デジタルアーキテクトで千葉高大の学長、伊藤穰一ことJoyさんが、
今、一番興味のある分野を深掘りしていくJoy Ito's Podcast。
今週も先週に引き続き、デジタル政策担当の内閣官房参与であり、
デジタル長顧問の村井純先生にお越しいただいています。
Joy Ito's Podcastは、
インターネットの誕生とユニークスやオープンソースについて語っていましたよね。
今週は、どうやら国内での動きについて話が盛り上がっているみたいです。
一番気を付けないと日本の悪口になっちゃうのであれなんだけど、
結局オープンソースのインターネット的な文化とやり方あるじゃないですか。
でもそれを日本に持ってくると、キュッパチはDOSとちょっと違ったし、
ユニクスも日本版作らなきゃいけないっていう国のSigmaプロジェクトっていうのはあったよね。
で、それのやった理由とこうなんだろう。
要するに通算賞だよね。もう今通算賞ないから悪口にならないんですよ。
計算賞じゃないよみたいな。
俺びっくりしたんだけど、これこうやってやるんですよって言って、
絵みたいなのを描いたわけ、モデルの。
それで、これ全然違うじゃんって言ったんだよ、僕。
忘れもしない、渋谷のイノガジラ線の改札口出たとこで見せられて。
それで、違うじゃんって言ったら、
いや、これじゃないと政治家わかんないんですっていうわけ。
それで、すごい金額でしょ。
Sigmaプロジェクトというのは1980年代に通算賞が旗振り役となって押し詰めた一大国家プロジェクト。
ユニクスをベースに日本独自の共通OS、SigmaOSを作ろうというのがその目的の一つだったそうです。
投じられた国家予算は総額で250億円にも上りました。
それ聞いたときびっくりして、だってさ、これうまくいくかどうかわかんないじゃんって。
要するに日本のメーカーにユニクスを作らせるっていうことだよね。
それでユニクスを作らせて、開発をして、それでそれに少しネットワークもちょっといじったんだよね。
それで足回りのネットワークが割合OSIっていうか、X25とか、そういうものをちゃんと使えるようにしようねとか言いながら、
なんとなく国際標準にあっていながら品格のいいユニクスみたいな、そういう感じのことを日本のベンダーに作らせる、こういうプロジェクト。
確かソニーだけはBSDやったんだよね、ニュースが。
そうなんですよ。それでいつも聞いたとき、これうまくいくかどうかわかんないよねって言ったらね、いいとこ気が付きましたねって言って。
失敗したとしたら、この突っ込んだら失敗だってことがわかるからいいんですよって言われたのを覚えてるんだよ、そのお役人に。
今はないから傷つかないけど、250億円作ってソフトウェア開発するなんてありえなかったよ、みんなボランティアでやったりさ。
とにかくそれだけ突っ込んでもうまくいかないってことがわかるからいいんですよねって言うんだよね。
それで、そっかって言って、悪口にならざるを得ないんだけど、やっぱり国の開発プロジェクトってそんなもんなんだよ。
なぜかって言うと、だってさ、始めるときにが勲章でしょこれ。250億円取った人勲章ですよ。
ところが2年経つと変わるから、失敗しないんですよ絶対、日本の役所の構造。
だから2年経って予算取れたら偉いでしょ、でいなくなるでしょ。
それを見届ける人いないわけだから、だから絶対失敗っていうエビデンスがないわけ。
というわけで日本の役人は絶対失敗しないんですよ。すごいね。
世界中で絶対失敗しない役人なんていないか。
日本は絶対失敗しないんですよ。
村井さんから受けちゃった僕の口癖で。
というわけで、まずオープンで非中央集権型のものを中央集権が作るのって結構ちょっと事故矛盾になるところって多少ない?
