埋めるわけだから。
だけど、やっぱり明確に違うなって思うのは、広告の代理はしてないってことなんだよ、全く。そうじゃなくて、クリエイティブなことを一緒に作る仲間だから、やっぱりそれは広告代理店とは似て器用がないところはあるね。
そうだね。だからそのビジネスモデルによって最適化される部分がずいぶん違うよね。
投資家と起業家という関係で出会ったジョイさんと林千秋さん。来週は一緒にプロジェクトを立ち上げたお話を伺います。
信頼関係の重要性
そして。
ただ、やっぱり農耕息だったから。
農耕息の話ちょっとできる?だから19年。
2019年。
僕もちょうど日本にいろいろぐちゃぐちゃあったときで、あの年よくなかった年だよね。
よくなかった年だね。
2人がよくなかった年と語る2019年についても掘り下げます。お楽しみに。
番組ではNFTを無料でプレゼントしています。ご希望の方は特設サイトにて次の問題の答えを入力してください。
林千秋さんがジャーナリストとしてインターンをしていたアメリカの都市はどこだったでしょうか?
スペースなし大文字半画S字でお答えください。
サイトのリンクは番組詳細欄に記載しています。
また変革コミュニティのメンバーは答えをお見せサイトで入力してください。
正解された方には100変革をプレゼントします。
デジタルガレージは危険な海に最初に飛び込むファーストペンギンスピリットを創業以来大事にし続けています。
これからくるWeb3オープンソース時代を見据えたテクノロジーで新たなビジネスを生み出す仲間を募集しています。
番組詳細欄にあるリンクよりぜひご覧ください。
19:40

コメント

スクロール