中央集権っていうか政府だよね。
やっぱり政府がこうやってもらいたいっていう話と、俺たちがこうしたいって話がいつでもずれてるんだよね。
それで俺たちがこうしたいっていうのが政府を動かして、政府は俺たちがこうしたいっていう人がいるから、だから政府は一生懸命それをやるっていうルートも偉くなると出てくるんだけどね、人間って。
でもはっきり言って僕は村井先生は多分そういう政府のハッカーとして世界一かなと思ってて。
結局僕が覚えてるのは電話会社とかがやっぱり非中央集権もやだし、ISDNとかああいういろんな設備に投資して、結構最初インターネット反対してるわけだよね。
そもそも構造上やなのもあるし、今までこう作ったものがちゃんと使えないのもやだし。
そこだね、多分。
結構みんな企業も含めてインターネットの逆に張ってたところを村井先生がインターネットに張って、勝っちゃったんだよね。
これ初めて聞く質問なんだけど。
逆張りしてる村井さんが勝っちゃったから、ものすごい権力っていうか影響力のそこでついちゃうと思うんだよね。
みんなインターネットやらなきゃいけないし、技術者はワイルドプロジェクトにしかいないし。
みんながでも国とか大企業がやりたいことと村井先生とハッカーたちがやりたいことって多分かなり異なってるんだけども、
ずっと上手にこの国の下、例えば村井先生が作ったインターネットエクシェンジなんか、他の国は全部結構国がコントロールしてるんだけども、
日本だけ無法地帯になってるっていうのって結構重要なハッキングだと。
無法地帯っていうか、無法地帯でもないんだよ。
そうなの?
だってちゃんと動いてるもん。
別に無法地帯でも動くことはできるよ。
なんか無法地帯って悪いことが起こっちゃって。
いやいやいや。
別にそうじゃない?
ただ、一方ではインターネットってグローバルにやっぱオペレーションは、これが恐ろしいところでオペレーションは完全な分散システムなんですよね。
だからむしろね、国がやってるとこは少ないですよ。
だけど、でもそれね、日本ってね、面白いんですよ。
これもね、気をつけなきゃいけないんだけど、日本は法治国家だと思うなってある弁護士から僕言われてるんだけど、つまりどういうことかっていうと、アンビギュアスなのちょっと。
だから、例えば、インターネットをやると、これインターネットってやっていいんだっけって言うと、なんかこう、インターネットって来たものとかずっとはばいてるからさ、交換業務だから、
本当は電気通信事業者以外は交換業務をやっちゃいけませんみたいなこと。
そのこと言ったら全てのコンピューターインターネットのプロトコル入っててルーティングしてるから交換業務なんだけど、それでもダメなんですかとか言ってたら、いやそれはいいんじゃないとか。
それ書いてくれますかって言うと、いや書けないけどいいんじゃないみたいな。
でも最初の頃、これ確か慶応の先生がどんだけ違法かっていう論文書いてない?契約してない2社が交流するとか国際法的に云々かんねんで、インターネットはもう法律違反だみたいな論文があって、でももう止められないっていうので言っちゃってて。
本当はやりたかったのに、きちんと順を追って政府に働きかけて、法律を変えて、このコンピューターネットワークの世界を作りたいっていう人たちがいて、それが勝手に作っちゃって、まあいいんじゃねって言いながら書いてくれって言うと書けないけどいいんじゃないっていう雰囲気で言ってるじゃん。
それでそういうやり方が気持ち悪いよねこれ。やっぱちゃんと一個一個ルールを作りながら積み上げてやっていこうっていうやり方で頑張ってたのに、なんかスコーンってできちゃって、それが一番俺たちが嫌だった人たちなの。
だからむしろ企業とか行政の人たちっていうのは、それが始まったら始まったで、それを支援しようっていうことでだいぶ支援してくれるようになったわけ。だからそれをむしろ画作してたアカデミズムとか準備してた人たち、真面目な人たちに僕は一番嫌われてたと思う。
アンビギアスっていうのは少し曖昧なところがあるんだけど、でもそこに少し隙間があるから、この隙間が結構重要で、この隙間でできることをやったら、そうするとなんかすっごい楽しいことができて上手いことを言ってて。
じゃあそこに乗ろうっていうようなことっていうのは、なんか日本のやり方にはインターネット以前にあんまりなかったかもしれないけど、インターネットがあまりにも突飛っていうかちょっと今までの考え方と違うから、コンピューターを人間がつなぐっていうこととか、コンピューターの上に音声を載せちゃうとかね、それからコミュニケーションが変わってくるとかね、なんかそのあたりがやっぱり経験してないじゃん。
やっぱり郵便があって電話があって、他に放送があって、これがコミュニケーションだったのに、なんか全然別の感じで人間がつながってくるとか、ウェブとかそういうのもそうだと思うんだけど、そうするとこのインパクトがすごく大きくて、結局はインターネットはコンピューターをつながるっていうことはもちろんできて、分散処理っていう意味でも技術的には意味があったけど、やっぱり人間を全部つないじゃったっていうところがすごく大きなインパクトで、
人間がつながっちゃえば、じゃあそこを使って新しいビジネスやろうとか、なんか新しいコミュニケーションメディアを作ろうとか、そういうことがどんどんどんどんいろんな出てくるでしょ。これはもう人間の本質的な知恵だよね。
そこに行くのが、だから89年、90年、ワールドワイドウェブが出てきて、親みたいな、何かこの出版社の頼まなくても出版できるんだっけみたいな、新聞に書かなくても人は聞いてくれるんだっけみたいなことが起こってきて、そこからやっぱりソーシャルインパクトがすごくでかくなったのはやっぱり90年代になってからだよね。
それは人間のコミュニケーションを解き放っちゃったからなんだよね。それでしかも、パブリッシングコストとかさ、そういうのはゼロだから、これはやっぱり大きいよね。
で、もうそうなったときに、もうそこまで見えてたときに、インターネットはいいんでしたっけみたいな話したって、もう手遅れっていうか、もうそれ認めざるを得ないみたいな。だから今も、もしかしたら法律やんかもしんないなって思うぐらいで厳密によくそういう通信本を読んでると、あれ、なんか全然関係ない人たちがみんな交換業務やってるよねみたいなことを考えていくと。
もうそこに戻ることはないと。だけど先に行ける。だからそういう意味ではね、世界でインターネットを動かしてる連中とずっと一緒に仕事してるけど、日本は先に俺たちが動かしちゃってるから、その世界のインターネットオペレーターと話してても、政府との関係がギスギスしてないっていう意味ではすごく特徴がある。
日本のインターネット例明記における、ルールを作る側と規制事実を作る側の攻め合い。なかなか面白いですね。既存の法律の隙間を巧みに利用して広がったインターネット。なかなか感慨深いです。
僕も覚えてるのが、確か土管を持ってる人たちはプロバイダー誰にでも課さなきゃいけないっていうルールっていうのは結構日本は早かったよね、アンバンドリング。
それはかなりやっぱりそこは戦ってくれた人がいますね。IT戦略っていうのが2000年から始まって、1999年からオブチ政権の時から始まって、2000年から森総理のとこで、そこに集まってるのは孫さんとか井出さんとか俺なんだよ。
そこでこの顔ぶれがちょっとやばくて、井出さん、孫さん、俺っていて、それでインターネットがあって、ここに、もちろんNTTの社長がいいんだけど、このNTTの社長が素晴らしい人でしょ。
これがあってこれがあって、リソースは元は、これ電力公社のリソースなんだからみんなで使わなきゃいけないよねって、そういうのはこういうビジネスの人たちがちゃんと言うじゃん。そうすると、俺もそう思うんだよなって言っちゃうんだよね。
行ったとか言うんだよ。これもう官邸の会議だから、行ったとか言うんだよ。もう現地取ったみたいな、そう言うんだよさ。それでだんだんこう変わってったね。そこは僕自身が何かやったんじゃなくて、やっぱそういうポリシーの発想はそういうビジネス界の、やっぱ大企業だよね。ソニーも大企業だしさ、ソフトバンクも大企業だったすでにあの時。
そういう人たちがやっぱりあるコンセプトを出して、それでIT戦略書いてたから。書くのは僕らのグループ一生懸命相談して書いてたと思うけど、従ってパブリックリソースを共有しようとか、後のADSLの周波数を電話としてどう使おうかっていうことで、
海戦の中の周波数の使い方って、日本語で言うとISDNとBISDNっていう技術なんだけど、それのためにこうやってやろうって言ってたことと、ADSLって真っ向から、てかぶつかっちゃうんだよ。そうするとADSLの方がもういいんじゃねっていう話も。
結構大きいバトルだったね。
そうだね。それでそれを駆動いたのもやっぱりそういうビジネスのリーダーたちだね。
でもそのアーキテクチャをどんどんプッシュしたのもぐらい。
そうですよね。そうすると聞きにくるわけ。これ技術的に言って、アカデミズムとしてこれどうですかって言ったら、このぐらい大丈夫じゃないですかねとか、やっぱりそういうことで。
これは一番大きい日本の政策的な最大のあるいはWi-Fiのチャンネル数だ。Wi-Fiはあれ2.4ギガと5ギガだけど、ISNバンドっていう誰でも使っていいっていうとこから発展してるんだけど、これは日本は絶対従う必要ないって言って。
なぜならWi-Fiの電波ってちょっとしか飛ばないじゃん。だから世界と合わせる必要なんかないんだよっていうわけね。そうだよね。電波の考え方はそうなの。だけどこれってインターネットができるとプロダクトがマーケットを作ってるじゃん、グローバルに。
そうするとここで作ったWi-Fiのカードがこっちで使えなかったら困るわけよね。それで、だから電波は飛ばないのに国際的な調整をする必要はないっていうのが普通の電波の考え方なんだけど、このプロダクトがたくさんあって世界中でプロダクトがグローバルに流通する世界があるっていう、この発想前提がなかった。
今もない優勝賞ね。
そうそう、だから今もない優勝賞だから言えるけど、でも結局これ、例えば電子レンジとコンフィクトがあるからさ、それでそんなノイズなことを、コミュニケーションって選ばっちゃいけないんだよみたいなことが常識だったときに、このチャンネルを14にしようか15にしようかっていう。
ヨーロッパにもアメリカにも、そのプロダクトが全部使える国にしようみたいな判断をね、半年もかかんないでできちゃったんだよね。それで、だからあれは大きかったですね。Wi-Fiが今これだけ使いやすい国になってるのも、後から来てるんだよ。ヨーロッパ決まってアメリカ決まって、それで日本は最後に決めたから。
そして、2人の会話はちょっとディープな、とあるメーカーのルーターのお話に。続きを聞いてみましょう。
あの頃、ヤマハのWi-Fiルーターとかって、あれもっと後だっけ?なんでヤマハがルーター作ってるのかなと。
ヤマハはもううっとりですよ。もう僕ヤマハ大好きだったんです。それでヤマハ都共の研究ずっとやって、ちっちゃなルーターが出て、これWi-Fiルーターとかじゃないんですよ実は。これもどっかに書いておかないと忘れるよね。だからちっちゃなルーターなんですよ。
それでね、インターネットじゃん。インターネットってまだヨタヨタしてるわけだよ。インフラもあれだから。そうするとISDNもあったわけ。
ISDNって僕は、BISDNって結局日の目を見ずになくなった。ブロードバンドISDN。でもISDNっていうのは、テレ放題とか言いながら、結構デジタルコミュニケーションの最初の貢献したと思う。
これがね、組み込まれてるんだよ、ヤマハのルーターって。それでインターネットの本体が切れたらISDNでダイラップしてバックアップするの。そうするとこれ重量課金じゃない?高いんだけど、そうでないときはインターネットで安いじゃん。これがね、日本のコンビニエンスストアのポス全部ヤマハですよ。
でもそもそもヤマハはなんでルーター作ったの?
そうね、あのね、一番最初はね、これもうホントヤマハの壊れちゃうかもしれないんだけど、いろいろインターネットでつながるところを増やしたくて。それで静岡大学の先生がつなごうと思うじゃない。ところがさっき言ったように専用線引かなきゃいけないから高いんだよね。
それでお金持ちがついてくんなきゃいけない。そうすると静岡大学って浜松なんだけど工学部が。そうするとね、ここに何か産業ないかなって、そういう見方いつもしてた。広島行くときは広島の産業ないかなっていうと、そこにスポンサーになってもらうのがいいから。
だから広島なんてね、金庫の有名な店があるんですよ、金庫作って。そこ行ってインターネットを広島大学つなぎたいからお金出してくださいって頼みに行ったもん。それで、そうすると浜松はヤマハなんですよ。それでヤマハ独協同研究やって。
専用線引くスポンサーのためにヤマハに行って、そのお金でルーターができちゃったっていう。
だけどヤマハはすごいんですよ。それができてね。やっぱりヤマハってちょっとビジネスドメインが違うから、他のはもうルーターとかそういうのピカピカしたのをどんどんどんどん売って、富士通とかNECとか、そういう売り方知ってるじゃないですか。
ヤマハ初めてだから分かんないんですよ、会社としては。だからプロダクトの売り方が。そうするとね、どんどんね、中のファームウェアっていうかOSのアップデートだけで、一度買うと二度と買わなくていいようなプロダクト作ってくる。
そうすると普通はそれさ、もうわざわざ買い替えさせるために、なんかいろいろもうこれ古いから買い替えてくださいみたいな、そういうプロダクト戦略があるじゃん。そしたらないね。
そうすると、あれ?なんか新しいプロダクトがどんどん入ってくるねみたいなんで、それでもう嬉しかった。それで安かったし。それであるときそれを、これもうどこまで言っていいのか分かんないけど、巨大な会社がやっぱり小型ルーター持ってなかった。本来持ってていいのに。
それが、ヤマハの小型ルーターを買いに来たって、その部門。あるあるだよね。そうしたら、これ聞いた話は僕その場にいたんじゃないんだから。
そうすると、この役員会にこのルーター作ってた部門の、僕と共同研究をやってた部門の人が呼び出されて、今までかつてないヤマハの大規模な買い取りのアプローチが来たぞと、部門の。